絶望とやさしさにふれて
「あの、ごめんなさい、へいわ市って、聞き覚えがあると思ったら……」
若い婦警さんが恐る恐る言った。
「どうしたの?」
中年の婦警さんが首を傾げた。
「あの、それでは、読み上げますね」
数秒の間を置いて、若い婦警さんはスマホで開いたウェブサイトの文を読み上げ始めた。
「へいわ市は、2013年2月2月3日から2014年1月26日まで(北海道地方、東北地方、関東地方、中部地方、関西地方、中国地方、九州地方、沖縄県および北陸地方の一部で)毎週日曜日午前8時30分から午前9時の30分枠で放送されたテレビアニメ『ハートフル少女 ラブリーピース!』の舞台として描かれている架空の都市……」
「架空? え、どうして? どういうこと?」
「どうしたの?」
中年の婦警さん、看護師さん、お医者さんが心配そうに見ている。若い婦警さんとお姉さんたちは、事情を察したかのように俯いている。
「これって、もしかして、ほんとうに、私たちの住む世界って……」
最初から実在してないの?
そこで私は知った、自分がアニメのキャラクターで、いま身を置いている世界では、創作上の世界という扱いになっていることを。
あぁ、どうしよう、私、これからどうなっちゃうんだろう。両親が死んで、行く当てもなくて、自分が生きていた世界の存在そのものを否定されて。まだ何か発覚していない事実があるのかな。でももう、ここまで来たらどうでもいいや。だって、もうこうなったら、死を待つしかないじゃない。知らない世界に自分一人だけポンと置かれて、一体どうしろっていうの? どう考えたって死を待つしかないじゃない。
「おっといけない、医者としたことが、平静を欠いていた。君の名前は、桃原夢さんで間違いないのかい?」
「はい、間違いありません。記憶喪失でもなんでもありません。姉はラブリーピンクとして世界を救った桃原笑です」
「ああ、うん、そうか」
「ほんとです! ほんとうにそうなんです!」
「わかった、わかったよ」
わかってない。このお医者さんは私に何かの病気を疑っている。そうじゃない、私のこれまでの記憶は、桃原夢としての記憶しかない。
「ほんとうに、そっくりだよね」
私の顔を見て、若い婦警さんが言った。
「え、そうなの?」
中年の婦警さんが若い婦警さんを見て首を傾げた。
「はい、私、アニメが好きで『ラブリーピース』も見てたんですけど、彼女は見た目も口調も、ラブリーピンクの妹、夢ちゃんにそっくりです。5年経つとこんな感じになるのかなって、そう考えるのが、いちばんしっくり来るんです」
「えーと、お姉さんたちは、ラブリーピース、ご存知ですか?」
若い婦警さんが訊ねた。
「申し遅れました、私、烏帽子アロハといいます。残念ですが私は……」
「アロハの妹で、烏帽子オハナです。私はラブリーピースのことは存じていますが、残念ながらアニメ放映は見ていなくて。でも、ラブリーピースっていうアニメの存在自体は知っています。ぬりえとかレトルトカレーとか、ラブリーピースのグッズはスーパーや百円ショップなどでよく見かけましたので。映画にもなっています」
「うーむ……」
納得いかない様子のお医者さん。どうやらこの場でラブリーピースをよく知っているのは若い婦警さんだけのようだ。これでは埒が明かない。
死亡した私たちと幸来さんの両親は、身元不明の遺体として期間を定めず冷凍保管する運びとなった。
私は医師から精神疾患や障害を疑われるも、断定はされなかった。当たり前だ、私はどこもおかしくなんかなっていない。桃原夢は桃原夢でしかない。
「夢ちゃんは、夢ちゃんなんだよね」
若い婦警さん、川桁愛子さんと二人きりのタイミングで言われた。
「はい、間違いありません」
「うん、警察のお仕事してるとね、たまに科学では説明し難いことに出くわすの。夢ちゃんがラブリーピースが救った世界からこの世界に来たのも、きっとそういうことの一つなんだと思う。だからね、住むところが決まって退院するまで、ううん、決まってからも、夢ちゃんは夢ちゃんのままでいい。むしろそうあるべきだよ。だから、夢ちゃんは『桃原夢』を貫き通していいんだよ」
「はい、ありがとうございます」
うれしかった。感情や思考が麻痺して覇気のない返事をしてしまったけれど、すごくうれしかった。もう面倒だから、仮名でもつけてしまおうかなんて想いがよぎっていたところだった。
「うん!」
彼女はにこっと、素朴で満面の笑みを見せてくれた。
「それでね、実はね、烏帽子さん姉妹が夢ちゃんといっしょに住みたいって言ってくれてるんだけど、どうかな?」
「え、でも、ご迷惑なのでは……」
最初に出逢った3日前から、烏帽子さん姉妹には会っていない。まさか彼女たちが、もしくはどちらか一方だけかもだけれど、そんなことを言ってくれたなんて。
あぁ、私は幸せ者なんだな。
大切な人を、世界を失ったショックで心は晴れないし、晴れる気配もないけれど、謝意だけは強く芽生えた。烏帽子さん姉妹にも、川桁さんにも、もう一人の婦警さんも、看護師さんもお医者さんも、私をケア支えてくれている。それがどんなに有り難いことか。
ここに来るまでは、ここまでのことは考えてなかったな。
もしかしたら私は、お姉ちゃんたちが救った世界では知り得なかった、感じ得なかったことを学びに、この世界に来たのかな。




