ラーメン屋
「あああ、見られちゃった、見られちゃったあ!!」
「見てもらうためのステージだよ」
「そ、そうだけど、そうなんだけど……」
ステージの裏。顔面ボイラー状態の翼と、翼の肩をぽんぽん撫でて宥める小町。
ちょうどそのとき、上り電車がプォオオオ!! と蒸気機関車とよく似た警笛を鳴らして辻堂駅のホームに滑り込んできた。徐々に速度を落とし、停車。
「翼さんの気持ちを電車が代弁してるみたい」
にこにこと、笑が百メートル先の電車を見ながら言った。
「うるさい!」
「電車といえば、『つばさ』と『こまち』って、新幹線の名前ですよね」
思留紅が言った。
「うん、そうだよ。先に登場したのが山形新幹線の『つばさ』で、後に登場したのが秋田新幹線の『こまち』。私たち姉妹の名前はそれに倣って、生まれた順に付けられたの」
小町が答えた。
「お粗末な名前よね。出産で帰省するとき、発車案内の電光掲示板に表示された新幹線の名前を見てひらめいて、そのまま子どもの名前に流用するなんて」
そんなことない。否定しようとした笑と幸来だが、この世界には子どもを粗末に扱う親がたくさんいる。純真無垢な言葉は刃となり、翼と小町を大なり小なり傷つける恐れが多分にある。故に、喉から出かかった言葉を呑み込んだ。
笑たち4人も手伝い機材を撤収させ、ショッピングモールの駐車場に置いた翼と小町のワゴン車に搬入した。小町の運転で、笑たちも茅ヶ崎東海岸まで乗せてもらった。翼と小町は楽曲を動画サイトで配信して稼いでいるため、18歳にしてマイカーを所有している。なお、二人ともお金のかかる教習所には通わず、おしゃれと評判の免許センターで一発合格した。
◇◇◇
「いっただっきまーす!」
笑の前にもくもくと立ち上る味噌ラーメンの湯気。色つやのよいネギとモヤシが映える。
「はい青いお姉さんは味噌ラーメン小盛、思留紅ちゃんは塩ラーメン小盛、翼ちゃんは味噌つけ麺、小町ちゃんは醤油ラーメンにメンマ増し、花純ちゃんは味噌ラーメン小盛にもやし増しね」
四人用の小上がりに、店主によって他5人の前にもラーメンやつけ麺がところ狭しに続々運ばれてきた。
ということで一行は、逢瀬川家の近くにある老舗ラーメン店にやってきた。創業約60年。店主は代々引き継がれ、現在は気さくなおじさんとおばさんが温かく出迎えてくれる。ちなみにこの二人、夫婦ではない。ラーメンをつくり終えた二人は厨房で食器の片付けなどをしている。
こじんまりとした店内は地元住民や観光客でほぼ満席、昭和のノスタルジックな雰囲気に包まれている。コの字型のカウンター席と、奥に四人用の小上がりに座卓が二つ。それらをくっ付けて六人で利用。
花純、翼、小町がこの店に通うようになったのは半年前の真冬、三人で駅ビルに出かけた帰り。乾いた冷たい風が肌を刺す雄三通りを歩いていたら、温かい味噌ラーメンが食べたいと小町が言い出して、翼と花純も同意したのがきっかけ。最初、正直女子だけでは入りにくい雰囲気のこのラーメン屋は抵抗があったが、勇気を出した。
「うーんおいしい!」
「ほんと、おいしいわね。この世界はラーメンのグレートも高いのね」
この世界に来て初めて食べたラーメンに舌つづみを打つ笑と幸来。これまたラブリーピースの世界では、凝ったラーメンは存在していない。あくまでもラブリーピースの活躍を主体に構成された世界である。世界は笑と幸来を中心に回っていた。
「そうだね。でもね、私たちみたいに茅ヶ崎で育った人にとっては、それだけじゃないんだよ」
「そうね、このパンチが効いているのにさらっとした味は、茅ヶ崎の気風をよく表しているわ」
「要するに、ふるさとの味ですね」
「うん、私もここのラーメンを食べるとホッとするなぁ」
こまち、つばさ、思留紅、花純の順で言った。
この店のラーメンは、上品なラーメンとも、野菜マシマシ系とも、家系とも、中華そばとも異なる、あっさり系のスープにほどよくラードを絡ませパンチを効かせた独特の味。中太麺と、厳選されたモヤシ、ネギ、じっくり仕込んで味を染み込ませたチャーシューとメンマ。玉子はラーメン店としては珍しく硬めに茹でてあるが、これはこれで良い。
『国道134号線上りは由比ヶ浜を先頭に6キロの渋滞、国道1号線下りは茅ヶ崎の十間坂を先頭に1キロの渋滞となっています。ドライバーの皆さん、これからも引き続き安全運転でお願いします』
食べている間に14時半を過ぎ、客は笑たちのみとなった。片付けられてゆく食器の音や喋り声に掻き消されていた横浜ローカル局のラジオがよく響く。大人の色気漂う女性の声でアナウンスされる交通情報は、おばさんボイスの交通情報を聴いて育った笑と幸来にとっては新鮮だった。
茅ヶ崎育ちの四人は麺を食べ終わって少々残ったスープに酢を数滴垂らし、レンゲで掬ってちびちび飲んでいる。店主おすすめの飲み方だ。「これがクセになっちゃうんですよねぇ」と思留紅。
「ほんとだおいしい! 疲れた身体に染み渡る!」
「ニンニク入りのスープに酢。これは乙女には禁断の味ね」
「とか言って幸来ちゃん、一気に飲み干したじゃん」
「だ、だって、美味しいんだもの」
笑と幸来もスープまで飲み干し完食。故郷とはぐれた仲間を想い、疲弊しきっている二人には中毒性のある味だ。もちろん、ほかの四人も。
「お、完食! ありがとうね!」
「ごちそうさまでした! 美味しかったです!」
笑に続いて五人も「ごちそうさまでした」を言った。
「それは良かった! もう閉店時間だけど、後片付けと仕込みがあるからのんびりしてていいよ」
「わぁ、ありがとうございます!」
この店は15時閉店。ラストオーダーも同時刻。つまり15時までは入店可。夜の営業は体力的問題で休止している。店主とおばちゃんが食べ終わったどんぶりを下げたが、水の入ったコップは残しておいてくれた。
「どうだった? 私たちの曲」
小町が向かい合う笑と幸来の目を見て言った。
「良かったです! すごかったですよ! 翼さんの声も綺麗でした!」
「私も、そう思いました」
返事に困ったつばさは肩を窄め、ピンと腕を張り両手を重ねている。
「ありがとう」
小町が、翼の分も合わせて礼を言った。
「でも、ちょっと、歌詞が気になるなぁって、思っちゃったり」
気まずそうに、でも気になる。笑は思い切って、ぼそりと言った。
「ちょっと、それは」
幸来も、先ほど聴いた曲の歌詞には引っかかるものがあった。だが、言えなかった。
「だよね~。話してもいいかな、翼ちゃん」
「どうせ、いずれ話すでしょう?」
「まぁね」




