優れた人ほど試練が多い
気重なまま過ぎてゆく笑と幸来の夏休みは、気がつけばもう中盤に差しかかっている。
周囲は見て見ぬふりをしていたわけではない。明らかに空元気で生きているのは察しているが、心配しつつも解決策を見出だせないでいた。
「ねぇ逢瀬川先生、私、あの子たちのお母さんとして、どうすればいいのかな」
昼下がりの逢瀬川家に、高い陽光はあまり差し込まず薄暗い。リビングで二人の時間を過ごす、紗織と聡一。
笑、幸来、思留紅は会館前からバスに乗って、藤沢市の西端、茅ヶ崎市との境界に位置する辻堂駅直結のショッピングモールへ出かけている。途中の平和町バス停からは花純が合流するという。
翼と小町も誘ったが、用事があるとのことで断られた。
「それは僕にも明言できないよ。というよりはむしろ、喜多方さんのほうがそういう感情をよく知っているのではと、僕は思うよ」
紗織は暫し、考え込んだ。
「そっか、そうだね」
笑と幸来の状況を、現実世界に置き換えて考える。
紗織は、神奈川県の中では比較的治安が良いとされている茅ヶ崎から、いきなり戦争が勃発している国へ飛ばされ、そこで暮らさなければならない自分を想像した。
紗織が想像したある国は、文明が発達していて、街にはガラス張りのビルやおしゃれなカフェ、華やかな花壇と造形美が彩る噴水広場もある、賑やかできれいな街。余談だが、そこでつくられたエキゾチックな香りがする黄土色の固形石鹸が好きで、たまに購入している。
ある日そんな街で銃撃戦が繰り広げられ、ガラス張りの建物は瓦礫と化したコンクリートの残骸に、カフェや噴水広場は見る影もなくなった。
見渡せば、原型を留めていない死体がそこかしこに転がっている。
自分だって1分後、いや、1秒後の命の保証はない。
そんな場所で、自分は何を求めるだろう。
笑と幸来から聞いた話によると『ラブリーピース』の世界では、殺人事件や死亡事故はなく、また、80歳前後までは誰も死なない。死因は年老いて病死するか、老衰のどちらかだという。
そんな理想的な世界の人から見れば、この世界は戦地かそれ以上に恐ろしいだろう。
絶対に安全な環境、それに越したことはない。けれどそれは自分には用意できない。ならば、自分が与えられるものは何か。
紗織はそこに想いを巡らせた。
「37歳にもなって今更だけどさ、生きるって、大変だね」
「人生は、修業の場だからね。だけどもし、僕が彼女たちのように自分たちが暮らしていた世界を失ってしまったら、耐えられるだろうかとも思うんだ。しかも、無事を確認できたのは親友たった一人だけ。一人でも無事が確認できたのは不幸中の幸いとして、家族やその他の人々は安否不明。これだけは、どれだけ想像力を働かせても、僕には到底手に取るようには理解し得ない。高校1年生の少女が背負うには、あまりにも大きなカルマだよ」
「優れたヒーロー故の試練、か。そりゃ、イージーモードの人生を送ってるヤツで、私はろくなのを知らないけどさ」
「そうだね。優れた人ほど試練が多い。すると必然的にそれほどの苦しみを知る人も少ないから、周囲から理解されがたい。僭越ながら僕もそういう道を歩んできたけれど、彼女たちには及ばない。僕も、もしかしたら君も、まだまだだね」
「うん、まだまだだ。自分には理解できないことが起きたときは、成長のチャンスだね」
 




