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02.人魚村の噂

 何となく疑問に思ったジャックは、例のタガーをホルスターから鞘ごと抜き取ろうと視線を落とした。


「ちょっと」


 イアンが非難じみた声を上げる――と、肩に強い衝撃。彼女が立っている方とは反対側だ。つまり、誰かにぶつかった。


「あ、すまない」


 慌てて顔を上げて謝る。ぶつかったのは女性だった。

 この辺りでは見掛けない、着物というらしい衣装を身に纏っている。どこか中性的な顔立ちだったが、視線は何故か自分が持っているタガーに釘付けだった。

 ややあって、女もまた我に返ったのか、軽く頭を下げる。


「こっちこそ悪かったよ。余所見をしてた」

「ああいや、怪我が無いなら良いんだ」


 余所見をしていた、と謝罪した割にはチラチラと視線がタガーに注がれている。その様子を見てイアンはぶつかった相手が不快感を覚えている、と解釈したらしい。


「申し訳ありませんでした。やはり、どこかお怪我を?」

「いや、別に……」


 そう言って女がイアンの方を見て、そして眉根を寄せた。ようやくタガーから離れた視線はしかし、自分とイアンを交互に見つめている。

 業を煮やしたイアンが苦言を呈そうとしたその時、女は勝手にジロジロとこちらを観察した理由を口にした。


「お前等、どっちか伝承種だろ。伝承種って意味分かるよね?吸血鬼とか、人魚とか、そっち系の」

「仰っている意味が分かりませんね」

「別にお前等の勝手だとは思うけど、伝承種が人間に絡むのは感心しないよ。生きる時間も、価値観も掛け離れてるんだからさ。まあ、私がとやかく言う事ではないけれどね」

「……貴方、何を思って我々のどちらかが伝承種だと?」

「魔力量が可笑しいのと、あとは――空気、かな。限りのある人と伝承とじゃ空気感が違うんだよ、どれだけ上手く取り繕っていても」


 ――勘違いされているようだ。

 魔力量が多い多いと再三言われているのはイアンで、人間でないのは自分。それらを併せた上で勘違いの警告をされている気がしてならない。


 恐る恐るイアンの方を見てみるも、彼女は薄い笑みを浮かべているだけだ。そういう態度が間違いを生むのではないだろうか。兎にも角にも、彼女には誤解を解くつもりは微塵も無いようだし黙っていた方がいいのだろう。


「他人に忠告をしてしまう程には、貴方も痛い目を見ているようですね?」

「まあ、そうでもある訳だけれど。私自身の話を伏せるにしても、人魚村なんかの惨状を見れば私の言わんとする事も分かるんじゃない?」

「人魚村?とてもミステリアスで耳障りの良い名前ですねえ。場所は?是非行ってみたいものです」

「物見遊山で行くつもりならお勧めはしないな。場所は――」


 続きの言葉は耳に入って来なかった。不意に掠めた、実に覚えのある匂いのせいで。

 帝国にいた頃、仕事で外に出る度に纏わり付いてきた匂い、鉄のような、粘っこいそれは間違い無く血の匂いだ。発生源は言うまでも無く先程ぶつかった女。大怪我でもしているのだろうか、それにしてはしっかりした足取りだが。


「成る程、身を隠すのに良さそうな場所ですね。行く宛が無くなったら足を運んでみる事にしましょう」

「正気か――って、明らかに常軌を逸した、文字通り逸材だよ、お前。思考が邪悪過ぎる。共感性が死んでるの?」

「私は誰よりも他者に感情移入出来うる存在だと自負していますよ。他人は他人と割り切っているだけですとも。おや、ジャック。何を渋い顔をしているのですか?」


 いきなり話を振られて返事を窮した。仕方ないので「別に……」、という客の前でなければどんな嫌がらせをされるか分からないような返事をしてしまう。


「私はそろそろ行くが、一応忠告しておく。人魚村は悲惨だぞ、進んで行く場所じゃない。人間の醜さの代名詞みたいな場所さ。気分は確実に悪くなるだろうから、覚悟はしておいた方が良いよ」


 じゃあ、と今度こそ女はジャックの隣を通り過ぎ角を曲がって消えて行った。


「何だったんだ、アイツ……。しかし、人魚村か。名前だけ聞くと、港町みたいな場所を連想するな」

「それはジャック、貴方が人魚が何たるかを知らないから言えるのですよ」

「人魚、って言ったら腰から下が魚の女?ってイメージだがな」


 イアンが嗤う。さっきの女が指して言った、邪悪さを多分に含んで。


「貴方のイメージは人魚という代名詞を語っているに過ぎません。人魚は現存する全ての種の中で、唯一の不老不死という特性を持つ伝承種です」

「へぇ、歳を取らないって事か」

「歳を取らない、それだけではありませんよ。彼女等は身体を千の欠片に刻もうが、燃やして灰にしようが、或いはドロドロに溶かされたって死にません」

「そ、それは凄いな」


 平和な思考回路をしているのですね、とイアンが言う。それは多少の皮肉が混じっているような一言だった。


「不老不死は人類共通の夢です。ヒューマンドリーム、ってやつですね。人は誰しも若く、美しく、健康的でいたがるものです。私にはちっとも理解出来ませんが」

「それが何だって言うんだよ。俺みたいなのが生み出されてる時点で、人が死を忌避したがるのは分かってた話だろ」

「そう。人間は死を回避するという欲望の前では、何にだって手を染める。その矛先が不老不死である人魚に向かないはずがありませんね?」

「……あっ」


 背筋に奔るのは悪寒。イアンが人魚は何をしても死なない、と知ったように言った理由が不意に脳裏に閃く。

 閃きはしたが、心底可笑しいと言うように、謳うようにイアンは言葉を続けた。


「今までこのマーブル大陸で発見された人魚は2体。1体は帝国が所持していましたが、逃げ出してしまったそうです……。さあ、もう1体はどこにいるのでしょうね?人魚の血、1滴で10歳若返るとか。くふふっ、誰が検証したのでしょうか、そんな事を」

「ゾッとする話だな。人魚がいれば、人間は実質不老不死になれるって事だろ。それ。人魚だって人間に血液を提供する為に一カ所には留まらないだろうし……って事は」

「はい、ご名答です。回復した傍から足を折るなり、勝手に移動しないように五感を潰すなり、死なないのだから問題ありませんね?」


 という事は、人魚村とは――先程の女の証言と、今聞いた話が脳内で勝手に照合される。


「そんな所には行きたくないな」

「行くことにならなければ良いですね?」


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