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06.獣に嫌われる理由

 ***


 アルニマ村へ戻ってきた。なお、巨大な猪の魔物を担いで帰ったブルーノは村人から英雄の凱旋じみた歓迎を受けていたようだが、騒がしい事である。


「猪の肉は美味しいのでしょうか」

「えっ、さあ……。俺も食べた事は無い」


 時刻は午後7時半。

 猪狩りに成功したイアン達は猪鍋パーティに参加すべく、村の中心へ集まっていた。本当は宿で休みながら夕食を摂りたかったが、そうは問屋が卸さない。あれよあれよと言う間に外へ出されていた。


 リカルデとブルーノはコミュニケーション能力を駆使して村人達と打ち解け、一緒に猪まで捌きに行ったらしい。今日は朝から動きっぱなしだった気がするのだが元気な事である。


 そんな中、村人達の中には混ざれなかったジャックだけが自分の隣に座っている。大きな猪を煮込む為の大きな鍋。それを温める火もまた巨大だ。辺りはすっかり真っ暗だが、焚き火の明かりだけで周囲がよく見えるくらいである。

 不意に、居たたまれない顔をしたジャックがぽつりと呟いた。


「俺達も何か手伝った方が良いだろうか」

「良いんじゃないですか、別に。座っていてください、と村の方々が仰っていたではありませんか」

「いや、みんな働いているのに俺達だけ休んでるっていうのも……」

「あの猪を狩って来たのは我々です」

「あんた何もやってないだろ!」


 ぶつぶつ、と小声で何か言いながらジャックが村人達を眺めている。そんなに気になるのならば、手伝いを申し出ればいいのだ。訳が分からない。


「――リカルデさん」

「ああ、どうした?イアン殿」


 村人達の間にリカルデの姿を発見したので呼び止める。気の良い彼女は上機嫌で走り寄って来た。


「ジャックが、何か手伝う事は無いかと先程から煩いので連れて行ってください」

「そうか!丁度良かった、こっちは手が足りていないんだ。君は何枚くらいなら一片に皿を運べる?」

「え?あ……3枚くらいか」

「はっはっは、面白い冗談だ!」


 リカルデに引き摺られるようにしてジャックが村人達の中へと紛れて行った。というか、声を掛けられなければ人と話せないとは、シャイなのだろうか。

 再びぼんやりと焚き火を眺めていると、「あの……」とか細い声がして我に返った。

 見れば、アルニマ村へ来て最初に話し掛けて来た少女がいる。


「どうかしましたか?」

「えっ、あの……」


 ――何度も言うようだが。精一杯優しげに話し掛けているはずだ。怯えられるような態度を取った覚えもないし、そもそも恐ろしい存在だと思う相手に話し掛ける意味が分からない。


 このまま去ってしまうだろうか。ジッと少女を見ていると、獣人の彼女は三角形の耳を揺らしながらやっと用件を切り出した。


「あのね、お姉さん。私、お姉さんと会った時に驚いちゃって……」

「ええ、気にしていませんよ。別にね」


 所詮は子供のやった事だ。それにいちいち目くじらを立てるつもりはない。しかし、彼女の母親らしき村の女性が謝って来いとでも言ったのだろう。

 興味が無いので何となく「あの、その……」と必死に何か言おうとしている言葉を聞き流す。耳にあまり入って来ないのだ。どこか他人事のようで。しかし、必死な少女はイアンの反応には気付かない――


「お姉さん、聞いてる?」

「……ええ。聞いていますよ。昼の事を謝っていたのですよね?何度も言うように、気にしていませんよ。お母さんの所へ戻ると良いでしょう」


 急速に現実へ引き戻される。

 そして同時に僅かな興味が湧いた。人間の少女であれば気付かなかった事に、多分この子は気付いている。実は危険な相手と話をしている事も、自分が彼女に微塵も興味などなかったことにも。


「そうですね、少し訊きたい事があるのですが。良いですか?」

「え、うん。私……まだ力が、無くて。お手伝いもあまり出来ないの」

「ええ。なら私の話し相手になってください。単刀直入に訊きますが、貴方、何故私の事を恐がるのです?貴方に私はどう写っているのでしょうか」


 えっ、と怯えたように少女が一歩下がった。勿論、恐い顔をした訳でも恐ろしい言葉を口にした訳でも無い。かなり気を遣って喋っている事だけは明記しておこう。


「え、あの、でも……」

「今後の参考にさせて頂きますので。偽り無く本当の事を言ってください。大丈夫、私は子供の言葉如きで傷ついたりはしません」


 地面に目を落とした少女はやがてポツリと言葉を溢した。それは小さな、ともすれば聞き逃してしまう程の声量だったがやけに明瞭に聞き取れる。それは、そう。イアン・ベネットが少女に興味を持っている証しでもあった。


「あのね、お姉さんはね……きれい過ぎると思うの……」

「へえ?」

「村のおとな達も、私のおともだちも、みんな違うニオイや色があるけれど、お姉さんにはないの」

「……続きを聞きましょうか」

「お姉さんはきれいだけど、でも、自然の中にはありえないきれいさだと思う。それがね、私には、お化けみたいに見えて……怖くなっちゃった」


 言いたい事は大まかに理解した。

 自分自身が清廉潔白な人間でない事は重々承知している。清廉潔白とは正反対の人間が、潔白さを演じる為に被った白い皮の事を少女は言っているのだ。


 つまりは――上手く繕い過ぎて、逆に不自然になっている。

 手垢一つない経歴を覗いている気分に似ているだろう。あまりにも山も谷もない人生を送っている人間は、むしろ疑わしいのと同じ。そこに人間味が感じられないからだ。人生のモデルケースなど、そんなものは存在しない。その通りにやれるのならば不幸になる人間など一人もいなくなってしまう事だろう。


 少女がそれに気付いた理由は簡単だ。

 彼女は獣人。同じ歳、人間の少女より大自然に近しい存在である。だからこそ、気付いた。ついでに獣に嫌われる理由もこれと同じだろう。


「――理解しました。ありがとうございます、私は上手くやり過ぎていた、という訳ですね。立ち振る舞いを変えなければなりません」

「あの、役に立った……?」

「ええ。最近出会った誰よりも何よりも、貴方の発言は私の役に立ちましたよ」

「やったぁ」


 少女の顔が綻ぶ。これは「村に有害な魔物を討伐した」、という事実が彼女の目を曇らせたのだろう。

 薄く笑む。今日は胸を熱くする展開こそ臨めなかったが、少しばかり気に掛かる事によく遭遇する日だ。一時は退屈しなくて済みそうな、漠然とした安定感が実に心地良い。

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