勇
「なっ... 」
あたしは呆然として、すぐには言葉が出なかった。
ただ抗議の視線を感じたらしく、翔があたしの目を見据えて言った。そっと、あたしの手に何かを押し付けながら。
「落ち着け。今から勇も連れてくる。」
言うなり、あたしの返事を待たず消える。
つまり、勇が黒マントの足止めをしている間にあたしを逃がし、すぐに戻って勇も救出するつもりか。
そして、渡されたものに目を落としーーあたしはぎょっとした。
それはあたしの手首だった。
... シュールすぎる...
若干びびって取り落としそうになるのを我慢して、あたしはぐったり冷たい左手首を自分の左腕にくっつけた。
つくかなぁ?
両方切断面が乾いて来ちゃってるけど...
色々な邪念を振り払いながら、あたしは治癒に集中する。
血管を繋げる。
神経を繋げる。
じんわりと、冷たかった左手が温まってくる。
ぴくり、と、指が動かせた。
念のため、もう少し。
力を送りながら、指を1本1本動かしてみる。異常なし。
手首をくるくる回してみる。異常なし。
ふぅ、と息をつく。
くっつくもんだなぁ。にぎにぎ。
... しかし。
翔、戻ってこない。
手の感覚を確認するために擦り合わせた手を、いつしか祈りの形に組んでいた。
神様仏様、誰でもいいから、勇と翔を無事に返してください。
「翔ー? 夕御飯よー! 早くきなさーい。」
ドアの外から聞こえてきた声に、心臓が跳ね上がる。
そうか、ここは翔の部屋なのか。
そんなことを今さら思いながら、近づく足音に焦る。
どうしよう。
どこか、隠れる場所...
慌てて、でも音をたてないようにクローゼットに潜り込み。
「翔? ーーいないの? どこ行ったのかしら、電気もつけっぱなしで。」
そんな声とともに、クローゼットの隙間から入ってきていた電気が消え。
そのまま、途方もなく感じる時間が過ぎた。
「ーー葵?」
不安そうな声が聞こえて、あたしは慌ててクローゼットから飛び出した。
同時に電気がついて、憔悴した様子の翔と目が合う。
あたしの顔を見た翔は一瞬だけほっとした表情を浮かべーーそれから、苦しげに顔を歪めた。
「悪い。... 連れてこれなかった。」
お互い何も言えず、どれくらい時間が過ぎただろう。
「もう! 翔、いるの? どこ行ってたの?」
電気がついていることに気づいたのだろうか。
さっきの女の人の声が足音と共に近づいてくる。
ぼんやりとドアを見たあたしの左手を、翔がきゅっと握った。
次の瞬間には、冷たい風のふく公園の木の陰にいた。
握った左手を顔の高さに上げて、翔は僅かに微笑んだ。
「よかった。手、治ったんだ。」
「... うん。拾ってきてくれて、ありがと。」
ピューと風が鳴る。
「とりあえず、そこのカラオケ入ろう。お前は着替えないとまずいし、ついでに年も変えるぞ。」
言われてあたしは自分の服に目を落とした。
紺色のコートはあちこち破れ、ところどころ固まった血でガピガピしている。
左手の袖はコートだけじゃなくセーラー服まで切断の憂き目に遭っている。まぁ、手首10センチくらい持っていかれたので無理もない。
「... 顔だけ拭けば、トイレまでくらい誤魔化せるかな。」
言いながら差し出してくれたハンカチで、あたしはごしごしと顔を擦った。
「ちょっと、濡らしてこようか?」
言って公園の水道を示した翔にふるふると首を振り、
「自分で顔洗ってくる。」
と、水道へ向かって歩き出した。
後ろから翔がついてくる気配を感じながら蛇口をひねり、実は凍ってんじゃないかっつーくらい冷たい水を顔に叩きつける。
顔も凍るかと思ったが、目の回りだけは熱く、そしてその熱いものは何回か頬を伝っていった。
冷たい水と熱い涙をまとめて翔のハンカチで拭いて、あたしは背筋を伸ばした。




