10
市街地戦に突入したものの、全く前進できぬまま五日を費やした。
土塁と堀を利用し、巧みに戦う大公軍は、大軍であるはずの王国軍を圧倒している。狭い路地で襲われる。角を曲がれば弓矢に襲われる。進軍中に突然、家屋が爆発し混乱する。
アルメニア王国軍は、国内にその名を轟かせた大公軍の強さにうんざりしている。が、やはり少数である。いずれ疲弊するだろうと考え、攻撃の手を緩めない。それでも、弱まるどころか勢いを増す大公軍。アルメニア軍はその異常さの原因が何か探った。
どうやら、これまで前線に出ていなかった大公妃が姿を見せたらしい。
「女一人で喜びおって!」
カミュルの罵声も、大公軍兵士達にとっては負け惜しみでしかなかった。彼らは敬愛する戦乙女の下で、勇猛果敢と謳われた強さを存分に発揮する。
大通りを迂回しようと、路地に侵入してきたアルメニア軍を、分断し殴殺する。掘を越えようとする者達は、反対側に陣取った大公軍により、弩の斉射を浴びあの世へと転がり落ちた。
ついに魔導士を投入したアルメニア軍に対し、大公軍も魔導士達が各部隊に合流する。
「十番街区に敵が侵入!」
「一個中隊を増援に回せ!」
「十二番街区、苦戦!」
「十三番街区まで後退させろ! 後続と合流して押し返せ!」
地図を見ていないにも関わらず、アリストロはそれを見ているかのように指示を出し続ける。その横で、わずかばかりの食事を取ったドラグルが、もう何本目か分からない剣を掴み、立ち上がった。腹部の包帯は血が滲み、とても戦えない状態であるのは見て分かる。だが、この毛深い武人は全く退こうとしなかった。
「クリスティン様のところが苦戦しているようですな。行って参ります」
「頼む」
頷き歩きだしたドラグルの背中に、腕を組んで黙っていたハザルが声を発した。
「死ぬなよ! フェリエス殿下が拾った命、殿下の許可なく落とすな!」
ドラグルは歩きながら振り返ると笑った。
「鋭意努力します」
ドラグルは混成中隊と合流し、彼らを率い十三番街区へと向かった。十二番街区で死闘を繰り広げるクリスティン達が後退してくる。彼女達を収容した後、敵を押し返すと決めた彼は、現場に到着し息を飲んだ。
「お母さーん……痛いよぉ、お母さーん」
「助けて! 助けて……」
地に倒れ、瀕死の重傷を負った双方の兵士達が呻いている。彼らは見えぬ何かに救いを求めるように、空へと手を差し出し、必死にすがろうとしていた。
瞼を閉じ、前進したドラグルは、甲高い金属音と、魔法の衝撃音に走り出していた。
路地を抜けた広場で、金色の髪が忙しく舞っていた。クリスティンは後退を敵に阻まれ、苦戦しながら救援を待っていたのだ。
「お助けしろ!」
ドラグルは吠えた。
どっと腹部から血が吹き出たにも関わらず、彼は剣を動かし続け、クリスティンと守る味方へと突進する。邪魔するアルメニア軍兵を薙ぎ払い、彼らを守るように円陣を組ませながら、肩を激しく上下させた側室を助け起こした。
「すまぬ」
疲労で蒼白となったクリスティンは、矢で左脚を射抜かれていた。
「弩! 斉射! 後退!」
ドラグルは叫んでいた。
狂ったように襲いかかるアルメニア軍兵を、弩から射出された矢が貫く。ひるんだ敵に呼吸を合わせ、ドラグルは部下達をまとめて後退する。が、アルメニア軍中からも弩を持った兵士達が現れたのを見て、ドラグルは目を見張った。
彼はクリスティンを守るべく、彼女に覆いかぶさり瞼を閉じる。この女性を守るだけの丈夫な身体であってくれよと祈った武人は、アルメニア軍から発せられた悲鳴に、顔をあげた。
「蹴散らせ!」
朱色の甲冑が躍動していた。彼女は遊撃を目的とした連隊を率い、苦戦する場所を移動しながら連戦を重ねていた。その彼女が、クリスティンとドラグルを救うべく駆けつけたのだ。そうと分かったドラグルが、クリスティンを抱えて後退を急いだ。
「エミリ!」
金髪の美女が叫び、大公軍兵士がその名を叫んだ。
「戦乙女! エミリ様! 我と共にあらんことを!」
サクラの軍旗を掲げた兵士が、雄叫びをあげた瞬間、大公軍から弩と魔法がアルメニア軍に浴びせられた。
混乱したアルメニア軍に、エミリは先頭に立ち突進する。迷いなく剣を振るうと、一撃で敵の士官が絶叫した。倒れるその男に目もくれず、魔導士から狙う大公妃。そこに雪崩のように続いた大公軍兵士達。
乱戦となるとやはり大公軍は強かった。
個で圧倒し、アルメニア軍を大きく後退させる。そしていつのまにか隊列を組み直し、組織だった動きで押しこむ。剣と矢がアルメニア軍の命と戦意を奪い、十三番街区は瞬く間に大公軍優位となった。
「ドラグルさん! 戦線を縮小する!」
散々に敵を蹴散らしたエミリが、あっさりと撤退を口にする。
ドラグルは畏敬の念で動くことができず、いつまでもクリスティンを抱きしめてしまっていた。
「おぬし……殿下にさえ触れられた事のない私の胸を掴むとは良い度胸じゃ」
金髪の美女に睨まれ、慌てて身体を離したドラグルは、傷の悪化で気絶したのだった。
-Alfred Shyster-
ストラブール駅に到着すると、黒塗りの車が正面ゲートで僕を待っていた。その傍らには、黒い髪の美少女が立っていて、彼女は僕を見て大きな目に涙を溜める。
駆け寄るとすぐに車内に案内された。
「ご到着の時間を教えてくださってありがとうございました」
「いえ、図々しいかと思ったのですが、でも間に合って良かった」
エミリ様によると、公爵夫人の病状は悪化し、ついには起き上がることさえできなくなった。医者から今日、明日が山だと言われていた。
「父上も母上も、あなたに迷惑をかけてはダメだと……私の一存でお伝えした次第です。どうかお許しください」
「いえ、知らせてくださってありがとうございました」
流れる車窓は、溢れるネオンと人で一杯だ。華やかな外とは一変し、静かな車内。エミリ様が僕の隣で弱々しく息を吐きだした。
「お婆様……教授と知りあってからそれはもう楽しそうでした。もっと早くに連絡を取ればよかったと……」
「光栄です。しかし一週間前はあんなに……まだ信じられません」
「私もです」
沈黙……。
明るい話題に振るような空気でもないし、かける言葉も見当たらない。僕は早くに両親を亡くしている。だからこそ思うのだ。他人がいかなる言葉をかけたところで、当事者達には全く意味のないものであると。僕に出来るのは、彼らに添う事。励ましや慰めなど、所詮は他人であるからこそ出来る無責任な行為だと僕は思っていた。
初めて公爵夫人と出会ったのは、大きな書店であった。サイン会なる馴れないイベントをしていた僕に、上品な御婦人が話しかけてきたのだ。大勢のファンの一人であると思っていた僕に、彼女はこう言った。
「あなたは魔導士でありながら、魔導士である事を嫌っておいでなのね」
ズバリだった。
魔導士であるが為に、したくもない戦争の手助けを国に押しつけられた僕。人を殺す為に魔法を使うのは大嫌いなのに!
「魔法は正しく使え」
シェスター家の格言。遅刻を免れるために転送魔法を使う僕ではあるが、魔法という力の恐さを十分に理解している。単に知識的欲求だけで魔法の研究をしたいのに、それを許されないこの世界、いや時代が嫌いだ。
平和な世を祈り、千年前の大公夫妻は命を賭けたというのに、与えられた平和にあぐらをかき、それを大事に思わぬ人が多い時代。平和を守る為に戦う事は必要だが、だからといって戦争を肯定してはいけない。
大切な人を守る力は必要だ。
だが、人から大切なものを奪う力は必要ないのだ。
車が、ベルーズド公爵邸の敷地内に入った。
-Féliwce & Emiri-
負傷した兵士達の呻きが城に充満している。血で汚れた床を拭きとる作業も間に合わず、新たな血がその上に流れた。
私は彼らに声をかけて回り、出来る限り最後を看取ると決めた。だから、どんなに目を背けたくなるような重傷でも私はその人の枕元に立つ。
全身を重度の火傷で覆われた兵士。
腹部から内臓がこぼれ落ちた兵士。
脚を切断され血が止まらない兵士。
骨まで見える傷に苦しむ兵士。
「神様……」
息を引き取ろうとしている男性の声に、私は涙を払う。その手を握ると、火傷で判別のつかない顔を私に向けた彼。鼻も口も焼け爛れ、体液と血を流しながら、ただ痛み止めの薬を無理やりに飲まされる処置だけされた彼。全身を炎に包まれ、骨まで露わとなった脚が痛々しい。
「神様……お救いください」
彼が消え入るような声を吐き出した。
「大丈夫……大丈夫……」
私は、思わずこう言っていた。
「エミリ様……母さんにどうか……」
「うん……伝えるよ。安心して」
男性が息を引き取った。
私は彼の焦げた頬を撫で、口づけして立ち上がる。隣の寝台の男性も、両脚を失い、止血をしても血が止まらず、むき出しになった血管を紐で縛っただけの状態。
「今、痛み止めをもらってくるね」
「いりませぬ」
震える声で私を見たその男性は、頭を動かし周囲を眺めるようにした。
「俺など脚だけ。もっと必要な奴がいるでしょう。エミリ様、どうかそいつらの為に使って……」
「うん……ありがとう。でも、あなたにも持ってくるね」
医者が足りず、残る事を選んだ市民の人達が総出で手伝ってくれている。大量の水と布はすぐに血に染まり、急いで新しいものを用意しなければならなかった。
「家屋の中にまだある!」
「アホ! 敵がいる!」
「ぶち殺して取ってくればいいんだ!」
休みなく働き続け、殺気だっている彼らも、私には無理やり笑みを向けてくれた。
「エミリ様、どうかもう休んでください。昼は戦闘。夜はここと続けていれば、殿下のお帰りを待たずに倒れてしまいますよ!」
「ありがと。でも、私達ベロア家の為に皆が頑張ってる」
笑みを返し、痛み止めの薬を抱えて寝台を回る私は、処置をされる兵士の絶叫に瞼を閉じた。
傷口に焼けた鉄を押しつけ、消毒をされているのだ。肉の焦げる匂いに、己の罪深さに、私は涙が止まらなかった。
こうまでして、私は……フェリエスの帰る場所を守ろうとしているのだ。
神様……私をこの世界に飛ばした神様。
いるんでしょ? どうか、助けてください。
私達を助けて下さい。
彼らを助けて下さい……。
助けてよ! 神様!
-Féliwce & Emiri-
「くそ……戦える者は当初の半分もいない。壊滅状態もいいところだ」
アリストロは頭を抱えた。その隣で、顔面を蒼白にしたオーギュストが書類を睨みながら口をねじ曲げる。物資を不足している前線に、即座に手配する芸当を披露しているこの男でも、無い物を創りだす事は出来ない。心細くなってきた武器備蓄残に表情も暗い。
「物資の消費は抑えられんか?」
「敵の攻撃が絶えぬのですよ」
「このままの消費でいけば、まず矢が無くなる。次に剣と盾! ちょっとは節約してくれ」
「それは無理というものです。誰が生き死にの狭間で節約を心がけまするか!」
「殴り殺せ」
「無茶なことを!」
言い争う二人は、飛び込んで来たクリスティンによって舌戦を中断させた。
「夜襲が激しい! 増援を三番街区に! ドラグルが苦労しているのじゃ!」
アリストロはガシガシと頭をかきまわし、地図を睨み、駒を動かす。
「くそ! 七番街区を捨てる。火を放てと指示を出せ! あ、姫! 俺が行きまする!」
クリスティンと入れ替わるように走り去ったアリストロに、オーギュストが怒鳴る。
「節約しろ!」
床几に座り、結い上げた髪を解いた金髪の美女。政務卿が水を彼女に差し出すと、クリスティンは一気に飲んだ後に咽る。
「伝令までも戦闘に出さねばならなくなるとは……」
オーギュストの嘆きにクリスティンは笑った。
「しかしこれだけ戦い続けるのも初めてじゃ。殿下に大事にされたせいで体重が増えてきていたが、良い運動になる」
政務卿が頼もしそうに金髪の美女を眺めた。そして、何事か彼女に言葉をかけようとしたオーギュストだったが、すぐ近くで斬撃の応酬が発した音に唇を閉じる。
近くないか……?
自然とクリスティンと見つめ合う。
その背後で、兵士の絶叫が起こった。
「敵!」
水の入った革袋を投げ捨てたクリスティンが立ち上がる。オーギュストでさえも、馴れない剣を抜き放っていた。
クロロ公園北に設置されていた防御司令部を急襲したアルメニア軍。彼らは勇猛で知られる外人連隊だった。
「勝負所を心得ておるのじゃ!」
クリスティンが叫び、敵の司令官を憎しみながらも敬った。徹底的に物量で圧倒し、疲弊したところで最強の部隊を戦線に投入したカミュル。この時、クロロ公園に突入してきたのは、アルメニア最強と呼ばれる外人連隊であった。傭兵だけで構成された彼等の中でも、さらに精鋭を集め 編制された一個中隊を外人連隊長ダリウス・マキシマムが自ら率いての襲撃は、まさしく大公軍の息の根を止めるというカミュルの意思表示だった。
クリスティンが右手で剣を抜き放ち、司令部に突入してきた敵兵と剣を交差させる。彼女は左手を鋭く払い、真空の刃を生じさせると、オーギュストを襲おうとした敵兵の胴を真っ二つに斬り裂いた。
「す……すまん!」
「次はない! 手一杯じゃ!」
大袈裟ではない。
クリスティンは司令部防御を担当していた大公軍一個中隊を突破した外人連隊の猛者達を、一人で相手にしている。もちろん、司令部には大公軍兵士達が詰めていたが、急襲による苦戦で、一対多を強いられている。その中でオーギュストも転がるように地を這い、剣を振るって自分の身を守るに必死となった。
「誰か! 誰か助けを呼べ!」
政務卿の怒声に、一人の兵士が駆ける。
オレンジ色の髪が宙に舞うのを、冷や汗と共に見たオーギュストは足元の土を掴み敵に投げつける。ひるんだ相手に剣を突き出し、それは偶然にも敵兵の首を貫いていた。
(殺した! 人を殺した!)
初めて人を斬った政務卿は、その感触の悪さに全身の毛穴から汗が吹きだすかのような感覚に襲われたが、戦闘の最中にあってあらゆる感情も周囲の状況に掻き消される。彼は腕から血を流すクリスティンの名を叫び、気がつけば走っていた。
「うおおおお!」
自分でも信じられないほどに大きな声を発したオーギュストは、クリスティンを囲う敵兵の一人に背後から体当たりする。肩に感じる鈍い痛みを無視し、無茶苦茶に剣を振るった彼はクリスティンの前に立ち、敵兵達を睨みつけた。その彼に大公軍兵士達が続き、クリスティンを救出する。
「クリスティン様を逃がせ!」
怒鳴った男に、美女は悲鳴をあげた。
「オーギュスト! オーギュスト!」
「情けない! 構わず突っ込め!」
外人連隊長の叱咤で、攻め手は一気に前へと出る。
兵達に担がれながら、政務卿の名を叫び続けるクリスティン。それを見た政務卿は、続々と数を増やす外人連隊に視線を転じた。兵士の一人が耳打ちしてきた。
「くいとめまする。後退を」
「後ろも囲まれた……いいか、全員で後方に向かって突撃する。包囲を抜けたら城に駆けこめ!」
言うや否や走った政務卿。数人の兵士達が彼に続き、アルメニア王国最強と言われる外人連隊に突撃した。
もともと剣など使えぬオーギュストは、目の前の敵に盾を投げつけ飛びかかる。脚で蹴り飛ばし、伸びてきた剣を転がるようにして躱す。誰かに背中を押され、振り向くと自分を庇った兵士が血を噴き上げ倒れるのが見えた。
前を向く。
あと数人となった敵兵に、何か怒鳴った時、彼は胸が熱くなるのを感じた。
「フランソワ……」
娘に会いたい。もう随分と会ってない。
脚を前へと動かそうにも、もつれて思うようにならない。
オーギュストは前のめりに倒れ、地面に血を吐いた。前へと伸ばした手を見た時、真っ赤になったそれに驚いた彼は、大きく息を吸う。が、呼吸が出来ず咽た。
「リリア……すまない」
オーギュストは瞼を閉じた。
-Féliwce & Emiri-
司令部が急襲されたとの報告を受けたアリストロは、配下の兵達を引き連れ急ぎ帰った。だが、立っている味方は誰ひとりおらず、彼は唇を震わせ怒鳴る。
「許さぬ!」
司令部を急襲した外人連隊は、新たな敵の出現に慌てた。彼らはようやく拠点を制圧したと安堵したところを襲われ、防戦に必死となる。
乱戦の中でアリストロはその武勇を存分に発揮した。
目の前に立つ敵を片っ端から斬り倒し、蹴り飛ばし、突き崩した。その彼を先頭に大公軍が雄叫びをあげ白刃を煌めかせる。星空を地上にも作り出したかのように輝いたクロロ公園。美しかった花壇も果樹園も、血と肉片、憎しみと怒りに汚れる。
外人連隊長ダリウスは、オーギュストの胸を裂いて血が滴る剣をそのままに駆けると、獅子奮迅のアリストロに迫った。部下達だと不足であると判断し、自ら強敵を殺すと決めたのだ。彼は駆けながら一瞬しゃがむと土を掴む。そしてアリストロに接近したところで手の中のそれを敵にぶつけ、腕で払ったアリストロの懐に潜り込んだ。しかし、目の前に膝が突き出され、ダリウスは手の平でそれを掴み防ぐと、追撃から逃れる為に距離を取る。
お互いに尋常ならざる腕前を感じ取るも、退けぬと共に前に出た。
アリストロの白刃がダリウスに迫る。
外人連隊長はそれを刃で防ぎきり、返す刀で敵の脚を狙う。
ぶつかり合う剣は、その度に重い金属音を何度も発した。
攻防一体の応酬はしばらく続くも、アリストロは部下の声を聞いた。それと同時に、ダリウスも増援と合流して圧倒すべしと判断する。
二人が離れた。
お互いに、認めるべき敵に剣を投げつける。
離れ際の一撃であったが、アリストロは身を翻し、ダリウスは手刀で叩き落として防ぐ。
「閣下! お早く!」
アリストロは部下に急かされ、油断ならない敵を睨みつつ兵達に守られ後退する。そしてそこで、倒れている政務卿を見つけ、舌打ちと共に抱き起こした。
「政務卿! しっかりしろ!」
オーギュストが薄く瞼を開く。
周辺では激しく両軍が争っていて、ゆえにアリストロは耳を政務卿の口に近づけた。
「おお……おおお前か。く……クリスティ……様はしし城に運んだ」
「あんたもすぐに運ぶ! しっかりしろぉ! らしくないじゃないか!」
部下達と敵兵達の怒声が重なり、オーギュストを抱えて立ち上がったアリストロの耳は政務卿の声を聞き取れない。部下達に後退を命じながら進む彼は、自分の肩を掴んで必死に言葉を紡ごうとする男に気づく。
速度を落としたアリストロは、血に濡れた政務卿の手で襟を掴まれる。
オーギュストは血を吐きながら喋った。
「エエ……エミリに謝っていたと……俺が誤っていたと……ひひ……人を……斬る……言っていたと……」
「自分で言え!」
アリストロを守るように部下達が隊列を組み、放たれる矢を盾で防ぐ。
「リリ……」
アリストロは立ち止り、オーギュストを地面に置いた。
開いたままの瞼を指で閉じると、「お運びしろ」と部下に命じる。
呼吸を整え振り返った彼は、城門の前でアルメニア軍を睨むと、唾を地面にペッと吐いた。
「ここで俺と共に時間稼ぎで戦いたい奴はいるか!?」
部下達は誰も離れようとしなかった。
凄みのある笑みを浮かべたアリストロ。が、その肩を掴まれ振り返る。
「お前は城に入れ」
「あ……兄上」
「お前のおかげで楽が出来た。任せろ」
盲目の男が進み出ると、剣と盾を並べた大公軍がじわりと前進する。
「城の門を閉じろ!」
兄が叫び、弟は瞼を閉じた。
兄を止める言葉を見つけられなかった彼は、城へと歩いた。
「若い奴らは城に入れ! 俺より年上のやつだけ止まる事を許す!」
ハザルの声に、無言で城へと入る大公軍兵士達。ハザルと共に数十人の兵士達が城門の外に立った。
「お前ら、運が良いぞ。苦しむ暇もなく殺されるのだからな!」
盲目の男が大音声をアルメニア軍にぶつけ、剣を抜き放った時、ストラスブール城の城門がゆっくりと閉じ始めた。
-Féliwce & Emiri-
エミリは蒼白となった顔でアリストロを迎えた。
「申し訳ございませぬ。勝手に判断しました」
「いえ、よくぞ判断してくださいました」
やけに事務的な口調に、返り血で全身を赤く染めた男が目を細める。
エミリ様は大丈夫か?
そう思い、主君の妃の様子を窺おうと改めて視線を彼女に向けた時、クリスティンの悲鳴にも似た声が聞こえた。
「離せ! オーギュスト!」
政務卿は、エミリの腕の中で眠ったように動かない。その彼に駆け寄ろうとするクリスティンだが、腕の付け根から血が流れ続け、たちまち床を赤く汚した。
「なりませぬ! 右腕の止血を急がねばお命を落としまするぞ!」
軍医の声に、クリスティンは狂ったように泣き叫ぶ。オーギュストから離れたエミリに抱きしめられると、金髪の美女は子供のように泣きだした。
「私は……部下達がたくさん死んだのに生きているのじゃ……」
アリストロは二人から視線を逸らし、城の楼台から降りて来たドラグルを見た。腹の傷はまだ治っていなかったが、彼は誰よりも動いている。
「様子がおかしゅうござる」
ドラグルの言葉に、アリストロは首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「なぜか敵が城に迫って来ませぬ……」
アリストロは不審に重い、廊下を走り階段を駆け上がった。延々と続くかのような螺旋階段を跳ねるように登り、外を見る。
大量の松明がゆっくりと市街地から撤収していた。が、市街地に残る大公軍を殲滅しているわけではないようだった。まさか、兄が何事かしたのかと思うも、それはあまりにもあり得ない事だとすぐに否定する。
急ぎエミリへと報告をした時、一人の兵士が慌てふためき彼らの元に走り寄って来た。
「北の方角に大量の松明!」
「! 東部諸侯か!?」
アリストロの問いに、エミリが眉を寄せる。それは巻き込んでしまったという痛恨によるものだった。が、兵士は喘ぐように首を左右に振った。
「わかりませぬ!」
アリストロとドラグルは、唇を噛みしめ北の方角を睨んだ。そこには数千はあろうかという松明の炎が、ゆらゆらと揺れながらストラブールに迫っていた。
-Féliwce & Emiri-
時間は少し遡る。
カミュルが、ストラブールに向け軍を発した頃、大公は遠く離れた場所にいた。いや、眠り続けていた。傷と熱で動く事が出来なかったのである。
「フェリエス、起きて! 朝御飯だよ」
愛しい妻に名前を呼ばれた気がして、フェリエスはゆっくりと瞼を開いた。そこには、いつもはローブで顔を隠している魔導士の素顔があった。
「運がよろしいですね。助からぬかとも思いましたが……もう大丈夫しょう」
「……エミリに名前を呼ばれた気がする。が、エミリはいないよな?」
このような優しい笑みを浮かべる御仁かと大公が驚くほどに、レニンの笑みは慈愛に満ちていた。と、その背後で黒い髪をいじながら、顔を覗かせた男を見た時、フェリエスは慌てて起き上がろうとする。しかし、傷の痛みで悲鳴をあげ、ゆっくりとレニンの手を借り横になった。
「クレルモンフェランにエミリどのが来たなら、俺が自ら迎えに出ている……。アルメニア王家の者が、ここに来たのは初めてだ。自慢をしても良いぞ」
ヒーロ・ギューンは薄く笑っていた。
「俺を助けてくれたのはお前か?」
「いや、レニン卿が助け、俺はその手助けをしただけだ。エミリどのを奪うにしても、未亡人となった彼女は心を閉ざしかねないからな。お前には死んでもらっては困る」
こいつはまだ狙っておったか!
歯軋りした後、それを後悔するほどの激痛に目を閉じたフェリエス。
「そのまま聞け。お前はどうやら処刑された事になっておる。エミリどのによってな……。だが、当のエミリどのはカミュルの命令に背き、ストラブールに帰った。これを討つと貴国の元帥は公言しているが、これもお前の計画か?」
「違う……」
フェリエスは呻くように言葉を吐くと、レニンがどうして、クレルモンフェランに自分を連れてきたのかを考える。そして、数年前にアレクシを使い、ゴーダ騎士団に仕組んだ罠に考えは至った。それがもし、ギューンに筒抜けとなって、さらに利用されたのではないかと考えた。
「違います。私はたまたま実家に方陣を用意しておいたに過ぎませぬ。私を育ててくれた両親はもうおりませぬが、家は残っております。あの時、運ぶ時間すら惜しかったので、転送魔法で移動したのです。殿下には申し訳ありませぬが、ここしか転送できる先が無かった。それだけでございます」
頭の中を覗いたかのような魔導士の言葉に、フェリエスはだが頷いた。
どうでもいい事だ。そんな事よりも、こうしていられない。争いを止めなくてはならない。
「レニン卿、俺をストラブールへと運んで下さらぬか?」
しかし魔導士は、赤い瞳を微かに揺らしただけで言葉を発しない。
「見上げた自信だ。お前一人で戦いを止められると思っているのか? 馬鹿な……。カミュルがストラブールを狙うのは、お前の帰る場所を無くす為だ。それはお前が突然、現れても何もできぬようにとの考えによるものだ。今、のこのことストラブールに帰ってみろ。カミュルは二兎を追う事が可能となるぞ。ストラブールとお前は歴史から消える」
「ではどうしろと言うのだ!」
フェリエスは痛みも忘れて怒鳴っていた。
「妻を……エミリを、部下達を危険に晒したまま、ここでのんびりと寝ていろと貴様は言うのか!? 逆の立場になって考えてみろ!」
激しく肩を震わせた大公は、押し黙ったギューンから視線を逸らした。
「すまぬ……助けてもらっておきながら……」
「なに、かまわぬさ。俺はただ、医者と薬をレニン卿の求めに応じて用意したに過ぎぬ。だが、大公。己の身より部下を思うあなたは立派だ。ま、だから苦労していたのだろうがな」
フェリエスは瞼を閉じ、思い出したように痛む肩に顔を歪めた。
自らの幕僚達を思い出し、降伏を選ぶような者達はいないなと舌打ちする。きっと戦う事を選ぶだろうとわかっていた。。
そして、エミリ。
たまらなく会いたい。おそらく彼女は必死に探してくれているだろう。そして、見つからない事で自分を責めているに違いない。
(会いたい。まず謝ろう。そしてあの黒い髪を撫でて、白く柔らかい頬に口づけしたい。俺のせいで細くなってしまった肩を撫でてあげたい。抱きしめて、恋焦がれている気持ちを伝えて喜ばしてあげたい)
いや、会うのだ。と彼は目に力を込める。
フェリエスは決心したようにギューンを見た。その青い瞳の輝きにギューンは目を見開く。
「な……なんだ?」
「頼む。援軍を出してくれ」
レニンが目を丸くし、ギューンが固まる。ずいぶんと沈黙が続いた後、騎士団総長がようやく口を開いた。
「援軍以上のことをしてしまっても良いのか?」
ギューンはこう考えていた。
常にアルメニアによって安全を脅かされていたゴーダ騎士団領国。その相手が今、度重なる内乱で弱り切っている。が、これを潰す事など不可能だ。大国を小国が飲み込む事など出来はしない。であるなら、対等な同盟を結ぶ事で、ゴーダ騎士団領国の安定は約束されるのではないか。その前提に、信頼のおける王家が必須だ。そして、ゴーダ騎士団領国に、アルメニアが同盟を頼むという形式がいる。これを可能にするのは、もしかして今しかないのではないか?
だから彼は、フェリエスに対し、含みのある問いを発したのだった。そしてこの問いの意図を、大公は正確に理解していた。
「かまわぬ。王家だけは残してくれ。俺があるのも王家のおかげだ。後は好きにしろ」
「エミリどのを奪っていくかもしれんぞ」
「彼女はきっと俺を選ぶ」
堂々と言い放ったフェリエスに、ギューンは苦笑した。
「馬車を用意する。ストラブールに一個師団。王都に三個師団を向ける。お前はストラブールに向かう師団に同行し、道中、無駄な戦闘が起きないように手配しろ。それぐらい、出来るだろ?」
ギューンの言葉にフェリエスは深く頭を下げた。
-Féliwce & Emiri-
アルメニア王国歴三五六年、三五七年まであと数日となった頃。
ストラブールは美しかった街並みをひどく無残な姿に代え、初雪に凍えていた。
夜が明け、雪雲の隙間から陽光が差し込む。
大公軍は当初、三千人を超す兵力を誇っていたが、戦闘終了時にはおよそ五百人程度にまでその数を減らしている。
血に濡れた大地を、白い結晶が覆う。それは汚れた忌まわしい記憶すら洗い流すように清らかで、戦いを終えた大公軍兵士達は、茫然と雪の中で佇んでいた。
アルメニア王国軍が慌ただしく撤退していく。
それと入れ替わるように進軍してくる数千の兵。
雪のように白い甲冑で統一された一団は、白地に赤い十字の軍旗を高々と掲げ、それは雪が混じった風に打たれた。その中から、騎兵達が飛び出しストラブールの城へと急行するも、大公軍は誰も戦おうとしなかった。それは騎兵達が白旗を掲げていたからだ。
「敵ではない! 敵ではない!」
そう叫びながら市中を駆け抜ける騎兵達に、座りこんだ大公軍兵士達から「もう戦えんわ!」と野次が飛ぶ。
白一色で統一された騎兵達の先頭にあった男が、馬から鮮やかに飛び降り城門の前に立つ。城を守ろうとしていたと見える男達の死体を眺め、また、いまだに立っている男達を見つめた後、白い外衣の赤十字模様を誇らしげに晒した男が、声を張り上げた。
「ゴーダ騎士団総長付き主席参謀リューイ・モリール! フェリエス・ベロア・ベルーズド公爵閣下をお連れ致した! 開門を求む!」
巨大な鉄の門が左右に開かれ、そこに一人の女性が立っていた。
黒い髪も埃でほつれ、血と汗で汚れながらも美しい彼女。リューイはすぐに、膝をつき一礼した。
「エミリ様、お久しぶりでございます」
「……フェリエスは? フェリエスがいるの?」
立ち上がった参謀は空馬を彼女へと引く騎士に視線をなげかけ、エミリが馬へとあがるのを助けさせる。
「負傷しておりますれば、馬車の中でお運び致している次第でございます。ここに向かっておりまするが……この有り様では通る事ができますまい」
馬車が通過できるような道は、ストラブールにはもう残っていなかったのだ。
道のいたるところに遺棄された武具、そして死体もそのままの状態であるし、何より掘が幾重にも張り巡らされていて、とても大きな馬車は通過できない。
リューイが声をかけようとした時には、エミリは馬を駆けさせていた。
「か……閣下!」
慌てた騎士達を手だけで制した参謀は、煌めく冑を脱ぎ、頭を撫でる。
「俺も妻帯したくなった……おまえはしているのか?」
リューイに声をかけられた男。城門を守るように立っていた盲目の男は、白い歯を見せた。
「美しい妻と可愛い子がいる」
「……どうだ? 大公殿下をお連れした俺に、恩返しにアルメニアの美女を紹介してくれても良いぞ」
盲目の男は大きな口を開けて笑った。
-Féliwce & Emiri-
私はストラブールの中を駆け抜けた。
生き残った兵士達が、手を挙げて笑顔を向けてくれる。
「エミリ様! 殿下にお願いして酒を用意してもらってください!」
「エミリ様! 俺は水!」
白い雪がキラキラと輝きながら舞い散る中で、彼らの笑顔はとても眩しかった。こんなつらい戦いを強いた私に笑顔を向けてくれる彼らに、私はどうやって報いればいいのか。死んでいった人達の為に、私は何ができるのか。
馬車が見えた。
それまで考えていた事が吹き飛び、私は馬から飛び降りると、剣を掲げて迎えてくれた騎士団の人達に一礼して馬車の扉を開く。
ああ……。
こんなにも愛おしく、誰かの笑顔を見た事が今までにあっただろうか。
私を駄目にする笑顔がそこにあった……。
「フェリエス!」
「ごめん、心配をかけたな」
怪我をしていると聞いていたにも関わらず、私は彼に飛び付いた。その金色の髪に顔をうずめ、思いっきり息を吸う。
フェリエスが優しく私の髪を撫でてくれる。
私のフェリエス……。
無事に帰ってきてくれた大切な人。
言葉が出てこない。伝えたい事はたくさんあるのに、彼の笑顔を見た途端、私は声を発する事を忘れたかのように喘ぐばかり。
「レニン卿が助けてくれた。クレルモンフェランにいたのだ。ギューン閣下が俺の頼みを聞いてくれ、こうして援軍を遣わして下さった。お前からもお礼を言って欲しい。彼がこの地に来た時、悔しいが二人で出掛けてもよいぞ」
「三人でね。あなたの近くからもう絶対に離れないから」
ようやく、消え入るように声を出した。
「離れるな……離れないでくれ」
フェリエスが私の髪を撫でてくれる。私は彼を正面から見つめ、想いを伝える。
「ずっと一緒……」
それは心からの願いと言ってもいい。
私はもう、彼の傍から離れたくない。少しでも離れたら、またいなくなってしまいそうで、私はなによりそれが恐い。
「エミリ、城に行きたいが一人では歩けぬ。支えてくれ」
「はい、殿下」
肩と脚を怪我している彼。そっと太股の具合を確かめようとすると
「もう俺は走れぬらしい。ま、命があるのだ。喜んでおくれ」
穏やかな声。
フェリエスが馬車から出ると、騎士達が私達をぐるりと囲んだ。剣を鞘に収め、冑を脱ぎ、整然とフェリエスの進む速度に合わせて進む。
変わり果てたストラブールを見て、大公殿下は言葉を失った。これまで、彼が懸命に作り上げた美しい街並みは今、血に濡れ、瓦礫と悲しみで溢れている。
生き残った兵士達が、フェリエスの姿を見て立ち上がろうとする。
「よい! 楽にしてくれ。俺の家を守ってくれてありがとう。礼を言わせてくれ」
フェリエスの言葉に、兵士達が道端に座り込みながらも頭を下げる。騎士達が、彼らに近づき、水を渡したり、怪我の具合を診たりと動き出した。
城へと向かう大通りは幾重にも掘と土塁が作られ、大公軍兵士と国軍兵士の死体を累々と横たえている。
フェリエスの温もりを感じながら彼を支える私は、彼の歩く速度が落ちたと思い、その綺麗な顔を覗くと、涙に濡れる青い瞳と長い睫毛に笑みを消した。
「皆……俺の為に死んだのだ」
彼は鼻を啜り、前を向く。
クロロ公園付近は特にひどく、戦闘の苛烈さを伝えてくる。池は血で染まり、降りしきる雪ですら清める事ができない。フェリエスはしばらくその場から動く事が出来ず、声をかけなければ、そのまま倒れてしまうかの様に私には感じられた。
彼の手をそっと引き、その髪をやさしく撫でる。フェリエスは少し俯くと、伏し目がちに城へと向かう。
ゆっくり、小声で祈りの言葉を囁きながら……。
ゆっくり、感謝の言葉を繰り返しながら。
私達の前に、城の城門が現れ、その前に立つ盲目の男性にフェリエスが気付いた。
「ハザル!」
「大公殿下! ご帰還!」
フェリエスが出征から帰ってくる度に、軍務卿たる彼はそう叫んでいた。この時もフェリエスの声に笑みを浮かべた彼は、当然といわんばかりに、いつものように叫んだ。
城の中から次々と兵士や士官達が現れ、主君の帰還を迎える。
アリストロさんがハザルさんの隣に立つ。
クリスティンさんは私の横に並ぼうとしたけど「いいよ。特別に我慢する」と言った私に金色の瞳を輝かせ、大公殿下にそっと寄り添った。
「オーギュストは?」
フェリエスの問いに、クリスティンさんが即座に答えた。
「勇敢に戦い、私を助けてくださいました」
彼は無言で立ち止まる。クリスティンさんが言わんとしている事を悟った彼は、激しく肩を震わせると、うずくまるようにその場に伏した。
「エミリ……」
「はい」
「出迎えの者達も聞け」
涙に濡れた顔と声を隠すことなく、フェリエスは立ち上がる。
「出迎え不要! 負傷者をできるかぎり助けろ! 死者を増やすな。敵味方関係ない。全員を助けろ!」
大公殿下は、やり場のない怒りを発散させるかの如く、そう叫んだ。そして、崩れるように膝をつくと、声をあげて泣きはじめる。
私は、初めて見る彼の慟哭に、また涙を溢れさせてしまった。
-Féliwce & Emiri-
ヒーロ・ギューンは本隊で、アルメニア王国のフォンテルンブローに急行した。それはカミュルに、ストラブール戦を放棄してまで、王都への撤退を判断させるには十分であった。
ゴーダ騎士団は強かった。国内各地に派遣されていたアルメニア軍が慌てふためき王都に引き返すのを、騎士団総長は王都付近で待ち伏せ、片っ端から叩きつぶした。焦るがあまり、各個撃破の餌食となった王国軍。その本隊たるカミュルの軍が、王都東の平原で、ゴーダ騎士団三個師団の前に一日の戦闘で壊滅した。
カミュルが弱かったと言う者はいない。ギューンが強かったのだ。そしてストラブールで死闘を繰り広げていたカミュルの軍は、疲労が濃く動きも鈍かったのである。
ヨハン王太子は、王都の住民を守る為に降伏を申し出たが、ギューンはその使者にこう伝えた。
「友人を助けたまでの事。御身のお膝元たるフォンテルンブローに土足であがるような真似は致しませぬ」
その騎士団総長の元に、ストラブールに派遣していた師団が合流したのは、カミュルを捕えて十日後の事であった。
「おや……わざわざ礼を言いに来るとは殊勝だな」
馬車から降りた大公を、ギューンは皮肉で出迎えた。が、その後に続く女性を見て、口から出た言葉を引っ込めたくなるほどに後悔した。
(また喧嘩して! と怒られたくない……)
「これは……エミリどの、ご無沙汰している。ご夫婦で訪ねて来るのは何か大事があっての事ですか?」
フェリエスを支えるように歩くエミリは、ギューンに笑みを向けた。二人の様子を見た騎士団総長は「勝てるわけがない」と言葉をこぼすも、それは誰にも聞かれていない。
「ヒーロさん。お礼、申し上げます。フェリエスを助けてくれて、私達を助けてくれて本当にありがとう」
二人と並んで立った黒髪の男は、部下達に床几を用意するように命じると、王都の方向に視線を転じた。
「それにしても水臭い。困ったことがあればいつでも頼れと言ったではありませんか」
エミリが黒い瞳を揺らした。
(痩せたな……)
ギューンは、細くなった彼女の顎や肩を眺める。元々、太っていたわけではないが、今の彼女は痩せた、いや、やつれたと言ったほうが正しい。
(無理もないか。好きな男と五年も離れ、その後ようやくといったところで、今回の騒動だ)
「フェリエス。お前はこれから一生、エミリどのの為に生きろ。わかっているだろうな?」
穏やかな表情を一変させたギューンに、エミリが慌てる。
だが、フェリエスはギューンに深く頭を下げた。
「ご忠告、痛み入る。ヒーロ卿と約束しよう。俺は彼女を幸せにする」
エミリが涙を浮かべた横で、ギューンは苦笑して見せた。
「俺の前でよく言ったな……これから戦後処理をするが、お前はどうする?」
これはお前の考えを聞かせろとか、アルメニア側に立って、交渉するのだろという意味の問いだったが、フェリエスは左右に首を振るとこう言った。
「結婚式を挙げ直す」
目を見開き、大公を眺めたギューン。
妻の黒い髪をそっと撫でるフェリエス。そして彼を支えるエミリに視線を転じた騎士団総長は、不思議と「それがいいな」と思っていた。
「ストラブールは瓦礫の山。王都には入れまい。どこで挙げるのだ?」
男女がお互いを見つめ合う。
全く、考えていなかったようだ。
ギューンは呆れた。
「大事な事を無計画に……。馬鹿め。エミリどのも悪い」
フェリエスが申し訳なさそうにエミリを窺い、彼女は彼の頬に口づけして背中を撫で励ます。
「クレルモンフェランに招待しよう。どうせなら、大陸で最も美しいとされる我が騎士団の城の大広間を使うがいい。俺が見届け役をしてやる」
ギューンの言葉に、大公夫妻ではなく、騎士団総長付き主席参謀の口から驚愕の叫びが発せられていた。
-Féliwce & Emiri-
ゴーダ騎士団領国の首都、クレルモンフェラン。
五十万人以上の人々が生活をするこの都市は、『眠る事を知らない美女』と呼ばれるほどに、鮮やかな夜景を闇夜に浮き上がらせていた。ほぼ円形に広がる市街地は、魔法工学による街灯が等間隔で並び、一部の街区を除いて、中心部から放射線状に延びる大通りを空からでも見る事が出来るだろう。そして市街地の中にいくつもある公園が、人工物の中に彩りを添え、あらゆる季節でも鮮やかな自然の美しさを市民達に提供する。
南門、別名『騎士の門』と言われる大きな門をくぐり、大通りを真っ直ぐに北上すると、正面に見えて来るのは巨大な白亜の城であった。二重の城壁と三重の堀に守られ、天空に昇るがごとくそびえる城。もちろん、南門からここに至るまで、大通りの左右は様々な店が並ぶ。それらは昼も夜も品物を店頭に並べ、都市がそうであるように休む事を知らない。
大通りを歩けばある事に気付く。
騎士が多い。彼らは首都警備連隊と呼ばれ、この大都市の治安を守るべく、事件があろうとなかろうと、都市の中を動き回る。これは抑止力の意味もあるのだ。つまりこの大都市は、抱える人口ほどに犯罪率は高くない。いや、非常に低い。
「こういう時くらい、自分の事だけを考えれば良いのに」
フェリエスの声に、私は振り返った。
クレルモンフェランの城の一室で、明日の結婚式を前に緊張する彼。本を読んだり、子供達の寝顔を見に行ったりとしながら、落ち着かない様子。
以前、ストラブールで結婚式を挙げたけど、その前日もこうだった。
「フェリエス……新しいストラブールはこの街を参考にしよ。とっても綺麗」
彼は片脚を引きずるようにして私の背後まで歩いた。彼の腕の中で、私は再び窓へと向く。
彼が私の髪に顔をくっつけてくる。
こうするのが大好きなフェリエスと、されるのが大好きな私。
「美しい……」
フェリエスの声が耳にかかった。
「うん。でしょ?」
二人で同じ方向を眺めている。
「俺はお前のことを言ったのだ、エミリ」
「ほえ?」
振り向いた私は、私を駄目にする笑顔の彼を見た。
「窓に映ったエミリがとても美しかった。クレルモンフェランの夜景など、お前を彩る装飾に過ぎんと思ったぞ」
「……照れるのです」
ぎゅっと抱きしめられ、唇を重ねる。
「エミリ、ストラブールに帰ったら、皆を集めて復興だ。忙しくなる」
「本当に、あなたは死んだままでいいの?」
私によって処刑された事になっているのです……。なんか、納得いかない。とっても悪い女みたいです。
「こうしておけば、俺は国務に復帰しなくて済む。いや、その前に民衆に殺されてしまう……。家督もジェロームに移っているし、別に問題はない。領地も何もないが、王太子殿下はストラブールだけは残す事を許してくれた」
表向き、そのストラブールでさえも召し上げられている……。
結局、フェリエスは悪政をした酷い宰相のまま。たくさんの人を苦しめた愚かな宰相……。
それでも、彼は生きている。
今こうして、私を抱きしめてくれている。
……ようやく理解した。
私は彼と出会う為にこの世界に来た。だから、彼の為にここにいる。これからもずっと、彼の隣にいる。彼の隣で眠り、彼の隣で目覚める。
フェリエスがいれば……アデリーヌとジェロームがいれば、私はこの世界でこれからも生きていける。
オーギュストさん、ありがとう。あなたが言ってくれた言葉の意味を、ようやく理解できました。
この世界で大切なものを守るのは、残酷で大変だけど、そこにはそれだけの価値と理由と感情がある。それは誰のものでもなく、私のもの。私だけのもの……。
そう、フェリエスと一緒にいたいと思う私だからできること。
私はいつの間にか泣いていたみたいで、大好きな大公殿下が困った顔を作っていた。
「エミリ……なぜ泣く? 痛かったか? 泣くなよ……。お前に泣かれたら、俺はどうして良いか分からない。とっても困る」
私はフェリエスに抱きついた。
彼の柔らかな髪に顔をくっつけ、その耳に届くように声を出した。
「フェリエス。私を選んでくれて、ありがとう」
彼は嬉しそうに笑う。
私を駄目にする笑顔の彼は、優しい声で言ってくれた。
「エミリ、この世界に来てくれてありがとう。お前に会えなかったら、俺は父上、母上……いや、皆を裏切っていた」
フェリエスは私の唇をそっと奪うと、声をあげそうなほどに強く抱きしめてくれた。
「ずっと一緒だ」
「ずっと一緒ね」
唇を離した時、二人で同時に囁き合っていた。
-Féliwce & Emiri-
巨大なパイプオルガンの音色が、二人の新郎新婦の登場を華やかに彩る。
ゴーダ騎士団本部大広間。
アルメニア王国の要人では初めて、この場所に入った男女は、二人とも純白の衣裳を身にまとい、参列者達の拍手と祝福に笑顔を見せる。
「フェリエス・ベロア。エミリ・ホリカワを生涯の妻とし、彼女を愛し、守り、支え、喜怒哀楽を共にし、添い遂げる事を誓うか?」
ギューンの問いかけに、フェリエスは緊張した面持ちで頷く。
「エミリ・ホリカワ。フェリエス・ベロアを生涯の夫とし、彼を愛し、守り、支え、喜怒哀楽を共にし、添い遂げる事をどうしても誓うか?」
ギューンの言いように、式場がどっと沸いた。
顔を真っ赤にして無言で抗議をするフェリエスの横で、涙と笑顔を同時に浮かべた黒髪の美女が、大きく頷く。
「仕方ない。では、そなたたちをここに夫婦と認める。証人はヒーロ・ギューン……と、ここに集まる二人に振りまわされた人々だ!」
会場にいくつもの花束が舞う。歓声の渦の中で、誰もが二人の名前を交互に叫ぶ。
ハザルが、アリストロが、大声をあげる。
ドラグルがクリスティンの隣で花びらを投げ散らかす。それを諌める金髪の美女。
リリアが、フランソワの髪を撫でながら、隣のメリルと微笑みあった。ハザルとメリルの子供、ミカエルをあやしながら手を叩くクロエ。
ボルネアは涙を流し、今日だけは脇に追いやられたアデリーヌとジェロームの肩に手を置く。
深紅のローブが、式場の隅の壁にもたれていた。その隣で、深く被った帽子で顔を隠す王太子。
ストラブールの有力者達、東部諸侯達。
彼らに囲まれた二人の男女は、周囲の興奮をよそに口を尖らす。
「ヒーロさん、ここでそれはないと思うんですよ……」
ギューンはにやりと笑うと、結婚誓約書を二人の眼前に広げた。
「二人が署名をする!」
エミリの抗議を、宣言で躱した男。
「いかん……手が震える……」
「私も……」
名前を記すだけの行為にも関わらず、二人のそれはとても慎重に行われ、参列者達は微笑みで見守った。
アルメニア王国歴三五七年、初春の月、六日。
歴史書には、アルメニア王国とゴーダ騎士団領国との間に同盟が結ばれたとだけ記されている。
-Alfred Shyster-
「公爵夫人、こうして隠された戦いは終わり、王都を騎士団が落としたことでカミュル卿は降伏しました。彼は死罪を願いましたが、フェリエス大公が助命を懇願し、これをギューン閣下が聞き入れ、カミュルはアルメニア復興に尽力しております。以降、神聖スーザ帝国の侵略にアルメニアとゴーダ騎士団が共同で戦った理由の一つでございましょう」
僕は穏やかに呼吸をする公爵夫人の枕元で、彼女に語り続けた。少し離れた場所に、国王陛下とジェローム・ベロア夫妻。そして二人の娘が、寝台に横たわる公爵夫人にある願いを込めた視線を送っている。
「フェリエス大公はストラブールの復興をするにあたり、それまでの場所から東へと都市の場所を移します。今、この屋敷がある場所、ここはまさに、ストラブールにあったとされるクロロ公園で、ストラブール離宮がある場所こそ、昔の城と公爵邸があった場所です。彼がどういう想いでそうしたのか分かりません。が、きっと理由があってそうしたと思うのです」
僕は水を少し飲み、瞼を閉じた彼女に向かってさらに言葉を続ける。
「大公とエミリ様は、晩年まで現在の屋敷の場所で生活をしています。二人の間には一男一女がいて、男の子がジェローム。女の子はアデリーヌ。二人のうち、どちらの子がベロア家を継いだのかは、さらに調べないと分かりませんが……」
公爵夫人が少し微笑んだ。
「話を大公とエミリ様に戻しますと、二人は再会後、結婚式を挙げました。公爵夫人が見つけた宣誓書は、きっとこの時のものでございましょう。ご安心ください。二人は心からお互いを愛し、求めあい、助けったのでございます。そこには何も恥じる事などなく、隠すことなど無かったのです。ですが、大公は歴史を、歴史通りに残す事を拒みました。なぜか……」
公爵夫人は瞼を開いた。美しい輝きを発する黒い瞳が僕を見ている。
「フェリエス大公は、そっとしておいて欲しかったのです。つまり、もう自分は死んだ事になっているのだから、煩わしい国の公務や軍務から解放してくれと……、謀略や政争から家族を守る為に、彼は表舞台から消えたのです。カミュルによって記録された内容、彼がストラブールを攻撃する大義名分を掲げる為に記録したものがそのまま歴史として残り、フェリエスはそれをそのままにするように王に願った。エミリ様もフェリエスと甘い生活を切望していた事でしょうから、名誉などより実を取ったのだという事です。そして歴史ではベロア家というのは良くないものだとなっております。ですので、王家は……ラング家は民の憎しみが消えるまでベロア家の存在を隠すべくこれまで、ずっと守ってきたのです」
「国民の皆さまは、まだ私達を忌まわしい家の者達だとお思いになられているのでしょうか?」
公爵夫人が、はっきりとした言葉を発した。
僕は誠実に答える事を良しとした。
「隠された歴史を表に出し、誤解を解かねばなりません。すぐにというわけにはいかぬでしょうが、陛下のご協力のもと、すぐにでも取りかかる所存でございます。ご安心ください」
長い、とても長い僕の話はこれで終わった。
-Féliwce & Emiri-
片脚を引きずるように歩く男は、自分を呼ぶ声に振り返った。
黒い髪を揺らして走る娘に頬を弛め、その後ろに続く栗色の男の子に目を細める。
「父上! 母上が名前を私達で決めろって!」
どうやら、アリストロが持ってきた子犬の事を言っているのだろう。元幕僚は、国軍の要職にありながら、理由をつけては訪ねてくる。その度に子供達の喜ぶ土産をくれるのだが、今回の土産には驚いた。
「そうか……良い名をつけてあげろよ」
「もう決めたの!」
エミリの小さな時はこんな感じだったのかとフェリエスは白い歯を見せて笑った。歳を重ねるごとに、母に似て活発さを増す娘。弟は振り回されて生傷が絶えない有り様だ。
「ジェローム……姉上はもう名前を決めたと言うが、お前も一緒に考えたのか?」
息をきらして父に飛び付いた息子は、こくこくと頷く。
「モグって名前にするぅ」
フェリエスにはそれが良い名前かどうか分からなかったが、子供達がそれで良いなら良いと思う。
ボルネアが彼の隣で、広大な森の計画図を睨みながら声をあげた。
「むむぅ……ボルネアという良い名前は候補にはあがりませんでしたか」
わざと難しい声を発した家老に、子供達は笑い声を残して家へと走り去って行く。
「殿下、この辺りはモミの木を植えましょうか」
フェリエスは笑みを浮かべたまま、家老に視線を転じた。
「そうだな……サクラというものはまだ見つからぬか?」
「それが全く……エミリ様曰く、木だと申されるのですが、全く見つかりませぬ」
フェリエスは腕を組み、ぐるりと辺りを見回した。
「あと五六八本。ストラブールで死んだ兵達の数だけ木を植えると決めてから、よくもまあここまでこれたものだ」
「ははは……しかし市街地を東に大きく移動させ、ここを森にするなど殿下が申された時は驚きましたぞ」
フェリエスは瞼を閉じた。風を浴び、心地よさそうに笑った彼は両手を広げる。
「英霊達の眠りを妨げたくない。それに、彼らの無念、悔しさを俺達ベロア家はずっと忘れてはならないのだ。だからこそ、この森をベロア家は守り続ける。未来永劫、ベロア家がある限り」
微笑んだフェリエスに、ボルネアは一礼し離れた。客人が到着する時間が近い。迎える準備をする為に、一足早く、屋敷へと歩き出した家老の後方で、金色の髪を風に撫でさせるフェリエスは、地面に膝をつき、何かを祈っているようだった。
-Féliwce & Emiri-
レニン・シェスターとカミュル・トルキア・モリペレント王国元帥がベロア家の屋敷に到着した。
二人を応接間で出迎えた屋敷の主人と妻。四人は紅茶を飲みながらしばらく談笑する。
本題は、カミュルがきり出した。
「叔父上、しかし記録をこのままにしておけとはいかがなものか? 御子達だけでなく、子孫に至るまで苦労をかけるつもりか?」
フェリエスは甥に笑みを向けると、エミリの手をそっと握った。黒髪が美しい妻が、頷き夫の横顔を眺める。
「俺はどうやら、父上の子ではない」
断言したフェリエスに、レニンとカミュルが固まる。
「ボルネアに調べさせた。いろいろ調べた結果、アレクシの遺品の中から答えが出て来た時には思わず笑ってしまったほどだ」
フェリエスが、客人達の前に一枚の手紙を広げる。それはアレクシ・デュプレが誰かに送ろうとした手紙で、宛先は汚れで読み取る事が出来ない。元家老は結局、この手紙を出してはいない。ずっと隠し持っていた。恐らく、これはフェリエスの推測に過ぎないが、アレクシはこれを出そうと用意をしたものの、果たしてそれが、王の意に沿うものかを考えた。そして結局、出さずにしまいこんだのだ。
『国王陛下に確認しても埒が明きませぬ。自分の子だと一点張りであるがゆえ、アデリーヌに問いただしました。どうやらお腹の子は、前の夫の子であるらしいのです。何か、良い方法を考えて頂けないかと思い、筆を取った次第でございます』
レニンがローブで隠していた顔を晒す。その赤い瞳は激しく揺れ、この魔導士ですら動揺したのだとフェリエスに教えた。
「カミュル、俺は王家の血など引いておらん。お前は薄々、気付いていたのではないか?」
カミュルは無表情を装った。
長い沈黙。
そして、王国元帥は答えにならない答えを口にする。
「俺の父が、叔父上の母君を害したのは事実だ。それは何故かと考えた時、俺は叔父上の存在がアルメニアにとって良くないものだと思うようになった……」
フェリエスはしばらく甥を眺め、秀麗な顔に笑みを浮かべる。
「であるなら、王家を守る為に俺を利用しろ。俺は確かにラング家が憎い。が、ヨハン殿下はきっと良い王になられるとも思う。お前もアルメニアに無くてはならぬ男だ。俺一人の感情で、失った多くの命を無駄にする事は決してしてはならぬ事だと思う」
呻いたカミュルは、頬をぴしゃりと平手で叩くと、瞼を閉じる。叔父は甥を諭すように言葉を続けた。
「王家が常に民衆の味方であるよう、悪者が必要だ。例えば何かの不正が発覚した時、その犯人がいるだろ? 例えばそういうものの原因を、俺が作っていたとしたら? ラング家に傷はつかぬ」
「良いのか?」
甥に叔父は笑った。
「俺は今、ここにいる。これ以上の何を望むというのだ?」
あっさりと国王の子ではないと認めたアデリーヌ。しかし、それを自分の子だと言い張った王。二人の間柄を汲み取る事ができる手紙だった。お互いに、お互いを守りあう男女の姿と、彼等が何を守ろうとしていたのか、フェリエスは自信を持って言える。
無言の甥に、叔父が妻を見て口を開いた。
「公文書にあるエミリの名前を全て消してくれ。悪者の妻として名前を残されたくない」
フェリエスは言い終えたと同時に、妻の頬に口づけした。
エミリはカミュルとレニンを交互に見る。
「私の名は、また戦争を起こします。何かがあった時、戦乙女だとかなんとか使われて、困るもの。フェリエスを処刑した後、ストラブールで自害したと国内に広めてください」
それは、反論を許さない強さで、カミュルは頷き、立ちあがった。
「わかった。確かに、アルメニアにとってはその方が良い。礼を言うぞ、叔父上。安心しろ、ベロア家は絶対にラング家とトルキア家が守る。何があろうが、守り続ける。俺は確かに狡猾で残忍だが、刃向わぬ者にまで刃を向ける男ではない。信用してくれ」
慌ただしく退室したカミュル。彼は多忙を極める身でありながら、この話の為だけにこの屋敷までやって来た。
立ち去る男の背中に深く一礼したフェリエス。
彼は、紅茶のカップを受け皿に置いたレニンに向き直った。
「では、こちらの用件に移りましょうか」
深紅の魔導士は、微笑むと一枚の紙をテーブルに広げる。そこに羽根ペンで紋様を描き始めた。
「エミリ様は召喚魔法によってこの世界に参りました。誰によってか分かりませぬが、おそらく用いた召喚陣はこういうものであったはずです」
三重の円と、それに沿うように様々な記号が並ぶ紋様。さらにそれらは複雑に重なりあう三層の立体方陣であった。
「まず召喚魔法の説明をします。基本的に古代文明時代の兵器を、現世に召喚し行使するものです。この記号が時代、こちらの記号が場所を意味し、召喚される対象のいる場所と時間と、呼び寄せる場所と時間を指定しているのですが……つまり応用すれば、人を連れて来れるのです。エミリ様を呼ぶのであればそうですね……二十代の女性、髪は黒く長い。二重の瞼に長い睫毛、すらりとした長身でありながら、上品な印象を受ける。だが内に秘めた強さは比類なく、賢く義理堅い……などなど、特徴を紋様に落としこんでいくのですよ。ただ、エミリ様のいた時代がいつかは分かりませんゆえ、ほとんど偶然でしょうね」
顔を朱色にして照れているエミリを見て、フェリエスは可愛らしくてしかたなく、レニンの前でありながらその頬を指でくすぐった。
「ひああ!」
嬉しげにもだえるエミリ。
「照れるところも可愛いな」
「コホン……後にして頂けますか?」
咳払いをした魔導士が、言葉を続ける。
「一時的に召喚する。もしくはこの世界に止める。二つの方法がありますが、それは召喚した者次第です」
エミリが、顔色を一変させた。
「じゃ……じゃあ、その人が私を日本に帰らせるって決めたら、私はいきなり、日本に帰っちゃうって事?」
フェリエスの顔も蒼白となった。
が、レニンは微笑み、首を左右に振った。
「以前、首飾りを差し上げたでしょう? 今もありますよね?」
エミリの首にかかる装飾品を指差すレニン。フェリエスがそれを覗き込み、納得がいったという顔で頷く。
「誰にもらったのか聞くのが恐かったが、レニン卿だったのか……。安心した」
「あんた、疑ってたの?」
先ほどまでイチャイチャしていた男女の間に緊張が走る。
「……それをしてれば、大丈夫です。では、これにて。ささ、抱き合い愛し合い罵り合いを存分にやってくださいませ」
レニン・シェスターは、赤面する二人を残して応接間から出る。
廊下の先で、子犬と戯れる女の子と男の子を見た時、彼は自然と微笑んでいた。
「俺も子供が欲しいな……どこぞに、肉体は男でありながら、心は女という奴はおらぬものかな……」
応接間に振り返り、一礼した魔導士はアデリーヌとジェロームの頭を撫で、二人の笑顔に笑うと歩き出す。
彼は知っている。
エミリを召喚した者など、この世にはいないことを。いや、この時代というべきか。
なぜなら、彼女に見せた召喚陣は、彼女から話を聞いたレニンが、知識を総動員して作り上げたものだからだ。すなわち、レニンがあれを作るまで、一個人に過ぎなかったエミリを、過去から現在へと連れてくる手段は無かったのである。
そして彼は、ある嘘をついた。
あの召喚陣は完成していないのだ。いや、もっと時間を費やせば、完成するかもしれない。だが、それをしたいと彼は考えていなかった。
「ま、俺以上の天才が現れれば、完成するかな」
もし、そんな奴がいるなら、存分に語りあいたいものだと笑い、レニンは屋敷を出た。
-Alfred Shyster-
ストラブール離宮に、ベロア家の墓地があった。
他の王家と違い、国葬もないベロア家は、ひっそりと家族だけが参列する葬儀を終えた。公爵夫人の亡骸を離宮へと運んだ僕達は、サクラ並木を抜け、池の中央にある噴水の前で身を清めた。
地下に隠された墓地があるのだ。
僕がお供したのはここまでで、地下へはご家族だけが降りて行った。
あれから三カ月が経つ。
エミリ様に呼ばれ、離宮へと招待された。
満開のサクラが咲き誇る離宮の庭園。それを二人で並んで抜けると、ベロア家の墓地へと通じるサクラ並木が現れる。
千年前には、ここにストラブールの城とベロア家の屋敷があったと言われる。建造物は全て立ち入り禁止だが、サクラを見物するには支障がない。
警備員の厳しいチェックを受けた僕は、エミリ様に続いた。この場所から奥は、一般人は入れないのだ。
葬儀の時は、全く花をつけていなかったサクラの木達も、今は競うかのように咲き誇っている。ピンク色の門は池まで続き、その下を歩くと溜め息さえ出るほどに美しく、鮮やかだった。上も下も、右も左もピンクで染め上げられた空間。はらりはらりと舞うサクラの花弁が、エミリ様の髪にくっつき、黒髪を彩る。
フェリエス大公は、今の僕が見ている光景を眺めたかったに違いない。満開の桜に囲まれた、可憐な女性。
「教授、どう? とっても綺麗でしょ?」
「ええ、絶景ですね」
エミリ様の為に、この花をアルメニアに咲かせたいと願った大公。彼の、彼女への想いの強さに僕は胸が一杯になった。
人を愛するというのは、どうしてこんなに素敵な事なんだろう……。一人の人を愛し、生涯を共にするのは、当たり前のようで難しい。人の気持ちは変わるものだ。ふとしたきっかけで変わるものなのだ。出会った頃の高揚感、相手を想う気持ち、そういうものが消え失せた時、何が残るのか。
愛情?
責任?
妥協?
後悔?
僕には分からない。でも、大公がエミリさんをここまで愛したのはきっと、愛だけでなく、彼女を尊敬していたからではないだろうかと思う。
僕は、尊敬に値する人間だろうか……ちがうな。
僕はエミリ様に誘われるがままに、池のほとりに座った。この池と噴水はフェリエス大公がストラブールにやって来た時に造られたものと、同じ場所に再現したものらしい。サクラの花を見上げながら、屋台で買ったコーヒーを飲む。彼女の近況報告を聞く僕のスーツは、ポケットからメモを覗かせていた。列車の中でしていた仕事のメモだ。
僕がそれに気付いた時には、エミリ様もそれに気付いていた。
「これは?」
案の定、彼女はそれに興味を持ってしまわれた。本当に好奇心旺盛な方だ。
僕はメモを彼女に見せる。
「ああ、召喚魔法の……あの時の?」
「ええ、召喚陣ですよ。ほとんどできましたよ」
何が出て来るか分からない召喚陣。それがほぼ完成した。何が出て来るか分からないのは、召喚する対象を召喚者が指定できるからだと判明した。つまり、実在する個人を一瞬で、この場所に呼ぶ事が可能となるのだ。紋様の抜けていた文字のところに何がハマるのか必死に探していたが、そうではなかった。ここは、召喚者が情報を入れる為のスペースだったのだ。
いくつか、判明していない文字……どういう意味を持つ記号なのか分からないところはあるが、発動には問題なさそうだ。シェスター家のご先祖様達が、少しずつ記号を足していきながら、現在の美しい紋様が完成し、あとはここに、呼び寄せる人の情報を入れるだけとなっていた。
そのメモに描かれた紋様に見惚れる僕に、呆れたように笑ったエミリ様。彼女は、肩からぶら下げていたバックを広げ、中から文庫本を取り出す。
「おお……買ってくださったんですね。僕の新刊」
「だって、エミリ様のお話なんだもの。買うに決まってるじゃないですか」
さっそく、サインをする僕。
二人で、しばらく満開のサクラを満喫する。風はないように思えるが、舞う花弁達。僕がここに来たのを歓迎でもしてくれているのだろうか。
「教授は……恋人はいらっしゃるの?」
「いませんが、好きな人はいるんですよ」
エミリ様は「そっか」と呟き、視線を地面に注いだ。
「黒い髪がとても綺麗でね。触りたくなるほどに……」
ユイ君は、研究室に帰ってきてくれた。が、距離はさらに遠くなったと思う。悲しいが仕方ない。これも己の身から出た錆だ。
ユイ君……。
片想いの相手を脳裏に描いた僕。
が、いきなりエミリ様に抱きつかれ、地面に転がった。コーヒーが宙を舞い、中身をサクラで敷き詰められた地面にぶちまける。
「な……なななな何!?」
「教授! 嬉しい! そんな遠まわしな言い方しなくてもいいのに! 嬉しいです!」
混乱する僕は、興奮するエミリ様を引き剥がし、なんとか落ち着かせる。その綺麗な瞳と黒い髪についた草やサクラの花びらを指で払いながら、僕の言い方がまずかったのだと気がついた。
いつもこれだ!
成長しろよ! 馬鹿!
事情を説明した僕に、顔を真っ赤にして俯くエミリ様は、すぐに明るく笑いだした。
「あはは……そうだよねぇ。いやぁ……もらった! と思ったんだけどなぁ……はははのは」
なるほど、今のこの姿が、本当のエミリ様か……。
か……可愛い。
て、僕は本当に駄目だ!
僕は誤魔化すように立ちあがる。
「誤解を招いたお詫びに、出来たての召喚魔法をご披露しましょう」
手をパチパチと叩くエミリ様。僕はちょっとした悪戯をする事にした。
「十六歳で、黒髪に黒い瞳で二重で……唇の横に……身長は……これと……で、名前はエミリ。と、出来た」
エミリ様の特徴をそのまま召喚陣に反映させた。水面に魔法の光によって描かれた円形の紋様。そこに魔力を送り込んでやった瞬間、それが輝き弾け飛んだ。
さあ、さっきまでそこで手を叩いていたエミリ様が、僕の目の前に飛び込んでくるぞ!
びっくりするであろう彼女を想像した僕の背後で、エミリ様の声がした。
「な……何も起きないね……」
……。
失敗だったか。
おかしいな……何が原因だったのだろう? 召喚魔法は確かに発動したんだけどな……。本当なら、この池のところに、エミリ様が現れてびっくり! てなるはずなんだけどな……。
「教授、失敗は成功の元。ご飯に行きません? 美味しいお店を知ってるんですよ」
僕は首を捻りながら、足取りの軽い黒髪の美少女の後に続いく。
判明していない記号の意味を、もっと詳しく調べてみるか……。もしかしたら、位置情報や時間の意味を持っているかもしれないな。
……待て。
もし、そうなら魔法は発動している。この円形外側の記号が意味する時代と場所にいるエミリ様そっくりの女の子が、こっちの円形中央の記号が指し示す時代の、この池に召喚されているって事じゃないのか!?
まずい……。
どうしよう……解除しよう。
それしかない。
いや、待て。待て待て待て!
解除するには、召喚された女の子の正確な情報がいる。下手をして、今、僕の手を引くエミリ様をどっかに飛ばしてしまうかもしれない。それに、召喚された人がどこにいるか探さなくては……この紋様を完璧に解き明かし、どの時代の人を、どの時代に送ったか判明させるのが先だ……未来から過去には飛ばせない。それはまだ存在していないものを召喚できないからだ……。
落ち着け……。
落ち着いて、急いで考えろ!
「教授、ニジマスはお好きですか? お好きだったら嬉しいな。私、大好物なんですよ」
動揺する僕に、黒髪を揺らした美少女が振り向き、とびきりの笑顔を見せてくれた。
-Féliwce & Emiri-
屋敷の周囲を彩る、まだ背の高くない木々。初夏の陽光と柔らかな風に、木々の葉が笑うように揺れている。名前のない野花が地面を敷き詰め、鮮やかな自然の絨毯は座る事を躊躇うほどに美しい。
視線を声のする方向へと向ける。駆け回る子供達と子犬。鮮やかな花弁を宙に舞わせ、笑い声が弾ける。
屋敷の周囲を森にすると決めたフェリエス。
その中心に石碑を設置した彼は、今、その正面に立っていた。
後からそっと近づき彼の右手を握ると、青い瞳を輝かせ振り向いてくれる。私は隣に立ち、彼に身体をすり寄せた。
「座ろうか……脚が痛いし」
彼が地面に座るのを助け、その隣に腰を下ろした私。
目の前には、これまでお世話になった人達の名前を掘ってある大きな石碑。二人で土の上に座り、心地よい風を浴びながら、ただ時間が過ぎるに任せていた。
思い出したように、フェリエスが口を開く。
「東部諸侯達が、こっそりと遊びに来るらしい。明後日はご馳走を頼んだよ」
「クリスティンさんと頑張って作るよ。フェリエスはお花を摘んで来てね」
「ああ、リリアとフランソワにも手伝ってもらおう。俺は花の事などわからん。そういえば、クロエがクレルモンフェランから帰ってくるそうだな」
「うん……元老院の選挙に立候補するって言ってたよ」
フェリエスは感心するように頷いた。
「俺達に選挙権があればな……」
「大丈夫だよ。ジェロームさんの妹だもん」
彼がいつもの笑顔を向けてくれた。
私を駄目にする笑顔。
私はずっと、彼の隣にいる。何があっても彼と一緒にいる。皆のおかげでそれができます。
岩に彫られた名前をゆっくりと眺めた後、私は瞼を閉じた。
皆、ありがとう。
フェリエスとの未来を私にくれたのは、神様じゃなく皆だよ。あなた達が繋げてくれた彼との時間を、私は大切にすると約束します。
ありがとうございます。
瞼を開いた時、フェリエスがそっと手を握ってくれた。
私の剣胼胝だらけの手を包んでくれたその手は、とても温かった。
-La Fin-




