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9

 フェリエス・ベロア・ベルーズドという男は、ここまで大きな背中をしていただろうかと、カミュルは思ってしまった。


 手枷をされながらも、悠然と進むフェリエスの後ろを歩くカミュルは、改めて叔父の背を眺めていた。


(この男がいたから、俺は今の立場にいるのか……)


 王国軍元帥として軍を率い、国民軍と協力をして圧政者を倒した彼であったが、その顔は晴れない。なぜなら、その戦いなど茶番に過ぎないことを彼は知っているのだから。所詮、大公の手の上で踊っていた人形にしか過ぎないのだ。


(嫌味の一つも言ってやるか……もう会う事などないのだからな)


「妻に剣を向けられた気分は如何かな?」


 軽口を叩いた彼に、フェリエスが笑う。その隣で剣を形ばかりに夫へと向ける妃が苦笑した。


「悪くない。老いや病気、他人に殺されるくらいなら、エミリに殺されたいくらいだ」

「お断りします」


 エミリが即座に言い放ち、一同はさらに笑う。


 フォンテルンブローの王宮内を歩く三人は、国民軍が埋め尽くした内庭へと出る。


 フェリエスの姿を見るや、怒りも露わの表情と声で、王国宰相だった男に罵声が集中した。


「裏切り者!」

「よくも俺達の期待を裏切りやがって!」

「卑怯者!」


 フェリエスが聞き取れただけでも、彼の嫌われようは凄まじいものがあった。それは、彼に期待していたからこその裏返しである事を誰よりもフェリエスは知っている。


 隣を歩くエミリが何事か夫に話しかけるも、まったく聞き取れないまでの罵声と怒号の嵐。内宮へと移動した彼の耳には、まだ民衆達の怒りの声が届いていた。


「気にしないでね」


 妻の声に、フェリエスは薄く笑った。


 わかってはいたのだ。


 覚悟はしていた。民の期待を裏切り、名声を地に落とすと決めた時から。味方する者はいない。これまで信を置いていた者達を全て遠ざけ、孤独な戦いを挑んだ時から。


(こうなる事はわかっていたのに、どうしてこんなに辛いのだ?)


「叔父上、代えの遺体は用意してある。俺はそれを晒すゆえ、ここで失礼するぞ」


 フェリエスは振り返り、年上の甥を見つめる。この時、カミュルは、大公の目から一筋の涙が流れているのを見て目を見張った。


「カミュル……感謝している。お前は俺を殺したいほどに憎んでいるにも関わらず、よく堪えてくれた」

「はは……。俺はいつもアルメニアにとって良い方法を考えているだけの事だ」


 無表情で身を翻した王国元帥に、エミールが音も無く近寄り耳打ちする。それから視線を逸らした大公は、エミリの手をそっと握った。無言でそれを握り返した妃は、彼の胸に額をつける。


「ストラブールに帰ろう。お風呂に入れて差し上げます」

「お前だけは俺の味方だな……」


 エミリがフェリエスの髪を優しく撫でる。そして彼を誘うように、地下道へと通じる階段を降りる。暗闇の中で、松明を持つ片目の男が地下道の前で待っていた。


「ハザル……」

「殿下、ストラブールまでお守り致します。とりあえずこれを……」


 顔を隠すフードを手渡され、苦笑したフェリエスは無言でそれを被った。


「お前、国民軍の司令官だろう? ここにおってはいかんだろ」

「失礼ながら、俺は国に仕えておるわけではなく、殿下にお仕えしております」


 フェリエスはそれに応えず、無言で地下道を進んだ。随分と歩き、夜になるのを待って地上に出ても、彼は妻の手を離さない。王都の外で、ハザルの用意した馬車に乗り込む。その周囲には、大公軍創設時からフェリエスに仕える数人の士官達。彼らは大公夫妻が完全に馬車に入るまで頭をあげない。


 隣に座ったエミリの、痩せて尖った顎を優しく指で撫でた。子供達に会いたい気持ちを抑え、したくもない事をしてくれた妻は、心労ですっかり痩せてしまった。


 抱きしめると、自然と涙が溢れるフェリエス。


「すまない……すまない」

「ううん。これからはたっぷりと楽をさせてもらうからね。家事は全部、フェリエスの仕事だからね」


 愛しい女性の唇を奪い、そういえばこうするのも数年ぶりだと思い出す。子供達は大きくなっただろうな……ボルネアに我儘ばかりで困らせていなければいいが……。


 瞼を閉じた時、フェリエスは馬車の揺れに異変を感じた。


「殿下!」


 緊張したハザルの声。


「どうした?」


 フェリエスの声はしかし、ぶつかり合う刃音でかき消される。馬車はひどく揺れ、立ちあがりかけた大公だったが、激しく左右に振られよろめき倒れる。馬車が軋み、転倒した。


 天地がひっくり返り、どの方向を自分が見ているのか分からなくなった大公の横で、エミリが腰の剣を抜き放つ。彼女は「ここにいて!」と叫ぶと外へと飛び出した。開け放たれた馬車の扉から、大勢の男達の怒声が飛び込んできた。


「フェリエス! 死ねぇ!」

「逃がすな! 絶対に逃がすなよ!」


 大公は唸り、次の瞬間、先ほどの光景を思い出した。


 カミュルに耳打ちするエミール。


「おのれ!」


 フェリエスは剣を抜き放つと、妻の背中を追って馬車の外へと飛び出したのだった。




-Féliwce & Emiri-




 王宮の一画、後宮と呼ばれる空間では、大公によって人質として捉えられていた女達が解放されている。それはヨハン王太子の手によって行われた。彼は満十二歳となり王太子であった為、この度の内乱の責を問う声もあったが、王国元帥であり、叔父であるカミュルの発言によって守られている。


「王太子殿下はフェリエスによって完全に支配されていた。その罪を問うのは如何なものか」


これは王家も宰相を倒す事に加担したが為に支持された。フェリエス個人こそが悪政の原因であると民衆も見ていたのだ。


 収入の五割にもおよぶ重税、成人男子はいかなる理由があっても兵役で取られ、五年間は家族の元に帰れなかった。出産においても完全に管理下におかれ、宰相の許可なく子を産む事もままならなかった。上下水道の使用料金はべらぼうに高く、食糧は全て配給制にされ、移住でさえ制約された。そして宗教まで規制され、劇場も閉鎖、ただ国の為に働く奴隷のごとく扱われた忌まわしい五年間。


 それが終わったのだという安堵感に民衆は満足し、ことさらに騒ぎ立てない。


 ヨハンは母と共に後宮を訪れ、女達に自由を宣言する。


 誰もが喜び、家族と早く会いたいと願うなかで、何事か様子のおかしな女達もいた。


「カルデリン様……兄上はやはり?」

「ルシェミナ様のご家族も? 無事に帰ってくればいいけど」

「でも、これで恥をかかせてくれた者達を成敗できます。カミュル様には本当に感謝せねば」

「本当! せいぜい苦しんで死ねばいいのよ」


 彼女達を中心に、何事か囁きあう側室達の集団を見て、ヨハンは金色の髪を揺らして近づく。


「その方ら、もう去ってよいぞ。家族が待っておるのであろう」


 王太子に声をかけられた女達は、一様に黙り込む。


 何か隠している……。


 ヨハンは青い瞳を動かし、彼女達を遠目に見守る叔父を見た。彼のそれは監視するといったほうが正しいような視線。そして、王太子の疑念を晴らすわけもなく、逆に大きくする。彼は振り返ると、礼を言う女達を無視して母の隣に立つ。


「どうされましたか?」


 マリアンヌの声に、ヨハンは小さく頷き外に出ようと顎を動かした。


「大叔父様がストラブールに帰られると、叔父上も知っている事でありましたか?」


 大叔父とはフェリエスであり、叔父とはカミュルである。


 マリアンヌは、息子がどうしてそのような事を言うのか訝しがりながらも頷いた。


「民衆の目を逸らすよう大公殿下の死体まで用意なされたのですよ。そもそも、大公殿下の計画にカミュル殿下が賛同しここまで来たからこそ、あなたはこうして無事なのですよ」


 ヨハンは、母の話の後半は聞いていない。走り出していたからだ。


 後方で母が彼の名を叫ぶ。


 それを無視した王太子。彼は自分の部屋に飛び込むと、分厚い書物を広げていた学問の師に飛び付く。


「レニン! レニン! 助けて! 大叔父様を助けて!」


 深紅のローブを揺すった魔導士が、何事かと王太子を見た。


「貴族の娘達の中に様子のおかしな者達がいる! それをじっと叔父上が見ていた! 何かある! きっと何かあるんだ!」


 証拠はない。が、ヨハンは自分の閃きを信じた。そして、彼の師は出来の良い教え子を信用している。


「なるほど……王太子殿下のご命令とあれば断れませぬ。どうか、ご命令を」


 頼むのでなく、命じよと諭した深紅の魔導士に、ヨハンが姿勢を正して口を開いた。


「レニン! 大叔父様をすぐに追い、状況によってはお救いしろ」

「承知致しました」


 魔導士は立ち上がると、開け放たれた窓から外に飛び出す。驚き窓に駆け寄る王太子に、宙に浮かび手を振る深紅の魔導士。


「あ! 飛行魔法が完成していたな!? 完成したら教えるって言ってたくせに!」


 王太子が叫んだ時には、レニンの姿は小さくなっていた。




-Féliwce & Emiri-




 ジェロームとクロエの父、キュイ・ブローはカミュルによって死を免れた。失意と憤懣やるかたない彼は、本来は恩人であるはずの男を怨む。それは、カミュルが彼に囁いた言もあるが、それもキュイの疑惑に沿うものだったからだ。


 決して高い税を取っていなかったキュイであるが、それは従来のやり方をはずれたものではなかった。いや、普通の善良な統治者であった彼は、それだけでこの国では称賛するべきだろう。この善良な男の不幸は、隣の土地に次元の違う統治者が現れたことであった。


 キュイとて男であり、王国貴族である。星の数ほどにいる土地無し貴族と違い、一州を領有する貴族である。自尊心が無いわけはなかった。


「くそう……俺を陥れ土地と民と家族を奪ったくせに善良面をしおって!」


 感謝が憎しみに変わるのはあっという間であった。そして、一度はあきらめた生を、与えてくれたカミュルを崇敬するようになったこの男は、その働き場所を王国元帥の幕僚から与えられたのだ。


「大公は王都からストラブールに移動する。この街道を通る。人員はこちらで相応しい者達を選んでおいた。後は分かるな? お前に指揮を任せるとカミュル殿下のお言葉である」


 美しい顔をした王国元帥の幕僚に、キュイは大きく頷いたのだ。彼は、フェリエスを殺す事で、クロエを取り戻せると信じていたし、謀反の末に死んだ息子の仇を取れるとも思っていた。まさか、自分が殺されないよう、ジェロームの生存が隠された事など、彼には分からない事であったのだ。大公の目から巧みに隠されてきた男が、ようやくカミュルの役に立つ時がきた。


 カミュルによって集められた人員とは、いずれも大公に財産を奪われた貴族達だった。彼らは剣と殺意を煌めかせ、平原のど真ん中でフェリエスとエミリが乗る馬車を襲撃したのだ。


 大公を守る者達は勇敢だった。特に有名を馳せるハザル・ドログバの強さは異常であった。


「無闇に近寄るな! 弓矢で撃ち殺せ!」


 誰ともなく声があがり、弓に矢をつがえた襲撃者達。闇夜を切り裂く弓弦の音が連続的に鳴り響き、放たれた幾本もの矢。


 そのほとんどはハザルの剛腕によって払い落されたが、隻眼の男は、残っていた左目を失った。


「ハザル!」


 憎い男の声が聞こえた。


 キュイは視線を忙しく動かし、朱色の甲冑を纏った女に守られる大公を発見する。瞬間、憎悪に支配された男は指揮を忘れて飛び出していた。


「そこにいたな!」


 キュイは疾走した。左手の盾を女に投げつけ、その隙に男に接近する。フードで顔を隠した大公が、キュイの鋭い斬撃を剣で受け止め、撥ね退けた。


「フェリエス! ジェロームの仇!」

「キュイか!」


 怒声に刃音が連なり、星さえ隠した闇夜の下で火花が散る。大公を助けようとする女に、復讐を共にする仲間達が群がり行く手を阻む。


 キュイはさすがに、軍を率いて他国と戦った男であった。ジェロームを育てた父であった。その剣技は老いたとはいえ鋭く、フェリエスに冷や汗を流させるには十分だった。


 払い、斬りあげたキュイは、右方向に躱した大公を目で追う。が、フェリエスの手から砂を投げられ、うめき声を発して瞼を閉じた。


「悪く思うな!」


 憎い男の声が聞こえたと同時に、キュイは意識を遮断させられた。




-Féliwce & Emiri-




 キュイの首を宙に斬り飛ばしたフェリエスは、防戦一方となるエミリに駆け寄る。


「逃げて!」


 しかし、妻の叫びを無視した夫。


(どこに妻を置いて逃げる夫がいるか!)


 フェリエスは汗に濡れたフードを剥ぎ取り、声をあげることなくエミリへと駆ける。男達の斬撃を鮮やかな剣さばきで防ぐ妻。しかし、疲れからか剣を受ける度に身体が大きく流されていた。


「貴様! エミリに近づくな!」


 エミリに襲いかかる男を背後から斬り倒したと同時に、右方向から迫った刃を身体の動きで躱す。彼に斬りつけた男の顔は、闇夜の中では確認できなかった。


 夫は左右に激しく剣を振るい、襲撃者達を次々と葬る。この時ほど必死で剣を振るった事などないと思えるほどに、彼は斬って斬って斬りまくった。悲鳴と絶叫を大量に生み出した大公は、片膝をつき、激しく肩を上下する妻を抱き寄せると、血で汚れた頬を指で撫でる。


「馬鹿……」


 エミリの声は掠れていた。フェリエスはすぐにでも抱きしめ口づけしたいという欲求を抑えると、周囲に群がる男達を睨んだ。


 完全に囲まれた。


 警護の士官達は既に倒れ、両目を失ってもなお剣を振るい続けるハザル。そして愛しいエミリと自分の三人だけが立っている。


 左目に刺さった矢もそのままに、ハザルが音を頼りに死体を増やしていく。彼は休むことなく動くと、主君と妃に群がる男達を蹴散らし始めた。命を惜しむという事を忘れたかのような彼の戦いぶりに、襲撃者達は腰が引けた。それは、多数であった彼らは結局、多数であったからこそ士気も高かった。怒りも憎しみも多数であったからこそ盛んであったのだ。


 随分と数を減らした今となっては、あるいは指揮官を失った今となっては、お互いに「お前が斬りかかれ」と遠慮すら見せる始末。


 逃げるなら今しかないとフェリエスは感じ、それはエミリとハザルも同じであった。


「エミリ、殿下を連れて逃げろ!」


 エミリが素早く視線を動かし、転倒した馬車に繋がれたままの馬達を見た。四頭立ての馬車の前で、興奮で暴れる馬達には襲撃者でさえも近寄ろうとしない。


「フェリエス!」


 エミリの声に反応した大公。彼はある決断をした。


 フェリエスはエミリと共に馬に駆け寄り、迫る襲撃者達を薙ぎ払う。エミリやハザル相手に稽古を重ねた彼にとって、並の剣士では相手にならない。


 彼は一頭の馬を自由にすると、飛び乗りエミリを引き上げる。孤軍奮闘するハザルへと馬ごと突っ込んだ時、幕僚は腹から激しく出血をしていた。


 馬で人を蹴散らし、飛び降りた大公はハザルをかつぐと馬へと乗せる。


「殿下! 愚かな……」


 ハザルの声も、フェリエスには応える暇などない。


 フェリエスは襲撃者達の刃を防ぎ、エミリによって部下が完全に馬に乗れたと確信したと同時に、迫る敵を一刀両断した。頭部から胸まで到達した剣を大公が引き抜いた時、斬られた男はバシャバシャと血を噴き上げ崩れ落ちた。


「フェリエス! 早く!」


 差し出されたエミリの手を、フェリエスは握らなかった。


「三人は無理だ。近くまでボルネアが来ているはずだ!」


 彼は馬の尻を剣の腹で叩く。興奮していた馬が嘶き、暴れながら加速していく。その背中で、ハザルを抱えたエミリが何か叫んだ。だが残った大公には聞き取れず、彼はただ妻に行けと叫ぶ。


「行け! エミリ!」


 フェリエスは振り返り、優雅に剣を構えると襲撃者達を見据えた。


「さあ、早く終わらせよう。俺の妃が馬を御して引き返してくる前にな」


 口端を歪めた大公に、襲撃者達が怯む。すでに仲間の大勢は地に倒れ、十人前後にまで数を減らした彼ら。


「俺は大悪党だぞ。悪党とは悪あがきするものだ。お前達を悉く斬り伏せるまで、死んでも倒れんぞ、俺は」


 フェリエスの声は、驚くほどに冷静だった。


(三人の中でまだまともに戦えるとしたら俺だ。エミリは疲労、ハザルは負傷。となれば、生存する確率が最も高いのは俺しかおらん。幸いなことに、戦う気力を萎ませた相手しか目の前にはいない。あと数人、倒せば逃げ出すだろう)


 フェリエスはそう考え、足元に転がる死体から剣を奪う。左右の手に一本ずつ剣を握った大公は、威嚇するように襲撃者達を睥睨した。だが、その視線が一点で固まる。


 襲撃者達の後方から、騎兵の一団が馬蹄を轟かせ接近してくる。


 あれが味方だと思うほど、フェリエスは甘くない。


「カミュルめ、こいつらだけでは信用できんと思い、兵を隠しておったか……だが見事だ」


 フェリエスは瞼を閉じた。


 エミリ……ごめん。また、泣かせてしまうな。


 彼は涙に濡れる愛しい女性を脳裏に描き、大きく息を吐き出す。これから、彼女と家族の為だけに時間を使おうと思っていたのに。いや、エミリの為に使いたいと思っていた。苦労ばかりで報われる事の無かった彼女。


 やっと、毎朝の挨拶を交わせる日常が来ると思っていた。


 フェリエスは迫る騎兵の一団を睨みながら、剣を投げ捨てる。やけに澄んだ音を発して、剣が地面にぶつかった。


 カミュルの幕僚、アルデミルに率いられた騎兵中隊が、武器を投げ捨てた大公の前で止まった。




-Féliwce & Emiri-




 ハザルさんは重傷だった。


 フェリエスを迎えに来ていたボルネアさん率いる小隊と合流した私。ストラブールまで遠く、かといって王都に帰る事もできない。


 一個小隊ほどの軍勢では何もできない。


 でも、私は馬を乗り替え、引き返した。


 後方にアリストロさんと数人の騎兵が続く。


「お兄さんの傍にいてあげて!」

「兄もこうしろと言うはずです!」


 皆で競うように馬を走らせた。はるか遠くで、空が異常に輝いている。赤、白、青が複雑に混ざり合い、しきりに大地は揺れているようだった。そして、これまでで最も強烈な、離れている私でさえもその眩さに目を閉じてしまったほどの光が発したかと思うと、あっけなく沈黙する。


「フェリエス! フェリエス!」


 叫びながら気ばかりが急く。これ以上ないほどに走っている馬に、悪いと思いながら鞭をいれた私。頬を伝う涙が、馬の鬣を濡らしていた。疲労に意識が飛びそうになるも、自分で腕に噛みつき意識を繋げる。舞い戻ったところで、フェリエスを助ける事が出来るのかと違う不安も大きくなった。


 襲撃された現場は凄まじい光景だった。


 どうしたらこうなるのかと思うほどに、大量の血と肉片が大地を埋め尽くし、空気すら血生臭く吐き気に襲われる。


「殿下! 殿下!」


 アリストロさん達が交互に叫ぶ。


 私は彼の名を呼ぼうとするも、嗚咽ばかりで言葉にならない。


 だって、誰も立っていないんだもん!


 フェリエス! どこに行ったの!?


 しばらく周囲を懸命に捜索しても、彼の姿は発見できない。


「何か強力な魔法を使ったようですね。ここら一帯の草が焦げています」


 血肉の泥濘となった広大な地面には、人と馬が折り重なり倒れ、身体は細かく千切れ飛び、血が湧き出る泉のごとく一帯を濡らしていた。


 最悪の想像をしてしまう……。


「フェリエスゥ……」


 私は震える身体を両手で抱えるようにした。


 フェリエスを失ったという恐怖に、唇と身体が激しく震える。彼の名前を叫ぼうにも、口から出るのは「おお」とか「ああ」という呻きばかり。


 アリストロさんが私の肩を抱いてくれる。


「エミリ様! しっかりなされませ! 殿下はきっとご無事です! エミリ様や御子達を残して逝くわけがございません!」


 肩を揺すられても、私は泣く事を止められない。涙を止めようにも、次から次へと溢れ出る涙。


 これからずっと一緒にいようって約束したのに……。朝はキスで起こしてあげるねって約束したのに……。


「あれは……」


 アリストロさんが西の方角を睨むと、すぐに私の馬の手綱を取った。


「参りましょう。何者かが来ます。少数ではない様子」

「嫌だ……嫌だぁ……」

「エミリ様、すぐに離れなくては危険です」

「フェリエスを探すの。フェリエスがいないまま帰らない!」


 頬に痛みが走り、私は手でそこを触れた。じんじんと熱い。


「エミリ様! しっかりなさいませ! 御子達がお待ちです! ここであなたにまで何かあったら、御子達は誰を頼ればよいのですか!?」


 アリストロさんに引かれ、私の馬がゆっくりと加速していく。そして瞬く間に最高速度に到達すると、接近してくる集団を一気に引き離した。


 私は茫然とした状態で馬によって運ばれていた。その周囲を騎兵達が守るように駆ける。


 フェリエス……。


 あの時、私が降りて彼を逃がせば良かった。


 ハザルさんなら、きっとそうしたに違いない。


 悔しい!


 腹が立つ!


 フェリエスを守れなかった自分に腹が立つ! 彼ならああするかもしれないって、どうしてあの時に気付かなかったの? フェリエスなら、ハザルさんを見捨てるわけないじゃない。馬に三人は無理だと判断するのは当たり前じゃない! 


 フェリエス……私は結局、彼に頼ってばかりいた。


 会いたい! 会ってあの髪に頬をくっつけたいよ!


「先ほどは失礼しました」


 隣で馬を駆けさせるアリストロさんが声をかけてくる。私は何度も嗚咽を繰り返した後、ようやく反応する事が出来た。


「ううん……ありがとう」


「エミリ様、きっと殿下はご無事です。大丈夫!」

 

 アリストロさん、あなたこそとっても手が震えてるよ……。


 ボルネアさんの出迎えを受け、手短に報告と指示を出す私の耳に、光を失ったハザルさんの声が聞こえてきた。私は天幕の中に駆け込み、彼の手を握る。


「ハザルさん! しっかりして!」


「アホ……大丈夫だ。殿下は?」


 私は答える事が出来なかった。それは、口に出す事で彼の運命が決まってしまいそうで嫌だったから……。


「すぐにストラブールに帰れ……ここで迷っていても何も出来ん」


「うん……」


「解散させていた大公軍の兵士達に集まってもらいたいと告知しろ。戦いに備えておくのは必須だ。あれが誰の手によるものか……あの卑劣なカミュルに違いない!」


 怒鳴った直後、ハザルさんが苦しげに歯を食いしばる。私がその頬を撫でると、彼は突然、私の手を握る。


「すまない……許してくれ。俺が無様にやられなければ……俺が殿下に担がれたりしなければ……俺のせいだ。俺のせいだ……」


 私はハザルさんの頭を抱きしめ、彼が薬で眠るまでその髪を撫で続けた。




-Féliwce & Emiri-




 カミュルはまだ混乱の尾を引く王宮内の一室で、豪華な椅子に深く座った。エミールの報告にしかめっ面を作った彼は、声を発するでもなく幕僚を見つめる。


「殿下……、如何致しましょうか?」


 国王の叔父にあたる男は、ねじ曲げた唇をようやく解いた。陽光が差し込む室内で、その半面だけを光に晒した男は、動揺する幕僚を宥めるような声色を出す。


「アルデミルも帰って来ず、フェリエスも見つかっておらん。状況だけを見れば相討ちかとも思える。心配するな」


 何か言おうとしたエミールを、手の動きだけで制したカミュル。彼は一人になりたかった。


 退室する幕僚の背中が、名残惜しそうに見える。それでも彼は引きとめず、扉が閉じた後に立ち上がる。


「騎兵中隊が悉く帰らぬとは……フェリエスは何をしたのだ?」


 彼はしばらく無言で室内を歩きまわり、ある光景を思い出す。


 王太子が後宮から走り去る姿。


(いや、ありえぬ。何かを感じ取ったとして、なんの力を持たぬ甥に、大公を助けられるはずもない。だが……)


 カミュルは部屋を出る。まっすぐに王太子の執務室へと向かう。甥は今、将来の準備で簡単な仕事を任されている。既に決裁が下りた申請を確認し、署名をするだけの仕事。


 扉を叩き中に入ると、甥と魔導士がいた。


(いつもローブで顔を隠した不気味な奴め……)


 その不気味な魔導士が、王太子に何やら説明をしていた。


「よろしいですか? この様に計画があり予算が決まる場合と、予算ありきで計画を立てる場合があるのですよ。どう使い分けるかはまたの機会にするとして、まず、これらのものがどちらであるのかを見分ける訓練をしましょう。そこには、意図があるものですから」

「わかった」


 素直に頷いた甥の背後に立ったカミュルは、下水道増設の申請を読みこむ甥の後頭部を眺める。


「元帥閣下、どのようなご用件で?」


 職名で呼ばれたカミュルは眉を跳ね上げた。が、あえてそう呼んだ深紅の魔導士に平然と答える。


「いや……昨夜、王都の東で賊同士が争った。王太子殿下のお耳に入れて置いたほうがよろしいかと思ったのでな」


 甥の反応を見ようとするも、ヨハンは無言で書類に集中していた。


「ほぉ……物騒ですね。王太子殿下は馬で遠駆けするのがお好きですが、しばらくは控えて頂いたほうがよろしいですね」


 ヨハンの師、レニン・シェスターの穏やかな声に、ヨハンが「ええー?」と抗議をあげる。


 それはまだまだ子供の様に思え、カミュルはほっと胸を撫で下ろし一礼した。


「お耳汚しを致しました。失礼つかまつる」


 退室したカミュル。


 廊下に立ち、扉を睨む。


 魔導士のくせに戦う事を拒み続け、フェリエスの幕下であった時も全く軍務に関与しなかったというあの魔導士。大陸最強であるとかかんとか、噂先行の男ではないかと思っていたが、もしかして本当にそうかもしれん。ま、権力者に対して皮肉をぶつける悪癖があるが、頭の中身は相当なものだ。王家の為に、せいぜい働かしてやるか。


 カミュルは扉に向けて嘲笑した。


 その内側で、息を潜めていた二人がようやく溜め息をついた。ヨハンは、転送魔法で帰ってきた師に問う。


「ばれてないか……な?」


 深紅の魔導士は、少し迷ったように固まる。がすぐに王太子の髪を撫でた。それは恋人に対しての仕草のようで、少年はドキリとする。彼は、師が女性である事を知っている。と同時に、外見とは逆の性別が内側にある事も。


 その美しい外見をローブで隠した魔導士が、王太子に優しい口調で言葉を発する。


「カミュルはやはりここに確かめに参りました。殿下の事を疑っている証拠でございます。私は再び転送魔法でクレルモンフェランに行きますので、何かありましたら、この鈴を鳴らして下さい」


 魔導士の手から、小さな鈴がヨハンの手の上にと移った。




-Féliwce & Emiri-




 時間を少し巻き戻す。


 エミリがボルネアと合流した頃、離れた場所でフェリエスは、カミュルの幕僚であり魔導士である男と対峙していた。


 アルデミルは、馬を止め大公を見下ろす。その顔には勝者の笑みが称えられ、満足げに息を吐きだす。


「大公殿下……お強うございますな。一人でよくもまあ……」


 地に倒れた復讐者達を睥睨し、呆れたように言い放った魔導士に、フェリエスは努めて穏やかな口調で言葉を発する。


「アルデミルか……頼みがある」


 魔導士は鎖帷子の上に羽織った外衣を右手ではたきながら眉を動かした。場違いなほどに穏やかな表情を浮かべる大公は、死に直面した者とは思えなかった。


「頼まれるかどうかは、内容次第ですな」

「俺は死にたくない。生かしてくれ」


 アルデミルは息を飲んだ。なるほど、戦っても勝てぬと思い、諦めたのかと思えばそうでは無かったのか。命乞いに邪魔な武器を捨てたに過ぎぬというわけか。


「なかなか冗談が過ぎますな。この後に及んで命乞いをなさる度胸はご立派であられるが……」

「アルデミル、俺は権力になど興味ない。興味あるのは、愛しい家族と過ごす時間だけだ。王位継承権も役職もいらぬ。この先の未来をどうか奪わないでもらえぬか?」

「勝手なことを……お前の為に未来を奪われた者達が聞けば、何と言うかな?」


 フェリエスは瞼を閉じると、俯いた。


「殿下、最後に何かいい残す事はあるか?」


 アルデミルの言葉に、大公はしばし迷った。どんな言葉を残すか、いや残す相手は決まっている。だが、言葉が出て来ない。溢れてくる言葉はどれも、死に際の男が残すべき言葉では無かった。


(会いたい、エミリ。お前の髪を撫でたい。その頬に指で触れたい。その優しさに甘えていたい)


 こんな言葉を残す事など出来ん、と溜め息をついた大公。


「相応しい言葉が思い浮かばん。殺すならせめてカミュルのところに連れて行け。あいつは俺を殺すのが怖くて、お前達を使ったわけではないと証明してみせろ」


 無言で槍を突き出したアルデミルによって、フェリエスは右肩に激痛を覚えた。槍先が彼の肩から引き抜かれ、どっと熱い血が溢れだしてくる。


「図々しい奴!」


 魔導士の怒りは、罵声となってフェリエスにぶつかる。大公は凄まじい痛みに意識を失いかけるも、アルデミルはそれを許さなかった。


「貴様のような男が、カミュル殿下の上に立とうなどと!」


 アルデミルは槍で右太股を抉り、大公の悲鳴に笑みを浮かべる。だが、掠れた声を発したフェリエスに、それも消えた。


「カミュルは……俺が恐いか!?」


 激痛に歪んだフェリエスの顔に、アルデミルの嘲笑がぶつかった。


「戯言を! お前ごときにカミュル殿下がお出になられるわけがなかろう。王に認知されただけの下賤なる者め。お前は知らんだろうがな、お前の母は王の子を産んだのではないはずだ! そもそも計算が合わんのだ! クズの子はクズらしく死――」


 アルデミルの言葉を遮るかの如く、幾本もの光線が空から地上を襲った。それは鋭い熱線で、騎兵達を人形の様に貫き、悲鳴すらあげさせない。それはフェリエスを抱えていた兵士達の額を貫通し地面を焼く。どさりと倒れた二人の兵士を見て、アルデミルがきっと頭上を睨んだ。


「正義の味方は遅れて現れるものだと知らなかったのか!?」


 頭上からの声に、舌打ちをしたアルデミル。怒りの形相で宙に浮く男の名を叫んでいた。


「レニン・シェスター!」


 くそ、大公をさっさと殺しておけば良かった!


 苦虫を噛み潰したように口をへの字に曲げたアルデミルが、あわてる部下達に弓矢の用意を命じる。


 レニンが右手を一閃すると、真空波が生じた。そうと悟ったアルデミルは、馬から飛び降り地面を転がる。フェリエスから彼らを離させるかのように真空波が空気と大地を切断した。巻き込まれた騎兵達が、切断された自分の身体を眺めて悲鳴をあげる。その最中、アルデミルは歯軋りをして右手を払った。慌てふためきながら部下達が弓矢を構える中で、自らは結界を張ろうと気を高める。


「アルデミル! 殿下を返して頂こうか」

「ゴーダ人め! 臭い奴!」


 罵声を発したアルデミルは、部下に一斉射撃を命じた。




-Féliwce & Emiri-




 レニンは宙で回転して矢を躱すと、指先を光らせ素早く動かす。たちまち、残光が闇夜に紋様を描き出し、まばゆく光り始めた。


「殿下! お逃げください!」


 叫んだ深紅の魔導士。同時に剣を拾い上げ逃げるフェリエス。しかし、激痛の中で走ることなどできなかった。数歩、走ると膝から崩れ、右大腿部を押さえてうずくまる。それを見たレニンは、大公が負傷していると悟った。


 アルデミルの部下達が、その大公に迫ろうとしたが、それより先にレニンの魔法が完成していた。


 漆黒の闇が切り裂かれ、真っ赤に燃える切れ目から巨大な手が現れた。女性のものであるかのように艶があるが、鋭く尖った爪をカチカチと鳴らして現れたそれは、危険に満ち溢れていた。それが大公に迫った集団を頭上から襲い、彼らは声をあげる暇もなく押しつぶされる。


 人を爪で切り裂き、掴み握りつぶす。血と内臓を宙に飛散させた巨大な手はたちまち赤黒く染まり、禍々しさを増していく。掴んだ人体を宙の切れ目へと放り投げる肘から先だけの悪魔。その腕の持ち主がどのような者であったとしても、邪悪で残忍な存在に違いないと分かる。空中を縦に斬り裂いた切れ目から、その存在が発していると思われる甲高い笑い声が一帯に満ち溢れた。助けられたフェリエスですら、経験した事のない恐怖に呻いた。


「召喚魔法! ゴーダ人め!」


 アルデミルが叫ぶ。


 レニンは右手に火球、左手に氷の槍を作り出し、混乱する騎兵達に次々と浴びせる。召喚した不気味で巨大な手は相変わらず暴れまくり、それから逃れても炎と氷に襲われる。爆炎が噴き上がる阿鼻叫喚の中で、氷の刃で馬ごと地面に串刺しにされていく騎兵達。結界を張っているにも関わらず、それを無視して襲いかかるレニンの魔法に、アルデミルは恐怖すら覚えた。


「化け物め!」


 巨大な手はさらなる死を求め、騎兵達を追う。レニンは光球をいくつも宙に浮かばせると、それをフェリエスの周囲に漂わせた。騎兵達はその光球が何か分からぬが、ここは大公を人質に取るしかないと判断し、それは正しかった。だが、フェリエスに迫ろうとした彼らは、浮遊する光球から発せられた光線に身体を貫かれ、絶命し落馬していく。意思を持っているかのように、それらはフェリエスに近づく者を片っ端から射殺した。その隙にレニンが傷ついた大公の隣に着地する。彼は荒い呼吸のフェリエスを支え、その傷口の具合を確かめた。


「レニン卿、助かった……」

「まだでございます」


 レニンは右手を複雑に動かし、正面に紋様を浮かび上がらせる。それは激しく回転しながら輝きを増し、不気味な低音を撒き散らした。


「アルデミル! 冥途の土産だ!」


 叫んだレニンの目の前で、紋様が輝きと共に消失し、代わりに白い十二枚の翼を生やした巨大な女が現れた。燃えるように赤い髪は炎のように巻き上がり、頭上には光る輪が浮かんでいる。ゆっくりと瞼を開き、全裸の華奢な身体で優雅に舞ったその女性は、魂を抜かれたように茫然とするアルデミルと騎兵中隊に微笑んだ。その姿は神々しくすらあった。


 だが、アルデミルはその魔法が、破壊と殺戮のみを目的としていることを知っていた。


「き……貴様! 邪神バアルを!」


 レニンが指をパチンと鳴らす。


 女性が右手を突き出した。そこから凄まじい光が発生する。


 フェリエスはその眩さに目を腕で庇い、瞼を閉じる。衝撃波で彼の髪が激しく乱れ、ばたばたと音すら立てた。


 女性の手から発せられた巨大な光の球体が、動けないアルデミルと騎兵中隊に向かって弾けた。半瞬後、巨大な建造物でさえも飲み込みそうな光線が直線に走り、一瞬後にはアルデミルと騎兵中隊の後方、草原の向こうに見えていた岩山に穴を開け消える。


 騎兵達を貫いた光線は、進行方向上のあらゆる物体を貫通したのだ。生物、無機物関係なく貫いたそれは、およそ三〇〇〇フィルもの距離に到達したとされる。


光線が消えた時、アルデミルは自分の手を眺めていた。いつの間にか翼を生やした女は消えていて、深紅の魔導士はフェリエスの肩の具合を確かめている。


(な……何も起こらなかった?)


 振り向けば、無傷の部下達がお互いに無事を確認し合っている。


「驚かせおって!」


 アルデミルはそう罵倒しようとしていた。


 だが、声が出ない。喉が一気に熱くなり、慌てて手で抑えようとした彼であったが、右手の肘から先がない。見れば、地面に自分の肘から先を発見できた。事態が飲み込めず、視線を彷徨わせようとするも、がくりと目の高さが低くなる。身体を動かせず、倒れたと感じた時には、自分の脚が目の前にあった。膝から下の部分だけが立っている。


 後方で、ぐちゃぐちゃと粘着質な音が連続して発生する。


 アルデミルはそれを最後まで聞くことなく、絶命していた。


 騎兵達が次々と、一瞬で挽肉と化した様子を眺めていたフェリエスは、痛みのあまり嘔吐した後、レニンを見る。


「や……やり過ぎだ」


 血と肉の残滓となった一帯は凄まじい異臭を放つ。その中にあって、全く動揺すら見せぬ深紅の魔導士。彼はフェリエスの背中を撫でながら、よろめく彼を支えた。


「殿下、恐れながら御身をお預かり致します」

「馬鹿者。俺はエミリの元に帰らねばならんのだ」

「それでは、王太子殿下に害が及ぶ可能性がございます」


 レニンの言葉に、大公が固まる。


「ここは共倒れを装うのがよろしいでしょう。まずはともあれ、この場を離れます。殿下の傷はすぐに治療が必要でございます」

「ま……待て!」

「待てませぬ。助かりませぬぞ」


 レニンに捕まった状態の大公は、その力に驚く。身体は女性であるのに、男のフェリエスが勝てない。いや、疲労と負傷の影響はあるだろうが、それにしてもすごい力だと彼が驚いた時、一瞬にして風景が変わっていた。


「ど……どうしたのだ!?」

「転送魔法でございます」


 違和感を覚え、レニンを見ると、全裸となった彼がいた。


 いや、全裸の美しい女性が、フェリエスを抱きしめている。そして、自分もまた全裸であった。


「!!!!!!」


 声にならない叫びをあげたフェリエスだったが、多量の出血と傷の痛み、そして例の頭痛に襲われる。彼の意識は薄れ、瞼を閉じた。


「殿下! 殿下!」


 レニンの声が聞こえるも、フェリエスはそれに応える事などできなかった。




-Féliwce & Emiri-




 王国歴三五六年、冬。


 五年もの間、まるで豹変したかのように圧政を敷いたフェリエス大公が失脚し、アルメニア王国は本当の意味で、内戦が終わったのだと誰もが喜ぶ。


 国民軍と称した民兵を指揮した者達は、王権が強いからこそ起きうるのだとラング家に迫り、ヨハン王太子の宣誓によって議会を復活させようと目論んだ。が、カミュルは彼らの前に悠然と立ちはだかり、王国元帥の立場を利用して軍を動かし弾圧を強める。


「国権をまだ返すわけにはいかん」


 下賤なる者どもに国の大事が分かるはずもない。明日の事さえ良ければ良しとする愚かしい者どもが、逆立ちしても国は回らぬわと公言すらした国王の叔父は、王宮の掌握にも動き出す。


 だが彼にも気がかりなことはあった。


 フェリエスが行方不明となり一カ月が経つ。大公の息がかかった者達が、ストラブールに集まっている。


 この二つを解決せねばならんとした彼は、確かな方から潰す事にした。つまり、ストラブールを攻めるのだ。


 行方の分からぬ男に付き合ってはおれんと考えたカミュルは正しい。逆にフェリエスが現れたところで、彼一人では何もできない。叔父の両手両足であるストラブールの者達を葬るのが先だと考えたのだ。


「立憲君主制は確かに方法の一つではある。が、王権は強くなければならぬ。議会は認めよう。しかしそれは、あくまでも王を補佐するものだ」


 憲法ごときに王家が縛られてなるものかとカミュルは考え、フェリエスの案に修正を加えたところを落とし所にするつもりであった。


 アルメニア王国軍五万人の軍勢は、王国元帥の指揮下で悠然と東進し、ストラブールに迫った。


 これに対し、フェリエスの家老、ボルネアはストラブールから西側の領民に避難を促す。受け入れ先は旧ロゼニア。


「殿下がいらっしゃれば、必ず領民を大事にしたはずだ」


 こう言った彼は、軍を動かし彼らの避難を助けた。


 だがそれは、ストラブール目前まで国軍が迫る結果も招く。


 東部諸侯が救援に駆け付けようとしたが、大公妃の手紙によって彼らは動けなかった。


 エミリは、彼らを巻き込む事を良しとしなかったのだ。


 こうして、大公の統治となって初めて、ストラブールはその防御壁で敵の攻撃を受け止める事態となった。




-Féliwce & Emiri-




「どうだ? 敵はどれほどだ?」


 ストラブールの城壁上で、見るという事が出来ない男が、弟に尋ねる。腹部にはまだ包帯が巻かれ、傷の完治はまだ先だというのに、彼は剣を握りしめ、今にも敵に襲いかからんばかりの殺意を外に向けて発散していた。


 どこまでも続く青空の下に、大地を埋め尽くさんばかりに蠢く人、人、人。寄せ集めではないれっきとした正規軍で、大国アルメニアに相応しい強さを誇る国軍。それが、歴史上でも類を見ない狡猾な男に指揮されて、ストラブールを完全に包囲していた。


「兄上、この光景を見れぬのは人生の楽しみの半分を失ったと後悔するべきでしょうな。素晴らしい眺めです」


「それは残念だ……国民軍の弾圧にも兵を出しておるだろうから、四万から六万というところか?」


「旗の数、部隊の配置、天幕などから約五万というところでしょう。我が軍の十倍以上。しかも本拠を包囲され、外部との連絡は絶たれ、絶望的な状況です」


 そう言いながらも楽しげな弟に、ハザルは笑った。


「エミリはどうだ?」

「様をつけなさい、様を! クリスティン様が励ましておいでですよ」


 ハザルは、風に混じって届く鉄の匂いに鼻を鳴らした。


「雪でも振りまくれば敵も撤退しように……今年に限っては雪が降らん」

「天候を頼りにしておっては、殿下に笑われます」


 アリストロは、彼を呼ぶ声に振り返り「すぐに行く」と応えた。


「クリスティン様がお呼びです」

「俺はここにいる」


 アリストロは兄から離れ、城壁上から市街地へと続く階段を駆け降りた。市民達はそのほとんどが、ボルネアによってトリノに避難している。ストラブールに留まっているのは、自らの意思で残ると決めた少数の市民と、あくまでも大公に忠誠を誓う者達。大公軍発足から大公に付き従った兵士達は、この危機に何も求めず馳せ参じてくれた。


 兵士達とすれ違う。彼らは防御用の盾を荷台に載せ、忙しく運んでいた。


「ご苦労!」


「ご苦労様です!」


 誰かとすれ違う時、こうして挨拶をするのがベロア家の決まりだ。いや、決まりではなく自然とそうなっていた。エミリがそうしていたからだ。


 アリストロは馬に飛び乗り、城へと駆ける。市街地は至るところが防御陣地へと姿を変えさせられ、城壁を突破されても城へとすぐに到達されないよう、その市街地は複雑に変化していた。大通りは穴を掘られ、路地には罠が仕掛けられ、民家にはいつでも火を放てるよう、油が用意されている。そして今もその作業は慌ただしく進められていた。


 クロロ公園を突っ切る。この公園だけは、こんな時でも美しい花々を咲き誇らせていた。冬を彩る名も分からぬ花を見て、思い立ったように馬を止めたアリストロは、美しい花々を摘み取り集め始めた。数人の兵士が珍しそうに近寄って来た。


「閣下、決戦の前に誰かに告白ですか?」

「馬鹿者! 違う! エミリ様の為だ」


 アリストロの言に、無言で手伝う兵士達。


 あっと言う間に抱えきれなくなった花を束にして、城の正門をくぐった彼は、足早に進み大公妃執務室の扉を叩いた。


 数年ぶりに主人が帰ってきた執務室。


 だが、以前と違い、静まり返った室内でエミリがフェリエスの甲冑を前に涙を流していた。その彼女の肩に手をおいたクリスティンが、アリストロに金色の瞳を向ける。


「お呼び立てして申し訳ない」

「いえ……とんでもございません。これをエミリ様に……兵士達が集めてくれました」


 自分が言いだしたというのは照れる。


 黒髪を揺らしてエミリが振り返る。目の充血が取れた事は、この一カ月の間、一日もない。毎晩、彼女は泣いているのだ。兄の前では決して涙を見せないが、彼のいないところでは涙を流し続けるエミリ。その心配りといじらしさに、アリストロは胸を締め付けられ、抱きしめたくなるも堪える。


 主君の妻に俺は……馬鹿め!


 クリスティンがストラブールの地図が広げられた卓に、彼を誘った。

 

「もともと殿下はストラブールの防御には無関心であられた。都市一つを守ったところで意味がないとお考えになられておったからじゃ。市街地を囲う外側防御壁と、城を囲う城壁こそあるが……この都市は守りにくい」


 クリスティンの言葉にアリストロも同意する。


「それに市街地が広うございます。それを囲う防御壁も長大なものでございますから、限られた兵を均等に配置すれば、どうしても薄くなります」


 ストラブールの周囲は平原で、ご丁寧に街道が整備されている。丘陵地帯を削って平地にしたのは、物流の為である。あくまでも経済重視の都市設計はいかにもフェリエスらしく、またオーギュストらしかった。が、そこには防御という概念がない。


 フェリエスは都市をぐるりと壁で囲う事自体を意味がないと考えていた。というのも、包囲されれば終わりであるからだ。で、あるなら、敵の侵入を許さない力、工夫をしなくてはならない。これまではそれが出来ていた。


 部屋の扉がそっと開き、女の子と男の子が顔を覗かせる。


「クリス姉様もここにいたの? 何が始まるの?」


 アデリーヌが無邪気に言う。その隣で、栗色の髪をおかっぱにした男の子が、怯えたように緑色の瞳を揺らしていた。


「母上―!」


 男の子、ジェロームと名付けられたその子が、エミリにすがりつく。マリアンヌから養子として迎えた男の子は、優しく強く賢く育って欲しいとフェリエスが名付けた。その子を目線に合わせるように、エミリは膝を折り抱きしめる。彼女は鼻をすすってアデリーヌも呼んだ。


「アデリーヌ……弟と一緒にボルネアおじさんのところに行っていて。後で私も行くから」


 聡いアデリーヌは口を尖らせ母親を見つめた。黒い瞳に怒りが灯っている。


「そうやって、また私達だけ待ちぼうけになるんだもん。ここにいる!」

「ここにいる!」


 ジェロームが姉の口調を真似る。


 クリスティンが苦笑し、アリストロが眉を寄せる。


 隠し通路を使って、二人の子供をトリノに逃がそうと考えていたエミリ。その隠し通路は、外に出た後に岩を落として穴を塞ぐ。これは追手に追われている時を想定したもので、開閉式の仕掛けをするとなると逆に目立つ。あくまでも原始的に、自然と一体となった抜け穴。だが、一度しか使えない。そしてそれも、発見されていないうちに使わねば意味がない。


「アデリーヌ……母上がそなた達との約束を破った事はあるか?」


 クリスティンの言葉に、女の子が頬を膨らませる。


「あるよ! 林檎のパイを作ってくれるって言いながら、まだ作ってくれてないもん!」

「ほほお、そうか。それは悪い母上じゃな。私からしっかりと言っておくゆえ、安心してボルネアおじ様とお行き。私と母上で林檎のパイを焼いて、後から追いかけるゆえな」


 アデリーヌが黒い瞳を、クリスティンからエミリへと転じる。母はそれをまっすぐに受け、娘と息子を抱きしめ、交互に唇を柔らかな頬に寄せた。


「二人とも、愛してる。きっとパイを持って行くから。約束だからね。お願い、父上と母上の言う事を聞いて。ね?」

「父上もそこで待ってる?」


 ジェロームの言葉に、大人達が固まった。


 アデリーヌはそれを見て、これまで隠されていた、大人達のおかしな様子の原因と、現在の状況を理解する。


 唇を激しく震わせたアデリーヌが、二重の大きな目に涙を溜めた。それを見て、娘に悟られたとわかったエミリ。母は誤魔化すでも、言い分けをするわけでもなく、娘の白い頬を優しく撫でた。


「母上……きっと来てね。私、父上と母上とジェロームと一緒に林檎のパイを食べたいの」


 アリストロが耐えられず顔を背け、窓から外を眺める振りをする。その隣で、クリスティンが俯き、顔を隠した。


「うん! いっぱい作ってあげるね。母上特性の林檎パイ! ジェロームにはチョコレートケーキを作ってあげる!」


 涙に濡れた声を、努めて明るく発したエミリが子供達を強く抱きしめる。


 開いたままの扉から、ボルネアが顔を覗かせた。


「ああ……やっぱりここにおられましたか……。ささ、このボルネア、お二人の為にたくさんの童話を仕入れておりますでな。道中、たっぷりと披露致しまするぞ」


 満面の笑みを浮かべた家老に、そっと子供達を押したエミリ。彼女はそのまま家老を抱きしめ、その背中を優しく叩いた。


「子供達を……お願いします……」


「お任せください。殿下の行方も目下、全力で捜索しておりまする。必ずご無事であられます。このような素晴らしい奥方と御子達を残してなどあろうはずがございませぬ。御子達をトリノにお連れしましたら、すぐにロゼニアで軍を集め、引き返して参ります。どうか、どうかそれまで……それまで……」


 エミリにだけ聞こえるように、小声で素早く言葉を紡ぎだしていた家老の舌が、感情によって動かなくなる。


「変なの……ボルネアさん、泣いてる……」


 ジェロームの無邪気な声が、大公妃執務室の中で響いた。


 アリストロはこみ上げる怒りの凄まじさに呻いた。




-Féliwce & Emiri-




「始めよ!」


 カミュルが右腕を前方に突き出す。


 角笛が鳴り響き、アルメニア軍の前進が始まる。


 ストラブールの四方を包囲した軍勢は、東西南北の門へと迫る。ご丁寧に、どの方向からでも市街地へと入れるように設計されたそれは、「叔父上は本当に、守るというのが苦手な男だ」とカミュルに言わせた。


 攻城戦の始まりは、大量の矢の応酬によって宣言された。空中で交差した数万本の矢が、大量の煌めきを青空の下で放った。それは見惚れるほどに美しく、これからまさか殺し合いが始まるなど思いも寄らぬ光景であった。


 激しい雨が地面を叩くかのような音が、大公軍兵士を襲う。彼らは矢避けの盾に身を隠し、さらに果敢にも隙を見て弓矢と弩をアルメニア軍に放った。その彼らの目に、巨大な攻城櫓と投石機が映った。歩兵部隊は正方形の陣形をつくり、左右前後に整然と並び前進してくる。盾を頭上に掲げて迫るそれは、練度の高さを見せつけた。さらに彼らによって埋め尽くされた大地に、高くそびえる塔のように攻城兵器が突き出しており、それらは牛や農耕馬に引かれ、ストラブールに迫る。


「投石機、八十!」


「くそ、多い!」


 ハザルは部下の報告に怒鳴り、すぐに伝令に指示を出す。


「石弓で投石機を狙え!」


 忙しく兵士達が動き、防御壁上に設置された巨大な弩に取りつく。人間ほどもある矢を数人で運び、装填し狙いをつける。固定された巨大な弩は、前方半円を狙えるように設計されていて、射程はおよそ五百フィル(五百メートル)。この場合の射程とは、威力を発揮できるという意味だ。


「準備できたものから撃て! 矢に気をつけろよ!」


 ハザルの怒声のほとんどは、アルメニア軍の矢によって遮られた。


 ドドドドドッと耳障りな音を発し、防御壁、矢避けの盾に突き刺さった大量の矢。

 

 防御壁上で倒れた兵士達が、仲間によって後方へと運ばれる。血で滑る石畳の上で、大公軍は喘ぎながらも石弓を放った。


 巨大な矢が幾本も同時に吐き出され、投石機を貫き、破壊した。今度はアルメニア軍から悲鳴があがる。石弓の矢は投石機を破壊しただけでなく、後方に控えていた兵士達を吹き飛ばし、血と内臓を周囲にばらまいたのだ。


 しかし、存在する投石機全てを破壊するには至らない。


 巨大な鉄の塊が、投石機から次々と投擲される。


「来たぞー! 落下場所をよく見ろよ!」


 大公軍士官達の叫びに、兵士達が気合いの声を返すも、アルメニア軍から大量の矢が放たれたことで、動くことはできなくなる。


 アルメニア正規軍は大量の長弓で、大公軍の動きを牽制しつつ、本命である攻城兵器での攻撃が最大限の効果を発揮するよう図ったのだ。


 数万本の矢が、死の豪雨となって大公軍に襲いかかった。そしてそれは彼らを確かに足止める。


 投石機から放たれた数十の鉄球が、ストラブールに襲いかかった。




-Féliwce & Emiri-




 アルメニア王国軍元帥、カミュル・トルキア・モリペレント公爵はエミールの報告に頷きながら、水を飲み床几にどかりと座った。黄金の甲冑は主人の感情を反映させたかの様に強く輝く。


「思ったより頑張っておるようですが、投石機と攻城櫓による攻撃が効いておるようでございます。反撃は弱まっておりまする」

「油断するなよ。大公軍といえば内戦を戦いぬいてきた兵士達が揃っている。士官達も粒揃いだ」


 部隊指揮官たる士官の優秀さはつまり、軍の強さを意味する。軍指揮官が優秀でも、各部隊の士官達が並以下では、結局その軍は並以下の力しか発揮できない。それをカミュルは分かっていた。


「徹底的に物量で押す。弱りきるまで近寄るなよ」


 グラン関での失敗を繰り返さないと心に誓ったカミュル。あの時、焦るばかりに兵達を無駄に死なせた。此度も同じ事を繰り返せば、死んだ兵達に申し訳がたたないではないか。


 忌々しい記憶が蘇り、舌打ちをしたカミュル。その彼と離れた場所で、グラン関でカミュルに苦汁を飲ませた男が怒鳴っていた。


 ドラグルである。彼は大公軍に身を寄せ、今もあの時と同じように兵達を叱咤しつつ、自らも弓矢で眼下のアルメニア軍を狙う。


「苦しい時こそ反撃せよ! 反撃せねば次々と攻撃されるぞ!」


 ヴラドの下で数多の戦いを経験した彼も、さすがに今回は苦しかった。が、理由も聞かず彼を許した大公の為に、自分が出来る事をすると決めたドラグル。主君を替えたことで、裏切り者と影口を叩かれている事も知っている。それでも彼は、戦う事をやめなかった。


「閣下! 軍務卿閣下から後退命令!」


 部下の声に頷いた時、アルメニア軍の投石機が一斉に鉄球を放った。


「くるぞー!」


 部下達に叫んだと同時に、防御壁にぶつかった鉄球によって彼の立つ場所が激しく揺れる。凄まじい振動に、これは崩れると判断した時には遅く、彼は部下ともども、防御壁の崩落に巻き込まれた。


 その様子を見たアリストロが、伝令に声を張り上げた。


「崩落個所に集まれ! 敵の侵入を許すな!」


 こうして、崩れた防御壁を乗り越え侵入を試みるアルメニア軍と、そうはさせまいとする大公軍の白兵戦が始まる。


 アリストロはまず、弩を並べ、敵の先頭部隊を薙ぎ払った。恐るべき速度で飛びだした矢は、瓦礫を乗り越え突進してくる敵兵達を一瞬で地に伏せ、絶叫を撒き散らす。


 頭部を欠損し絶命する兵士。死にきれず、血を吐きながら転がった自分の腕を拾う兵士。それらの仲間を踏み超えて、アルメニア軍が市街地に侵入しようと突入してきた。


「抜剣!」


 自らも白刃を煌めかせたアリストロを先頭に、大公軍が崩落した個所に突進する。迫る敵兵を叩き割ったアリストロは、瓦礫の下でうめく仲間の救出を部下達に命じる。


「アリストロ卿!」

「ドラグルか! 貴様、無事か!」

「生きてはおります!」


 叫んだドラグルは、すぐに苦痛を浮かべて血を吐く。素早く視線を動かしたアリストロは、瓦礫に挟まれた男の腹部が血に染まっているのを見た。


「動くな!」


 怒鳴りながら剣を一閃したアリストロ。彼は剣を払い、突き、また払いながら敵軍に突っ込み、左右に血しぶきを作る。敵から奪った剣を左手に、自らの剣を右手に持ったアリストロ。彼は返り血で染まった顔もそのままに、目をぎらつかせて剣を振るった。


 敵兵の脚を斬り裂き、倒れるその首を切断する。右方向から迫った男の顔に突きを食らわし、引き抜く時にはさらに一人を斬っていた。白いマントはすでに赤く濡れ、白刃は血で滑り切れなくなるも、それを棍棒代わりに振るい、部下を背後から襲おうとしていた敵兵の頭部を、冑ごと叩き割る。


 アリストロのいる限り、敵は突入できぬとドラグルが笑う。彼は兵士によって助け出され、後方へと運ばれながら叫んだ。


「アリストロ卿! 後退を!」


 確かにそれは鬼神となった男に届いた。


 アリストロは敵から奪った剣を一振りし、アルメニア軍士官を一刀で斬り捨てると、その剣を無造作に投げる。それは弓矢で彼を狙おうとしていた男の顔に突き刺さり、男はびくびくと痙攣しながら血を噴き出し倒れた。


 あまりの強さに、戦場にあってアリストロの周囲だけが鎮まる。


「貴様ら見逃してやる! そこを動くなよ!」


 実力に裏打ちされた一声に、アルメニア軍兵達は武器を構えたまま動かなくなる。


 アリストロは堂々と後退した。


 市街地に設置された防御陣地の一つで、彼が兄と合流した時、「やけに血生臭いな」と言われた。


アリストロは鼻を鳴らすと、興奮を鎮めるように息と言葉を吐きだした。


「雛相手にいくら戦ったところで誇れるものではないでしょう」


 盲目の兄が苦笑し、自らは見ることのできない市街地の地図を弟に見せる。


「準備がようやく終わった。敵を市街地に誘いこむ。指揮を執れ」


「よろしいので?」

「他に誰がいる?」


 兄の信頼に笑みを返した弟は、ようやく返り血で汚れた顔を拭った。




-Féliwce & Emiri-




「あれほど焦るなと言ったであろうが!」


 カミュルの怒りに将校達が震える。


 少数の大公軍に、甚大な被害を被った事実がカミュルの怒りを凄まじいものにした。崩落した防御壁を、許可なく乗り越えようとした一部の部隊がいたせいで、その周囲までも巻き込まれた。


「よいか。狭い場所で戦えば、兵の多さは関係なくなるのだぞ。それくらい言われんでも理解しろ」


 思えばこれまで、いちいち指示を出していた。そうせねば気がすまないカミュルはここで、それが却って士官や将校達の質を落としていたと気付く。


「これから市街地へと入るが、広いところで戦え。深追いはするな。敵は間違いなく、狭い場所を選んで襲ってくる。それに付き合っておっては、いくら兵がいても足りぬ!」


 将校達が目を見開く。


 カミュルが涙を流していたからだ。


「アルメニアが再び、強く偉大な姿を取り戻すには、おぬし達が誰ひとりとして欠けてはならぬのだ。それは兵達も同じである。不遜で狡猾な専横者を倒した後、我らにはこの国を正しい方向へと導く仕事があるのだ! ただ勝てば良いのではない。大事な兵を死なせるな!」


 一同が深く一礼し退いた後、本営で溜め息をついたカミュルは、ストラブール市街地の地図を眺めた。


「大通りを突っ切ればそのまま城だが、まあ、そうはうまくいくまい」


 涙を流していた事に気づき、手でそれを払いながら髪をかきあげる。


(俺はアルメニアにとって良いと判断したに過ぎぬ。フェリエス、悪く思うな……)


 彼はそれを言葉にする事はなかった。




-Féliwce & Emiri-




 ストラブール市街地での戦闘は熾烈を極めた。


 カミュルの予測した通り、大公軍は大きな通りを全て破壊し、掘をいくつも掘る事で直進を不可能にしていた。市街地を囲む防御壁を占領し、そこから大量の矢で射殺せと元帥は指示をだしたが、いざこれからという時に、大公軍によって防御壁が吹き飛ばされる。


 轟音と視界をさえぎる土煙の中で、アルメニア軍兵士達の叫び声が絶えず、カミュルは右手の指揮棒を噛み砕くと自身の右頬を拳で殴りつけた。


「すぐに救いだせ! 市街地への攻撃は休むな!」


 唇を切り、血を流すカミュルの声に、伝令達が馬に飛び乗る。


 アルメニア軍に痛撃を与えた罠は、クリスティンの策であった。彼女は対帝国戦で寡兵でありながら大軍相手に善戦した経験を持っており、敵にあえて陣地を取らせ、それを利用して打撃を与えるという発想に長けていた。


 カミュルにとって厄介だったのは、ストラブールの市街地の広さだ。投石機を市街地へと乗り入れさせるのは無理であり、外からでは攻撃が城まで届かない。かといって市街地にやみくもに攻城兵器で攻撃すれば、味方まで巻き込んでしまう。


 王国元帥は忌々しげに息を吐きだし、作戦卓を拳で叩く。その音の大きさに、控える従者達が目を見開いた。


 だが、苛立たしくしているのは彼だけでなかった。王国軍の攻撃に晒される大公軍の中にあって、市街地を囲む防御壁の破壊に最後まで反対していた男が、オレンジ色の髪を両手でガシガシとかき回した。


「これで五億フラムがパアだ」


 オーギュストが嘆き、ハザルが喉を鳴らして笑う。


 防御壁の総事業予算と、今回の破壊に使われた火薬などの購入費を口にした政務卿は、馴れない甲冑を弄りながら金髪の美女を見た。


「また作ればよいであろう……政務卿は本当にケチなお人じゃ」


 口を尖らせたクリスティンに、政務卿が苦笑する。


「しかしこれで、どの方向からでも敵が来るぞ。いよいよ正念場だ」


 五日間もの戦闘の末に、完全に市街地へと後退した大公軍。城を中心に最後まで戦う姿勢をみせるものの、状況はひっ迫していた。


「しかしカミュルめ。籠城戦を決断した我らを逆手に取るかのように力攻めしおって」


 オーギュストが愚痴を言う。おそらく、包囲したのち大公軍が干上がるのを待つものと政務卿は考えていた。というのも、力攻めでカミュルは一度、大失敗をしているからだ。グラン関である。


「甘かったな。確かに殿下が足元をすくわれたのも分かる」


 ハザルが腹部の包帯を撫でながら口を開き、部屋の隅にいるであろうエミリに向かって声をかけた。


「エミリ! ボルネアからの鳩には何と書いてあった?」


 手紙を食い入るように見ていたエミリは、顔をあげて一同を見た。その瞳は生命力に溢れていて、これまでの彼女とは別人であるかの様な印象を受ける。


「あの場所で、フェリエスの服と赤いローブだけが落ちてたって。ボルネアさんの部下が回収してカミュルにばれないようにしていたんだって!」


 彼女はようやく立ち上がると、輝きを発したかのように笑った。


「ボルネアさんの部下も、連絡を断たれた状態で、ようやく報告できたんだって! フェリエス、きっと生きてる! 赤いローブって間違いなくレニンさんだもん! レニンさんが、助けれてくれたんだよ!」


 エミリは知っている。


 レニンは転送魔法を使える事を。それは方陣のあるところにしか転送されない事を。そして、身体は転送できるが、身につけている衣服までは転送されない事を。


 フェリエスは、レニンによってどこかに転送された。そこで生きている。何らかの理由で動けないのだ。


 これまでの理由と違い、喜びの表情ながら泣き始めたエミリ。


 えぐえぐと泣く彼女に、クリスティンがすり寄りその肩を抱くと、優しく黒い髪を撫でる。そして、そうしながら金髪の美女も涙を流していた。


 女二人が泣きながら抱き合うのを見て、アリストロが涙腺を緩ませる。その彼の耳に、オーギュストの冷静な声が飛び込んだ。


「おい、殿下がご無事でも、俺達が無事でないと意味がない。泣いてる暇があったら、さっさと敵をやっつけてくれ」


 政務卿は、三人の怒声に部屋を飛び出し逃亡した。




-Alfred Shyster-





 僕はその連絡を大学の研究室で受けた。


「教授、とっても可愛らしい声の女性からお電話ですよ」


 ユイ君が保留ボタンを力強く押すのを見て、肩をすくめた僕。


 もしかしてこれは嫉妬なのか? と希望的推測をしながら受話器を取り名乗ると、電話の相手はエミリ様だった。もちろん、いくら電話であろうとも、千年前の人からは通じない。現在のエミリ様だ。


「教授……これから、当家にお越し下さいませんか?」


 らしくないほどに弱々しい声。


 僕は困惑しながらも言葉を紡ぐ。


「お招き光栄ですが、今日は資料作成、明日と明後日は大事な会議と、魔導士認定最終試験の試験官の仕事が入っておりまして……何か急用ですか?」


 エミリ様は電話の向こうで沈黙した。


 僕は彼女の言葉を待とうと思ったが、ユイ君の厳しい視線を受けて、さっさと断り電話を終えようと判断する。


『仕事しろよ、てめえ』


こう言っているのではないかというほどに厳しい助手の目。もちろん、ユイ君はこんな乱暴な言葉使いはしない女性だ。だが、声として発せられない胸の内の言葉遣いまでは僕にもわからない。ここはこれ以上、電話を引きのばすべきではないと思い、断りを入れようとした僕の耳に、エミリ様の小さな、とても小さな声が飛び込んだ。


 僕は思わず立ち上がり、答えていた。


「すぐに伺います」


 電話を終えて、仕事もせずに帰り仕度を始める僕を、我慢の限界に達したユイ君が睨み立ち上がる。


 念の為に言っておくが、僕は仕事はやっている。期日に遅れたことはない。いや、講義には遅れた事はある。が、あまりにもふらふらとしている印象を他人は受けるらしく、そして女性と遊んでばかりいると思われているせいで、彼女には仕事をしていない男という認定を受けているのです。悲しい……。


 だが、今はそれどころではない。


「悪いが抗議や文句は帰って聞く。僕はすぐ出ないといけない」


 毅然と言った僕。


 次の瞬間、頬に平手を喰らっていた。


「最低! 仕事もしないで女の子と遊び回って! もうこんなとこ辞めてやる!」


 ユイ君がキレた。


 ユイ君を取るか、エミリ様を取るか。


 いや、迷っている場合ではない。


 僕は研究室から飛び出したユイ君を無視して、急ぎの仕事に必要な書類をかき集め鞄に押しこむと、コートを羽織った。研究室から飛び出し、廊下を走りだした瞬間、思い出し駆け戻ると研究室に鍵をかける。


 大学の敷地内を疾走しながら、同じ敷地内にある総務部に電話をかけ、「当分、休講!」と叫んだ僕は、背後に視線を感じ振り返った。


 ユイ君が僕を見つめていた。


「急ぐんだ!」


 僕は、大切な依頼主の最期を看取る責任があるのだ!


 捕まえたタクシーに飛び乗り、クレルモンフェラン駅だと告げた僕は、祈るように瞼を閉じた。


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