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8

 モリペレント公爵討伐は最終局面を迎えていた。


 王国元帥カミュル・ラング・アルメニアは、北の脅威であるコーレイト、トラスベリアの二国に対し搦め手を用いて撤退に追い込んだ。これは本国で政変を起こさせたのだ。コーレイトは国王が暗殺され跡目争いが勃発。トラスベリアは選帝侯達が再び、争いはじめた。内乱の根本的な原因を解決しないままの和解はやはり脆かった。コーレイト王国に至っては民族間の対立、トラスベリア王国においては選帝侯同士の対立がこれである。が、籠絡候補を見定め、適切な条件で味方につけるといった手腕は見事だと言って過言ではないだろう。


 こうして、一部の兵力を北部国境に残し、ほぼ全軍を率い南東へと軍を向けたカミュル。フェリエスをして「戦わずして勝つ事に関して、俺より上だ」と言わしめる。その彼の率いるアルメニア王国軍三万と、ストラブールからワラキア経由でモリペレント公領へと侵入した大公軍五万は、何より合流を優先させ、八万という大軍となりモリペレント公爵の居城を目指した。この時の大公軍は、直属軍と東部諸侯の兵だけでなく、ロゼニア兵までも動員されている。


 その軍中にあって、王国元帥と宰相は数年ぶりに顔を合わせた。


「ふふふ、皮肉なものだな、叔父上」

「皮肉?」

「俺達が共に軍を進めるなど、誰が想像した?」


 馬上で言葉を交わす二人の背後で、朱色の甲冑を着こなしたエミリが、ハザルにそっと顔を寄せる。


「あんた、メリルさんの出産に立ち会わなかったってどういうつもり?」

「し……仕事だ」

「はん! 仕事、仕事って……。甲斐性ない男ほど仕事を理由にするって知ってた?」

「う……うるさい。俺はだな、ずっとワラキアで戦っておったのだ」

「やめろ、二人とも」


 フェリエスに注意され、矛を収めたエミリだったが視線は射るように冷たく軍務卿を捉える。それから逃れるように、隻眼の男が馬を早めた。


「あいかわらず、楽しげなお仲間だな、叔父上」

「褒め言葉として受け取ろう。で、当初の打ち合わせ通り、俺が敵の本隊を引き受けるゆえ、公爵の本拠地を攻めてもらって良いな?」


 カミュルは楽しげに笑った。


「かまわぬさ。では別行動を取るまでに話したい事を終わらせておくとしようか」


 合流を急いだのは、この為だ。


 元帥は背後に控えるエミールから水筒を受け取り、喉の渇きを癒すと前方を眺める。空と大地が一体化した広大な草原は、美しい風景画を見るようで、フェリエスも自然と甥と同じ方向を見つめていた。


「この国の王は俺こそ相応しい」


 フェリエスは金色の髪を風に撫でさせながら、平然と頷いてみせた。目を細めた甥の視線をその横顔で受けた大公は、沈黙の後に口を開く。


「であろうな。だが、それは俺が許さぬ」


 フェリエスが青い瞳を動かしカミュルを見つめる。甥は吸い込まれるように叔父から視線を逸らせない。


「思えば、あの道楽息子と、お前の間で王位継承争いが起きた時、お前を支持しておけば良かったよ。後悔すらしている。お前であれば、強いアルメニアをこうまで貶める事は無かっただろう」


 カミュルは苦笑した。そして何事か言おうとしたが、フェリエスに先を取られる。


「まあ、聞け。お前は確かに偉大な王になっていたかもしれぬ。いや、歴代の王達の中でも、お前ほどの才覚を持った王はいなかったであろう。だが、今は違うのだ。お前は転換期に王となる人物ではない。お前は安定した時代において、その力を発揮する王だ」


 フェリエスは髪をかき上げ「エミリ、帰ったら切ってくれ。邪魔だ」とおどける。二人の背後で大公妃が「はい」とだけ答えた。


「フェリエス……叔父上殿……」


 彼は呆れたように笑い、言葉を続ける。


「ではあの子らが相応しいと?」


 カミュルは二人の王子を脳裏に描く。確かに将来性など分からないが、彼らのどちらかが王に転換期の王だと言われたところで、納得できるはずもなかった。当然、フェリエスがそれに相応しいと自分で言うなら、それは論外である。


「いや、この国に今、王に相応しい人物はおらんな……だが、飾りにはなれる」


 カミュルが喉を鳴らして笑った。


「貴様……宰相に居座り国を動かす気か?」

「違う。俺はモリペレント公爵を倒しフォンテルンブローを復興させた後、宰相職を辞す」


 二人の背後で、エミールが思わず声をあげていた。


「だが、その前に俺は王の権限を弱める。議会を復活させ、貴族共は一部を除いて潰す」


 カミュルは自分でも驚くほどに冷静だった。


 なるほど、悪くないと優秀な彼の頭脳が叔父の考えに同意を示す。


 これから国を立て直すにあたり、アルメニアは非常に苦しい時代を乗り越えなければならない。その先頭に立つには、批判に晒されても突き進む覚悟が必要だ。叔父は貴族の多くを潰すといったが、それは特権階級の者達が溜めこんでいる財貨を、復興資金に回す狙いがあるのだろう。つまり、そうせねばならぬほどに、国庫はまずい状態なのだ。臨時国王府の宰相となったフェリエスには、そう判断するだけの材料が集まったのだ。であるなら、ここは貧乏くじを望んで引く手はない。大公が苦労し、国民達が努力する中で、王家は王家として存続する。時には主導し、時には補佐し、数百年、数千年とアルメニアが存続する限り、血を継いでいく。


「ふむ、で、俺はその時、どういう働きを求められているのかな? 叔父上の言っている事は立憲君主制だ。そこに俺の役割はあるのか?」


 フェリエスは凄みのある笑みを浮かべ、それはカミュルだけでなくエミリでさえも息を飲んだ。


「俺もお前も用無しだ。お前は飾りだけの国王を補佐する王宮庁長官あたりがよかろう。俺は隠居しエミリと子供……家族だけで暮らす。うらやましいだろ?」

「認めぬ!」


 カミュルは怒鳴っていた。


「ならば戦うか? 今、俺と離れれば、お前の名声は地に落ちる。歴史にも悪名を残すだろうよ。もっと言えば、糧食を俺に頼っているお前が、俺に勝てるわけがなかろう」


 フェリエスはただただ笑うばかりだった。




-Féliwce & Emiri-




 その日の夜、野営地において大公夫妻の天幕にカミュルの幕僚が訪れた。


「殿下、確かに現在、殿下は宰相となり国内最大の勢力でございますが、カミュル殿下の助けなく、モリペレント公爵と戦うは悪戯に兵を苦しめるだけでございましょう。ここは何とぞ、昼間の言を撤回してくださいませ」


 エミールが平伏し口上を述べると、フェリエスはエミリに書類の束を手渡し、彼に向き直った。


「ふむ……では甥は何を望む? 王などとは申すなよ」


「ここに絵を預かって参りました」


 エミールの差し出した書簡を受け取ったフェリエスが、エミリを呼び寄せ広げる。それを見て、大公妃が微笑み夫の肩を揉んだ。


「よかろう。本家を支える分家として、ベロア、トルキア、ベルグストの三家を残す。トルキア家令嬢とカミュルの婚姻を認め、トルキア家当主に甥がなる事を認めよう。ベルグスト家は、弟殿下に継いで頂こう」


 ヨハン王子の弟、ロベール王子がラング家からベルグスト家へと入る事が決まったのだ。これで、ヨハン王子が十二歳になったと同時に王太子となり、成人の後、王となる事が決まった。


「アラゴラ公爵にも配慮をとカミュル殿下は申されております。そちらのほうは如何なりますでしょうか?」


 大公は、妃に肩を揉まれ心地良さげに息を吐き出すばかりで返答をしない。その沈黙がエミールには長く感じられた。自然と視線は彷徨い、それはエミリで止まった。


 彼は思う。この妃の変わり様はどうであろうか。男色であるエミールから見ても、艶のある美しさを湛える今の大公妃と、甲冑を着込んだ昼間の彼女が、同一人物とは思えなかった。


「配慮はしよう。だが、その配慮にアラゴラ公の欲が収まればよいがな。カミュルも忙しい身だ。人の事を心配する余裕はないはずであろう。もう下がってよいぞ。帰って奴を慰めてやれ」


 エミールの桃のような頬がたちまち火照り、大公夫妻に視線を合わせぬようにして天幕から出て行く。


「どういう事?」


 エミリの問いに、フェリエスが笑う。そして愛しい女性を抱き寄せると、寝台の上へと押し倒す。


「つまり、こういう事だ。エミールはカミュルの恋人なのさ」


 妃が目を大きく見開くも、フェリエスに口づけをされゆっくりと閉じた。黒い艶のある髪を撫でながら、彼女の衣服を剥ぎ取る大公。その耳に、エミリの甘えた声が届く。


 が、


「殿下! 使者でございます! モリペレント公爵から使者が参っておりまする!」


 フェリエスは跳ね起き、振り返ると凄まじい形相を浮かべた。


「ハザル! 邪魔ばかりしおって! お前の欠点は気が利かぬ事だと知れ!」


 怒り狂う彼の下で、エミリが呆れたように笑っていた。




-Féliwce & Emiri-




 モリペレント公爵からの和睦申し入れを一蹴したフェリエス。


「己の野心に従い、混乱を大きくしたくせに、今さらどの口が言うか」


 使者が平伏したまま、異議を唱えるも


「モリペレント公に伝えよ。処刑か戦死か選ばせてやると!」


 こうして、モリペレント公爵軍は大公軍の前に姿を現す事となった。この時、カミュルは国軍を率い、戦場から離脱し敵の本拠地を陥とすべく別行動をとっている。


 戦闘はあっけなく終わった。


 それは、戦うまでもなくモリペレント公爵軍の兵士達が逃亡を始めたからだ。すでに大勢は決しており、主君の自尊心や保身の為に戦おうとする一般兵士は存在しなかったのだ。フェリエスはそれらに罪を許すゆえ従えと宣言しつつ、あくまでもモリペレント公爵に追従する者達には容赦なかった。


 ヴラドは、数百の騎兵を率い逃亡したが、逃げる先など国内にはなく、かといって国外に出ても頼るべき相手がおらず、とりあえず戦場から離れる事を第一として馬を疾走させている。しかし、向かう先々にはモリペレント公爵軍の逃走兵がたむろしていて、彼らは帰順の土産に偉丈夫の首を狙うという暴挙に出た。それは誰かが扇動したものではなく、逃亡兵達から自然とわき上がったもので、これはヴラドの風聞の悪さがそう仕向けているのだ。


 ヴラドはだが、彼らを相手に時間を浪費する事を嫌った。しかし、追う側は必死である。こうして味方同士であった者達の壮絶な戦闘が開始された。


 ヴラドは馬上から魔法による攻撃を群れる逃亡兵へと叩きこむ。無秩序に向かって来る逃亡兵達はもともと士気が高くない。偉丈夫の魔法を目の当たりにした彼らは、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うが、それがかえってヴラドの行く手を阻む。


 結果、彼はエミリに捕捉された。


 騎兵を引きつれたエミリは、馬上からの弩による一斉射撃を行う。それは命中するしないではなく、あくまでもヴラドの足を止める為に行われたもので、偉丈夫はまんまと進行方向を転じさせられる。速度が落ちたと感じた時には、ヴラドの騎兵は大公軍騎兵連隊に横合いからの突撃を受けていた。


「小娘!」


 憤怒の偉丈夫が抜剣し、迫る大公軍騎兵を斬り伏せた時、朱色の甲冑が目立つ大公妃が白刃を煌めかせていた。


 ヴラドは瞬時に判断する。


 生意気な小娘を人質に取り、国外に逃亡する。宰相であり大公の妃を伴ってともなれば、受け入れ先は引く手数多だ。


「小娘! 仮面の男は泣いて許しを乞うておったぞ!」


 嘘である。が、獲物をこれでおびき寄せられると確信したヴラド。そしてやはり、朱色の甲冑を着込んだ大公妃が彼へと加速していた。


 わざと剣を大袈裟に構えて見せたヴラド。本命は左手に作り出した魔法の炎だった。


 だが、エミリに集中していた彼の耳に、部下達の悲鳴が飛び込む。


「何だ!?」

「前方からも騎兵!」


 ハザルによって指揮された混成大隊が、エミリの連隊を囮に使い、逃げ惑うモリペレント公爵軍を壁にする事で、ヴラド騎兵の前方に湧いたように現れた。動揺で、偉丈夫は発動させていた魔法を失い、舌打ちが自然と生じた。


 隻眼の武将は馬上で長剣を血に濡らし、ヴラドに突進する。偉丈夫は瞬時に、敵の軍務卿を先に葬るべきだと判断した。


「死ね! ジェロームの仇!」

「お前などには用がない!」


 偉丈夫と隻眼の武人が激しく刃をぶつからせる。一合、二合と斬り合い、防ぎ合う二人。その強さはほぼ互角であったが、形勢は一気にヴラドへと傾く。偉丈夫が魔法による光を瞬間的に発生させたからだ。


「!」


 ハザルは視力を失う。


「くたばれ!」


 ヴラドの大剣が唸りをあげた時、彼は身体から力が抜けるのを感じた。


「お前が死ね」


 偉丈夫の耳に、穏やかな女性の声が届いた。


 右腕から剣を落としたヴラドの目は、胸から生えたように現れた刃先を捉えた。それは、持ち主の感情に感化され、赤く光った。


「こ……小娘」


 誰にやられたのか彼には見えない。が、赤い輝きを発する剣は、間違いなく大公妃の剣であると分かったヴラド。背後からの攻撃に、卑怯だと非難する事はしなかった。無駄だからである。


 アレクシの遺品が偉丈夫の身体から引き抜かれたと同時に、ヴラドは馬から滑り落ちた。溢れ出る血が手と声を濡らす。


「く……くそ。とどめを刺せ」


 エミリは、視力を失ったハザルに寄りそいながら、視線だけをヴラドへと向けた。薄く紅の塗られた唇が、機械的に動く。


「お前が欲望の為に殺した人達に懺悔しながら死ね」


 ヴラドは、屈辱と息苦しさに顔を歪め、血を吐き喚いた。


「刃向かう者には容赦するな!」


 瞼を閉じたままのハザルが声を張り上げ、大公軍兵士達が気合いの声でそれに応えた。


 ヴラドはゆっくりと暗転する視界の中で、なぜか母の顔を脳裏に描いていた。


「母上、俺は産まれてきてはいけなかったのですか?」


 薄れる意識の中で問いかけるも、彼の母は嘲笑を浮かべるばかりであった。




-Alfred Shyster-




「では、アルフレッド卿は軍の在り方に疑問をお持ちという事か?」


 東部方面参謀次官が憤るも、東部方面陸軍幕僚長がそれを制する。


「まあ、待て。シェスター教授のお話をまずは伺おうではないか」


 僕は出たくもないアルメニア王国東部方面軍本部の定例幹部会議に出席している。こういうアルバイトもせねばならない魔導士というのは、なんとも自由の利かない存在ではないか。いや、人から見たら好き勝手にやっているように見られるだろうが、これでも一日の十二時間程は、何かしらの仕事をしているのだ。


「これからの戦争は陸軍、海軍、空軍と分けて考えるものではなりませぬ。有効な打撃力を素早く攻撃拠点に運び、先制攻撃を同時多発的に行う。つまり、軍を展開して拠点を順に制圧していくというのは、時代遅れとなるでしょう」


 東部軍団司令官、秘書官、艦隊司令官、基地司令官などなど、お偉いさんが胡散臭そうに僕を睨む。


「素早く部隊を運ぶ事において、海軍と空軍は協力し合うべきですし、陸軍は彼らの手を借りねばなりません。また、海軍と空軍は陸軍がなければ拠点を制圧できませぬ。すなわち、これからは三軍を個別に動かすのではなく、統一された指揮系統の下で運用されるべきだと申し上げているのです」


 僕は毅然と言い放った。


 会議を終え、東部軍団司令部のビルを出た僕は、携帯電話の着信履歴を見る。ユイ君から五件の着信。それも五分間隔……。


 胸をときめかせ電話をかける。


「教授、来週出張のホテル、取られてないようですが、どうなされるおつもりですか? お忘れでしたのなら、お取りしますけど?」


 くそ! 仕事かよ!


「ああ、お願い。あ、セザール・ストラブールはやめて……」


 あの記憶が蘇る。徹夜で講演を乗り切った時は、さすがの僕も神に感謝した。二度と、失敗は繰り返してはいけない。いつも使うからという理由で部屋を取ってはいけないのだ!


「では、ファルファン・デ・ベルーズドホテルで取りますね」


 彼女が僕のホテルを予約する時、高級ホテルのみを物色するのは、宿泊客にだけ用意される次回予約時の割引券目当て……。


 誰と泊まるつもりだ!?


 通話の終了した携帯電話を見つめて、湧き出た疑問に苛立つ。


 聞く勇気のない情けない男だ、僕は……。


 しかし、ストラブールに何をしに行くか、あれこれと聞かれなくて助かった。なにせ、今度のストラブール訪問は、完全にプライベートなのだが出張と嘘をついているのだ。


 遊びで行くのではない。ベロア家の孫娘の誕生日会に出席する為だ。だがそれは、口が裂けても言えないのだ。今はまだ……。


 誕生日会の終了後、僕は調査報告を公爵夫人にする予定だ。


 エミリさんとフェリエス大公の事、ベロア家の事……。


 僕が調べた限りでは、二人は幸せではなかった。いや、これは僕の主観だ。僕にとっての幸せが、彼らにとっての幸せと同一のものではないかもしれない。だが、最悪では無かったという点において、僕は二人と価値観を共有できると思う。


 しかし、僕は後世に悪名を残すフェリエス大公の真実の姿を知る事ができて嬉しい。これまでずっと不思議であった彼の豹変の原因は、まさにエミリさんだったのだから。彼は、妻をとても大切にしたのだ。そして二人の子供も。だからこそ、僕の興味は残された二人の子供にまで及ぶ。どうやら彼らは、フェリエスとエミリさんの子供であるが為に、歴史の表舞台に出ることのない試練を乗り越えたようなのだ。そのあたりの事は、公爵夫人にお願いをして調査をさせて頂こうと思う。


 それにしても辟易することがある。


 数十冊に及ぶ書物を読みあさったせいで、瞼を閉じれば文字、文字、文字だ。古アルメニア語がずらずらと現れる。


 二人の考察へと戻ろう。


 結局、アルメニア継承戦役を引き起こしたとか、大公を殺したとか、そういうものは大袈裟に言われていたに過ぎない。ではどうして、彼女はそういう罪を黙って引き受けたのか。


 そうなのだ、彼女はそれを望んで引き受けたとしか思えないのだ。


 僕は答えを知っている。でも、確証はない。


「フェリエスの事が好きなんだもん! 彼のためならなんでもしちゃう!」


こうエミリさんが思っていたからと説明しても、誰も信じてくれないだろ?  僕だって信じない。一人の男性の為に、ここまでできる女性なんているわけがないと思う。でも、彼女はそうしたのだ。


 ああ、僕もユイくんから「アレフ、あなたの為なら何だってできるわ」なんて言われてみたいね!


 司令部ビルから近くの駅まで歩く。商業地区の中を走る幹線道路は車の往来が激しく、横断歩道の信号はずっと赤だ。自然と人がたまる。


 携帯電話が鳴った。


 僕はユイくんからホテルの予約が取れた報せだと思った。


「アレフ、元気?」


 ……ヴィクトリアか。


「ねえ、新しい携帯を買いなよぉ。メール交換しようよ。SNSしようよぅ」


 したくないから買ってないんだよ。だいたい、電話ごときに支配される生活を望むのか? 冗談じゃない。


ユイくんが携帯電話を持つなら、考えるけど……。


「暇でしょ? きっと暇だわ。ご飯に行こう? その後は……ね?」


 僕は携帯電話の終話ボタンを押した。


 女難だ……いや、これも全て自分の意思の弱さだ。


 信号が青になり、顔をあげて歩きだそうとした僕は、反対側の歩道で手を振っているヴィクトリアを見てしまった。彼女は僕を見つけたから電話をしてきたのだ……。


 彼女は走り出し、人目も気にせず僕に抱きつく。


「ヒュー。昼間から熱いね」


「ご馳走様」


 通行人達の冷やかしに、固い笑みを返す僕。


 試練は乗り越える為にあるのだ!


 そして僕は、乗り越えてみせる! 


 そうだ、エミリさんを見習うのだ。彼女は手痛い敗北を乗り越えヴラドを追い返したし、モリペレント公爵討伐時には、先頭に立ってヴラド軍を蹴散らした。彼女の勇敢さ、高潔さ、直向きさから学ぶべきところはたくさんあるだろ、アレフ。しっかりしろ!


「ふふ、考え事をしてるアレフってとっても素敵」


 ヴィクトリアの豊かな胸が、僕の腕に押し当てられた。


 ……僕は……乗り越える。きっと……たぶん……。




-Féliwce & Emiri-




 モリペレント公爵の降伏を受諾したフェリエスは、眼前に引き立てられた大貴族を冷たい視線で射る。髪は乱れ、汗と埃で汚れたモリペレント公は苦しげに喘ぎ、手枷と足枷の痛みを訴えたがあっさりとそれを無視した大公。


「家族の命は助けてくれ」


 モリペレント公が大公にすがるも、無表情を通した宰相に怯んだ。丸くなった、穏やかになったと言われてはいるが、フェリエスは基本、厳しい人間であり情に流されない判断をする男である。それを今さらの如く、思いだした幕僚一同と東部諸侯達。そして彼の妃もまた同様であった。


「貴様の私欲でどれほどの貴重な人命が失われたか分かっておらぬようだな。一族郎党に至るまで、その罪から逃れる事など不可能だ。あの世で死んだ者達に詫びるがよい」


 青い瞳が冷徹に輝く。それは、激情に支配された大公に怯まず意見を言うエミリさえ、たじろがせるには十分だった。


 肩を震わせていたモリペレント公爵が、沈黙の後に逆上した。


「貴様! 下賤な者の子でありながら王の子かもしれぬというだけで威張りくさりおって! 母も母なら子も子であるわ!」


 フェリエスの瞳が危険な色に染まり、周囲の制止が間に合わなければ、大公は自ら、捕縛された大貴族を斬り捨てていたかもしれない。


「はん! かように反応するは思うところがあるのだろう! だいたい、あの女が王の側目となってからお前を宿すに早すぎると思うたのだ! 当時の事を知る者達がここにも他におろう! 何を遠慮する事がある! 王族の権利すらない男に、そこまで尽くす道理はないはずだ!」


 言葉が鋭い刃物となってフェリエスの胸をえぐる。だが、それは同時に、モリペレント公爵の命までも奪おうとしていた。彼は己の発言で、自らの首を締めつつあったのだ。


「他の者が上に立つならまだしも、貴様のような小汚い女の血を引く者に誰が従うか! だから俺はあくまでもお前と戦ったのだ! 俺が抗ったから犠牲が増えた? 馬鹿な事を申すな! お前などが図々しく宰相気どりで踏ん反り返っておるからだ、愚か者め!」


「よくわかった!」


 さらに言葉を続けようとしたモリペレント公を、一喝し黙らせたフェリエスは周囲の者達に目配せをし、「案ずるな」と声を発した。夫の手を握りしめていた妃に笑みを浮かべた後、彼は正面から血統主義で凝り固まった王国貴族の代弁者たる男を見つめる。


「お前の言は全く正しい。俺は所詮、父かもしれぬ男に認知されただけの存在であるのはお前の言う通りだ。が、だからといってお前と家族が許されるわけではない」


 大公の声色が穏やかであるからこそ、内に込められた怒りの凄まじさを知ったモリペレント公爵。自分を見下ろす秀麗な顔が、何一つとして感情を露わにしていない事に恐れおののくも、吐き出した言葉はもう飲み込む事はできない。


「モリペレント公。おまえのその主張は正しい……。だからこそ俺は努力する。血統にあぐらをかき、民に従属を強いるだけのお前達の正当性を奪う為に俺は努力するのだ。それが分からぬか?」


 大公は嘲笑し、身を翻した。


 それは処刑の決定を幕僚達に伝える事となる。一同が茫然と佇むなかで、エミリが夫の後を追う。彼女は夫の天幕に駆け込むと、背後からフェリエスに抱きついた。


「駄目だ。エミリがなんと言おうとも、処刑は覆らぬ。上に立つ者がどうして上に立てるか、それは責任を取る為だ。血統などではない。事がここに至り、公爵は責任を取るべきなのだ」

「フェリエス……でも家族にまで責が及ぶというのはおかしい」


 愛しい女性の声に、金色の髪を揺らして振り返ったフェリエス。彼はその女性の黒い瞳が発する輝きに見惚れた。


「助けろと?」

「フェリエス、あなたがモリペレント公爵の家族まで処刑するのは、自分におきかえて考えているからじゃないの?」


 図星であった。


 フェリエスは将来に禍根を残すまいと考えていた。それは、ラング家によって殺された母の仇を取る為、復讐のみを生きがいとしていた若かった自分を誰よりも知っているからだ。モリペレント公爵を処刑しながらも、その家族を助ければ、彼はモリペレント公爵一族の中に、過去の自分を生みだす事になると考えた。そしてそれは、フェリエスの為だけでなく、彼の家族の為によくないと判断したのだ。


「そこまで分かっているなら話は早い。エミリ、俺はお前や子供の安全を守る為にも、奴の一族を生かしておくわけにはいかん」

「ちがう!」


 エミリが激しく首を振る。黒い髪が、大公の手を払うように暴れた。


「違うよフェリエス。それは違う。フェリエスのその気持ちは、私達にとって嬉しくもなんともない。あなたのする事は、あなたが自分の為に家族を言い分けにしているに過ぎないよ」


 妃の言葉に、フェリエスは無言だった。ただ、寝台に腰をかけ、彼女の美しい黒髪を撫でる。


「あなたは、過去の自分を見るのが嫌なの。過去の、憎しみと復讐のみを生きがいとしていた不細工な自分が、いつか自分の前に現れるのが嫌なの」


 エミリを膝の上に乗せた大公は、天幕の外から処刑日時の指示を求める軍務卿に怒鳴り黙らせる。


「酷い言われ様だな……だが、そうかもしれない」


 フェリエスは苦笑した。それは、エミリに言われてやはりそうかと思ってのものだった。


「あなたはお母様を殺したラング家と同じ過ちをするの? まだ起きてもいない事を恐れて、殺すの?」


 妃の言葉は、まっすぐに大公を貫いた。彼は目を見開き、彼女を見ているようで実は違うものをその目に映していた。


 自分の前から、母親を連れ去る男達の嘲笑。


 俺は先ほど、モリペレント公爵に対し、同じ顔をしていなかったか?


 フェリエスは、じっと動かない。エミリに髪を撫でられるに任せ、瞼を閉じたまま動かなかった。




-Féliwce & Emiri-




 モリペレント公爵は一族と共にフェリエスの監視下で禁固刑に処されるに留まった。命拾いした大貴族はしかし、感謝するどころか憎しみを募らせる。


 フェリエスはやはり、彼らを殺すべきであったのだろうか。


 歴史にもしもは存在しない。もしも、モリペレント公爵一族を大公が殺していたならと考えるのは自由だ。


 もしもフェリエスがエミリと出会っていなければ。


 もしもフェリエスがベルーズド公爵になっていなければ。


 もしも、フェリエスの両親が出会っていなければ。


 もしもは尽きないが、もしもの歴史は存在しない。だから歴史と言えるのかもしれない。




-Féliwce & Emiri-




 アルメニア王国歴三五〇年、秋。


 ヨハン・ラング・アルメニアはフォンテルンブローに入った。


 急速に復旧が進む王都の中にあって、壮大な王宮の再建もまた、異常な速度で進む。とりあえず王の生活空間のみが完成したのをもって、王子と母親がそこに移り、フェリエスとカミュルもそれに付き従った。


 多くの建造物が焼け落ちた王都。だが、かえって好都合だとレニンさんは私に話す。


「区画整理が思いのままに出来ます。で、これでいかがでしょうか?」


 フェリエス、カミュル、そして私の前に、レニンさんとオーギュストさんが作成した復興計画図が広がる。それは商業区、工業区、住宅区、行政区が見事に調和されたもので、さらに地下図面を見て目を丸くした。


「上下水道は全て地中に埋めまする。こうすることで衛生面は格段に向上するでしょう。水道管の原材料も様々な鉱物を調合し人体に影響なく、なおかつ長持ちする素材で作ります。だいたいは出来あがっております」


 レニンさんの説明にカミュルが口を挟んだ。


「王都全てに施行するのか? 金がいくらあっても足らんぞ」

「案ずるな。金は貴族どもに出させる」


 目を細めた王国元帥に、艶やかに笑う宰相。彼は笑みを消し、視線を政務卿へと転じた。


「オーギュスト、東部諸侯と一部の貴族を除き、全て潰せばどれほどの金が集められる?」


 オレンジ頭が書類の束から、数枚をひっぱり出す。


「ええと……ざっと千二百億フラムといったところでございましょう」


 カミュルが口をへの字に曲げると、その書類を覗きこんだ。


「しかし、王都再建でそれは飛んでしまうぞ。貴様らの計画通りにすれば、王都だけで千億はかかる……」

「カミュル。金は結局、回るものだ。公費が民へと落ち、また税金となって返ってくるからこそ、王都復興は最優先なのだ。復興景気で落ち込んでいた経済も持ち直すだろう。雇用も増える。浪費ではないのだ」


 フェリエスの言葉に、カミュルはしばらく考え込むも大きく頷いた。


「わかった。確かに大陸公道の一大拠点でもあるフォンテルンブローが今のままでは、交易からの収入も見込めぬ。どうせなら派手に使え。ああ、それと俺からも提案がある」


 一同が何事かと訝しむなか、カミュルは目を丸くした。


「おい、私欲で言うのではない。そんな目をするな」


 フェリエスが苦笑し、私はほっと肩を撫で下ろした。


「王都周辺の山脈だがな……邪魔だ。トンネルを掘り、東西南北へと迂回せずに街道を伸ばすべきだ」


 グラン関攻略で手間取った彼らしい、逆転の発想だった。


「確かに防衛の観点からすれば今のままが良いかもしれぬ。しかしだな、攻めてみて初めて分かったが、王国西部から王都に行くには大きく迂回せねばならん。ブリステン、フランドルなどの西部が、他国との流通を盛んとするのはこの辺りに原因があるとみた」


 オーギュストさんが地図に何やら慌ただしく書きこんでいる。


「カミュルの言う通りだ。二人とも、王都の設計を今の言を踏まえて再度、やり直してくれ」


 二人が一礼した。と、顔をあげたオレンジ頭が私をじっと見つめる。


「何?」


 彼は私を無視して、大公殿下を見る。


「殿下、エミリ様をお借り致します」


 オレンジ頭が言うやいなや、レニンさんに手を掴まれる私。


 こ……これは間違いなく徹夜作業を手伝わされる!


 いやだ! いーやーだー! 今夜はフェリエスとイチャイチャしたいんだ! だって、ずっと忙しかったんだよ? もう少し経てば、ストラブールから後宮の側室達御一行までやって来るんだよ? 


 暴れる私に青い瞳が揺れた。


 それは、気の毒そうに私に向けられていた。


「いーやーだー! 絶対に嫌だー!」


 叫んだ私だったが、レニンさんに羽交い締めにされ部屋の外へと連れだされる……。女のくせにすげぇ力……勝てない!


「エミリ様、逃がしませぬ。終わり次第、解放致しますゆえ」


 レニンさんの血も涙もない言葉……。


 私は拉致監禁されて三日目の朝、ようやく解放された。徹夜の嵐を乗り越えて、ひどい顔を晒して寝室に入る。服を脱ぎ散らかし、お行儀悪く風呂に向かう。


 死ぬ……腹も減った……。ろくに食べれてない。いや、眠い。なにより今は眠い。


 ゾンビのように風呂から出た私は、食事を自ら運んでくれたフェリエスと目が合う……。


「エ……エミリ」


 固まる私。なぜなら、すっぽんぽんなのだよ!


 彼は微笑むと照れたように視線を逸らす。


「襲いかかりそうだから服を着ろ」


 うわーん! おっぱいが成長してないところを明るいところで見られた! 


 慌てて浴衣を着る私。床に投げ散らかした服をかき集めながら、下着までもそこに晒していた事実に耳まで赤くなる……。


「エミリ、お腹が減っただろう。一緒に食べよう。その後はゆっくりと寝ろ。添い寝してやる」


 ……。


 そ……そんなのされたら、眠れないんだよぅ!


 


-Alfred Shyster-




 ジャン・ラング・アルメニア。


 アルメニア王国の国王。五十歳を迎えた彼は威厳に満ちた笑みで僕の前に立った。


「アルフレッド卿……貴公は我が国の宝だ。これからも国の為に力を貸してほしい」


 僕は優雅に一礼してみせ、御前から離れる。


 ストラブール市郊外の広大な私有地。地図にはただ『王国管理区域』とだけ記され、航空写真では森でしかないその中に、ベルーズド公爵の屋敷があった。ホテルの正面玄関からここまで、黒塗りの高級車で連れてこられた僕は、ここが昔、ストラブールの中心区であった事を思い出していた。


 広間の中はずらりと偉い人達で埋まっている。貴族院の長老達ですら、笑みを浮かべて談笑し合う様子に、僕は目を丸くした。視線を転じると、王家の方々がいらっしゃる……。


 リグル・トルキア・モリペレント公爵。


 シュタイル・ベルグスト・ラネー公爵。


 その二人が妻を伴い、ここに出席しているのを見て、僕はいよいよ緊張してきた。サインが欲しい……。


「シェスター助教授……あ、失礼しました。教授になられたのでしたね」


 王族に見惚れていた僕は、可憐な声に振り返る。そこには、エリザちゃんと同じ輝きを発する少女……とびきりの美少女が立っていた。


「は……はい。あ、初めまして。アルフレッド・シェスターと申します」


 彼女は白い頬を少し朱色に染めて、僕の手を取り、額をつける。


 ドキリとするじゃないか!


「初めまして。エミリ・ベロアと申します。エリザの為にわざわざありがとうございます」


「エ……エミリ? あ……失礼しました」


 彼女は僕の隣に座ると、例のボディガード、ディディエと呼ばれる男から本を数冊、受け取り僕に差し出す。


「エリザの姉でございます。教授……私にもサインを頂けますか?」


 量子力学の本に反物質の研究論文のまとめ、古アルメニア語を翻訳して出版した詩集、そしてルイ・ラング・アルメニア大帝伝と、僕の本が目の前に並ぶ。なるほど、エリザちゃんの早熟ぶりは、姉上の影響かと思いながら、それらに名前と『光栄です。エミリ様』と書き記した。


 それにしても、エミリという名前には恐れ入ったね。


「驚かれますよね。あのエミリ様と同じ名前ですもの」


 会場には、本日の主役が登場し出席者達が立ち上がり拍手をする。その中で照れと喜びで耳まで真っ赤にした可愛らしいお姫様が、百合の花の模様が美しいドレスを身に纏い席を回っていた。隣には、彼女の両親であろう、二人の男女が付き添っている。


「ベルーズド公爵夫人は?」


 僕の問いに、エミリ……様が表情を曇らした。


「患っておりました胸の病で、楽しみにしていた今日の宴も欠席しております。お婆様とこの後、お会いになるのですよね?」

「もちろん。しかし、ご迷惑ではないですか? お身体優先です」


 彼女は微笑む。唇の左横にあるホクロが愛らしい。


「お婆様はシェスター教授とお約束をしていると楽しみにしておりました。私の両親、陛下もご同席なされるはずです」


 頷こうとした時、エリザちゃんの可愛らしい声が僕の耳に飛び込む。


「アレフ先生!」


 いきなり抱きつかれ慌てる僕。小さなお姫様を抱えて、その後ろに立つ一対の男女に一礼した。


「母と娘がお世話になっております。初めまして、ジェローム・ベロアでございます。妻のレイナ……」


 次期公爵に膝をつき、国王陛下にそうしたように臣下の礼を取った僕の頬に、エリザちゃんがキスをした……。


 尻もちをついた僕に、会場が湧く。


「ははは……。ジェローム様といえば、フェリエス大公のご子息と同じお名前でいらっしゃいますね」

「さすがはお詳しい。私が公爵となればジェローム二世ですね」


 姫君達の父親に助け起こされた僕は、妹を叱る姉の声を聞いてしまう。


「エリザ、ダメよ。アルフレッド卿に失礼な事をしたら……」

「お姉さまはヤキモチをやいてるんだ。アレフ先生は私のもんだもん」


 ……ついに幼女にまで惚れられたか。


 苦笑した僕に、ジェローム様が穏やかな笑みを向けてくる。


「母が教授にお会いできるのを楽しみにしております。で、私達にも同席するようにとの事でございました。後で母の寝室においで下さい。娘に案内させますので」


 彼は視線をエミリ様に向ける。エリザちゃんのお姉様は、コクリと頷いてみせた。


 宴はおごそかに進められる。宴というより、親戚同士が集まって談笑する場という表現が正しい。ベロア家にとって、こういう機会は貴重なものではないか。


「教授は、ピエール・ゴッティがお好きなの?」


 エミリ様に指摘され、僕は自分のスーツの襟をつまむ。


「ああ……。好きというより慣れですかね。それにこれなら、どんな場所に出るにも恥ずかしくないですし……。一応、今日の為に新調したのですよ」


 控えめなオレンジ色のストライプが入った黒地のスーツは、一週間前に出来あがったばかりのものだ。


「ネクタイも素敵ですね。なかなか、鮮やかなグリーンのネクタイが似合う人はいませんよ」


 なるほど……緑色が好きだからこうしただけなのだが、そんな事を言われたのは初めてだ。


「エミリ様も、このドレスは美しいですね。サクラでしょ?」

「あら、ご存知ですか?」

「ベロア家にとって、サクラは特別な花です。モランミリーで満開の桜を見た時、エミリ様……千年前のエミリ様がこの花を愛した理由が理解できました」


「ふふ……ストラブール離宮のサクラも綺麗ですよ。春になればご案内します」

「喜んで。しかし、外に出てもよいのですか?」


 彼女は笑う。


「閉じ込もってばかりじゃありません。普通に外出はします。で、教授はどうして、エミリ様がサクラを好きだったと思うのですか?」


 好奇心旺盛な方だと笑った僕は、ワイングラスを手で弄びながら、揺れる液体を見つめる。


「短い期間ですが艶やかに咲き誇るあれは、まるで人間そのものです。美しく輝きを発し、儚く散る……。我々もそうありたいものです。エミリ様のようにね……おっと、あなたじゃありませんよ」


 彼女は黒い瞳を輝かせると、小さく頷いた。


「散る桜の美しさといったら……教授はご覧になった事は?」

「残念ながらありません」


 僕はこの時、モランミリーで売店の店主から言われた言葉を思い出す。彼も、散り際もまた見事だと言っていた。


 満開のサクラを思い出すように瞼を閉じた僕の耳に、エミリ様の声が届いた。


「サクラの花は、大和国から譲り受けたものですが、これをどうしてエミリ様がご存知であったのかずっとわからないのです。見た事もない花をどうして……あ、そうだ。花外交はフェリエス大公の願いだったのです。本家や皆さまのご尽力で、フェリエス大公の願いが叶ったのですよ」


 興味がある。


「花外交は、フェリエス大公の願いだったと?」


 エミリ様は頷き、紅茶を優雅に楽しむ。たっぷりと僕を焦らしたところで、ようやく口を開いた。


「言い伝えによると、フェリエス大公はエミリ様に結婚を申し込む時、サクラの花束を持って迎えに行くと約束をしたそうです。ですが、彼の存命中にそれは叶わなかった。無理もありません。大陸の反対側にしか無かったんですもの……。でも大公はずっとこれを覚えていて、死に際、当時の国王陛下に申し上げたそうです。『サクラの花を探してくれ。アルメニアにたくさん、咲かしてくれ。エミリの為にそうしてくれ』って。素敵じゃありません? あれ? お婆様はお話しになられてませんか?」


 僕は、ワインを飲むために持ち上げたグラスを宙で彷徨わせた。手が動かないのだ。ベルーズド公爵夫人は、おそらくこの逸話は関係ないものに過ぎないと思っていたのだろう。だから、あえて僕を混乱させる事を言わなかったのだ。だが、これまで二人の事を調べた僕には、この逸話がとても重要なものであると思われた。


「それで……その為にアルメニアは大和国と交渉し、サクラを譲り受けたと? だって、大公の死後、八百年も後の事ですよ?」


 エミリ様が僕を見つめる。


 その黒い瞳の奥に吸い込まれそうになり、僕は慌てて視線を逸らした。


「だからこそ、私はこの家を誇りに思うのですよ、教授。こんな素敵なご先祖様がいたなんて、とっても自慢したいんです」


 僕は唸った。


 であるなら、フェリエス大公が素敵だったというだけではない。彼の願いを八百年もかけて叶えた王家も凄い。と同時に、これほどまでに王家に影響を持っていたフェリエス大公……。


 もしかしたら、僕はまだ全てを解き明かしていないのではないか……。


 王家が彼の願いを、そこまでして叶えたのは何か理由があるに違いない。


 考えすぎか? 


 僕は、不思議そうに瞳を揺らした美少女の視線を受けながら、それを無視して思考を巡らす。今夜、公爵夫人に報告をしても良いものだろうか……。


「教授の、何か考え事をしている時の横顔……素敵ですね」


 エミリ様が、か細い声を発した。


 僕は聞こえない振りで応えたのだった。




-Alfred Shyster-




 ベルーズド公爵夫人は寝台に横たわり、熱で赤味を帯びた頬を弛め僕を出迎えてくれる。質素だが上品な彼女の寝室は、この女性の人柄を表していた。


「国王陛下に対し、恐れ入ります」

「よいのだ。早く治して得意のザッハ・トルテを馳走してくれ」


 ジャン国王が寝台の横に座り、寝たままを恥じる公爵夫人を労る。その少し後方に、次期公爵と妻。彼らを正面に僕は座り、なぜか隣に寄りそうエミリ様に困惑するも、あまり突っ込まない事にした。


「まず、陛下におかれましてはこのような学者風情に過大な御援助を賜りまして御礼申し上げます」

「ははは、アルフレッド卿が我がアルメニアにいらっしゃる事で、どれだけ予が周辺国に自慢できておることか……予こそ礼を申す」


 髭を揺らして笑った王に、深く一礼した僕は、咳払いをしてこれまでの経緯を話し、王位継承戦役までの調査結果を説明した。それはとても長いものとなり、途中、休憩を挟んだほどだ。


 フェリエス大公がエミリさんと出会ったことが、当時のアルメニア王国にとってどれだけ恵まれた偶然であるかを強調する僕。


「これまで歴史に登場していなかったエミリ様と、フェリエス大公がどのような経緯で出会ったかは全く謎のままですが、おそらく、本当に偶然であったものと思います。というのは、今の世でも、男女の出会いというのは偶然の産物でございますし」

「ふむ……、では貴公は、エミリどのはクリスティン殿の偽名ではないと断言するのだな? 母上はそう信じておられるが、私はどちらかと言えば懐疑的だ」


 次期公爵閣下のお言葉に、力強く頷く。


「はい、ジェローム様も書物を読めばお分かりになられるほど、あっさりとその証拠を見つけることができます。エミリ様がクリスティン様の偽名であれば、当時の世界に、同じ人物が離れた場所に同じ時間に存在していたことになります。クリスティン様の出生は確かなものです。彼女とエミリ様は別人です」


 ベルーズド公爵夫人が、穏やかに微笑む。


「ほら、私の申す通りでございましょ?」


彼女の息子が、僕に質問をする。


「では、エミリ様はどうして、王家を倒した? 自ら守ったものを、どうして自ら倒したのだ? 私がどうにもエミリ様の存在を信用できぬのはそこなのだ。彼女は夫を殺したのだぞ」


 これには、公爵夫人も押し黙った。僕の隣ではエミリ様が息を飲む。


 なるほど、国王陛下以外の方々は、あの書物を読んでいないのだ。まあ、読んだところであちこちに断片的に存在する事実を拾い集め、繋げる作業は無理だろう。それに、肝心な情報はモランミリーの地下書庫のさらに奥の隠し書庫に眠っていたのだから。逆に言えば、それほどまでにして隠しておきたい理由があるのだ。いや、その理由は分かっている。だが、ここは順に話すべきだ。


「エミリ様の動機はただ一つ。フェリエス大公がそう望んだからです」


 これには、居並ぶ方々が押し黙った。沈黙は驚きの大きさを表していて、僕は思わず喉を鳴らした。


「フェリエス大公はその先見性と洞察力で、王家を存続させるには立憲君主制しかないと見ていたに違いないのです。彼がフォンテルンブローから、戦地のハザル・ドログバ卿に宛てた手紙に残っております。『思ったより復興が早い。信頼できる者達も増えた。岩は転がり始めた。後は速度を増していくだろう。俺はそろそろ悪事に手を染めようと思う。エミリがお前を訪ねて行くから、軍を率いて俺を討て』と……」


 僕は古い手紙を丁寧に広げ、公爵夫人に差し出す。彼女は眼鏡をかけるとそれを受け取り、じっと動かなかった。


「こちらは大公が家老に宛てた手紙です。読みます。『ストラブール郊外に家を建てておいてくれ。家族四人とクリスティン、そして客人が来ても困らぬ広さが良い。子供部屋は二ついるが、俺達夫婦の寝室は分けるなよ』と。この手紙からでも、エミリ様とクリスティン様は別人であるとうかがえます」


 先ほどの質問に対する回答と、フェリエス大公の意図が手紙には表れている。


「大公は軍務卿が率いる軍にエミリ様を合流させ、自分を討たせています」


 隣の、現在のエミリ様が目を丸くする。


 公爵夫人も、その息子夫婦も言葉を失い僕を見ていた。ただ一人、ジャン国王陛下だけが、その眼差しを僕に向け強い意思を伝えて来た。


『話してやってくれ』


 そう受け取れる。僕はネクタイを少し弛め、喉を楽にする。深呼吸し、ゆっくりと口を開いた。


「フェリエス大公はつまり、国民が自ら国権を望むという形を取る為に、あの名高い悪政の数々を執り行いました。重税に出征に権利剥奪に……あげればきりがないですが、あれらは全て、フェリエス大公の本意ではないのです。その証拠に、勝利した国民軍が王宮の金庫を開いた時、手つかずの財宝が残っていたそうですから……」


 僕は水で喉を湿らす。


「彼は誰かに倒される予定だった。その誰かは、エミリ様以外には考えられません。なぜなら、彼女以外の者が大公を倒してしまうと、王家もベロア家も存続などできなかったはずです。イスベリア王国はまさにそれですよね。国民運動で王家が倒れ、共和制となりました」


 国王陛下が唸る。その後方で、ジェローム様が呼び鈴を鳴らし侍女を呼ぶ。彼は何事かを、現れた侍女に耳打ちした。


「フェリエス大公がどうして立憲君主制への移行を進めたのか、それはよくわかりません。ですがそう考えていたのは事実です。いえ、立憲君主制というより、国権を国民に返すと決めていたのでしょう。と同時に大公は王家を守った。権威と権力を分ける事で……恐れながら陛下、この大陸のいかなる国家を眺めてみても、このアルメニアほどに歴史を持つ王家は存在しておりません。これは大公に確かな見識があったという証拠であり、そのような彼があのような悪政を行うはずがないと結論づけることができます」


 侍女達が現れ、公爵夫人の寝室に飲み物をずらりと並べた。エミリ様が侍女達を手伝うのを、公爵夫人も息子夫婦も当然のように眺めるのを見て、なるほどベロア家だと感心した。


 僕は水のおかわりをもらうことにしたのだが、エミリ様が手ずからオレンジを絞り、それを水に入れてくれる。


「ここで重要なのですが、フェリエス大公は殺されていません。隠居させられました。いえ、ストラブールの公爵邸敷地から外に出ないという条件で助命されたのです。ではどうして彼はエミリ様に殺されたと歴史に記されたのか……ベロア家の方々がどうしても知りたいのはそこであるはずです。そして、ベロア家はどうして、表に出てはならないのか……」


 国王陛下にコーヒーを運んでいたエミリ様の動きが止る。いや、その場にいた方々の誰もが、固まっていた。


 僕は鞄から数冊の書物を取り出す。これらはいずれも国王陛下からお借りしているものだ。付箋をつけた頁を開き、誰もが読めるように開いてテーブルに置いた。


「読みます『この度は我儘をきいてくださり、誠にありがとうございます。この国は我々の手から離れました。後は成長する子供のように、自ら歩き進んで行くでしょう。陛下におかれましては、この国の成長を見守る王家の長として、節度ある民との距離を取られることを望みまする』とあります。ここで重要なのは、この度の我儘という文面です。彼はヨハン三世にどんな我儘をしたのかという事なのです」

「それが、歴史の捏造であると?」


 公爵夫人の言葉に、国王陛下と僕が同時に表情を消す。


「ええ、そうです。次はこちらの書物……読みます『怒りの矛先は一点に集まるほうが良い。それは複雑化する事なく単純明快だからだ。そして悪は倒された後、散り消えるものだ。散り際は派手であればあるほど良い。俺が死んだとなれば、それも皆の慕う人物に倒されたとなれば溜飲も下げよう。怒り狂った後は、恐ろしいほどに冷静になるのが人である』です。彼は速やかな統治へと向かう為に、あえて死んだと装ったのです」


 エミリ様から水を受け取り、冷たいそれを一気に飲み干す。携帯電話が振動しているが、それに出るほど図々しくない。が、振動音に気付いた国王陛下が、僕に電話に出るよう促した。


「もしもし」

「あ、アレフ?」


 リリー……。こんな時に……。


「ねえ、研究室に電話したら愛想のない助手に、ストラブールに仕事でいるって聞いて……。会えない?」

「リリー……ごめん、忙しいんだ」


 携帯電話の終話ボタンを押すと同時に、公爵夫人に視線を送る。彼女は先ほどからひどく苦しげにしている。話を続けるまえに、彼女の容体を確認するべきだと僕は判断した。携帯電話をポケットに入れた僕は、席を立ち彼女の傍に膝をつく。


「失礼致します」


 脈と熱を計る。


「続きは後日に致しましょう。お疲れのご様子です」


 僕の言葉に一同が頷く。国王陛下が感心したように僕を見ると口を開いた。


「教授は医学も?」

「それぞれの専門医には及びませんが……」

「では、一カ月後の十三日。また同じ時間にここに集まろう。女性の寝室に何度も足を運ぶのは後ろめたいがね」


 陛下の冗談に公爵夫人が微笑んだ。




-Alfred Shyster-




 僕はホテルの予約を前泊しか取っていなかった。もっと早くに終わると思っていたのだが、僕の思い入れもあり随分と長い話になってしまった。公爵夫人には申し訳なく思う。予約していた列車のチケットも紙切れになってしまった。


「ユイ君。明日もストラブールで仕事になった。休講の連絡はこれからする。君も明日は休んでくれ」

「わかりました。教授、女性相手のお仕事は程々になさってください」

「違うよ! 本当にし――」


 電話はきられていた。


 ふむぅ、とことん信用がない。


「教授、寝室の用意が出来たそうです」


 エミリ様が僕の後ろに立つ。ありがたい事に、今夜はベロア家に泊まらせてもらえる事になったのだ。


 列車は無いが、寝室に行くには時間がまだ早い。時計は午後十一時にもなっていなかった。僕は広い応接間のソファに座り、ここぞとばかりに仕事をする。鞄から古ぼけた本を引っ張り出し、ノートを広げる。


「召還……魔法の本ですか?」


 エミリ様が覗き込んできた。


「はい、これは我がシェスター家に代々伝わるもので、あらゆる召喚魔法をまとめた一冊がこれです。で、今はこの術式に興味がありましてね」


 そこには、召喚するべき対象の名が書かれていない術式と方陣が記されている。四ページにわたるそれは、解読はとても困難で、僕ですら一年がかりでようやくといったものだ。


「これは何を召喚する術式なのですか?」


 本当に好奇心旺盛な人だ。


「わからないんです……これだけはご先祖様がずっと研究を進めてきても、何が出るかわかっていない。いや、厳密に言うと完成してないんですね」

「完成してない?」

「そう……この方陣のこことここにどんな文字が入るのか……わからないんですよ。完成したらお教えしますよ」


 エミリ様が僕の隣に座り、肩を寄せて本を眺める。


 い……いかん。


 僕は「おやすみなさい」と言って立ちあがったのだった。


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[気になる点] 《ヴラドはだが、彼らを相手に時間を浪費する事を嫌った。しかし、追う側は必死である。 》 これまた難しい所ですが、「だが」に「しかし」では逆接が強すぎてドタバタするので、同じ逆接続きでも…
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