表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/43

7

 レニンさんがお見舞いに来てくれた。彼は大きな花束をサラちゃんに預けると、私の隣に座る。


「怪我をしている時くらい休めばよろしいのに」


 私は今、書類仕事をしているのです。


 健気な妻ですよ。夫が怒り狂って仕事を拒否して執務室に閉じ籠ってしまった代わりをしているのですから。


 昨日の夜、怒り狂った大公殿下がお帰りになり、私の顔を見て微笑むも、すぐにすさまじい形相で執務室に入って行った……。


 オーギュストさんによる報告を聞いた。


「喧嘩だ。子供の喧嘩だ」


 やらかしてしまったようです。フェリエスってば嫉妬しちゃって……可愛いんだから!


 オーギュストさんが申し訳なさそうに私を見つめた。


「何?」

「ヒーロ卿と会って和平を結んでくれ」


 ……。


 休ませてくれい!


 アデリーヌが私の部屋の床をゴロゴロと転がっては笑っている。昨日の出来事をレニンさんに話して聞かせると、彼はフードを脱いで笑みを晒した。


 こんなに綺麗な人なのに、中身は男の人なんだからなぁ……。女である事を嫌う彼は、身体を鍛えまくっているせいで服の上からでも見事な肩幅。私よりも強そうです。


「災難でしたね……。今日はお礼を申し上げに来ました。クロエ殿はとても優秀な助手です。クレルモンフェランでもそうはいない」


 彼は自分で紅茶を淹れると、スキットルからブランデーをたっぷりと注ぎ、私にも渡してくれる。二人で紅茶の香りを楽しみながら談笑をしていると、扉が叩かれ、フェリエスが入って来た。


「……エミリ、行かなくて良い」


 ああ、この人はとってもヤキモチ焼きだ。


「殿下、恐れながら申し上げます」


 レニンさんがフェリエスに身体を向ける。大公殿下はレニンさんの素顔を知らない。だから、私に尋ねる。


「この方は?」


「これは失礼致しました。レニン・シェスターでございます」


 この時のフェリエスの狼狽ぶりは、この世界にカメラがあれば収めておきたいほどで、尻もちをついて床の上に座り、アデリーヌに笑われる。


「キャーウ!」


 娘を抱き上げたフェリエスが、私とレニンさんの近くに椅子を引き寄せ座る。その目は交互に私とレニンさんを見ていて、困惑に満ちていた。


「殿下、そもそもあなたがゴーダ騎士団と和平を結んで帰って来られれば、エミリ様はここで休めたというものです。王国宰相ともあろう方が、いささか感情的ではありませぬか?」


 反論できない大公殿下。私達から視線をそらせてアデリーヌをあやして誤魔化そうとしています。


「ま、あのヒーロ卿も生意気な事を申したに違いないでしょうが……」


 笑みを浮かべるレニンさん。彼はヒーロさんと面識があるのかと訝しんでいると


「私が勝てなかったただ一人の男なのです。負けてからずっと彼の為に使いっ走りをさせられていたのですよ」


 そういえば、ヒーロさんは転送魔法で私に会いに来てたな。レニンさんにお願いしていたのか……ふと視線を転じるとフェリエスが自分に話題が及ぶまいとアデちゃんを抱きかかえ、こそこそとドアの方へと向かっていた。


「フェリエス! しゃんとしなさい」


 いつも言われていたお返しをする私。

 

 フェリエスが背筋を伸ばした。


「幸い、私が転送魔法を用いれば、エミリ様のお身体には負担はかかりませぬ。ただ、使者をたて、あちらに魔法陣を用意して頂く必要がありますれば、さっそくお願いできますか?」


 フェリエスがコクンと首を縦に振った。彼の腕の中で可愛い笑顔のアデリーヌが私を見つめる。


「マーマー」

「はいはい、どうしたの?」

「いないいない?」


 ……ぐぅ。我が娘ながら勘のいい奴。


 そんなキラキラした目で行かないでオーラ出さないでよね!


「それはそうとレニン卿。傷を癒す魔法がないというのが不思議だ。どうしてこの分野の魔法は発展しなかったのだ?」


 話を逸らすにはここしかないという気迫に満ちたフェリエスの質問に、私も思わず頷いていた。ゲームとかでよくある回復魔法というものは存在しないのです。


 レニンさんは長い脚を組むと、スキットルを口に咥えてぐいっと呷る。


「殿下から頂いた書物によれば、魔法というものは元々、古代人達の開発した兵器のようなものです。魔法とは化学反応を人為的に瞬間的に行う事で、炎や氷、稲妻や風を発生させるのですが、それはつまり、破壊を目的として開発されたのですよ」


 ……軍事兵器ってやつね。


「おそらく、我ら魔導士というのは古代文明において、人間兵器であったのでしょう。化学反応を発生させる装置を使っていたが、それを人体に組み込むことが可能となり、それは遺伝で子孫へと継がれるものとなった。しかし、魔導士同士の両親から、魔導士が産まれない事例も多々ありまするから、確証にはまだまだ症例を集めねばなりません」


 私は遺伝子工学というものを思い出す。でも、情けないことに人に聞かせられるほど詳しくない。名前を知ってるだけと言っても過言じゃありません。だって、ただの女子高生だったんだもん。しょうがないっす……。


 レニンさんが、アデリーヌの柔らかい頬を指でつつく。我が娘はそれをされるのが好きらしく、大人達を駄目にする笑顔を振りまいた。


「それと……例えば既得権益を守りたい者達からすれば、魔法で病気や怪我を治癒するというのは厄介なもの。例えばストラブールの病院にある日、万病を治癒できる魔導士が現れると医師達はお役御免となるわけです。研究者達も不要となります。彼らとて生活もあり、欲もあります。自分の益を害するものを排除しようとするのは、当然でございましょう」


 レニンさんは相変わらずだ。この人はまず疑う事から物事を考える。


「つまり、当時の医療に携わる団体が魔法を治療に役立てる研究に向かわないようにしたって事?」


 私の質問に彼は笑みを浮かべた。


「そう考えます。ですから、研究を進めれば魔法で怪我や病気を治せるのではないかと思います。相当な時間が必要ですが……」


 フェリエスが眉を寄せる。彼はこういうところは本当に潔癖だ。


「競争が発生し負けたのであれば本望であろうに」


 正々堂々とした経済競争ならまだしも、日本で正々堂々なんてないよフェリエス。全ては人脈と根回しの世界だったからね。他の国でもやっぱり、政治家と結びついてる勢力が強かったと思うもの。


「そうそうエミリ様。言い忘れておりました。転送魔法を使うにあたり、一つだけ注意事項がございます」


 レニンさんはそう言うと、ちらりとフェリエスを見た。


「ま、当日にお伝えしましょう」


 すっごい気になるんですけど……。




-Féliwce & Emiri-




 フェリエスとヒーロさんが喧嘩別れしてから五日後。


 先行したオーギュストさんが魔法陣の用意をしてくれました。そして、私はレニンさんに転送魔法をかけられる。


「殿下がこれを聞くと怒りそうだったので黙っておりましたが、私はあなたを転送する事は出来ても、身につけているものまでは飛ばせません。お許しを」


「ほへ?」


 深紅の魔導士が赤い瞳を揺らして笑った直後、私は一瞬にして暗闇の中に落ちた。


「い……いきなり!?」


 目をギュッとつむる私。


 すると、いきなりふわりと布のようなもので包まれた。


 目を開けた私は、そこにヒーロさんが微笑んでいるのを見つける。相変わらず素敵な笑顔だ。私もフェリエスがいなければコロリといっていたに違いない。申し訳ないっすねぇ、フェリエスと先に出会っちゃったのさ。なんて思いながら周囲を見渡すと天幕の中には彼一人だけ。外からオーギュストさんの声が聞こえてきます。


「二人だけで会うのは認めんと申しておろう」

「誰も入れるなとの仰せでございます」


 知らない人の声も聞こえてきます。何か揉めているようですが、私は無事にゴーダ騎士団の野営地に転送されたようです。


 良かった……。


 ……て、あれ? 


 ヒーロさんがいきなり私を抱きしめてくる。さらにキスしようとまでしてくるし!


「ちょ! ダメ! ダメだってば!」

「エミリどの……」


 ああ、カッコイイ……でもダメ! この唇はフェリエスだけのものなの! 


「ちょ……ちょちょちょちょっと! ダメー!」


 なんとかその腕の中からもがき出た私でしたが、右脇腹がずきりと痛んで屈みこむ。慌てた様子のヒーロさんが抱き起こしてくれる。そこで初めて、私はすっぽんぽんだと気付きました。


「ひぃああああ!」


 口から情けない悲鳴が飛び出し、外のオーギュストさんの騒ぎ声が大きくなる。


「いや、申し訳ない。あまりにも綺麗だったからつい……久しぶりに会えたし」


 ヒーロさんが助け起こしてくれた時、彼によってマントをかけられていたのだと知る。この時の私は、フェリエス以外に裸を見られたとわかって恥ずかしさと裏切り感に顔は真っ赤です。


 絶対におっぱいを見られた……ぺったんこがばれた……そういや、ヒーロさんと初めて会った時、彼も素っ裸で転送されてきたっけ。


 天幕の外から、兵士に遮られながらもオーギュストさんが顔を覗かせた。


「ギューン! エミリに触れたらただではすまさんぞ!」


 オ……オーギュストさん、かっこいい。でも、たぶん逆にフルボッコにされると思うんだぁ……。


「いやいや申し訳ない。久しぶりに二人だけで会いたかったのだ。許せ」


 暴れるオレンジ頭が兵士によって天幕の外へと引っ張られ、代わりにまだ若い女性の軍人さんが服を持って現れた。


「お着替えでございます」


「あ……ありがとう」


 私が服を着るのを手伝ってくれようとしていたその女性が、振り返りヒーロさんを見つめる。


「閣下、女性の着替えを覗かれるのですか?」

「あ……ああ、そうだったな」


 動揺したヒーロさんが名残惜しそうに天幕から出て行った。


 女性に着替えを手伝ってもらって、用意された服を着た私はなさけない顔をします。


 これって……ゴーダ騎士団の軍服。まだ諦めてないぞっていう意思がこれでもかと伝わってきます。そしてこの服の胸部分の余り具合……。身体のラインを強調するデザインだからってのは分かるけどさ……。女騎士さんが、詰め物をたっぷりと入れてくれました。


「背がお高いとお聞きしておりましたので、大きめのものをご用意したのですが……」


 うっせーよ! いちいち言われるほうが惨めなんだよ!


 天幕の外に出ると、激しく兵士達を罵倒するオレンジ頭を発見。


「オーギュストさん、ありがと。大丈夫だから」


 私が彼に歩み寄ると、周囲の兵士達がじろじろと私を見ます。そして囁き合う声。


「あれが……背が高いな」

「閣下がご執心の大公妃か」

「戦乙女とか言われているらしいが、弱そうだな」


 ……ムカつくな。


 ヒーロさんの待つ天幕へと移動する私達は、ゴーダ騎士団の野営地を観察する。簡単に天幕を組み立てられる工夫や、清潔感のある野営地内を見て、これは強いわけだと納得。


「あのヴラドをケチョンケチョンにしたのも分かるなあ」


 私が感想を言うと、オーギュストさんが視線を前に向けたまま口を開く。


「我が軍より強いか?」

「残念ながら強いと思うよ。勝つには倍の兵力でも足りないかも」


 天幕に到着し中に入ると、ヒーロさんと見た事のない人が立っていた。


「ゴーダ騎士団総長付き主席参謀のリューイ・モリールと申します」


 優等生的外見のその男性が自己紹介をしたと同時に、私達に椅子を勧めてくれた。私の為に用意されたそれは、クッションが用意されていて気配りに感心する。うちの兵隊さん達にはできない芸当だね……。ハザルさんのせいでガサツなのばっかだから。


「エミリどの、さっさと要件を済ませて二人で散歩でもしよう」


 あんた……それが目的か!?


 これは私だけでなく、オーギュストさんやリューイさんも感じたようで、目を丸くしてゴーダ騎士団総長を眺める。


「和平はしてもいい。だが、条件が当然ながらある。まずはそちらの条件を聞こうか」


 総長閣下となられたヒーロさんは、組んだ脚の上で手を重ねた。


「まず、軍を国境より北に退いてください。次にバノッサを破壊し領地を荒らした賠償金をお支払いください。最後に双方から一人ずつ人質を出しましょう。以上」


 一気に喋った私。


「答えよう。一つ目は了解だ。二つ目はできない。三つめは条件がある」

「うかがいます」


 さっきの女騎士さんがコーヒーを人数分運んで来てくれた。


「賠償金を支払って欲しいのはこちらだ。アルメニアは長年にわたり、我が国を苦しめた。精神的苦痛も合わせて五十億フラムを要求する。三つめ、これはそちらの差し出す人物による」


 私はコーヒーを啜る。オーギュストさんが目を剥いた。


「毒なんか淹れる人達じゃないよ」


私が言うと、彼は気まずそうにして飲んでいた。


 私はコーヒーカップを受皿に置き、ヒーロさんを見つめた。黒い髪を長く伸ばした彼はワイルドな感じになっておりんす。こりゃ絶対にモてるわ……。


「賠償金を逆要求してくるのは理解に苦しみます。非戦闘員を巻き込んだのはあなたであって、私達ではない。人質はこちらの人選を先に伝える事などできません」

「アルメニアは古くからゴーダ地方の人々を迫害し、騎士団統治後にはそれを侵略という形で行ってきた。それに対するものを要求する。人質は元総長もしくはその弟を差し出す」


 リューイさんが目を剥いた。口をパクパクとさせて、涼しい顔をしているヒーロさんを見ている。


「遠い過去まで持ち出さねばならぬほど、騎士団は困窮しているのですか? ならばそうおっしゃってください。援助してさし上げます」


 ヒーロさんが笑いだす。


「ははは、分かった。ならば援助をして頂きたい」

「五十億はふっかけ過ぎです」

「では、バノッサ修復の費用を差し引いて頂いてかまわぬ」

「……」


 思っていた落とし所に落ち着きました。オーギュストさんとリューイさんが根回しをしてくれていたおかげです。根回し万歳。


 こうして賠償金は援助という形になり、バノッサ修復などの予算を差し引き、残った十億フラムをアルメニアがゴーダ騎士団に援助する事になりました。援助という表現が大事なのです。そして、ゴーダ騎士団は金を取ったという事実が大事なのですよ。


 国家の面子てのは面倒だ。




-Féliwce & Emiri-




 調印式を終えても、私は明日のセヘンの時間まで帰れない。同じ時間に魔法陣の上に乗り、レニンさんに召還してもらう予定なのです。


 転送魔法か……便利だ。でも、あの一瞬で立っている場所が違うというのは、私がこの世界に飛ばされてきた時を思い出しとっても嫌になります。よくフェリエスのところに飛んだよなぁ……もしあれが、ヴラドやフィリプ三世みたいな人のところに現れてたら、私はどうなっていたんだろうか……。


 ふむぅ……そう考えるとレニンさんの言う、何者かによる召喚魔法だという説もあり得るのかな? でも召喚魔法はとても高度で、現在の世界では、これを操れるのはレニンさんクラスの人だけであるようだしね……。いや、禁止されてもそれを無視して使う度胸がある人が少ないというほうが正しいかな……。


 いきなり頭を撫でられ、私は飛び上がって振り返る。


「一人でどうなされた? お暇ならお相手するが?」

「……ヒーロさんが一人でここにいてくれって言ったんじゃない?」

「ははは、一回、こういう風に女性に声をかけてみたかったのだ」


 爽やかな笑顔を作った彼を見て、この人に誘われて断る女性はいないだろうと思う。一人で暇にしていたなら……ね。


 ゴーダ騎士団の総長閣下が、籠を持って私の隣を歩く。


 野営地のはずれ、馬達をつないである簡易馬舎の前で待ってて欲しいと言われた私。怪我があるので馬には乗れないと言っても、かまわないからと彼に言われた。オーギュストさんが同行すると言ってくれていた。しかし、彼はリューイさんに誘われてしまう。


「クレルモンフェランで流行りの造園技術の本がありますぞ。差し上げられないが、写すのは良いですよ」

「危なかったら大声出せ」


こうして、オレンジ頭は本に釣られてしまった……。帰ったら殿下にチクる予定です。


 ヒーロさんはさりげなく私の手を握ろうとしてくるも、くるりと回転した私。


「ふふふふ……させません」


 がっかりした顔も素敵だ。私みたいな人を好きだと言ってくれてありがたいけど、早く良い人を探せばいいのに……。


 彼はただ散歩がしたかっただけらしく、この場所を待ち合わせにしたのは近くに花が咲き誇る泉を見つけたからとの事。私が花好きなのを知ってるんだね。ギニアスさんのリサーチかな……。あの人、普通に現れそうなのにやっぱり現れない。


 少しそういう気持ちが顔に出ていたのか、ヒーロさんに覗きこまれる。


「どうなされた?」

「ギニアスさんのこと、思い出したんです」

「あなたはいろいろ抱え込み過ぎだ。人の死が全て、自分のせいであると思いこむ悪い癖があるようだ。例えば、今ここで俺が死んだら、それもあなたのせいになるのか?」


 笑えない例えです。


 護衛すら引きつれない私達。ていうか、ヒーロさんがいれば護衛などいらないというのは分かります。この人、間違いなく私が会った人の中で一番、強い。あのヴラドよりも上。ハザルさんよりも強い。いきなり私が斬りかかっても、受け止められて抱きしめられてあれよあれよというのが……がオチでしょう。


 平原を心地よい風が吹いていて、私は目を細めた。背の高くない草達は私の踝ほどまでしか伸びてなく、見通しの良い先に確かに泉があった。そして、その周辺はイソトマやカタバミが泉を隠すかの如く咲き誇っているではありませんか!


「うおーい! 絶景かな!」


 走り出そうとして、脇腹の痛みでよろめく私。どんなにお勉強しても基本アホなのは治りません。


 ヒーロさんに抱きとめられ、いきなり抱きかかえられた。


「変な事をしたらグーパンします」

「グーパン? なんだそれは?」

「これで殴るのです」


 拳を突き出せ見せた私に、苦笑する総長閣下。笑えるのも今だけですと言っておきます。


「その可愛らしい手で殴られても、痛くも何ともなさそうだ」


 彼は黒い瞳を揺らして笑う。精悍な顔つきは優しく弛んでいた。私は自然と彼にフェリエスを重ねていた。


 私達は泉の近くに座る。


「ヴラドめを殺せなかったのは残念だ。あなたを負傷させた償いをさせてやろうと思ったのだがな」


 籠の中から、葡萄酒やチーズが現れる。


「本気でアルメニアを倒すつもりだったのですか?」

「ああ、そうすればあなたを連れて帰れる」


 ドキリとするような事をさらっと言いますね……。


「私はフェリエス一筋なんです」


 ヒーロさんは微笑むと、私の杯に葡萄酒を注いでくれた。


「人の気持ちは変わるものだ。だが、変わらないものもある。あなたが大公を想う気持ちが前者である事をせいぜい祈ろう」

「私も、あなたの私への気持ちが前者である事を祈ります。素敵な人と出会えますように」


 そう切り返し微笑むと、彼は黒い瞳を赤く染めた。


 え?


「ああ、すまない。興奮したり感情が高ぶると瞳の色が赤くなるのだ。先天性の病気なのだそうだが、世界広しといえども、この病に犯されているのは俺一人だけだそうだ。……あなたの笑顔がとても愛おしくてね、感情が高ぶった……抱きしめてもいいかな?」

「駄目です」


 病人には見えないんですけど……。


「その……命に支障はないのですか?」

「わからない」


 彼は薄く笑った。


「俺の心配をしてくれて嬉しいよ」


 とっても穏やかで優しい声。動揺した私はあやうく杯をひっくり返すところだった。慌てふためき杯を両手で持った私は、ヒーロさんの笑い声に抗議する。


「そんなに笑う事ないじゃないですか」

「すまない、しかし見てておもしろい。あなたを見てると心が穏やかになる。戦争など、どうでも良くなるよ」


 褒め言葉と取っておきます。


「エミリどの……困った事があればいつでも頼って欲しい。俺があなたの役に立つなら使ってくれてかまわないから」

「悪いです……」


 私達はしばらく無言で葡萄酒を飲む。ハザルさんのせいで酒飲みとなった私には、この葡萄酒が高価なものであるに違いないと分かる。


 ヒーロさんが、迷ったあげくといった風に口を開く。


「俺の気持ちは迷惑かな?」


 私も迷ったあげく口を開いた。彼の為にも、私は私の気持ちを伝えるべきなのだ。


「……私、あまり男の人からそういう気持ちを向けられた事がなくて戸惑ってるんです。はっきり言ってフラれてばっかりでした。フェリエスが私の事を好きだと言ってくれた時も、始めは嬉しさ半分、戸惑い半分でした……」


 私はチーズを切り分け、ヒーロさんに一切れ渡した。指が触れあい、彼の動きが止まる。


「……ヒーロさんから好意を向けられるのも、同じように戸惑い半分と嬉しさ半分ですよ。でも、フェリエスの場合と違うのは、私はあなたを想う事はできないって事です。私が好きな人は、フェリエス一人だけ」


 彼は私の言葉をじっと聞いてくれた。遮ったりしないこの人は、とても誠実な人だと思えた。


「だからこれまで、ヒーロさんともこうして会っていたけど、今日で終わりにしようと思います。私、フェリエスを愛してるから、フェリエスの想いを裏切りたくないから……。それにあなたの気持ちを利用する様な真似をしたくないから」


 ヒーロさんが、赤い瞳を泉へと向ける。水面が風でざわつき、清涼感に満ちた水の音が耳に届いた。彼の瞳の色が、ゆっくりと黒色に変化する。


「あなたのような人に愛されたあの男は幸せだな……。一つ、白状しよう」


 彼は流し目を作り、私をドキリとさせる。


「今日、あなたを無理やりにでもゴーダ騎士団領国に連れ帰るつもりだった」


 ……基本、強引な人なのです。


「だが止めた。結局、それはあなたを幸せにしない。あなたからあなたらしさを奪う。だから止める」


 彼が私の髪に手を伸ばす。私はこの時、彼が今にも泣き出しそうな顔をしていたので動けなかった。


「幸せになって欲しい。本当に困った時はいつでも頼って欲しいと言ったのは有効だ。夫婦喧嘩の仲裁はしないけど……」


 思わず笑ってしまった。だけど、それも一瞬で固まる。


 抱きしめられた私は、杯をひっくり返していた。高価な葡萄酒が泉に溶け込む。


「俺から見て、フェリエス大公があなたを不幸にしたと感じた時、いつでも奪いに行く。そう彼に伝えてくれ、エミリどの」

「お伝えします」


 ヒーロさんがそっと私から離れた。その顔から私は目を逸らす事が出来ない。彼は転がった葡萄酒の杯を拾うと、それを泉で洗った。


「あなたをここまで引っ張りだしたのだ。真面目な話をしてもいいかな?」


 二人で笑い合う。


「あなたは大公を支え、新しいアルメニアを作る。つまりそれは隣国である俺にも影響がある事だ」


 彼の顔がヒーロ・ギューンという人から、騎士団トップの顔になる。


「エミリどの、大公がどういう考えかは知らんが、アルメニア王家はもうもたない。王による支配は限界なのだ。国民は疲弊し、王の為に尽くす生活に疑問を感じている人達も少なくないと諜報部から上がってきている。彼らは一様に大公に期待しているが、その期待の意味を大公がはき違えれば、アルメニアはさらに大きな内乱を迎えるだろう。今度は民対王という図式で……。で、あなたに聞く。ゴーダ騎士団がなぜ強いか、聡明なあなたならお分かりだろう?」

「……国民、一人ひとりが国を愛しているからです」

「そう……結局のところ、国とは国民に必要とされる限り、滅んだりしないものだ」


 彼は笑みを浮かべると、私の手を握った。


 私は抗わなかった。


「だが、いつの世も国を食い物にする者は現れる。民あっての国、国あっての民であるという前提を理解せず、己と一部の者達のみの利を求め、肥え太る欲望に支配された愚かしい者達だ。彼らは悲しいかな権力に近い場所にいるものだ。彼らを残したまま、国民が国を愛する事など出来はしない。結局、一部の者達の為に国が動く事になるからだ。だが、そういう輩を排除する役割を負った者は、その時は悪者と見られる」

「私に悪者になれと?」


 ヒーロさんが瞼を閉じる。


「悪か善かは、後世の人達が判断するだろう。だが……」


 彼は赤い瞳を私に向けた。


「エミリどの……その役に相応しいのは、きっと余所者なのだ。例えば、俺のようにね」


 彼の笑顔は、私の胸をキューと締め付けた。


 ヒーロさんが私の手を握る手に力を込める。


「俺は、大公の謀略と知っていながらそれを利用したのだ」


 彼は私の手に視線を落とした。剣胼胝をそっと撫でられるも、手をひっこめる事ができない。


「レニン卿が、大公の世話になっているのだろ?」

「世話になっているのは、私達ですよ」


 彼は笑うと視線をまっすぐ前に向けた。私達は泉の南側に北を向いて座っている。だから彼の視線の先にはゴーダ騎士団領があるはずだ。


「大公はレニン卿を手元に招く為に、我が国に謀略をしかけた。結果、俺は査問会にかけられ、あなたが帝国を追い払ってくれなければ、騎士達はたくさん死んでいたかもしれない……話が逸れたな。いや、関係はあるのだ」


 ヒーロさんは瞼を閉じる。


「我が国の元老院議員達は、己の権力欲の為にあろうことかアルメニアの王族と手を結んだ。俺はそれを知っていながら泳がせた。それは奴らを一掃する為だ。だが、まさかレナ総長閣下が辞任するとは思ってもみなかったのだ。彼女もまた、大公の謀略を利用し望みを叶えたといえるかもしれないが……」

「ふうん……レナ・ゴーダ・リアージュという人の事は詳しく知らないけど、総長を辞めたがっていたの?」

「ああ、そうだ。あなたと同じだ。」

「へ?」


 私は目を丸くした。


「一人の男の為に生きる事を選んだのだ。だから足枷となっていた職を辞した。そして後を継いだ俺は、エミリどのの為に今の役目を全うするつもりだ」

「ヒーロ……さん」


「あなたは大公の為に生きる。だが、彼はあなたとアルメニア、どちらを選ぶかな……先ほどの話に戻るが、国を転換させるにあたり、あなたかアルメニアかの選択を強いられた時、彼はどうするだろうか……」


 私はようやく、手を引っ込める。


 フェリエスはどうするだろう……。いや、私は分かっている。彼はきっとぎりぎりのところでアルメニアを取るだろう。なぜなら、それが結果として私の為になると思いこんでいるから。誰もが笑える未来を創るってのは、瞬間的な意味ではない。ずっと人々が生活をし、子を育て、歴史を繋げていく事を指して言っているのだ。だから彼は、一時的に私が悲しむと分かっていても、アルメニアを優先させそうな気がする。


「エミリどの、大公と会って確信したのだが、彼は小を犠牲に大を活かす方法を取る人物で、そこには情緒的なものがないと見受ける。彼は自分が不幸となろうとも、多数の幸福を優先させるような男だ。気をつけろ……」


ヒーロさんの黒い瞳が、少し赤く染まった。



「だからこう言うのだ。悪者役は余所者に任せたほうが良い。幸い、俺は既に悪者だからな……元老院議員達を追放し、彼らに協力していた者達は全て処分した」


 私は彼の嘲るような口調にわざと笑みを浮かべ、その胸を二度、軽く叩いた。


「喧嘩したって聞いてたけど、見るとこは見てるんだねぇ。ヒーロさんと出会えて本当に嬉しいよ。ありがとう」


 総長閣下は、照れたように笑うと立ちあがった。


「こうしていると今にも襲いかかりそうだ。帰ろうか」


 そんな事をしもしないくせに……。


 私は彼に引き上げられ立ち上がった。


 ヒーロさん、ありがとう。




-Féliwce & Emiri-




 ヴラドが逃げた。


 彼は騎兵のみを引き連れ、モリペレント公爵に合流したのだ。これは、ストラブールを出発した大公軍の兵力が、二万人を超えるという情報を得た直後の事。季節は春から夏へと入っている。


 フェリエスはすぐさま、軍を西に向けた。


 モリペレント公爵を討伐する為だ。


 いまさら臣従の意を示すことができないモリペレント公爵は、徹底抗戦の構えを見せる。


 私は、また留守番です……。


 アデちゃんと城の庭を散歩しながら、官僚達に指示を出す。彼らは決められた事を進めるプロで、言われた通りに物事を運ぶ。オーギュストさんの躾が行き届いていますなぁ。


「わんわん! わんわん!」


 ゴーダ犬達を見て、喜ぶ娘。彼女を見て、尻尾を回転させる犬達。


 芝生の上で遊び転げる娘と犬達を眺めていた私だったが、背後に嫌な空気を感じて振り返ると、そこにはあの女が立っていた。


 ん? 今日は二人……。


 ルシェミナと……隣の人は誰? 茶色の綺麗な髪だな。私よりも年上だな……なんかできる女上司って感じだ。その人が嘲るように口の両端を吊り上げ私を見る。


「あら、奇遇ですこと……」


 ああ……思い出した! カルデリンという娘だ。ベロニア伯爵の次女でルシェミナとは仲が悪かったはずだけど……仲直りした?


「お妃様ともあろう方が、このような不潔な場所に質素な服でいらっしゃるとは……」


 私、こいつも嫌い。中庭は毎日、侍女さん達が掃除してくれているから不潔なんかじゃないよ!


「大公殿下のお妃様ともあろう方がそのような格好をして……さらに犬などを姫様と戯れさせるなど……どういう教育を受けてきたのでしょう」


 ワ……ワンコがダメってか? つか、いちいち腹立つ言い方しやがって……と、いかん。私は弱い正妻を演じねばならないの! 


 ぎこちない笑みを浮かべてみせた私に、視線を交わして笑う二人の側室。


 アデリーヌが異変を感じて、私にすがりついて来る。娘を抱きしめ、二人に視線を転じると、ルシェミナが口に手を開け笑った。


「姫様が可哀そうですわ……高貴な大公殿下の血だけならともかく、下賤なる者の血まで受け継いでしまったのですから……ほほほほほ!」


 私は自分の事なら何を言われても我慢できる。へらへらと笑うことだってできるさ。でも、アデちゃんのことを悪く言う奴は絶対に許さん。怪我も治ったし、ここはひさしぶりに女子相手でも全力でいってやるか!


 すくっと立ち上がった時、正義の味方が現れた。


「おぬし達、城は入ってはならんという大公殿下のお言葉を忘れておいでか?」


 才色兼備のクリスティンさん登場。側室の二人も綺麗だけど、クリスティンさんの前では霞んでしまう。てか、こんな人相手にあれができないフェリエスはやっぱり異常だ……妻として嬉しいやら悲しいやら……。


「ク……クリスティン様」

「呼ばれてもおらぬのにダメであろう。それとも、エミリ様からお呼びがかかったのか?」


 押し黙る嫌な二人。


 このタイミング……きっとクリスティンさんは二人がこそこそと後宮から出るのを目撃し、後を尾けていたに違いない。そしてとっちめるタイミングを待っていたのだ。


 あーん、クリスティンさんが味方で良かったよぉ!


「エミリ様、失礼をお許しください。この二人は田舎での暮らしが長く礼儀に欠けるところがありまするが、大公殿下を慕う気持ちは嘘ではごいざませぬ。どうぞ、ご寛容をお示しくださいますよう、私からお願い申し上げます」


 クリスティンさんが私に頭を下げる。たっぷりと二人に向かって毒のある口上を述べた美女に、カルデリンもルシェミナも目を白黒とさせた。


「な! 田舎!? ベルニアが田舎と申されるか!?」


 カルデリンが目を三角にして怒る。


「あら、そうは聞こえなんだか?」


 しれっと側室二人の怒りを煽るクリスティンさん。


 茶色の髪を振り乱して怒り狂うカルデリン。侍女達が苦労して結い上げた髪も台無しです。


「ゆ……許せぬ! 許せぬ許せぬ許せぬー!」


 今度はルシェミナが暴れ出した。


「殿下の情けで置かれているだけの亡国の女が何を申すか!」

「そうじゃ! アルメニアの慈悲で飼われおる小鳥の分際で過ぎた物言い! 恥を知りなさい!」


 二人の暴言に私はクリスティンさんに駆け寄るも、彼女はいたって冷静だった。


「あら、そう……それは失礼致した」


 よ……余裕だ……。


「ではその小鳥風情にも舐められた、親の保身の為にここに送り込まれたそなた達はどうするのじゃ? 殿下に泣きすがりつき、私を追い出しでもするのかえ?」


 騒ぎを聞きつけたボルネアさんが現れなかったら、どうなっていたことやら……。


 私はクリスティンさんを誘って城に帰ると、自室に招いて紅茶をご馳走する。


 アデリーヌを膝の上に乗せた美女。彼女はアデちゃんの髪を撫でるのが好きらしく、また娘もそうされるのが好きみたい。アデちゃんはいつの間にか眠ってしまった。


「ごめんね、クリスティンさん。でも助かったよ」


 彼女は優雅に微笑んだ。が、半瞬後、その顔が悲しげに歪む。


「しかし、あの者達の申す通りじゃ……。側室の務めも果たせず、殿下の慈悲で置かれているだけの私が、人の事など言えぬのじゃ」


 ま……まずい。ネガティブクリスティンが現れた……。


「大丈夫……。大丈夫だよ、クリスティンさん。フェリエスは私がゴーダ騎士団野営地に行ってる時、来てくれたんでしょ?」


 彼女はアデちゃんを寝台に寝かすと振り返る。


 目から大粒の涙がこぼれていらっしゃる!


「ま……また抱いて……くださらなかったのじゃ……うわーん!」


 ほ……本気泣き! 


 えんえんと泣きじゃくる彼女を宥める私って、どうなんでしょうか。


 フェ……フェリエスって罪作りなんだから!


 しかし、どうしたらいいんだろう……。抱かれて嬉しいクリスティンさんと、それをできればフェリエスにはして欲しくないけど、仕方なくそれを勧めている私。だから、できていない現状にほっとしている私だけど、悲しむクリスティンさんを見たくない。


 私の……ぺったんこの胸に顔をうずめて本気泣きする美女の頭を、私は泣きやむまで撫でていたのでした。




-Féliwce & Emiri-




「それはいけませんね」


 マリアンヌ元王妃は、私の話を聞き終えると頬に手をあて溜め息を吐いた。後宮の事、クリスティンさんの事を彼女に相談したのは、王妃として苦労をしてきた彼女の知恵を拝借しようと思ったのです。それに、彼女はとても話しやすい人です。いろんなよくない噂を聞きましたが、それは彼女を嫌う人達が流したものだと断言できる。というのも、彼女は一つの欠点を除けば、それはもうできた人です。


 浪費癖がある……ふむ、決定的な悪癖です。今日も新しい調度品が部屋に届きました……。


「しかしフェリエス殿下にも困ったものです。我が夫であった人とは違う意味で女性泣かせですね」


 フィリプ三世は最低な夫だと思いますよ! フェリエスと比べないでください!


「後宮対策のほうは私に考えがあります。クリスティン様のほうは、彼女と話をしてみないとなんともなりませぬなぁ」


 ……心強い!


「エミリ様も気苦労が絶えませぬねぇ。アデリーヌ姫は元気?」

「はい、また遊びに連れて来てもよろしいですか?」


 彼女は愛くしい顔に喜色を浮かべ、大きく頷いた。


「ぜひ……。それはそうとエミリ様、アデリーヌ姫は普通の子ではないゆえ、しかるべき人をつけて育てる必要がありますよ」

「……やっぱり、そうでしょうか」


 マリアンヌさんがいう、『普通ではない子』というのは、アデリーヌの早熟ぶりです。私は子育てなんて経験ないから、「ちょっと賢いのかな?」くらいに思っていたのですが、シンシアさん曰く「クリスティン様とロゼニア語でお話しをしておりました! 天才です」だそうです。


 レニンさんも私にこう言った。


「この歳で反応を示す言語が多すぎる。おそらく姫君は、これまで聞いてきた言葉を全て記憶なさっております。いわゆる天才というやつですが、私もそう呼ばれておりますように、天才とは何かしら問題を抱えている場合が多いものです。ご成長は慎重に見守られるべきです」


 天才! アホから天才が生まれた!


 喜ぶ半面、不安も多い。フェリエスに相談した。


「アデリーヌは俺とエミリの子だ。可愛く賢いに決まっている。それを他の子と比べてどうのこうのと論ずるのが間違いだ」


親馬鹿この上無い反応を示して、出征していった……子育てに非協力な夫は流行らないんだよ!


 マリアンヌさんの部屋を出て、子供部屋に行くとアデリーヌが犬達と遊んでいた。シンシアさんが笑みを浮かべて見守っている。


「シンシアさん、マリアンヌ様にもアデリーヌのことを言われたよ」


 彼女は視線をアデちゃんから逸らし私に微笑むと、紅茶を淹れてくれる。慣れた手つきで良い香りを部屋に充満させながら口を開いた。


「今日は何やら、ゴーダ語らしき言葉を喋っておられました……」

「ああ……これで三カ国語を話せる事が判明してしまったのね……どこで聞いているのかしら?」

「おそらく、大学や病院で聞いているのではないでしょうか? ほら、エミリ様が幾度か、お連れになっておられません?」


 たしかに……。


 犬達のリーダー的存在であるビーが、アデちゃんにお腹を撫でられ尻尾をぐるぐる回転させている。娘は私と犬達を交互に見て、ニコニコ笑顔を咲かせています。


 アデリーヌの名前を呼ぶと、彼女はよちよちと私に歩み寄って来た。それを抱き上げ膝の上に乗せ、ほっぺをすりすりする。


「わんわん、可愛いねぇ」


 わざとトラスベリア語で聞いた。


「わんわん! かーいぃ!」


トラスベリア語で返してきた……。はい、四カ国語めが判明。


 頭をさすってやりながら、マリアンヌさんの言葉を思い出し溜め息を吐く私。アデリーヌが黒い瞳を不安げに揺らし、じっと私を見つめてくる。


「たいたい? なく?」


 アルメニア語でそう聞いてきた娘を抱きしめたのでした。




-Féliwce & Emiri-




 マリアンヌ元王妃主催のお茶会がクロロ公園で開催された。一般市民も無料で参加できるとあって、初夏の公園内は凄まじい人出だった。警備の指揮官を務めるオーランドさんが、右に左に忙しく動き回っている。


 私はといえば、マリアンヌさんの隣でニコニコと笑顔を振りまいてます。ええ、彼女の隣にべったり。その隣にはクリスティンさん。三人で花を眺めながら紅茶を楽しんでいるのですが、側室達の視線の痛いこと……。


 お茶会スタート時に、私と談笑するマリアンヌさんに例の二人を中心とする側室達が近寄ってきたのですが、元王妃様は彼女達に一喝しました。


「無礼者! 大公妃であるエミリ様を差し置いて私に近寄るなどもっての他じゃ! 恥を知りなさい!」


こうして、彼女達は離れた場所からとんでもなく恐ろしい顔で私を睨んでおります。


 戦時中であるからこそ、こういう華やかな催しをしましょうと言ったマリアンヌさんでしたが、きっと私の為にしてくれたに違いありません。私を馬鹿にしている側室達に、序列を明確にする為にあえて彼女は叱ったのです。そして、亡国の姫君であるクリスティンさんの立場をはっきりとさせる為でもあるのです。


 浪費癖さえなければ、良い方です。


 そのマリアンヌさんから、私とクリスティンさんだけに打ち明けられた事があります。


「お二人だけには知らせておいたほうがよろしいでしょう。どうやら私は身籠ったようです……」


 祝福の言葉を述べるには、悲痛すぎる彼女の表情。


「父親はヴラドです」

「お産みになられるので?」


 クリスティンさんが金色の瞳を悲しげに揺らす。彼女の質問に、マリアンヌさんは迷いなく頷いた。


「この子には何の罪もありませぬ。私の中で陽の光を待ちわびている弱い存在なのです」


 彼女はお茶会といいながら水ばかり飲んでいる。そういう事だったのだ。


「あまりにも慌ただしい毎日であったので、身体が疲れているのだと思っていたのですが、お腹が大きくなりだしては疑いようがありませぬ」


 マリアンヌさんは笑みを浮かべてお腹にそっと手を置いた。私はアデリーヌを抱き上げると同時に口を開いた。


「お付きの侍女の方々は?」

「着替えも風呂も一人でしております。誰にもまだ知られたくないと思っておりました。でも、やはりあなた達には知って頂きたいと思って……フェリエス殿下がお帰りになられたら、エミリ様からそれとなくお伝えください。結果、追い出されても文句は言いませぬから」


 笑顔を咲かせるアデリーヌの頬を指で撫でながら、マリアンヌさんが睫毛を揺らした。と、彼女はそこで、クリスティンさんに視線を向ける。


「クリスティン様、フェリエス殿下との間がうまくいっておらぬと伺っております」


 クリスティンさんが顔を真っ赤に染めて私に口を尖らす。それは「喋ったなぁ」という抗議の表れだった。


 すまん!


「私が言うのもおかしな話なのですが、殿方はなかなかに難しい時もあります。そういう時、女のほうが殿方を励ます必要がありますが、あなたはもしかしたら、受け手一方ではありませんか?」


 えっと、下品で下ネタ知識満載の私が分かりやすく訳すとこうなります。


「受け身オンリーじゃだめなんだよ!」


 クリスティンさんは顔を真っ赤にしたまま、目をきょろきょろと動かす。戦場で「突撃じゃー!」て叫んでいる彼女が、本当はこういう女性だってことをフェリエスには知って欲しいね……いや、別に浮気を推奨している訳ではないのです!


「では、どうしたら殿下は喜んでくれるのじゃ?」


 クリスティンさんの直球に、私もマリアンヌさんも固まってしまったのでした。


 そ……そんなん言えるか!


 クリスティンさんの期待に満ちた目から逃れるように、私はイリーナちゃんを呼んで席をはずす。マリアンヌさんは「お腹が……」と言いながら席を立つ。


 ぽつーんと残されたクリスティンさんが、立ちあがった。


「どうしたらいいのじゃ!?」


 彼女は叫んでました……。




-Féliwce & Emiri-




 大公殿下は忙しい。

 

 戦場に出て行ったと思うと、飛んで帰って来て政務。そして前線に指示を出しながら、遠く離れたカミュルさんと手紙でやり取り。


 仕事する男性って素敵……。


 金色の髪をかきあげ、書類に署名し判を押す夫の横顔に見惚れていると、彼が私に流し目を向けてくるのです。マリアンヌさんの妊娠を告げた私だったが、緊張していた顔もすぐにニヤける。


 ぞくぞくぅとするほどカッコいいのです……。


「どうした?」

「見惚れてました……」


 彼は青い瞳をキラキラと輝かせて、手招きをする。私は書類を抱えたまま、彼の隣に立つ。自然と、フェリエスが膝の上に乗せてくれるのです。


「忙しくてなかなか二人の時間がとれぬのがつらいところだ。俺は少しでも早く引退したいと願っているぞ」


 目の下の隈が、彼の激務ぶりを伝えてきます。私は彼の頭を腕で抱えるようにして、首とか肩を揉んであげた。母親となった私ではありますが、彼を前にするとやっぱり母ではなく、恋人というか女性として接したいし、接して欲しいのです。そういう意味では、日本的家庭というのは、私にとっては退屈であったのではないかと思うのですよ。


「レニンさんにあれをお願いしたのもその為?」


 フェリエスは、私の胸に頬を寄せて瞼を閉じる。


 フェリエスは、レニンさんに政治に関する講義を一般市民向けにするようお願いして、レニンさんは快諾した。民主制や立憲君主制、王制等の統治方法の比較研究など、人気があるらしい。その彼のおかげで、周辺国から様々な政治活動家達がストラブールに集まり、喧々諤々と議論を重ねている。それをただ聞いているだけでもお勉強になるというもの。


 そして彼は、これまで反王家の烙印を押されていた政治犯達や人権運動家達を擁護し、彼らまでも国王府に雇い入れている。そして、二人の王子には王家の者としてしかるべき教育を施している。相反している事を同時に進める彼の狙いは、内戦後のアルメニアを考えてのことであると私にはわかっていた。


 私は右手で彼の髪を撫でながら、左手でやさしく首の付け根を揉んであげる。大公殿下は気持ち良さそうに声を漏らした。


「エミリ、考えがある。聞くか?」

「それは、私達にとって良い事?」

「当たり前だ」


 彼が甘えるように鼻を私の首にくっつけてくる。男性のこういうところ、好きだなぁと思う私は、母親となり母性本能が溢れているのでしょうか。


「俺はお前とアデリーヌがいればいい。本当にそう思える。他の者達には申し訳ないが、俺はもう穏やかな暮らしがしたい。人が死ぬのも見たくないし、エミリがそれで泣くのも見たくない。実は、ジェロームを失って心に大きな穴が空いたみたいなんだ。近くで俺を支えてくれていた奴を失ってようやく、俺はありきたりの幸せというものが何より大切なのだと気付いた」


 彼は、私以上にジェロームさんの死から受けたものが多かったようだ。この時、どうしようもなくジェロームさんの笑顔を見たくなり、私は瞼を閉じてみる。記憶の中でいつも優しい笑顔を浮かべてくれるクロエちゃんのお兄さんは、この時も私の疲れを癒してくれる笑みを見せてくれた。


「あいつは俺の代わりに死んだのだ。俺の代わりにお前を守ってくれた。本当に素晴らしい男だったのだ、あいつは……なのに、俺は何も報いることができないのだ」


 立派なお墓を建てても、たくさん涙を流しても、それは結局、私達の自己満足に過ぎない。彼が本当に望んでいたもの……ジェロームさんが望んでいたものって何だろう? クロエちゃんの幸せ? それもあるだろうけど、何か違うと思う。


「フェリエス、お疲れだねぇ。お風呂に入って休もう」


 彼は笑った。


「まだ休めぬ。俺がこの書類を明日に回せば、五百人の村人達が待つ下水道の設置が一日、遅くなる」


 これだから疲れるのだよ。


「じゃあ、フェリエス。半分こしよう。一緒にしながら、さっきの考えとやらを教えてよ」


 キスをして彼から離れ、椅子を引きずりその隣に座ります。ラネー公領とよばれていた王国北東部の橋やら井戸やら下水道やら、農業用水路など急ぎの承認を求めてくる事案は鬼のようにあった。


 書類に目を通しながら、予算を確認し署名をする私達。フェリエスが視線を手元に向けたまま、口を開いて策を聞かせてくれる。


「まずモリペレント公を倒し、ヴラドを葬った後という話になるが、アルメニア王家の力を弱めようと思っている」


 ピーンときました。


「権威と力を分けるんだね?」

「さすがはエミリだ。この方法であれば王家はいかなる時代をも存続できるだろう。立憲君主制に移行させる」


 えっと、わかりやすくいうとイギリスって知ってます? グリートブリテン及び北アイルランド連合王国という国号が正式であるのです。サッカー好きの私は、どうしてイギリスだけサッカー協会は四つもあるのかしらと思って調べて知ったのですが、イギリスって四つの国がガッチンコしてできているんですねぇ……で、現在というか本来の私の世界では、イギリスは立憲君主制なのです。エリザベス女王陛下がいらっしゃいますよね。でも議会があって、首相もいて。日本もそうなのかなぁ。つまり、アルメニアをイギリスや日本みたいにしたいとフェリエスは言ってるのです。


「その為にはまず国民が自発的に国権を手にする必要があるが、現状でそれはまだ難しい。かといって俺がそれを与えると、彼らはありがた迷惑と感じるだろう」


 私が井戸の開発許可申請に署名をしている横で、彼は言葉を続けた。


「俺は王権を弱め、国権を国民に返す。ここに問題がある。そこで俺とお前だけの秘密にして欲しい事がある」

「うん、私達だけの秘密ね」

「うん……俺はあえて悪政を強いる。国民が怒りで立ち上がるまで俺は悪事に手を染める。で、お前は国民を率いて、俺を倒せ。それで王家の存続と国民主権の両立がなるのだ」


 は?


 私は羽根ペンを机の上に転がし、隣に座る彼を見つめた。


「私がフェリエスを倒す? ちょ……意味がわかんない」

「わかりやすく言うとだな、俺はお前にわざと負けて隠居する。するとどうだ? お前達と過ごせる時間がたっぷりとできる! すばらしいだろ!」


 目をキラキラとさせる大公殿下。


 いや、ちょっと待ってよ。あなたを倒すって、喧嘩すんの?


「私、フェリエスと喧嘩したくない」

「では、俺は誰に倒されたら良い? カミュルか? また王権が強くなるぞ」


 ふむぅ……。それはフェリエスが悪い人を演じる意味がなくなってしまいます。


「考える顔も可愛いな。もっとこっち来い」


 行きますよ……行きますとも! 膝の上に乗せてくれい!


「な? エミリ。お前しかいないだろ? それに正義の味方がお前なら、ベロア家も存続できるのだ」


 大公殿下が、私をダメにする笑顔を見せてくれた。


「そして、マリアンヌどののお子を養子にもらう。ベロア家は存続すれど表には出れぬ暮らしになるだろう。だからこそ、彼女の子を守れるし、俺達家族の時間が作れるというものだ。結婚式も挙げなおそう。中途半端になってしまったからな」

「マリアンヌさん、承諾してくれるかな?」

「次期国王の母であるのだぞ。ヨハン王子が十二歳になれば王太子となられるだろう。その時、余計な混乱の芽は少ないほうが良いとお考えではないかと思う。何も引き離すわけではない。いつでも、会いに来て頂いてかまわぬのだ……それにカミュルもこれには賛成すると思う。というより、こうしなければ、あの男はお子を殺そうと考えるだろうな」


 私は優しい大公殿下の髪を撫で続ける。


 この人が、私が出会った頃のままであったなら、きっと「殺せ」と言っていたに違いない。でも、夫となり父となった彼は変わった。何よりそれを実感できるのは、父親はヴラドであるとわかっても、こう言えるところだ。


 ヒーロさん、あなたの人物評は、半分は正解で、半分は誤りです。私も夫の事を甘く見ていました。


 私の夫は、フェリエス・ベロア・ベルーズド公爵は、私達なんか足元にも及ばない偉大な統治者です。


 優しく強く一途でイケメンのすごい人なの!


 私は、彼のことをとっても大声で自慢したくなり、抱きつきその髪をくしゃくしゃとかき回す。


 フェリエスは「やめろ」と言いながら喜んでいた。


 彼の青い瞳に、ずっと映っていたい。そう私が思うほどに、フェリエスの綺麗な瞳は輝いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ