6
ドラグル・ベルグナ。
その外見から誤解を受けやすい。さらにヴラドに忠節をもって仕える事で、彼をまともな人間だと評する者は、彼を良く知る部下達だけだっただろう。しかし、彼は普通ではなかったかもしれないが、異常と評するにはまとも過ぎた。
王都を全焼させる指示を出したヴラドと、それを遂行したベアトリスに比べ、彼はごく普通の常識と正義を備えていた。
だから彼は、ヴラドを諌めた。
結果、彼はラネー州に残されたのだ。これが元王妃と王子達の運命を変える事となった。
ラネー州都リュグーンの城で、宰相の妻と子供達を馬車に乗せるドラグル。部下達は悲痛な表情で彼につき従っていた。
「ドラグル卿、よろしいのですか?」
元王妃であり、現在はヴラドの妻であるマリアンヌが、出発しようとする馬車の窓から声をかける。
一礼したドラグルは、顔のほとんどを埋め尽くした髭を撫でた。
「もっと早くにこうすべきでした。お許しください」
マリアンヌは馬車の中で眠る二人の王子に振り返る。彼らは心労で痩せ、細くなった手で母の手を競うように握ろうとしていたが、今は薬が効いたのか、夢の中へと落ちていた。
「さ、お早く。護衛致しますゆえ、ご安心ください。お妃様もどうぞお休みになられますよう」
だみ声を苦労して柔らかな響きへと変化させたドラグルが、兵達に出発を告げた。しかしマリアンヌは、馬車の窓を閉めない。
「ドラグル卿、全力であなたの無罪を主張致しますゆえ」
「それには及び申さん。このドラグル、己のした事の責任は己で取れと父から教わりました」
彼は王都を焼いた主犯の一人と、他勢力に見られているのだ。
「いえ、これはマリアンヌ・デ・シュプレとして、マリアンヌ・ラング・アルメニアとして誓います。私は決してあなたの事を見捨てませぬ。あなたを必ずお救い致します」
「ははは……。もったいないお言葉でござる。しかし、とにかく無事に到着せねば、それすら出来ませぬからな。どうか何事も起こらぬように、祈っていて下され」
ドラグルは不敬かとも思ったが、いつまでも馬車の窓を閉めないマリアンヌに代わって、それを閉めた。加速する馬車の周囲を騎兵達が囲み、リュグーンの大通りを突っ切る。彼を止めるものは誰もおらず、ドラグルがしようとしている事を諌めるものもいなかった。
彼は部下達に慕われていたのだ。
士官の一人が、ドラグルに馬を寄せた。
「閣下、伝令を飛ばし、相手側の了解を得たほうがよろしいでは?」
「ふむ……。それは俺も考えたが、先に知らせるとかえって面倒な事もある。ここはいきなり押しかけるのが良いであろう」
騎兵一〇〇に護衛をされた、マリアンヌと二人の息子。
彼らの向かう先はワラキア州。
ドラグルは王位継承権一位と二位を持つ子供を、王族であり人気も高いフェリエス・ベロア・ベルーズドに託すつもりであった。これは事前にマリアンヌの了解も取ってある。
「フェリエス大公であれば私も存じております。彼ならば、信用できます」
彼女はフィリプ三世の妻として会っていた時は、冷たく光る瞳に魅かれながらも恐れも感じていたものだが、今となればその人柄にすがるしかないと思っていた。
いや、彼以外に選択肢は無かったのかもしれない。
王弟は、兄の血を継ぐ子供達を嫌っていたし、モリペレント公爵などは元々信用できない。アラゴラ公爵を介して、カミュルの庇護を求める方法もあったが、それならフェリエスを頼ったほうが話も早く確実であった。
こういう理由で、マリアンヌと二人の息子は、ドラグルに守られフェリエスの軍がいるワラキア州へと入ったのだ。
そしてリュグーンで動きがあった時期に合わせ、隣国でも変化があった。その変化の中心にあったのはゴーダ騎士団領国である。
レナ・ゴーダ・リアージュが総長職を退き、なんと血縁でもない男を後継に指名したのである。
その男はヒーロ・ギューン元帥。
彼は査問会に召喚された身でありながら総長となると、ただちに元老院を糾弾した。彼によって、元老院がアルメニアと繋がっていたことが明るみとなり、民意は大きく軍に傾く。
「ゴーダ騎士団領国の国民が、平和を願おうとも、アルメニア王家が存在する限り叶わぬと知れ!」
そう宣言した男は、国内を対アルメニアに結束させ激しい内乱を繰り広げる隣国への干渉を強め始める。それは直接的に間接的に進められ、まずトラスベリアの選帝侯が休戦を結び、マジャニー・ラスカ・シェブール公爵を中心とした軍が南へと向かう。コーレイト王国もここで再び動き出し、大軍を渡海させアルメニア北部国境を脅かし始めた。これら一連の動きを主導したギューンの狙いは、カミュル・ラング・アルメニアの弱体化だ。
冷害の影響で動けぬカミュルだったが、嫌でもこれに対処せねばならなくなり、彼の軍は再び、アルメニア北部国境へと舞い戻ったのだ。
ギューンの行動はこれと同時だった。
彼は三個師団を率い、アルメニアに侵入する。
ラネー公領は再び、ゴーダ騎士団の侵略を受け、ベルーズドへと手を伸ばしていたヴラドは急ぎリュグーンへと帰還した。ここでようやく、彼は妃と王子の不在を知り、その原因が幕僚の裏切りであると知った。城の内部は、ドラグルの裏切りを見逃した士官達が悉く斬り殺され、床も壁も血に汚れた。
宰相執務室としていた部屋で、調度品を片っ端から叩き壊した偉丈夫は、血走った目をベアトリスに向ける。
「決して許さぬ! すぐに追え! 八つ裂きにしてくれる!」
アルメニア王国は新たな局面を迎えつつあった。
その中で、エミリ率いる大公軍がストラブールへと帰還した。
戦死者が全軍の一割強にも及び、負傷者を含めるとその戦力は二割減。また大公妃自らも負傷とあって、勝ったといえども喜べないストラブール市民達は、その不満をヴラドへと向ける。
「俺達の戦乙女をよくも!」
「決めた! 俺は軍に志願する!」
こういうお調子者をあしらう仕事がボルネアの負担を大きくし、エミリも動けぬとあってオーギュストの口癖も頻度が増す。
オレンジ色の髪を汗で濡らした政務卿は、まだ冬だというのに薄着だった。寝ていても書類仕事は出来るだろうと、大公妃執務室の扉を叩こうとした彼の耳に、二人の女性が啜り泣く音が室内から聞こえてきた。
「エミリちゃん、泣かないでよ。お兄様を褒めてあげてよ」
オーギュストは俯き、手にした書類を廊下に投げつけると、呼吸を整え拾い集める。侍女や官僚達に不審がられた彼は、喉を鳴らしてその場を離れた。
(俺は無力だ。誰も救えぬ……)
彼は政務卿だのなんだのと、大層な職を任されているものの、結局は安全な場所で呑気に仕事をしているに過ぎないと自虐した。
「くそう!」
彼は再び、書類を廊下に投げつけていた。それを見咎めたボルネアが、苦笑とともに政務卿に歩み寄る。
「殿下がご帰還なされる。モリペレント公はヴラドが兵を退くと、同じように退いたそうだ。ワラキアへはハザル卿と四〇〇〇の兵が残る。諸侯の軍は今回、それぞれの領地に帰らせるそうだ」
廊下の上に散らばった書類を睥睨したオーギュストは、家老に視線を転じた。
「そうですか……。しかし、あっさりとしたものですな」
「いかにも。だがこのことからモリペレント公がヴラドと組んだのは間違いないと思ってよろしいでしょうな。それと、ストラブールの城の一部を早急に改装せよと殿下から指示が届きました」
首を傾げたオーギュストに、ボルネアは声をひそめた。
「二人の王子が母親と共に、殿下を頼って逃げのびて来たらしい」
政務卿は舌打ちした。
いや、状況は好転する兆しを見せている。しかしこの時の彼は、ただ急ぎの仕事が増えてしまった事に対する苛立ちを表に出したに過ぎなかった。
-Alfred Shyster-
僕はセザール・ストラブールというホテルの一室で資料調査を朝からしていた。どうにも腹が鳴ると思って時計を見ると、すでに夜の七時。十二時間、何も食べてない。
ストラブールに来たのは久しぶりだ。この都市にあるストラブール大学で、明日の午後から講演するのだ。しかし、資料調査は明日の講演とは全く関係がない。
アルメニア史の史料である。
これまで、フェリエス大公によって二人の王子はヴラドから救い出されたとあったが、それは嘘であった。彼らはヴラドを裏切ったドラグルという将官によって、ヴラドの元から運び出されたのだ。
どうして嘘をつく必要があるのか。
それは、このドラグルという男がヴラドの下で悪逆非道を尽くした男であるという評価のみに止めておきたいという意思があったからだろう。それは、歴史書において王都を焼いた主犯に、彼が名を連ねていることから窺える。彼はこの時、グラン関の防御指揮を執っていたにも関わらずだ。
なるほど、アルメニアという国はこの内乱以前も以降も、一部の者の意思によって歴史認識が歪められているのだ。
一部の者とは、言うまでもなく王家である。
なぜ?
それは僕の口から言うまでもないが、王が王として君臨する為だ。
しかし仮にそうなら、今上国王陛下はどうして考えを改められたのであろうか。
聞いてみたいものだ。
携帯電話が鳴り、僕が着信ボタンを押すと女性の声が聞こえてきた。
「はーい、アレフ。ストラブールに来てるんだって? どうして連絡をくれないの?」
僕は無言で携帯電話を切ると、電源をオフにした。
ステファニーとは、今は会いたくない。いや、ずっと会いたくない。僕はもうこれ以上、ユイ君の信用を失うような事をしてはならないのだ。すでに信用メーターは限りなくゼロに近いのだから。
モランミリーで仲良く観光をしていたのが懐かしい。あの時はまだ彼女にとって僕は対象としても良い男であったはずだ。
部屋の冷蔵庫から水を取り出し、喉を潤す。
アルメニア史だ。今はそれだ。
アルメニア王位継承戦役で重要な働きをした人物の一人として無視できないのが、当時存在したゴーダ騎士団領国総長ヒーロ・ギューンだ。彼はとても人気のある英雄で、継承戦役より後に発生した神聖スーザ帝国による大陸西北部への侵略戦争でも大活躍している。
「平和は願うものではない。実現させるものだ。そしてそれには、大量の血が伴う」
彼の言葉は今でも語り継がれている。平和主義者を毛嫌いしていたであろうとうかがえる発言で、彼の思想をわかりやすく後世に伝えてくれる名言である。武断派でありながら、抜群の政治センスを備えていただろう彼は、アルメニア継承戦役時にはまだ三十歳程度であった。
その男が、血縁でもないのに騎士団総長に就任したタイミングに、陰謀の匂いを嗅ぎとれるというものだ。世に言われているほど、彼とて正義の味方ではなかったと僕は思うのだ。
そして、このヒーロ・ギューンなる人物が僕の考えている通り、単純な正義の味方ではなかったと仮定すると、アルメニア継承戦役はやはり、エミリ・ベロアとヒーロ・ギューンによって引き起こされたものではないかと思うのである。なぜなら、エミリさんが当時の支配体制を弱めたことで、ヒーロ卿のバノッサ攻略が行われたと思うし、彼の計略によって王弟が内戦に参加できず、フェリエス大公は多方面に敵を抱えなくてよくなった。
連絡でも取り合っていたのかと疑いたくなるほど、二人は息が合っている。もしかして、エミリさんの浮気相手だったりして……。転送魔法かなんかで、大公の留守にクレルモンフェランで密会していたのではないだろうか……。
やめよう……。僕がスケベだからといって、誰もがそうだと決めつけてはいけない。
エミリさんはフェリエス大公一筋なのだ。
見習おう。
部屋の電話が鳴る。
「はい」
「フロントでございます。ステファニー・フェラー様という方がお見えでございます」
僕は頭を抱えた。
-Féliwce & Emiri-
アルメニア王国歴三五〇年、春。
アルメニアの厳しい冬が和らぎ、陽光は暖かみを大地へと送る。その下で草木が芽吹き、野花がその花弁を大きく広げつつあるこの時期、膠着状態にあった内乱に大きな動きがあった。
マリアンヌ元王妃が二人の子供を連れ、フェリエスの元へと逃げ込んだ。これでアルメニア王国臨時国王府がストラブールに設置されたという事実から全て派生する。
王国宰相となったフェリエス・ベロア・ベルーズド公爵は、自称宰相とは違い、元王妃と二人の王子の依頼を受けての就任であり、それはアルメニア王国の未来が、この男を中心に作られるものだという事を内外に示した。
誰もが大公の世になるものと確信したが、彼はそれをあっさり否定してみせる。
「二人の王子殿下がご成人なされるまで、国権をお預かり致します。さすれば直ちにカミュル・ラング・アルメニア公爵と共に、国内外の敵を撃ち滅ぼしてみせまするゆえ、どうかご安心ください」
海路を使い、ボルネアがカミュルと面談したのはこの布告から十日後。決して手を結びあうとは思ってもいなかった同士が繋がりを持ったと同時に、コーレイト王国、トラスベリア王国、ゴーダ騎士団領国、そして国内のヴラドとモリペレント公爵を撃ち滅ぼすと示して見せた大公は、東部諸侯達を国王府の要職に就けながら、カミュル・ラング・アルメニアを王国元帥とした。
モラン・ベルグド・シャンパーニュ公爵が引退してから空位であった国軍の最高司令官に任命されたカミュルは、改めて公式な影響力を取り戻し、諸侯を従え北部国境を守りつつ、モリペレント公爵を牽制する。
そういう情勢を作り出したフェリエスは、ヴラド討伐を宣言した。
傷の癒えない妃の横で、娘をあやすフェリエスの視線の先には、クロエがいた。
「俺の力不足だ。詫びて足りる事はないが、詫びずにはおれない」
美しさと強さを兼ね備えるようになったクロエは、意思の強い瞳を瞼で隠すと、大公とその妃に微笑む。
「いえ、兄はきっとエミリ様が無事で喜んでいると思います。私は素直に嬉しいとは思えないというのが正直なところですが、エミリ様が無事であるからこそ、悲しみが和らいでいるのだと感じております」
エミリを守り死んだ男の妹は、大公夫妻を交互に眺めるとある決意を口にした。
「これからこの国は大きく変わるでしょう。兄はきっとその手伝いをさせて頂きたいとも願っていたに違いありません。その代わりを私は望みますが、学もない私では叶わぬ事でございます。難しいと分かっていてあえてお願い致します。私をストラブール大学のシェスター助教授の下で働かせてください」
クロエが退室した大公夫妻の部屋で、エミリが寝台の上で上半身だけを起こしていた。夫の心配げな瞳の揺れに微笑んだ彼女は、娘の伸ばす手をそっと掴む。
「タイタイ……」
「痛いねぇ。アデリーヌも痛がってくれるの?」
「タイタイ!」
キラキラと輝く黒い瞳に、両親の笑顔が映りこむ。当たり前のような時間であるが、それが何より大切だと理解したフェリエスが、愛しい女性の肩にそっと手を置いた。
「すぐに助けに行けなくてすまない」
「ううん。 逆の立場だったら私でもそうした」
笑ったが、以前とは違うエミリの笑顔。
大公は無言で彼女を抱きしめると、瞼を閉じた。
エミリはきっとこう考えている。
自分が復讐の為に単身でヴラドの相手さえしなければ、クロエの兄を死なせる事はなかったと。
そしてそれは、誰かに否定されようとも、彼女がそう信じる限り消えないのだ。さらにその後悔を辿っていけば、自分の判断によって大勢の命を奪っているという事に繋がり、平和な未来を作る大儀との間で、彼女は激しく揺れ動いているのだ。
「エミリ、自分を責めるなといっても無理であるのは分かっている。だからこう言う。俺を攻めろ、エミリ。誰かの子が、兄弟が、夫が死ぬのは全て俺の野心のせいだと。全ては俺のせいだと思え」
「そんなの……できないよ」
エミリは弱々しく吐き出した。
「俺はお前を苦しむ世界に引きずり込んだ張本人だ。俺を憎め。その代わりに俺はお前を愛する。お前の憎しみが溶け消えるまでお前だけを愛し続ける」
白い頬を朱色に染めたフェリエスに、エミリはすがりついた。
-Féliwce & Emiri-
長く伸ばした黒髪を風に晒した男は、黒い瞳を赤く変化させた。興奮すると瞳の色が赤く染まる特殊な病気。そのせいで子供の頃はひどく虐められたものだった。
「人の悪意は底がない。それが子供であれば無邪気に表に出るものだ。だからこそ性質が悪い」
「は?」
過去を振り返り独り言を発した彼に副官が視線を向ける。二人の背後には、ゴーダ騎士団の三個師団が整然と並んでいる。鎖帷子の上に鉄の胸当てとすね当てを着込み、さらに白地の外衣を着ている。外衣には国旗と同じ赤い十字が描かれている。そして彼らの顔もそれと同じ模様が化粧され、遠目に見ても不気味であった。ゴーダ騎士団領国軍は全員が職業軍人である。練度、士気共に他の追随を許さない彼らは、建国から二百年間、他国の侵略を常に弾き返し続けている。その彼らが、ヒーロ・ギューンという英雄に率いられ、アルメニアへと出征したという事実は、大陸列強をも震撼させた。
「何でもない」
ヒーロ・ギューンは赤く染まった瞳を副官に向けると、草原の上で対峙する敵を指差す。
「見ろ准将。ヴラドだ」
二人の前方には、重騎兵の槍先を揃えたヴラド軍の威容があった。悪鬼、死神と呼ばれる男に率いられた軍は、ゴーダ騎士団を迎え撃つにあたり、この平原を選んだのである。それは騎兵の強さを存分に発揮するためでもあり、これより先、ラネー州の主要都市があるからだった。
「守る側がああまで攻撃的な布陣をするのは珍しい。用兵家が十人いれば、十通りの戦い方があるとは良く言ったものだ」
ギューンは従者が引きつれてきた愛馬にまたがる。黒と赤を基調とした彼の甲冑は業火を連想させた。それは白と赤を基調としたゴーダ騎士団兵装の中にあって、一際目立つものであった。
「あの大公妃率いる軍でも苦戦した相手です。慎重になさるべきでは!?」
リューイの言葉に総長は笑った。
「俺は早くエミリ殿の敵討ちがしたいのだ」
「またそのような事を……」
リューイは、隣国の大公妃に心を奪われている上官に苦笑を向ける。これまで何度となく諌めてきたリューイであったが、ギューンはそれを悉く無視して、転送魔法でエミリに会いに出かけて行っていた。
「閣下なら、より取り見取りでしょうに!」
「見てくれだけの女はいらん」
副官に笑みを向けた総長の背後に、ゴーダ騎士団の騎兵大隊が終結する。大陸でも最強と呼ばれる騎士団の中にあって、さらに精鋭のみで編成された部隊は、全員が魔導士であった。
「竜騎兵の突撃に続け。ヴラドは基本、攻めの男だ。防戦一方となる事に慣れておらん」
リューイの背後で、将官達が気合いの声をあげる。その先頭でギューンの副官は、これから戦闘が始まろうというのに場違いな諫言をする。
「人妻がそんなにいいんですか!? 子持ちですよ!」
「エミリどのだからだ! 馬鹿者!」
ギューンは馬に鞭をいれた。
加速した馬が、瞬く間に最高速度に到達する。人も馬も一流であった。それを見送るリューイが、背後の将官達に声を張り上げる。
「攻勢に出よ!」
ゴーダ騎士団がヴラド軍に襲いかかった。
-Féliwce & Emiri-
疾風迅雷。
ヒーロ・ギューンの戦場での采配ぶり、戦いぶりを端的に表すとこうなる。彼に率いられた竜騎兵と呼ばれる特殊な騎兵は、突撃しながら魔法を発動させる。激しい馬の揺れにも耐え、魔法を発動できるその集中力は感嘆に値するだろう。
魔法での攻撃には魔法での防御……なのだが、敵の魔法を防御する結界が張れなくなった場合は、どうなるか。
それを今まさに、ヴラド軍が身をもって体感していた。
火球と稲妻の破壊により、ヴラド軍は戦闘開始間もなくして軍の形を成してない。魔法を防げないとなると、魔力を宿した道具で防ぐしかないが、そのような高価で貴重なものを一介の兵士が持てるはずも無かった。
混乱の極みとなるヴラド軍に、ゴーダ竜騎兵が突撃する。一流の魔導士達であり、一流の騎士である彼らによって、ヴラド軍前衛は突き崩され、中列は後退と前進でせめぎ合い、後列は逃亡を始めた。
剣に手を伸ばしたヴラドが、その動きを止め、息を飲む。彼はまるで信じられない光景に、思考停止となった。
ゴーダ騎士団がヴラド軍にぶつかった。
竜騎兵によって粉砕されたヴラド軍に抗う術は無く、最強の軍隊による一方的な殺戮で野が血に染まる。騎士団は1人ひとりが圧倒的に強く、剣技、体術ともにヴラド兵を上回る。
ヴラドは、こうまで一方的にやられるとは思ってもみなかった。さらに言えば、自慢の重騎兵が一瞬で紙屑のごとく蹴散らされるなど、ありえない事だと思い、未だに事態を飲み込めない。
「ここにいたか!」
茫然とするヴラドの耳に、覇気に満ちた声が飛び込む。その方向に視線を向けた偉丈夫は、人馬一体となって迫る男を見た。その男はヴラドが見ても異常な程に強かった。ヴラド軍兵を草木のように斬り倒し、右手の長剣は血を吸い赤く滑っている。業火を連想させる甲冑が返り血で濡れ、自分を睨みつける赤い瞳は悪魔のようであった。
ヴラドは身を翻した。
「ベア……ベアトリス! 防げ!」
馬を駆って逃げ出した偉丈夫。
「逃げるな! 情けない奴!」
馬を加速させヴラドを追おうとするゴーダ人。
ヴラドの幕僚が目を見開き、ようやく剣を抜き放った時には、敵の斬撃が目の前に迫っていた。
「!」
ベアトリスはそれを馬から落ちて躱す。だが彼もただでは転ばない。男のマントを掴み、地面に引きずり落とした。
草の上で一転した男が、ベアトリスに笑みを向けた。
「ヴラドめ、逃げたか。でかい図体のわりに素早い奴だ。仕方ないな……お楽しみは後に取っておこう」
「生意気な!」
ベアトリスはこの時、魔法を用いた。
彼は魔導士なのである。しかし、それを人前で使った事は一度もない。使いどころが肝要だと知っていたからだ。そして、今はその時だと判断した。
「喰らえ!」
彼の手が水平に払われると、無色の刃が発生し、それが男へと高速で迫った。
次の瞬間には、男の胴体が真っ二つになるものだとほくそ笑んだベアトリス。しかし男は、何事も無かったのように立っている。
「俺に魔法は無駄だ」
ベアトリスは、対峙する強敵の正体を知った。
「き……貴様は! のこのこと現れおって!」
男、ヒーロ・ギューンは右手の剣を構えもせず前に踏み込むと、ヴラドの幕僚をその殺傷範囲内に捉える。その踏み込みの早さと距離に、身体をのけぞらしたベアトリスは、ギューンの白刃が煌めくのを見た。
「閣下! 馬でございます!」
ベアトリスに背中を向けた敵の司令官は、愛馬の首を撫で飛び乗る。それを眺めていたアルメニア人は、視界が急激に暗くなり喉を鳴らした。
ヴラド軍将官の身体から首がごとりと落ちた時、ギューンは既にその場を離れ、逃亡するヴラドの追撃に取りかかる。
騎士達は強く、ヴラド軍兵を稽古でもするかの如く葬る。それらは決して個での強さを誇るだけでなく、高い練度を誇る組織的な動きで敵を追い詰めていた。
馬上のギューンが、副官の声に振り返る。
「閣下! 使者でございます」
「ヴラドから休戦でも申し込まれたか? 逃げながら使者を遣わすとは図々しい奴だ」
リューイがほくそ笑み、口を開く。
「アルメニア王国宰相、フェリエス大公からでございます」
ヒーロ・ギューンは目を見開いた。戦場でいかなる事態に陥りようとも決して驚いた事のない彼が、この時ばかりは動揺を隠せなかった。
-Féliwce & Emiri-
ゴーダ騎士団。アルメニア王国近衛騎士団がゴーダ地方の反乱を鎮圧する為に出征し、そのまま居座り独立を宣言した。これが両国の因縁の発端である。
『ゴーダ人とは卑しい者達である。用いる言語もアルメニア語を野蛮で下品に変化させたものである。風習、文化は数千年前まで後退し、とても人とは思えない下等な人間達の総称である』
『アルメニア人とは卑怯で差別主義者。その言語は響きが醜く聞くに堪えない。日常的に他人を蔑み差別する彼らにその自覚がないゆえ始末が悪い。相手がアルメニア人であるとわかれば関係をもたないほうがよい』
双方の辞書に、こう記載されているほどの憎しみ合いである。
その両国の軍旗が争うわけでもなく同じ場所に並ぶというのは、実はこの時が初めてだったかもしれない。
ゴーダ騎士団領国の白地に赤い十字の旗。
アルメニア王国の赤地に金色の大樹が描かれた旗。
その二つの下で向かう合う男が二人。
ヒーロ・ギューン総長とフェリエス・ベロア・ベルーズド王国宰相である。
ゴーダ人が先に言葉を発した。
「遠路はるばるお越し頂いて恐縮至極。よほどお暇と見える」
「いや、ここは我がアルメニアの領地であるゆえ、こちらこそ貴公のご足労には痛み入る」
非友好的な挨拶を交わした総長と宰相。それぞれの部下が視線を交差して苦笑を浮かべた。
リューイ・モリール准将とオーギュスト・ジダン政務卿である。
無言で睨みあう総長と宰相。彼らをそうさせるのは何も国家を背負って立つというものだけではない。いや、それは些細なものだった。この時の二人が険悪になる理由は、一人の女性が原因である。
「我が妃がシャンパーニュでは世話になったようだ。この場を借りて礼を申そう」
我が妃という言葉を強く発音したフェリエスは、初めて笑みを見せた。それは、「お前と違って俺はエミリの夫だ」という余裕から生まれたものである。
また、またそれを受けて「ははは、礼には及ばない。礼ならエミリ殿から頂いておるからな」と含みのある応えをしたギューンのやり取りは子供の喧嘩に近い。
咳払いをしてオーギュストが口を開いた。
「殿下、お気持ちはわかりまするがこのような話をしに来たのではございませぬ。どうか」
大公の政務卿が主君を諌めたのを見て、リューイがほっと息をつく。
青い瞳から危険な煌めきを発した大公が、騎士団総長を見据える。
「単刀直入に言おう。貴国の軍が無法に我が国の領土を荒らしている。ヴラドなる反乱者を相手に駄賃欲しさにやっておるのかもしれぬが迷惑だ。軍を退くように」
オーギュストが頭を抱えた。和平を目的としている会談にも関わらず、彼の主君は喧嘩を売っているとしか思えない言動だからだ。いや、売っているのだ。
「相変わらずアルメニアは傲慢だ。こうまで荒れてもなお大国気取りかよ……笑わせる。そもそも、我が領土に攻めて来たのはどこのどいつだ?」
「貴国の領土? それは我が国の領地を貴様らが不法占拠している土地を指して言っておるのか? 嘆かわしい奴。もう一度、歴史の授業を受けて来たらどうだ? なんならここで講義をしてやってもよい」
「はっはっは。これはこれは……。特権階級の者達が国を食い物にしてきた過去を教えられても役には立たぬ。いや、それは現在進行形であったか……失礼した」
溜め息を吐く二人の部下達。責任ある立場とは思えない二人のやり取りに、幕僚達は失敗を認めた。オーギュストがエミリの意を汲み、ゴーダ騎士団へと使者を遣わし、元々、アルメニアの内乱に介入する事を心配していたリューイ・モリール准将は会談を快諾し、総長を説得してこの場となったのである。だがエミリの心を奪いたいギューンと、守りたいフェリエスは、国益を無視して口喧嘩をさらに激しいものにしていく。
それを横で聞きながら、オーギュストが舌打ちした。
「くそ! こんな事ならエミリと俺で来るべきだった。まだ傷が痛もうが、馬車ならなんとかなったかもしれぬ」
リューイがオーギュストに目配せする。喧嘩をする総長と宰相の横で、短いやり取りが交わされた。
「まずい。オーギュスト卿、ここは日を改め、人を変えるしかございますまい」
「おっしゃる通り。こちらはエミリ様を立てまする。ぜひとも総長閣下には和平を結んで頂くよう、根回しを願いまする」
「了解しました。しかし、お妃様が立つことを大公殿下はお認めになられますかな?」
リューイが視線をフェリエスとギューンに向けた。
「貴様! エミリをまだ狙っておるのか!? 図々しい奴! お前はフられたのだと自覚しろ!」
「ほざくな! 夫のくせしてエミリ殿が怪我をするまでの死地に送り込みおって! 夫の務めも果たせぬ男が何をぬかす!」
「言わせておけば! だいたい貴様は相手にもされておらんのだ! エミリが愛しているのはこの俺だけだ!」
「側室を何人も抱える汚らわしい男がエミリどのの名を呼ぶな! 貴様も貴様の国も地図からも歴史からも消して、エミリどのをお救いする! 首を洗って待っていろ!」
「何を――」
二人の副官達の苦労は絶える事がないのである。
-Féliwce & Emiri-
アルメニア王国の元王妃の見舞いを受けた私は、彼女の後ろに隠れる男の子二人に笑みを向けた。彼らは私の肩にのぞく包帯を見て目を細める。
「怪我をしたの?」
「恐れ入ります、殿下。自分の弱さゆえでございます」
「知ってるよ。戦乙女は絶対に負けない。仲間を見捨てない。悪者を許さないって知ってるよ。母上をいじめたあいつも絶対にやっつけて」
お兄ちゃん……ヨハン君が激しく肩を振るわせる。
彼らが帰った後、男の子もええのう……怪我が治ったらフェリエスと……などと考えていた私だったが、すぐに名案を思いつく。以前、オーギュストさん経由で授かったリリア姐さんの助言。
サラちゃんを介して、『弱い立場の人達を取りこむ作戦』を実行に移した。
ひ……卑怯なんかじゃないんだから。
数刻後……。
私はお見舞いに来てくれた側室達に笑みを向けた。群れることが苦手で、後宮で肩見が狭い人達を集めて部屋に呼んだのだ。
「殿下はお忙しい方であられますゆえ、あなた方には寂しい思いを強いておりまする。どうか、お許しください」
丁寧に頭を下げると、慌てふためく側室達。彼女達は手にした見舞いの品々を私に見せてくれる。塗り薬であるとか、薬草の粉末であったり、贅沢ではなく気の利いた品々で、こういう人達が貴族の中にもいると私に教えてくれた。
しばらく談笑し、いざ側室達が退室する頃になり、面倒な奴が出入り口に姿を現す。
ルシェミナ登場……。
呼んでないっつーの!
「お見舞いに参りました!」
出入り口で、立ち去るべきか迷っている他の側室達。彼女達は不安そうに私とルシェミナを交互に眺めている。
「そうですか、ありがとうございます。お茶会でお忙しいとばかり……」
「ええ! いつでも殿下に召しあがって頂けるように用意しておりまするが、誰かのせいでその機会はございません!」
私は悲しげに微笑んで見せる。
クリスティンさんに言われたのさ。
「エミリ、よいか? これからどんなに喧嘩を売られようと相手にするでない。ただ、悲しげに微笑むのじゃ。そして誰かにそれを目撃させよ。侍女でもよいし私でも良い。後は勝手に息まいておった者達が自滅する」
今日は側室達が目撃者です。
意地悪な側室と、可哀想な正妻の図が完成。
「殿下にはしかとお伝え致します。まだ具合が優れませんので、今日はお引き取り願えますか?」
「ふふん! 歴史ある王国貴族である私達を蔑ろにしておる報いを受けたのです!」
「ルシェミナ様……」
側室の一人、ブルージュ伯の妹で十五歳でありながら兄の為にフェリエスの側室となったイレーナちゃんが、ルシェミナの腕をそっと掴む。
「何ですか?」
冷たい視線を少女に向けたルシェミナ。それに脅えながらもイレーナちゃんは気の強い女から視線を逸らさなかった。
「お妃様は怪我をされてるんです。さ、休んで頂きましょう」
「あ……あなたごときの指図は受けません!」
少女の手を振り払ったルシェミナだったが、彼女は自分に集まる側室達の視線にたじろいだ。たっぷりと非難の色が含まれていたからだ。
「な……何よ! こんな女の味方をするの!?」
ルシェミナの言葉に、側室達が息を飲む。
イレーナちゃんが、震えながらも彼女を見つめた。
「味方するしないではなく、人として王国貴族として恥ずかしくない振る舞いをしてはどうかと申し上げているのです」
イ……イレーナちゃん、かっこいい。
ルシェミナは拳を握りしめ、私を睨みつけると側室達を押しのけ姿を消した。
ざまぁみろ! と心の中で舌を出してやりながらも
「ありがとうございます。私の為に気まずくさせてしまいましたね」
側室達に声をかけた私。はっきり言う。女優の才能があると思う。
「いえ、どうかゆっくりとお休みになって下さい。良くなられましたら、クロロ公園に花を観に参りましょう」
側室達が今度こそ、私の部屋から去って行った。
あー、肩こる……。上品バージョンは長くは無理だなぁ……。イレーナちゃんに迷惑がかからないよう、クリスティンさんにお願いして見守ってもらおう。
しかしこうやってのんびりと寝てると、仕事をしたくなります。暇過ぎて死んじゃう。
フェリエス、早く帰って来てかまってくれないかなぁ……。
ヒーロさんと喧嘩してない事を祈る!




