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 アルメニア王国歴三四九年も、あと一カ月で終わるという頃。


 アルメニア王国内は東部を除き、刃がぶつかり合う危険で残酷な争いに支配されている。


 カミュル・ラング・アルメニア公爵とピヨール・ギグー・アラゴア公爵を中心とする王弟派。


 ギヨーム・サルマン・モリペレント公爵を中心とするモリペレント公爵派。


 この二つは当初、連合をして協力していたが、所詮は自分達の都合で組んでいただけで、結局は都合で決別した。王弟派は焼け野原となったフォンテルンブローの占拠を諦め、アルメニア地方第二の都市であるナントにその拠点を移す。


 一方でモリペレント公爵はアルメニア地方まで進出した軍を退かず、一部を占領しながらも動きを止めた。


 そして、ヴラド・ヴィシュル・ワラキア伯爵。


 彼はラネー公爵を殺害。さらにその領地を占拠し、疲弊していた土地と人民は、横暴な支配者の搾取でさらに弱まってしまっている。おそらく、内乱が終わっても、ラネー公領は立ち直れない。相当な投資と時間が必要だと私は思う。勝てば良いのではなく、勝った後にどうするか、何をもたらすかが重要なのだ。


 他勢力の支配下にある領地のことも、ボルネアさんに頼んで詳しく調べてもらっている。と同時に、膨れ上がった大公領の政務もこなす。


 ベルーズド地方三州とモリエロ州の四州に加え、旧ロゼニア王国西部の五州が加わったフェリエスの直轄地。支配下に置く諸侯達まで含めると、その勢力は十七州、人口八百万にも及ぶ。農業、工業ともに国内で最も安定しており、成長を続けている為、他勢力の支配下に置かれている土地から人の流入が激しい。


 手が回らず、軍務に政務に人を増やしたフェリエスと私だったが、新しく雇い入れた人達は、まだまだ大公領の特殊な統治運営になじめておらず、私達の手間が減ることがなかった。


 アデリーヌをシンシアさんに預けっぱなし!


 母親失格だよ! 


「よろしいんですよ。いつもべったりですといつか負担を感じるものです。会えないから愛おしく想うのですよ」


 シンシアさんはこう言ってくれる。


「エミリが面倒を見るより、シンシアさんのほうが安心だろう」


オーギュストさんがこう言ってくれた……。


『おまえみたいな凶暴な姫様だと回りが迷惑だからな。離れたほうが似なくていいだろうな』


 ハザルさんは手紙にこう書いてくれていた。


 忙しさとアデリーヌに会う時間の少なさに苛立つ私を、さらに追い込む事件が起きる。


「エミリ様! お話がございます!」


 それは大公妃執務室で、私が官僚達に指示を出しながら、書類に羽根ペンを走らせていた時のことだった。


 いきなり扉を開き、そう切り出したのは、フェリエスの側室達の一人でルブール伯爵の娘、ルシェミナ姫だった。


「忙しい」

「こちらも暇ではございません。お話がございます!」


 どうせ、歌にお茶の女子会で忙しいだけだろ? とは言わず、官僚達に署名を終えた書類を渡し、


「財務局と打ち合わせして。それから、マルセイユの倉庫使用料の算出方法を参考にして……何?」


 指示を出し終え視線を送る。


 おっぱい、でけぇな……。


「私達は大公殿下の側室でございます」


「知ってるよ……麦の値段が乱高下してる。原因を探って。……それがどうしたの?」


 官僚達とルシェミナ姫を交互に相手しながら、その合間に羽根ペンを走らせる私。隣では、クロエちゃんが石と木で作られた算盤を操り、難しい顔をしていた。


「聞けば、エミリ様が、大公殿下が私達のところへ来られぬようにされているとか。どういうおつもりですか!?」

「喧嘩売ってんの? ……ロゼニアのアリストロさんにこれを速達! ほい! 終了! 休憩!」


 官僚達が執務室から出て行き、クロエちゃんが紅茶を淹れてくれる。彼女は私の分だけを用意すると、意味ありげな視線をルシェミア姫に送り退室した。


 クロエちゃん……私に似て性格が悪くなってる……お兄ちゃんに申し訳ない!


「私は行きたいなら行けと言ってるよ。まあ、いいよ。で、どうして欲しいの?」


 嘘じゃありません。命を賭けて行けとフェリエスには言ったもん。彼は命を賭けたくないから、行かないと思うんだ。


「私は……私達とお過ごしになられたいと思われている大公殿下のお気持ちを尊重すべきだと申しておるのです!」


 正直に「私も殿下とイチャつきたいんです」って言ってくればいいのに。面倒な奴だ。何を格好つけてんだよ。


「尊重してるさ。何? 私の口から後宮に行けと言って欲しいの?」


 正妻の私は……フェリエスにとって唯一の本当の正当な妻である私は、紅茶で喉を潤し椅子にもたれて伸びをした。余裕の表情でルシェミナ姫を眺めると、彼女は腕をわなわなと震わせているじゃありませんか。


「ぶ……無礼な。私は由緒正しきアルメニア王国の伯爵家の娘です。その私に対し、このような態度は許しません。もとはといえば、殿下のご慈悲で囲われておっただけの妾に過ぎぬというではありませんか! ただの臣民風情が図に乗るでない」


 てめぇ、いい度胸してんな!


「ただの妾の分際で、あろうことか殿下の御子を授かることに成功し、過分な立場を得るなどあってはならぬことです! 恥を知りなさい!」


 私は怒りを沈める為に紅茶を一気に飲み干した。そして、顎先をつんと上に逸らし、私を見下ろす貴族のご令嬢を見つめる。睨んではいません。


「可哀そうに……その自尊心があんたの今を認めさせないんだね。両親が保身のために人質に送り込んだ……これはあんたのせいじゃない」


 眉を跳ね上げたルシェミナ姫。口を開こうとした彼女だったが、立ち上がった私に圧倒される。


 おっぱいはないけど、背は高いからね!


「ま、不満を持ちながら自分で言いに来ない他の人よりはマシかな。あんたはまだ正々堂々と私に言いに来た。それに免じて許してあげる」

「ふ……ふふん。私が恐いのですか!?」


 どこまでも強気なルシェミナ姫は、私を見上げながらも後退りしない。両脚を踏ん張って、必死に頑張っている。


「大公殿下には伝えてあげる。後宮で首を長くして待ってる人達がいるってことを。どうするかは殿下次第。さ、帰って。あなた達と違って、私はこの国を守らないといけないの。この国で暮らす全ての人達に責任を持つ立場なの。邪魔しないでくれるかな?」


 私を睨みつけた貴族のご令嬢は、内心を投影させた足取りで部屋を出て行った。




-Féliwce & Emiri-




「ねえ、聞いてるの?」


 その日の夜、さっそくフェリエスにチクる私。


 だってさぁ、ひどい事を言われたんだぁ……。


 言い返したけど……。

 

 フェリエスは歯磨きをしながら、視線だけを私に向ける。私は真水を杯に汲んで、彼の為にそれを持ったまま立っている。


 首をコクコクと縦に動かす彼。


 歯磨き中だから、喋れないのは分かるけど、その目に「面倒だ」と出ている。


 夫婦の関係がうまくいかなくなるのは、こういう気持ちの共感ができなくなる事から始まるって、誰かが言ってたよフェリエス。


 私の差し出した水で、口を濯いだ彼。


「城には入れるなと言ってあるのだがな」


 側室達が城に入るのを禁止している大公殿下。なぜなら、彼が後宮である別邸に行かない限り、彼女達との接点を無くすためで、それは事実上、無しにしたいという彼の考えなのです。


 命は大事だよ。


 ま、クリスティンさんとのこともあるしね……。


 今度は私が歯磨きをする。水を汲んでくれた彼に目だけで微笑んで見せた。


 小さな寝台の上で、ぐっすりのアデリーヌを眺めながら、シャコシャコと歯磨きをする私。考えるのは、フェリエス不能疑惑の事です。これがあるせいで、妻公認の浮気さえ出来なかった夫が、後宮などで遊びまくれるはずもありません。心配な半面、嬉しかったりもする私。


 彼の名誉の為にいっておきますが、彼は不能ではありません。ちゃんとできます……私、だんだんと下品になってしまっている。


 フェリエスから事情を聞いたところ……


「その……、お前以外とは無理だ。緊張するし、耳鳴りもするし、頭も痛くなる。それに……例の者どもが頭の中で笑いだすのだ」


 こう言って、うんざりとした表情となりました。そして、何を言われていたのかを教えてくれます。


「王に取り入る為に近づいた売女の息子」

「淫売の子もまた淫売」

「どうせ、そういう手法でしか立身できぬわ」

「本当に王の子か? こればかりは女の言う事を信用するしかないが、あの女の言う事など信用できんぞ」

「しかし王が認めたのだ。仕方なかろう」

「それにしても図々しい。母がああであれば、子もそうであろうよ」


 などなど、まだ優しい表現のみを連ねても、以上のような誹謗中傷を嘲りと共に受けて幼年期を過ごしていた彼。そして、お年頃になった時には、女の子の手すら握る事ができぬほどに、『触れる』という行為に恐怖を持つようになったとか……。しかし、なんとかそれを訓練の末に乗り越えたものの、いざ「この娘、可愛いな」と想った女の子と親密になりかけると、頭の中にあの大人達の嘲笑が蘇り、頭が割れんばかりに痛むのでした。それから彼は、女の子と距離を取るようになったと……。


 あ……あんた、壮絶な半生を送ってたんだね! 可哀想に……言った者達は無責任に忘れてしまっているだろう。そして、あれはもう過去のことだと思っているだろう。しかし、言われた側、された側は忘れらない。心の傷は深く、ちょっとしたことで嫌な記憶として蘇るものだと私は知っている……ノッポと馬鹿にされた子供時代を、私はこの時、思い出した。


 歯磨きを終えた私は、アデリーヌの寝顔を覗きこむ大公殿下の隣に立つ。その肩にそっと触れると、金色の髪を揺らして私を見る彼。


 寝台に二人で座り、娘の顔を眺めるのが忙しい私達の、短い安らぎの時間です。


「エミリ、クリスティンと子を生せとまだ言うか?」

「……私の口から言わすってか?」


 慌てる彼。


「いや、すまぬ。だが、どうも……な。いや、何が辛いかというとだな……」


 大公殿下が、私を抱き寄せてくれる。私の髪に頬を寄せて背中を撫でてくれるフェリエス。


「クリスティンとそういう事をしようとして、結局できぬだけならまだ良い……だが、しばらくたって、どうしようもなくお前が欲しくなってしまうのがつらい……ほら、俺がクリスティンとそういう事をする時、お前はいないだろう?」


 そ……そんな嬉しい事を言ってくれるな!


 あの時も、城の中庭から寝室まであんた、滅茶苦茶に早かったもんね! 仕事を全てシャットアウトしちゃったもんね!


 健康な男性になったもんだ……。いや、まだか……。


 でも、クリスティンさんの事をこのままにはできないのですよ。


「フェリエス、でもどうすんの? 後宮の腹立たしい人達の事はいいとして、クリスティンさんの落ち込み具合はすごい事になってるよ」


 女神に愛されたと比喩される美しさを誇る美女は、「私は魅力のない女なのじゃ」と塞ぎこみ、部屋に閉じ籠ったままです。


 ハザルさんが、それはもう私に凄まじいプレッシャーをかけてきます……。


「軍務に支障が出る! なんとかしろぉ!」


 てか、主君の妻を、全くそうとは思っていない片目のおっさん……彼らしいですがね。


「しかし、無理なものは無理だ。いや、クリスティンに非はない。俺から見ても十分に美しく賢い女性だと思う。だが、俺には無理なのだ。俺が心を許せるのは、エミリだけだ」


 ふにゃららぁん……。


 腕をあげおった……。連続でぶっこんでくるか!?


 寝台に大公殿下を押し倒した私。彼の胸に顔をうずめて、脚をバタつかせます。


 恥ずかし嬉しいのだよ!


「それはそうと、いつまでもワラキア州までの兵站をこのままにしておくは無理がある。早々に軍を発し、彼の州の支配力を確固たるものにする。ヴラドはその後だ」


「……私はまた留守番?」


「頼んだぞ、エミリ。俺が頼りに出来るのは公私ともにお前だけだ」


 フェリエスはそう言うと、私の髪を撫でながら、私を駄目にする笑顔を見せてくれた。


 クリスティンさん、ごめん。


 私、やっぱり彼が私以外の人と抱き合うのなんて嫌だ……今から、やっぱり無しってのは駄目かなぁ。




-Féliwce & Emiri-




 アルメニア王国歴三五〇年。


 あっという間に過ぎた三四九年と同様に、年の初めから忙しい。めでたく二十歳の誕生日を迎え、夫の帰りを娘と共に待つ私。


 クリスティンさんは、軍務だからと自分に言い聞かせて出発した。心なしか、彼女の目に力が宿っていない。あの、見る者を圧倒するかのような輝きが失せているように感じた私。


 複雑な気分です。


 フェリエスとクリスティンさんに指揮された大公軍八〇〇〇人が向かうワラキア州。ここは王都にそう遠くない。だからここを押さえておくことで、それぞれの勢力にいかようにも対応できるというものです。


領民の為という事を抜きにしても、現在のアルメニア国内を鑑みた時、位置敵に重要な州になってしまっているのです。


 当然、他勢力も目を向ける。そう、ヴラドが王都を占領していた時、揃いも揃って王都に夢中になってた王弟とモリペレント公爵が、ここにきてワラキア、スールといった王都に近い領地へ進出を企んでいるのでした。


 当然、ハザルさんが黙っていません。


 片目のおっさんは、東部諸侯を引き連れ、侵入してきたモリペレント公爵の大規模偵察部隊とぶつかり、これを追い返しています。


 フェリエスの本隊がワラキア州に入ったという報告とほぼ同時に、モリペレント公爵の本隊もワラキア州に迫っているという情報が届きました。


 私はオーギュストさんと共に、長期戦に備えベロア家の金庫の金が無くなってもかまわないという勢いで武器と糧食を買い漁ります。この行動は、自分達の物資を確保するという意味以上に、値段を釣り上げる意図があるのです。


 執務室で、サラちゃんの淹れてくれた不味い紅茶を飲みながら、アデリーヌを抱っこする私は、シンシアさんから子育てのレクチャーを受けている。政務の合間を利用しての母親修業です。


「幼い頃からの教育が重要なのです」


力説するシンシアさん。何も勉強漬けにしろというわけではなく、彼女の教育とはつまり、接し方の事。


「頭ごなしに怒ってはなりません。どうしていけないのかを諭すのです。姫ご自身が考える。これが大事なのです」

「親の価値観を押し付けてはなりません。ですから、質問を受けた時は、姫と一緒に考えて差し上げて下さい」


などなど、子育てというより、親育てだわ……。


「子供は大人をよく見ています。言われたことをずっと覚えています。されたことを心に記憶します。一時の感情での振る舞いが、子供の心を縛るのですよ」


 これは……私だから言われてんのか!?


「はぁい……。でもシンシアさん。言っても聞かない時はどうするの?」

「親の威厳を示すのです。その威厳とは決して、親の望む行動を取らせる為に使ってはなりません」


 威厳か……。私って威厳ないよなぁ。


「あと、叱るというのと怒るというのは違いますよ、エミリ様。怒るというのはただの感情の爆発です。叱るというのは愛情、相手を愛しむことです。そして重要なのは、姫様の行為を叱ってください。人格を否定してはいけません。子供にも人格があります。罵詈雑言を浴びせ、恐怖で支配してはならないのですよ」


 ……メリル先輩にも言ってやってください。あの人、私のことを恐怖で支配してましたよ。


 アデリーヌがキラキラとした黒い瞳を私に向けてくる。私は彼女に頬ずりし、その小さい手に頬をペチペチとされた。


 祝一歳!


「マーマー」


 はいはい、よく喋れまちゅねー。


 こんな可愛い子が大人になったら、どれだけの男を誑かすのだろうか……。


 親馬鹿妄想中の私は、扉を叩かれる音にアデリーヌから視線をはずした。


 仮面をしたピエールさんが遠慮がちに現れる。彼は、その外見からアデリーヌに恐がられています……。


 とっても優しくて、私も大好きなお兄さん的存在なのに!


 不憫だ……早く、彼が顔と本名を晒す事が出来ますように! 頑張るよ、私。


「エミリ様……せっかくのところ申し訳ありません」


 彼の声が、よくない事を言おうとしていると私に伝えてきます。


 娘をシンシアさんに預け、深刻な顔を仮面で隠しているピエールさんに歩み寄ると、彼は私に耳打ちした。


「不確かな情報ですが……ヴラドの軍が南下しております」


 ……!


 汗が噴き出る。


 ラネー公領を浸食する事に躍起だったヴラドが、ここにきて動く理由は何か? 一つしかない。ワラキア州を占拠しているフェリエスの背後を襲う為だ。大公殿下は今、モリペレント公爵と向き合っているのだ。


「挟撃……」


 私の言葉に、ピエールさんが頷いた。


「いらぬ騒ぎをたてる必要もないと思い、今はエミリ様と私、ボルネア様以外は知りませぬ。まだ……はっきりとヴラドの軍が向かう先が判明しておりませぬゆえ」

「わかった。でも、すぐに軍を動かせるようにして。フェリエスにはまだ知らせなくても良い。確定次第、私に報告をすると同時に鳩を放って」


「は……しかし、軍を動かされますか?」


 私は扉を完全に閉めて、彼と廊下で向き合った。


「仮にヴラドの向かう先がワラキアだとしたら、フェリエスの背中を狙うその首に横から噛みつく」


 ピエールさんが仮面の下で呻いた。


「さ……さすがはエミリ様です」


 褒めてくれぃ。褒められるのは好き!


「かしこまりました。いつでも発てるよう、準備を致しまする」

「うん。兵達には連戦続きで悪いけどさ」


 彼は首を左右に振った。


「不思議なもので、エミリ様ご出征となると誰もが喜びますよ。仁徳ですね」

「ふふ、ありがと。ピエールさんは?」


 クロエちゃんのお兄さんは、仮面の下で照れ笑いをしたようだった。笑い声が漏れている。


 一礼して廊下を歩いていく彼の背中が、とても頼もしく感じられた。




-Féliwce & Emiri-




 留守番している私に、ルブール伯爵の姫君からお茶会への招待状が届いた。


 ……嫌な予感しかしません。


 後宮すなわち旧公爵邸は、自尊心肥大症という病気の姫君達の巣だ。彼女達は「大公殿下が後宮にお姿をお見せになられないのは、あの妃が邪魔をしているかじゃ!」と思っているようです。


 その彼女達の中でも、まだ私に面と向かって立ち向かってきたルシェミナ姫。影口ばかりに終始する他の姫君達よりマシだと思っているけど、ここまで対抗意識を持たれると面倒です。


 クロエちゃんが私にこう言う。


「エミリちゃん、乗り込んでいって二度と変な気を起こさせないようにしてあげたら?」


 お兄さん、きっと悲しむよ……。


 あの優しいクロエちゃんが、どんどんと悪女になっている!


 私は執務室で列を作る官僚達に、次々と指示を与えながらお茶会をどうするか悩んでいた。日付は今日の午後。参加できないことはないけど、参加したところでお茶を飲んで終わりってならないのは目に見えているし、楽しめない場所に行くのも気が重い。でも、こういう招待を辞退するのは、私の立場を考えた時、あまり良くない。というのも、妃を招待すると下手に出て来た側室達を、あっさりと手で払うような行いは望ましくないのです。


 腕を組む私の耳に、扉を叩く音が聞こえる。


 オレンジ頭が書類を抱えて現れた。


「治水工事が五日後には完工だ。完工式に出て欲しいと言われているぞ。どうする?」

「平和を愛する私は、何もなければ出席しますよ」


 クロエちゃんが、彼に紅茶の入ったカップを差し出す。それを受け取り、一口飲んだオーギュストさんは、机にもたれかかるようにして私を見た。


「聞いたぞ。姫君達からそれはもう目の敵にされているそうだな」

「何とか言ってやってよ。仕事に支障がでてくるよ」

「ふむ……殿下もお留守だし大人しくしているかと思っていたが、より活発になってきたようだ。憎き妃を倒そうと各々に頑張っておいでのようだな。まるでアルメニア王国の縮図のようだな、エミリ」


 私がヴラドってか!?


「ざけんな! ……内乱のほうはバラバラだよ」


 オーギュストさんがニヤリと笑う。


「俺が掴んでいる情報によると、後宮のほうでも派閥争いが起きている。人は複数、集まると派閥を作るものだが、後宮も同じなのだな。王宮の大規模な後宮だと、もっとひどいことになっているのだろうな」


 彼はそう言うと、私のメモ用紙に羽根ペンを走らせる。


「まず、ルブール伯の娘の派閥だろ。そしてベロニア伯令嬢のカルデリン姫。この二人の派閥が大きなもので、あとは少数の派閥が乱立しているな」


 大きな円が二つと、小さな円が四つ描かれた紙を眺め、クロエちゃんが笑う。


「内乱も後宮も、こうやって見たら一緒だねぇ」


 笑いごとじゃないんす……。


「という事は、私が下手に彼女達の前に姿を現すと、対立しているこれらの派閥が、対私という方向に集約される恐れもあるってことね」


 オレンジ頭が大きく頷いた。


「俺の妻からの伝言だ。弱小派閥を優遇してやれだとさ」


 あ……あんた、私の為にいろいろ調べて、リリア姐さんにまで相談してくれたんだね?


「オーギュストさん、素敵! 格好いい! 天才!」


 柄にもなく照れるオレンジ頭を見て、クロエちゃんがさらに煽てる。楽しんでいるようだ……。


 ともかく、後宮対策はリリア姐さんの案で決まり!




-Féliwce & Emiri-




 ワラキア州の州都プラハの城には、大公軍前線本部が置かれており、今はそこにフェリエスの姿があった。彼は次々ともたらされる報告を聞き、卓上の地図に置かれた駒を指し示しながら指示を出す。


 モリペレント公爵の勢力下に近いプラハで、彼自らが指揮を執っている事実に、兵達だけでなく領民達まで信頼を示していた。大公軍はもともと脱走兵の率が非常に低いが、戦場となっているワラキア州の領民達が、他州に逃げ出さないというのは異常であった。そればかりか、自前の武器を携え、戦いたいという領民達がプラハの城へと集まってきている。


「恩を感じておるなら、畑を耕せ。商いを続けろ。子供を育てろ。それが俺は嬉しいのだ。戦いの事は俺に任せておけ」


 こう布告したフェリエス大公の名声は、天にも届かんばかりのものとなり、彼に敵対する勢力を悪とみる風潮が、この頃から国内に充満することとなる。


「頭の中でな……エミリならするかな? と考えたことを言ってみたのだ。俺は。おかしいか?」


 笑う軍務卿。


 クリスティンが従者と共にフェリエスの甲冑を運んできた。


 白銀に輝く使いなれたものではなく、大公の眼前にあるそれは朱色と白を基調とした甲冑だった。


「これは?」

「エミリ様とお揃いございます、殿下。用意させました」


 側室の言葉に、大公が照れ笑いをする。こういう表情も、エミリと出会う前ならなかったことだと感じたハザルは、人知れず胸に手を当てていた。


「クリスティン、いろいろ気苦労かけるな」


 金色の瞳を揺らした側室は、フェリエスの着替えを手伝う。


「しかし、モリペレント公もわからぬ。ワラキアが欲しいのか欲しくないのか、州境付近から動かぬとはどういうつもりであろうか」


 大公の言葉に、ハザルが首を捻った。


「らしくありませぬ。ただ、一度、侵入してきた彼の軍を撃退しておりまするゆえ、慎重になっているのかもしれませぬが」

「であるなら良いのじゃ。恐ろしいのは、別の目的があってそうしている場合じゃ」


 背後に回ったクリスティンが意見を発した。その声が息とともにフェリエスの耳をくすぐる。大公は引きつった笑みを作り、クリスティンに振り返る。


「別の目的とは?」


 側室が、艶のある唇を動かした。


「つまり、我が軍をここに張り付かせ、別働隊をもって州内を襲う。でございます」


 フェリエスはしばし考えたが、すぐにそれを否定した。


「圧倒的に奴らが大軍であるなら理解できるが、兵数はそう変わらぬ。やつらは一万五〇〇〇。こちらは一万七〇〇〇。軍を分けるのは各個撃破してくれと言っているようなものだ」


 彼は自分でそう言いながらも、王弟の存在を脳裏に描く。


 あの男が、アラゴラ公爵と共に王国中央から西部に張り付いているのも理由があるのか? ボルネアの報告では、冷害から立ち直れず動けないということであったが……。


 扉が叩かれた。


「急ぎの知らせでございます!」

「許す!」


 部屋に入るなり、兵士が膝をつき小さな紙をフェリエスに差し出す。それは、鳩によって運ばれてきたばかりのものだとわかった。通常、鳩によって運ばれた報は、暗号を文章に直し、読みやすいように大きな紙か羊皮紙に書きなおす。しかし、目の前のそれは暗号のままであったし、小さくて字も小さい。


(よほどの急か……)


 暗号に視線を這わせた大公。


「くそ! 急ぎの理由が分かったわ!」


 彼は怒鳴っていた。


「ヴラドめ! ベルーズドを狙いおった!」


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