表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/43

2

 フォンテルンブローの南にあって王都への侵入を阻む巨大な関を、王弟は苦笑とともに見上げていた。


(これまで頼もしく思っていたものが、突然、邪魔くさく感じるとは……)


 苦笑は失笑となる。


 モリペレント公爵と合流したカミュル。しかし、膨らんだ軍容と同じくらい面倒も大きくなった。諸侯の軍が結集し、十万に届く軍勢になったものの、貴族達の思惑が絡み合い、それが結束を邪魔している。


 ようやく春らしくなってきたというのに、我らは冬に逆戻りしているようだと吐き出した彼は、小さく身じろぎした。心なしか、漂う空気も冷たくなった気がする。


 カミュルの背後に、エミールが立った。


「殿下、諸侯がお待ちでございます」

「ふん……また結論の出ない軍議をするのか?」


 カミュルは言葉に怒りを込めて吐きだした。


(モリペレント公め! 国内の混乱を利用しおって……。ヴラドと良い勝負だ)


 カミュルは四公の一人、モリペレント公爵が王弟に主導権を渡すまいと、軍議で彼に反発している状況に苛立ちを強めている。速やかに事態の収拾を望んだカミュルであったが、内部をまとめるに苦労していた。所詮、彼は先代国王の弟であり、国王不在の現在はただの有力者の一人でしかないという現実を受け入れられない。いや、自領であるアルメニア地方五州をヴラドによって押さえられ、吹けば飛ぶ存在となってしまっている。幸いにも、国軍を率いて北部戦線にいた為に、軍隊を保有することができている。


「いや……俺が王都におれば、ヴラドなど蹴散らしておったわ」


 強烈な自尊心でそう言い放ち、諸侯が集まる天幕の中に入ったカミュル。居並ぶ諸侯が視線を彼に集める。


「おお、アルメニア公。お待ちしておりましたぞ」


 モリペレント公爵のあざとい呼び方に、眉をぴくりと動かしたカミュル。諸侯はそれを様々な反応で見守っていた。


「無礼であろう!」


アラゴラ公爵である。この大貴族がカミュルを支持してくれている事だけが、カミュルにとって頼もしく思えた。


「よい。俺は先王の弟に過ぎぬからな!」


 わざと自虐めいた発言をしたカミュルは、どかりとモリペレント公の隣に座り、ぐっと顔をキザな男に近づける。


「で、相変わらず議論ばかりして何も決まっておらぬかな? 国内に檄を飛ばしたまでは良いが、一体、公はどうしたい? このままヴラドに王都を破壊させ、瓦礫の山となったフォンテルンブローに入り、自ら王だとでも名乗るつもりか?」


 モリペレント公爵が憤る番であった。


「何を! ……アルメニア公といえども、今の発言は看過できぬ」


 モリペレント公爵と、彼に追従する貴族達が色めき立つ。それに反応したカミュル派。そして、呆れるように溜め息をつく中立派が天幕の中で鮮明となった。


 中立派の一人、エルネスト・ランドロー・ニース伯爵が我慢できぬとばかりに立ち上がる。彼は隣に座る息子のリリアンを一瞥すると、周囲を見渡し、声をあげた。


「情けない! 陛下の葬儀すらできぬ状態であるというのに、仲間割れとは嘆かわしい! モリペレント公も王弟殿下も自嘲なされよ!」


 正論であるが、だからこそ二人には耳が痛い。そして、反発を招いた。


「貴様! どの口が申すか!」


 カミュルの怒りを受けて、アラゴラ公爵が朱に染めた顔をニース伯爵に向ける。国王軍を翻弄し、撤退に追い込んだ貴族は国内でも有数の武門であるギグー家の家長に相応しい威厳と態度で、ニース伯爵を圧倒した。その彼の威が場を支配した時、カミュルがモリペレント公爵に発言の暇を許さず、宣言する。


「まずは戦って勝つ! ここで昼寝をしておっても解決せんのだ! グラン関を抜くぞ!」


 カミュル派の諸侯が立ち上がり声を張り上げる。その場の雰囲気にのまれたモリペレント公爵とその派閥を形成する諸侯も、仕方なしに応じた。


 忙しく動きだした天幕の中で、カミュルは隣で憮然とする大貴族の横顔に笑みを向ける。それを視界の端に捉えたモリペレント公爵は、無言で立ち上がり甲冑を鳴らして立ち去った。


「殿下……いよいよでございますな」


 アラゴラ公爵に声をかけられたカミュルは、細い眉を微かに動かし、皮肉めいた笑みを消す。モリペレント公爵が去った天幕の中で、彼は指揮棒を右手に持ち腰をあげた。


 カミュルは、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「とにかく……ここを突破せねば話にならぬからな」


 グラン関の戦いの始まりだった。




-Féliwce & Emiri-




 アルメニア王国の中央にあるアルメニア平野。それは平野というより巨大な盆地であり、アルメニア山脈という切り立った山々に囲まれた平坦部をいう。そこに築かれた王都を守る為、アルメニア山脈の切れ目に巨大な城壁を築いたラング家。東と南に一か所ずつ築かれたそれは、関所と呼ぶには巨大で堅固過ぎた。


 その二つの関の一方、南に位置するのがグラン関である。


 王都南を守るこの関は、高さ十フィル(十メートル)を誇る城壁が、東西二千フィル(二キロメートル)にも渡り、まさしく王都へと向かう敵を阻む防壁であった。左右の山脈は山というより崖で、この関を守るほうとすれば、前方にのみ注意を向ければ済むのである。


 この難所を前にして、解放軍と名乗った諸侯連合軍が動く。


 城壁上からそれを見たドラグルは、「ようやくやる気になったか」と薄く笑った。


 密偵によれば、諸侯連合十万といえど、内部は派閥争いで結束できておらず、数が多いだけの烏合の衆であるそうだ。


「閣下は……こうなると知っていて、モリペレント公を放っておいたのか?」


 武人の問いに答えてくれる者はいない。だが、彼の考えは飛躍している。ヴラドは何もこれを狙っていたわけではない。あくまでも彼は、カミュルを誘い出すまで無用な戦闘を避けたかったに過ぎない。ヴラドでさえ、モリペレント公爵の檄には驚いたのだ。


 十万の軍容は、それが敵であるとわかっていても見惚れるほどに威圧的だとドラグルには映った。


 攻城兵器を推し並べ、歩兵と弓兵が整然と前進してくる。その後方には魔導士達が見える。


「正攻法だな……いや、正攻法しか取り得ぬか」


 諸侯連合の動きをそう評したヴラドの幕僚。彼はアルメニア公爵を自称した主君の新しい軍旗が、風にはためくのを確かめ、伝令に指示を出す。


「風は追い風だ。まずは矢を放ち攻城兵器の前進速度を落とさせろ。歩兵達が城壁に取りついたら、たっぷりとあれを落としてやれ」


 アルメニア公爵軍と僭称する軍、つまりヴラドの軍は赤地に金色の竜を彩った旗を高々と掲げ、その下に弓を持った兵士達を整列させた。彼らの足元には矢が大量に入った樽が置かれている。


 旗を持つ部隊指揮官が装填を命じる。長弓と呼ばれる大きな弓に、矢を番えた兵士達。引き絞った弦によって、弓がきりきりと泣く。


「放て!」


 号令の下、矢が一斉に宙に放たれた。それらは空を覆い、数千本の影を地上に落とす。線が重なり、巨大な布で空を隠したかのように地上からは見えたに違いない。


 連合軍が盾を頭上にかざし前進するも、それは明らかに速度を落としていた。攻城兵器を運搬していた兵士達は立ち止り、牛や馬を守るように分厚い木の板を頭上に持ち上げる。


 矢は上昇し、下降線をたどった。放物線を描いた死の宣告が、豪雨のごとく大地に降り注ぐ。連合軍歩兵は小隊ごとに盾を連ね、それはまるで亀が甲羅に身を引っ込めた姿を連想させる。


 矢を浴びせ続ける守備隊と、それに矢で応戦しながらもなんとか前進しようとする連合軍。しかし戦闘開始から半日を経ても、攻め手の最前線は一向に進んでいなかった。


「何をやっておるか! 矢が放たれるは必定であろうが! 前進を止めるな!」


 カミュルの怒声に、周囲の諸侯が立ち上がる。それぞれの軍へと伝令を放つ彼らの背中を眺めた王弟は、激しく舌打ちした。


「国軍を前線に出す!」


 アルメニア王国の正規軍である国軍。それはアルメニア王国内で質と量において他を圧倒する存在であった。それを早期に投入したカミュルは、間違いなく功を焦っていたのかもしれない。これは彼らしくなかったが、これまで害されたことのない自分の領地を、他人に奪われていては無理もないことであるかもしれなかった。それにグラン関を守るヴラドの軍は三千程度。十万という数で圧倒できぬはずがないと王弟は考えていた。というのも、これまで彼はグラン関のような巨大な防御施設を攻めたことがない。山脈の隙間に築かれた城門を攻撃するのは初めてなのだ。皮肉にも、それは彼がこれまで、その内側で守られる立場であったからに他ならない。であるから、通常の城攻めのつもりで、カミュルは軍を動かした。いや、彼でなくとも、グラン関を前にして他に方法が無かっただろう。それほどまでに、この巨大な関は特殊であった。包囲という言葉を使うにはあまりにも攻撃点は限られているし、関の後方には王都があり兵糧攻めは出来ないのである。つまり、力攻めのみが、この関を突破する唯一無二の方法なのだ。


 連合軍の勢いが増した。


 盾で身を守る兵達の隙間から、弓兵が城壁上へと矢を放ち、身を隠す。絶え間ない攻撃をグラン関に浴びせながら、盾の列は陽光を反射しながら城壁へと接近していく。


 歩兵が、工兵が身を屈めて盾の下を前進するも、頭上から次々と浴びせられる矢に射抜かれ膝を折る。仲間が彼らを引きずり寄せ、後続の為に道を作る。味方の死体さえも矢避けに使い、その凄まじさは城壁上の守備隊を驚かせるには十分だった。


 押し迫る連合軍を城壁上から見下ろしたドラグルは、右頬を釣り上げ笑った。よほど戦い慣れた兵士達が前線に出て来たと感じた彼は、敵の主力である国軍が投入されたものと見て、矢での攻撃を弛めさせた。


 降り続けていた鉄の雨が弱まった。


 連合軍はさらに前進速度を高める。彼らは盾で身を守りながら、城壁に取りつく。ほぼ同時に、城門付近に接近した連合軍兵士達が、城門に破錠鎚をぶつける為に、城門周囲に並べられた防御柵の撤去に取り掛かる。


 双方の軍から、兵士達の怒鳴り声が自然発生し、悲鳴すらかき消した。


「援護の矢を撃ち続けろ」


 連合軍部隊指揮官達の指示に、弓兵から大量の矢が、一斉に射出された。城壁上の敵兵を狙って、撃ち続ける。矢筒が空になれば、補充が行われるまで、盾に突き刺さった敵の矢を抜き取り撃ち返した。数万本の矢は、しかしその多くが高い城壁によって阻まれる。それでも、攻め手は撃ち続けた。それ自体が、仲間の時間を作る牽制になるからだ。


 空中で双方の矢が交差する中、城壁の隠し戸から現れた守備兵が、城壁に張り付き、梯子や縄をかける連合軍兵士を弓矢で狙う。盾でそれから身を守り、それぞれの作業を全うする連合軍兵士達。


 攻城兵器がついにグラン関を射程距離範囲に捉え、巨大な岩や矢を装填した時、守備隊の指揮官が声を発する。


「そろそろだ」


 ドラグルの指示で、グラン関の城壁上に無数の桶が並んだ。梯子を登りながら、縄をよじ登りながらそれを見上げた連合軍兵士達。


「ぶちまけろ!」


 ドラグルが腕を振り下ろす。


 城壁上に並んだ桶の中には、煮えたぎった油が満たされていた。


 頭から煮えたぎる油を浴びた兵士達が、絶叫と共に絶命する。梯子と、縄を登る途中でそれから逃れようする兵士達が、助からぬ高さであるにも関わらず身を投げ出す。大地に叩きつけられ、内臓と肉を破裂させ瀕死のところに熱い油が襲う。周囲は白い靄につつまれ、焼け爛れた肉の匂いが充満した。


 守備兵達は松明を地上へと投げ放った。


 一瞬で巨大な炎が大地から湧き上がった。数百度から数千度まで高まった火炎は、骨すら残すまいとする勢いで暴れ狂う。様々な油を配合されて作られたそれは、火がつくと一気に温度を跳ね上げる性質があり、最高温度は計測不可能なほどまで高まるのだ。その殺傷能力は疑いよう無かった。


 生きながらも重度の火傷にのたうち回る連合軍兵士達は、紅蓮の炎に包まれたまま踊り狂う。呼吸すら出来ず、意識があるまま身体を焼かれた。彼らの肉の焦げる匂いと、むせ返るような血の匂い、そして連なる断末魔が上昇気流と共に駆け昇り、ドラグルはさすがに鼻を鳴らす。


「矢を浴びせろ!」


 連合軍に向かって、グラン関から大量の火矢が放たれた。


 恐怖と怨嗟が充満した地上では、焼け爛れた兵士達が次々と射殺されていく。炎の壁から逃げる為に飛びだして来た味方によって、連合軍は次々と炎による被害を拡大させていった。矢と火と恐怖に追い立てられた兵士達の暴走は、士官達の張り上げる声を押しのけ拡大していく。


「殿下! 殿下!」


 エミールの肩を掴まれ、ようやく我を取り戻した王弟。わなわなと震える唇を動かす。


「後退させろ! 後退だ!」


 カミュルは、炭化した兵士達の遺体を残したまま後退する連合軍を睨んだ。遠く前線にあっても、黒い点が炎の中で大量に転がっている。投入した兵の半数以上が炎に焼かれた。


 例え勝っても兵力の二割を失えば誇れぬというのに、これほどとは……。


 色を無くした王弟は、馬上でぐらりと揺れ、エミールに支えられなんとか耐えた。


 俺としたことが、焦るばかりに……。


 苦しげに呻いた彼は、ほくそ笑む大貴族から視線を逸らす。


 カミュルは、血が出るほどに唇を噛んだ。




-Féliwce & Emiri-




 王都の南で諸侯連合軍が敗れた。


 この報告を聞いた私だったが、今の私にとってそんなものは些細な問題に過ぎない。


 なぜなら……。


「大公殿下の側室にぜひとも私の娘を!」


「私の妹こそ、殿下の側室としてお仕えするに相応しい」


 それはもう諸侯からの側室攻勢が後を絶たず、その対応に追われる。


 ……てめぇら! 


 ざけんじゃねぇ!


 アルメニア王国の貴族達はしたたかだ。王弟もしくはヴラド卿に協力をしながらも、裏ではこうして第三の勢力であるフェリエスとの関係を持とうと必死です。その領地の安定と軍事力、何より王位継承権五位のフェリエスの動向は、アルメニア王国の権力者達には無視できないものであるのです。ワラキア伯ヴラドによって国王が害され、次の王位がどこに転がるか分からない状況においていくつも助かる道を作っておきたい彼らに、私は全く理解を示さないわけじゃない。でも、その方法がとっても私を苛立たせる。


 そしてそれをいちいち私に報告するオーギュストさんよぉ。小さな娘の為に小さい胸を絞ってミルクを出そうとしている私の邪魔をすんな!


 衝立の向こう側で、つらつらと娘を差し出そうとしている貴族達の名前を羅列する政務卿。私は可愛い娘に微笑みながらも、腕さえ届けばあのオレンジ頭を殴ってやりたいんす。


 アデリーヌの背中をぽんぽんと叩いてゲップをさせた私は、服を直して立ち上がる。


「アデちゃん。このうるさいオジちゃんが邪魔でちゅねぇ」


 衝立を閉じて、じっとりと睨んでやると、オーギュストさんは口を閉じた。


「だぁ……きゃっきゃっ!」


 オレンジ色の髪に小さな手が伸びる。


 そうか! 掴んで引っ張ってやりたいんだね? 存分にやっておしまい!


「ほほう、姫様はこのオーギュストの髪が珍しゅうござるか」


 娘を持つ父親である彼はだらしなく顔を弛めると、アデリーヌがさらに笑う。お腹も一杯になりご機嫌の様子。さっきまで火がついたように泣いていた子とは思えません。


 基本、メリルさんのお母さんに預けているアデリーヌだけど、当たり前ですが好きな時に会えます。というより、なるべく会いに来るよう言われている。いえ、言われなくとも行きますし、来るなと言われても行きますが……。


「エミリ様。子は母の心臓の音を聞いて落ち着きます。母の匂いを嗅いで安らぎます。どうか、政務の合間をぬってお越しください」


シンシアさんの言葉です。シンシアさんはメリル先輩のお母さん。聞けば彼女は、フェリエスの乳母でもあったとの事……。


 父子二代でお世話になりますです。


 執務室に娘を連れ帰り、仕事をしながらオーギュストさんの報告を聞く私は、側室攻勢にどう対処すべきか悩んでいた。


 下は十三歳から上は二十五歳まで……。妹タイプからお姉さんタイプまで揃えておりますって感じですね……。


 全部、断ってやりたいのは山々なんですが、これからのことを思うとそうもいかないのです。というのも、東部諸侯はフェリエスに従うと言ってくれてますが、それを全て足しても、王国中央を占領しているヴラド卿や、貴族達が集まっている諸侯連合に比べて、明らかに戦力不足なのです。質で劣っているとは思わないけど、一人で同時に五人も相手にできる? 私でも無理。いくら戦闘は組織戦だからといって、数の力を無視しては絶対に勝てないのです。そもそも、相手より多くの兵を集めたほうが、やっぱり有利なのです。普通に苦労もなく勝つ可能性が高いんですもん。


 という事で、何十枚と届いた肖像画が、私の執務室にずらりと並ぶ。アデリーヌを抱っこしたまま、それらを睨みながらうろうろと歩きまわる私に、オーギュストさんが笑った。


「獲物を狙う虎だな……と失礼」

「いいよ。二人の時は普通に話してよ。息が詰まります」


 オレンジ頭が書類を一枚ずつ捲りながら、指で机をコンコンと叩く。


「現実的に考えて……これらを全て拒否するのは難しい。なぜなら、仮にこれらを全て断れば、王都までの道のりは全て敵となるぞ」

「卑怯なのさ! 皆、揃いも揃って美人さんだし、おっぱいでけぇんだもん」

「そっちか……」


 オーギュストさんが書類の束を机の上に放った。バサッと音を立てたそれが楽しいらしく、アデリーヌがキャッキャッと笑う。それを見たオレンジ頭が、書類に再び手を伸ばし、机にバサッと投げる。


「あうー……きゃあぅ」


 アデちゃんはバサッが気に入ったみたい……。


「フェリエスを信用してないわけじゃないけどさ……」

「ま……あのクリスティン姫にすら手を出しておられないからな。よほど大事に想っておいでなのだ」


 むふふふ……。あんた、嬉しい事を言ってくれるじゃんよ!


「だがクリスティン姫はどちらかというと、そういう方向の色を出さぬ方だ。お前と同じだ……違う色を持つ宝石を前にしても、殿下が同じであるかどうかはわからん」


 ……。


「オーギュストさんさぁ……一回だけ、本気で殴ってもいい?」

「駄目だ。エミリ、はっきりと言っておくがな。フェリエス殿下が異常なのだぞ?」

「あんた、フェリエスに言っておくよ。オーギュストさんが異常だって悪口を言ってたって」


 オレンジ頭がそれはもう情けない顔を作る。


「きゃっきゃっ!」


 アデリーヌがその顔を見て笑う。


「世の大多数の男は、美女を前にして何もしないという事はありえないと言っておるのだ」

「ふうん……リリア姐さんに伝えておくよ」


「駄目だ。しかしエミリも、実はそう思っているからこそ、こうして殿下が側室を持つことを拒んでおるのだろ?」


 ……相変わらず鋭い男だ。


「どうだ? 俺達が悩むのは止めて、ご本人に決めて頂くってのは?」


 オーギュストさんが、その顔をまた情けなく歪めアデリーヌを楽しませる。


 喜ぶ娘を抱いたまま、私は仕方なくといった体で頷いたのだった。




-Féliwce & Emiri-




 フェリエスの執務室に、大量の肖像画と履歴書を運び込むと、大公殿下は目を丸くして、手にしていた羽根ペンを机の上に落とす。黒いインクが作る点が、転がるペン先で大きくなった。


「しかし、これだけの美女を集められるというのは、羨望の的であるだろうな」


 彼は苦笑とともに軽口を叩き、書類を眺める。だがそれも、すぐに興味ないといって机の上に放りだした。バサッと音を立てた書類に、私の腕に抱かれたアデリーヌが大喜びする。


「お! アデリーヌ、お前はこれがお気に入りか!?」


 フェリエスが書類を手に持ち、再び机へと投げる。それを何度も繰り返し、アデリーヌはその度に笑った。


「ちょっと! 真面目にやってよね。これからの私達がどう動くかに、無視できない事なんですからね!」

「ふふ……嫉妬する顔も可愛いぞ」


 フェリエスが私を駄目にする笑顔を浮かべる。


 ふにゃあとなった私と、やれやれという顔のオーギュストさんを交互に眺めた大公殿下が、ずらりと並んだ肖像画の前に椅子を置いて座る。


「しかし、どいつもこいつも保身に必死であるな。俺はとても、アデリーヌをよそに差し出りはしたくないが……」


 脚を組み、顎に手をやった彼は肖像画を順に見つめていた。


「殿下、七番と十二番の二人は、大公領から王都への途上に領地を持つ貴族の娘でございます」


 オーギュストさんが書類をめくりながら説明し、さらに補足する。


「ギガス・フォラワ・ベロニア伯爵次女のカルデリン姫と……、ミシェル・プラミニ・ルブール伯爵の長女、ルシェミナ姫」


 オレンジ頭の説明に、頷きながらアデリーヌを私から奪った大公殿下は、小さな手で髪をいじられるままにしている。


「全部、断るか」

「駄目よ!」


 フェリエスの言葉に即座に反応したのは私。


「どうするの? ここから王都まで全て斬り伏せて進むの? そんなの無理! 仮にできたとしても、とっても多くの人が死ぬよ」

「しかし、側室は持たぬと俺は決めた。エミリにいらぬ心配をさせたくない」


 ああ……素敵! 


 い……いかん! 妄想に浸ってる場合じゃない。ここは現実路線で話をしないといけません。


「殿下……エミリ様は、それはもう殿下を愛しておられますゆえ、殿下もその信に応えるべきとは存じますが、現実問題として、全て斬り伏せて王都に入るのは難しかろうと思います」


 オーギュストさんが控えめに発言をした時、大公殿下は娘の頬を撫でながら私を見る。


「二人揃って側室を持てというが……、そこまで俺は信用されておるのかな?」


 フェリエスが青い瞳を楽しげに揺らした。それはまるで私が、彼が側室を持つという選択をすることを我慢できるはずがないだろうと言っていて、とっても私をわかっていると感じる。


「我慢する……クリスティンさんみたいな人だったら、できる」

「エミリ、無理を言うな。クリスティンがそう何人もおっては、この国はとうの昔に女性が統べる国になっておるぞ」


 娘を抱いて立ち上がったフェリエスは、肖像画を丁寧に眺めて回る。しかし、口をついて出た言葉は辛辣なものであった。


「どいつもこいつも外見の美しさだけを誇りおって……知性を感じさせる女子がおらんではないか……。これでは俺がエミリに傾倒するのも無理がなかろうというものだ。なあ、オーギュスト」

「仰る通りでございます」


 ……ふにゃあ。


「俺は運が良い。エミリに出会えなかったら生涯、妻を娶らなかったかもしれぬ。本当に男色になっていたかもしれぬ。エミリ、よく俺のところに来てくれたな」


 何? ……私をそんなに喜ばせて、何を企んでるの?


「だがそうだな……。確かにお前達の言う通り、王都まで悉く斬り伏せて進むのは大変だ。人質をくれるというのだから、ありがたく頂いておくとするか……エミリ、良いな?」


 NO! て言えないように退路を塞いでから言われた私は、大公殿下の作戦に白旗をあげると同時に、少しでも戦いが減らせられたらという思いで、本心を誤魔化すことにしたのでした。


「これから公爵府は城に移す。エミリも城に移れ。この屋敷は後宮にしよう。ここに閉じ込めておけば、俺の前にちょっかいを出しに来ることもないだろうよ」


 フェリエスが私に微笑んだ時、彼に抱かれていたアデリーヌが釣られて笑った。


 私も、自然と微笑んでいた。




-Féliwce & Emiri-




 ハザルとクリスティンによって指揮された大公軍三〇〇〇は、ロゼニア王国北東部に位置するラノキア州で、ロゼニア王国軍と合流していた。その眼前には、神聖スーザ帝国軍二万の軍容が誇らしげに展開しており、神を讃える歌を繰り返し謳っている。


 十二人の数に戻った枢機卿会。その一人であるズラン・ゴラン・ベリグリス枢機卿は、ロゼニア王国と、ゴーダ騎士団領国を同時に相手取りながら、巧みに戦っていた。帝国内において『聖なる人』とも異名を取るこの枢機卿は、溢れる知恵と信仰心で軍を見事に立て直していたのだった。


 その枢機卿からの使者が、ロゼニア軍の指揮官であるヘルムンド伯ジャシームと会談に入ってから、既に一刻が経つ。


「休戦であろうな」


クリスティンの言葉で、隣に立つハザルは片目を前方に向けた。


 確かに、同時に複数の敵と戦うのはいかに帝国といえども困難を極める。ここはどちらか一方と和平し、一方の敵に力を集中して向ける必要があると彼にもわかっていた。その和平先にロゼニアを選んだ帝国は、いよいよゴーダ騎士団との対立を深める決断をしたということかと、ハザルは思考を繋げていた。


 ゴーダ騎士団領国は、タラス共和国南部の土地を租借すると、そこを足懸かりに軍を南へと進めた。騎士団元帥であるヒーロ・ギューン自ら指揮した三個師団は、凄まじい強さで帝国領を蹂躙した。タラス共和国への攻勢を激しくしていた帝国であったが、自領を攻撃されては他国にちょっかいを出している場合ではない。


 当初、タラス共和国侵攻の指揮を執っていたカール・シュタインベルグ枢機卿が防衛にあたったが、タラス共和国の反撃とゴーダ騎士団の攻撃に挟撃される格好となり、たまらず軍を退いた。そして彼は対ロゼニア戦線を指揮していたベリグリス枢機卿と合流し、軍を預けると帝都へと帰還する。


「二人の指揮官は軍の指揮系統を乱すだけだ」


こう言ったベリグリス枢機卿。そしてそれに従ったシュタインベルグ枢機卿。これで指揮系統をひとつとした帝国は反撃に出ると予想できる。また、ベリグリス枢機卿の幕下で歴戦の騎士団である聖国騎士団オルディーン・ハイト・スーザの総長自ら騎士達を動かして先に北上しゴーダ騎士団領国軍に備えているとも聞いた。


 ともかく、ハザルはこれでようやく、アルメニア内戦に集中できると考え、それはクリスティンも同じであるようだった。


「しかし姫。側室だけをして頂くのは勿体ない。軍職を得ませぬか?」


 隻眼の軍務卿の誘いに、クリスティンが白い頬を弛める。


「ほう……私に剣を持たせれば、殿下にそれを向けるかもしれませぬぞ」


 大公の幕僚達が、危惧するであろう事案を先に言ってみせたクリスティン。それに対し、ハザルは片目を細めて笑う。


「いつでもお相手しよう。言っておきまするが、殿下を守る時のエミリは俺より強いですぞ」

「ふふふ……冗談じゃ」


 大公軍支給の白い甲冑を身に纏ったクリスティンが、その金色の瞳を揺らして笑う。甲冑の飾りが、楽しげに音を鳴らした。


「そうじゃな……殿下のお許しが出れば喜んで。確かに淑女のフリをしているのは退屈じゃ」


 二人の会話を聞いていた周囲の士官達が笑う。


「これ! 失礼な者どもじゃ」


 窘めるも楽しそうなクリスティン。それがさらに笑い声を大きくさせた時、伝令が馬蹄を轟かせて接近してきた。


「和平! 和平が成りました!」


 頷いたハザルが、視線を北の方向へと転じる。


 その先には、ゴーダ騎士団が帝国を喰い破らんと接近しているはずであった。


「結局、ギューンと合流するまでもなく戦は終わったか……手並みを拝見したかったが」


 ハザルの言葉に、金色の瞳を輝かせたクリスティンが、その薄く紅の塗られた唇を動かす。


「参考にならぬであろうな……。あの男は異常じゃ」




-Féliwce & Emiri-




 クリスティンに異常と言われたヒーロ・ギューン。彼は帝国領の都市、ルヒテンシュタイク・ヘヘンを包囲していた。ここはタラス共和国を侵攻する際に帝国軍の拠点となっていた都市の一つで、三万人の人口と大きな食糧庫と武器庫を備えている。


 二〇〇〇の守備兵がたて籠る都市の城壁を前に、黒髪の指揮官は副官を呼んだ。


 リューイ・モリール准将の姿を視界の端に確認した彼は、口端を歪める。


「包囲は完了したか?」

「は……竜騎兵も位置につきました」

「では、始めよ」


 何でもない事を口にするような指揮官に、モリール准将は苦笑しながら士官達を集める。背中を見せ、都市を睨む元帥の後方で、指示を受けた士官達が気合いの声と共に散開した。


「閣下、元老院から狂ったように催促が届いております。査問会に応じるようにと……」


 副官が届いたばかりの指令書に視線を落としたまま声を発するも、ギューンは相変わらず視線を前方に向けたままであった。


「売国奴どもめ……国あっての己らであるとわからぬ愚者が多すぎる。奴らのお遊びに付き合う暇も度量も今の俺にはない」


 元帥の言葉に、困ったように肩を竦めたモリール。そこに一人の青年士官が近付き敬礼をした。


「報告! ルヒテンシュタイク・ヘヘンの防衛指揮官から使者が到着しておりまする」

「降伏か?」


 振り返りもしないで声を出したギューン。青年士官が「おそらく」と応じた時、騎士団元帥は嘲笑した。


「こうまでならぬと手をあげん。世の中にはどうしてここまで愚かな人間が多いのか……これでは俺が勝ち続けるのは当然の事だ。モリール!」

「は」


 副官が頭を垂れる。それほど、凄みのある笑みを浮かべて振り返ったギューンは、右手を払った。


「降伏は認めぬ! 徹底的に破壊しつくせ!」


 ゴーダ騎士団の攻撃が始まった。


 巨大な攻城兵器と魔法による絶えまない打撃に、各部隊の組織だった連続攻撃が重なる。矢が、巨石が、発動された破壊魔法が、凄まじい暴力となってルヒテンシュタイク・ヘヘンに襲いかかる。それは神の加護を祈る住民達の口から、悲鳴を吐き出させるには十分な力であった。


 ヒーロ・ギューンは、帝国の魔導士達が結界を張るも、それを無効化した。魔導士の血を身体に流しながら、何一つとして魔法を発動できない彼が、それでも魔導士達に恐れられる理由、クリスティンが彼を指して異常と言う理由がそこにある。彼は発動された魔法を任意に無効化できる力を持っているのだ。逆にいえば、それしかできない。しかし、この力によって彼は最強の魔導士と呼ばれている。もちろん、そればかりに頼る彼ではないから、騎士団内において、若くして最高の役職である元帥に叙せられているのである。


 呪文の詠唱すら必要とせず、敵の魔法を無効化するギューン。そこに大陸最強とも呼ばれる騎士団の力が加わった時、ルヒテンシュタイク・ヘヘンの運命は決まった。


「報告! 城門を突破! 突入致します」


 伝令の報告に、ゴーダ騎士団元帥は無表情で頷いたのだった。




-Féliwce & Emiri-



 どいつもこいつもおっぱいを強調した服を着やがって……。悔しいから脚を出すもんね。超短いスカートを履くもんね。知ってる? フェリエスはおっぱいより脚なんだよ! ……くそ、みんな脚も綺麗だ。ああ! オレンジ頭まで鼻の下を伸ばしやがってる! 優しい声だしやがって……なにが「皆さま、こちらですよぉ」だよ! くそ!


「エミリ……エミリ」


 うっさい! 今はこいつらを睨みつけてやって、私はとても恐いということを思い知らしめてやる必要があんの! 


「エミリ!」


 豪華な馬車で到着した貴族のご息女達一行を出迎える……いや、睨みつける私の髪を誰かが撫でた。


「ひゃ!」


 すっとんきょうな声を出して振り返った時、そこには笑みを浮かべたフェリエスが立っていた。彼は到着されたお姫様達の熱い視線を浴びながら、それを完全に無視すると私の手を握る。


「そう睨むでない。あれらも望んで来ているわけではないのだぞ」


 望んで来てるとしか思えないす。


 頬を膨らませた私を、優しく誘うように歩きだしたフェリエス。嫉妬の視線を背中に浴びながら、私は彼の隣に並んだ。握られた手に力を込める。


 見せつけてやる!


「しかしお前は母親になっても相変わらずの格好だな。俺の妻なのだから、他人に肌を晒すなと何度も言っておるというに」


 彼の視線が、露わとなっている私の脚に注がれる。


「勝てるところを必死に探して、それで対抗しようとしてる健気な私の気持ち、わからない?」

「エミリ……お前の真価は外見……もそうだが頭の中だ。確かに可愛くて優しくて脚も綺麗だが、俺がお前を愛しているのは、そういうところだけを見てのことではないぞ」


 ふにゃあ……。


 ニマニマとして、彼の腕に自分の腕を絡めた私。

 

 公爵邸から城への引っ越しも忙しく、私達夫婦の生活空間の内装の為に、大規模な改装も行われている。その中の子供部屋の内装に関して、現場監督が私の意見を聞きたいという事で、わざわざ大公殿下自ら呼びに来てくれた模様。


 現場監督に使われる大公殿下ってどうなの?


 最近のフェリエスの変化は、私の目にも大きく映る。


 出会ったばかりの頃の彼は、なんというかツンツンとしていた。ところが最近、いつも穏やかな笑みを湛えているし、自分でなんでもしようとする。


 二人の時に


「水とって」


「そこの本をとって」


と私がついつい彼を使ってしまっているのも原因の一つかも。


 ストラブールの城は、白い外壁が磨きあげられていて、遠くからでも輝いて見えることで有名だ。わざわざこれを見たくて、観光に来る人達もいるそうです。フェリエスがこの都市を治める前は、薄汚れていたらしいけどね。


 狭い通用口から場内に入り、来賓用の空間とは違う、城本来の目的を表現している廊下を歩く。くっつくようにして歩く私達。時々、顔が接近する度にキスをするのは新婚だから許してもらう。


 塗装や内装の職人さん達に挨拶をしながら居住空間に入った私達は、幾分か余裕のある廊下を進み、階段を登る。そこは城壁に囲まれた城の北側に位置する居館と呼ばれる建物で、公爵邸と同等な規模の居住空間。その三階が私達の生活空間として、改装されているのです。


 子供部屋は、私が育った部屋を五倍にしたくらいの広さ……。


 複雑なものを感じながら、現場監督さんに挨拶をすると彼は恐れおののいて平身低頭する。


「申し訳ありませぬ……わざわざ殿下にご足労を頂いたうえに、お妃様まで……申し訳ありませぬ」


「いいよ、いいよ。可愛いアデちゃんの為だもん。で、相談て何?」


 くだけた私の言いように、目を白黒させて現場監督さんが図面を開いて見せてくれた。


「壁、床の突起物を全て無くしたほうがいいと思いまして。となると、そことここと、この場所を一からやり直す必要がございます。あと……姫様のご成長に合わせ、家具も買い換えられると思いますれば、出入り口を大きくしておいたほうがよろしいかと……」


 私は頷き、フェリエスを見た。


「エミリが良いならそうする」

「じゃ、お願いします。予算は足りる?」


 現場監督さんが眉をしかめる。


「安い石は使いとうございませぬし、梁も全て……これほど足りませぬ」


 目が出そうになりました。


「こ……こんなに!?」


 フェリエスが笑うと私の肩をそっと抱く。


「かまわぬ。オーギュストがなんとかするであろう」


 ああ、オーギュストさん。さっきは睨んでごめんなさい。


 なんとかして!




-Féliwce & Emiri-




 改装中の城に移った私達。


 娘の為には金を使うも、自分達の為には全く使わない私達。


「お風呂……ちょっと狭いね」


 慣れた手つきでフェリエスの身体を洗う私。彼は濡れた手で私の肩を撫でると、私の顔を覗きこんできた。


「前が広過ぎたと思えば良い。それに……お前のせいで風呂が風呂ではなくなってしまったから、このほうが良い」


 泡だらけの彼が、私を抱きしめる。


 耳たぶにキスされて、腰砕けになりそうな私……。


 駄目……いや、いい!


 お湯を桶ですくって泡を流していると、フェリエスが苦しそうに声を吐いた。


「しばらく会えぬ……城の改装が終わり次第、ここを発つ」


 いよいよ、軍隊を率いて王都に向かうのです。


「エミリ、アデリーヌはまだ小さい。あの子の傍に母親が必要だ。今回は留守番だ」


 納得いかん……。いや、アデリーヌの近くにいられるのはいいんだけど、クリスティンさんを同行させるってのが引っかかるっす。


「浮気したら……グーパンじゃすまないよ」

「グーパン? なんだそれは?」

「これで殴るのです」


 右手を握りしめて突き出した私に、フェリエスは大袈裟に怯えてみせる。いや、大袈裟ではないかもしれない。彼は私のグーパンの痛さを知っているのだから……。


 ごめんね。


「エミリ、暴力では何も解決はせんのだぞ?」

「じゃ、解決させたい時はどうするの?」


 うーんと唸った大公殿下。二人で浴室から出て、脱衣所に立つ。彼の身体を拭いてあげ、浴衣に腕を通させた私は、自分の身体を拭く……ん?


 あっという間に抱きかかえられて、お姫様抱っこされた私。


 大公殿下は騎兵のように寝台に突進すると、柔らかいその上に裸の私をそっと寝かせる。


「これから、二人の間で何かを解決する時はこうしよう」


 ……スケベ!


 でも、いい!


 こうやって、誤魔化されてしまう日々を送るのでしょうか……。


 でも、いい!




-Féliwce & Emiri-




 寒々とした空気の揺らぎは消え、ようやく夏の訪れを感じさせる風が草木を撫でる。動物達も長かった睡眠から覚醒し、緑に染まった大地の上で喜びに跳ねまわる。


 雪がまだ少しかかった稜線を遠くに眺めた金髪の貴公子は、後方に振りかえり青い瞳をさらに強く輝かせた。彼の視線の先には、公爵旗を掲げる大軍が並び、続々とそれに合流するそれぞれの旗を掲げる諸侯の軍が躍動している。


 アルメニア王国三四九年。初夏の月、初旬。


 フェリエスは国内に布告した。


「リシュルー公爵の身柄を差し出さず、王都を占拠し続け、混乱を拡大させるワラキア伯爵に叛意あり。本意ではないが、武力での解決も止むを得ない」


 東部諸侯を従えた大公が、ついに軍を西へと向けた。


 ベルーズド地方を統べるフェリエス・ベロア・ベルーズド公爵の挙兵は、瞬く間に王国全土を駆け廻り、改めて彼の影響力の強さを知らしめたのだ。


 そして、さらに皆を驚かせたのは、彼の軍勢が向かった先である。


 ワラキア州であった。


「つまり、そういう事か!」


 ヴラドが立ち上がり、宰相執務室の中でベアトリスに怒鳴った。彼の本領であるワラキア州に接近する大公の意図を察知した偉丈夫は、執務机に拳を叩きつけると、血走った目を鈍く光らせた。


「奴め! 俺の本領を狙うつもりだ! くそう……俺としたことが甘かったわ」


 王都で派手に暴れていたヴラドの意図を無視した大公に、ベアトリスも頬を歪める。彼らがあえて、王都で傍若無人の振る舞いをしていたのは、意識をここに集中させ、見られたくないものから目を背かせる為であった。


 諸侯連合はまんまとこれに嵌った。王都奪還に夢中になるがあまり、ヴラドの本領まで意識を向けられなかったのである。


「ドラグルはグラン関から動かすことはできん。お前が行け」

「は……しかし閣下。軍兵はいかが致しましょうか?」


 ヴラドは室内を苛立った熊のように歩きまわり、涼しげに立つ幕僚をじろりと睨む。


「王都周辺の兵は割けぬ……。諸侯の軍を出させよう。俺の名代としてお前が立つという証を出す。凌げるか?」

「やってみましょう」


 ベアトリスはどこまでも無表情に応えると、ヴラドに一礼し執務室を後にする。その背中を眺めた偉丈夫が、椅子を軋ませ座る。その双眸には自分への腹立たしさが充満していた。


「……どうするべきだ? このまま王都を支配下においておっても……」


 彼は壁に掛けられた王国の地図を眺めた。ワラキア州を睨むも、すぐにぱっと視点を変えた。


「待て……よ」


 彼は考える。


 そもそも王都を占領する意味は何であったのか。


 それは、王都の富を奪うことと王弟を誘い出すことだった。彼にしてみれば、王弟がどこかの拠点に居座り、そこで正当な政権は自分達だと宣言するほうが厄介だったのである。だからこそ、危険を承知で王都に留まり続けた。予想外にも、モリペレント公爵との関係がうまくいっていない王弟は、らしくないことに功を焦ってグラン関の前に一敗した。この敗戦によって、彼の影響力が弱まったとヴラドは見ていて、そしてそれは事実だった。


(となると、王都に執着する必要はない。ワラキアに帰るか……。いや、急ぎ帰ったところで、大公軍と戦闘をするのか? 王都からワラキアまで強行し、戦闘をしても良い結果にはならぬだろう)


 ヴラドは自らの武に絶対的な自信を持つ男だが、それに酔う男ではない。


(退くも残るも悪手なら、進むしかないが……)


 地図に注がれるヴラドの視線の先に、ラネー公爵領がある。


 ラネー公爵は先のゴーダ騎士団領国侵攻に失敗し、国軍と自分の軍の多くを失った。だが幸いにも、彼の領地は無事で、今はそれを守る事に躍起となっている。貴族達の連合にも参加せず、ひたすら国境と州境を固め、治安維持に努めている。


「王国北東部のラネー公領なら大公の進行経路からも逸れる。奴らに奪い合いをさせておる間に……」


 彼は思案する。


(諸侯には自領へと引きあげさせよう。大公の行軍速度を落とす役くらいはできるだろう……)


 ヴラドが大きな声をあげ、侍従に怒鳴った。


「ベアトリスを呼び戻せ!」」




-Féliwce & Emiri-




 グラン関のドラグルに撤収命令が下った。


 敗れたとはいえ、いまだ大軍を擁する諸侯連合を前に撤収とはいかがなものかと、守備隊の指揮官は首を捻ったが、もとより刃向かうつもりはない。だが彼は慎重であった為に、数百の兵力を残し、まるでそこに彼がいるかのように旗を大量に残した。


 こうして、諸侯連合は数日の間、ほとんど空となったグラン関を睨むことになったのである。


 軍を退いたドラグルは、王都の城壁をくぐった時、内部の慌ただしさに驚く。殺戮と強奪に酔っていた兵士達が、慌てふためき出発準備をしていたのだ。と同時に、大量の油や薪が集められていた。


 王城の門をくぐったドラグルは、そこで指揮を執る同僚を見つけた。


「ベアトリス! 何があった!?」


 じろりとドラグルを見た同僚は、説明するのも面倒だと言わんばかりに鼻を鳴らす。二人の間に挟まれた士官が、口を開く。


「引きあげでございますれば、王都を焼くよう仰せつかりました」


 一瞬、言われたことが理解できなかったドラグルは、濃い顔の毛を指でなでるだけで声を発せぬ。


「聞いたであろう? 既に宰相閣下はご家族を連れ、王都を出られた」


 ベアトリスが、それだけ言い放つと士官達に忙しく指示を出す。その内容とは、風の方向を計り、薪と油を用意せよというもので、特に住居が密集している街区から燃やせというものだった。さらにフォンテルンブローをぐるりと囲んだ城壁から、中心部に向けて火が向かうように計算しろとも命じていた。


 ドラグルは、目を白黒とさせる。


「しかし! しかし王都を焼くのはなぜだ!?」


 ベアトリスは口を開かない。またしても士官が説明の役を担う。


「王都を奪われても、すぐに使えぬようにせよと……」

「住民達はいかがする?」


 ドラグルの質問に、ベアトリスが眉を跳ね上げる。


「知るか! 死にたくなければ逃げるであろうよ!」


 住民ごと焼き尽くすつもりか!


 ドラグルはようやくヴラドの指示を理解したと同時に、その凄まじさに喉を鳴らした。彼とて諸侯連合軍を生きながらに焼いたが、それとこれは事情が異なる。非戦闘員を街ごと焼き殺せという指示に、困惑するドラグルは半獣人のような容貌ながら、内面はいたってまともなのだ。


「どうした? まさか閣下に背くつもりではなかろうな?」


 ベアトリスの切れ長の目が、半獣人をじろりと睨んだ。


 歯軋りをしたドラグルは、言いたい事をぐっと堪えて首を左右に振る。


 俺がこいつに何を言ったところで、既に決まった事は覆せない。であるなら、すぐにでも宰相閣下に追いつき、お諌めせねばならん。


「俺は撤収命令しか受けておらん。先に行かせてもらう」


 ドラグルの言葉に、ベアトリスは青い髪をかき上げ冷笑した。そこには、ドラグルが何をしようとしているか悟っている節があった。


「好きにしろ」


 ドラグルは同僚から急ぎ離れると、部下達をまとめて東門から王都を出るべく移動する。士官が慌ただしい行軍に疑問を感じ、ドラグルに馬を寄せた。


「何があったのですか?」


 ドラグルは笑みを浮かべると、部下の肩を二度叩いた。


「何もない。我らは急ぎ、宰相閣下と合流することだけを考えておればよいのだ」


 士官が、ぎこちない笑みを浮かべ彼から離れ、ドラグル隊は王都の東門から出ると、東進しているであろう主君を追う。しかし、様子がおかしい。


「閣下、宰相閣下はこの道を通っておりませぬ」


 斥候の報告に腕を組んだドラグルは、ワラキア州へと繋がる公道の真ん中で呻く。遅れて到着した他の斥候が、ヴラドの居場所を彼に伝えた。


「ここから北に二万フィルの位置に本隊! どうやら北国公道を北東に向け進んでいる模様」


(なぜだ?)


 斥候の報告が正しいのなら、ヴラドの本隊はワラキア州には帰っていない。北国公道は王都と王国北東部最大の都市リュグーンを結ぶ道なのだ。そしてそこは、ラネー公領の中心でもある。


 ドラグルの指示を待つ士官達の顔にも、不安と焦燥が浮かぶ。それに笑みを返した指揮官は、迷いを振り払った。


「進路変更……宰相閣下と一刻も早く、合流すべきだ」


 急ぎ進むドラグルの部隊が、ようやく本隊に追いついた頃、王都のベアトリスは指揮下の部隊に最後の指示を出す。


 既に夜の帳が都市を覆い、すっかりと色あせたフォンテルンブローにあって、彼らの行いを止める者はいなかった。


住宅地の一画で、小さくない赤い点が浮かび上がった。それは周囲を侵食し、闇夜すら紅く染める。次第に騒がしくなる王都を、離れた場所から眺めるヴラドの幕僚は、その鋭利な刃物を思わせる視線を逸らした。


「栄華を誇るまで年月を必要とするが、終わるのは一瞬だな……」


 王都に残っていた最後のアルメニア公爵軍が撤収する背後で、フォンテルンブローは住民達の苦痛と悲鳴に満ちた。


 外出禁止令が布告されていた為、事態の把握が遅れた事。本来であれば、消化活動に従事する警備兵が一人もいなかった事。いつもより風が強かった事。あげればキリがないが、いくつもの理由が合わさって火の回りは、住民達の避難を先回りし、それは大人も子供も、男も女も区別なく焼き殺した。


 崩落する巨大な建造物が、逃げ惑う住民達を虫けらのように踏みつぶし、誰もが助かろうと他人を押しのけ走る大通りは、一人の転倒が大量の怪我人を発生させた。


 ベアトリスによって、周到に計算された火の走る経路は、王都を囲う城壁を炎で包み、そこから中央に向かって走るもの。それと、中心から外に向かって放射線状に走るもの。大まかにその二つであった。


 数百度の熱量で空気すら焼く赤い壁に追われた住民達は、フォンテルンブローの市中を逃げまどい、煙でやられて昏倒する。煤が舞う空は毒々しく、炎で染められた赤黒いそれは地獄の蓋が開いたようであった。


 小さな子供が、自分を庇い崩れた建物の下敷きになった母の手を離さない。数人の大人達が、その子を引き離し、走り出そうとしたが、灼熱の壁は行く手を悉く阻んでいた。


 火傷を負った娘を、担ぎ出した父親。すでに息をしていない恋人を、必死に揺らす女。焼けて倒壊した建物に潰されて死んだ家族を助けようと叫ぶ男。多種多様の悲しみと憎しみの色を加えた火の海は、彼らの救いを求める声すらかき消し、その勢いをますます激しくしていく。


 黒煙を噴き上げ、あらゆる生命を飲み込んだ炎。それは、生き残った住民達に生を絶念させるだけの破壊と恐怖を撒き散らした。


 三日三晩、収まらなかった火災は、百万人の人口を抱えたフォンテルンブローを焼き、おおよそ半数にあたる四十八万人の生命を灰にしたのだった。




-Féliwce & Emiri-




 フェリエスが、王都の炎上を知ったのは、戦闘の最中であった。


 大公軍はワラキア州の東部州境で、ヴラドに味方する諸侯とワラキア州守備隊の連合軍と激しくぶつかっていたのだった。


 青い瞳に先には、連携のつたない敵を、騎兵の突撃で分断する味方の勇ましい様子が映る。二個連隊をそれぞれ指揮するハザルとクリスティンは、果敢でありながら理に適った指揮で、ブラド派諸侯の軍を切り裂いていった。


 アリストロに指揮された歩兵が、弓と槍で分断された敵を個別に撃破していく。もとより大軍でありながら、それに頼らぬ用兵を知る幕僚達に目を細めた大公は、控える侍従に角笛を鳴らさせた。


 腹に響く音に、大公直属の軍に連動した動きを東部諸侯の軍が見せる。合同演習を何度も行うことで、ただの寄せ集めではないフェリエスの軍は、寄せ集めに過ぎない敵軍を完膚なきまでに叩きのめした。


 フォンテルンブロー炎上の知らせが記された紙を握りつぶしたフェリエスが、逃げて行く敵軍の背を睨む。


「追撃せよ!」


 叫んだと同時に馬上の人となった大公は、青い瞳を大きく揺らした。


 エミリを泣かした市場や、彼女と訪れた庭園。


 灰塵と化したであろうそれらを脳裏に浮かべた彼は、短い期間であったが母と暮らした後宮を思い出す。


 彼の記憶の中で、母は笑っていた。エミリのおかげだった。それまでの彼が思い描く母は、卑屈で嫌らしい表情で現れていたからだ。


 そして父の最後を看取った王城の一室。


 それらはもうない。


(己の野心の為なら、何をしてもかまわぬか……ヴラドめ!)


 大きく息を吐き出し、冷静さを取り戻そうと努めたフェリエス。それに成功した彼は、憎き相手の今後を考える。


 ヴラドは王都を焼き払い立ち退いた。彼の軍を維持する為の拠点と領地が必要なはずだ。


(ワラキアは俺が奪う。奴はどうする? 俺ならどうするか……)


 大公の頭脳に、王国全土の地図が描かれる。彼は王弟やモリペレント公がいる西や南はないと断じた。東に進めば俺がいる。となると、北。


「北か……」


 ラネー公領。


 先のゴーダ騎士団との戦争において、著しく疲弊したラネー公爵は、今回の内乱には参加してない。巣穴に隠れた穴熊のごとく、嵐が過ぎ去るのを待つつもりである。


(エミリ、お前ならどうする?)


 信頼と愛情を注ぐ妃に問う様に、大公は振りかえる。


 いつも近くで支えて欲しい。相談相手になって欲しいという想いは強いが、さすがに小さな子から、母を奪うのはできない。まだ乳飲み子のアデリーヌから、生命を賭けて母を必要としている我が子から、エミリを奪うなどできるはずがない。


 美しい妃の笑顔を思い描いたフェリエス。


『フェリエス。権力者同士の争いの影で、力を持たない人達は苦しんでるよ。その人達を無視しちゃ駄目』

『敗残兵ほど何をするか分からない。彼らから皆を守ってあげなくちゃ』


 きっと、こう言うであろうな。


 領民達を想い、不安に黒い瞳を揺らして主張するであろう妃を想像した大公は、彼女を抱きしめ、その黒く艶のある髪に頬を寄せたいという欲求に苦笑した。


(俺もいよいよ、道楽息子を笑えぬ。エミリを想う度に、抱きしめたくなっておるのだからな。情けない。俺のおらぬ領地を、守ってくれているエミリに合わせる顔がないというものだ)


 妃への想いを、この時ばかりは振り払った大公。彼は伝令を飛ばし、アリストロを呼び寄せた。


 赤く濡らした甲冑を鳴らして馬を走らせる彼は、血を滴らせる長剣を「もう使えぬ」と言って投げ捨てた。勇敢と冷静を絶妙の配分で兼ね備えているこの幕僚は、フェリエスに急ぎ近付き、馬から飛び降りる。


「お呼びでございましょうか」


 膝をつき、冑を脇に抱えたアリストロに、フェリエスが笑みを向けた。


「無事でなによりだ、アリストロ。見事な采配だった。エミリがいたかのようであったぞ」


 喜色に顔を染めて一礼した幕僚。その後頭部に向けて、主君は言葉を重ねた。


「ワラキア州を占領する。ヴラドは帰って来ぬであろうからな。領民達が苦しまぬよう、我らが彼らを守らねばならん。糧食を分け与えよ。それと、兵士達には領内の治安維持に当たらせ。敗残兵達が領民を害さぬよう、目を光らせろ!」


 深く一礼し、覇気をみなぎらせたアリストロが離れて行く。


 その背中を眺めるフェリエスは、穏やかな笑みを浮かべていたが、王都に命を失った人々を想い、再び頬を引き締める。


 この悲しみを断つ事ができるのは、やはり俺がやるしかない。


 青い二つの瞳が揺れた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ