9
-Alfred Shyster-
依頼主が到着した。僕は彼女達を書斎に招き入れる。
相変わらず上品で美しい人だ。とても孫がいる年齢には見えない。そう、今日は彼女の隣に、幼年学校に通う年頃の女の子がいる。黒い瞳を輝かせて、僕の著書を差し出してきた天使は、どうやら僕のファンらしい。サインをしてあげると、本を胸に押し抱いて、大人を駄目にする笑顔を周囲に振りまく。依頼主のボディガードも、いかつい顔を弛めていた。
「エリザちゃん、庭にね。犬がいるよ。遊んでおいで」
彼女は嬉しげに頷くと、書斎から庭へと移動する。その彼女に、茶色と黒の毛並みのゴーダ犬がじゃれつく。ゴーダ犬に続き、アルメニアスパニエルが笑い声に誘われ参加していた。
「助教授。無理を承知してくださり、ありがとうございました。孫娘は助教授のお出しになっている本を全て読んでいるのですよ。どうしても会いたいと言って聞きませんでしたので……」
通いの家政婦が淹れてくれた紅茶を二人で飲む。依頼主の言葉で、あの小さな女の子がとても頭の良い子であると分かる。僕の出している本はどれも、子供向けのものではないのだ。
「いえ、僕のほうこそ王立図書館の件は感謝しております。もしよろしければ、エリザちゃんはいつでも遊びに来てもらってもかまいません。あ、大学の研究室に来て頂いたほうがいいかな」
満面の笑顔を初めて見た。孫への愛情に勝るものなし。
「王室のほうから私のところに、助教授がとても礼儀正しく閲覧をしてくださったとお礼の電話がわざわざありました。おそらく、また許可は出るでしょう。それに……」
彼女は優雅に紅茶のカップを受け皿に置くと、庭へと視線を転じる。
「これは内密に願いたいのですが」
「私は、あなたに感謝しております。あなたのご期待を裏切るような真似は致しません」
依頼主が微笑み、柔らかい視線を僕に戻した。
「先日、陛下にお目にかかった際、あなたのことをご存じであられました。私があなたの支援を影でしていることもご存じであられました。陛下はある決断をなされようとしています」
僕は、紅茶を噴き出す寸前でなんとか堪えた。まさかこの女性、いや、何か事情のある女性だとは勘付いていたが、国王陛下にお目にかかることができる立場の女性とまでは考えもしなかった。
「それをお話しする前に、まずこれまで名前すら名乗らなかったことをお許しください」
「いえ奥様。こんな学者風情にそこまで……」
彼女は孫娘の笑い声に頬を弛めると、ボディガードに振り返る。それを受けて、いかつい男が一礼し、退室した。僕はその男の左手の中指に、光っていた指輪を確かに見た。
サクラの紋章……。
「これまで私は、あなたが信用に足る人物か否か試しておりました。失礼をお許しくださいますよう……」
深く腰を折り、頭を下げた彼女に慌てる僕。慌ただしく首を左右に振る。
「と……とんでもございません」
依頼主が顔をあげる。微笑みが消え、黒い瞳がじっと僕を見つめる。
「現在、アルメニアにおいて王位継承戦役に関する研究をする学者の多くは、エミリ・ホリカワを架空の人物であると信じて疑いません……一方、そうではなく実在したと主張する学者のなかには、残念なことに自らの名をあげようと彼女を利用している人が少なくない。ですが、あなたは全くそういう素振りをお見せにもなりませぬ。あなたであれば、真実を探し当ててくださるものと私は確信しております」
僕は黙っていた。
緊張で胃が痛い。それに恥ずかしい。僕は単に確証を得られなかったから、これまでそうしてきたに過ぎない。確証さえあれば、堂々と発表し本を出していただろう。
「それにシェスター助教授は、エミリ・ホリカワが実在の人物であり、フェリエス大公と恋仲であったと信じてくださっている数少ない研究者のお一人。さらにシェスター家の方……あなたのような方と、わたしの代で出会えたことはきっとフェリエス様とエミリ様が、お導きくださったに違いないと思えるの」
「僕は……いや、僕のご先祖様はあなたもご存知のように、大公殿下とエミリ様……お二人と縁があったようだから、他人事には思えなくて……我がシェスター家は、代々、親が子に大公夫妻とレニン・シェスターの話を子守唄で聞かせるのですよ。それがとても作り話には思えなくて……奥様、僕は今でも彼女の存在を信じています。書庫で様々な書物を拝見し、その思いは強くなっています。と同時に、彼女がフェリエス大公を殺した経緯を知りたいのです。いえ……殺していなかったという事実を暴きたいのです」
依頼主が目を見張った。
「いえ、証拠も何もありません。これはあくまでも僕の希望に過ぎません。本来、こういう思い入れは研究には禁物なのですが、僕はどうしても信じられなくなったのです。モランミリーのサクラを見てから、そう思うのです。だから、無駄なあがきかもしれませんが、彼女の存在と潔白を明らかにする為に、僕は――」
「きゃはははは!」
エリザちゃんが、ゴーダ犬のテスを抱きかかえて書斎へと乱入してきた。女の子の腕に収まった犬が、尻尾を激しく振りながら、彼女の顔を舐めている。
「シェスター先生! この子、可愛いね!」
「可愛いよねぇ。テスもエリザちゃんに遊んでもらって嬉しそうだよ」
自分も抱いてくれと女の子の足元で催促するアルメニアスパニエルのスーが、鼻をぴーぴーと鳴らす。
「助教授は犬がお好きなのね」
依頼主に、照れ笑いを向けた僕。
「歴史を調べておりますとね。犬にも興味を持ってしまったんですよ。彼らは国を跨いで血統を繋いできた歴史を持ってますから……」
エリザちゃんが僕の膝につがりついて来た。
「先生、エリザね。来月、お誕生日なの。先生もお誕生日会に来てくれたら、エリザ、嬉しいな」
「ははは。お招きありがとう。でも、お婆様やご両親にお許しを頂かないとね」
僕の言葉に、可愛い天使が依頼主を見上げる。
「お婆様、いいでしょ?」
依頼主が大きく頷くと、天使は笑い声を残して庭へと飛び跳ねて行った。
「助教授、申し訳ありません。ご迷惑ではなかったでしょうか?」
「いえ、こちらこそ。お招きありがとうございます」
僕が頭を下げると、依頼主が微笑んだまま口を開いた。
「助教授、今日は長い話をしようと思い参りました。よろしいですか?」
陽だまりの中で犬達と遊ぶエリザちゃんの笑い声に、僕は微笑んだ。そして、同じく微笑む依頼主に視線を転じる。
「喜んで」
-Féliwce & Emiri
イスベリア侵攻の準備に忙しい私は、らしくないことに疲れているみたい。食欲がないしとっても疲れやすい。フェリエスが心配して無理やりに、私を寝室に押しこんだのも仕方ないのです。
こんな大事な時に……。
年が明け、私は十八歳になりました。日本だったら、まだまだ学生ってとこか。私くらい、働いている十八歳は日本にはいないだろうなぁ。
クロエちゃんが、お見舞いに来てくれた。
ああ、可憐さに磨きがかかってきたなぁ。私が男だったら、間違いなく押し倒してエロいことをしてるわ……。悔しい事におっぱいの大きさ、追い抜かれてしまったのです。
寝台の脇に座った彼女の胸をむんずと掴んだ私に、驚き慌てるクロエちゃん。
「ひゃあああ! 何!?」
「羨ましい……羨ましいよぉ。分けてよぉ」
おでこをぴしゃりと叩かれてしまいました。
「おとなしく寝てなさい。今、サラちゃんに温かいスープを持ってきてもらうように言ったからね」
確かに欲しいですな! この国ったら、本当に寒いんだもの。窓の外は白銀の世界です。ストラブールの街並みは、白粉を塗ったみたいに白一色に染まっている。
「エミリちゃん、働きすぎなんだよ。夜は夜で殿下に捕まってるもんね」
クロエちゃんがにんまりとする。
あんた、随分と私に似てきたね。ジェ……ピエールさんに怒られてしまうす。
彼女が私のおでこに手の平を乗せる。
「熱はないみたいだけど……」
「うん、そうなんだよ。おかしいんだ」
クロエちゃんが不安げに私を見つめる。
ああ! 駄目だよ……そんな可愛い顔して、もう!
コンコン……。
「失礼しまぁす」
サラちゃんがスープを運んで来てくれた時、私はクロエちゃんを抱きしめじゃれている最中でした……。
本当に間の悪い子!
それからしばらく、体調の良くない日が続き、治ったと思ってもすぐに悪くなるといった事を繰り返す私。アレクシお爺ちゃんには、医者に診てもらえとこっぴどく叱られた。
初めこそ大丈夫だよと笑っていたのですが、さすがにフェリエスやハザルさん、オーギュストさんまでが口を揃えてお医者様に診てもらうよう勧めてきます。
医者はいやだぁ……薬は嫌いだぁ。だって苦いんだもん。
嫌い!
「エミリ、お前に万が一のことでもあったら、俺はもう生きていけぬ」
寝台で私の隣に寝ころんだフェリエスが、髪を撫でてくれながら説得してきます。
卑怯だよ……。
「殿下がそうしてくださっていたら、きっと治ります」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、駄目だ」
駄目か!
彼が私を抱きしめ、髪に頬をくっつくてきた。
「イスベリア侵攻は保留だ。今はお前が大事だ」
最悪……私ってば彼の足を引っ張ってしまってます。王家が周囲に振り回されている今だからこそ、私達も動けるっていうのに……。
どうやら考えていた事が顔に出てたらしく、フェリエスにほっぺを軽くつねられた。
「今は治すことだけを考えろ。命令だ」
この時ばかりは、大公殿下の目がマジでした。
-Féliwce & Emiri
アルメニア国王フィリプ三世は、懲りずに兵をゴーダへと進めた。五万人を超えた程度しか集められなかったのは、王家の求心力が落ちているだけが理由ではない。度重なる戦争に国内が疲弊し、さらに北部国境では王弟がコーレイトとトラスベリア相手に奮闘しているからだ。アルメニアといえども、この二国を同時に相手するのは難儀であった。
これらを観察していたフェリエスだったが、動けないでいるのはエミリが原因だ。恋人を診察した医師は、大公にこう告げた。
「エミリ様ご懐妊、おめでとうございます」
それからが大変だった。
寝台に寝るエミリの周囲で、家中の者達が勝手に慌てふためく。彼女が咳のひとつでもすれば、やれ医者を呼べ、やれ殿下をすぐここになど、振り回されることこの上ない。
あのオーギュストですら、エミリを案じる。
「殿下、屋敷は寒うございます。節約も結構ですが、エミリ様に何かあっては遅うございます」
そもそも節約を言いだしたのはお前だ! とは口にせず、フェリエスは薪購入費増額に署名をする。彼とてエミリの身は誰よりも心配している自負がある。そうであるから、過剰とも取れる家中の反応に呆れる半面、ありがたさも感じていた。
クリスティンがしきりにエミリの身辺で世話をしてくれていると聞き、後ろめたさを覚えたフェリエスであったが「同情で抱かれとうはございませぬ」と言われては黙るしかなかった。
そういうこともあり、美しい貴公子が逃げ込む先となった家老の寝室。
「忙しい……」
大公がアレクシの寝室で愚痴を言うのも、今日が初めてではなかった。寝台に横たわり、ただ大公の愚痴に付き合うアレクシ。その病状は年を越してよくなるどころか、悪くなる一方だった。咳に血がまじり、それが喉にからんで呼吸が苦しいらしく、家老は北風を思わせる呼吸音を発している。
「殿下……ようございまし……陛下……もお喜び……っておるでしょう」
彼のいう陛下とはフィリプ三世ではない。フェリエスの父のことである。大公は微笑むと同時に、家老の為に水を杯に注ぐ。
「しかし父親になるという自覚が全くない。俺は大丈夫だろうか」
「陛……は殿下に会えな……も大事に想ってお……した。殿下もきっ……」
「もう良い、苦しいのであろう。喋らずとも良い」
フェリエスがすっかり細くなったアレクシの手を握ると、老人の目から滴が零れる。
「私は……下を己の野心の……に利用し……た」
「はっはっは。さすがはアルメニアにアレクシありと言われた参謀だ。それくらいでなければ、俺の家老は務まらぬ」
フェリエスが笑うと、アレクシが瞼を閉じる。苦しげに呻き、侍女に支えられ身体を起こした彼は、壺に血の混じった痰を吐いた。
「薬は飲んでおるか?」
フェリエスの質問に、侍女が瞳を揺らした。
「なんとか……しかし吐き出される事が増えておられまする」
大公の表情が曇る。
「爺、絶対に許さぬ。爺は国王となった俺の側近として再び王城に立つ日まで生きなければならぬ」
心配げに自分を見つめる若者に、弱々しい笑みを向けたアレクシ。彼は再び横になると、机の引き出しを指差した。
「陛……から預かって……殿下が父親になる……渡せと」
フェリエスが老人の肩をさする。彼が一向にアレクシから離れようとしない為、家老は目を侍女に向けた。彼女が立ち上がり、机の引き出しから手紙を取り出しフェリエスに差し出す。
それは父から息子に宛てて書かれた手紙であった。
『フェリエス。お前がこれを読む時、予はおらぬであろう。お前が父親になれたことを誰よりも誇りに思う。予はアデリーヌのおかげで、他の王達が成し得なかった偉業を成した。お前という男子を世に送り出したことだ。アレクシのことだ。きっとお前の相手を間違えることなどしておらぬだろう。だからフェリエス、子とその母を大事にせよ。予が成し得なかったことだ。大事に想うだけでは相手に伝わらぬ。相手に伝わって初めて想いは意味をもつ。父と同じ轍を踏むな。お前とお前の愛した女性、そして彼女との間に生まれた子の幸せを祈る。ずっと見守っているぞ。ルイ・ラング・アルメニア』
フェリエスはしばらく手紙を見つめた。初めて封が解かれたその手紙は、色の変わった封筒に反して、中身は白く輝いていた。
(これは父が触った後、俺が開封するまで誰も触っていないものだ……)
彼はそれをアレクシの眼前に広げて見せる。
家老が目で手紙を読み、呻くと涙を溢れさせた。大公がその細い手を握った時、アレクシは手紙から彼へと視線を転じた。
「わかっておる。言うな爺。俺は爺に感謝している。爺以上に俺の味方はおらぬと思っている。ほら、父上もこう書いている。爺なら俺の相手を間違えんと……爺がエミリを傍に置けと言ってくれたのだぞ」
フェリエスの言葉に、アレクシが瞼を閉じる。
疲労を増した家老の表情を見て大公が立ち上がる。今日は長居をしてしまったとアレクシに詫びながら、視線を侍女へと走らせた。
「頼むぞ」
侍女が涙に濡らした睫毛を揺らし、深く一礼した。
廊下を歩くフェリエス。
アレクシの言いたかったことは分かった。彼は自分に謝りたかったのだ。あの手紙を読み、家老はフェリエスの父が何を望んでいたかを知った。大公の父親は、フェリエスに王家の務めや覇業などを望んでいなかった。大帝ルイは、自分が望みながらもできなかった家族とのささやかな幸せをフェリエスに望んでいたのだ。それをアレクシに託したのだ。
アレクシは、ルイの死に際にこう言われている。
「フェリエスを頼むぞ」
これはフェリエスも聞いている。その言葉の意味をアレクシははき違えた。彼はフェリエスを玉座に据えるべく、教育し家中を整え、来るべき時の為に準備をしたのだ。そしてそれはアレクシ自身の野心とも繋がっていた。
アレクシはあの手紙で、これまで自分がフェリエスに対してしてきた事は、フェリエスの父が望んだものでは無かったと知った。
だが、フェリエスはそうではないと思う。
「違う、爺。俺は自ら望んで玉座を奪うのだ。爺はその為に俺を育ててくれたのだ」
(アレクシ、手紙を読んだだろう? 父上はお前をとても信用していたぞ。そして俺も父上に劣らず爺を信用しているのだ。恥じるな……爺のおかげで俺はここまで来た。今度は俺が爺を連れて行く番だ)
執務室を通り過ぎ、恋人の部屋の外に立つ。
(エミリにも読ませてやろう。喜んでくれるかな……)
大公は微笑むと扉をそっと押し開いた。
-Féliwce & Emiri
お母さんになります……。
もちろん、お父さんはフェリエスです。
う……嬉しいっす! 皆に祝福されるのがこんなに嬉しいなんて!
今から、フェリエス似の男の子を想像して、相当な美男子が生まれてくると決めつけている私。我が子ながら、きっと女の子を泣かしまくるなぁ。育て方に注意が必要!
いや、女の子も可愛いよねぇ。きっと美人だぞ。モテモテになるね。間違いなく逆ハーレム状態になるね。各国の王子様が争奪戦を繰り広げるね!
幸せな妄想に浸る私。
どうやら妊娠の初期症状を、私は風邪と勘違いしていたようだ。それにしても、あのオーギュストさんですら私に働くなと言う。
「働くな! おとなしくしておれ馬鹿も……申し訳ありません。お身体に何かあってはいけませぬ。どうぞお休みになられますよう……」
逆に、こうまで何もしなくなると、とってもとっても暇なんす。暇すぎて死んじゃう……ああ、日本ならいくらでも娯楽があるってのに、さすがに本を読むのも飽きてきた今日この頃。
クリスティンさんが実家から宝石で作られたお守りをくれた。それは、ロゼニア女王自ら魔力を封じたお守りで、きらきらと輝いてとても綺麗な耳飾りです。左耳にはサクラのをしてるから、これは右耳にしよう……。
「つけてあげよう」
クリスティンさんが私の耳にイヤリングをつけてくれる。
いい人なんだな……これが私だったら、嫉妬で「こんちくしょー」て思ってるよ……。
扉が静かに開かれ、微笑んだフェリエスが入って来た。クリスティンさんが彼の為に椅子をゆずる。
「エミリ、どうだ?」
「暇すぎて退屈でございます」
笑った大公殿下が、大事な物を扱う動作で手紙を私に広げて見せてくれる。
「父上が残してくれていたものだ。アレクシが持っていた。読んでくれ」
「よろしいのですか?」
「読んで欲しい」
私は、彼から手紙を受け取り、文字に目を走らせる。とっても綺麗な字。
そこには、未来の息子を想う父親がいた。私のことまで書いてくれてる。それに、まだお腹の中にいる私達の赤ちゃんのことも……。
「な……泣くとは思わなかったぞ。嬉しくなかったか?」
慌てるフェリエスに笑ってみせる。
「嬉しいの……とっても嬉しいです」
大公殿下が私を駄目にする笑みを浮かべる。
「男の子であればエミリのように賢く強い子だろう。女の子なら可愛く素直な子であろうな」
不思議なもので、お互いに自分に似た子を想像していないのです。
私達の時間を邪魔すまいとクリスティンさんが、気を利かせて部屋から出て行こうとする。フェリエスが苦笑してそれを止めた。
「遠慮する事などない。姫は俺の側室だからな」
「あら……覚えていてくださいましたか。側室としての務めを許して頂けませんから、お忘れになっているものばかりと……」
意地悪い笑みでフェリエスを見つめるクリスティンさんが、私達の為に水を持って来てくれた。
「エミリ様は当分、殿下のお相手が出来ませぬゆえ、どうか私めをご指名くださいませね」
「あら、殿下。大層、おモテでございます事。私が身重である事をいいことに、遊び回っていれば許しませぬゆえ」
二人でフェリエスをおちょくると、彼は綺麗な顔に困惑を浮かべ首を左右に忙しく振る。
「こ……このように手を組まれると勝てぬ」
可愛い……フェリエスったらとっても可愛い。ギューとしたくなる。しかしクリスティンさんの手前、感情を押し殺した私は、姿勢を正して彼を見た。幸せな気分でいながらも、気になっている事があります。
「ご家老のご様子は?」
クリスティンさんが表情を改める。
フェリエスは眉を寄せると腕を組んだ。それだけで相当に悪いと分かるのです。お爺ちゃん、風邪が治らないと思っていたけど、ただの風邪じゃなかったみたい。確かに、咳に血が混じりだしたというのは聞いてたけど、こんなに早くに、悪くなるなんて思わなかった。
「お見舞い、したいのです……」
「爺が嫌がっておるからな。身籠ったばかりのお前にいらぬ心配をかけさせたくないと言ってきかぬ」
ふむぅ……。でも、お爺ちゃんに会いたい。
私がフェリエスとこうしていられるのは、アレクシお爺ちゃんのおかげなんだ。それに、私にとって厳しくて優しい先生でもあるんだよ。もっといっぱい、教えて欲しい。
「いきなり行ったら、怒るかなぁ……」
大公殿下が笑みを浮かべて、首を左右に振った。
「怒るわけなかろう。爺は面と向かってお前を褒めたりせんが、誰よりもお前を認めているのだ。エミリが見舞いに来てくれたら喜ぶだろうな」
クリスティンさんが私の手をそっと握った。
「私が見舞うと言って、エミリがついて来るのはどうじゃ?」
そ……それなら部屋に入れてもらえるかも。
「お……お願いします」
しかし、お爺ちゃんからの返事は「わしの事など気にするな。丈夫な子を産むことだけに集中しろ」というものでした。
お爺ちゃん、会いたいです……。
-Féliwce & Emiri
兄と違って引き締まった身体を水で洗うカミュルの耳に、天幕の外からエミールの声が届いた。
「王弟殿下、失礼致します」
幕僚は幕舎の中に入ると頬を朱に染め、視線を逸らして口を開く。
「トラスベリア軍の主力はやはりシェブール公爵軍です。しかし、公爵はおらぬ模様。嫡男のマジャニー卿が指揮を執っておる模様です」
カミュルは、エミールを抱き寄せると唇を奪う。ひとしきり熱い口づけをした後、潤んだ瞳の部下を見つめた。
「マジャニー……聞いた事のない名だ」
「養子でございます殿下。シェブール公爵には娘しかおらず、男子にしか相続を認めておらぬトラスベリアの法律上、仕方ない事かもしれませぬ」
「そうか……しかし軍を率いさせる程に有能な養子であるか……」
「は……ただシェブール公爵家はトラスベリアを代表する武門。譜代家臣達は皆、歴戦の指揮官でございますれば、能無しであっても問題はございませんで――」
エミールが口を開いたまま声を止めた。カミュルに首筋を舐められ、喘ぐように息を漏らす。部下の若く引き締まった身体をまさぐり、服を剥ぎとった王弟は、エミールの髪に指を絡める。
「報告を続けよ」
カミュルの言葉に、喉を鳴らしたエミール。震える声を絞り出し、寝台に押し倒されながら懸命に言葉を紡ぎ出す。
「シェブー……ル公の、か……家臣で養子にぃいい……良く思ってない者をぉ……探しぃます……」
カミュルが愛撫を止め立ち上がる。
「そうせよ」
寝台から離れた王弟に、熱のこもった視線を送るエミール。しかし、カミュルはそれを無視して天幕から出た。
歩哨が敬礼をする脇を通り、アルデミルが部隊指揮官達と話しこんでいる場所へと近づく。一斉に立ち上がり、王弟に敬礼をする彼らに頷いて見せると、指の動きだけでアルデミルを呼んだ。
「キュイ卿の件はどうした?」
魔導士は、その名を出されてようやく思い出したように口端を弛めた。
「は……王都の屋敷に拘留しておりまする。殺しますか?」
歩きながら考えるカミュルの背後に、アルデミルが続く。野戦陣地の中は忙しく動きまわる兵士達で溢れかえり、彼らが鳴らす甲冑の音でうるさい。
「いや……まだ使い道はある。殺すな……それにしてもジェロームめ。なんと呆気ない」
「殿下、そういえばワラキア伯がこそこそと動いておりまする……あの男、幾人かの女を王へと送って機嫌をとっている模様」
カミュルは笑った。
「兄の機嫌取りに忙しいだけの暴れ猿はどうでもいい。あいつができることは戦場で殺戮をもたらすことのみだ。女……女といえば……アルデミル。俺は妻を娶ることにする」
「は……は?」
男色の王弟が妻を娶るという意味は、政略で間違いがない。そうとわかっていても、魔導士は意表を突かれた顔で立ち止まった。
「トルキア家に娘がいたであろう」
トルキア家とは、王家の分家の一つで伯爵位を持つ貴族である。当主であるアラン・トルキア・ネグレト伯爵は国王の学友として知られているが、その実、ラング家とは関係がよくない。これはネグレト伯の現在の妻が、国王の後宮から下げられた女性であるからだ。ネグレト伯は、これに自尊心を激しく傷つけられ、夫婦の関係は冷え切っていたが、子はいた。それがカミュルの言う娘である。
「しかし、カルテローゼ姫はまだ……」
十二歳であった。
政略結婚であれば年の差など関係ない。まして相手が子供であろうが全く構わない。そもそもカミュルは男色であるし、幼児趣味ではない。しかし、わざわざ王弟の正妻に、分家から子供を娶る必要があるのかとアルデミルは考え、それは王弟に伝わる。
「ふふふ。伯父上に籠絡されてしまう前に取りこむ為だ。地方貴族どもは宰相に任せるとして、俺は一族をまとめる事に注力しようと思う」
アルデミルは了解した。
(つまり、大公と対立する事は間違いないと読んでいるのか)
アルデミルの思考は、カミュルの声に遮られた。
「兄上のせいで国が傾いている。近い将来、有能で力強い国王を望む声が高まるであろう。兄上の子供達はまだ幼い。伯父上は片田舎の貴族に過ぎぬ。となれば、誰が相応しいか……」
「ご決心なされましたか!」
カミュルは薄く笑った。
「ようやくな。そもそも、このような苦労も俺が王権を握れば解決する。ま、臣従するのであれば、伯父上も重用してやらんでもない」
王弟が歩みを止めた。
彼の視線の先には、トラスベリア軍とコーレイト軍が集結している。
(馬鹿どもめ。別々に行動しておったほうが、よほど恐ろしかったわ!)
カミュルは口端を釣り上げ、鼻を鳴らした。
-Féliwce & Emiri
アルメニア中央部を襲った寒波は、まだ国と作物と人を苦しめている。ゆるりと北へとその進路を取ってはいるようだが、牛が進むがごとくであった。その国の東端とて、それから避けられるはずもなく、被害は少ないが例年よりも気温は低かった。
しかし、ストラブール市中には花びらが舞い、石畳の道路は人で溢れた。露店がずらりと道路脇に並び、人々の笑顔が弾けている。建物という建物に公爵旗がはためき、それに寄り添うかのように白地に小さな花びら模様の旗が並ぶ。観光客らしい男が、それを指差し露店の店主に尋ねる。
「おい、この旗はなんだ? 大公殿下の好きな花なのか?」
ロゼニアから来たと言ったその男に、店主は笑顔と共に麦酒を出す。
「杯は返してくれ。これは大公殿下の奢りだ。あの旗はな、エミリ様の旗さ」
麦酒を受け取った観光客は、唇に泡をつけながら大きく頷いた。
「ベルーズドの戦乙女か! なるほどなるほど。大公殿下に乾杯!」
店主が右手を挙げて応える。左手には、羊の肉と玉ねぎを刺した串が持たれていて、秘伝のタレが香ばしい香りを周囲に放っていた。男がそれを指差し、麦酒のおかわりをする。
「しかし良かった。俺はいい時に来たよ」
店主が、お釣りと串焼きを男に渡しながら、口を開く。
「そうだ。もうすぐ大公殿下とエミリ様の結婚式が始まるぞ。城の中で行われているが、それが終われば馬車で市中を周られる。この通りも通られるはずさ」
「そうか、じゃあここに居座って待たせてもらおうか」
男に店主が口を開けて笑った。
「じゃ、奥のカウンターを使いな。ここは持ち帰り用だ」
「すまない。美味いものを食べながら、のんびりと待つとするか」
店主が店内に向かって声をかける。今日は忙しくなりそうだとほくそ笑んだところで、さらに多数の群衆が通りになだれ込んで来た。クロロ公園脇のこの通りに店を出す決断をして良かったと、過去の自分をほめながら店の看板を見上げる。『グラインフェルエン』と書かれたその看板の脇に、エミリにねだって書いてもらった彼女の署名があった。
-Féliwce & Emiri
この日、朝からストラブールは賑やかだった。それから隔離されたかのような静寂に包まれたストラブール城の一室で、フェリエスは新婦のドレス姿に見惚れた。少し膨らんだ腹部に合わせて、急ぎで作り直されたドレス。白を基調としたそれに、緑と朱色が映える。緑は葉のように描かれ、朱は花びらだった。
着付けを自らすると言って、この日に合わせて王都を出発したミラがエミリの髪を結いあげている。その無駄のない動きを眺めながら、フェリエスは喉を鳴らした。
緊張で喉がからからだ……。
フェリエスが椅子から立ったり座ったりを繰り返すのを見て、エミリがくすりと笑った。
「そう見張らなくとも逃げたり致しませぬ」
(可愛い……)
恋人の笑顔にニヤついた大公は、クロエによって水を渡された。冷やされたそれを一気に飲み干し、髪飾りを選ぶ恋人に笑みを向ける。
「どれをしても美しいのに変わりはない」
「あら殿下。一生に一度の大事な日でございますよ」
ミラの抗議に手を払って応えた大公は、扉を遠慮がちに叩く音に視線を走らせた。
「クリスティンでございます。ご家老をお連れ致しました」
来たか!
フェリエスが立ち上がり、自ら扉を開く。クリスティンが一礼した背後に、ハザルによって抱えられた家老がいた。
「ハザル、礼を言う」
止める周囲を無視して、フェリエスはアレクシをハザルから預かった。細くなった身体は、これが爺かと驚くほどに軽い。
アレクシは、目だけでフェリエスに感謝を伝えてきた。それを受けた大公は、金色の髪を揺らして笑う。
「昔、爺によくこうしてもらっていたな」
クリスティンがハザルに目配せすると、片目の軍務卿は部屋の外で待機する。新婦の部屋には、新郎以外の男は入れぬのだ。しかし、どうしてもエミリと顔を合わせるのを固辞する家老を説得し、ようやくその気にさせ今日になったのだった。
「爺だけは特別だ」
家老は結婚式が終わり、落ち着いたらと手記によってフェリエスに伝えたが、若者はこの方法を取った。それは、アレクシだからという以上に、式が終わるまでもたぬかもしれぬという思いが強かったからだ。
エミリが、フェリエスに抱えられたアレクシに駆け寄る。黒い瞳に涙を溜め、しかしそれをこぼすまいと必死に笑顔を作る彼女に、フェリエスは胸を締め付けられた。
「お爺ちゃん、ありがとう。私、フェリエスと……」
アレクシが苦しげに喉を鳴らす。クリスティンが駆け寄り、壺を彼の口に寄せる。痰というより、粘度の高い血という表現そのものを吐き出し喘いだ老人。フェリエスの衣裳に血がつくも、大公はそれを拭こうともせず、逆に老人の口元を指で拭う。
アレクシが左手を動かす。
エミリがそれを両手で包むと、彼は新婦の手の平に文字を書いた。
『殿下を頼む』
エミリはそれを理解し、頷くと老人の頬に自身の頬を寄せた。アレクシが瞼を閉じる。そこから一筋の滴がこぼれ、新婦の頬を伝った。
『幸せになれ』
エミリが笑った。
アレクシは、瞼を閉じたまま微かに頬を弛める。
「アレクシお爺ちゃん。私、あなたに会えて本当に嬉しいよ。フェリエスの近くにいさせてくれてありがとう」
「時間でございます!」
オーギュストの声が部屋の外から聞こえる。
「爺、行く。今度は俺の子を見てくれ。産まれたら寝室に連れて行くからな」
フェリエスの声は、周囲の女性達が驚くほど、柔らかく穏やかだった。
シススの時間を告げる時計台の鐘が鳴った。
-Féliwce & Emiri
正午。定刻通りに城の大広間で始まった大公の結婚式を、少しでも覗けないかと市民達が城の庭に溢れる。
王都から招かれた歌手の美声が漏れ聞こえ、交響団による演奏が盛り上がる。
ジェロームという名を捨てたピエールは、警備の兵達に指示を与えながら、忙しく動き回っていたが、黒髪を短く切り揃えた隙のない男を視界の端に認めると、目を細めて近寄った。と言っても、ジェロームという名を捨てて以来、仮面を外さぬ彼の表情を本人以外では誰も見ることはない。
「失礼。城の警備責任者を仰せつかったピエール・ジェリルと申す。どこから参られた?」
「ロゼニアだが……何か?」
「ほう……ロゼニアから。今日は観光で?」
「それ以外に何がありましょうか……ピエール卿、俺が何か問題を起こしましたか?」
ピエールは仮面の下で苦笑した。
「いや……申し訳ない。これも務めでござる。あなたも、無事に式が終わる事を祈ってくだされ」
「もちろん」
男から離れたピエールに、兵士の一人が張りついた。
「何人か、油断ならぬ者達が紛れ込んでおります……」
「どういうつもりか知らんが、不審な行動をすればひっ捕らえよ」
(大恩ある殿下とエミリ様の式を、誰にも邪魔させぬぞ!)
煌めかせた双眸で周囲を睨んだピエールに、一人の男が手をあげ声をかけながら近寄って来る。オーランド・ダイム・コルトバ男爵であった。
彼は王都から家族を引き連れ、ストラブールに移り住んだ。
「妻の両親が倒れました」
こう嘘をつき、あっと言う間に公爵府に収まった男は、市中の警備を担当していたのだ。
「ピエール卿! ピエール卿!」
「いかがなされた?」
白い仮面で表情を隠したピエールに、汗を拭って近寄ったオーランドが動揺を隠せず報告する。
「王都から国王の使者と名乗る一団が参りました。城に通せの一点張りで話しになりませぬ」
ピエールは激しく舌打ちし、兵士を軍務卿の元に走らせる。そして彼は、オーランドと共に城を出て、使者の元へと急いだ。城からクロロ公園に続く大通りは、人で溢れ返り前に進む事すら困難を極める。仮面の下で焦燥を露わにしたピエールだったが、素早く考えを巡らせていた。
「こんな日に……不吉な事しか思い浮かばんわ!」
思わず声にしたピエール。周囲の見物客達が驚いて彼を見る。
使者の一行は、まだ混雑がマシなクロロ公園の中で踏ん反り返っていた。駆け寄ったピエールに、一瞥をくれた使者らしき男。オーランドに耳打ちされ、それがモントロー伯の息子、セバスチャンという人物だと知る。
「だからさっさと殿下の元に案内しろって! こいつらを早くどかせろよ!」
市民達を指し示したセバスチャンは、唾を飛ばして怒鳴り散らした。
「ただいま、式の最中でございます」
一礼と共に応えたピエールの頭部に、セバスチャンが鞭を振り下ろした。それは手加減されたものであり、怪我を負うようなものではなかった。しかしピエールは激しく自尊心を傷つけられて剣を抜き放とうとするも、背後から羽交い締めにしたオーランドによって、不敬罪は未遂に終わった。
異常を感じ取った周囲が、脅えたように離れていく。馬に乗った一〇人の男達と、それと対峙する二人は、群衆に囲まれた円の中でしばらく睨みあう。
「いかがなされた?」
ハザルの声に、ピエールは一礼して場を譲った。すれ違いざま、ハザルが耳打ちする。
「城を頼む。こいつらは俺が相手する」
軍務卿の言葉に頷いたピエール。しかし、馬蹄によって彼らの予定は狂った。
セバスチャン・バシュレは馬に鞭を入れると、溢れる民衆を馬で跳ね飛ばしながら城に向かうという暴挙に出た。
悲鳴と怒声が沸き起こる。
セバスチャンはさらに怒鳴った。
「国王陛下の使者に対し、無礼であろうが!」
民衆達は慌てふためき道をあける。ハザルとピエールが、セバスチャンに向かって必死に呼びかけるも、使者達はそれを無視して突き進んだ。彼らは、数えきれない非難の視線を受けながら、城へと乱入した。
「お止めくださいませ! お止め下さい!」
気丈にも使者達に立ちはだかった兵士達。だが、相手を負傷させても構わぬと決めたセバスチャン達によって、馬に跳ね飛ばされ地面を転がる。
大広間で、新郎新婦が宣誓書に署名をしようという時、使者と従者達が大広間に乱入し声を張り上げた。
「アルメニア王国、国王フィリプ三世陛下の命で参った!」
式を中断された新郎新婦以上に、参列していた東部諸侯とロゼニア女王、そして有力者達が怒りを目に宿した。
「お伝え致す! フェリエス・ベロア・ベルーズドなる者、王の許しなく妻を娶り、子を生そうとするは謀反の証である。これに賛同するロゼニア王国も同罪とし、予はこれに対し実力を以て罰する! 許しを乞うならばただちに婚約者を差し出し、ロゼニア王国を攻め――」
「乞わぬ!」
使者の口上を遮ったフェリエスの怒声に、会場が静まった。
「王宮からは許可が出ておりまする! 何の問題もございませぬ!」
オーギュストが、セバスチャンとフェリエスの間に割って入り声を張り上げた。
「この国は国王陛下のものでござる! 王宮のものではござりますまい!」
セバスチャンが、邪魔をする政務卿を突き飛ばした時、フェリエスの身体が疾風の如く動いた。
式典用の剣を抜き放ったと同時に、使者の首に突きつけられる。
「貴様! 俺の臣下に何をするか!」
エミリに助け起こされたオーギュストが、苦しげに胸を押さえたのを見て、フェリエスは青い瞳を危険な色に染めた。セバスチャンは喉を鳴らして動く事もできない。従者達も、腰の剣に手を伸ばした状態で固まっていた。
「で……殿下! この式は認められませぬ。陛下は……その下賤の女を殿下の妻とは認めませぬ!」
金属が発する甲高い音が広間を支配した。
東部諸侯達までもが式典用の剣を抜き放つ。彼らが使者と従者達を囲んだと同時に、城の警備をしていた大公軍兵士達の手にも、不気味に光る刃があった。
「エミリ……こいつは確か、宰相の祝賀会でお前に絡んでおった男であったな」
「……はい、殿下」
エミリが黒い瞳を強く輝かせた。
「ならば遠慮はいらぬな!」
フェリエスによって突き出された白刃が、セバスチャンの喉を貫いた。その後方では、諸侯達によって従者が血祭りにされる。
「式は延期だ! あの道楽息子を玉座から引きずり下ろした後、ゆっくりとあげさせてもらう!」
大公の宣言に、歓声が湧き起こった。
-Féliwce & Emiri
コーレイト、トラスベリア連合軍を相手に、海と陸からの挟撃で多大な戦果をあげたカミュルは、それだけでは終わらせぬと知謀をふるう。彼は連携の取れない両軍に虚報をいくつも流し、拙い協力関係を断ち切ると、各個に襲い撃破した。しかし、軍をまとめてしぶとく反撃の機会を窺う両軍に対し、あと一歩というところで彼は北部戦線を離れることとなる。
国王が大公の婚儀を邪魔した。
これを知った時、王弟は指揮棒を大地に投げ踏みつけると、少数の護衛のみを引き連れ王都へと帰還した。
(馬鹿が! まだ早い! 準備も整っておらぬ間に、勝手に動きおって!)
王都に到着したカミュルは、休む間もなく王城に入った。苛立ちもそのままに大理石を踏みつけ、磨き上げられた廊下を歩き、宰相の声すら無視して後宮へと突き進む。
ジェロームを使い、大公の力を削ごうとしたカミュルであったが、こうまで性急に事を進めるつもりは無かった。というのも、王家は多方面に敵を抱えており、とても内戦を本格化させるだけの体力がないのである。
(あの憎たらしい叔父を倒すには、用意周到に運ぶ必要があるというのに!)
「なりませぬ! 殿下」
リシュルー公爵に腕を掴まれた王弟は、怒りで興奮した声を宰相に叩きつける。
「貴様がついておりながら! 愚か者が!」
カミュルは宰相の胸を突くと、周囲の官僚達をも殴り飛ばす。
転倒し痛打した腰を押さえながら、リシュルー公爵が声を張り上げる。
「で……殿下をお止めしろ!」
しかしカミュルに睨まれた官僚達は、激昂して後宮に乗り込む王弟を阻めない。弟は、裸の女達に囲まれた兄の前に立つと、腰の剣を抜き放ち、兄の上で腰をなまめかしく動かしていた女の首を跳ね飛ばした。
悲鳴が空気を切り裂き、女達が国王から離れようとしたが、王弟がさらに剣を振ると、彼女達は腰を抜かしたようにへたり込んだ。
驚きと恐怖で顔を引きつらせた兄を睨んだカミュルは、血に濡れた白刃を二度振るう。血で濡らした腹を振るわせる兄に、弟は空気すら凍りつかせるほどの冷たい声を発した。
「兄上、叔父上に対しいらぬ手出しをしたまでは良い。しかしそれをどう収めるおつもりか?」
顎がぶるぶると震える兄は、懸命に声を絞り出した。
「な……なにを言うか。すぐに軍を出して懲らしめてやるのじゃ」
カミュルは右の眉をぴくりと動かし、唇を歪めた。整った顔立ちは怒りで染まり、目は吊りあがっているように変化した。
「どこにそんな余裕がある! 北ではすでに五万以上の軍兵が戦っておる! ゴーダ人にも五万以上の兵を差し向けた! 地方貴族共は兵を出さんぞ! これも全て、貴様の腐った脳みそが原因であろうに、まだそれがわからぬか!」
王弟が右手の剣を一閃し、動けずにいた侍女の胸を切り裂く。仰向けに倒れた彼女の白い肌は、たちまち赤く染まり床に血だまりを作った。
「冷害と病で国が疲弊しておる時に、いらぬ事をしおって! これで奴は軍を率いて西進してくるぞ!」
国王は目を白黒とさせ、弟の怒りを鎮めようと紡ぎ出すべき言葉を探したが、口から発せられるのは呻きでしかなかった。
部屋の中が慌ただしくなる。
武装した兵士達を引きつれた宰相が、王弟を取り囲み、二人の間に割って入った。
「殿下! これ以上は冗談では済みませぬぞ!」
宰相の声に王弟が凄みのある笑みを浮かべた。
「貴様は俺が冗談でこんなことをしていると思っておるのか?」
静かな声だったが、リシュルー公にはそれが逆に恐ろしい。宰相は汗を拭いながら、女達を部屋から追い出すと、兵士達に命じてカミュルを包囲した輪を狭める。
「陛下に置かれましては、大公殿下の不敬を罰する決断をしたに過ぎませぬ。王の務めとして当然でござる」
「貴様……婿を守るのに必死だな……わかった」
カミュルは、兄を一睨みすると剣を収める。
「俺がコーレイト人とトラスベリア人どもを討ち果たすまで、何がなんでも持ち堪えよ。アラゴラ公には俺から言っておく」
カミュルの声に、宰相が喉を鳴らした。
-Féliwce & Emiri
ギヨーム・サルマン・モリペレント公爵。
理知的な瞳を輝かせ、泣きついて来た宰相に笑みを返しながら、内心ではうんざりとしていた。王弟に怒りをぶつけられた国王は、宰相に泣きわめき、大公をどうにかせよと怒鳴った。
罠をかけるのは良い。しかし、その尻拭いもまた自分でするものだ。罠がうまくいかなった時、さてどうするかと考えるのは馬鹿のする事だとモリペレント公は思っている。
向かいに座ったリシュルー公爵は、これまでの経緯を説明して彼に助けを求めた。王軍をこれ以上、動かせない今、大貴族である四公のいずれかが主導して兵を集めるしかない。しかし、リシュルー公爵の軍は王都周辺の警備で動かせない。ラネー公爵はゴーダ騎士団領国を攻めている。アラゴラ公爵は自領に引き上げており、王弟の命で軍を動かしたとしても、大公領へ向かうのは随分と時間がかかる。となると、残っているのは一人しかいない。
「宰相閣下もご苦労が絶えぬ。さて、俺は確かにこの国の貴族であり、陛下の臣下であるが、我が領地の領主でもある。無駄な出兵で領民を苦しめたくないし……大公殿下がお怒りになるのもごもっともだともまた思うのですよ」
リシュルー公爵が憮然とする。何か反論しようとした宰相を、手の動きで制したモリペレント公爵は、冷めた紅茶で喉を潤した。
「だが、王命とあっては従いまする」
リシュルー公爵が汗を拭った。どこまでも面倒な男だとは口に出さない。だいたい、自分への当てつけで先の国王崩御の時にはカミュルを支持した男だ。それでもこうして頼らざるをえない状況に汗が止まらない。
「アラゴラ公爵は落ち着きを取り戻されるか?」
モリペレント公の言葉に宰相は目を細めた。
「王弟殿下が話し合いをすると申されておりますれば――」
「国王陛下が詫びを入れねば収まりますまい」
リシュルー公爵は、発言を遮られて口をへの字に曲げる。
「陛下は……この国の王でござる」
宰相の言葉に、今度はモリペレント公爵が口をねじ曲げる。
どこまでも腐った王だとその表情が物語っており、王国宰相が咳払いで誤魔化した。
「冷害と流行り病で大変な時に、ここまで戦が重なるとは思いませんでしたが……そのしわ寄せは我らにもきまするぞ。地方貴族どもは旺盛な独立心をさらに増しておるようですし……」
モリペレント公爵の危惧は、リシュルー公爵と同じものである。
二人の大貴族は春だというのに身震いした。
「これは、春夏が来ぬまま秋になる。国庫を吐きださぬと何万という人が死ぬぞ」
がらりと口調を変えたモリペレント公爵に、宰相が頬を引きつらせる。貴様などに言われなくともわかっていると怒鳴りたい気持ちを、威厳と冷静さで隠した。
「公のおっしゃることはごもっともだ。そちらは私が全力で当たるゆえ、ご心配めされるな」
お前は大公のことだけ考えておけば良い。
リシュルー公爵の意図を理解したモリペレント公爵は、苦笑を浮かべ暖炉に薪を放り込んだ。炎の中で音を立てるそれを見つめた彼は、手を揉み合わせながら口を開いた。
「陛下をお諌めするのも、宰相たる者の務めであられますぞ」
リシュルー公爵は音もなく立ち上がり、その場を去った。
残るモリペレント公は暖炉の炎を眺めながら思案する。
そもそも、彼は権力を握りたいから王家に仕え、味方している。その邪魔になるならフェリエス・ベロア・ベルーズドと戦う意味もあるが、王家そのものがガタついている現在、これまでと同じ方針でよいわけがないと反省し、ではどうするかと繋げた。
「……大公に対する軍を用意するとして、軍勢の準備はしておいてもよいかもしれぬな」
彼の両眼には、炎が映っていた。




