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8

 カミュルの前方に展開するコーレイト王国軍。


 王弟は敵を睨み、華麗な宝飾が施された甲冑を鳴らして馬を進めた。右耳の耳飾りが風に揺られ音を鳴らす。小さな鈴の音色に笑みを浮かべ、右手を胸にあてた。


 アルメニア王国北部と国境を接するコーレイト王国は、コーレイト島とスコッターランド島の二島からなる国家である。そして、飛び地のように大陸にも領地を持っていた。面積にすれば、王都フォンテルンブローより狭いが、それ全体を要塞のように固め、頑強に大陸進出への野望を捨てない。


「馬鹿どもが。わずかばかりの領地に固執するあまり、あのように要塞化しおって。包囲されては無駄であろうが」


 カミュルの言葉に、エミールが頷く。


 王弟は王国海軍まで動員し、コーレイト王国の大陸領地を完全に包囲していた。ノルマンと呼ばれるその領地は、大陸に捨て置かれたコーレイト軍の軍兵によって敷き詰められていた。国王が形成不利とみて、本島へと撤退し、残された兵士達は絶望に抗うように果敢に声を張り上げる。


「腹が減るばかりでありましょうにな」


 アルデミルの声に、カミュルが振り返った。


「敵の指揮官はリチャード・マリード伯爵だ。あの蛮人揃いのコーレイトにあって、唯一、認めるべき人物だ。油断するなよ」


 残された兵士の為に、逃げ帰れるところをあえて死地に残ったコーレイト貴族の名前を口にした王弟は、エミールとアルデミルを順に眺める。


「スコッターランド諸侯の海軍も合流させまするか?」


 アルデミルの言葉に、カミュルは薄く笑う。


「はっ……馬鹿を申すな。連携の取れぬ者同士がつるんでもロクな事にならぬわ。それよりも、勝手に暴れさせておればよいのだ」

「しかし、コーレイト島を切り取り次第としたのは、ちと惜しかったですな」


 魔導士が口にしたのは、スコッターランド諸侯を取りこむ際に出した条件の一つである。王弟は、スコッターランド諸侯の盟主、ロバート・ブルース伯爵に、金を与えたと同時にコーレイト王国領地を好きなようにせよと伝えたのである。つまり、大国アルメニアはスコッターランド諸侯がコーレイト王国を侵略する後押しすると明言したのだ。


「コーレイト王国が厄介なのは、後方に大きな敵がいないところだ。つまり奴らは、総力で大陸進出にかかれる。しかし、これでもうそれもできん。安い買い物だ」


 攻城兵器がその巨大な威容を誇るように前進する。歩兵達に守られ、ノルマンに向かうそれらを睥睨した王弟は満足したように笑みを浮かべた。


 すでに持ち場についた投石機や石弓は、その破壊力をまざまざと見せつけていた。巨大な岩が宙に飛び出し、弧を描いて高い城壁を打ち壊す。巨大な矢が宙に放たれ、コーレイト人を城壁ごと貫く。血に染まった花崗岩の残骸が、呪われた墓石のように転がり散らばった。


 守備軍から魔法による火球群がアルメニア軍に放たれた。それらが爆炎と轟音で凶悪な破壊をもたらそうとする直前、アルメニア軍魔導士達による結界が張られた。宙で中和された魔法はただちに消滅し、大気に雲が揺らいだかのような白い影を作り消えた。


「勝負所を無視して魔法を発動するとは……。相当に切羽詰まってますな」


 アルデミルが口端を釣り上げたが、それを馬蹄がかき消した。一騎の伝令が、本営のカミュルに駆け寄り、ある報告をする。


「トラスベリア王国の軍勢が、国境を突破。我が軍の後方へと迫っております!」

「ふざけるな!」


 カミュルが怒鳴る。


「内戦の最中であろうが! 見間違いではないのか!?」


 トラスベリア王国内は、内戦で他国へ出兵できないはずであるのだ。何をかくそう、そう仕向けたのはカミュルなのである。


「間違いございませぬ。二匹の龍はまさしくトラスベリア王国のシェブール公爵軍でございます!」

「シェブール公め!」


 カミュルは、怒りを発散させるかのように叫んだ。周囲の仕官達が驚き王弟を見る。


「すぐに撤退だ! 後背を突かれれば負ける!」


 王弟の決断は早かった。凡将であれば、未練がましく攻撃をしていたかもしれない。トラスベリア王国軍が到着する前に、戦闘を終えれば問題ないと計算をしたがるところである。


 しかし彼は違った。


 状況が変わったと見るや、すぐに判断を下した。この辺りの切り替えの早さは、フェリエスですら感嘆するだろう。


 カミュルは信頼する武官を呼ぶ。


「ダリウス!」


 髑髏面で顔を隠した男が進み出て、アルデミルの脇で直立した。


殿しんがりを頼む」

「承知しました」


 髑髏面は外人連隊の証であり、ダリウス・マキシマムは連隊長であった。その武勇を知らない者はおらず、ペルシア人であり傭兵でありながら、カミュルの指示を直接うけることができるまで出世している。


 この男と、ペルシア人を主力とする王軍直下の傭兵部隊である外人連隊一〇〇〇のおかげで、アルメニア王国軍の撤退は約束されたものであるようにアルデミルには思えた。


 しかしながら、戦闘そのものは負けとなる。

 

 戦闘が始まったのは夜明けであったが、終わったのは夕刻であった。半日程度の短い戦闘を終えた両軍の士気は逆転していた。


 コーレイト人達が、罵倒するかのような雄叫びをあげる中、アルメニア軍は、包囲を解き完璧な防御陣形で撤退を始める。


 被害を最小に押さえながらの撤退戦は、シェブール公が追撃を中止するに足りる強さであった。


 これで北部国境が膠着状態となったのである。




-Féliwce & Emiri




 アルメニア王国歴三四七年も、山々が枝から葉をすっかりと落とし、寒々とした容貌を連ねる季節となった。


 金色の髪を揺らした大公が、隣で馬を進める恋人に笑みを向けた時、彼女は真剣な眼差しで前方を睨んでいる。その先には、軍勢が模擬戦を行っており、土埃が風に混じって二人にも届いた。


「エミリ、まだ不満か?」

「いえ、これ以上しましたら死者が出てしまいましょう」


 大公が背後に振り返ると、アリストロが頷いた。その脇に控えた一人の兵士が、大きな法螺貝を鳴らす。視界で繰り広げられていた戦闘が止み、粛々と整列する軍勢の動きに青い瞳を輝かせたフェリエス。


「いかがでございましょうや?」


 軍務卿の声に、大公は大きく頷いた。


「見事だ。統率のとれた無駄のない動きをしている。我が姫も満足したようだ」


 エミリが赤面する。


「姫とかやめて……」


 俯いた恋人に笑ったフェリエス。それに釣られて周囲の者達も笑みを浮かべたところに、一騎の伝令が接近してきた。


「ストラブールからですな」


 ハザルの言葉に、フェリエスが頷いた。おそらく、ジェロームが到着したという知らせであろうと思い、彼はゆるりと馬を進めた。その後方にエミリが続き、軍務卿とその弟が並ぶ。


 ソショー州だけで五〇〇〇人近い軍勢を動員する事が可能なほどになったフェリエス。ここに、オルベル、グラステア、モリエロの兵達を合わせれば、万を超える。周辺諸侯も含めれば一万五〇〇〇から二万の大軍となる。この数字は実際に戦闘に参加する兵力であるから、後方支援まで含めると規模は倍となる。


 数年でよくここまでとフェリエスは満足する。これ以上は現在の領地ではまだ無理だ。逆に言えば、この兵数で王家に勝てる状況を作らねばならない。なぜなら、著しく求心力を失った王家に対し、今こそが好機であると彼は見ていた。


 度重なる出征の失敗に、諸侯の負担は増していて、国王への不満は高まるばかりである。元々、諸外国に領地を荒らされながら抗いアルメニアに属していたのも、王家に対する恐怖で従っていたに過ぎないのである。しかしそうは言っても、依然として王家の力は偉大であり、国王にはリシュルー公爵と王弟がいる。兄を嫌っているとはいえ、王弟はれっきとしたラング家の人間であり、ラング家の危機は望むものではない。


 カミュルは立て直しにかかるだろうと、フェリエスはみていた。


「それより先に動かねばならぬ」


 フェリエスの考えに同調するかのように、馬が速度をあげていた。慌てて手綱を絞る大公。らしくないとそれを背後で笑ったエミリ。


 伝令が主君の元に駆け寄り、馬から降りると膝をついた。


「ジェ……ジェローム卿が挙兵。軍を率いて、モリエロ州からソショー州へと侵入致しました。」


 フェリエスはこの時、伝令が言った意味を理解できなかった。いや、彼だけではない。その場に居合わせた者達が総じて、伝令の発した言葉を理解できぬ様子で呆けた表情を作る。


 伝令は、自分の報告が下手だと思ったのか、端的に状況を言いなおした。


「モリエロ州総督ジェローム閣下が謀反」


 フェリエスは、瞼を閉じた。




-Féliwce & Emiri




 朱色に塗られた愛用の甲冑を身にまとったエミリが、馬上で黒い瞳を不安げに揺るがせた。あくまでも、平和的解決を主張していた家老補佐に、頑強に反対したのはハザルだった。


「どういう事情があれど、殿下に弓引く者に気を使う必要はない」


 軍務卿の決心は、そのまま大公軍の総意となって演習場から急ぎストラブールへと帰還した。そして休む間もなく出立した軍勢は、ソショー州の中央に広がる平野部で、モリエロ総督軍と対峙する。皮肉にも、フェリエスによって雇われた兵士達が、フェリエスに槍先を向ける。


「貴様ら! 殿下に対しこのような振る舞い、今ならまだ許そう! 早々に武器を収めよ!」


 片目の武人が大音声で怒鳴りあげるも、モリエロ総督軍は一向に動じた気配なく、戦闘の準備を始めた。戦う覚悟は明らかに向こうが上であった。


(ジェロームだけでなく、兵士に至るまで俺を裏切るか)


 フェリエスは自嘲気味に笑う。モリエロ州でのブロー家の名声は、いささかも衰えていなかった事を痛感したのだ。いや、そうと知っていたからこそ、ブロー家の嫡男たるジェロームをモリエロ州総督としたのだ。


 フェリエスはしかし、どうにも納得がいかない。彼はあのジェロームがとまだ信じられないのだ。それに、ある疑惑もある。彼はこの謀反はジェロームの本心ではないのではないかと疑っていた。


 彼はひとつの疑問を抱く。


 そして、仮に自分がカミュルであれば、真面目なジェロームに何を仕掛けるのが効果的かとここに至り改めて思考してみた。


(人質か)


 フェリエスはそう推測し、軍務卿に告げる。


「ハザル。さがっておれ」


 大公は、怒りを爆発させんとしている軍務卿に声をかけると、全くの無防備で馬を進めた。慌てて護衛がつき従おうとしたが、大公が手を払う動作のみでそれを止める。


「エミリ、お前なら大丈夫だろう。他は来るな。ジェロームを刺激するだけだ」


 単身、モリエロ総督軍に乗り込もうとしているのが、その言葉からわかる。ハザルは止めるべきだと判断し、片目を細めて馬を進めようとしたが、隣に並ぶ家老補佐が彼の腕にそっと手を置いた。


「ハザルさん、彼の思うようにさせてあげて」


 お転婆姫という言葉が似合っていたエミリが、最近になって化けたかのように大人になっている。この時も、凛とした美しさで軍務卿をたじろがせた。


 押し黙ったハザルから離れ、大公と馬を並べて離れて行くその背中に、片目の男が溜め息をつく。


「兄上……」

「アリストロか……ひさしぶりに会ったと思えば、エミリはどうしたのだ?」

「さあ……しかし元々お美しいお方であられましたから。それはそうと兄上。いつまでもエミリ様をそう呼ぶのは相応しくないと思いますがね」


 顔をしかめた隻眼の男が再び視線を前方に向けた時、大公と彼の恋人が、モリエロ総督軍の兵士に囲まれ、その指揮官の元へと案内されていた。




-Féliwce & Emiri




 フェリエスとエミリがモリエロ州の軍兵へと近づくと、兵達は自然とこうべを垂れて、二人をジェロームのもとへと案内する。


 兵達は戦いたがっていないが、ジェロームを見捨てることもできないという心境であることがフェリエスには伝わる。それで彼は、ここは必ず死者を出さずに終わらせるという決意をした。


 二人がジェロームの前まで進むと、謀叛を起こした男は膝を折った。


「殿下……」

「良かった。呼び捨てにされて剣を向けられるかと思ったぞ」


 フェリエスが馬から降りる。周囲の兵士達が驚きながらも大公の馬を預かった。敵のど真ん中で大胆な行動を取ったフェリエス。そこには、ジェロームを信用しているという彼の気持ちが表れていたのだ。


 エミリもそれに続いた。


 兵士達が二人の為に急いで床几を運んで来た。改めて美しい一対の男女を間近に見て、ジェロームは目を細めた。


「おめでとうございまする。春にはご婚儀ですね。参列したかったのですが、そうもいかなくなりました」


 エミリが悲しげに頬を弛めた。


「ジェロームさん、何があったの?」


 兵士に出された水を、疑いもなく口にした大公が、答えを急かす恋人を諌める。


「エミリ、ジェロームにはジェロームの事情がある。そう急いだところで、彼を困らせるだけだ」


 青い目を鋭く変化させたフェリエスが、苦しげに黙り込むモリエロ州総督を正面から見据える。


「まず、俺の考えを話そう」


 フェリエスが口を開く。


「ジェローム。王弟がお父上に何を吹き込んだか知らぬが、それはあえて弁解はせぬ。結果として俺はモリエロ州を奪った。そこには、言い訳のしようがない。しかし」


 フェリエスがそこで言葉を切ると、床几から立ち上がる。兵士達がざわつき腰の剣に手を伸ばすも、誰も抜き放つことができない。緊張高まる軍中で、大公は総督の眼前まで進むと、その肩に手を置いた。


「これだけは言っておく。俺にはお前が必要だ。モリエロ州は失ってもよい。しかし、お前は失いたくない」


 後世において、人材マニアと呼ばれたフェリエス。多種多様な人材を雇用した彼は、土地や資源よりも人に固執した。それは、彼が人こそ国の基礎だと信じていたからだ。


 モリエロ州総督は、言葉を発せずただ黙った。


 沈黙のなかで、エミリがじっと二人を見つめる。その目を、クロエの兄は見た。しばらく押し黙っていた彼だったが、意を決したように姿勢を正すと、口を開く。


「殿下、非才なる身に過ぎたるお言葉。光栄でございます。しかしこうして殿下に弓を引いた私を、そう簡単に許されては示しがつきますまい。私も――」


 ジェロームの言葉を、彼の肩に置いた手に力を込める事で遮ったフェリエス。


 大公はたった一言、口にした。


「許す」


 周囲の兵達が息をのんだ。


「お前なら、何度でも許す。お前ほどに、俺の代わりが務まるとしたら、それはそこにいるエミリだけであろう。不満があるなら何でも俺に言え。できる限りの事はする。それでも許せぬなら去ってもよいし、軍をあげてもよい。その度に俺はお前を探しだすし、戦って勝った後に許すであろう」


 ジェロームが崩れた。


 それまで、溜めこんでいたものが吐き出されるかのように、彼は大地に額をつけると、声を押さえて泣く。兵達が膝をつき大公にこうべを垂れた時、エミリがジェロームの肩を抱きしめた。


「私が落ち込んで参っている時、ジェロームさんはこうしてくれたよね。嬉しかったんだよ」


 ジェロームは腕で涙を拭うと、エミリをそっと押し離した。黒髪の美女が微笑もうとした時、ジェロームは腰の剣を抜き放ち、自らの喉へと当てる。


「殿下、兵達には何の罪もございませぬ。これは私めが一人でした事。彼らはそれに従っただけの事でございます」


 フェリエスは、総督に駆け寄ろうとしたエミリを制すると、膝を折ってジェロームと目の高さを合わせた。


「俺をおいて、死ぬことは許さぬ。お前の苦労は俺の苦労。一人で抱え込むな」


 フェリエスは何でもないように右手を伸ばすと、ジェロームの喉に当てられた白刃を握った。


「お父上を人質に取られておるのだな?」


 フェリエスの言葉に、ジェロームはただ唇を噛んだ。それは、言葉にせずとも、大公の言葉を肯定しており、エミリは拳を握りしめる。


「お前にお父上のことを知らせたのは、お前と会わせる為ではない。お前に嘘を吹き込むためでもない。お父上を人質にしていると見せつける為であろう」


 ジェロームの首に当てられた白刃に、赤い線が走る。


「エミリ!」


 大公に名前を呼ばれて、黒髪の美女は背筋を伸ばした。


「はい、殿下」

「ジェロームをお前に預ける。早急に新しい身元を用意せよ。ジェローム・ブローはここで死んだと公表せよ」

「直ちに」


 恋人の声が大公の耳に届いたと同時に、フェリエスは握っていたジェロームの白刃を奪い取った。大公の手から血が流れ出して、白く輝いていたジェロームの甲冑を濡らす。


「ジェローム、クロエに会え。次はいつ会えるか分からぬからな」


 クロエの兄は、フェリエスの前で子供のように泣いた。その肩を抱きしめた大公だったが、自らの手から流れる血を見て苦笑する。


「すまぬ。お前の甲冑を俺の血で汚してしまった」


 ジェロームが涙に濡れた笑みを浮かべた。


 エミリが、フェリエスに駆け寄り、その手を両手で包み込んだのと同時だった。




-Féliwce & Emiri




 ジェロームの後任には誰も立てず、クロエが成人するまでフェリエスが預かるとして、モリエロ州には総督を置かないことが決まった。


 アレクシが、咳をしながらエミリの隣を歩く。甲冑姿でさえ美しい大公の恋人に手を引かれて、老人がフェリエスの執務室に入った時、主だった幕僚が顔を揃えていた。


「申し訳ありませぬ。遅れ申した」

「かまわぬ。俺こそ、病であるのに無理を言ってすまぬ」


 フェリエスは、祖父に椅子を譲るかのようにアレクシを座らせた。


「クリスティンは来ぬか?」


 大公の問いに、エミリが首を左右に振った。


「皆さまが決められた事に異議はありませぬ。と申しておりました」


 オーギュストが苦笑する。


 フェリエスが一同を眺めた。白い輝きを発する甲冑を脱ぐ間もなく、執務室に幕僚達を集めた彼の目には、少なくない疲労が漂っていたが、瞬きでそれを振り払う。


「ジェローム……いや、ピエール・ジェリルの一件に異議のある者はいるか?」


 ジェローム・ブローという人物は死んだ。いや、死んだことになった。彼の墓は、空のままストラブールの墓地に作られる予定だ。


 誰も何も言わない。それに頷いたフェリエスが、エミリを見た。


 ハザル、アリストロ、オーギュスト、そしてアレクシが並ぶ席で、エミリは広げられた地図を指差し説明を始めた。


「王家にゴーダ騎士団領国への出征をさせます。王国中央のアルメニア地方、ブルグワ地方、メルドサ地方は冷害で作物が取れていない様子。そこに追い打ちをかけ、王家の財に打撃を与えます」


 彼女が話しながら書類を配る。


「ゴーダ騎士団領国、近衛師団長ヒーロ・ギューン閣下とは話をつけました。彼は、あえて騎士団領国がアルメニアに攻められる事で、国内の危機感を高め、国家主義を高めたい意向。その後、タラス共和国南部から帝国西部一帯へと進出し、この一帯の穀倉地帯を手に入れるつもりです」

「エミリ、お前……いつの間に?」


 ハザルの言葉に、家老補佐が微笑んだ。


「敵の敵は味方。あくまでも国、公爵府として繋がるわけじゃない。彼個人は信用に値する人物だし、その能力は疑いようがない。であるなら、利用します」


 フェリエスがそこで、顎から指を離した。彼は目を丸くして恋人を見る。


「そうか……あの時の無礼な奴」


 エミリが微笑んだ。


「私達は後方の安全を確実なものとする為、まずイスベリアの北部を取ります」


 力強く断言したエミリに、アリストロが目を輝かせた。


「上手い手が?」


 ハザルの弟に視線を転じた家老補佐は、にんまりと笑う。


「普通にやれば勝てる相手です。私が指揮を執ります。ピエールさんに、補佐してもらいます」


 兄弟が顔を見合わせる。


「おいおい、俺達を選んでくれんのか?」


 ハザルの言葉に、フェリエスが苦笑した。お前のほうが職位は上だろとその目が言っている。


「メリルさんに恨まれたくないからね。アリストロさんには、ロゼニアに救援を率いて行って欲しいの。クリスティンさんを安心させてあげて欲しいのです。口にはしないけど、心配だと思う」


 一礼した弟と、口をねじ曲げ腕を組んだ兄。


「年が明けたら動こうと思います」


 エミリが着席したと同時に、アレクシがしわがれた声で笑った。


「引き出物がイスベリア北部ですか……悪うござらんな、殿下」


「そうだな、新婦以上に良い物を俺も用意しよう……アレクシ、皆に教えてやってくれ」


 家老が、咳払いをした。


「ゴーダ騎士団領国内部の反乱分子をまとめるべく動いておるが、予想以上に上手くいっている。腐った元老院議員達は、権力と金欲しさに簡単になびいた。後は、本命の獲物を釣り上げる仕掛けだけじゃ……彼の国の腐敗した元老院に嫌気をさした政治家、学者を一気に引き抜き、新設する大学に迎え入れる。魔導士もな」

「俺の恋人を誑かした罰だ。何も言うな、エミリ」

「誤解です……」


 フェリエスが艶やかに笑い、一同を眺める。


「レニン・シェスター卿はぜひとも招きたい。これは必ずそうする」


 フェリエスの口から、大陸屈指の魔導士の名前が出た事に、エミリとアレクシを除く面々が息をのんだ。


「で……殿下。レニン卿といえば、あの転送魔法でさえ操るという方。多くの召喚魔法や禁呪でさえ操ると言われておりまする。危険ではないでしょうか」


 オーギュストに、アリストロが続く。


「左様でございます。聞けば、呪文の詠唱も無しに魔法を発動させるとか……しかも同時に複数の魔法を発動させる危険な力を持つ魔導士であると聞き及んでおりまする。そのような力を持つゴーダ人を、お膝元に置くのはいかがなものかと……」


 エミリが目を輝かせている。


 その理由は分からなかったが、フェリエスは恋人のそれがなぜか許せなく、後で白状するまで苛めてやろうとほくそ笑んだ。


「だからこそだ。そもそも、お前達は誤解をしている。シェスター准教授は国家間の争いなどとは無縁の人物だ。彼が興味関心を持つのは、ご自身の研究対象のみである。心配無用だ」


 フェリエスは臣下達の心配を吹き飛ばすように、笑ってみせると、アレクシに視線を転じた。


「で、どれくらいかかる?」

「一年」


 大公が力強く頷いた。




-Féliwce & Emiri




 お風呂からあがったフェリエスが、まだ少し濡れている髪を手でかきあげる。


「どうぞ。お水です」

「飲ませてくれ」


 ソファに座った彼。その隣に座り、口にグラスを寄せてあげながら、綺麗な横顔を眺めていると、自然とにやけてしまうのです。


「イスベリアは普通にやれば勝てる相手だと言ったが、防衛と侵略は違うぞ、エミリ」


 瞳だけを動かして私を見た美男子に、私はどきりとしながら笑った。その流し目……やばいっす。


「心得ております。侵略といってもとろとろと領地を占領しながら推し進むのではありません。電光石火で国都を攻めます」


 フェリエスが喉を鳴らした。


「お前は本当にすごいやつだ。これまでの戦争という常識を無視しているが、聞けば理に叶っている。日本では本当に学生をやってたのか?」

「あら、私の事が信用できぬのですか?」


 つんとすまして言った私の手を、フェリエスが握る。


「信用しているとも。だから答えろ。ヒーロ・ギューンなどに触れさせてはおらぬだろうな」


 嫉妬……これは嫉妬です。ああ、可愛い。可愛いから意地悪をしたくなるのです。私はクリスティンさんとの件で泣かされたからね。仕返ししちゃう。


「とっても優しく抱きしめられました。好きだとも言われました」


 予想だにしてなかった答えに、笑みを消したフェリエスが私から身体を引いた。


「エ……エミリ。嘘であろう?」

「あら、殿下。私はこれでもモテるのですよ。あまり放っておかれたりしたら、きっと後悔なさいますよ」


 青い目をキョロキョロと動かした大公殿下が、咳払いをした。


「ゆ……許さぬ。お前は俺のものだ」


 抱きしめてくれました。


 ふへへへ……。いい……これはいい!


 彼の肩に顎を乗せて、瞼を閉じる。フェリエスの匂い……。


「エミリ、先ほど、転送の魔法を聞いたところで喜んでいたが、どうしてだ?」


 ……あんた、私の事を観察しすぎだよ。


「黙秘します」


 ぐいっと抱き上げられ、あっという間に彼の腕の中。


「ちょ……」

「白状しろ」


 すたすたと歩くフェリエスが向かう先には、大きな寝台が。ああ、今夜も寝不足の予感がします。


「白状しなかったら、私はどうなるのでしょう?」


 私が怯えた演技をしてみせると、彼は私を駄目にする笑顔を向けてくれた。


「わかっておろう。寝かさぬ」


 きゃああああ!


 や……やられたぁ。


 絶対に白状しないんだからね!


「エミリ……、いちいち可愛い反応をするでない。また眠らせてやれなくなる」


 私は瞼を閉じて、彼にしがみついた。




-Alfred Shyster-




 王立図書館の奥にある書庫は存在すら否定されていたものだったが、僕はそこに入る事ができた。王家以外の人間で、あの書庫に入る事が出来たのは今のところ、僕だけだろう。そこで多くの書物を読む事ができ、ご先祖様がフェリエス大公に招かれた経緯の裏にあった陰謀も知ることができた。表には一切、出ていないこの陰謀を、もし本にでもすればとても面白いお話になるのではないか。


 いや、慣れない事はやめておこう。


 アルメニア王国三四八年は、僕にとって興味を引かれる年ではない。なぜなら、エミリ・ホリカワが登場しないからだ。だからこれまで全く注目していなかったのだが、書庫でフェリエス大公の結婚を知った今となって、俄然、興味が湧いてきた。というのも、彼の相手はエミリ・ホリカワ以外にありえない。シャンパーニュ公爵の養女となっていた彼女。それは身元の怪しい彼女が、大公に相応しい立場を得る為だからだ。という事で、彼女がフェリエスと結婚していないと、何の為に養女になったのかと疑問が生じる。だが、この疑問には納得のいく答えがない。つまり、この疑問は存在しない。


 家老補佐で職務に忙しいエミリ・ホリカワが、わざわざ他家の養女になる理由がないのだ。まさかクビはないだろう。


 フェリエスとエミリさんは結婚していた。


 これは事実と認識していいだろう。だが、証拠がない。署名が消されているからだ。つまり、学会で発表したところで相手にされない。


 僕は脚を組みかえた。


 二人が三四八年春に結婚していたのなら、エミリ・ホリカワが一年以上、公の場に登場していないのも頷ける。新婚生活を満喫していたのだ。


 ……また新たな疑問が生じた。


 フェリエス大公は妻帯していない。子供もいない。側室のクリスティン姫との間に子供は授かっていない。これが公になっている歴史だ。


 しかし、フェリエス大公は結婚をしていたのだ。公になっている歴史は事実ではない。となると、子供はいないというのも嘘ではないのか?


 しかし、どうして隠す必要があったのか……? 


 いや、待て。先走りすぎた。推測を重ねても意味がない。証拠がいる。閃きは確かに大切だが、証拠を無視することは出来ない。王立図書館以外にも、王家秘蔵の書物や書類は保管されている。モランミリーの図書館地下書庫もそうだし、ストラブール離宮の地下書庫もそうだ。それらの中には公にされていない歴史が眠っている。アルメニアの血と泥にまみれた禍々しい怨恨の歴史が……そういうものは表には出ないのだ。


 そういうものを見られるように、軍のお勤めにも協力的になろう。したくもないアルバイトといったところか……。


 それにしても、エミリ・ホリカワがクリスティン姫の偽名であるという説を覆すには、まだまだ材料が足らない。


 クリスティン姫はロゼニアの王女でありながら、屈辱的な立場でフェリエス大公に嫁いだ。ロゼニア王家は側室を認めていなかったにも関わらず、彼女を側室として大公に嫁がせたという点だ。これは国家間の力関係が大きく作用したのだろうが、フェリエス大公陣営の圧力がロゼニア王家にあったのは容易に想像がつく。クリスティン姫はフェリエス大公に恨みをつのらせていた。側室という立場に甘んじた事と、ロゼニア王国を彼によって併合されたという二つの事実をもってして、それを説明することができる。だから彼女は、フェリエス大公の為に働いたことを隠す為に、エミリ・ホリカワという偽名を使ったというのが、現在の学会の主張なのだ。


 だから、クリスティン姫は……エミリ・ホリカワは最終的にフェリエス大公を殺したのだと学会は結論づけているのだ。彼女はアルメニア王家を倒し、フェリエス大公を殺し、王家を骨抜きにした。そしてゴーダ騎士団領国の軍を招き入れ、アルメニア王国を解体し、王家の権力を縮小した後、アルメニア王国を立憲君主制の国家へと変えたのだ。


 僕はこれに反論する術を持っていない。


 僕はこれまで、大公がクリスティンを側室として招いたのは、エミリ・ホリカワという恋人がいたからだと主張し続けていた。でなければ、大公が生涯において妻帯しなかったということを説明できないと思ったからだ。失礼かもしれないが、身元が怪しい彼女では、王家の人間であるフェリエスの正妻にはなれなかったからだ。だが、僕の説は最後のところで破綻してしまう。


「恋人を殺した理由はなんだ?」


 こう質問されたら、答えようがないのだ。痴情のもつれと言い張ることもできるが、そんなものは学会では認められない。


 では、なぜ彼を殺した?


 王位継承戦役は、フェリエス大公の死をもって終結している。


 それを成したのはエミリ・ホリカワなのである。


 この事実があるから、エミリ・ホリカワはクリスティン姫の偽名だという説が主流であり、僕の説は異端なのだ。異端というのすらおこがましいとも言われた。


 大公を怨んでいたクリスティンには動機があり、偉業を成す才があった。ごもっともな言い分だ。


 でも僕は信じない。エミリ・ホリカワという女性のことを調べれば調べるほど、彼女は実在の人物であるという思いが強くなるのだ。だが、それは決定的な証拠がない為に無視され続けている。


 証拠がいる。そして、エミリ・ホリカワがフェリエス大公を殺すに至った経緯を調べる必要がある。


 ……できれば、フェリエス大公が彼女によって殺されたという事実が嘘であって欲しい。僕達が当たり前のように教科書で習う歴史が嘘であったらと思う僕は、学者として間違っているだろうか。


 でも僕はそう思うのだ。


 エミリさん、嘘ですよね。あなたは、恋人を殺したりしてないですよね。


 ……調べよう。


 彼女の為に、真実を明らかにしよう。


 おっと……もうすぐ、依頼主が到着される頃だな。


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― 新着の感想 ―
[良い点] エミリがフェリエスを殺した,しかもそれが歴史として認じられているとなると剣呑すぎて感情移入もどっぷりの享楽読者としては気が良くないのですが,後世の評価に託して読者に感情移入逆手の疑問と先へ…
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