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5

 ギニアスさんの顔色は随分と回復していた。猪達を追う煙を発生させるために魔法で火をつけてくれた彼は、その後も休む事なく私の為に動いてくれた。


 だからあんなに憔悴していたのだ。


 ありがとう、スパイさん。


 そして私の手も随分と良くなった。スパイさん達が交代で手を洗ってくれ、さらに薬草を潰して塗ってくれたおかげで、腫れも熱もすごくよくなった。とくに、あのズキンズキンと絶える事のなかった鈍い痛みがない。しかし、その代償に貴重な時間を随分と無駄にしてしまった。


 私達がこの小屋に入って丸一日以上が経っている。それだけ、敵の領内を通る危険度が増す。大公領に帰るには、ワラキア伯爵がルーベルト州に持つ飛び地と、王家直轄領を通らねばならないのです。


 小屋の中にあった水筒代わりの革袋を持ちだし、近くの小川でたっぷりと水を補給する。水が手に入れば、次は食料だ。食べられる木の葉を選んで口に入れてはいるものの、これだけでは全然足りない。


 山の中というより森。地面のうねりや高低差はそこまで激しくなくなり、なだらなか斜面に生えている木々の隙間を、警戒しながら東に進む。


 地面は土や砂というより泥に近い。


 ギニアスさんが白い息を吐く。陽が届かない森の奥では気温が一気に下がる。季節を巻き戻したかのようなそこは、雪と泥が混ざった地面と、冷たい外気で私達の体力を奪った。


「なあ、あれで良かったのか?」

「うん、ごめんね。大事な部下に危険な役をお願いして」

「かまわんさ。危なくなったら逃げるように言ってるからな」

「うん……それでいいよ」


 私はギニアスさんにお願いして、二十人の部下から、三人をベルクトに帰らせてもらえるようお願いした。それは城に鳩がいるからだ。鳩を使って、フェリエスに異変を伝えないといけないからだ。


「しかし、これだけ古い森も珍しい。アルメニアは古い国のひとつだが、この地域が戦火を免れている証拠だな」


「ゴーダ騎士団領国はどうなの?」

「ここまで古い森はない。ああ、腹減ったなぁ」

「食欲があるってことはいいことだよ」


 二人で葉っぱを噛みながら歩く。その周囲を犬達が囲む。彼らは私達を守っているつもりらしい。ご飯を食べてないけど、大丈夫かな……。


 空腹と疲労で目が回る。どれだけ歩いたか分からないけど、森の向こうが陽光で明るく照らされていた。


 小さな村でもあれば……。


 前方を歩いていた諜報員の一人が、手信号を私達に送ってくる。それを見て私はその場に膝をつき、犬達に制止の合図を出した。


 ギニアスさんが前傾姿勢で、先頭の諜報員に近づく。何やら話をした後、私が待つ場所へと戻って来る。


「この先に村があるそうだ。だが、厄介だ」

「伯爵軍がいるの?」

「ああ、数を確認させる。多くなければ殺ろう」

「……勝てる? こんな状態で」

「避けても、次に集落に出会えるのがいつか分からん。ここは無理をしてでも、食料を手に入れるべきだ」


 私は頷いた。


 二人でゆっくりと進む。手はまだ剣を握るまでには回復していない。どうしようか……。


 村は森のはずれにあった。人口は百人に満たない。その村に、二匹の蛇が描かれた軍旗が数本、はためいている。諜報員の一人が、私達の近くにしゃがんだ。


「一個小隊ほど……ええと……二〇人程です」


 彼の報告にギニアスさんが顎を引いた。


「やれなくはない。いや、待てば数が増えるかもしれんし、俺達はさらにへろへろになっちまう。君もな」

「わかった。じゃあ、北に五人、南に五人、残りは私と一緒に西から突入」

「東はいいのか?」

「うん。さっさと逃げてくれたら、食料だけ頂いてこっちも逃げる」


 ギニアスさんが口端をつり上げる。


「そうしよう。おい」


 諜報員に彼が指示を出すと、ゴーダ人達が周囲の木々や茂みから一斉に現れ、さっと散会した。


「隠れるの上手いねぇ」

「仕事だ」


 私達の背後に、ゴーダ人達が並び、短剣を逆手にかまえた状態で待機する。


 私は、北と南に人が移動したのを確認し、立ち上がった。


「行こう!」


 小さく鋭く声を発して、茂みから飛び出す。ギニアスさんが続き、彼の部下達がその後方に続く。気付けば、犬達が私の前を走っていた。


 ちょっと!


 止める余裕もない。


 村の西側に立っていた敵兵二人が私達に気付き、大声を発するも、ギニアスさんが放った短剣で一人が倒れ、もう一人は犬に飛びかかられ、地面を転がる。そこに、ゴーダ犬達が殺到する。彼は滅茶苦茶に暴れ、犬達を振りほどいたが、私の蹴りを顔面に喰らって気絶した。


 村の中に侵入した私達は、住民の悲鳴を無視して甲冑姿の兵士達だけを狙う。


 槍を突き出されるも、私はそれを右に躱し、回転しながら右脚で相手の膝裏を蹴った。がくりと身体の重心を左側に倒した兵士。その顔面に左膝をめりこませ、のけぞって倒れる後頭部を蹴り上げる。兵士の手から槍が離れ、宙を回転した後、ギニアスさんの手に収まると、彼によって前方へと投擲された。


 弓に矢をつがえようとしていた兵士が、胸を貫かれ倒れた。


 果敢にも逃げない敵兵達は、ゴーダ人達によって次々と討ちとられ、最後の一人も私の回し蹴りを延髄に浴びて膝から崩れ落ちた。


 突然の襲撃に脅えていた村人達が、家屋の中から様子を窺っている。しかし、私達の狙いが彼らではないと分かったようで、戦闘が収まり、兵士達の武器を取り上げる私達に、彼らは自然と近寄って来た。


「あんたら、伯爵様に殺されるぞ」


 中年の男性にそう言われた私は、苦笑して足元に転がる兵士を指差した。


「この人達はここで何をしてたの?」

「よくわからんが、伯爵閣下の弟君を殺した犯人が逃げ回っているらしい。それと、大公殿下の軍が伯爵様の領地で無許可に動いているらしい。そういうわけで兵士らが戦いの為に食べ物を集めに来た」


 どういう事?


「大公って……フェリエスのこと?」


 その男性は目をまん丸くする。


「あんた……捕まったら殺されるぞ。そうだよ。そのフェリエス大公殿下だ。ま、本当かどうかはわからんがね」


 ギニアスさんが部下達に何か指示を出す。彼らは兵士達によって集められた食料の中から、すぐに食べられる物と、保存食を選んで村人達に話しかけていた。わずかなお金でそれを譲ってくれた村人達に感謝しながら、私はギニアスさんの隣に立つ。


「私の顔はばれてないのかな」

「かもしれんな……大公軍のことだが、もしかしたら鳩がもう届いたのかな?」

「それはないと思うよ。だって、こんなに早く届くわけないし……。私が呼んだ助っ人てのも、設計士とか建築家とか、工員さん達だもん」


 腕を組む私。そこへさっきの男性が、水を差し出してくれた。


「すまんが、村を襲わないと約束してくれんか? 食料は差し上げるから」


 私は両手を激しく左右に振った。


「しません、しません。しませんから、安心してください」


 私の手に巻かれた布を見た村人。彼は振り返ると、一人の女性に声をかけた。その人は彼の奥さんらしく、男性の名前を口にしながら私達に近寄って来る。


「この人、手を怪我しているみたいだ。先月、作った薬があるだろう。持って来なさい」

「でも……」

「いいから持ってきなさい。この人達は私達に手を出さないと言ってくれたんだ。食べ物を奪っていくだけの軍隊もやっつけてくれたし、せめてものお礼だ」


 女性が不安げに私とギニアスさんを交互に見る。私達は同時に頷いた。


 犬達を呼び集め、ソーセージを配ってやると、尻尾を振り、何やらアオアオと喚きながら平らげる。よっぽど、腹が減ってたみたいだ。いくらやっても、催促してくる。


 私は、干し肉を齧り、セロリにアスパラガスを生で食べる。調理する時間すらもったいない。さすがに食べづらいけど、空腹に勝る調味料はない。レタスはぜんぜん美味しく頂けた。


 ああ、生ハムの無花果包み食べたい! ニジマスの香草焼き、子牛フィレ肉ステーキ、ミートボール……ああ! トンカツが食べたい! ハンバーグ、ラーメン、寿司、おにぎり! おにぎりが欲しい!! あと味噌汁……。


 日本! 恋しいよぉ!!




-Féliwce & Emiri




 アリストロは騎兵三五〇を率い、伯爵領内をおかまいなしに動いていた。この三カ月で二個連隊にまで増えた騎兵の半数を率いて来たのは、まだ編成されて二カ月間しか経っていない彼らの実地訓練を兼ねてのことだった。


 彼の兄は伯爵を刺激する数はまずいと言っていたが、アリストロはそれを無視した。これは、兄への対抗心とかそういうものではなく、純粋にエミリを心配するフェリエスを想ってのことであった。しかしこの彼の判断が、結果として吉となったのである。


 アリストロはフェリエスに鳩を飛ばすと、素早く東へと取って返した。彼はまず、伯爵領の関所を強行突破する。ご丁寧に事情を説明する時間すら惜しかったのと、そうしたところで理解されるはずもない、さらに、エミリがベルクトを去る原因となったのは、伯爵軍だ。彼としては遠慮する必要は全くなかった。


 関所を突破した彼は四方八方に斥候を飛ばし、自らは降りかかる火の粉を払い続ける。軍旗を堂々とかざしているのは、エミリが彼らを発見する可能性もあるからだ。


 伯爵軍は全く統制がとられておらず、これはヴラドが不在であるからだったが、個別にアリストロの兵力を量りもせずに、襲いかかって来た。


 基本、騎兵のほうが脚は速いが、アリストロはあえて敵を叩きつぶした。それは、自分達に敵の意識を向けさせる事で、エミリが逃げやすくなるだろうという考えと、彼女にした仕打ちを数倍にして返してやるという感情によるものだった。


 そして今、アリストロは前方に迫る伯爵軍の部隊に、騎兵を突撃させた。


 騎兵は二〇騎で一個小隊である。彼はそれらを円形に展開させて、自ら率いる部隊を先頭に敵へとぶつかる。その後、後方の部隊が両翼を駆け上がるように開き、敵はアリストロ騎兵連隊と正面からぶつかったはずなのに、両翼から突撃を浴びた。


 血に濡れた長槍を振るったアリストロに、部隊指揮官の一人が馬を寄せた。


「閣下、エミリ様は森か山の中を進んでいるのではありますまいか」

「……やはりそうか。これだけ騒がしくしても会えぬのはそういうことであるか」


 食料やら飼い葉などを運ぶ騎兵達が、離れた場所から追いついてきた。騎兵のみでの編成にこだわった結果、輜重隊まで騎兵で統一するという珍しい編成。その輜重兵達がすぐに下馬し、戦闘を終えた馬達の具合を確かめたり、水をやったりと忙しく動く中で、アリストロは部隊指揮官達を集める。


「部隊を分ける。本隊に十個小隊と輜重のみを残し、後は散開。おそらく、この地域におられるだろう」


 アリストロが地図に這わせた指を、指揮官達が目で追う。そこはワラキア伯爵領南部の森林地帯で、低い山々を覆った深い森が広がる一帯だった。そして、まさしくエミリ達が逃亡生活を送る場所である。


「お一人であろうが、必ず無事でおられるはずだ。皆、発見したらすぐに保護し、合流せよ。伝令を放つことを忘れるなよ」


 いくつも気合の声が重なった直後、一騎の斥候が本隊へと到着した。肩の矢を受けたままアリストロの眼前で馬から飛び降りた伝令が、膝をつき声をあげる。


「ここから北、五〇〇〇フィル(五キロメートル)に伯爵軍一個大隊!」

「すぐに動け。本隊は俺とゴミ掃除だ!」


 アリストロの声に、部隊指揮官達が素早く離れる。


 ハザルの弟は素早く馬に乗り、輜重兵達に後退の指示を出す。彼らは無断な動きなく馬へと戻る。戦闘用の馬に比べ、身体が大きく脚が太いそれは、土地を耕す農馬に近い。だからこそ、その背中に重い荷物を載せて運べるのだった。


「後からゆるりと来い。行くぞ!」


 輜重隊から視線を逸らし、馬に鞭を淹れたアリストロ。その背後に、大公軍騎兵大隊が続いた。同時に、小隊ごとに本隊から離れる騎兵達。彼らは大公の大切な女性を一刻も早く見つけ保護する為に、自然と競うように加速した。




-Féliwce & Emiri




 ストラブールの公爵邸では、フェリエスの機嫌の悪さが沸点を超え、ハザルとオーギュストは揃って叱責を受けた。彼らに怒鳴り散らした若い大公が、アレクシに宥められながら、左耳のサクラのイヤリングをいじりまわしていた頃、その癖の原因となった黒髪の少女は、彼の元へと帰るべく歩き続けていた。


 森と川が作りだすルーベルト州南部を東へ進むエミリは、ようやく伯爵領を抜けようとしていた。あの川を超えれば、伯爵領から出られる。


 しかし、その川を前にギニアスは残念がった。


「渡れぬな」


 彼の声に、エミリは笑みを消す。


「流れが急だ。これでは対岸に辿りつくまえに流され溺れるか、岩に激突して死ぬかのどちらかだ。橋を探そう」

「流れが穏やかな箇所を探すのはダメ?」

「悪くない案だが、どこまで下流に行けばよいか分からんぞ」


 眉を寄せて溜め息をつくエミリを眺め、ギニアスは苦笑した。こいつはいちいち感情を顔に出すと思うも、自分が出さなすぎるのかと考えを改めた。


「延々と橋がないことはなかろう。下流に向かって遠回りになるより、上流に向かいながら橋を探すほうが近い」

「そうだね……。上流に行くほうが少しでも東に向かえるもんね」


 にこりと笑ったエミリ。


(まったく俺はいくら閣下の命令とはいえ、こんな逃避行に付き合うとは仕事熱心すぎる。この仕事が終わったら、しばらくは休みをもらうぞ、ちくしょうめ!)


「どしたの?」


 エミリが、ギニアスの様子がおかしいと感じて彼の顔を覗き込む。


「はぁ……。俺も人のことを言えんか」


 彼の呟きは、彼女に疑問を湧かせたようだった。


「この仕事が終わったら、俺はたっぷり休みを取ってやる。部下達にもだ。絶対だ」

「うん、そうしたらご飯でも食べに行こう。お礼にご馳走するからさ」


 ギニアスは視線を前方に向けたまま、犬を踏まないように歩く。


「君はおもしろいことを言うな。俺達は友達じゃないぞ。今は味方同士だが、たまたまこうなっているに過ぎない。君がゴーダ騎士団に来てくれるなら、いくらでもご馳走になる。いや、ご馳走する」

「そん――」


 二人の会話は諜報員によって中断された。


 ギニアスの部下が、二人に向かって走って来る。彼は大きく手を振り、叫ぼうとした瞬間、前のめりに倒れた。その背中には、数本の矢が突き刺さっている。


 エミリが駆け寄ろうとするのを止めたギニアスは、彼女の手を引き、部下達に声を発して後退する。


「逃げるぞ! 部下達が時間を稼ぐ!」


 見れば二匹の蛇を描いた軍旗が風に揺れ、一〇〇人近い部隊が川に沿って接近してきている。


(川沿いに道を無警戒に進んでいたら見つかるなんて、俺は間抜けだ。)


 エミリが、犬達を連れて彼の隣を走る。ギニアスがちらりと視線を隣に走らせ、口を開く。


「伯爵軍だ。しかし、どうしてこんなところを?」

「村の人が言ってたフェリエスの軍が関係してるのかも!」


 息を切らせながら声を発した二人。森の中に駆けこむと、木々が密集している方向へと進む。


 茂みの中で、音を立てないように剣を抜く。これは村で倒したワラキア伯爵軍兵から奪ったもので、ギニアスにとって馴染み深い作りではなかったが、彼の剣はいわば飾りだ。自分が魔導士であると敵に悟られないように、わざと剣を持つのだ。


 エミリが左手ではなく、右手に剣を持っていた。どうやら、握れるほどに回復したようだ。


「部下の人達は大丈夫かな?」

「皆、厳しい訓練をくぐり抜けた連中だ。農民のかたわらで兵士をやってる半端なやつらに負けるわけがない」


 ただし、数で圧倒的に負けていれば別だとは口にしない。


 助けに行こうなどと言いかねない少女だと、ギニアスにはわかっていた。


 剣がぶつかり合う音が途切れず、その狭間に悲鳴が起こる。二人はそれから遠ざかるように進む。だが、森の中に溢れた伯爵軍兵士達。彼らは、手に武器を持ち、横から後ろから二人に迫る。それを阻もうと、ゴーダ人達が必死に戦っていたが、それはエミリの目にも明らかに絶望的なものに映った。


「ギニアスさん! 皆が!」

「仕事だ! 走れ!」


 何度も振り返るエミリを急かすギニアス。彼は脚を止めることなく意識を集中させた。立ち止まり振りかえったと同時に、左手を鋭く払う。鋭い大気の刃が生じ、それが恐るべき速度で伯爵軍兵士に迫る。大樹の幹を切断し、まさに剣を振りおろそうとしていた伯爵軍兵士の胴を真っ二つに切断した。さらにそれは、勢いを削がれる事なく突き進む。進行方向上の障害物をなぎ倒した威力に、伯爵軍兵士が怯む。その隙にギニアスの部下が、立ち上がり剣を振るって敵と距離を取る。


「君は先に行け!」

「駄目! 駄目よ!」


 ギニアスは氷の槍を宙に創り出すと、苦戦している味方を援護するべく射出する。その作業を絶え間なく続けながら、ギニアスは立ち止まるエミリを睨んだ。


「馬鹿野郎! 俺の部下を無駄死にさせる気か! いいから行け!」


 黒髪の少女は、瞳を大きく揺らすと、唇を噛み走り出した。その後ろに茶色い小さな背中達が続く。一瞥後、ギニアスは火球を頭上に創り出し、エミリを追おうとしていた伯爵軍へと叩きつけた。


 爆炎が敵兵を包み黒煙と悲鳴をまき散らす。轟音の中で、ゴーダ人魔導士が叫ぶ。


「行け! 走れ!」


 ギニアスは何度も叫んだ。




-Féliwce & Emiri




 私は木々に身を隠しながら走った。弓矢で狙われないようにするためだ。犬達が私を追い越し、先を走る。彼らのおかげで、深い森の中でも地面の起伏を把握できる。


「アオー!」


 全く吠えなかったのに、先頭を走るビーが大きく吠える。犬達はそれを合図に左へと進路を取った。その後ろで、私は迫る矢を剣で叩き落とす。


 どうやら、狩人を生業にしている人達を兵士として雇っているようで、明らかに森に慣れている兵士が数人いる。彼らは巧みに森の中を走り、私と距離を縮めると矢を放ってくる。


 脚を狙って放たれた矢を跳躍して躱した私は、腹部、胸部に迫りくる矢を剣で払い落す。着地と同時に前方へ身を投げ出し、回転し加速をつけ立ち上がった私。犬達の尻尾の先が、前方で激しく揺れているのが見えた。


「アオー!」

「ワオー!」


 よく通るゴーダ犬の声を追いかけ、木々をすり抜ける時に枝を折って左手に握る。背後で放たれた矢を、身体を回転させ躱したと同時に、左手の枝を追手に投げた。


 命中したかも確認しないまま、再び走る私の背後で、悲鳴が上がった。


 森の中を犬達と疾走する。茂みに飛び込み、地面を這う木の根を飛び越え、小川の水を跳ね上げ、放たれた矢を躱し払う。


 しつこい!


 矢を躱すと同時に後方を確認すると、少数しか追ってきてはなかった。どうやら、狩人達と通常の兵士の差が出たのだろう。私は残った体力で反撃に出る。 


 口笛を鳴らした私の前方で、犬達が四散する。


 私は大きな木に背中を預け、足元の石を左手に、剣を右手に持ち呼吸を整えた。


 うってかわって静まる森。


 木々が風に葉をくすぐられ、ざわざわと音を立てる。その中にあって、声を掛け合い近づいてくる伯爵軍兵士達。


 確認した時は三人だった。そして、飛び出した時には二人になっていた。


 私は弓に矢をつがえた男に石を投げつけ、それに相手が怯んだ隙に距離を詰める。弓から剣へと武器を変える兵士。私がその右手を切断し、背後に回り込んだ瞬間、兵士の胸に矢が刺さった。倒れようとした兵士を背後から羽交い締めにし、さらに放たれた矢を防いだ私は、兵士の腰にぶら下がった矢筒から矢を抜き、素早く投げる。


 肩に矢を受けた兵士。彼がくぐもった悲鳴を発したと同時に、私は剣を振り下ろした。


 確かな手ごたえと、犬達の声に身を翻し、遅れてやってきた三人目に右手の剣を投げつけた。彼はもんぞりうって倒れると動かなくなった。


 地面に倒れた兵士達から武器をもらう。犬達が彼らの腰にある水筒を口に咥えて運んできた。


「もうちょっと逃げてからね」


 私は再び走り出す。


 狩人だったが、戦闘訓練は受けた様子はなかった。そもそも、三人だけで追いかけてきた時点で、ろくな訓練を積んでいないことがわかる。それでも、ギニアスさん達が心配だ。


 どうか無事でいて欲しい。


 私はそう願いながらも、振りかえらなかった。




-Féliwce & Emiri




 国王の命により、ラネー公爵軍を主力とするアラゴラ公爵討伐が行われる。当初、ゴーダ騎士団領侵攻に向けて準備をしていた諸侯の軍はこれに転用されるものとなり、当然、フェリエスも例外ではなかった。


 大公は留守をアレクシと三人の総督、ジェローム、マルセロ、カミーユに任せ、自ら五〇〇〇の軍を率いソショー州ストラブールを発つ。


「ハザル、アリストロから報告はまだか?」


 大公の声は焦りに震え、苛立ちをぶつける先がないことで内に溜まっているようであった。隻眼の軍務卿は馬を大公に寄せると、首を左右に振った。


「恐れながら殿下、エミリのことですから無事でしょう。案外、どこかで昼寝をしてるかもしれませぬ」

「そうであれば良いがな」


 フェリエスが手綱を持つ手に力を込めた。馬が鼻息を漏らす。


 シャンパーニュ公領ベルクトから、大公領に帰るには、三つの州を通過しないといけない。最も大公領に近いジストア州は、大公派のシモーネ・インザギ・ジストア伯爵の領地。問題になるのは、ルーベルトとベルンだ。ルーベルトはワラキア伯爵が西半分を飛び地として領有している。ベルンは王家直轄領。


 フェリエスは、エミリがルーベルト州にいるものと推測していた。徒歩でしかも発見されずに行動するには、山や森を選んでいるはずだ。となると、慣れていない者には険しく辛い道程となる。


「ハザル。進軍経路をより南に設定する。物資に余裕はあろう?」

「は……オーギュストが不満を言うでしょうが」

「かまわぬ。エミリはルーベルトにいるはずだ。アラゴラ公爵と戦うより、エミリが大事だ」

「王家直轄領はまだしも、ワラキア伯領を通るとなると大丈夫ですかな」


 フェリエスは馬上で目を細めた。それは見えるはずもないエミリの姿を探すように、遠く離れた西にあるルーベルト州を睨んでいるようだった。


「ハザル。お前はいつから常識人になった?」


 ハザルは苦笑した。


「アリストロの報告では、あいつめ。派手に暴れているらしい。どうやら、エミリを探す作業を邪魔する奴は、誰であろうと蹴散らすつもりらしいぞ。今さら、体裁を取り繕う必要はない。ワラキア伯めが抗議してくれば、叔父上を害した犯人として道楽息子の前に引き出すとでも言えば少しはおとなしくするであろう」


 おとなしく引き出されるような男ではないと、フェリエスにはわかっているが、彼にとってワラキア伯ヴラドなど眼中になかった。なぜなら、大公の彼への評価は、残忍で勇猛だが知恵が回らないというものであったからだ。


 ハザルは片目を妖しげに輝かせた。


(はたして、あのワラキア伯が噂通りの人物なのだろうか)


 彼は僅かばかりの不安に、小さな息を吐きだした。




-Féliwce & Emiri




 私が森の中で方向を見失い、うろうろとしていると、騎兵の一団が巧みに森の中を進んでいるのが見えた。彼らの軍旗を見て、私は全力で手を振り、声をあげる。


 助かった!


 フェリエス! 愛してる!


 騎兵達が私に近づくと一斉に馬から降り、膝をついた。


「お探し致しましたぞ! よくぞご無事で!」


 部隊指揮官が自らの馬に私を乗せてくれ、犬達も騎兵達に抱きかかえられた。その腕で暴れる犬達。私が睨むと、尻尾を下げ大人しくなる。


「大公殿下はアラゴラ公爵討伐の軍に参加をなされますゆえ、西へと軍を率いて向かわれておるでしょう」

「貴族達が喧嘩したの?」


 馬に揺られながら、背後の部隊指揮官に尋ねる。


「はい。ラネー公による討伐軍がアラゴラ公領へと向かいまする。大公殿下はそれに合流する予定でございます」


 四公の一角が崩れた。


 王弟が北伐に張り付いた事に不満を持っていた王弟派。私は彼らに国王がどうして弟を遠ざけたか、勝手に推測されるような材料をばらまいた。


 国王が自らの派閥の声を重視し弟を軽んじていたような噂。


 国王から、宰相に出された機密文書の写しの切れ端。もちろん偽物だ。だけど、もしかしたらと怪しんでいる人の目の前に、それが出てくると信じてしまう。浮気を疑っている奥さんが、旦那さんの携帯に残った女性からの着信を見て、確信してしまう心理に似ている。誤解であると判明する機会がなければ、誤解は誤解ではない。


 これらが偶然を装い、王弟派の貴族の手に落ち、疑惑は確証を得る事になったのだ。


 三か月もかかったけど、結果が出て良かった。


 私が胸を撫で下ろした時、騎兵達が速度をあげた。


「伯爵軍!」


 その叫びと共に、矢が放たれる。多くは森の木々に遮られ、私達に届くはずもなかったが、私達の逃げる速度をあげさせるには十分だった。


 ギニアスさん! どうか無事でいて! 絶対に無事でいてね!


 祈るように瞼を閉じる。森から丘陵地帯へと飛び出し、さらに疾走する私達。馬はよく訓練されていて、体力の続く限り、私達を乗せて走った。


 伝令からの知らせを受けていた騎兵連隊の本隊が前方から向かって来る。統率のとれたその軍容に、私は間違いなく大公軍だと確信した。


 私達を迎えた本隊。


 その中でアリストロさんが私に馬を寄せると、いきなり馬から引きずり降ろして抱きしめてくれた。


「よくぞご無事で! 良かった!」

「アリストロさん、髭が痛いよ」


 髭を剃る間もないほどに、私を探し回ってくれてたんだ。見れば皆、髭が伸びていて、私は思わず笑ってしまった。


「大公殿下がルーベルト経由の進路を取ると知らせが届いております。さ、急ぎましょう」


 彼の話によると、フェリエスの本軍はモリエロ州からベルン州に入ったあたりらしい。ルーベルトのワラキア伯爵領に入るには、まだ時間がかかる……。


「アリストロさん。私、とってもお世話になった人達がいるの。その人達、私の為に伯爵の軍と戦って……無事かどうかだけでも確かめたい。そこに行きたい」


 アリストロさんが空馬を用意してくれた。私は休みや食事を取る馬達に囲まれ、彼に地図でおおよその場所を指し示す。


「この川沿いで……まだ森を抜けてなかったし、橋も無かったから、多分、この辺りだと思う」


 アリストロさんが優しい笑みを浮かべてくれる。


「姫君の恩人は我らにとっても恩人でござる。ぜひとも、参りましょう」


 ああ、ゴーダ人だと知ったら、どんな顔をするかな……。


 ん?


「ねえ、姫君って私?」


 アリストロさんだけでなく、周囲の部隊指揮官達も笑みを浮かべて頷いていた。


「な……ななななんで? 私、お姫様じゃないよ」


 アリストロさんが、私の手の具合を診ながら笑った。


「ベルクスト家の養女であられますゆえ、王家の姫君です。それに……」


 にやりと口端を弛めるところは、ハザルさんそっくりだ。


「もうすぐしたら、大公殿下の大切なたいせつな花嫁になられるお方ですからね……失礼のないようにせねばね」


 片目を瞑った彼に、周囲から笑い声が湧き起こった。


 私は、顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべたのでした。


 ギニアスさん、ありがとう。


 あなたのおかげで、私はとっても優しい人達のところに帰れたよ。


 ところがです……。


 私がゴーダ騎士団領国のスパイに感謝を感じているところを、笑みを消したアリストロさんが申し訳なさそうに見ていた。


 首を傾げた私に、彼は言いにくそうに報告をする。


「お叱りは受ける覚悟です。ベルクトの住人達には申し訳ないが死んでもらいました」


 え? 


 何?


 アリストロさんは、どうして自分がそのような命令をしたか、私に説明をする。それは弁解というものではなく、あくまでも淡々としたものだった。


 私は、それをただ聞いた。相槌もはさまずじっと動かず聞いた。


 彼は私の為に、ベルクトの住民一〇〇〇人を殺した。三〇〇人の騎兵達が、逃げ惑う人達を殺戮した。町の周囲から中心へと殺戮の輪を狭め、それでも逃げきった者がでないよう、丁寧に火をかけ全てを灰にしたのだ。


 私ひとりの為に、それだけの人が死んだ。


 私はアリストロさんの頬を平手で叩いた。


 叩いたのは私なのに、とっても手と胸が痛い。


 彼は全く抵抗もせず、唇の端から血を流し、私を見つめる。


「申し訳ございません」


 頭を下げる彼を、私は抱きしめ嗚咽を堪えた。彼を責めることはできない。言葉を発せば、アリストロさんを非難しそうで、私は唇を噛み、喉を震わせた。




-Féliwce & Emiri




 ギニアスさん達と別れた川近くの森には、ワラキア伯爵の軍がまだうろついていた。それを文字通り一蹴したアリストロさん。騎兵達が周囲を探索し、ギニアスさん達を発見した。


 ワラキア伯爵軍の兵士ではない死体を十七人。


 目を開いたまま動かないギニアスさん。彼の右腕は肘の先から無く、脚は何度も剣や槍で突かれぐずぐずになっている。お腹は真っ赤に染まり、右肩は骨が覗くほどに傷ついていた。そして、頬は耳まで裂傷が走り、右頬側の歯がない。


 私は彼を抱きしめた。


 ぬるりとした感触は、血と体液が混じったもののせいだけど、全く嫌じゃなかった。ただ、彼が愛おしく、とても大事に思えて……。


「ギニアスさん……ご飯、ご馳走できなくてごめんね」


 私は彼を離さないまま、ゴーダ人達の遺体を順に見る。


 綺麗な遺体などなかった。胴から上しか見つかってないものもある。誰もが壮絶な戦いの中で死んだ。


 私を逃がしてくれる為に死んだ。


 私を生かしてくれる為に死んだ。


「陽が落ちまする。お早目に」


 遠慮がちにアリストロさんが声をかけてきた。


 私は、彼らの遺体をひとりずつ抱きしめ、お礼を言う。


 ありがとう。


 ありがとうございます。


 助けてくれて、本当に感謝しています。


 兵達が、穴を掘ってくれている。


 捕らえたワラキア伯爵軍兵士達が、固まったように動かない。喚き散らしていたのが嘘のように静かになっていた。それは、血だらけになった私を見たからかもしれない。


 腕で、頬についた血をぬぐった私は、彼らの眼前で立ち止まり、膝を折った。


「ワラキア伯爵の命令で、あなた達は動いていたのね?」

「……は……はい。弟君を殺した犯人が領内を逃げているとのことで……それに、他家の軍隊が暴れ回っておりましたので」

「どうして、弟君は殺されたか聞いてる?」


 敵兵達はお互いの顔を見合い、揃って首を左右に振った。


 私は立ち上がると、アリストロさんに耳打ちした。


「この人達を証人にして、ワラキア伯がモランお爺ちゃんを殺したと弾劾するわ。連行して」

「は……おい!」


 兵士達が引きたてられて行く。


 私はすぐにゴーダ人達の元に駆け寄り、一人ひとりを背負い穴まで運ぶ。手伝おうとする兵達を制止した私は、一人で皆を穴まで運んだ。


 穴に土をかけ、私はその上で膝をついた。両手を合わせて瞼を閉じ、口の中でゴーダ人達が信じる神の祈りを捧げる。


 この恩は一生、忘れません。


 あなた達の死は、決して無駄にはしません。


 私、嘘は言いません。


 皆の分まで、生きます。


 ヒーロさん、ごめんなさい。大切な部下達を、私のせいで……。


 でもありがとう。皆のおかげで、私は生きています。


 皆さんが、私を生かしてくれました。




-Féliwce & Emiri




 ルーベルト州のワラキア伯領内は混乱を極めていた。大公軍旗を掲げた騎兵達が、領内を蹂躙し駐屯兵達を片っ端から叩き潰したので無理もない。じきにワラキア伯爵の耳にもそれが届くだろう。彼はあくまでも、私を捕らえる為に軍を動かしただけのようだ。アリストロさんの騎兵達に触発されて、飛び地に駐屯していた軍が自発的に鎮圧に動いたという報までは、彼はまだ知らないだろう。いや、知っているかもしれないが、おそらく報告が届いたばかりだと思う。それほどまでに、アリストロさんの動きは素早かった。逆に、そうでなければ、私は捕まっていたかもしれない。


 ベルクトの住民達。


 ゴーダ人のスパイ達。


 ワラキア伯爵の兵士達。


 彼らはなぜ、死んだのか。


 私という人間がこの世界に飛ばされて来たからだ。そして、フェリエスと出会ったからだ。


 私は何の為にこの世界に来たの?


 電車から逃げる為?


 そうじゃない。きっとそれだけじゃない。


 私をこの世界に飛ばした神様がいるなら、きっとそれだけではない。助ける為なら、フェリエスと会わせなければ良かったし、この世界の、この時代である必要がない!


 私はフェリエスと会うためにここに来た。


 私はそう信じる。


 そう信じるからこそ、私は彼と一緒にいたいという気持ちに抗わない。私はもう、ただ守ってもらってフェリエスに大事にされて喜んでいるただの女の子じゃなくなった。彼と共に生きたいのなら、私は私の意思で前に進むしかないのだ。それがとても厳しい道だとしても。


 フェリエス……。


 あなたと出会えてとっても嬉しい。幸せなの。 


 誰にも、この幸せを奪われたくない。


 まえに私に言ったよね? フェリエスが玉座につけば、私だけじゃく幸せになれる人が今より増える。そんな未来を作るって。


 私、決めた。


 降りかかる火の粉を払うばかりでは間に合わないのです。


 この国に、あの王様や権力に群がる貴族がいる限り、私の望む日々は手に入らない。


 誰の為でもない。


 私は私の為に、フェリエスを助ける。全身全霊で彼を守る。


 私の大切な大公殿下を守る!


 あなたと私の敵は全て倒す!


 その為なら、私は魔女だろうが化け物だろうがなるよ。最低で自分勝手で、冷酷な女になるよ。


 次に涙を流すのは、フェリエスが玉座に座った時だ……。


 私は、東から近づいて来る大公軍を見つめて、大きく息を吸った。


 平原の向こうから、ゆっくりと近づいて来る軍列の中に、私の大好きな大公殿下がいる。


 お父さん、お母さん、お兄ちゃん。


 もう会えないけど、悲しまないでね。私は幸せになります。


 きっと。


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[気になる点] 《(川沿いの進んでいたところを見つかるなんて、俺も間抜けだ) 》 は 《(川沿いに進んでいたところを見つかるなんて、俺も間抜けだ) 》 でも 《(川沿いを進んでいたところを見つかるなん…
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