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「厄病神!」
「公爵様を返せ!」
「お前が来たからだろ! さっさと出て行けよ!」
「公爵様が死んだのはお前のせいだ!
町の人達は運ばれ帰った私の口から、モランお爺ちゃんが殺されたことを聞いた。そして、私はとっても責められた。
「どうしてくれるんだ! お前のせいで、俺達まで危ないじゃないか!」
兵士の人達まで、私に剣を向けていた。
町の外では、伯爵軍がしきりに呼びかけてきている。私を差し出せとそれはもうしつこい。
「落ち着いて! とにかく、落ち着いて!」
私が声を張り上げるも、ベルクトの外で展開した伯爵軍の威容に、誰も落ち着けない。いや、落ちつけるわけがない。
「お前さえ差し出せば、俺達は助けてくれると言ってるんだ!」
兵士の一人が私に詰め寄るも、ゴーダ騎士団の諜報部員によって遮られる。腕を捻られ悲鳴をあげた兵士が、地面に転がった時、私の額に小石が当たった。
手でおでこを押さえた私は、ぬるっとした感触に動揺する。
「公爵様を返せ!」
私に石を投げたのは、いつも文字の読み書きを教えてあげていた子供達の一人だった。
「そうだ! 公爵様を返せ!」
「厄病神! あんたさえ来なければこんなことにはならなかったのよ!」
「おとなしくしろ! とっ捕まえて引き渡してやる」
「お前のせいで滅茶苦茶だ!」
町の人、全てが敵となり、どうすればいいか分からなくなった私は動くことすら出来ない。気付けば、ギニアスさん達に抱えられていた。
山へと逃げた私は、陽が落ちた暗闇の中で膝を抱いて座っていた。
ゴーダ人達が、城からこっそり犬達を連れて来てくれた。
「護衛をする。大公領に帰ろう」
ギニアスさんの声に、私は顔をあげる。犬達が、私の頬を舐める。涙を拭いてくれているつもりかな?
そうだよね。仲良くなったと言っても、モランお爺ちゃんに比べて私はちょっとしかこの町にいなかったんだ。その私のせいで、皆に優しかった公爵様が死んだんだ。
私は何を期待してたの?
町の人達が、私の為に戦ってくれるとでも、期待してたの?
そんな、都合の良い話があるわけないじゃない。どこまで私は、自分勝手なんだろう……。
眼下では、伯爵軍が町に対して呼びかけている。
エミリを差し出せ! エミリを差し出せ! さもなくば皆殺しだ! 明日の朝まで待つ! エミリを差し出せ! それで片付く!
それはまるで歌を謳っているようだった。
町のあちこちで篝火が焚かれ、松明を持つ人達が動き回るのが一望できる。彼らは私を探して、町の中を走り回っているのだ。
私を明日の朝までに差し出せなければ、彼らは……?
「おい、行くぞ! ここにいては見つかる」
私の手を掴んで引っ張りあげてくれたギニアスさん。
私と一緒で、稽古している手だった。
「ギニアスさん、皆さん……力を貸して欲しいの」
私はゴーダ騎士団領国の人達を見つめた。
-Féliwce & Emiri
ジャンは後ろめたさに震えている。それでもラドゥエルの前で畏まった。ワラキア伯爵ヴラドの弟は、兄とは違う秀麗な顔に不機嫌さを浮かべて、裏切り者を眺めていた。
夜明けまで、まだ時間があるとはいえ、油断はできない。
「町からまだ出て来ぬか?」
「はい。でもすぐに……広くない町ですから、隠れる場所はそうありませんです」
「主君を裏切り、その養女を売ってまで出世したいというそちの願いは聞き届けてやる。兵士を率いて町に火をつけろ! それでお前の忠誠を信じようぞ」
ジャンは大きく頷くと、近くにいた兵士達に声をかける。彼らは新参の若輩者に対して、あからさまな嫌悪感を見せるも、ラドゥエルの手前、命令には従う。
ジャンが松明を手にした五十人ばかりの兵士を率いて、慣れ親しんだベルクトに近寄ろうとした時、右側面、山の方向から不気味な煙が立ち上っているのに気付いた。
それは風にのって、ふもとまで……町と伯爵軍へと届く。
「なんだこれ? ひどい匂いだ」
「目が……痛い」
異臭に誰もが色めき立つ。
ジャンも腕で鼻と口を塞ぎ、山を仰いだ。
不気味な煙は山肌を沿うように、ワラキア伯爵の軍を包み、町に迫る。白く濁った視界の中で、ジャンは大きな黒い影を見た。
「誰か! ゲホ!」
叫ぶも咳で声が途切れる。
巨大な影はひとつ、ふたつと数を増して伯爵軍に迫った時には、数十もの数に及んだ。それは大地を轟かせる黒い塊となって、伯爵軍にぶつかる。ぶつかった時には、数えられない程までに影は増えていた。
「猪!」
ジャンがそう叫んだ時、彼の身体は宙を舞った。すさまじい衝撃に意識を失いそうになるも、地面に身体を強打し、それが彼の意識を繋ぎとめる。右脚がひどく熱い。見れば、大腿部が大きく抉られ、肉から骨が突き出し折れていて、血管が鮮やかな血を噴き出していた。
「うわああ! ああああ、脚がぁ!」
彼は叫び、身体を腕で引きずり逃げようとする。顔をあげると、巨大な猪が迫っていた。
「や……めて」
ガツッという衝撃すら、疾走する猪には蚊に刺された程度のものであるらしい。ジャンの頭部を踏みつけ潰した巨体は、ワラキア伯爵軍の軍中へと吸い込まれていく。
煙に目をやられて混乱する伯爵軍に、猪の集団が突入する。それらは逃げることすらできぬ人間達を、小枝のように叩き折り、踏みつぶした。
まさしく蹂躙だった。
怒号の中、血みどろの軍中において、まだ息のある兵士達は、白い靄の中に黒い翼を見た。
それを優雅に広げたその影は、踊るように兵士達の中を駆け抜けると、動けない伯爵の弟へと迫る。彼の身につける豪華な甲冑が、白い靄の中でも煌びやかに揺れた。
何人かの兵士がその影を追うも、どこからか現れた別の影達によって、喉を裂かれ、胸を突かれた。
ラドゥエルは、訳も分からぬまま壊滅した軍を目にして、左脚の痛みさえ忘れたように後退する。傷口から血が噴き出し、折れた骨が体重を支えきれず鈍い音と共に粉砕した。
「!?」
声にならない悲鳴をあげて、ラドゥエルが地面に崩れた時、黒い翼が視界に現れた。
それは翼ではなかった。身体を回転させていることで、長い黒髪がまるで翼のように広がっているように見えていたのだ。
次の瞬間、彼の頭部は胴から斬り離され、宙を飛んだ。
-Féliwce & Emiri
ギニアスは、たった二〇人ばかりで、伯爵の軍を壊滅させた少女の背中を眺めていた。彼女は、山で草を燃やし、風下の町へと猪達を追った。斜面を駆けた猪達は、加速した破壊力で伯爵軍を壊滅させたのだった。
ラドゥエルの首を一刀のもとに刎ね飛ばした少女は今、まるでその時の凄まじさが嘘のように穏やかになっている。
彼女は、街道のわきに投げ捨てられた、モラン・ベルクスト・シャンパーニュ公爵の亡骸を大切に抱え、汚れる事も厭わず背負った。
「どうする?」
「埋葬します」
ベルクトの町へと帰ったエミリ。だが、町の人達は彼女を町には入れなかった。
「近寄るな! 化け物め!」
「妖しい術を使う魔女め!」
ギニアスは、離れた場所で彼女を見ていた。
エミリは必死にお願いをしていた。公爵の遺体だけでも、町に入れさせてもらえないかと。しかし、人々はそれすら拒んだ。
「どんな災いが及ぶかわからん! 駄目だ!」
「もうあんたとは関わりたくないのよ! 化け物!」
エミリは、公爵の遺体を背負ったまま、街道を歩きだす。町から離れたところで、ギニアスは彼女の隣に立った。
かける言葉もない。
エミリは何を思ったか、街道からそれると山へと入る。犬達が彼女を先導する。ギニアスは部下達を散開させ、周囲を警戒させながら、彼女の隣を歩く。
「おい、変わろうか?」
公爵の遺体を背負う役を変わろうと申し出た彼に、エミリはただ頭を振った。
彼女の黒い髪は泥に汚れ、頬は汗と土で茶色くなっている。いつのまにか雨が降り出し、激しく彼女を打つ。
それでもエミリは、山を登り、小高い開けた場所まで出ると、そこで公爵の遺体をおろした。とても壊れやすい物を置くように、優しく丁寧に……。
地面を手で掘り出したエミリ。
その彼女の周りで、犬達が同じようにする。
「おい、十人ほど集まれ!」
エミリの意図が分かったギニアスが、部下と共に彼女を手伝う。木の枝をへし折り、それを道具にして地面を掘ると、思ったより作業は楽になる。ふと彼が、土が赤く濡れているのに気付き視線を転じた先には、素手で地面を掘ったせいで、傷つき血を流すエミリの手があった。
いつの間にか、夜は開けていた。
そして、雨も嘘のように止んでいた。
モラン・ベルクスト・シャンパーニュ公爵の亡骸を、数人で穴へとおろした後、エミリが顔の前で両手を合わせる。彼女の手はひどく傷つき、爪が剥がれ皮膚がそげている。
瞼を閉じたエミリ。
その意味は分からなかったが、ギニアスもそれを真似る。なぜか、とても神々しく見えたからだ。
動かないエミリ。
ギニアスは先に頭をあげた。
開けたその場所から、山々の稜線にかかる巨大な虹を目にした彼は、泥で汚れた顔に笑みを浮かべていた。
「ありがとう、ギニアスさん。皆さん」
エミリがようやく笑みを見せた。
ギニアスの部下の一人が、服を破り彼女の手に巻く。それを終えたと同時に、彼達は無愛想にその場を離れていくが、それが照れくさいからそうしているのだとギニアスには分かった。
「もういいのか?」
ギニアスがエミリに声をかけた時、黒髪の少女は悲しい笑顔を浮かべた。
泣き笑い……。
「私のせいで、お爺ちゃん、町に入れなかった……皆のところに還れなかったよぉ……」
ギニアスはそれ以上、エミリの顔を見る事ができず、視線を虹へと転じて唇を噛む。
彼の背中に、額をつけて静かに泣くエミリ。
「ごめんね……お爺ちゃん、ごめんね」
ギニアスの耳に、彼女の濡れた謝罪の言葉が届いた。
(閣下がこの娘に惚れるわけだ……)
ギニアスは、自分の感情を殺すのに苦労していた。
-Féliwce & Emiri
シャンパーニュ公領ベルクトから、大公領に帰るには、三つの州を通過しないといけない。最も大公領に近いジストア州は、大公派のシモーネ・インザギ・ジストア伯爵の領地。問題になるのは、ルーベルトとベルンだ。ルーベルトはワラキア伯爵が西半分を飛び地として領有している。ベルンは王家直轄領。
私はギニアスさんと山の中を歩きながら、迷うことなく東を目指している。太陽の位置、星の位置から方向を確認するのだ。両手ともに土を掘ったせいで、ひどく痛い。熱を持っているのが分かる。
水で冷やしたい。消毒もしたい……
こんな時でも犬達は散歩のつもりらしく機嫌が良さそうだ。憎めない奴ら……。
苦笑した私に、ギニアスさんが前方を指し示した。
「街道が見えるが、どうする?」
木々の隙間から、山の中を通る街道が見える。
「確かに街道のほうが早いけど、見つかる可能性も高くなるから」
「だな」
水筒も食糧もない。お金すらない。
凹凸の激しい地面は、容赦なく私の体力を奪う。ギニアスさんも辛そうだ。姿を見せないけど、彼の部下達もおそらく……。
顎から滴る汗をぬぐった時、街道を西に急ぐ騎兵の一団が見えた。私達は頭を下げ、茂みに身を隠す。
「伯爵軍かな?」
ギニアスさんが右手をくるくると宙で回すと、一人の諜報員が木の影から姿を現した。
「軍旗は見えたか?」
「申し訳ございません」
二人の短いやり取りの後、私はある事に気付いた。騎兵だけを集団で使う軍隊……。
「もしかしたらフェリエスの軍かも」
「いや、ここは慎重に行こう。助けを求めて捕まったとなれば目もあてられん」
「そうか……そうだね」
騎兵の一団をやり過ごした私達は、再び歩きだした。身体は鉛を背負っているかのように重く、前へと出す脚の幅も小さくなる。
水……
食糧無しでも人はそう簡単に死なないが、水が無ければあっという間だ。
「ギニアスさん、水を探そう」
「……」
彼は言葉を発する体力もなくなったらしい。山肌を下りながら、小川でもあればと思って耳を澄ます。
犬達が私の周囲に集まり、舌を出して熱い息を吐いていた。
諜報員の一人が、茂みの中から現れ手招きする。
彼に連れられ歩くと、水の流れる音が私の耳に届く。この音がこれほど心地よく感じたのは初めてだ。
小川はとても澄んでいて、川底の砂まではっきりと見える。小魚が私の手から逃れるように、水の中を泳いだ。
爪が剥がれ、皮膚が破れて血に濡れた手を、痛みに耐えて洗う。声が何度も出そうになるけど、お爺ちゃんに比べたらこんなものと思い我慢した。
消毒して、清潔な布でまかないと化膿するかも……。
「ギニアスさん、疲れひどい?」
「どうした?」
「炎で私の手を一瞬だけ焼く事はできる? 消毒したいの」
「ダメだ。疲れているから加減ができん。くそ、水筒でもあれば、水を持って歩けるんだが……」
ギニアスさんは顔を水で洗い、腕でぬぐう。彼の顔は泥のせいではなく、疲労で青黒くなっていたのだとわかった。
「ごめんね。魔法を使わせたうえに、こんなに歩かせて」
猪を追う煙を生む為に、魔法で炎を作ってくれた彼。口端を緩めて笑うと、手をひらひらとさせる。
「かまわんよ。ゴーダ騎士団の大事な人材だ」
……こんな時でもそういう事を言うんだね。
私はこの日初めての笑みを浮かべた。
-Féliwce & Emiri
ベルクトの町に到着したアリストロは、その有り様に愕然とする。町の外に転がる多数の死体。へし折られた軍旗が泥によごれ、それを払うと二匹の蛇が現れた。ここで死んでいる兵士達の所属が明らかとなる。
「ワラキア伯か……まずいな」
町の中へと先行した部隊が、なにやら激しく揉めている。駆けつけてみると、興奮した町の人達と激しく揉み合っていた。
「どうした!?」
今にも剣を抜き放ちそうだった騎兵達が、指揮官の声に後退する。アリストロは馬上のまま、住人達の前に進み出ると、殺気だった彼らに目を細めた。
(ワラキア伯の軍をこいつらが? まさかな)
いくら住人達のほうが多いとはいえ、軍隊に勝てるとは思わない。
「公爵閣下はいずこか?」
アリストロの声に、静まり返る住人達。
「閣下、城に行って参ります」
部隊長の一人が、アリストロの許可を得て騎兵を率いてその場を離れる。アリストロは、城の方向を眺めながら舌を鳴らした。
「誰か! 事情を説明しろ! ワラキア伯の軍をああしたのは誰だ?」
気まずそうにお互いの顔を見合う住人達。
見れば兵士の格好をした男が、アリストロの前に進み出た。
「あ……あれはあの化け物がやったことだ!」
「そうよ! 魔女の仕業よ!」
「魔女?」
人々の訴えに、アリストロが眉を寄せた。
「妖しげな術で、伯爵の軍を……あれは、人間じゃない!」
「ワラキア伯が捕まえに来たんだ! 公爵様のところに図々しくやってきたあの女を!」
「あの女は我が身可愛さで公爵様を伯爵に差し出した! それでも逃げられないとなって、妖術で伯爵の軍を倒したんだ!」
アリストロは理解した。
(ワラキア伯を倒したのはエミリか……で、このクズどもは彼女を魔女と言ったか!)
「貴様! ベルクスト家令嬢であり、ベロア家の家老補佐を魔女と言うか!」
アリストロは怒鳴ると同時に抜剣した。
「あんたらも化け物の一味か!」
「公爵様はあの魔女のせいで殺されたんだぞ!」
興奮したアリストロに、興奮で返す住人達。そこに、城へ行った騎兵達が姿を現す。
「誰もおりませぬ!」
最悪だ。
アリストロは冷たい汗が首筋を這うのを感じた。
「貴様ら! 姫君をどこにやった!!」
指揮官の怒りは騎兵達に伝わり、彼らの乗る馬達にも伝わった。兵達は嘶き興奮する馬達の上で、剣を抜き放ち、槍をしごいた。
アリストロは威嚇するように馬を進みださせると、住人達を睥睨する。
「知らない! どこかに逃げたんだ!」
「帰れ! 帰ってくれ!」
緊迫した空気の中で、アリストロの前に進み出た男がいる。彼はおずおずと一礼し、口を開いた。
「公爵様に料理長として長くお仕えしていた者です。エミリ様はおそらく、東の方角に行かれたものと思います」
「なぜ東の方角に行ったとわかる。城に隠しておるのではあるまいな!?」
アリストロが眉を跳ね上げると、料理長は顔をあげた。
「この町の者達が、エミリ様が町へ入る事を許さなかったので城だけでなく町にもおりません。彼女は東の方角へ向かって去っていきました」
アリストロは瞼を閉じ、おさまらぬ怒りに身体を震わせる。ここで彼は、公爵に仕えていた料理長に非難を浴びせる住人達を睨みつけた。
この時の彼は激情に身を煮えたぎらせながらも、反して頭脳はさえわたっていた。
アリストロは瞬時に自分のするべき事を理解し、腹の底から声を発する。
「王家の姫君に対し、非礼の極みと知るが良い! あの世で己らの不敬を詫びろ!」
騎兵達が殺気を放った。
それまでの威勢が嘘のように、怯え逃げ出す住人達を、騎兵達は追いかけ斬りつけ突き殺した。
悲鳴に支配されたベルクト。
料理長は、恐怖のあまり動けずにいる。
アリストロは剣先を彼に向けた。
「で、貴様は何をしていた? 身の可愛さゆえに、我らの姫君が追われるのを黙って見ておったのか? 町の者達がと先ほど申したが、お前もそうであろうが! 自分は関係ないとでも言うか!?」
アリストロの怒りは凄まじく、料理長はその目に睨まれただけで苦しげに喘ぐと、擦れた声をようやく発する。
「お……お許しください……私には妻と子がおりまする」
「ふん……妻や子がいるのはお前だけではないわ、卑怯者」
アリストロは怒気に満ちた声を出す。
「言っておく! 俺はあの大公殿下とエミリ様の為なら、他者の命などなんとも思うておらぬ!」
アリストロの剣が薙ぎ払われた。
-Féliwce & Emiri
ベルクトでは殺戮の後に、部隊長の一人が指揮官に馬を寄せた。
「いかが致しまする?」
「お姫様を探す。見つけ出せなければ、俺もお前も首だけとなって殿下の御前に出ることになるぞ」
エミリを姫と呼ぶアリストロ。その彼の想いに部隊長が頬を弛める。彼もエミリには幸せになって欲しいと、ハザルの弟以上に願っているからだ。いつも、兵士達に混じって訓練をしていた黒髪の少女を、大公軍古参の兵や指揮官達は誰もが妹のように感じ大切に思っている。
部隊長は頬を弛めていたのをアリストロに視線で咎められ、すぐに表情を消した。
「は……町はいかが致しましょうか?」
「このような腐った町は燃やせ! 隠れていても焼かれて死ぬであろう……ああ、城は燃やすなよ……ただ、内部は徹底して捜索し生き残りや逃亡者を出すな」
アリストロが口を閉じると、彼の指示で騎兵達が動きだした。
アリストロには、エミリがワラキア軍をどうやって壊滅させたかまでわからないが、ただ逃げればよいはずの彼女が、わざわざそうしたのは、町の人達を助ける為であろうと推測できていた。それにも関わらず、彼女が助けた住人達を、彼は皆殺しにした。
なぜか。
それは感情的なものもあるが、多くは変な噂を立てられては困るからだ。
フェリエスはエミリと出会ってから変わられたと、アリストロは思っている。その大公と彼女は、アリストロがしたことを知れば怒るであろうともわかっていた。なぜなら、戦闘員ではない者達を、軍兵をもって殺すことはエミリが最も嫌うことだからである。
だが、そうだからこそアリストロは汚い仕事をした。あの二人に泥がかからぬよう、盾がいるのだ。
悪意こそ伝播は早い。そして、人を介する度に話は大きくなるものだ。
エミリがワラキア伯爵の軍を、住人達が魔術と呼んだ方法で倒した事が広まれば、敵対勢力につけ込まれる材料になってしまう。国王の耳にでも入れば、禁呪と呼ばれている危険な魔法を使ったのではないかと疑いをかけられ、束縛命令が出るだろう。最悪、魔導士ではない彼女が、なぜそのような魔法を使えたのかと疑われ、拷問にかけられるかもしれない。尋問官に痛めつけられるエミリの姿を想像したアリストロは、馬上のままで膝を殴りつけ、唇を噛んだ。
(当然、大公殿下の御元で、エミリを守るために俺は戦うが、多勢に無勢は見えている……現状では、王家に逆立ちしても勝てぬ。これでいい……これでいいのだ)
部下達が町を焼くのを睨みつけていたアリストロだったが、その視線を微かに逸らした。彼の頭の中は、すでにエミリの捜索に切り替わっている。彼は兵士の一人に急ぎ、城に行くよう命じた。
「鳩がいるはずだ。至急、本領に報告をせよ」
去る兵の背を眺め、アリストロは馬首を巡らす。
「さて……ここからが大変だ。お転婆姫はどこに行かれたのやら」
切れ長の目を細めた男は、馬を操り町から出た。
-Féliwce & Emiri
関所。
領地の境目の街道には必ず設置されている施設で、ここを通過するには、通行証とお金がいる。これは貴重な税収であるばかりでなく、土地を捨てて逃げ出す人を防ぐ役割も持っている。ただ、そういう人達の多くは関所を避けて旅をするから、完璧なものではない。それでも、抑止力にはなる。
その関所の近くまで私達は来ていた。眼下にそれを見下ろせる場所に潜む私達。周囲は大きな木々と、人の背丈まで伸びた草によって埋め尽くされている。今が夏なら、さぞ虫が多くて苦痛だっただろう。
私は隣から聞こえる荒い呼吸に視線を転じた。
ギニアスさんの疲労はますます濃くなり、顔を土気色に変えてふらついている。それでも彼は私の近くを離れようとしない。
「大丈夫?」
「ベッドがあったらすぐに寝れる」
冗談には聞こえません。
「ワラキア伯の領地に入るよ。関所を避けて山の中を行こう」
「それが賢明だ。まだばれてはいないと思うが、通過した痕跡を残すのはまずい。それに金がない」
そうです。私達は追われるように町を出たから、手持ちのわずかなお金しかありません。それだけでは、通行料を払えないのです。
諜報員達が私達のところに集まって来る。彼らは座ったまま動けないギニアスさんを担ごうとするが、彼はそれを固辞する。
「俺よりエミリを運べ。こいつ、何も言わないが熱があるはずだ」
……ばれてる? とっても身体がだるいのです。それに頭が痛い。フラフラとするし、変な汗が止りません。
ゴーダ人の一人が、私の手を覆っている布を解き、眉をしかめた。
「まずいですね……。このままでは破傷風になります」
私の熱の原因は手です。高熱を持ち、赤黒く腫れあがった手を見て、私は気を失いそうになる。
これが私の手?
それまで我慢していた痛みや熱による倦怠感、震えに立ち上がれなくなった私。ギニアスさんが、部下達に指示をしている声が聞こえていたけど、いつの間にか私は意識を失ってしまった。
-Féliwce & Emiri
私は、小さな小屋の中で目を覚ました。どれくらい寝ていたのかわからない。
「ここは狩人が使う小屋のようだ。今は誰もいないから拝借をしている」
ギニアスさんが冷たい水で私の手を洗ってくれていた。
「寝ている間、してくれてたの?」
「交代でな。随分、よくなったと思うぞ」
確かに、自分の手かと思うほどに熱かった手も、今は随分と熱が引いたみたいだ。でも、痛みは消えない。
諜報員の一人が小屋の中に入って来ると、私達の近くに座る。
「ワラキア伯の軍が動いています。どうやら、ベルクトの件が知られたようです」
それは仕方ない。
「兵士達の話を盗み聞きしたところによると、エミリどのが殺した敵の指揮官はワラキア伯の弟君だったようです」
スパイの言葉に、私は瞼を閉じる。肉親を私に殺された伯爵は、これで徹底的に私を狙うはずだ。冷酷で危険な人物と言われるワラキア伯ヴラド卿。
正直、とっても不安です。
「心配するな。君を必ず大公領まで連れて行く。さて、俺も休ませてもらう。交代してくれ」
ギニアスさんが小屋の隅で丸くなる。
彼の部下が、代わりに私の手を水で洗い、額や首を水で冷やしてくれた。木の桶に張られた水に、布を浸して丸めた彼は、私に目を伏せてみせる。ギニアスさんと同じく、特徴のない顔。ゴーダ騎士団の諜報員は、皆こんな顔をしている。どうやら、それが条件でもあるらしい。
「失礼します」
彼は私の服のボタンをはずしにかかる。そこにはいやらしさが無かったから、私は抵抗しなかった。
「脇の下にこれを挟めばもっと楽になるでしょう。肌を見る事をお許しください」
「うん。ありがとう」
フェリエス、ごめんね。怒らないでね……。
小屋の外から、茶色い小さな背中が転がるように入って来た。そういえば姿を見ないと思っていたが、どうやら生意気にも辺りを警戒をしていたつもりらしい。
鼻を鳴らしながら私に群がる彼らに、笑みを向ける。ご飯を食べてないにも関わらず、不満一つ言わない犬達の健気さに私はとても申し訳なく感じた。
犬達が私の周囲で丸くなる。考え事もできなくなるほど、その温かさが心地よくて、私はすぐにまた眠ってしまった。




