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3

 ラネー公爵を総指揮官とするゴーダ騎士団討伐に、大公領からも軍を発する。この準備が粛々と進められるストラブール。そのフェリエスのお膝元にも、当然ながら国王の動きは知られていた。


 フェリエスはハザルを執務室に呼ぶと、不機嫌を通り越し苛立ち怒る表情で書類を机から払い落す。はらはらと宙を舞った書類が、磨き上げられた床の上に着地したと同時に、大公の大きく荒れた声が室内を支配した。


「エミリをワラキア伯爵が狙っている! 国王に違いない! すぐに軍を発する。あの役立たずの首を胴体から斬り離してやる!」


 王都の大公別邸から鳩によりもたらされた情報と、諜報員達の情報が大公の怒りの原因だった。


 ハザルは書類を拾い集めながら、肩を激しく揺らす主君を諌めた。


「殿下、我が軍がこぞって出陣したところで、国王の首どころか、フォンテルンブローの城壁さえ抜けませぬ」


 ハザルはエミリの事は心配だし、フェリエスの気持ちもわかる。しかし、エミリの事になると短慮で感情的になる大公がおかしくて仕方なかった。


(そうだ、ハザル。大公殿下はまだまだ若者だぞ。これくらいでちょうどいい。分別くさい殿下より、これくらい感情的な殿下のほうが自然だ)


 口端を弛めた軍務卿に、フェリエスの鋭い視線がぶつかった。


「貴様! 何がおかしい!」

「殿下、恐れながら殿下がそこまでお荒れになっている様子を、エミリが見たら何と申しましょうか」


 途端、表情を慌ただしく変化させた大公が、無表情となり椅子にどかりと座った。


「俺としたことが悪かった。しかし、許せぬ!」


 拳を執務机に叩き落としたフェリエス。にぶい音とともに机が軋む。


「お怒りはごもっともなれど、ここは事を荒立たせれば向こうの思うつぼ。弟に兵を率いさせてエミリを守らせましょう」

「……そうか。とりあえずそうするしかないか。しかし、ハザル。ワラキア伯爵領は叔父上のご領地に近い。間に合うか?」

「間に合わせます。数はすぐに出発でき、なおかつワラキア伯を刺激せぬ人員に留めます。先日、エミリからシャンパーニュ公領の領政改革の原案と、人員の要望が届いておりましたな?」


 フェリエスが青い目を輝かせた。


「オーギュストに命じ、人を選ばせているが……それを利用するのか?」

「左様でございます。念のため、シャンパーニュ公爵閣下から要請という形にして頂きましょう。これで堂々と送りこめまするし、威嚇にもなりまする、なに公爵閣下の言質は後日でかまいませぬ」


 決断したフェリエスは早かった。


「すぐに鳩を飛ばせ。それと、アリストロに準備をさせろ」

「早々に」


 隻眼の軍務卿が退室した大公執務室で、フェリエスは青い目をぎらつかせた。


「どこまでも忌々しい男め。俺が恐くてエミリを狙うとは卑劣な! 絶対に許さぬ。 後悔する暇すら与えぬからな! 八つ裂きにしてやる!」


 声に出したところで、彼はその脳裏にエミリの姿を想い描いた。黒く艶のある髪。意思の強さと優しさを感じさせる綺麗な瞳。高すぎず、低すぎない整った鼻筋。可愛らしい唇とすぐ横のホクロ。すらりと背が高く、抱きしめると柔らかい身体。かといって程良く引き締まっていて、腰は抱きしめ過ぎると壊れてしまわないかと心配するほどに細い。そして長く健康的な脚……。


 彼女が頭の中で長い睫毛を揺らしてフェリエスに微笑むも、想像の中でエミリを背後から羽交い締めにした国王。その顔は醜く歪み、可愛い彼女の唇を無理やりに奪う。


 あまりに酷い光景を想像してしまった彼は、国王とそれをした自分に対し怒りをぶちまけた。


「絶対に許さん! 絶対にだ!」


 大公執務室に、再び大きな破壊音が響いたのだった。




-Féliwce & Emiri




 モランお爺ちゃんの散歩に付き合ってます。


 礼儀作法の稽古を終えて、お爺ちゃんと二人で散歩をしていると、町の人達がにこやかに笑いかけてくる。お爺ちゃんも稽古の時とは別人のように穏やかだ。この人、けっこうスパルタなんです。あのメリルさんすら懐かしく思うほどに……。


「エミリ。この町の人達は皆、豊ではないが穏やかに幸せに暮らしている」

「はい、わかります」

「豊かさは確かに幸せにつながるが、豊かさだけでは幸せにはなれない」


 モランお爺ちゃんの手を引く私に、子供達が花やらお菓子を差し出してくれる。それを笑顔で受け取りながら、気付かれないように尾行しているギニアスさんに手を振ってみせた。


 ギョッとするギニアスさん。


 ばれてますよー。


「わしは今となって幸せとは何かと考えるようになっての。これはわしの考えだという前提で聞いておくれ」

「はい」

「幸せとは、大切な人と毎日過ごせることではないか。人は誰かと繋がっていなければ生きていけぬ生き物じゃ。一人で生きているなどとほざく輩は、誰かに助けられていることを理解できていないだけなのだろうな」


 私のクソ兄貴もそうなのかな……でも確かに、お父さんとお母さんがいなくなったら、あの兄貴は生きていけないだろうなぁ。ひきこもっているので無収入ですから。


「近くに大切な人がいることで、ありふれた日常がそこにはある……それは得られている時には気づけないが、失えば強烈に理解させられるだろう……素晴らしい日々で、幸せがあったことに。一日いちにちと時間を過ごす当たり前の生活の中に、喜び、悲しみ、怒り、泣くことができるのじゃとわしは思うようになった。それらの感情を感じることが幸せだとわしは思う。お前が来てくれてわしは、怒ったり笑ったり、幸せじゃぞ」

「褒めてくれてるんですか?」

「褒めとらん。感謝しておるんじゃエミリ。もうすぐ、ここを離れていくんじゃろう? 今のうちに言っておかんと、離れ際だとぼろぼろと泣くじゃろうからなぁ……」


 おじいちゃん……


「このケツともお別れか」


 スケベ爺が私のお尻を撫でる。


 摘みあげると大袈裟に悲鳴をあげたモランお爺ちゃん。町の人達がそれを見て笑っていた。


「でもお爺ちゃん、豊かであることで不幸から逃れることはできるよ。例えば、病院がないと死んでしまうってこともあるし、お金がないから、家族と別れないといけないってことも」


 モランお爺ちゃんは満足そうに笑った。


 どうやら、試されたようです。


「エミリ、わしは以前、戦争では何も解決できんとお前に言った」

「はい」

「じゃが、降りかかる火の粉は払わねばならぬ。この町の人達を守るためになら、わしはいつでも戦う覚悟じゃ」

「はい……」


 にこりとしたモランお爺ちゃんが、思い出したように手を叩いた。


「そうそう、フェリエスが何やら、人を送ってくると手紙に書いておった。読んだか?」

「まだでーす。寝る前にたっぷりと読みます」

「愛しているエミリ。すぐにでも抱きしめて――」


 私がお爺ちゃんの口を塞ぐ。


 言うなっての! てか、どうして私宛のところまで読むかな!?


 二人で笑いあいながら散歩をする。


 あと二カ月足らずでお別れなんだね……。


 何か、お礼をしたいな。




-Féliwce & Emiri




 ゴーダ騎士団総長が死んだ。


 それは突然のことでは無かった。元々、病を患っていたのだ。国葬が執り行われる前から、後継者は誰になるかと周辺国がその動向を窺う中、幼い弟が成人するまでという条件で姉が騎士団総長の座につく。


 この混乱に乗じて、アルメニアは動くと周辺国は踏んだが、意外にもこの大国は沈黙を守った。


 なぜか。


 それはアルメニアでもこの時、国王の身辺で動きがあったのだ。当然、良い動きではない。


「ヴラド! アラゴラ公爵を討て!」


 喚き散らす王の眼前で畏まった偉丈夫は、嵐が過ぎ去るのを待つ獣のように身じろぎひとつしない。彼は隣に控えるラネー公爵に視線を向ける。


「陛下、これ以上、多方面に敵を作るのは好ましくございませぬ」


 ラネー公爵の言葉に、激昂した国王の罵声が続いた。


 二人の貴族は、こうべをたれて項垂れることで嘲りの表情を隠している。


 王の怒りの原因は、ある噂にあった。 


 アラゴラ公爵が自領で兵を集めている。


 この情報は前からあったが、国王はそれを信じなかった。そしてアラゴラ公爵が家族を王都から自領へと呼びもどし、参集に応じない現在、ようやく重い腰をあげたのだった。


「反応が遅い。これでは後手を踏むことになろう」


 自領から慌ただしく王都へと参上したラネー公爵が愚痴を飲み込んだところで、偉丈夫が身体を揺らした。


「ゴーダ人どもはいかがなさいます?」

「フェリエスに任せればよい!」


(馬鹿かこいつは?)


 ヴラドは呆れを通りこして笑いたくなる。もちろん、決して笑ったりはしない。


(しかし、こう愚かであるからこそ、俺の出番もある)


「陛下、ゴーダ人共を討つのは後にして、まずは内部の裏切り者を討つべきです」


 ラネー公爵の言葉に、国王は眉を跳ねあげた。それは「なぜだ?」という意味である。すぐに理解した大貴族が、一歩進み出る。


「アラゴラ公爵をこのまま放っておけば、地方貴族の不満を奴が吸い上げ、無視できぬ勢力となる恐れがございます。竜も腹の中の虫で死ぬと申します」


 たるんだ顎を振るわせたフィリプ三世が、ようやく玉座に腰を置く。すぐさま、侍女が冷えた水を運んだ。


「大軍をもってアラゴラ公爵を討ち、それからゴーダ人共を成敗すればいかがでしょうか」


 ラネー公爵の提言に、ヴラドは頬を歪めた。


(貴様はただ、ゴーダ人共と戦いたくないがために言っておるのであろう)


 口には出さないヴラドだが、その表情は笑みを浮かべており、それは国王と大貴族の知るところとなる。


「ヴラド! 言いたいことがあるようだな」


 フィリプの声に偉丈夫は一礼した。それは自分の顔を隠すためだ。


 凶悪なまでに憎悪を浮かべた偉丈夫は、しかし頭を上げた瞬間には完璧に表情を消している。


「虫の討伐はラネー公爵閣下にお任せするとして、ゴーダ人共はお任せください」


 ラネー公爵が侮蔑の表情でヴラドを見た。


(王に自分を売ろうと必死な男だ。どこの種かわからぬ男が、伯爵の妻の子として産まれれば伯爵になるのか……獣でも伯爵かよ)


 大貴族の胸の内は、ヴラドには聞こえるはずもなかったが、これまで散々に言われてきたことである。相手の顔さえ見ればヴラドにはわかり、彼は殺意を目に込めた。


ラネー公爵は、やれるものならやってみろといわんばかりの表情で視線を王へと転じた。


 王はたるんだ頬と顎をふるわせて喋る。


「いや、ヴラドよ。おぬしには別のことを頼んでおったが、いまだに吉報が届かぬ。あれはどうなっておるのじゃ? まずはそれから取り掛かるが良い」


 ヴラドは再び、表情を隠すために頭を垂れた。


 謁見の間を出たヴラドに、ベアトリスが張りつく。同じ速度で歩きながら、視線すら合わせず口を開いた。


「北ですか? 南ですか?」

「いや、国王はあの女を片づけてからにしろと言ってきた。アラゴラ公爵には、ラネー公爵が当たるであろう。普通にやったら、ラネー公の勝ちだな」

「あの女とは……エミリ・ホリカワのことでございますか?」

「そうだ。忌々しい。あの馬鹿はまだ手間取っておるのか!」


 ヴラドの怒声に、廊下に居合わせた廷臣達が脅えて去っていく。


「ですが閣下。あの大公が女ごときでおとなしくなりますかな?」

「なる。聞けばよほどの気に入りようであるとか。なにせ、シャンパーニュ公爵の養女にしてまで、自分の正妻に迎えようとしておるのだからな。ふざけた男だ」


 ヴラドには理解できない。


 気に入ったのであれば、牢獄に閉じ込め飼えばよかろうと思っているからだ。正妻など、政治の道具に過ぎぬ存在であろうに……。


「ベアトリス、それはそうと、例の件は?」

「は……、順調でございます。王の寵愛と信頼を受けるまで、しばらくは時間がかかるでしょうが……」

「良い、俺は十五年も待った。あと半年や一年、どうって事はない」


(国王め。あくまでも俺の伯爵位を認めぬと申すか!)


 ワラキア伯爵を二十五歳の時に継ぎ、そこから十五年が経つ現在。ヴラドはこれまで、『ワラキア伯』と王家や他家の者達から呼ばれたことはなかった。運よく成人していた男子が彼だけであったから、仕方なく爵位継承を認めたに過ぎぬと公言さえされたこともある。


(王家の何が優れておるのだ。結局は偉大な先祖の蓄えを浪費している馬鹿者達ばかりではないか。王の子として生まれただけで、愚かな男でさえ王になれる。しかし、最初の王は違ったはずだ)


 ヴラドは野心という獣が、自らの内で大きく育っていることに満足する。


(最初の王になる権利は、俺にもあるはずだ)


 偉丈夫は笑った。


 その彼を見る男がいる。


 シモーネ・ピョートル・ラネー公爵だ。彼は恐い者知らずの偉丈夫を、背後からじっと眺めていた。


「どこまでも図々しい男だ」


 声には出さない。


 彼は顎鬚を手でなでながら歩く。


 王弟の指示通り、ゴーダ騎士団総長の暗殺に成功した。これで騎士団はガタつくであろう。タラスへの救援もある。本来であれば好機なのだ。


「よりによってアラゴラ公め……」


 彼は、アラゴラ公爵の気持ちもわからぬでもないと思う。確かに、あの国王は人の忠誠心を全く刺激しない。王弟を敬愛しているアラゴラ公爵であれば、あの国王にうんざりするのも無理はない。しかし、国政を放棄して自領に引きあげるとは何事かという反感はあった。ただでさえ、中央に対して風当たりが強くなっている今、アラゴラ公爵の身勝手は看過できぬと彼は考えている。


(強硬手段もやむを得ない。俺はあの国王を推挙した責任もあることだしな……)


 ラネー公爵は舌打ちの音を大理石が輝く広間に残し、踵を返した。




-Féliwce & Emiri




 国王がフェリエスを狙うのは以前からあったが、どうして私に固執するんだろう?


 私は図書室で本を読んでいながら、ついついこのことばかりを考えてしまう。


 私はフェリエスを助けたい一心で、やりたくもない仕事をしてきた。しかし、その結果、王家が私に注目をしてしまう。国王は私をフェリエスから引き離したい。私をフェリエスから奪えば、彼はとっても苦しむだろう。だって、私は彼を奪われたら、自分の身体を引き裂かれたかのように苦しむし、悲しいし、辛い。


 でも、それだけ?


 本当にそれだけの為に、国王が私を狙っているの?


 これまでフェリエスから、ううん、彼以外の人からもフィリプ三世という人に関していろいろ聞かされてきたけど、彼はそういうものでは理解できない世界に生きているのではないかと思う。


 単純にフェリエスに嫌がらせをしてやりたいだけじゃないの? フェリエスをとっても悔しがらせるために、私を取り上げようとしているんじゃないかな。


 もっと考えてみる。


 フィリプ三世はフェリエスに領地を与えた。だけど、それはフェリエスの望むものではなかった。国王は彼に領地を与えることでおとなしくなってほしかったけど、フェリエスはそうはならない。なぜならフェリエスが望むのは、自分を蔑み弄び苦しめたラング家への復讐なのだから。さらに言えば、彼はお母様をラング家に殺されている。これはフェリエスがそう思っているだけかもしれないけど、それだけで十分なのだ。フェリエスは復讐の為に玉座を狙っていた。そして今、彼は自分と私の為に玉座を狙っている。


 国王はそれに気付いた? どこで気付いたのだろう……ともかく、フィリプ三世は自分の考えが間違いであった事を認めた。これ自体、あの自尊心の塊には耐えられないほどの屈辱だったのではないか。


 国王は、フェリエスを排除する事に決めた?


 図書室の扉が叩かれ、ジャン君が顔を覗かせる。


「あれ? ここで何をしてるんです?」

「読書以外にここですることある?」

「エミリさん。公爵閣下がお褒めになっておられましたよ。宮廷舞踊をようやく人前で踊れるようになったって」


 ……嬉しいけど、何か悔しいのです。


「ちょっと失礼しまーす」


 頼りないご家老は図書室の奥でごそごそと動き周り、高い場所に並べられた本を取ろうと手を伸ばす。


 危ないよ、取ってあげるってば。


 私のほうが、背が高いのです。


 日本にいた時、バレーやバスケの誘いを受けてうんざりしていた私。背が高いからっていう理由だけで、誘わないで欲しいよね。こっちは、背が高いの嫌なんだから!


 彼の探す本を取ってあげていると、その並びに気になる本を見つけた。それに手を伸ばす。


「地図? 大陸地図に興味あるんですか? それはとても高い本ですからね。気をつけてください」


 あんたに言われたくない。


 私はドキドキと脈打つ心臓に驚きながら、地図を開く。


 最初の頁は、この世界全体を一枚の頁に描かれたものだった。


「これって……」


 私は口を手で抑えた。


 形は違えど、この世界の形は地球にそっくりなのです。アフリカは完全にユーラシア大陸から切り離され、インドあたりは削られたようになくなってます。ヒマラヤ山脈あたりから南は半島が半分くらい海になっている。そしてここは多分、中国……そしてここが……。


「ああ、大和国ですか? エミリさん、大和国に行きたいんですか?」


 ジャン君! 今なんつった!?


「ぐるじい……ぐる……」


 私は慌てて彼を離した。気がつけば、ジャン君を掴んでぶんぶんと振っていた私。高価な地図は、私の足元に落ちていた。


 蝋台の近くでそれを広げた私を見て、ジャン君が顔をしかめながら喉をさする。


「ごめんね。ねえ、アルメニアってここだよね?」

「当たり前のことを聞かないでください」


 地球で言うと、フランスやスイス、ドイツ南部あたりがアルメニア王国。そこからずっと東に移動して、本当に世界の端っこにあるのは、随分と小さくなった日本! アメリカ大陸やオーストラリア大陸はないじゃん!


「形がおかしい?」

「ああ、完璧に正確な形ではないと思いますよ。でも、大きく違うってことはないでしょう……不思議なことを言いますね?」


 これまで、地図といってもここまで俯瞰した地図を見たのは初めてだったのです。


「ねえ、西暦って分かる?」

「西暦?」

「えっと……世界的に使われている年号みたいなもんだよ!」

「ありませんよ、そんなの。まあ、ユーロ大陸で使われているので、大陸歴ってのはありますけど、一般的じゃありません」


 私は地図を抱えて走っていた。向かった先はモランお爺ちゃんの寝室。お爺ちゃんなら、何か知ってるかも!


 私は多分、地球にいる!


 そうだ。そういえば犬とか猫とか、野菜やお酒もそうじゃん! 馬だって私の知ってる馬じゃん! 生態系が地球と同じ!


 モランお爺ちゃんは寝台の上で、隠し持っていたシングルモルトを飲んでいた。ノックもせずに入った私に、とっても驚きグラスを宙に放り投げる。


 それをキャッチしてお爺ちゃんに駆け寄った時、彼は目を丸くして私を見ていた。


「若い娘に迫られるのはひさしぶりじゃ……ほれ、入るか?」


 毛布の中に招き入れようとするお爺ちゃんを無視して、私は地図を開いて彼の眼前に広げる。


「こ……こここ……こここの大和国に行きたい! どうすればいいの?」

「ほえ?」


 モランお爺ちゃんは間の抜けた声を発して、私を見つめていた。




-Alfred Shyster-




 モランミリー図書館のトム・ジェリル館長が、僕を笑みで迎えてくれる。握手をし、助手を紹介してソファに座ると、先ほどの司書が紅茶を運んできてくれた。


 しばらくは僕の専門である召喚魔法の話題で盛り上がる。古くは禁呪の最たるものとして忌み嫌われてきた召喚魔法だが、使い手によって善にも悪にもなるという理解がここ数年で広まり、今では研究者達がこぞってこの魔法の研究をしていた。同時に、禁呪と呼ばれていた数々の強力な破壊魔法も、使い方を間違えなければ、人間社会に多大な貢献をするとも取られるようになってきて、僕としてもご先祖様に顔が立つというもの。


 場が温まってきた頃合いを見て、僕は『シャンパーニュ地方にまつわる民話集』をバッグから取り出す。


「お、シャビルリアージュの新作バッグですね。いいですよね」

「ええ、愛用してるんですよ。デザインも好きですけど、やっぱりこの機能性は癖になるんですよね」


 愛用のバッグを褒められ、悪い気はしない。


「貴重な本をお持ちですねぇ。これは初版しかなくて、ほとんど出回ってないはずですよ。うちの図書館に一冊ある他に、ここまで綺麗な状態で残っているのは珍しい」

「高かったですよ。で、僕はエミリ・ホリカワのことを調べています」

「確かにシェスター助教授と言えば、魔法に歴史にと研究成果をあげておられる方です。ただ、私の記憶が正しければ、エミリ・ホリカワにこだわり過ぎて、中世史学会では厳しいお立場なのではなかったですか? 科学者は科学の研究だけしていろと言われて……」


 なかなか厳しいことを言ってくれる。


「そうですが、諦めきれなくてね。まあ、聞いてください」


 僕は彼に持論を話した。隣で聞いていたユイ君まで、真剣な表情で聞き入っている。


「なるほど、それであなたは、この町に現れた天使が、彼女ではないかと考えているのですね?」


 館長の言葉は、質問というより確認だった。


 僕は頷く。


「高名なシェスター助教授がわざわざ尋ねて来て下さって申し訳ないが、我々にはお答えようがありませんねぇ。ま、あなたも推論でしかないというのは、おわかりのご様子だ」

「しかしこれだけ、エミリ・ホリカワの痕跡が残っているんです。逆にお伺いしますが、この町にサクラがあるのはどうしてですか? 二百年前に大和から贈られた貴重なサクラを、モランミリーに植えたのはなぜ? 失礼ですが、他に大きな都市はいくらでもありますし……それを今日まで、少しずつ町の人達が増やして大事にしているのは? 城の城門にあったサクラの家紋。あれはエミリ・ホリカワが愛用していたものと同じだ。彼女と縁がないと説明がつかない。この図書館の書庫を調べさせてくれませんか?」


 僕はそれから何度も食い下がったが、館長はただただ笑うだけだった。


「サクラに関しては王宮に問い合わせてください。あれをここに植える決定をしたのは、二百年前の王家ですから。そして、書庫ですが、あなたがおっしゃる書庫とは、地下書庫のことでしょ? あそこは無理です。王家管理で我々でさえ勝手に入れないのです。これも王宮に問い合わせをしてみてはいかが?」


 とっくにしたさ!


 返ってきたのは、長い手紙だったが内容は「教えられない。入る事は許さない」ていうものだったさ!


 僕は館長との面談を終えて、図書館を後にした。飛行船の時間に遅れるわけにはいかないからだ。


 くそ。しかし手掛かりはあった。エミリ・ホリカワのサクラが、モランミリーの城にあった。それは彼女がここにいたという証拠だ。サクラの家紋はエミリ・ホリカワの死後以降、使うことを王家によって禁じられているからだ。 


 ただひっかかる事がある。なぜこの町は、彼女がいたという事実を公にしていない? エミリ・ホリカワがここにいたと広めれば、それだけでも観光客の数は増えるだろうに……公園の銅像もただの老人と天使像というだけのものだ。山間の桜の名所というだけで、特に観光資源のないこの町。彼女の存在は非常にありがたいはずなのに。


 僕には、何かを隠しているように思えてならないのだ。




-Féliwce & Emiri




 大和の国に行くには、野を越え、山を越え、海峡を渡って行きます。ざっと往復十年以上の時間を要します。途中には未開拓地域や永久凍土の山。冒険者も遠慮するような道程です。海路だけで行くには、魔の海域と呼ばれる海があるので、誰も船を出したくないらしい……。


 地図をもう一度見る。


 大和って名前からして、明らかに日本じゃん……。


 私、地図を見てわかったのです。


 この世界が、私の住んでいた世界に似ているってことを。


 確かに、世界の形は違うけど、大きなところはそっくり。ユーラシア大陸なんて、形が多少違ってても、見ればわかるっての。


 ユーロ大陸って、ユーラシア大陸じゃん。


 どういうこと?


 過去に来たの? 世界四大文明以前に古代文明があったっていう説があるけど、それ? にしては魔法とかありえない……それに大和って名前もおかしくなるよね……。


 プスン……プスプス……。


 鍛えられたといっても、所詮は私の脳みそ。煙出ましたよ……。


 今日はお爺ちゃんにお茶の道具の使い方を教わり、それで淹れた紅茶を二人で飲んで稽古はおしまい。クッキーやらが欲しいところですが、この田舎にはお菓子屋さんがありません。ああ、ストラブールの『ディアージェン』が懐かしい。あのお店のショコラケーキは絶品だった……苺ジャムが塗られたクッキーも最高だった。クロエちゃんと二人でお喋りしながら食べてたなぁ……クロエちゃん、手紙では元気そうだけど、恋人がクレルモンフェランに行ってきっと寂しいだろうな……。


 一人でぽけーと図書室に座っていると、何やら慌ただしい足跡。


 扉が盛大に開かれ、血相を変えた料理長が現れた。


「大変だ! 大変です大変です!」


 何? また犬達が食糧庫のソーセージを食べちゃった?


「軍隊がこの町に来てるって! 町の人が川に行った帰りに見たって!」


 ああ、それは多分、フェリエスにお願いしてた助っ人だね。それにしても兵士まで寄こしてとは言ってないけどなぁ。


「軍旗は見たの?」

「一緒に来てください! その……見た人が今、城に来てますから」


 私は立ち上がり、慌てふためく料理長の後ろを歩く。


「ご家老は?」

「朝から姿が見えません」


 どこに行ったんだ? あいつは……。


 城の外に出て、庭を歩き城門をくぐる。そこには、泣きだしそうな子供と、不安げな瞳を私に向けた女の人がいた。


「ああ、エミリ様。お聞きください。軍隊がこの町に近づいているんです。もうすぐ、そこまで来ているはずです」

「落ち着いて! 軍旗は? 旗にはどんな模様があった?」


 黒字に金色の獅子と鷹が向かいあっている模様なら、フェリエスの軍だ。


「蛇でございました。二匹の蛇が絡み合っている図でございました」


 ?


 誰?


 ちょっと待って。


 フェリエスの軍以外がどうしてここに?


 私はすぐに、ワラキア伯爵のことを思い出した。


「ギニアスさん! ギニアスさん!」


 いるんでしょ? 出て来て!


 城門の影からのそりと無表情な顔を覗かせたスパイが、頭をかきながら近寄ってくる。


「君の推測通りだ。ワラキア伯だな」


 最悪!


「人数はどれくらい?」

「たくさんいたよ!」


 男の子が叫ぶと、女性にしがみつき顔を隠す。


 恐かったんだね。ごめんね、私のせいだ。


「料理長はご家老を探して来て! 私は公爵様のところに行く」


 頷き走り出す料理長。彼が包丁を持ったままだということに気付いたが、それを教えてあげる余裕がない。私は声をかけるのを諦め、城の中にとって返す。ギニアスさんが「おーい! 俺はどうする!?」と叫んでいたけど、それを無視した。


 軍隊を連れてきたらどうする? ってギニアスさんが言ってたじゃん! 私ってば、それについて何も考えてなかった!


 こうなることを予想して、手を打っておかないといけなかったのに! 馬鹿! 私の馬鹿!


 ヒーロさんに会えるとか、大和って日本? とか、転送魔法でフェリエスに会いたいとか、そんなことよりも考えなきゃいけないことがあったのに!


 勢いよく扉を開けると、モランお爺ちゃんが安楽椅子に揺られながら窓から外を見ていた。


「大変なの! お爺ちゃん、大変!」

「町が騒がしいと思っておったら、お前が騒がしくしておったのか?」

「違うの! ワラキア伯爵の軍隊が来てるの! 多分、私を捕まえに来たんだ! どうしよ? 私、どうしよ!?」


 シャンパーニュ公爵は細くなった目をさらに細めると、安楽椅子から立ち上がる。腰をぽんぽんと叩きながら私に歩み寄った彼は、私の背後に視線を送った。


「こいつは誰じゃ?」


 振り返ると、そこにはギニアスさんがいた。


 くそ忙しい時に、手間を増やすんじゃないよ、もう!


 私が説明しようとした時、ギニアスさんがその場に膝をつく。


「お初にお目にかかります。ゴーダ騎士団領国諜報部中尉ギニアス・リムと申します。上官の命を受け、エミリどのの身辺を警護しております」


 ……名乗っちゃった。


「ゴーダ人がエミリを警護している理由はようわからんが、いるなら手伝え。エミリ、わしが伯爵と話をしておる間に、追っ払う手を考え準備をしろ。そうは時間がないからの」


 スタスタと歩き去っていくモランお爺ちゃんの背中は、とっても小さいはずなのに、なぜかすごい威圧感だった。


 茫然とする私を、ギニアスさんが突っついてくる。


「おい、早く準備しようぜ」

「あんたね! ちょっとは考えてよね! 長々と説明を求められたら大変だったでしょ!」

「文句は後で聞く。今は急ぐべきじゃないのか?」


 そうでした。


 でも何も準備をしてないんだけど……。


 とりあえず、武器の用意をしなきゃ! ご家老は? ジャン君はどこに行ったのよ! 


 ばたばたと城内を走り回り、兵士達に指示を与えながらジャン君を探すも、彼はどこにもいない。


 私は焦る気持ちを必死に抑え、町の頼りない城壁に兵士を配置すると、金魚の糞みたいについて来るギニアスさんに振りかえった。


「あんた、まだいたの?」

「手を貸そうか?」

「……あんた一人、増えたところで嬉しくもないよ」


 ゴーダ人は苦笑すると手を叩いた。パンパンと乾いた音が響き渡ると、町の人達に溶け込んでいたゴーダ騎士団領国の諜報部員達が姿を晒す。


 げ……。


「ま、二〇人しかいないが、田舎の兵士よりは役に立つぞ」


 ありがたい!


 ありがたいけど、数が少ない!


 伯爵がどれくらいの兵士を連れてきてるかわからないけど、私達より多いのは間違いない。


 腕を組む私に、町の人達が包丁やら鍬やらを持って集まってくる。


「手伝います!」

「そうだ! このまま好き勝手にされてたまるか!」

「家族を守るんだ!」


 訓練は全く受けてないし、武器も貧弱だけど、人数だけはたくさんになる!


 私は顔に喜色を浮かべるも、すぐにあることを思い出した。ワラキア伯爵の狙いは、この町じゃなくて私。


 私がいるから、彼らを巻き込んだ……?


「ありがとう……でも、皆聞いて!」


 私が大声を出したから、町の人達だけじゃなく、兵士までもが私に注目する。ギニアスさんがいらんことを言うなという目で私を見る。わかってる。いらないことだとわかっている。でも、私はこの町の人達にとっても親切にされたんだ。嘘はよくない!


「伯爵は私を捕まえに来ただけなの! 狙いは私なの! だから、私が投降したら終わるんだよ! 皆はここでじっとしてて!」


 場は一気に静まった。


 誰もが、どうしたものかと視線を彷徨わせる中で、私は彼らの前から離れる。


 モランお爺ちゃん、いつもはのろのろと歩くくせに、どうしてこういう時は早いの!?


 すっかり姿の見えないシャンパーニュ公爵を追って、私は町から山を迂回するように伸びる街道を走った。


 最悪です。


 町のすぐ外まで伯爵軍は来ていて、その前にモランお爺ちゃんが立っている。すぐに向かおうとしたのに、誰かが私の腕を掴んだ。


「待て! 公爵閣下の好意を無駄にする気か?」


 ギニアスさんと、彼の仲間達だった。


 私を茂みの中へと引き込んだ彼は、「動くな」と小さく声を発した。


「離して……私が行けば、収まるんだ」

「馬鹿か? 君は大公を裏切るのか? ギューン閣下を裏切るのか? そして何より、一人でああしているシャンパーニュ公を裏切るのか? え?」


 私は答えることができなかった。


「公爵様! 駄目ですよぉ、一人で来たりしたら!」


 聞き覚えのある声に、視線を走らせると、そこにとんでもないものを見た。


 ジャン君……なんで、ワラキア伯爵の軍隊と一緒なの?


「ジャンよ。お前は情けない奴じゃ。父も泣いておるぞ」

「うるさい! 僕はもう、こんな貧乏な家はまっぴらだ! 僕はうまくやれるはずだ。なのに、お金がないばかりに何もできやしない! ワラキア伯爵閣下は僕を政務次官として迎えてくれるそうだ! あんたの下でちっぽけな町相手にちまちまやるより、そっちのほうが良いに決まってるだろ!」


 あいつ!


 飛び出そうとした私を、ギニアスさんが羽交い締めにする。彼は暴れる私を無理やり抑えつけると、周囲の男達もそれに加勢した。私は彼らによって、その場から引き離される。


「んー! んんー!」


 くそ! 離せ! モランお爺ちゃん! モランお爺ちゃんを置いてなんて行けないっての!


 猿轡をされて声も出せない。必死に男達をふりほどこうとした時だった。


 私は見てしまったのだ……。


 ジャン君の命令で、ワラキア伯爵軍の兵士が白刃を抜き放った瞬間を。


「んん! んんー!!」


 モランお爺ちゃんが……斬られた。


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