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 ストラブールの装飾品店で、お給料で買った髪飾りと指輪を売る。財布を持って出てないから、今夜の宿代にも困る私……。


 全部で六〇〇〇フラムになりました。買った時の半分……。


 安い宿を探していると、自然とストラブール北東部に足が向かいます。だって、超安いんだよ。さすが労働者の街。一泊五〇〇フラムなんて、他の街区じゃまず無理。


 そんなこんなで宿を見つけたのに、女の子が一人で泊まるのはかなり異常らしい。受付でかなり疑わしい目で見られた。


「うちで売春はご遠慮ください。それが目的なら、斜め向かいの――」

「違います!」


 このやり取りの後、部屋に入った。


 壁の汚さに目をつぶれば、お風呂もある宿だから良しとしよう。


 私は溜め息と共にベッドに座る。固いその上でしばらくぼーとしていると、考える事は一つだけ。


 フェリエスと、クリスティンさんがイチャついてる図です。


 嫌とか、腹立たしいより、ただただ悲しい。


 私、何の為にこんな事をしてるんだろう。彼の近くにいるのがつらいから逃げてきたけど、じゃあ、いつ帰るの? 帰ったところで、彼のした事を笑って許してあげれるの?


 無理です。


 ストーリー的にはさ、隣国のお姫様が、美男子の大公殿下と恋に落ち、それまで大公殿下の周りをうろうろしていた良くわからない脇役が去るってほうが盛り上がるんだろうけど、脇役だって生きてる人間なんだ。感情だってあります。


 脇役だってその後の人生を歩んでいかないといけないのです。フられて登場しなくなって終わりではないのです。


 ふいぃ~。涙と鼻水が止まりません。


 ぐしゅぐしゅ……。


 でもと私は思う。フェリエスはアルメニア王国という大きな国の王家の人だ。お父さんは二代前の王様で、本来であれば、私なんぞ、遊ばれてぽいとされてもおかしくないのです。それでも彼は私を大事にしてくれます。私さえ、目をつぶれば、丸く収まるんじゃないでしょうか。もっと言えば、フェリエスはたくさんの子供を残さねばならない立場の人。その立場の人に私は自分の感情と価値観をおしつけ、その務めを奪う権利はあるんでしょうか。だって、彼はベロア家の家長なんだよ? もし、彼に後継ぎがいなかったら、お家は断絶してしまうのです。現に一度、ベロア家は断絶しているのです。


 私は鼻水をチーンとしながら、瞬きをした。


 私はただの家老補佐として、フェリエスの傍にいるほうが、彼にとっても私にとってもいいのではないかな……。お互い、傷つかないで済む。


 でも、私はやっぱり、彼と近くにいると我慢できないような気がするし。


 どうしたらいいんだろう。


 私はこの時、ゴーダ騎士団領国のお誘いを思い出してしまいました。


 明後日だ。エリュトーの時間だったな。




-Féliwce & Emiri-




 イシュル、ニジェン、サンジェー、シフォル、ファフィス、シスス、セヘン、エリュトー、ナナン、ジルー、イシェルト、ニジェント。


 最初から順番に一、二と数え、最後が十二です。この世界の時間の単位。一つが約二時間で、一日は二十四時間。簡単でしょ? これはアホの私でも覚えるが楽でした。ただ、今回のようにエリュトーの時間に合わせるといっても、日本でいう二時間の幅があります。


 つまり最悪、二時間は待ちぼうけです。


 これは日本人たる私にはとってもストレス。二時間も待たされたらどうしようと悩む私が、クロロ公園の東口に立っていると、ストラブールの時計台がエリュトーぴったりに鐘を鳴らし出した。


 ほぼ同時に、ギニアスさんがいつの間にか、通りの反対側に立って手を振っている。


 忍者?


 彼は大股に近寄ってくると、私に笑顔を向けて来た。


「どうした? なぜあんな安宿に泊まっている? 何かあったのか?」


 こいつ!


「怒るな。それが俺の仕事だ」


 私のプライベートは、タレント並に無いんかい!


 不機嫌な顔で彼の後ろをついて歩くと、前回の宿とは違う場所に連れていかれた。ストラブール南西の街区、古い空き家に入った私は、数人の男達に迎えられた。彼らは一様に無表情で、空き家の食堂だった部屋の中央、床に描かれた不思議な紋様を見つめる。


「もうすぐ到着される。コーヒーでも飲んで待ってくれ」


 ギニアスさんからカップを受け取り、座るように言われるも、私は壁にもたれるように立っていた。男達の視線の先、床に描かれた不思議な円形の紋様を眺めていると、それがうっすらと輝き始める。


「何?」

「転送の魔法だ。これを使える魔導士は、大陸広しといえども、我が国にしかおらん」


 ……改めて魔導士の力とやらに驚く。


 こんな力があるなら、例えば、どんなに守りを固めた城でも、内側に侵入されて終わりだ。


「ははは、心配そうな顔をしているな。それには及ばない。この魔法は、そう簡単にぽんぽんと使う事ができないんだ。いろいろ制限があるからな」


 ギニアスさんて詳しいのかな? と思った私だったが、半瞬後には彼も魔導士である事を思い出す。指で炎を作り、煙草に火をつけてたじゃないか。


 紋様が凄まじい光を放出した。


 あまりの眩しさに目を閉じていた。


「お着きになったが少し待て。服を召される」


ギニアスさんの言葉に従う。どうやら、素っ裸で転送されてきたみたいです。ごそごそと絹擦れの音がしていたが、それが止んだ。


「エミリ殿、もう結構だ。ご足労をおかけした」


 ギニアスさんの声でも、話し方でもない。


 私が瞼を開くと、そこには、精悍な顔つきをした男の人が立っていた。二重に長い睫毛。すっきりとした鼻筋。程よい厚みの唇。肌の色は私に近い。黄色人種が混ざっているのかもしれない。何よりその黒い瞳は、夜空のように煌めいていて、それでじっと見つめられると、女であったらいちころだろう。現に今、私は見とれてしまった。


「座って話そう」


 彼の言葉に、周囲の男達が椅子を向かい合わせて置いてくれた。ああ、こんな事なら、ばっちりメイクをして来れば良かったと思うのは、女であれば仕方ないことだと思うんですよ。


「俺はゴーダ騎士団領国近衛師団長と第一師団長を兼任するヒーロ・ギューンだ。よろしく」


 な!


 この人が?


 アルメニア王国十万の大軍を、一万程度で散々に撃ち破った軍の指揮官。


 あのアレクシお爺ちゃんにがこう言っていた。


「敵に回したくない。あれがおる限り、ゴーダ騎士団領国に手を出すのは無謀だとも言える」


 フェリエスですらこう言っていた。


「勝てる気がしない」


 もっと、ごつい人を想像してました。そう、いかにも軍人ですよって人をね。でも、確かに短く切り揃えられた黒髪は、軍人みたいだ。


「エミリ・ホリカワです。だいたいのお話はうかがっています」


 ギニアスさんからコーヒーを受け取った彼は、脚を組んで笑みを浮かべた。


 ああ、この人はきっと、ゴーダ騎士団領国でいっぱい女の人を泣かしてるはずだ。イケメン=女の子を泣かすという方程式が、私の中でできあがっておりんす。


「ま、それはおいおい話すとして、意外だな。いや、嬉しい誤算だ」


 彼はにんまりと笑った。それはフェリエスがよくする笑い方に似ている。目を細め、口の両端をぐっと釣り上げる笑い方。優しげに揺れる瞳に、私は大好きな大公殿下を思い出す。だが、彼を脳裏に描いたと同時に、あの完璧な美女も思い出す。二人は私の脳内で抱き合った。


 溜息でそうだ。


「どうされた?」

「いえ、何でもないです。意外って何がですか?」

「数百の騎兵で、あの帝国軍を見事に翻弄した指揮官が、まさかこんな可愛らしい女性とは思わなかった」


 こういう事をイケメンが言うから、女の子の気持ちは揺らぐのですよ。でも、私には好きな人がいるからね。どんなにつらくとも、私はフェリエスのことをやっぱり好きだ。


「ありがとうございます。ご高名なヒーロ卿にお褒め頂いて嬉しく思います」


 ヒーロ・ギューンは更に笑った。とても敵国の偉い人とは思えない。そう、フェリエスにとって、アルメニアにとって憎い敵にはとても見えない。よく笑うお兄さん。そんな印象を受ける。


「エミリ殿はロゼニアと帝国の関係を絶つだけでなく、争わせた。そして、あのままではロゼニアは帝国の一地方になっていたであろうはずを、現在の膠着状態へと持ち込まれた。感嘆に値する功績だ。戦闘とは結局、状況を作り出す為、もしくは状況を作ったうえで……勝てる準備をした後にするもののどちらかになる。残念ながら、これを理解している軍人は我が国でも少ない。どこで学ばれた?」

「……恐縮です。私はどこで学んだという事はありません。ただ、ご家老にいろいろと教わりました」


 ヒーロさんがギニアスさんを見る。


「アレクシ・デュプレ卿でございます。閣下」


 ギニアスさんの言葉に、ヒーロさんが頷く。


「ああ……大帝の側近だった男だな……老いて後進を育てられたか。しかし元々、素養がおありだったのではないかな」

「それは褒めすぎですよ」


 私がコーヒーを飲むと、彼は苦笑する。


「で、エミリ殿。俺が推測するに、あなたはこう考えているはずだ。帝国がロゼニアへ軍を集中させない為に、どこかに分散させてやる必要があると。あの宗教狂いどもは東へ向かって侵略の真最中。西ではロゼニアと戦っている。分散を狙うなら北。自然と対象は限られてくる。先日、ターラザントの愛国者達が、帝国と領有権で揉めている島に上陸し、漁をしたという事件があった。あなたの仕業だな?」


 私はコーヒーカップを受け皿に置いた。動揺が現れ、激しく音を立てるそれに、ヒーロさんが満足気に頷く。


「結局、ターラザントは自らの暴挙によって、帝国の怒りを買った。我が国にも救援要請がきている。あなたは恐ろしい人だ。帝国だけでなく、我が国の戦力までも削ごうとしておられる」

「私を捕らえて連行されますか?」


 とぼけるのはやめた。


「いや、誘拐というのは、それをして効果がある時だけするものだ。俺はあなたを敵にしたくない……俺はあなたに嫌われたくはないのだ」


 ん? という顔をした私に、ヒーロさんはしばらく黙っていた。そしてようやく決心したかのように私を見る。


「おい、皆、外に出ていろ」


 彼がギニアスさん達を家から追い出す。彼らにも聞かれたない話を、私にすると言うの?


「はっきり言おう。一目惚れした。俺と一緒に来てほしい」


 は……はあ?


 私は、コーヒーを鼻からふき出してしまいました。




-Féliwce & Emiri-




 もし、もしですよ?


 異世界に飛ばされて、そこで素敵な人と結ばれたらと思っていると、強力なライバルが出現。揺れ動く私に、「好きだ」と言ってくれる新キャラが登場なんて事があったら、どうすべきなんでしょうか。


 ええ、わかっています。お前の愛情はそんな軽いものか? という批判は当然です。しかし、よく考えてみてください。浮気をされ、落ち込み悲しみ、不安と不満で頭が一杯になっている時、とても素敵な男性から告白されて、「無理です!」と即答できます?


「えへへ、ちょっと考えさせて」


 保留にするのが、通常の対応じゃないですか? そうです。人はとっても卑怯な生き物なのです。保険を持っておきたいという姑息で弱い自分に負けやすい生き物。それが人間であり、私なのです。でも私は卑怯でありながら、それが嫌だとも思う気持ちも持っています。確かに嬉しいですが、私はフェリエスだけでなく、彼の周囲の人達も大好きなのだ。


 私はそんな事を考えながら、鼻からふき出たコーヒーをハンカチで拭く。私の視線の先には、笑い転げるヒーロさんがいる。


 告ったら、その相手が鼻からコーヒーをふき出した。


 私も笑ってしまうな。ここは怒るまい。


「あの、こんなんでも気持ちは変わらないんですか?」

「ああ……久しぶりに大笑いした。腹が痛い」


 ヒーロさんが、顔を覗かせたギニアスさんに手を払う。しっしっと追い払われた諜報員が、眉の両端を下げて離れていく。


「あなたのような、賢くて可愛らしい女性が好みだ。お高くとまっていないところもいい」


 ははは。日本では全くモテなかったのにね。ようやく春が来たか? ていうか、何をそんなに喜んでんのよ、私は! フェリエスが駄目なら、他の男ってほいほいと乗りかえる尻軽じゃねぇんだよ。保険は欲しいよ。そりゃ喉から手が出るくらいに欲しいさ! 


「ありがたいけど、私には好きな人がいるんです」


「ああ、分かってるよ。大公だろう? でなければ、これまで表舞台に登場していないあなたが、突然、大公に手を貸す理由がないからな。他にも事情があおりではないかとも思うが、それが最も大きな事情であろうな。貴国東部の動きを観察させてもらっているが、あなたと会って確信した。あなたが今の状況を描いたのだな。ロゼニアが大公に接近していたのも知っていたが正室ではなく側室としてじゃじゃ馬が大公に嫁いだと聞いた時は驚いたものだ。そこには、あなたの感情が謀略となって現れた。違うかな?」


 わかっていて告ってきたの? この人、どんだけ自信あんの?


「しかし、あなたが苦労したにも関わらず、フェリエス大公はロゼニア第三王女にご熱心だ。諜報員にも分かるほどだから、あなたはとっくにわかっているのではないかな?」

「それで私を誘っているの?」


 ヒーロさんは首を左右に振った。


「いや、あなたの存在を知った時から、どんな人であれ味方に欲しいと思った。会ってみたら可愛くて素敵な女性だった。だからこうして口説いてるんだ。俺の気持ちを受け入れて、ついて来てくれるなら最高の結果だが、そうでなくとも、ゴーダ騎士団領国に来てくれるのは嬉しい」


 ふーん。直球勝負だね。


「私はフェリエスの為に今の仕事をしてるの。ゴーダ騎士団領国に行ったら、その理由がなくなっちゃう。働かなくなるよ」

「アルメニアからあなたを引きはがす事が出来るだけでも大きな利点だ」


 ふーん。かなり買ってくれてるんだね。私も悪い気はしません。


 私はたっぷりと考え込んだ。一人でいろいろと考えていたこともあって、迷いもいっぱい生じている。それでも、私ははっきり断ることを決めた。


「ごめんなさい。ご期待には応えられそうにありません」


 私は、フェリエスの近くにいたいのです。彼だけじゃなく、いろいろと私を助けてくれる皆を捨てて、違う場所には行きたくない。私の家はストラブールにあるんだ。


 私が頭を下げると、彼は慌ててそれを止める。


「いいのだ。こちらが一方的にお願いをしているだけだ。気にしないで欲しい。難しい話はもういいだろう。俺はあなたをお喋りがしたい。時間はいいかな?」


 初めて照れたように笑うヒーロさんを見て、私は胸の奥で痛むものを感じたのだった。


 それからたっぷりお喋りを楽しんだ私は、彼を夕食に誘った。明日の同じ時間にクレルモンフェランへと転送される予定らしい彼は、喜んで応じてくれる。てか、フェリエスもこの人も、普通の女の子は大変だ。政治や経済の話題を好むのですから……。


 二人で入ったレストランで、見知った顔がいないか確認する私。


 ええ、とっても悪いことをしてます。敵国の偉いさんと二人きりで食事。誰かに見られたらまずいのです。


 『ミシェル・カクラン』というそのレストランは、ストラブール市内にあってどちらかと言えば高級なお店だ。さすがに、敵国の偉いさんを安い店に連れていくのは気が引けた。明日からの生活費どうしようと不安がよぎったのは、店のメニューを開いた時。


 私達は夕食を他愛もない会話と共に楽しみ、デザートのチョコレートケーキを食べ、コーヒーを頼んだ。さすがに高級店でも、コーヒーを頼むのは珍しいようだった。


「ねえ、アルメニアの大軍をどうやって倒したの?」

「俺と一緒に来てくれるなら教える」


 それが冗談だと言わんばかりに微笑んだ彼は、コーヒーを口から離すと小さく咳払いをした。


「アルメニアは大軍といえども、貴族達の軍と国王軍の寄せ集めだ。さらに国王軍でさえ、寄せ集めに過ぎない。農民兵のほとんどは愛国心、忠誠心を持ち合わせていない。誰もが略奪目当てと王家に対する畏怖から従っているに過ぎない。だから本当に警戒すべきは、傭兵達で編成された外人連隊と、国王直属の軍のみだ」


 彼は私が興味を目に宿しているのを確認し、さらに言葉を続けた。


「俺はまず、夜襲と虚報でアルメニア軍を同志討ちにさせた。これで相手は部隊の間隔を広く取り国境から北上をしてきた。大軍であるからこそ、多方面作戦で来るとわかっていたが、部隊間の距離を取らせたのには訳がある。あなたならわかるだろう?」

「救援を遅らす為」


 ヒーロさんは満足そうに笑う。


「そう。で俺はさらに騎士団領南部の村や町の人達を避難させ、食糧も何もかも空にした。のこのこと村や街を襲いに来たアルメニア人を順に個別に退治し、逃げる彼らを追いかけ、その先に控えていた別の部隊も襲った」


 大軍に大軍の強みを発揮させないようにしたんだね。


「そして敵から奪った甲冑を味方に着せ、敵の軍旗を掲げてアルメニア人を襲ったのだ。後は勝手に自滅していっただけの話だ」


 言うのは容易いが、実行するのはとっても難しいだろう。


「戦闘は心理戦だと俺は考えている。いかに数が多かろうと、統制の取れていない軍など無意味だ。それに、指揮系統が乱れ、混乱する大軍ほど御しやすい。もっと言えば、大軍であることから油断すら生まれる。兵士になって考えれば分かるが、大軍でありながら、バタバタと仲間が倒れるのを見たらどう思う?」


 私はこの人と話を出来て良かったと思うし、敵であることを選んだ私に、ここまで話してくれた彼に感謝した。


「もっと詳しく聞きたいなら、この後も付き合うが? 」


 その手には乗りません。


 伝票を取って私が立ちあがると、「残念」と呟くヒーロさん。彼は私の手からそっと伝票を抜き取ると、どさくさに紛れて私の手を握った。


「困ります」


 私の抗議を無視した彼が支払いを済ませる。その彼に感謝しながらも、逃げるように手を振り払う。正直、心臓がドッキンドッキンです。


 ヒーロさんが残念そうに溜め息をつくも、すぐに笑いだした。


「義理固いところもいい」


 素直に嬉しい。やっぱり私は、褒められて伸びる子なんです。


 二人でレストランから出ようとした時、店の外にとっても会いたくない人がこちらを睨んでいるのを見てしまった。

 

 ううん。今は会いたくないという表現が正しい。


 青い目を怒りに燃やした美男子が、気まずそうなハザルさんを従えて私を睨んでいたのでした。


 


-Féliwce & Emiri-




「俺の言葉足らずが原因とはいえ、説明を聞かずして飛び出していったと思えば、この男は誰だ?」


 ふえぇ……恐い。これまで見たこともない恐い目。冗談じゃ済みそうにありません。


「市中の店にお前の似顔絵を配っていたんだよ。腹が減ったら、どっかに入ると思ったから」


 ハザルさんが申し訳なさそうに私を見ます。


 いいよ、あんたは悪くない。


 悪いのは私だ。


「ええと、今日、知り合った人でご飯を食べようという事になりまして――」


 私が釈明しようとヒーロさんに振りかえった時、彼はとっても冷たい目でフェリエスを見ていた。汚れた物を見るような、そんな目。


「彼女はあなたの恋人か?」


 ヒーロさんがフェリエスに言い放つ。


 眉を跳ね上げたフェリエスが、ヒーロさんに近づこうとするのを、私が間に入って止めた。


「そうであるなら、どうして一人で街を歩かせている? 大切に想うなら、それを態度と言葉で彼女に伝えるべきだろう。それを怠っておりながら、後から出て来て俺を非難するのは図々しいを通り越して、愚かな行いだ」


 おいおい……。


 喧嘩売ってますやん。


「貴様……! 俺を誰だか知っても同じ戯言を申すか!」


 フェリエスの怒りは凄まじく、私を押しのけヒーロさんの服を掴む。その手をヒーロさんが掴み、二人は金色の髪と黒髪を接近させて睨みあった。


「フェリエス・ベロア・ベルーズド公。語るに落ちたな。その名を出せば、何人も恐れおののき、頭を垂れるとお思いか?」


 ヒーロさんは嘲るように言い放ち、服が破れるのを構わず、フェリエスの手を引きはがした。ボタンがいくつもはじけ飛び、石畳の道路を転がる。


 ハザルさんが腰の剣に手を伸ばしたのを、私が慌てて止めた。


「ちょっとハザルさん。駄目!」

「エミリ、お前の連れだろうが許さん!」


 あんたまでキレたら、誰がこの場を押さえんだよ!


「大公。あなたは所詮、王家の権威を利用している狐に過ぎぬ。エミリ殿、あなたはあなたの価値を分かっておられない。こんな小人に義理を果たす道理はない。あなたを放置し、それでもあなたは自分のものだと主張するこんな男は、早々に見切りをつけたほうがいいだろうな」

「言わせておけば……貴様などに何が分かるか!」


 フェリエスが自ら剣を抜き放ち、すさまじい怒りと共に一閃するも、ヒーロさんはそれを素手で止めた。高速で迫る刃の腹を、指で掴んで止める離れ業。それをやってみせたゴーダ人に、ハザルさんが目を細める。


 ヒーロさんがフェリエスの剣を押し離した瞬間、私達の周囲の人ごみから音もなく男達が現れ、フェリエスとヒーロさんの間に立つ。


「エミリ殿、また会おう。連絡する」


 どこまでも余裕だね。


 彼は見物人達をかきわけ、茫然とするフェリエスから離れた。数歩、進んだところで足を止めたヒーロさんが、振り向かずに声を発する。


「大公、この事でエミリ殿を責めるのであれば、それは完全にあなたの負けだ。俺の言っている意味は分かるな?」


 私は、このゴーダ人を嫌いになれなかった。フェリエスにひどい事を言ったにも関わらず、この人とまた会ってもいいかなと思うのは、私の気持ちがフェリエスから離れているから? ……それは違う。私は立ちすくむ彼をすぐにでも慰めてあげたくてウズウズとしているし、彼が私のことで怒っている事が嬉しい。フェリエスの事をとっても好きなのは変わらない。


 ではなぜ?


 何だろう? ヒーロさんがとっても良い人だから? 私を好きだと言ってくれたから? 違うな。私は彼を尊敬してるんだ。


 だって彼は、フェリエスと私の為にあんな事を言ったのだと、私には分かっているから。


 ヒーロさんは、フェリエスと私の関係の歪さをフェリエスに伝えてくれたのだ。本当なら、もっと喧嘩をさせやろうと思うところなのに。


 そうとフェリエスも気付いている。だから彼は、追わないのだ。


 私は、ヒーロ・ギューンというゴーダ騎士団領国の偉い人に、絶対に勝てないと思ったのでした。


 この人とは、絶対に戦ってはダメだ……。


 と同時に、ヒーロさんが指摘してくれた、私とフェリエスの歪な関係を正さねばならないとも思った。




-Féliwce & Emiri-




 公爵邸の一室で、フェリエスが私を見つめている。その青い目は動揺と困惑、怒りと憎しみ、様々な感情が入り混じり激しく揺れていた。ヒーロさんの正体を私が話さないからだ。


 無言で向かい合う私達を、心配そうに眺めていたハザルさんが席を立った。


 ごめん、気まずいよね。


 二人きりになったところで、私から口を開いた。


「申し訳ありません。職務を放棄してしまったことをお詫び申し上げます。ですが、あの方の事はお話しできません」


 彼の瞳から、様々な感情の濁りだ消え、後ろめたさが残ったのはしばらく経ってからだった。彼が重い口を開く。


「わかった。いや……いいのだ。無理強いをして悪かった」


 私から視線を逸らしたフェリエスは、何か続けて言いたのだけど、言えないといった素振りを繰り返す。


 私はじっと黙っていた。


「お……俺はクリスティンと……その……お前とするようなことはしてない。えっと、つまり俺が彼女の寝室に行ったのは……えっと油断をさせる為というのは嘘だ。本当のことを言うのが恥ずかしかったのだ……」


 彼は泣きそうな顔で私を見た。


「お前ならわかってくれると思っていた俺が悪い。いや、俺はそう……クリスティンの現状に責任を持つ身だ。彼女を本来、いるはずの場所から引きはがし、手元に置いている。俺の都合でだ……俺は、幼いころに自分がされ苦しんだ行為を、彼女にしたのだ。俺はそれに気付いてしまったのだ……いや、お前のせいではない。お前につらい仕事をさせたのは、俺だ。だから……」


 彼は視線を彷徨わせながら、か細い声を出す。


「ただ寝る前に話だけでもしようと思って……そうすれば、クリスティンの顔も立つと思ったし、寂しく思わないのではないかと……本当だ。遠い地に来て不安であろうと思って……子供の頃の俺と同じ辛さを、他人に強いることが俺は辛かったのだ。普段、お前より彼女を優先してしまったのは、お前はわかってくれていると甘えていたのだ……」


 言葉を止めたフェリエス。


「それに……俺はお前に冷たくしていたかもしれんが……それはだな。つまりだな……」


 フェリエスは押し黙る私に困っていた。こんな事、これまで無かったからだ。


「うしろめたかった。クリスティンに気をつかうことで、お前に寂しい思いをさせているとわかっていたのだ。なのに……だから後ろめたくて……しかし、それを素直に言えなくて……つい」


 私はとても辛くなった。彼が嘘をついていないと、フェリエスの態度と声でわかってしまったからだ。


「突き放すようにしてしまったのだと思う。許してくれ」


 私は胸の痛みに深呼吸をした。


「だからエミリ……。俺といてくれないか?」


 大公殿下は、そう言うと恥ずかしそうに顔を隠す。


 私は席を立ち、彼の隣に立った。いつもなら、彼に抱きつき仲直りをするところだが、今日の私は違う。私は彼に伝えないといけない事があるのです。とても辛い事を言わないといけないの。


 フェリエスはアルメニア王家の一員。領地を持ち、たくさんの人の生活を守る責任がある人。そして、ベロア家の家長。そして私は、その彼が私以外の人と愛し合う事をどうしても認められない。本当であるなら、私は彼の前から姿を消すべき人間。それなのに、私はそれができない。


 私は、青い瞳を不安げに揺らす大公殿下を見た。こんな弱い彼を見たのは、マルセイユの総督府で、私に抱きつき泣いていた時以来……。


 ごめんね。


「フェリエス。あなたはフェリエス・ベロア・ベルーズド公爵なの。あなたの代でベロアを終わらしてもいいの? 家中の人達や、領地に住む人達を路頭に迷わせてもいいの? いいえ、よくありません。あなたは、たくさんの子供を残さないといけない立場なの。私一人に執着するのは、あなたの為になりません」


 顔を跳ね上げた大公殿下。その顔には「なぜそんな事を言う?」と書いてあった。


 私はこれまで散々に考えてきた私の想いを彼に伝えた。


「あなたの気持ちは嬉しいし、そう言ってもらえるのはとってもありがたいです。本当に感謝しています。私もあなたのことを心から愛してます」


 ぎこちない笑みを浮かべたフェリエス。それは、私の声と表情がそうさせている。


「そうであるからこそ、私はあなたが私以外の女性を正妻として迎える事を……側室として迎える事……そしてその先にあるベロア家の長としての責任を果たす行為に及ぶのが嫌なのです。だから、ケジメを取ります」


 私は震える心に耐えきれず、瞼を閉じる。


「私は、あなたとはもう二人きりで会いません」


 言ってしまった。


 自分の声がものすごく遠くに感じる。フェリエスは青い瞳を私から逸らさない。彼は、その身体が消えてしまうのではないかというほどに薄く感じた。


「殿下、私はやっぱり、あなたのような立場の人を独占するような女の子じゃない。これまで大切にしてくれてありがとう。とっても幸せでした。だから、これからは恩返しします。あなたと、これまで私を支えてくれた皆の為に、これからもここで働かせてください。これまで通り、あなたにお仕えさせてください。臣下の一人として……」


 フェリエスが顔を伏せる。


 私は彼から離れ、部屋から出て行くことにした。これ以上、ここにいたら自分の発言を撤回してしまいそうだからだ。それほどまでに、目の前の彼は憔悴していた。すぐにでも寄りかかり、一生懸命、慰めてあげたくなる気持ちを、私は踵を返すことで振り払う。いや、私は今の自分の顔を見られたくなかったのだ。とってもひどい顔になっている。


 泣くのを必死で我慢する顔。


 フェリエスへの想いを沈める為に、しばらくは仕事に専念しよう……。


 ドアを開こうとした私を、フェリエスの白い手が止める。


「決めた」


 フェリエスは私の顔を見つめ、そう言った。その青い瞳には、涙を溜めた私が映っている。


「何を……でございますか?」


 私は目を逸らそうとしたが、いきなりキスをされて瞼を閉じる。とっても長く甘いキスに、押さえつけていた彼への気持ちが湧き上がる。


 駄目なのに……拒否できないよ。


 唇を離した時、フェリエスが私を抱きしめてくれた。


「お前を養女に出す。相手はシャンパーニュ公爵だ。ベロア家と同じく、王家の分家の一つだ」


 ……何? 恩返しもさせてくれないの?


「公とは仲が良い。彼は野心をもっておらぬし、領地も小さい。箔があるだけの貴族だ。半年ほど、シャンパーニュ公爵家で生活をして欲しい。半年後、迎えに行く。お前の好きなサクラの花を探し出して、大きな花束にして迎えに行く」

「フェリエス……」


 自分の声が激しく震えているのが分かる。心の奥に閉じ込めようとしていた、フェリエスへの想いが私を支配する。顔が赤くなり、動悸が激しくなる。


 大公殿下は、私を駄目にする笑みを見せてくれた。


「俺はお前を失いたくない。俺が時間を分かち合いたいと願うのはお前だけだ。家柄が必要ならつければ良い。身元が怪しいのなら作れば良い」


 彼は私の髪を撫でた。彼の手の動きはとても優しく、あまりの心地よさに私は立っていられなかった。彼の胸に顔をうずめ、綺麗な顔を下から見上げる。


 私が彼の名前を口にしようとした時、顔を近づけてきた彼が先に言葉を発する。それは優しく穏やかで、身体ごと包み込むような音色に乗って、私の心を揺らしてくれた。


「俺の正妻になってくれ、エミリ。花嫁衣装のお前の隣を歩かせくれ。お前が生涯を共にする男に俺を選んで欲しい。お願いだ」




-Féliwce & Emiri-




 フェリエスはエミリを抱きしめたまま動かなかった。離してしまえば、彼女が遠くに行ってしまうのではないかと恐かったのだ。


 黒い髪を揺らして、涙に濡れた黒い瞳をフェリエスに向けたエミリ。


「お受けします、殿下」


彼女は小さな声で言った。


 彼は、その言葉が、これまで耳にしたどの言葉よりも嬉しく、切なく、愛おしく感じ、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。


(半年間か……俺は半年間と言ったが、そんなに我慢できるか?)


 彼は少しの後悔と共に視線を胸へと落とす。そこにはフェリエスを駄目にする笑顔を浮かべたエミリがいた。


 フェリエスは理解した。


 大人達の嘲笑と冷たい視線。自分はどうして、こんなにも嫌われているのかと悩み、それを悟られまいといつでも睨み凄んでいた少年期。女性と触れ合うと必ず現れる忌まわしい幻影に悩まされ、ついには恐れまで抱いた思春期。そして自分の出生は汚れた愛慾の果てのものに過ぎず、王家の傲慢さとそれに媚びへつらった女の保身の結果に過ぎない、忌まわしいものだと人にも話すことで自分を慰めるようになった。


 その彼が今、彼の両親がどうしてフェリエスをこの世に残したのかをようやく理解したのだ。


(父上も、母上も周囲の目など気にすることが出来ぬ程にお互いを大事に思い、愛し合った。今の俺のように、父上は母上を愛した。そして母上は、このエミリのように、全てを捨てる覚悟で応えたんだ……だから、それで……俺は生を受けることができた)


 フェリエスは、エミリの髪を撫でながら、両親に感謝をする。


(今、ようやく分かった。俺は、産まれてきて良かったんだ……俺は汚れた王家が吐き出した恥部の欠片などではない。立派な父上と、優しい母上の間に産まれたのだ)


 彼の頬を温かい滴が零れ落ちていく。


(父上、母上……許して下さい。エミリと出会い、こうなるまで俺は、あなた達を……許して下さい)


 後悔の念に震え、それを超える感謝と喜びに彼は声を漏らしていた。


「父上、母上……俺をこの世界に産んでくれてありがとう」


 フェリエスの声は小さく、とても震えていたが、彼の愛しい少女には届いていた。彼女は不思議そうに瞳を輝かせて彼を見つめる。青い瞳を涙で濡らした大公は、素直に気持ちを声と言葉に込めた。


「エミリ、俺を救ってくれて、ありがとう」


 エミリはまた、彼を駄目にする笑顔を浮かべたのだった。それに応えるように、彼は彼女をそっと抱きしめ直すと、涙を流す顔を見られまいと、その胸に顔をうずめた。


 なぜかこの時、ストラブールの時計台が一度だけ鳴り、それは微かに二人の耳にも届いたのだった。


connected hand おわり

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 《敵である事を選らんだ私に、 》 《彼が思い口を開く。 》 「重い口」 《本当のことを言うのが恥ずかしったのだ……」 》
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