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ちっくしょー!
叫んだ私は、ストラブールの開発地域に来ております。周囲の工員達が、何事かと私を眺めていますが、睨んでやると黙々と作業を再開しました。
ストラブールの城壁拡張工事が終わり、広がった内側に新たな市街地を作る為、まずは上下水道を整備していくのです。道路の下を通せばいいという私の案は、思いっきり日本を参考にしてます。
オーギュストさんが図面を見ながら、各現場監督の人達と相談をしている近くで、私は未だに怒りが収まらず、小石をけっ飛ばしたり、草を引きちぎったり荒れてます。
あまり激しい破壊行動を取れないところが、可愛い私。
「エミリ、大公殿下に叱られて機嫌悪そうだな」
オレンジ頭が、図面をくるくると丸めながら私に近づいて来る。
「悪いよ。今、私をおちょくったらグーで殴るよ」
「……夕食に誘ってやろうと思ったがやめた」
「嘘です。オーギュストさん、素敵。かっこいい」
夕食もどうせ、クリスティンさんと取るだろうし、夜もかまってくれないだろうし、一人でイライラするなら、誰かと一緒にいたほうが気が紛れるというものです。
夕日が城壁を照らし、燃えるように真っ赤に染まったそれを視界の端に留めながら、ストラブールの市街地へと歩く私とオレンジ頭。
「言っておく。クリスティン王女はただの側室ではない。ロゼニア王家からの人質でもあるのだ。その身に何かあっては、ロゼニア王家の憎しみの対象となり、せっかくの情勢にまた変化が起こる。お前もわかっているはずだ」
「でもさぁ。フェリエスのあの豹変ぶりは頭くるよ」
「大公殿下と呼べ。さ、見えて来たぞ」
ん? あのお花に囲まれた一軒家? あれが家?
「俺の家だ」
なんですと!?
そうか。そういえば、この人って庭師だった。
「花は妻の趣味だ。花屋をしている」
本当だ。家の反対側はお店になってる。
「夫婦揃って働き者だね……て結婚してたの?」
「悪いか?」
意外だ。こんな冷徹な男を愛する女性がいるとは!
オーギュストさんに促がされ、私は彼の家に入る。
「おかえりなさーい」
小さなオレンジ頭が、私に飛びついてきた。
「ひゃあ!」
驚いた私の後で、オーギュストさんが笑っていた。
「フランソワ、ご挨拶しなさい」
私の脚にしがみついて、? という目をしていた小さな女の子が、驚き私から離れた。
「お父様じゃなかったー! うわーん」
泣かなくてもいいじゃん。私、そんな恐い?
「ごめんね。驚いたよねぇ。ごめんね」
しゃがんで女の子を宥めていると、家の奥から茶色いショートカットの女の人が現れる。オーギュストさんの奥さんなんだろうが、その予想だにしない綺麗な奥様登場に、私は目を点にした。
「いらっしゃい。あなたがエミリさんね。噂はかねがね。さ、あがって」
にっこりと笑う奥様は、リリアさんと名乗った。
にやにやしてしまう。
「何がおかしい?」
オーギュストさんが私を睨む。
「あんた、過ぎたお嫁さんもらって大変だね」
「……娘の前だ。許してやろう」
楽しい夕食が始まった。
リリアさんはなんと、ゴーダ騎士団領国にあるクレルモンフェラン大学を卒業した才女で、花の温室栽培研究を今でもしているらしい。どうやら彼女は魔導士の血を持つ人らしく、魔法で大気を操る研究が専門だそうだ。採光窓に囲まれた部屋の空気を、魔法で温度や湿度の調整をして花を育てて売っているらしい。ビニールハウスみたいなもんか。
ピーンときました。
「ねえ、ハザルさんにカトレアを売りました?」
「ええ、誰か素敵な方でも出来たのかと思っていたら、この前のあの騒動でしょ? 本当に良かったわぁ」
クロロ公園での私達の大騒ぎは、ストラブール中に知れ渡っているのね。
パンに羊肉のシチューが合う! シチューおかわり!
もうやけ食いですよ。
いいフランソワちゃん、こんなお姉さんみたいになっちゃダメだよ。好きになる相手はよく考えるんだよ!
-Féliwce & Emiri-
「そう、クロエ様のお相手がクレルモンフェランにね」
リリアさんは、指の先に小さな炎を作ると、それを蝋燭へと灯す。夕日が完全に落ち暗くなっていた室内に、優しい光りが溢れた。
「私がクレルモンフェランに行った時に比べ、今は時期的に最悪よ。フィリプ三世陛下は、これまで以上に対外戦争に積極的だから、下手をしたら、帰ってこられないかもしれないわ」
食後のコーヒーを飲んだのは久しぶりだ。アルメニアではあまり広まってないコーヒーも、ゴーダ騎士団領国帰りのリリアさんは知っていた。アルメニアではあまり飲まれないコーヒーを、お屋敷で私が飲んでいると皆が驚く。それは、アルメニア人にとって、コーヒーはゴーダ騎士団領国を連想されるからだと、リリアさんに教わった。だけど彼女は紅茶よりもコーヒーが好きらしい。
「それはそうと、エミリ。殿下のことで随分と苛立っているようだが、ここはお屋敷ではない。言いたい事があれば聞いてやるぞ」
オーギュストさんが、コーヒーカップを受け皿に置く。
「……それで誘ったの?」
「そうだ。このまま、お前の誤解が進めばややこしくなる」
誤解じゃないもん。
「オーギュストさんは、フェリエスとクリスティンさんが仲良くしてるのは誤解って言いたいの?」
「俺に怒るな」
オレンジ頭の隣で、リリアさんが微笑んでいる。
「エミリさん、可愛らしいわ。殿下が好きになるのも無理ないわね」
……今はかなり、クリスティンさんに奪われておりんす。
「結局、フェリエスも健全な男だったんだよ。ぺったんこより、大きなほうがいいもんね」
私が、胸の辺りで手を動かし、山を作ってみせた。二人が苦笑する。
「私はこう思うんだ。いつか振りかえってくれるっていうのは、完全に一方的な想いに過ぎないってね。今、私を見てくれない人を、ずっと想い続けるのは大変だよ。特に、それまで見てくれていた人だったら尚更ね」
「随分と弱気になってるな。それで、お前は殿下を諦めるのか? 殿下を自分のものにする為にお前はしたくもない仕事をしているのではなかったか?」
私は、デザートの苺パイを頬張りながら、ふむぅと唸る。
「なんか、こうなるんじゃないかなぁと思っていたら、本当にそうなっちゃって驚いてるんだよね。本当は私、こうなるんじゃないかって思いながら、ロゼニア王家にあんな事を言ったというのもあんの」
「はぁ? 意味が分からん」
オレンジ頭が目を丸くする。
「私はさ、あんな美人で家柄も良くて頭も良い女の人が来ても、フェリエスは私だけを見てくれるって信じていたかったの。そしてそれを証明したくて、こんな事になっちゃった」
面倒な女だと、クソ兄貴に言われるなぁ。
「あら、エミリさんは殿下を試したのね?」
リリアさんが可笑しそうに笑う。口に手をあて、目に涙を浮かべて笑う彼女にオーギュストさんが不機嫌そうに呻く。
「しかしだなエミリ。殿下は何も悪い事はしておらん。殿下は王家の――」
「はいはい、ハザルさんにも言われました。殿下はたくさんの子供を残しておかないといけないから、たくさんの女の人を相手にしなくちゃいけないんでしょ?」
「わかっておればいいのだ」
「あなた、それは違います」
リリアさんが冷たい目を旦那に向ける。おお、あのオーギュストさんがたじろいでいらっしゃる。
「それは女性側がそれを承諾した場合のみに有効です。王家の権威を振りかざし、女性を囲うのはただのスケベと一緒です」
オーギュストさんが口をぱくぱくとさせる。
「あなたとあろう方がついていながら、エミリさんを苦しめるような事を殿下がなさるとは……。殿下は臣下の意見に耳を傾けない愚かな為政者になり下がってしまわれたのですか? それとも、あなた達がいらぬ遠慮をしておられるのですか? どうなのです?」
ああ、リリア姐さんと呼ばせてください!
「うむ……いや、殿下はご立派な方だ。俺達がいらぬ遠慮をしておるのだろう。ロゼニア王家の事もあるしな」
「ならば、あなたはどうするべきか、自然と答えは出ているではありませんか。それをするべきです」
姐さんの鋭い視線に、オレンジ頭はこくこくと頷いたのでした。
-Féliwce & Emiri-
私は夜道を一人で帰る。
ストラブールは大公領となって以降、治安が著しく改善され、また魔法工学を応用した街灯も多く設置されている事から、暗くなっても一人歩きを不安に感じる事がないというのが、最近の一般的な評価だ。
クロロ公園脇の大きな道路を歩きながら、右手に飲食街を見る。賑やかな人達の暮らしも、私やオーギュストさんが影で努力をしているからと思うと微笑ましい。でも、休みは欲しい。リリアさん曰く、オレンジ頭の帰宅は五日ぶりだそうです。
手を、吐く息で温めながら帰っていると、何やら誰かに尾行されているではありませんか。変態かと思って、いつでもかかって来いと思ってみても、向こうは一定の距離を保ったまま、私の後をついてきます。
わざといつもと違う道を通れど、人ごみに紛れこもうとも、それは変わりません。
ムシャクシャしてるし、やってやろうか……。
国王の手下かな? それともロゼニア? 帝国? などと考えながら、わざと人の少ない路地に入り、行き止まりで立ち止まる。
振りむくとそこには、見た目普通の男の人が立っていました。
「何の用?」
「すごい度胸だな。襲われる心配はしないのか?」
背も、肉付きも普通。顔立ちも目立つほどに綺麗でもないが、かといって記憶に残るほど醜くない。なのに、こうして向かいあっているだけで、私はその男から得体の知れない不気味さを感じた。
「襲われても、撃退する」
「ははは、じゃあこれならどうだ?」
男が片手を上げると、数人の影がその後に並んだ。
「……さすが、やる事が卑怯だね。女の子一人にそんな人数で。謝っちゃおうかな」
「謝る気がないくせに」
人が三人ほど並べば窮屈な路地の奥で、私は腰の剣に手をあてた。これはアレクシお爺ちゃんが魔力を込めてくれた剣だ。その切れ味はいとも簡単に鉄まで紙のように切断する。それでいて、刃こぼれひとつしないし軽い。
武器無しでとっ捕まえようと考えていたけど、それはどうやら甘かったみたい。
「おいおい、本当にやる気か? こちらにはその気はないんだ」
男が笑った。私は彼と会話をするなかで、違和感を感じる。それは男の発音だ。フェリエスやハザルさんのような発音ではない。そうなのだ。アルメニア人の発するアルメニア語とは微妙に音が違う。クリスティンさんと話していたから気付いたのかも。
「ロゼニア人?」
私の質問に、男達が近づいて来た。闇に溶け込んでいた後の男達も姿を現す。
「残念、違う。少しだけ時間をくれ。話をして終わりだ。どうだ?」
どうするか?
逡巡した後、私は頷いていた。
彼らは満足げに頷き、私について来るよう促すと歩き出す。ストラブールの歓楽街でもある、市街地北東の一画に移動した私達。男性が女性を買う店が堂々と営業をしているのを見て、私は眉をひそめた。
「違う。そういう目的じゃない」
男の一人が振りかえりもせずに声を発する。私の表情を見ずに、どうしてわかったんだろうか。
彼らは一軒の安い宿に入った。私はその建物に入った瞬間、この建物が本来の役目を果たしていない事に気付く。なぜなら、ホテルであれば、入ればすぐにフロントがあり、見える場所に階段があるはずだが、このホテルには階段がない。
そのホテル一階の奥、中に入れば応接室であると分かったそこで、私は男達のリーダーと向かい合って座った。そこに、紅茶が運ばれてきた。
「何も入れてない。そんな面倒な事をするつもりはない」
私は男が嘘を言っているのではないと判断した。なぜなら、わざわざこんな事を言う必要がないからだ。入れているなら、面倒な事云々のくだりはいらない。
「で、私に用件て何?」
「我々は驚いている。帝国とロゼニアが争い始め、またロゼニア王家が側室として王女を隣国の地方領主に送りこんだ事にだ」
男が、紅茶に口をつけると私に小さな金属の箱を見せてくる。
「いいかな?」
中身は巻煙草だった。彼は指先に火を灯すと、煙草にそれを近づけ煙を吐き出した。
副流煙をこっちに吐くなっての!
私は素早く記憶を辿る。煙草は高級品だ。それをしかも巻煙草にして持ち歩く事が出来るのは、アルメニアでは一部の人達だけだ。にも関わらず、この人達はアルメニア人ではないと思う。煙草を庶民も楽しむ事が出来る国。
「あなた、ゴーダ人?」
「煙草で気付いてくれたか。そうだ」
男は頷き、微笑んだ。
「フェリエス大公は以前から監視していた。しかしここまで急激に大きくなるとは思ってもいなかった。だから、調べた。すると、何やら頭の切れる参謀がいるというじゃないか」
「それで尾行してたの?」
「そうだ。お前達が俺達の国に諜報員を送っているように、俺達もそうしているって考えた事はなかったか?」
「だからといって、お茶に誘われるなんて思ってもいなかったよ」
男が愉快そうに笑う。
「俺だって、尾行がばれるとは思ってもいなかったさ」
二人で笑い合った。どうやら、私に危害を加えるつもりはないらしい。
「で、いろいろ君に関して調べた。だが、どこにも記録がない。戸籍がない。いきなり空から降ってきたかのように現れた。何者だ?」
「そんなこと、敵国の諜報員に話すわけないでしょ?」
彼はおどけたように両手を広げると、煙草を口に咥えて手を叩く。ドアが開き、書類鞄を抱えた男が、それを机に置き出て行った。
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺はゴーダ騎士団領国諜報部アルメニア東部担当主任補佐官、ギニアス・リムだ。階級は中尉」
「私も名乗ったほうがいい?」
「いや、大丈夫だ。ベルーズド公爵府軍務次官兼政務次官で、ベロア家の家老補佐をしているエミリ・ホリカワ。年齢は十代後半というくらいしかわからない。黒髪で黒い瞳、女性のわりに背は高い。右利きのくせに左利きを装っていて、歩く時に音を立てないように歩く癖がある」
こいつ!
「おっと怒るな。これが仕事なんだよ。で、俺は自分の仕事をした結果、上からある指令を受けた」
「それが、このお茶に関係してるの?」
ギニアスは鞄を開き、中から書類を取り出す。それはアルメニア語で書かれたものと、ゴーダ語で書かれたものが一式ずつ。二つの言語は非常に良く似ている。まあ、元を正せばゴーダ人てのはアルメニア人だもんね。日本でいう標準語と関西弁くらいの差か。
「読んでいいの?」
「そのつもりだ」
私はゴーダ語で書かれた書類を掴んで、目を走らせた。騙そうとしても無駄だと相手に伝えるためだ。
書類は、私のゴーダ騎士団領国への入国許可証他、ゴーダ騎士団領国の第一師団長付き主席参謀として私を雇いたいという内容と、私がいきなり表舞台に立った理由によっては、国をあげて支援するといった内容だった。
「何これ?」
「見ての通りだ。君はアルメニア人ではないようだ。その君が大公に与している。そこには何らかの事情があるとみた。我が国としては、君さえよければ、その事情解決に協力する。その見返りとして、我が国に力を貸してほしい」
えっと、ヘッドハンティングての?
「ふうん。でも興味ない」
私が書類をギニアスさんに返すと、彼は残念そうに目をしかめる。それは演技ではないようだったので、私は少し嬉しかった。
だいたい、ゴーダ騎士団領国なんて行ったら、フェリエスに会えないじゃん。てか、私が今の仕事をしているのは、フェリエスの為だよ?
フェリエスが、私のことを好きでなくなっても、私は今の仕事を続けるの?
不吉な考えが脳裏によぎる。
「ま、こちらも即答してもらえるとは思ってもいない。時間はあるから考えて欲しい。それに、俺は所詮、下っ端だからな。君を欲しいという人物は、いつでも君と話をする用意があると言う。良ければ、その上官と話をしてもらえないだろうか。強制はしないし、損はないと思う。どうだ?」
ゴーダ騎士団領国。領土は小さいのに大国に囲まれながらも侵略を許していない国。クレルモンフェラン大学があり、国籍、人種を問わない人材育成を推奨している国。
単純にその国に対して興味があったのと、敵国の偉いさんと話すことで情報を得られれば、フェリエスの役に立てるかもと思い、私はギニアスさんの上官と会う約束をした。
「良かった。では三日後、エリュトーの時間に合わせて、クロロ公園の東口で待っていて欲しい」
ゴーダ騎士団領国諜報員は、そう言って安堵の笑みを浮かべたのだった。
-Féliwce & Emiri-
フェリエスが私を執務室に呼んでいると、侍女が伝えに来た。
これまで、用がある時は彼のほうから来てくれたのに、クリスティンさんが来てからというもの、明らかに私に対する対応が変わった。それはクロエちゃんにも分かるらしく、お兄さんと同じく優しい彼女は、不安と心配で染めた瞳を私に向けてくれる。
「エミリ、入ります」
こういう儀礼的な事をしないといけないのも、私としてはつらいのです。
執務室にはフェリエス一人だけだった。安堵する私に、彼は青い瞳を向ける。そこには、二人きりだというのに、優しさが宿っていない。
「ハザルから報告を受けたが、お前はこの三兵制度を導入しろと言う。何故だ?」
三兵制度とは、歩兵、弓兵、魔導士を一組として運用するもので、これまでのように兵科ごとに分けて運用するのではなく、三兵一式で一組とし、これを小隊、中隊、大隊単位に至るまで徹底しようというもの。攻防一体の編成を目的としていて、今まで以上に汎用性が高いと思ったから。
以上のような事を説明すると、フェリエスはしばらく腕を組んで黙り込んだ。
「魔導士の数が足りん。お前の考えだと、魔導士は今の十倍も雇わねばならぬ。予算の問題がある」
「何も全軍でこれをしなくてもいいと思うの。まず試験的に一個大隊だけでもしてみない?」
一個大隊で三〇〇人です。六〇人編成の中隊が五つで一個大隊なのです。ちなみに、三〇人編成の小隊が二つで一個中隊です。
連隊とは、これらの隊が複数合流している状態です。
「そうか。つまり、運用具合を試した結果、本格的に導入を進めるか考えるのだな?」
「そう。今はあくまでも机上に過ぎない考えだから。実際に効果を見て、その費用対効果で考えるべきだと思う」
「なるほど。だが、エミリ。魔導士は貴重な存在だ。いざ導入を進めたところで、集まらぬ可能性もあるぞ」
魔法を使える人を魔導士と呼ぶのですが、誰でもなれるわけではありません。魔導士の血と呼ばれる特殊な血液型を持つ人だけが訓練の結果、魔法を使える魔導士になれるのです。
「それについては、オーギュストさんとも話をしたの。大公領の教育改革の一環として、魔法に特化した研究を行う学部をもつ大学を考えています。マルセイユ、ストラブール、ペジテの都市開発は今年度中に予算を吐き出しているから、来年度予算で計上すれば、五年後に開校できるんじゃないかな。実際に魔導士を自前で育てられるのは、十年以上も先の話だけど」
フェリエスは、今年度の財務諸表の書類を棚から引っ張り出し、それを眺めながら私に座るよう指示した。
私がソファに座ると、その隣に彼が座る。
ああ……、ひさしぶりに近い。
顔が真っ赤になってしまうのです。
「十年も待てない。今年度中に着手しろ。予算はここを削れ」
「ええ? でもまだ効果は分からないよ」
「どちらにしても魔導士は欲しい。今は一個中隊程度の魔導士をなんとか回して使っている状態だ。これでは戦略に幅を持てない。すぐに着手しろ。それと」
彼は財務諸表の書類を机に放り投げると、私をぐっと抱き寄せた。
な……ななななな!!
「オーギュストが俺のところに来た。お前、嫉妬してるらしいな」
オレンジ頭は姐さんに怒られるのが嫌だからすぐに行動したのね?
「それで、この前の模擬戦か? 相変わらずだなエミリ」
ああ、呆れた顔も素敵。
「俺がここのところ、クリスティンの相手をしているのは、完全にあの王女を油断させる為だとわからんか?」
男の人の悪いところ。それは説明なくして「わかってくれ」と言ってくるところです。
わかるわけねーだろ! 私は超能力者じゃなーい!
「あのさ、フェリエス。わかってあげたいけど、ちゃんと説明が必要なこともあるんだよ? 逆に私が、知らない男の人と仲良くしてたら、フェリエスはどう思う?」
「ふむ、なるほど」
ようやく理解してくれたようです。
安心、安心。
「わかった、エミリ。これからはクリスティンの寝室に行く時は事前に言ってから行くようにする。約束しよう」
そうそう、事前にちゃんと言ってくれたら私だって……。
……。
私は言われた意味を理解した。
考えるより早く、大公殿下から離れる。
「どうした?」
どうした? じゃないよ。あなたは今、私にどれだけひどい事を言ったかわかってるの?
私はフェリエスの声を無視して大公執務室から出る。廊下を足早に歩いていたのは最初だけで、すれ違う人達が驚くほどの荒々しさで走っていた。
「エミリ! 走るな!」
オーギュストさんの怒鳴り声が聞こえた。でも私はそれを無視して公爵邸の玄関から庭に飛び出る。
馬鹿! バカバカバカバカ! フェリエスの馬鹿!
「バカー!!」
走りながら私は叫んでいたのだった。




