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-Alfred Shyster-
アルメニア王国歴三四七年をあと数日後に控えた日の出来事であると、手元の本には記してある。
この日、フィリプ三世は美女達を侍らして王宮の庭園を散歩していたらしいが、その時、美女達のなかに暗殺者が紛れ込んでいて、国王は周囲の女性達を盾に使って難を逃れ、暗殺者の女性は護衛の騎士によって殺された。
この暗殺者であった美女を、王の後宮に推薦したのはラネー公爵であったから、ラネー公は潔白を主張するべく女の身元を再調査した。この時、王は問答無用でラネー公に死罪を申しつけようとしたが、周囲に止められたそうだ。カミュルを始めとする重鎮達は、王の軽挙を諌め、ラネー公の調査を待とうと説得した。おそらく、彼らはラネー公がこのようなことをする人物ではないという確信があったに違いない。
ラネー公の再調査の結果、女はゴーダ騎士団領国の諜報員で、ラネー公領の子爵家の娘になりかわっていたという結果が出た。この娘の両親も別人となっていて、いや、周囲の臣下達までも皆がゴーダ騎士団の諜報員に入れ替わっていたことが判明したのである。
フィリプ三世の色魔ぶりは周辺国には知れ渡っている。
ゴーダ騎士団領国は、アルメニア王の色狂いを利用した暗殺計画を進めていたのだ。これがもし成功していれば、歴史は大きく変わっていたに違いない。
時を同じくして、王国の北と南では敵国と激しく剣をぶつけ合うのが忙しく、王国東部は誤解を恐れず言えば、捨て置かれた状況となった。逆にいえば、それだけ東部は逼迫していなかったといえるだろう。なぜなら、これまで王国東部を散々に悩ませてきた敵性国家二国が、長年温めてきた友好を捨て、刃を交えていたからだ。
だが、それでも完全に穏やかな日々とはいかないのは、この戦乱の時代であれば仕方がないことではないだろうか。
国王が暗殺者に襲われたと時を同じくして、大公領モリエロ州にイスベリア王国の軍隊が侵入した。
これは完全に復讐戦であったが、元を正せば国境を越えて侵略を始めたのはイスベリアであるとフェリエスは笑ったに違いない。しかし、攻め込むイスベリア軍は大真面目だった。
「我がイスベリアは長年、アルメニアによって虐げられてきた。その最たるものがモリエロ州で、この豊かな土地はもともと、千年前は我が国の領土であった。アルメニアにとっては一州に過ぎないだろうが、この土地は我々イスベリアにとって失われた宝石にも等しい価値がある。これを奪った者から返してもらうために戦うのは、当然の事だ」
彼らはこういきまいたと記録に残っている。
完全なこじつけであるが、イスベリア国民の反アルメニア感情もこれを後押しする格好で、国家という箍がはずれ、暴走に近い行動を取るイスベリア王家。彼らも所詮は人間で、民から慕われる王になりたいと考えていたのかもしれない。ちょうどこの頃、先代国王が引退し、新国王が国権を握ったばかりであったから、国内にその権威を示すという意味があったのではないかと僕は思う。でなければ、このイスベリアの軍事行動は目的が曖昧すぎるのだ。都市国家連合の支援があるとはいえ、あまりにも無謀な行動であるのも付け加えておこう。
フェリエス大公はこの時、周辺諸侯に協力ではなく、参集を命じた。
これはとても大きな意味を持つ。協力要請と参集では天と地ほどの開きがあるのだ。そしてその参集に、諸侯が欠ける事なく応じた事実をもって、フェリエス大公を中心とした、王国東部諸侯の勢力が形成されていたと断定する事が出来る。
どうやら大公は、ロゼニア王国と神聖スーザ帝国が争っている間に、周辺諸侯をまとめあげたようだ。『大公記三巻』によれば、軍務卿と家老補佐を隣国に派遣し帝国と戦わせながら、領政では屯田制と、領内の関税撤廃を推し進め、それを周辺諸侯領へと伝播させたとある。
ここだ。この伝播という表現の裏に、彼の動きが隠されているのだ。
彼は、自領の制度を周辺諸侯に認めさせた。つまりこれは、諸侯より上に立っている証拠である。屈服させたのか、懐柔したのか、それとも諸侯から望んでそうなったのかは確かめる術はないが、どうであれ結果は同じだ。
大公は大陸歴三四六年暮れに発生したこの戦闘に、一万人の大軍を率いている。
内訳は以下の通り。
フェリエス・ベロア・ベルーズド公爵軍四千。
ビクトル・リザラズ・ブランシェル伯爵軍八百。
アリスア・フェロン・バルボラ伯爵軍六百。
ブラケ・ガス・グリュール伯爵軍七百。
シモーネ・インザギ・ジストア伯爵軍九百。
アレフレッド・ファルヴァシル・ミラ伯爵軍五百。
ここに戦闘には参加しない、輜重隊であるとか、伝令、斥候、衛生兵、軍医などを加えて、約一万二百人という大軍であった。
後に大公軍と呼ばれる軍を構成する諸侯が揃い、大公旗の下で戦った始めての戦闘として『大公記』には記されている。
『大公旗が風にはためき、それに続くように五つの伯爵家が旗を連ねた。その威容は壮大かつ冷厳で、対峙したイスベリア軍兵士は震えながら隊列を組む程であった』
誇張がある。なぜなら、イスベリア軍と大公軍は対峙していない。それは大公軍の家老補佐エミリ・ホリカワの作戦によって、そうはなっていなかったはずなのだ。
-Féliwce & Emiri-
「ようし、逃げるぞ!」
「閣下、せめて撤退か後退という言葉をお選びください!」
「意味は一緒だろうが!」
ハザルは部下に一瞥をくれると、片目を馬の進行方向へと向けた。
大公軍騎兵三百は、無謀にもイスベリア軍一万に正面から挑み、今まさに逃げる格好となった。彼らは弩をイスベリア軍に射かけると、大軍相手に突っ込むそぶりと見せたが、イスベリア軍の軍容は厚く、たまらず後退しようというのである。
イスベリア軍は軍列を整え、前衛へと後衛から人員を送り、騎兵に前進を命じて憎たらしい大公軍騎兵連隊の尻を追いかけたが、逃げながら弩を放つハザルの騎兵に、イスベリア騎兵は速度を落とす。しかし、これをおちょくるかのようにハザルは騎兵連隊を反転させ、驚く敵を無視して突っ込むとイスベリア騎兵連隊の側面に、半円を描く動きで突撃を敢行し、突き崩す。
即断即決のハザルによって、イスベリア騎兵指揮官は後手にまわった。
イスベリア軍中でこれを見た、ボアル・ボラ将軍は部下を叱咤し、騎兵を救うべく前進を命じる。
「あのようなふざけた真似を許すな!」
指揮官の怒声に歩兵達は速度をあげるも、馬に追いつけるはずもない。味方の騎兵を収容し立ち止まろうとしたその鼻先へ、大公軍騎兵連隊は弩の装填を終えた者から狙いをつけずにただ撃った。
止まっていた大軍へと矢を撃てば、それは必ず誰かにあたる。その悲鳴が、兵達の動揺を生み、隊列は乱れた。
地団太を踏んで怒ったボアル・ボア将軍。
こういう感情のみで軍を指揮する男が、将軍職に就いている時点でイスベリアには人がいないという証拠であった。いや、彼も相手がアルメニア人でなければ、まだマシな戦いができたかもしれない。
ボアル・ボア将軍は全軍に前進を厳命し、後方に温存していた騎兵にもすぐに出て追えと命じた。この大号令のもと、イスベリア軍は巨大なうねりとなって追撃を始める。ここにもし、夏におこなわれたモリエロ州侵攻戦に参加していた兵士がいれば、既視感を覚えただろう。
追い疲れ、息を荒げて立ち止る兵士達。
その中にあって右往左往するイスベリア軍騎兵。
弓兵も魔導士も隊列が乱れ、息が乱れて隣の兵士の顔を見ると部隊がばらばらになっていることに気付いた。
イスベリア人達がアルメニア人を追うのを諦め、粛々と軍容の再編に取りかかろうとした瞬間、四方八方から矢が浴びせられた。
大公軍本営にあって、フェリエスの隣で笑みを浮かべたジェローム。
夏の戦闘で彼が実践した作戦を、より大きな規模で、さらに包囲戦に仕立てた黒髪の少女に白旗をあげる。
「殿下、絶妙の呼吸ですな」
ジェロームの言葉に、フェリエスは頬を弛めた。その視線の先には、朱色の甲冑を着た少女が、伝令に忙しく指示を与えている姿がある。
「左翼! もっと絞って! ミラ伯爵の軍と連動して!」
「ブランシェル伯爵のとこが薄い! ハザルさんを向かわせて!」
エミリが声を発する度に、伝令が忙しく馬に駆け乗り離れて行く。それと入れ替わるように、斥候が次々と彼女に戦況をもたらす。
フェリエスは的確な少女の指示に息を吐き出し、まるで自分の分身を見るかのように目を見張った。いや、それは彼女に失礼だと思い、小さくかぶりを振る。
エミリは、斥候の報告に黒髪を揺らすと、愛馬に駆け寄りながら声を発した。
「ちょっと見て来る!」
「待て! エミリ!」
フェリエスが床几から腰を浮かした時には、黒髪の少女は斥候と伝令を引き連れ、本営を飛び出していたのだった。
本営から離れた前線で、ハザルは騎兵をまとめながら隣接するブランシェル伯爵軍の援護に追われた。それにしても、自軍の集結地点に敵をおびき寄せようとは、誰が考え付くだろう。各個撃破の危険性はあるが、それをさせないためにエミリは、いくつもの虚報をイスベリア軍に掴ませた。
「大公は諸侯に参集を命じたが、諸侯はこれに反発。結局は大公軍のみが防衛にあたる」
「諸侯の軍はすでに大公に合流。ペジエからまっすぐ、南下している」
「いや大公軍のみ南下している。諸侯の軍はペジエに留まっている」
「いやいや、大公軍南下すら誤報だ。大公はイスベリア軍をペジエで迎え撃つ算段である」
この他にも多くの情報が入り乱れ、真実を知っているハザルでさえ「はて、大公軍は結局、どこにいるのだ?」と首を捻るほどだった。結局、目の前に現れた騎兵連隊に執着したのは、イスベリア軍が情報を信じられず混乱していたからだろう。
捕まえて吐かせれば早いと、イスベリア軍指揮官が考えるのも無理はなかった。そこには、同情すら感じる。
ハザルは血で濡れて使い物にならなくなった長槍を投げ捨てると、長剣を抜き放ち迫るイスベリア軍歩兵を一刀のもとに切り捨てた。その膂力は鎖帷子と甲冑を紙のように裂き、敵兵の身体を二つに裂いて大地へ転がす。
「死にたい奴から向かって来い!」
ハザルの進む先々で、イスベリア人達の悲鳴が連続的に発生し、それに鼓舞された大公軍騎兵連隊は、巨大な獣のように敵兵を飲み込み、噛み砕いた。
「閣下! エミリどのが!」
部下の信じがたい言葉に視線を彷徨わせたハザルは、大公軍前線でちょろちょろと動く朱色の甲冑を見つけた。
「あの馬鹿!」
ハザルは片目を細めて剣を振るい、敵兵から放たれた矢を無造作に払い落した。
「姫君がお見えだ! 奮え者ども!」
ハザルが剣先を前方に向けて馬を駆ける。それに三〇〇の騎兵が咆哮をあげて続き、イスベリア軍を蹂躙した。右に左に白刃を振るう隻眼の武人は、軍を率いながら個の武を誇る離れ業をやって見せると、大公軍前衛に襲いかかるイスベリア軍の側面に突入する。
ハザルは敵兵をなぎ倒しながら、エミリが前線に出て来た理由を悟った。それは、前へと遮二無二突き進むイスベリア軍の攻勢に、大公軍前衛が苦戦をしていたからだ。イスベリア人達は、自らの生命のために指揮系統も何も無視して、左右からの挟撃から逃れるように、前へと活路を見出し逃げているのである。
「くそ、完璧すぎたか!」
隻眼の武人が騎兵を引き連れイスベリア軍中から駆け抜けたと同時に、大公軍前衛が弩を斉射した。さらに魔法による攻撃が続き、イスベリア軍は矢を浴びながら爆炎に身を焦がされた。
「歩兵! 前に出て! 弩兵はすぐに装填!」
エミリの絶叫がハザルまで届く。彼は、兵士達の気合いが入った声に振り返った。。
「諸侯の軍が完全に包囲している。ここからだとグリュール伯が近い。伝令を飛ばし、包囲を解くように伝えろ!」
彼の指示はすぐに実行に移された。
隻眼の武人は、騎兵を再びイスベリア軍中へと突入させる。エミリがそれに合わせるかのように兵を退いた。ハザルはその一瞬を視界の端に捉え、声を出さずにはいられなかった。。
「どこで覚えた!?」
彼はまさか、ロゼニアで自分の指揮を見てエミリが学んだとは思わない。
完璧に騎兵連隊と連動した大公軍前衛は軍容を立て直し、盾と長槍、弩を並べて、ハザル達が駆け抜けた後のイスベリア軍とぶつかった。
散々に撃ち破られ、魔法と矢で戦力を削り取られたイスベリア軍は、この地獄から逃れようともがくうちに、一つの方向へと集中を転じた。それはハザルからの伝令を受け取り、包囲を解いたグリュール伯爵軍の方向であった。
イスベリア軍は夏に続いて、またしても潰走したのだった。
後に、軍史書においても紹介されるようになるエミリの作戦は、後半の苦戦、潰走する敵の圧力が前方へと向けられた事が原因とされるものを除けば、ほぼ完璧に実行された。
この戦い以降、アルメニア王国東部において、エミリは戦乙女と呼ばれ、敬われるようになっていくのである。
-Féliwce & Emiri-
ガチで忙しい!
私は執務机に突っ伏したんす。
たくさんの書類と格闘しながら、いろんな人と打ち合わせをし、フェリエスのサインをもらう。さらにその合間に、周辺国への対応を考え、王国中央への工作を指示して、アレクシお爺ちゃんとそれについて相談したり、軍用犬達の散歩までこなす私。
フェリエスといちゃつく時間、ねぇじゃん!
イスベリア軍を敗走させ、戦後処理を終えた私達はストラブールに帰ってきていた。そこには、留守にしていた間に溜まった仕事が待っていたのです。
うえーん。残業手当すらない環境でこれはないよぉ……。日本なら間違いなく、ベロア家というかベルーズド公爵府はブラック企業ですよ!
フェリエスの執務室の隣が私の仕事部屋なんだけど、隣の部屋に遊びに行く余裕すらないっす。
ええと? リュクシ・ファルザさんという人が経営する商会からストラブールに本店を移したいという内容の手紙が届いてる? はいOK! サインしちゃお。……ちゃんと考えてますよ。商人さんが集まるのは良い事です。お金と情報が集まるんだからね! それにしても関税撤廃をしてからというもの、ロゼニアや帝国東部の商人達の流入が止まらない。皆、高い税金に苦しんでいたんだねぇ。日本国民と一緒だな。そういや、消費税てあがった? 私、こっちの世界に飛ばされてきたから、分からないんです。
「エミリちゃん、お茶ぁ!」
クロエちゃんがお盆を抱えて部屋にやって来た。彼女はストラブールの学院に通いながら、空いた時間で私の仕事を手伝ってくれている。
「ありがとー。いつもごめんね! 次は私が淹れるからね」
「ふふふ、メリルさんのレクチャーの時間がそろそろだよ。休憩して行っておいでよ」
そうでした……。
家老補佐となっても、女としての嗜みが出来ていない私は、みっちりと侍女長であるおっぱいお化けのレクチャーを受けているのです。今日は確か、楽器演奏か……リコーダーなら吹けるけどね。
紅茶を啜っている私に、クロエちゃんがおずおずと手紙を差し出す。それの封筒を見ると、宛名はクロエちゃんで、差出人は書かれていない。蝋で封された箇所が切られているのは、クロエちゃんが既に中を読んだ証拠だった。
「どしたの?」
「ふふ、エミリちゃん。ちょっとこれ呼んで、意見を聞かせて」
私は手紙を受け取ると、便箋を丁寧に広げて目を通した。
これは! ラブレターじゃんよぉ!
「恋文っていうの? 私、初めてもらったの。どうしたらいいんだろ?」
初めて? そんなかーいぃ顔して初めて? 日本の高校に、クロエちゃんみたいな女の子がいたら、間違いなく逆ハーレム状態になってるよ。
「あなたの笑顔を見る度に、僕は胸が苦しくなります……うわぁ……」
「ちょっと、声に出して読むのやめて!」
「いひひひ……で、相手は分かってるの?」
クロエちゃんは首を左右に振るも、すぐに思い出したかのように目を見張った。
「これ、学院の机に入ってたの……。だから、学院の生徒の誰かだと思う」
ふんふん。同じ学科の生徒かなぁ? 日本の高校と違って、単位制だからね……年齢は上下二歳くらいの差があるかも……えっと、クロエちゃんは私より一つ下だから、十五歳か……?
「ねえ、明日、新年の月の一日だよね」
「そうだよ。どうしたのエミリちゃん?」
私はとっても重要な一日を思い出しました!
「明日、私の誕生日だ!」
思わず椅子から立ち上がった私。それを見てクロエちゃんが手をパチパチと叩いてくれる。
「えっと十七歳? エミリちゃん、私とそんな違わないのに凄いよね。こんな難しそうなお仕事してるんだもん」
もっと褒めて! 私は褒められて伸びる子!
正月に生まれた私。生まれた時からめでたい奴だとクソ兄貴に言われていました。お年玉と誕生日プレゼントを一緒にされて悔しかった……。ひどい時なんてクリスマスプレゼントもまとめられて……。
「明日は絶対に休む! そしてクロエちゃんと遊ぶ」
「ええ!? 大丈夫?」
「だいたい、新年の初日ってのに仕事をするのがおかしいのだ!」
「俺達は領民の税金を使って仕事をしている。人より働くのが当たり前だ」
その声で視線を転じると、ドアを開けたオーギュストさんを見つけた。
ノックくらいしてよ……。
「真面目に働いているかと思って来てみたらサボっているとは……エミリ、お前はもうただの護衛じゃないんだぞ」
ムカつく!
「違います。私がお茶に誘っただけです」
クロエちゃんが私の代わりに抗議してくれたのを無視したオレンジ頭は、書類の束をどすんと私の執務机に置いた。その視線がクロエちゃん宛ての手紙に注がれる。
「これはなんだ? ええと……」
慌てて手紙をかき抱いたクロエちゃんに、オレンジ頭が頬を弛める。
「ほお、ジェローム卿に鳩を飛ばそう。ついに妹君にお相手が出来たと」
「ダメー! まだできたわけじゃないもん! オーギュストさん、意地悪!」
あの短時間で内容を確認するとは……侮れないな、この男。
「ねえ、オーギュストさん。明日の新年祭中にクロロ公園の果樹園に来てって手紙には書いてあるんだけどさ。一緒に行ってもいい?」
私が両手を顔のまえで重ねると、彼は不思議そうな顔をする。
「それは何の真似だ?」
「お願いポーズです」
オレンジ頭は大きな溜め息を吐き出した。それは思いっきり、私を馬鹿にしたものです。
「お前な。ここにある書類を見てみろ。これはお前が採決しなければ進まないものばかりだ。つまり、お前は井戸の許可とか、農業用水路の開発許可とか、下水道の施工許可よりも、友達に恋文を送ってきた男に興味があるというわけか?」
ひ……卑怯だぁ。そんな言い方ってないじゃん。
「うぅ……。じゃあ、これを片づけたら行ってもいい?」
「無論だ」
オレンジ頭は、大きく首を縦に振った。
それからしばらく、私とクロエちゃんは書類作業に追われた。ていうか、これを全てオレンジ頭は一人でやってたの? 公爵府のオレンジ頭は化け物だって周辺諸侯の方々に言われていたけど、その意味がわかりました。それにしても、なんだかんだとオーギュストさんも優しい。私の為に、書類に解説をつけてくれているのだ。
『農業用水路は、春までに完工する必要があるから、緊急度が高い。完璧な図面が出来上がるのを待つよりも、許可を出し着工を早めておいたほうが良いだろう。どうせ修正が入るものだ。それと、予算や工程など天候ありきだ。大枠が決まっておればいい』
『グリュンベルグとカサドラ間の街道は急ぐ必要はない。ただ、今後、ゴーダ騎士団領国へ出兵がある場合、この街道の有無で物資運搬速度と量が大きく変わる事を覚えておけ』
『マルセイユでの学校増設は緊急ではないが、必須だ。人材を育てるのは時間がかかるものだ。着手が早ければ早いほど良いが、今、どうしてもなければならないというわけではない』
『公営くじは時期尚早だ。確かに王都では大きな税収となっているが、王都とベルーズドでは貨幣の浸透度が違う』
オーギュストさんの手書きコメントを読みながら、書類を睨む私と、分類ごとに仕分けをしてくれるクロエちゃん。
私の仕事は夕食時も続き、食事をしながら書類と戦う。アレクシお爺ちゃんや、フェリエスは目を点にして私を見ている。
そしてようやく終わりが見えてきたのは、寝室に移動した辺りだった。
「まだ終わらんのか?」
フェリエスがソファに座り、水を飲んでいる。私は歯を磨きながら、羽根ペンを走らせる。塩と薬草で作られた歯磨き粉を口からこぼしながら書類と格闘する私を見て、大公殿下が我慢できないと口を開けて笑い始めた。
「ひぉっほ! ふぃろいほお!」
「はっはっは、すまん。いや、我慢していたんだが……ふふふ、あははは」
お腹を抱えて笑い転げるフェリエス。
私は最後の書類に『不可』と書き、急いで洗面室に走り込んだ。口と顔を洗って、何か動物の毛で作られた歯ブラシを置き、寝室に怒った顔を作って戻る。そこには、大きなベッドの上で足をばたつかせるフェリエスがいた。
ふふふ……子供みたい。
「フェリエス、なんか変わったよねぇ」
鏡の前に立ち、髪を結いあげながら口を開くと、大公殿下はようやく笑うのをやめた。
「そうか? ……そういえば、こんなに笑ったのは久しぶりだな」
真面目くさって言ったかと思うと、思い出したように笑い始める。彼は拗ねた顔を作った私に、笑顔のまま両手を広げた。猫のようにその腕の中に飛び込むとひっくり返る私。
「メリルが言ってたぞ。笛は筋が良いらしいな」
「笛も、だよ」
フェリエスが私の首を撫でる。くすぐったいけどこうされるのが好きだ。
「ねえ、そろそろクリスティンさん、ベルーズドに到着するんじゃない? 出迎えに行かなきゃダメだよ」
彼は意外そうに目を輝かせると、私の唇を指で触れた。
「なんだ? 出迎えに行くなと言うかと思っていたのに」
「私の大事な人をかっさらっていかれないし、人質として来る可哀想な立場になっちゃったからね。私のせいで……はむ」
「八重歯が可愛いな」
フェリエスの指を噛んだ私に、超絶美男子が顔を近づけてきた。この澄んだ空のような瞳に見つめられる幸せを、私は一人占めしてるのだ。その幸福感に震えた私を、大公殿下が抱き寄せてくれた。
「ここのところ政務が忙しくて会えなかったからな。明日はゆっくりできる。一緒に新年祭を見物に行くか?」
「うん……ああ!」
彼の耳元で声を張り上げたせいで、フェリエスは驚いてのけぞった。
「ごめんなさーい。明日はクロエちゃんに恋文を出してきた人がどんなか確かめに行くの。クロエちゃん、一人で会うの不安だって言うから」
「クロエに? うーむ」
目を丸くして驚いていた大公殿下は、私の言葉に腕組みをして考えはじめる。
えっと……、何かまずい事を言ってしまったかな?
そういえば、クロエちゃんて伯爵位を持っていたほどの家柄のお嬢様なんだよね。最近は私のせいで随分と言葉使いが荒くなったとアレクシお爺ちゃんに小言を言われてるけど、れっきとした貴族、諸侯のお姫様なんだ。
「エミリ。俺はお前を大事に思っている。いや、愛している」
な、ななななな、何をいきなり真面目な顔して言ってんの? 分かってるよ、そんな事はぁ。
もっと言って!
「その俺が言う資格はないのだが、クロエはブロー家令嬢だ。相手の男がどんな男か知らぬが、彼女に相応しいか否かを決めるのは、クロエではなくジェロームだ。わかるか?」
ええ、私みたいなどこの馬の骨かも分からない女の子を愛していると言ってくれたフェリエス、大好き!
「違う。抱きつくな。後でいくらでも抱いてやる。今はクロエのことだ」
はうぅ……。
?
ちょっと、今、かなり照れるような事をさらっと言ったね。もう、駄目だよ。私の喜ぶポイントばかり言うなんて!
相変わらず甘える私に、フェリエスは苦笑しながらあやしてくれる。
「しゃんとしろ。クロエの事を話しているのだろ?」
「ふぁい……はいぃ」
寝台の上に正座した私。
「クロエが仮にその男を気に入ったとして、ジェロームがそれを許さなければ、結局、傷つくのはクロエだ。くそ、こんな事なら市中の学院などに通わせねば良かった。エミリがせがむからだぞ」
うぅ、そうです。クロエちゃんが学院に行きたいっていうから、フェリエスに頼み込んだのは私なのです。
「でも、ジェロームさんは優しいから、きっとクロエちゃんが嫌がるような事はしないと思うな」
「エミリ、ジェロームとて一家の長だ。ブロー家をこれから立て直していくにあたり、クロエは非常に意味があるのだ」
私はフェリエスの言葉の意味がすぐに分かりました。
「政略結婚させるっての?」
無言が、私の言葉を肯定していた。
「そんな……。クロエちゃん、お父さんまであんな目にあって、家も取られて……でも私なんかにとっても優しくて素敵な女の子なのに。ひどいよ! フェリエスの馬鹿」
「ば……俺はまだ何もしてない。だいたい、クロエをどうするかなど俺は決められん。全てはジェロームが決める事だ。今はこの屋敷で預かっているにすぎぬだけだ」
「ねえ、フェリエスからジェロームさんに言ってあげてよぉ。クロエちゃんを政略の道具にはしないでくれって」
金色の髪を揺らした彼。首を左右に振ったフェリエスに私は背を向けた。
「拗ねるなよ……」
背後から抱きしめられる。
「明日、こっそり俺も見に行こう。そのクロエの相手とやらがどんな男か確かめ、間違いないようであればジェロームにそれとなく伝えるくらいは出来る。だが、決して二人は添い遂げる事は出来んと思うぞ。麻疹のような恋でも良いなら、ジェロームもそうは言うまい」
「……分かった。それで手を打つ」
フェリエスの手が、私のお腹を撫でる。腹筋フェチ?
「じゃあ、明日、クロエちゃんと出かけてくるよ。フェリエスはこっそりとついて来てね」
クロエちゃん、相手の人が大した事ない人だったらいいのに。そうしたら、悲しむ事もないのにな。ううん。私って、なんて失礼な事を考えてしまったんだろう。
クロエちゃんの相手の人、良い人だったらいいね。
-Féliwce & Emiri-
新年祭に賑わうクロロ公園の中で、私とクロエちゃんは神妙な顔で歩いています。
てか、後ろをついて来るフェリエス、怪しすぎ。何? その変装……それは変装じゃなくて、不審人物じゃん。頭までずっぽし被ったフードで顔を隠しているつもりなんだろうけど、逆に人の視線が集まってるよ……。
あ……警備の兵隊さんに呼びとめられた……。
「クロエちゃん、ごめん。ちょっと助けに行ってくる」
「わあ……、大公殿下まであんな事に……。どうしよ」
「いいよ、大丈夫。フェリエスなら笑ってくれてるよ」
笑ってなかった。
「俺を不審者と間違うとはどういうつもりだ?」
「殿下……いえ、気がつきませんでした」
兵隊さんを睨みつけるフェリエスを宥め、「フェリエスの変装が下手」と断じた私は、へこんだ大公殿下を連れてクロエちゃんのいた場所に振り返る。
ああ、なんか真面目そうな好青年に話しかけられてるじゃん!
「あいつか」
「駄目。顔を隠して!」
「エミリ、お前は駄目と言ったり、しろと言ったりどっちだ?」
文句を言うフェリエスに、無理やりフードを被せた私。隠れた顔がとっても不機嫌である事を想像しながら、クロエちゃんを見守った。
可愛らしいなぁ……。あれが女の子ですよ。あの恥じらう顔なんてもう最高だよ!
……てか、フェリエス! なんで近寄ってっちゃうの?
もじもじと初々しい二人に、フードで顔を隠した不審者が近づく。当然、二人に気付かれました。クロエちゃんは知っているとしても、好青年はフード男が誰なのか知らない。だから彼は、クロエちゃんを守るように立つ。
「ダミアン、俺だ」
フェリエスの言葉に、好青年は棒立ちとなる。クロエちゃんが二人を交互に眺める。私は急いで駆け寄った。
「フェリエス、知り合い?」
「ああ、こいつはバレ商会会長の息子だ。俺の屋敷にもよく出入りしている」
フェリエスはフードを少しだけもちあげ、好青年に顔を見せた。
「で……殿下」
ダミアン君はとっても慌てていたのでした。
-Féliwce & Emiri-
四人でクロロ公園の外に設置されたオープンカフェに入る。これも公爵府の許可がいるんだよねぇ。路上を占有する事になるから、座席数とか営業時間などを書いた申請書が必要……そして利益の一割を使用料として頂くのです。ああ、仕事を忘れるためにこうしているのに、仕事を考えているのはなぜ?
この場所でただ一人、慣れない人がいます。
フェリエス……お金を先に払うんだよ。あとチップもね。ああ、いいよ。私が出しときます……。
お財布が軽くなった。
「ダミアン、お父上はお元気か?」
「はい。商売繁盛です」
「それは何よりだ。お主たち商人が元気を出してくれると、自然と俺も助かる。困った事があればいつでも言ってくるよう、お父上に伝えてくれ」
ダミアン・バレ。私より二つ上の十九歳……。あ、今日が誕生日でした。えっと、話すタイミングがない。
ダミアン君の家は古くからストラスブールを中心に、貿易業を営んできた商会を代表するお家で、フェリエスとはそういう理由で仲良くしているみたい。
「クロエはブロー家令嬢だ。兄のジェロームの許しなくては、さすがに俺もお前との交際を認めるわけにはいかん。一度、挨拶に行くといい。ペジエにいる」
身元がはっきりとしている事で、フェリエスもなんだか二人に親切だ。頬を染めたクロエちゃん、可愛い。惚れたんだね? 分かるよ。とっても優しそうな雰囲気を身体全体から醸し出してるもん。
「それが……、実はクロエさんにもこれから話そうと思っていた事がありまして」
ダミアン君の顔が曇る。
クロエちゃんが不安げに瞳を揺らし、私に助けを求めるように視線を送ってきたけど、まずは彼の話を聞こうよ。
「殿下、じつはクレルモンフェラン大学から入学許可を頂いたのです」
フェリエスとクロエちゃんが同時に固まった。
大学? クレルモンフェランてどこだっけ? あ、メモを持ってきてない。
大公殿下とブロー家令嬢を交互に見る私。
教えてくれーい!
「クレルモンフェラン大学とは、このユーロ大陸で最も権威ある大学だ。王都にあるフォンテンブロー大学よりも上だ。問題はだな、その大学がある場所だ」
フェリエスが紅茶で喉を湿らす。
「エミリちゃん、クレルモンフェランはゴーダ騎士団領国の首都なの」
!
思い出した!
私は手をパチンと叩いた。
確か、アルメニアと戦争してたよね。いえ、ふっかけたのはアルメニアですが、戦争をしていたのは間違いない。ええとつまり、仲良くない国の大学にこのダミアン君は行くという事? ていうか、クレルモンフェラン大学もよく入学許可を出したね。
「あの大学は人種、国籍を問わない。敵ながら見事だと思うのは、国が大学の方針を認め、干渉しておらぬ点だ。だからこそ、あの大学は最も偉大で、様々な分野で成功を収めているのだろう。ところで、どの学部に入るのだ?」
フェリエスの言葉に、ダミアン君が頭をかいた。
「医学部です。ああ、家は弟が継ぐ事になると思います。僕は父とは違う職業で成功したいと思っています」
「いつ行くのですか?」
クロエちゃんが、沈んだ声でダミアン君に尋ねる。そりゃそうだ。彼氏が出来た瞬間に、遠くに行くって宣言されたようなもんじゃん。いや、宣言されたんだよ。そう考えると、このダミアンてやつはひどい奴!
「あんたね! クロエちゃんをその気にさせといて、離れた場所に行くっていうわけ? ざっけんな!」
私が立ちあがり、好青年の鼻先にビスケットを突きつけた。いえ、たまたま持っていたので……。
「ああ、すいません。そうですよね、考えてみたらそうなっちゃうんです。僕は、もう会えないかもしれないから、気持ちだけでも伝えたいと思って……自分の事しか考えてなかった。いえ、クロエさんに喜んでもらえるなんて、思ってもいなかったし……」
女の子ってのは、好きだと言われたら嬉しいもんさ! 男だってそうなんじゃないの!?
私が睨みつけると、クロエちゃんが慌てて彼を庇う。
あぁ……、もう! なんていじらしい! いいよ。ここはクロエちゃんに免じて許してやろうじゃないですか!
私も見習おうっと……。
-Féliwce & Emiri-
「ふむ。日本という国は民主制を採用していたのか」
新年祭から帰って、私はフェリエスにお勉強を教えてもらう。今日は政治の勉強で、それについてレクチャーを受けていると、彼が日本のことを聞いてきたのだ。だから、私の知る限りで彼に教えたところ、この世界では絶対にないだろうと思っていた制度の名前が、彼の口から出てきて驚いた。
「うん。民主制って分かるの?」
私の質問にフェリエスは鼻を鳴らした。
「当たり前だ。現在このユーロ大陸でこれを採用している国はない。共和制ならターラザント共和国。ゴーダ騎士団領国にも議会はあるが、共和制ではないし、民主制でもない」
彼は私の隣に椅子を引き寄せ座ると、私が読んでいた勉強用の分厚い書物を取り上げ、目を走らせる。その彼に私は日本の状況を簡単に説明し、フェリエスならどうするか質問する。
「問題になるほど、国の資産を上回る負債額なのか? それとも債券購入者の多くに問題があるのか?」
「うん……よくわからないけど問題だと騒ぐ人が多いよ」
「そのあたりも聞いたうえで判断したいが、単純に負債を軽くしたいのであれば簡単だ。税収内で収まるようにすれば良いだけだ。返済も含めて、配当もあるだろ? それらが収まるように財政を組めばいい。ま、口で言うのは簡単で、それは誰でも言えることだが、民主制はそれをするのが非常に難しい性質を抱えている。だからできないのだと思う。どうしてだと思う?」
「ええと……福祉のように削れない支出が多いからかな」
フェリエスは可笑しそうに笑うと、紅茶を口元に運ぶ。その顔は私の恋人ではなく、為政者の顔になっていた。
「極論をいえば、福祉や教育も削れるのだ。どれだけ大事だと思っていても、物事には優先順位というものがある。今、国家が置かれた状況で、何を大事にするか」
私はこくりと頷いた。
「お前から聞いた限りだが、お前の国はまず社会構造の組み換えと、主要産業の転換を急ぐべきだろうな。人口構成がそこまで歪であるなら、人口増加中の社会構造は国を滅ぼす。それはおそらく、お前の国のような進んでいるだろう国であれば、俺に言われなくとも理解している人間は多いはずだ。しかしできないのは、優先順位をつけることができていない事と、行動に移す勇気のないこと、そして金に群がる亡者が多いということだ。それは国が使う金を当てにしている役人、事業主、民が多いのだ。民主制であるなら、議員もいるな? 彼らを支援するのは人だ。人は組織を作るものだ。そして組織とは、一部を除いて利害で固まるものだ。俺の言っている意味は分かるな?」
思い当たるところがいっぱいありますよ。
「つまりよっぽど潔癖な人間でないかぎり、もしくは断固たる決意と理念を持った政治家でないかぎり、お前の国は救えまいよ。ま、それを選択したのもお前達国民だ。選挙で投票したのであろうからな。投票すらしない奴は論外だ」
「でもさ、選挙の時に嘘をつかれたらどうすることもできないじゃん」
「ははは、その発言はもうすでに、お前の国の民主制は機能していないという証拠ではないか。いいか、エミリ。民主制の肝は、政治家を国民が信じ、国民を政治家が裏切らないという前提にある。それはこの大陸で、民主制が少数派になった理由でもあるがな」
「じゃあ、昔はこの世界にも民主制はあったの?」
フェリエスは頷いた。紅茶の入ったカップを受け皿に置き、脚を組み直した彼は顎を指で撫でた。
「このアルメニアも、昔は民主制だった。今から三四六年前に、初代アルメニア国王であるグラン大王は、民衆に指示され首相になり、傾きかけていた国を立て直した。そして数々の改革を成し遂げ、さらにアルメニアを大きくした後、議会を閉鎖し絶対君主制に移行したのだ」
「それって……」
「誰もが面倒から逃れたいと思ったからこそ、野心のある一人の男に権力が集中したのだ。その結果、独裁者が誕生したのだ」
フェリエスは両手を広げておどけて見せた。
「だが、王制にも良いところはある。国家の意思決定が早く、政策速度が速い。優れた統治者が現れれば、その国家は隆盛を極めるだろう。グラン大王はまさしく名君であられた。だが、国王がクズのような男ならば、国は衰退するだろう。完璧なものなどない。どちらにしても、人がする事だ。逆にいえば、時代ごと、民族ごとに制度というものは変わるべきなのだ。その時の国家状況に合わせて、変化すれば良いのではないか?」
「でもさ、それって相当に難しいよ」
「難しいといって諦めていれば、どんな事も成し遂げることはできない」
私は羽根ペンをインク壺に入れると、メリルさんが淹れてくれた紅茶を飲む。この紅茶の淹れ方も、思考錯誤の賜物だろう。
「で、フェリエスはこの国の王様になって、やっぱり王制を維持するの?」
彼は目を輝かせると、小さく笑った。それは、私の質問に笑ったのではなく、このようなやり取りを楽しんでいるのだと思った。
「民主制とは臣民ではなく、国民となる事だ。実はこれが難しい。与えられた権利など、人は簡単に放棄するからな。民衆が自ら権利を勝ち取らねば、その有難さも分からぬだろう。俺がそれを与えたとして、果たして上手くいくものかな」
かなり回りくどい答えだけど、つまりは王制を維持するってことね。
うーん。日本を離れて、こんなにも日本を心配することになろうとは……。女子高生してた時は、誰かがなんとかするだろう。選挙権もないしーてお気軽だったけどね……。
「エミリ、日本という国が心配か?」
「まあ……ね。お父さんとお母さんもいるし、故郷だしね」
クソ兄貴もいるしね!
「そうか……。日本に帰りたいか?」
……帰りたくないと言えば嘘になる。でも、フェリエスのいない世界に帰ったところで、そこに私の幸せはない。
「帰らないよ。フェリエス言ったじゃん。俺を置いて帰るなって!」
大公殿下は、私を駄目にする笑みを浮かべると、私の手を握り口づけしてくれた。
「お前がどうしても帰りたいなら、俺もついていこう。聞けば日本は最悪な状態らしい。お前と俺で乗っ取るのも一興だ」
ははは、警察に捕まります……。
フェリエスの頭の中を少し理解できたような気がして、こういう会話もたまにはいいかなと思えた。
-Féliwce & Emiri-
私はアレクシお爺ちゃんと向かい合っている。議題は神聖スーザ帝国への謀略と、中央貴族達の結束を壊すこと。
「帝国が東部戦略においてロゼニアに集中しないよう、矛先を分散させる必要があると思うの。お爺ちゃんはその相手はどこがいいと思う?」
ご家老さんは地図を睨んで腕を組んだ。
「帝国の東北部はトラスベリア王国、東はターラザント、東南部は我が国。お前ならどうする?」
「うーん。アルメニアはゴーダ騎士団領国とも仲が悪いよね」
お爺ちゃんが、思いっきり眉をしかめた。
「あやつらは裏切り者じゃからな!」
「どゆこと?」
私は重心を前に移動させた。
ゴーダ騎士団領国と過去に何があったんだろう? それが原因で、アルメニアがあの国を嫌っているのかと思うと、俄然、興味を覚える。ダミアンさんが行く大学がある国だし……。
「アルメニアには昔、近衛騎士団があった。今はないがの」
うんうん、わかるよ。近衛騎士団て聞いたことあるよ。
「アルメニア王家の近衛騎士団が、王家に弓引き国を作った。それがゴーダ騎士団領国じゃ」
「はい? それって完全に裏切りじゃん」
「だから言うたであろうが……。それ以降、アルメニアでは近衛騎士団を持たぬ。騎士制度もなくなった。不吉じゃからのう」
私は考える。近衛騎士団はどうして王家を裏切ったのか……でも、きっとお爺ちゃんに聞いたところで、客観的な説明はしてもらえそうにない。
「じゃあさ、そのゴーダ騎士団領国と仲がいいのはどっち?」
私は地図を指で叩く。ターラザントとトラスベリアの順に指を動かすと、アレクシお爺ちゃんは目を輝かせた。
「なるほど。良い考えじゃ……ふむ。ゴーダ人は両国とも仲が良いが、狙い目はターラザントじゃろうの。トラスベリアはちと手強い。逆に帝国がやり込められて、我が国とトラスベリアが直接、国境を接する事になれば目も当てられんからの」
私はメモをめくりながら考える。
トラスベリア王国は大陸で最も北に位置する国家で、国王と五人の選帝侯と呼ばれる大貴族が国を動かしている。非常に騎兵が強い国としても有名で、『トラスベリアンズランス』とも呼ばれる特殊重装騎兵は、大陸で最も強い兵科と言われている。トラスベリアンズランスか……この国は英語に近い言語なのかな? 名前だけで強そうだな。
確かに、こんな強い国と、あの弱いスーザ人が戦ったら、あっという間にやり込められてしまいそうだ。
一方でターラザント共和国は、常にゴーダ騎士団領国とトラスベリア王国に助けられて生き延びているという有り様。経済的には恵まれているが、それを理由に神聖スーザ帝国に狙われている。これまでは同じスーザ教を国教としている事から、本格的な侵攻対象とはされていないようだけど、そんなものは所詮どうにでもなると私は思った。純粋に信心深い宗教家なんて、ごく一部しかいないというのは、いつの世も一緒です。
「お爺ちゃん、ターラザントにしよう」
「ふむ。さて、どうやって仕掛けるか……」
「帝国とターラザントは、国境地帯のライン河に浮かぶマドリーヌ島の領有で揉めているよね」
「うむ、この島の周辺は、豊かな漁業場じゃからのう」
「その島でターラザント人に魚釣りしてもらお。ターラザント国内の過激活動家に活動資金を出す条件で。きっと大きくなるわ」
「それで動こう。で、貴族共にはどうする?」
アレクシお爺ちゃんが眼鏡を指で直す。
「とりあえず、四割る二になってもらう。先の王位継承でもめた時に、王弟を支持していたモリペレント公爵とアラゴラ公爵は、王弟の北伐派遣に不満を持っているはず。どうして国王が、国政の柱である王弟を北に追いやったか、彼らの推測に証拠を作ってあげれば、喧嘩を始めると思う」
「わかった。手はずしよう。しかし、エミリ。お前、時間は大丈夫か? たしかメリルの稽古が……」
私は家老執務室の壁時計に目をして、目を丸くした。
「あああああ!!」
椅子をけっ飛ばし、お爺ちゃんの部屋から飛び出す私。廊下をばたばたと走り、オーギュストさんに何やら怒鳴られるも無視して走り込んだ部屋には、瞼を閉じて、静かにたたずむおっぱいお化けがいました。
「はあはあ……ごめんなさい。メリルさん。遅れましたぁ」
「いいんですよ。エミリ様。あなたは私との約束を忘れても仕方のないほど、お忙しくお過ごしのようでございますから」
こえぇーよ……。マジギレだよ。
とりあえず、メリルさんの向かいに座り、そこに置かれた楽譜を開く。今日は笛の練習の日だった。
瞼を閉じたままのメリルさん……。私は自主的に笛の練習を始める。ああ、この笛って、フェリエスが子供の頃に使ってたやつだね。小さな刻印がそれを証明しています……。
か……間接キス。 じゅる……。
「エミリ様、音が狂いました」
指揮棒でばちんと机を叩くおっぱいお化け。
楽譜、見なくてもわかるってすごいね。
一通り、演奏を終えたところで、メリルさんに再度、謝罪する私。
フェリエスより、お爺ちゃんより、オレンジ頭より、私にとっては恐い人だ。
メリルさんはすっきりとした鼻筋を上に向けると、閉じていた瞼を開く。
「エミリ、調子乗ってんじゃないわよ」
「はい。調子乗ってました。すません、ごめんなさい」
「殿下がお許しになっても、私が粗相を許しません」
それからみっちり、夕食まで説教をされた私。
ああ、誰かこのおっぱいお化けと結婚してあげて! 寿退社してもらいたいです!




