5
私とお爺ちゃんの思惑通りに事が進み過ぎて恐い。
神聖スーザ帝国は、二万に近い軍勢をロゼニア王国との国境に集めた。これに危機感を抱いたロゼニア女王は、なかば決断を迫られた格好となり、アルメニア王家とフェリエスの元に救援を要請したのだ。
アルメニア王国国王フィリプ三世はこの時、北のコーレイト王国、南の都市国家連合との戦争で国軍を動かしていた為、救援要請を無視する。一方、フェリエスは力の強い者が弱者をいたぶるような行いを隣にいて見過ごせないと周囲に話し、軍務卿のハザルさんと家老補佐の私に、ロゼニア王国への援軍を率いて向かうように指示をしたのだった。
神聖スーザ帝国軍は、ロゼニア王国北東の村々を焼きながら南下を進め、王都トリノへと迫る。それを迎え撃つロゼニア軍は五〇〇〇人。第三王女クリスティンと、ヘルムンド伯爵に率いられたこの軍を中心に、帝国軍と激しく戦闘を繰り返した。
帝国軍の戦略は、大軍による多方面作戦だった。二万の軍をいくつかに分け、ロゼニア王国の各都市や軍事拠点を同時に攻撃し点を押さえていく。そして各部隊が連携しながら、面での圧力をロゼニアにかけるのだ。
半島国家であるロゼニアは、付け根にあたる大陸との接点を帝国に押さえられると終わる。制海権が互角でも、付け根からじわじわと圧迫され、海軍の補給拠点を陸上部隊に奪われると、船は水に浮く箱でしかなくなってしまう。
クリスティン王女はこれに対して、あくまでも軍を分けることなく、各守備隊からの救援要請に本軍を反応させる作戦を取った。当然、敵に比べて少数なのだから軍を分ける事は出来ない。各個撃破の憂き目をみるだけだからだ。だからクリスティン王女の決断は間違ってはいないのだが、見捨てられる拠点が出てくるという事実は、ロゼニア軍の拠点防衛を任された兵士達の士気を大いに落とす事になった。
戦争は敵より多くの兵士を集めたほうが強い。局地戦で勝利を収めても、それが大局に影響を与えないものであるなら意味がない。
私は改めてそう感じながら、ロゼニア北部の町、トリエステを攻撃する帝国軍を、その背後から眺めていた。
ハザルさんが、斥候からの報告に頷きながら馬を進め、私の隣に並ぶ。
「エミリ、敵は完全に目の前の餌に夢中らしい。本営は薄いそうだ」
私は緊張で口から飛び出しそうな心臓を、押さえるように、胸に手を当て深呼吸する。これから私は、人を殺す命令を出すのだ。さすがに胃が痛い。吐き気すら覚える。でも、私にはこの状況を作った責任があり、既に善人ぶる資格などないのだ。
フェリエス! 力を貸して。
瞼を閉じた私の脳裏に、愛しい人の笑顔が描かれた。
この笑顔を失いたくない!
やるしかないのだ!
私は、大公旗を振りあげると、白馬に鞭を入れ絶叫した。
「進めぇ!」
トリエステ北五百フィルの森から、一斉に大公軍騎兵連隊が飛び出す。
馬は進むたびに速度をあげ、しかし整然と横一線に並ぶ。馬蹄が大地を揺るがし、それに、怯え逃げ惑う帝国軍本営の姿が肉眼で確認できる距離になる。
私は大公旗を掲げたまま、帝国軍本営に突進した。
悲鳴と絶叫、怒声と罵声の中を駆け抜け、長槍を地に染めた騎兵連隊が本営を駆け抜けた時、帝国軍本営は一撃のもとに地に切り伏せられていた。
ハザルさんが、返り血で赤く染めた槍を振るいながら、トリエンテの防御壁を囲む帝国軍の背後に向けて加速する。彼は私の隣で、手の動きだけで騎兵連隊の陣形を変化させた。それは、横一線に並んだ両端を後方に下げたもので、空から見れば三角形が描かれているはずだ。
「ぶち殺せ!」
独眼竜の声に、騎兵達は雄叫びを発する。
異常を感じた帝国軍が、町へと侵入する部隊と、逃げようとする部隊で混乱しているところに、私達は凶悪な集団となってぶつかった。
「速度を保て! 抜けたら反転する!」
私の指示は、厳しい訓練に耐えた騎兵達には失礼だったかもしれない。彼らは完璧に自分達の強みを理解していた。私達は速度を落とさぬまま帝国軍の後背から正面へと突き抜け、トリエンテの防御壁に沿って西から東側へと移動する。防御壁の上から、ロゼニア人達の歓声が私達に向けられていた。
「敵右翼から侵入する!」
大公旗を握る私は、敵軍中にあってさらに高く掲げた。私はいわば皆の目印なのだ。風を受けて重い旗を、脇に挟み右手で強く握る。腕が疲れて感覚がなくなってきたが、今ここで、目印である私が止まるわけにはいかなかった。
大公軍騎兵連隊は、帝国軍右翼から左翼へと抜け、さらに弧を描くように帝国軍本営に襲いかかった。最初の突撃で粉砕されていた本営は、さらに騎兵に蹂躙されて、逃げる兵士と倒れた兵士のどちらかしかいない。
トリエンテの防御壁から、帝国軍へ矢が斉射される。門が開かれ、ロゼニア軍拠点守備隊が、混乱する帝国軍に躍りかかった。
「エミリ! もういい!」
ハザルさんが、私の腕にそっと手を置く。
この速度で駆ける馬に乗りながら、なんでもないようにするこのおっさんは凄いと目を見開くと、彼は傷ついたとばかりに顎を引いた。
「お前より上手いに決まってるだろ」
私は大公旗を下ろす。それが、全軍停止の合図なのだ。
「損害報告! 軽傷一名。以上」
大公軍騎兵連隊は、三百人が欠ける事なく、ロゼニア国内での初戦を終えた。
疲れた腕を、ハザルさんが揉んでくれる。私はじっとしていたが、なぜかとてもスケベな行為に思えて、顔を真っ赤に染めてしまった。
「なんだ? 恥ずかしがらなくてもいいぞ」
あんたに悪意がないのが、救いだよ……。
「エミリ殿! 帝国軍が逃げていきます。追いますか?」
騎兵連隊の部隊指揮官に、私は首を振った。
「斥候で逃げていく方向を探らせて。おそらく、他に部隊がいるはず。私達は物資を奪ってすぐにこの場を離れます。」
帝国軍が置いて行った糧食や武器を頂くつもりの私。ええ、これならお金がかからないもんね。
「エミリどの。トリエンテの守備隊長が挨拶したいと申しております」
「挨拶は不要です。すぐに帝国軍が戻ってくるかもしれませんから、防御を固めるようにと伝えて」
ハザルさんが、片目だけの目を細めた。
「おーお、かっこいいぃ。あのエミリちゃんがねぇ」
「うっせ。ね、反対の腕」
「……」
このおっさん、マッサージ上手いな。フェリエス、ごめんね。これは浮気じゃないからね。ただのマッサージだかんね。そこそこ……このおっさん、どこで覚えたんだろ……。
今度から、疲れたらしてもらおう。うしししし……。
-Alfred Shyster-
ベルーズド公爵軍とも、大公軍とも呼ばれるフェリエスの軍が、当時の周辺諸国と比べ異質である点は三つある。
まず近接戦闘で飛び道具を多用する事である。その代表的なものが弩とよばれる兵器で、矢を装填する時間と射程距離の短さから、他勢力の軍では忌避されてきたのだが、大公はこれを巧みに運用し、多大な戦果を誇った。後述する三つめの特徴とも通じるのだが、部隊間、兵士間の連携で、矢の装填と飛距離の弱点を失くして、その長所である貫通力を存分に発揮させた。
二つ目。騎兵を単独で動かせるという点である。通常、騎兵は軍の両端に配置され、敵軍を側面から崩す役割が定石とされている。騎兵が特に強いトラスベリア王国などは、全面に騎兵を配置し、その突破力で敵軍を蹴散らす戦法を得意とするが、それは稀でり、あくまでも軍の両端に置くものとされている。しかし、フェリエス大公の軍は、戦闘開始時に騎兵がいない事のほうが多く、戦闘中盤から後半にかけて戦場に到着するといったものが多い。全く参加しない事も多々、見受けられる。この騎兵運用には賛否両論あるが、フェリエス大公の戦績から判断するに、騎兵の使い方を良く知る用兵家であるといった意見が多数を占めている。
三つめ。常設軍であるという事。これはこの時代、非常に珍しい。フェリエス大公の他、ゴーダ騎士団領国だけが常設軍を運用している。常設軍は戦時でなくとも兵を雇う為、その負担が大きいのだが、フェリエス大公は屯田制と、予備役という制度を上手く利用して負担を最小限に抑えていた。となると、常設軍はやはり強い。個人の戦闘力もさることながら、兵士間、部隊間の連携も滑らかで、作戦指示を受けて行動に移す速度も優れている。さらに生活が安定していることから、出征先で暴行や強盗を行う兵士が極端に少ない。ゆえに占領後、統治へと移行するにあたっての障害が少ないのだ。
そしてこれらの特徴をアルメニア史だけでなく、ユーロ大陸史に残した彼の偉業の第一歩が、ロゼニア王国対神聖スーザ帝国の戦争だったのである。この戦争において、フェリエス大公の軍はわずか三百の騎兵のみであったが、そのわずかな騎兵がもたらした戦果は巨大なものであった。
ロゼニア王国北部を東から西へと流れるロマーナ河は、船を使わねば渡河できぬほどに大きな河だ。その河より北を悉く神聖スーザ帝国によって占領されたロゼニア軍は、河の南に軍を集めるも、渡河してくる帝国軍を向かえ撃つのに手が一杯という有り様だった。
エミリ・ホリカワとハザル・ドログバに率いられた大公軍騎兵連隊はこの時、どこにいたか。多くの歴史書、軍史書などをかき集めて調べたところ、どうやら、ロゼニア王国北部、ロマーナ河付近のビサという村周辺にいたようである。
-Féliwce & Emiri-
「エミリ、敵の輜重隊を見つけた。行くぞ」
ハザルさんが斥候の報告を受け、顔をあげて私を見た。
私は、朱色に輝く甲冑を着ながら、アレクシお爺ちゃんがくれた、魔法の力が込められた剣を腰にさげる。
徹底的に補給部隊のみを狙って襲い続ける私達に、帝国軍も警戒を強めていた。彼らは大規模な警備を輜重隊とも呼ばれる物資運搬を専門とする部隊につけ、私達の襲撃に備えるようになってきたのだ。しかし、いつ来るか分からない敵に怯える兵士は気の毒だ。それが訓練を積んでいない農民兵なら尚のこと。
馬にまたがった私は、後方に振りかえる。陽光を白銀に反射させた騎兵の集団が、私の背後で威容を誇っていた。
「これより敵の糧食を奪います」
「エミリどの、たまには塩漬け豚以外のものを奪いたいです」
「野菜とかたくさんあればなぁ」
軽口を叩くのは、油断ではなく緊張をほぐす為のもの。
私は笑みを彼らに返した。
「中身を確認してから奪う時間なんてないでしょ!」
どっと笑いがあがったところで、ハザルさんが私の隣に馬を寄せる。
「お前といると、戦場ですら楽しく思える」
「褒め言葉だと思っておくよ」
馬の腹を軽く蹴った私は、ゆるやかな速度で前方へと進んだ。それに三〇〇騎の騎兵が続き、一二〇〇の蹄が大地を蹴る。これまで死者が出ていないのは、なんといってもハザルさんの力だ。彼の訓練と采配で、私達は一人の脱落者も出さずここまできている。難しいとわかっているが、皆でベルーズドに帰りたい。
「敵輜重隊、前方約五百フィル!」
斥候が私達に接近し報告をすると、再び離れていく。彼らはめまぐるしく動きまわり、敵の動静を探る事に全力を費やしているのだ。
私は背筋を伸ばし、大公旗を脇にかかえるように翻すと、愛馬に加速を命じた。加速しながら丘を駆け上った私は、眼下に長々と列を成す帝国軍の輜重隊と、それを警護する部隊を確認する。
大公軍騎兵連隊が、横一列になり馬上で弩を構える。速度を緩めることなくそれを発射し、矢を追うように疾風となった。
帝国軍は私達を指差し、慌てながら逃げ惑う。警護も何もあったものじゃない。それほどまでに脆い彼らを、矢が貫き、騎兵の突撃が粉砕する。
ハザルさんの長槍が、帝国兵をなぎ倒し、突き殺す。彼はいつもの優しい笑みではなく、鬼のような形相で私を狙う敵兵を片っ端から蹴散らした。
勝負は一瞬でついた。
逃げ惑う敵兵を背後から散々に追い散らした私達は、数日分の物資だけを奪い、残った物資には油を巻き、火を放つ。わざと毒を入れて敵に回収させる方法もあるが、帝国軍が燃やされた物資を見て落胆するほうが効果はあると思い、この方法を選んでいた。
斥候が東の方角から接近しながら声をあげる。
「敵大部隊接近中! 約三〇〇〇!」
「撤収!」
私が叫ぶと、騎兵の一団は風のようにその場を離れる。歩兵と騎兵で編成された帝国軍の進行速度など、騎兵で統一された私達の足元にも及ばない。これまでの常識に囚われ、それに何も疑問を感じない鈍さに舌を出してやりながら、私達は燃え上がる糧食をその場に残して、北の方角へと馬を走らせた。
十分に距離を取った私達は、平原のど真ん中を野営地に選んだ。それは、どの方向から敵が迫ってきても、逃げ切る自信があるからだ。森や丘陵地帯だと、敵に発見されない可能性は高まるが、敵の接近に気付くのが遅れる恐れもある。
貴重な水を大事に使って、身体を拭いていた私は天幕の外で呼ぶ声に返事をした。
「はーい。今、行くよ」
ハザルさんだ。彼は私の夕食を持ってきてくれた。二人で地図を挟んで座り、シチューにスプーンを突っ込む。皿もスプーンも木製なのは、落としても壊れないから。
「で、どう思う? このところ、敵の輜重隊の規模が大きくなってきたな」
私はシチューを頬張ると、大きく切られたジャガイモに苦戦しながら飲み込んだ。
「ふがふが……うぷ!」
「大丈夫か?」
「らいじょぶ……。徹底的に兵站を襲っているからね。おそらく帝国の前線では物資が不足し始めたんだと思う。ほら、南下速度も落ち込んでるって話だしね」
斥候によってもたらされた情報を書き記したメモ用紙をめくりながら喋ると、片目のおっさんが笑う。
「こんな事を考えるくせに、そうしないと覚えられないってのはお前らしいな」
「うっせ! うっせーよ。メモを馬鹿にしちゃ駄目だっつーの。こうやって書いておけば、忘れないし間違えないでしょ!」
この世界にメモ帳やノートはない。私の為に作ってもらったのだ。実はこの小さなノートが、庶民の月収分に相当する値段ってのは後になって知りました。
フェリエス……、ありがとう!
でも、服やら指輪をねだるんだったよぉ……。
「そんなもんかねぇ。まあ、俺ぐらいになると覚えているがな」
勉強できなさそうな顔してるくせに……。
私は片目のおっさんから視線を逸らし、手元にノートを見た。そこには、ここ数日の帝国軍の動きが書かれている。斥候によりもたらされた情報を、こうして書きとめていくことで、敵の動きの変化がよく分かった。彼らは私達の攻撃から物資を守るように、拠点に貯めて一気に運搬する方法を選んでいる。これには二つの意味がある。帝国軍の前線に送る物資の量を増やさないと間に合わない事。そしてもう一つ、少数の輜重隊をばらばらと動かすより、一度にまとめて運搬する事で、費用と手間を惜しんだのだ。小規模の部達を百動かすより、百の部隊を一度に動かしたほうが簡単なのだ。
私はシチューを食べながら、これからのことも喋る。
「帝国が輜重隊の規模を大きくしているってことは、一度にたくさんの物資を前線に送らないといけないって事でしょ? つまりこれは、前線の物資消費量に比べ、補給が追いついてないって事だし、私達の動きがじわじわと効いてる証拠! ついに時が来たと思う!」
「ふむ。敵の物資備蓄拠点を襲うって事か」
「そう。それも一番大きな場所をね。斥候さん達によると、こことここの箇所だね」
地図を指で叩いた私を、ハザルさんがにんまりとして見る。
「どちらだと思う?」
「それは帝国軍に聞きましょう」
私は満面の笑みを浮かべたのだった。
-Féliwce & Emiri-
クリスティンはロマーナ河を渡河しようとする帝国軍の圧力に屈し、全軍をカムトーの城塞まで撤退させた。これはロマーナ河南の最初の防御拠点でありながら、最も重要な拠点であった。なぜなら、この城塞を奪われると、王都トリノまで平坦な平野が続くからだ。
彼女は千の兵と共にこの城塞に籠り、糧食や武器を運び込ませた。王国内では帝国の侵略に国民達が義勇兵として参加。王都トリノでは三万を超える民兵が組織されている。これが前線に到着するまで、彼女は耐え凌がないといけないのであった。
王家と諸侯の軍で編成されたロゼニア軍にあって、指揮系統の混乱などもあり、クリスティンとしてはここまで満足に戦えていない感覚があった。そこで彼女は、王軍のみを城塞に入れて指揮系統を本来の形へと戻した。そして、貴族の軍――農民兵を中心としているため錬度が低い部隊群をカムトー城塞付近の村や町へと移動させた。これは、そこの防衛をさせるという名目で追い払ったのである。一見すると、負けている軍がさらに数を減らすのは暴挙ともいえるが、軍勢としての力を取り戻したことと、城塞の物資備蓄量を鑑みると、彼女の判断は間違っていなかったと言えるだろう。
クリスティンは、城壁上から迫る帝国軍を睨んだ。
金色の髪と瞳が煌びやかに輝き、その美しさはまさに周辺諸国で噂されるにふさわしい。
彼女は、帝国軍が前進を止め包囲作業にかかるのを見て右手を宙に振り上げた。
矢傷の痛みはもうない。
迷いなく右手を振り下ろしたクリスティンの背後で、大量の矢が空へと放たれた。それは青く澄んだ空に危険な影を差すと、帝国軍頭上で落下を始める。帝国軍は盾を頭上に掲げ、矢から身を守るように動かない。
クリスティンは戦場を睨みながらも、考えることは別のことである。
(どうしてこんな事になってしまったの?)
ロゼニアがアルメニアと接近したのは、自国を守る為ではなかったのかと思う彼女は、そうでありながらどうして国の命運を賭けた戦いを強いられているのだという不満と疑問に表情を消す。
その王女の隣に、ヘルムンド伯が立つ。彼は大地を埋め尽くさんばかりに溢れた大軍を見て、不思議と笑みを浮かべていた。
「伯、あまりにも敵が多すぎておかしくなったか?」
王女の言に、ヘルムンド伯は首を左右に振りながら帝国軍を指差す。
「ご覧ください。敵は矢を浴びても撃ち返してきません。これは明らかに武器が不足している証です」
クリスティンは帝国軍を眺めた。
確かに彼らは盾で防いではいるが、圧倒的に兵力の少ないロゼニア軍の攻撃に耐えるのみというのは異常だった。矢を撃たれれば矢を撃ち返すのが定石だ。でなければ、連続的に攻撃を敵に続けられてしまうからだ。
「そのようじゃ。どうやら、大公殿下の軍が北で敵の兵站を襲い続けている効果がここにきて現れているようじゃ」
クリスティンの脳裏に、美しく強い大公の顔が描かれ、続いて黒髪の少女が描かれた。
(この胸を締め付けるような感覚はなんじゃ?)
美しい姫君は豊かな胸に手を当てると、甲冑の上からも聞こえてきそうな鼓動の強さに唇を噛んだ。
-Féliwce & Emiri-
ハザルさんは私の注文通り、敵の将校を捕まえてくれた。この人、なんでこんなに強いのか? ってくらいに強い。
私達が襲った輜重隊を警護していた部隊の指揮官は、スーザ語で散々に喚き散らし、疲れて息を荒げたまま私を睨む。
私はわざとらしく水筒の水を飲んだ。
欲しいでしょ? 戦いの後にあんなに喚いたんだもん。喉が渇いたよねぇ?
ハザルさんが、酷い女だとでもいうように私をじっとりとした目で見る。
心外です! やりたくなくても、やらないといけない時だってあるの!
私が水筒から口を離した時、目の前のスーザ人が喉を鳴らした。彼は、私の手に持たれた水筒の動く方向に視線を動かす。
「欲しいの?」
私の言葉をハザルさんがスーザ語に訳す。
あんたも十分、楽しそうな顔してるよ!
帝国軍将校は、それはもう狂ったように怒り出した。しかし、それまでに比べて勢いがない。
「異教徒め! 神の怒りを知らぬ愚か者め! て言ってるぞ」
はいはい。知りませんよ。
だいたい、その神様がいたらお前は私の前にそんな姿でいないっつーの。
全く動じない私達に疲労困憊の帝国人が、ついに小さな声で「水」とだけ言ったそうだ。私は水筒を帝国軍将校の眼前に突きつけ、笑みを浮かべて口を開いた。
「糧食と武器、どこにたくさん貯め込んでるの?」
ハザルさんが通訳すると、帝国軍将校は泣きそうな顔で水筒と私を交互に見る。
それも長くは続かなかった。
「ウソー……」
ウソー。日本語で嘘って聞こえたけど、地名なのね。地図で確認しながらスーザ人の口に水筒を近づけてやる。彼は必死で水を飲み、涙を流した。
「ハザルさん。どうやら本当らしいよ。斥候の報告とも一致するし、いっちょ、気張りますか」
私の言葉に片目のおっさんが勢いよく馬に乗った。
「エミリ。それだけの拠点、少数の兵で守っているとは思えん。気を引き締めてかかろう」
私達はほぼ同時に馬の手綱を手に取った。
-Féliwce & Emiri-
ロゼニア王国は、アルメニアより暖かい。といっても暦は極寒の月という日本での十二月にあたる月なので、常に野風にさらされている私達の疲れも完全に癒えることがない。かじかんだ手に白い息をあてた私の眼前で、騎兵連隊によって油をまかれる大量の物資が、臭気と共にあった。
「全て燃やすのか? もっともらって行ったほうがよくないか?」
ハザルさんが、返り血を頬につけて私に馬を寄せた。私は彼の頬をマントで拭ってやりながら、横目で物資を睨んだ。
「多すぎたら私達の行軍速度が鈍るよ。ハザルさん、欲にかられては駄目」
「……そうだな」
朱色の甲冑に、白い雪がはらはらとかかる。
ウソーの森に築かれた物資備蓄拠点を急襲した私達。いつもの奇襲攻撃で帝国軍を蹴散らした後、今は撤退前の焼却作業中だ。
神聖スーザ帝国ロゼニア方面軍は、その軍兵を養う糧食と、戦う為の武器を失った。二万を超す兵士達は、これから悲惨な撤退戦に臨むことになるだろう。しかし、それはこれまで占領下で彼らがしてきたことのしっぺ返しなのだ。そこには同情の余地などないと私は思った。
そうだ、エミリ。感傷的になるな。
「軍務卿閣下! こちらに来てください!」
兵士の一人に呼ばれたハザルさんが、馬から降りる。私はどうして彼しか呼ばれなかったのか疑問に感じながら、大地に雪がまだら模様を彩る上に、足跡を残しながら彼の後ろに続いた。兵士達は皆、白銀の甲冑に赤い斑点をつけていて、それは彼らが勇戦した事を証明している。
黒い髪にかかった白い粉雪を手で払い、立ち止まったハザルさんの隣に立った私は、そこに掘られた巨大な穴を見下ろした。
「エミリ……来たのか……」
独眼竜が私に声をかける。
兵士が、彼しか呼ばなかった理由は聞くまでも無かった。
人間というものはここまで残酷で、他者の痛みに鈍くなれるものなの?
穴は、大量の死体で埋められていた。いや、まだ息のある者もいる。
スーザ人達はウソーの森周辺の村々を襲い、住民達を虐殺した後、この穴に放り込んだのだ。なんの為に? そこには、論理的な説明などできない何かがあった。これは、戦争という異常な環境に置かれた兵士達の狂気なのだ。田畑を耕し、つつましい生活を送っていたはずの彼らが、徴兵され戦場に駆り出された結果、かくも無残な事をする。
「息のある者達を助けて! 時間がない!」
私は、穴に駆け下り、血に濡れ汚物にまみれた死体をまさぐる。死体の下に、生きている人がいたからだ。彼らは隙間から手を伸ばし、懸命に助けを求めていた。
「エミリ!」
ハザルさんが穴へと駆け下りて来た。
「時間がないんだぞ」
「駄目! 見捨てたら絶対に駄目! 生きている人を見捨てたら、私達はスーザ人と同じになっちゃう!」
「くそ! お前達! 手伝え!」
兵士達が次々と穴に飛び込む。私達は懸命に死体をどかしながら、生きている人を探す。
助けても、すぐに死んでしまう人達……。
血が止まらず、穴から運び出す前に絶命する。
助けを求め、手を伸ばしてくる人の手を掴むも、引きずりだせば下半身が無かった。
「ああ……。どうして! どうして!!」
「エミリ! 行くぞ。もう無理だ。これ以上は無理だ!」
ハザルさんに背後から抱えられる。
私は、小さな女の子と目があった。
彼女は、可愛いらしい兎の人形を抱きしめたまま、首を裂かれて死んでいた。
「うわああああ! あああああ!!」
私は叫んでいた。胸の奥で、自責と後ろめたさ、怒りが首をもたげて、いい気になっていた私を睨んでいる。そして、穴の中から私を睨む多くの死んだ人達も私を見ていた。
それらから逃れたくて、掻き消したくて、私は喉が裂けんばかりに叫んだ。
「ごめんなさい! ごめんなさいー! うわあああ!!」
「手を貸せ! エミリを運ぶぞ! 撤収! 撤収だ!」
ハザルさんの声が聞こえる。でも私は、狂ったように叫び続けた。
「帝国軍増援が接近中!」
「撤収! 撤収!」
飛び交う怒声の中で、私は叫び続けた。
私がこの状況を作りだしたのだ!
誰でもない、私の策謀の結果なのだ。
「嫌だぁ! 嫌ぁあああ! ふざけんな! ざけんじゃねぇ!! フェリエス! 助けてフェリエス!」
ハザルさんに担がれたまま、私は声が枯れるまで叫んでいたのだった。
-Féliwce & Emiri-
ウソーの糧食と武器を失ったことを知った神聖スーザ帝国軍の司令官であるアーセル・スボビッチは撤退を決めた。
ロゼニア王国軍はクリスティンの指揮の下、これを徹底的に追撃する。組織だった反撃も最初だけで、帝国軍兵士達は我先にと北へと潰走を始める。
彼らは知らなかった。
怒りに震えるエミリが、騎兵連隊を率いて、帝国軍の撤退線上に待ちかまえていた事を。
ハザルは、斥候の報告に頷くと、隣で闇夜のように沈んだ瞳を前方に向ける少女に声をかけた。
「神聖スーザ帝国軍の総指揮官がこちらに撤退してきている。お前の読み通りの経路だな」
エミリは、こくりと頷くだけでそれ以外は反応を示さない。
隻眼の将軍は、脇に控える部隊指揮官達に苦笑を見せた。
「姫様は相当に怒っておられる。準備はいいな?」
「おまかせを。エミリどのに笑われぬよう敵を粉々にしてみせまする」
ハザルは朱色の甲冑の似合う黒髪の少女が、その美しさと公平さ、明るさと優しさで誰からも好かれているのを知っている。特に兵士達からの慕われようは、大公殿下以上であろうと感じて頬を弛めた。
「何?」
彼の視線を感じ取ったエミリが、視線だけをハザルに転じる。彼は地平線上に小さな姿を現した帝国軍を眺めながら、部隊指揮官達に持ち場へとつくよう手だけで指示を与える。
「スボビッチ枢機卿は俺にやらせろ」
ハザルの言葉に、黒髪を風邪に揺らせた少女は鼻を鳴らした。
「駄目よ。私が生け捕る。ハザルさんは露払いをお願い」
「そう上手くいくかな?」
ハザルが唇の端をつり上げた。それは言葉とは裏腹に自信があるとエミリに伝えている。彼は無言で佇む黒髪の少女に、柔らかな視線を向けると、彼女が睨む前方に視線を転じた。そこには、落日の斜光を西から受けて、不気味に浮かび上がった神聖スーザ帝国軍の軍列があった。まだとても小さな粒のようにしか見えないが、間違いなく大公軍が待ち受ける丘陵地帯へと向かって来ている。
隻眼の将軍が右手を宙に突き出したと同時に、三百の騎兵が前進を始める。伝令や斥候、後方支援の騎兵も合わせると全体で四百。それがここまで欠ける事なくこられたのは、エミリの戦略のおかげだと彼は考えていた。ハザルが特に彼女を認めるのは、騎兵を徹底的に奇襲戦法に使ったからだ。
騎兵の特性を良く分かっていると彼は感心している。
これを徹底したことによって、帝国軍は神出鬼没の大公軍騎兵連隊に脅え、物資の輸送を細かく分けるのを躊躇った。そして一度に運ぶべく蓄積していた拠点を灰にされ、大軍を維持できなくなり撤退している。
(軍同士が陣を張り、正面からぶつかるのは古いとエミリは考えているのか?)
馬を進める少女。その凛とした姿にハザルは息をのんだ。これまで、フェリエスの近くで戦働きをしてきた彼だが、まさか女性に、少女に対して畏敬の念を覚えるとは思わなかった。
大公軍はその進路を一度、北に取ると大きく半月を描くように移動した。それは闇夜に乗じて帝国軍を側面から襲う意図をはらんだ行動であった。
雪は止みそうで止まず、月を隠した暗雲は白い結晶を絶え間なく吐き続け、大地をその色に塗り上げていた。大公軍の進んだ跡を天空から眺めれば、美しい曲線が描かれているだろう。
彼らは一度、進軍を止めると水を飲む。
馬達が嘶きを堪えるように身震いし、前足で激しく雪を蹴り上げる。
斥候が、漆黒の甲冑を雪に濡らして騎兵連隊へと近づく。
「枢機卿、先頭から三陣目中列!」
走り去る斥候と、前進を再開した騎兵連隊が直角に交差するも、互いにぶつかることなくすり抜けた。
斥候は颯爽と西の方角へと駆け去っていく。
エミリが、慣れない弓を馬上で引き絞った。
彼女の弓から放たれた鏑矢が、子供の悲鳴のような音を発して夜空を駆けた。
合図である。
大公軍騎兵連隊が、夜でも撤退を止めない帝国軍に迫る。
大地を揺るがす馬蹄と、研ぎ澄まされた殺気が帝国軍の軍列へと襲いかかり、盾を並べて防ごうとしていた歩兵達を初撃で粉砕する。馬に蹴られ踏みつぶされ、馬上からの槍で貫かれた帝国軍歩兵達。彼らは、悲鳴と恐怖の渦中で手足を動かし逃げまどう。騎兵連隊は指揮官である少女の怒りに触発されたのか、これまで以上に暴れ回った。敵軍列を駆け抜ける度に、スーザ人達の血を宙に撒き散らし、降り注ぐ雪すら赤く染めた。長槍が、剣が、スーザ人達の肉と希望を斬り裂き、大地に散ったそれらの残滓を馬蹄が踏みつける。それはまるで、ウソーで殺されたロゼニア人達の屈辱を晴らすかのように荒々しかった。
大公軍騎兵連隊の総指揮官ハザル・ドログバの隻眼が煌びやかな甲冑を捕えた。枢機卿は、騎兵から逃れようと、騎士達の後ろに逃げ込む。ハザルは長槍を振りまわし周囲の歩兵をなぎ倒すと、エミリを狙った弓兵に馬ごとぶつかる。朱色の甲冑を雪で濡らした少女が、手に持つ大公旗を振り払った。
帝国軍総指揮官は、旗の柄で頭部を殴られ昏倒する。
エミリが馬から飛び降り、帝国軍総指揮官アーセル・スボビッチ枢機卿の腹の上に足を置く。すぐさま、彼女は腰の剣を抜き放ち、倒れた枢機卿の首元に突きつけた。この時、突きつけられた本人は意識が無いため全く状況を悟っていなかったが、周囲の帝国人達には効果があった。
黒髪の少女を中心に、アルメニア人達が固まり、枢機卿を馬に乗せる。
「命を懸けて、助けたいほどの男?」
エミリに睨まれたスーザ人達は、お互いの顔を窺いながら武器を収めた。




