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 アルマン・デ・リシュルー公爵。


 ギヨーム・サルマン・モリペレント公爵。


 シモーネ・ピョートル・ラネー公爵。


 ピヨール・ギグー・アラゴラ公爵。


 アルメリア王国の四公と呼ばれる彼らは、先代国王崩御の際は対立の極みであった。現在の王であるフィリプを推したのは宰相リシュルー公と、彼とは縁戚であるラネー公である。一方でカミュルを推したのはアラゴラ公で、公はカミュルこそがアルメニアをアルメニアたらんとすると信じていた。ここに独自路線を貫き沈黙を保ちながら、両派閥の対立に裏で油を注いで火を大きくしていたのがモリペレント公爵である。


 彼らはそういう過去があるが、カミュルが相続争いを嫌い速やかに調整を進めた結果、現在では手を携えて権力と富を貪っていた。


 これにフェリエスを加えてアルメニア五公と呼ぶのは後世のことで、実際にこの時代に生きていた者達からすれば、フェリエスは単に地方の有力貴族の範囲を出ない。王族であっても、その勢力は四公に及ぶものではなかったのだ。


 その彼らでさえ、ゴーダ騎士団領国の討伐における失敗は痛かった。 


 なにより、周辺諸国が揃って旗色を返し、反アルメニアを叫んでいるのである。コーレイト王国は南部都市国家連合と連携しアルメニアの領地を浸食しようと軍兵を動かし、トラスベリア王家はゴーダ騎士団への支援をさらに増した。王国の北西、南西、北東で敵とぶつかり続けているアルメニアにおいて、多忙なはずの彼らが一同に揃った場所は、王城にあるカミュルの執務室である。


「コーレイト王国が増援を渡海させておるらしい。奴ら、トラスベリアと休戦したことで、さらに我が国へと兵を向けるは必定ぞ」

「それよりも、南の都市国家群とイスベリアだ。奴らが海上交易を狙う前に完膚なきまでに叩きつぶさねば」

「いやいや、それよりも厄介な相手がいるだろう?」


 王弟であり、事実上の最高権力者であるカミュルの声に、四公の口は閉ざされた。


「全ての元凶はゴーダ騎士団領国だ。あの騎士団が我が領土を不法にも占拠し続けておる限り、大アルメニアに刃向う輩は地上から消えぬ。まずはその根を絶つべきだ。ラネー公!」 


 王弟に呼ばれ、跳ねるように顔をあげた中年貴族が口髭を指で撫でた。


「準備をせよ」

「しかし……王弟殿下。先日、撤収したばかりでございます」

「何も公の軍兵を出せと言うているのではない。思えば……反乱者と侮り力攻めを繰り返してきたこれまでが間違いであったのだ。夏、兄上はらしからぬほどに軍を発したがって火遊びに興じた……もう遊びはうんざりだ」

「は……で、それがしは何をすればよろしいでしょう?」


 ラネー公爵の疑問は、居並ぶ貴族達の疑問であった。


 カミュルが口を開く。


「ひとつ、反乱者どもの頭……総長の命を奪え。奴にはまだ年端もいかぬ息子しかおらぬであったろう。ふたつめは、奴らの元老院へと働きかけ、内部から奴らの動きを止める。平和主義を叫ぶ者達に資金を流せ……情勢を不安定とさせ、混乱する賊共を攻め、くびり殺せば良い」


 ラネー公爵は首を傾げた。


「幼子の姉……たしか娘もいたはず」

「女など!」


 カミュルは声と共に侮蔑を吐き出し、四公に鋭い視線を向けた。


「総長の身辺に侍る医師達、官僚、誰でもよい。抱え込み、毒をもれ……送り込んでも良い。同時に騎士団内部と元老院の不満分子をまとめる作業をせよ。奴らを内部から切り崩す。そして、混乱させた後は伯父上に軍を出させ、ケリをつけさせる」


 カミュルのこの考えは、兄の悪戯をより完璧にする為のものだ。


 カミュルはゴーダ騎士団討伐を力攻めではなく搦手でおこなうが、これには夏の侵攻作戦失敗における人員と資金の不足、現在も多方面で戦っているために戦力を分散させたくないという意図がある。そしてフェリエスに軍を出させるという点は、彼に武功をたてさせかねないが、この王弟が狡猾であるのは、フェリエスがゴーダ騎士団を討伐せんと彼の地に入り、敵を倒した直後、兄の策であるフェリエス謀叛の濡れ衣でベルーズドを王軍で襲い、ゴーダ騎士団領内にフェリエスを孤立させようという魂胆なのだ。こうなれば、フェリエスはゴーダ騎士団領をなんとしても押さえねばならず懸命になるが、簡単に進むものではない。そこへ王軍が向かえば、ゴーダ人もフェリエスも、同時に楽に始末ができるというものだった。


 王弟の発言に、リシュルー公が眉をひそめて声をあげる。


「フェリエス殿下でございますか?」


 四公の中で、比較的理性のある彼は、確かに国王の義父であり大公を好んで見てはいないが、それでもあの大公が優れた手腕を発揮している事実を認めている。


「問題があるか? 伯父上はベルーズド公だ。そのご領地はゴーダに近い」


 カミュルの言葉にリシュルー公爵は王国宰相として反論するべきだと感じた。


「確かに私は大公殿下を好いてはおりませぬが、先だってモリエロの反乱鎮圧にイスベリア軍討伐、そして此度の神聖スーザ帝国とロゼニアを叩きのめした功績は認めぬわけにはいきませぬ。王弟殿下は功ある大公殿下に度重なる負担を強いるおつもりですか? それこそ、地方貴族の不満の原因となりますぞ」


 カミュルとリシュルー公が沈黙を挟んで睨みあう。緊張した空気の中で、お互いの腹を探り合う二人。


(リシュルー公め、よもやフェリエスに誑かされておるまいな)


 カミュルが両眼に危険な煌めきを宿した時、それまで口を閉ざしていたアラゴラ公爵が咳払いをした。


「やめなされ。我らはなにも好き合って向かい合っているわけではないが、戦う相手を間違えてはいけませぬ。これからも国の舵を正しく取り、助け合っていくべき我らが、内部で争っておっては、それこそあの油断ならぬ大公の狙うところでござる」


 アラゴラ公爵の言葉に、カミュルは抜き放つ寸前だった心の刃を鞘に収めた。その向かいで、リシュルー公爵は鋭利な視線を瞼を閉じる事で隠す。しかし彼は、王弟に対して、決定的な不審を抱いていた。 


(フェリエス大公は確かに、我らにとって目の上の瘤だ。あの大器が王家と距離を置くのは、受けた仕打ちを忘れておらぬからだ。必ず、大公は王家の敵となる。その際、中央に不満を持つ諸侯を引き込む為に、我らを糾弾し、権力を握った後に潰すであろう。しかし、現実には彼がいる事で東部国境の均衡が保たれておる。この事実から目を逸らす事はできぬ。帝国と国境を接する東部の安定に、大公の力は欠かせぬ。だというのに、王弟殿下はどうして焦る?)


 リシュルー公爵は、意見飛び交う王弟執務室の中で腕を組み、沈黙を保った。


(そもそも、陛下はなぜ、大公に領地を与えたのか。確かにベルーズドなどこれほどまでに短期間で富むとは誰も予想していなかったが、獅子の鎖を解き、餌をやったようなものではないか。王都で彼を監視しておれば、危険はもっと少なかったはずだ。いや……、皮肉ながら、ベルーズドに大公がいるおかげで、帝国とロゼニアはアルメニアの土を踏めんのか……)


「リシュルー公、いかがなされた?」


 モンペレント公爵に顔を覗かれた宰相は、咳払いをした。集まる視線に笑みを返した時、カミュルの射るような目を見て苦笑する。


(いかんな……。仲間割れなどしている場合ではない)


 リシュルー公爵は王弟に優雅な一礼をし、その場を取り繕った。




-Féliwce & Emiri-




 ストラブールの市場に近い街区のお店に、私はハザルさんと入った。ここはお酒と食事を出すお店で、『グラインフェルン』という看板を掲げている。店名は、店のご主人の故郷からもらったそうで、ご主人はトラスベリア王国からの移民だそうだ。実は、トラスベリア王国からアルメニア王国へ移住する人達は少なくなく、それは彼の国がずっと内戦状態であることが理由とアレクシお爺ちゃんから聞いた。この時代、他の国に移るというのは一般的ではないが、トラスベリア人達にとってはそうでもないらしい。どうやら、トラスベリアは国土が広すぎるので、国内移動も他国への移動もそう違わないという感覚と、移住への抵抗感がない人達であるそうだ。


 どうしてこの店に、ハザルさんと来ているかというと、フェリエスがとても忙しい時は食事を一緒にできないので、そういう時は一人で食事するのも寂しいから独眼竜を食事に誘いということがこれまでもあり、今日もそうなのです。なので、この片目のおっさんとは、絶対にそういう関係じゃないです。


 食事を楽しみ、ハザルさんがお酒を頼んだあたりから、私達の声は大きくなる。


「そんな事を言ってやったのか!? やるなお前。相手は周辺諸国に名を轟かすじゃじゃ馬だぞ」

「もう頭きてさ! 勝手な事ばっか言ってんじゃないわよ! 何が尊敬してるよ。負けて助けられてから尊敬すんじゃねーよ!」


 今日はアイランド島という島で作られた、ウイスキーなるものをハザルさんに飲まされてます。このおっさんのせいで、私はアルコール中毒者になるんじゃないだろうか。こっちの世界にも、ウイスキーってあるんだね……。


 琥珀色の液体はとても良い香りで、果物のような口当たりだ。でも、喉を通した時にかっと熱くなるのは慣れない……。てか、これアルコール度数、高いんじゃないの?


「おーい! チーズ盛り合わせに、オリーブのオイル漬け! チョコレートも!」


 ハザルさんが追加注文する声を聞きながら、私は平らげた料理の皿を重ねて、下げてもらえるようテーブルの隅に追いやる。


「でもフェリエスって偉いよねぇ。ああいう時、なんの感情も顔に出さないんだもん。私には無理無理」


「ご幼少の頃から鍛えられておられるからな」


 運ばれてきた皿を受け取りながら、片目のおっさんが陽気に笑う。


「しかし、これでお前も晴れて相談役か。正式な役職名はまだ決まってはおらんが、ひとつよろしく頼む。一緒に戦場に行く事もあるだろうしな」

「私には軍隊の指揮は無理だよ」

「それは俺が教えてやる。まあ、お前の場合、相手を見ただけで強さを量れるようだから、そう心配はしてない。感情の調節に難ありだから、そっちが心配だ」

「あ、このオリーブ旨い」

「人の話を聞け。全ては呼吸だ。相手と対峙した時、どう撃ち込むか、どう攻撃を躱すか一瞬で判断するだろ? 時には考えるより早く、身体が動くこともある」

「うん」


 ちびりとウイスキーを飲む。喉が焼けるけどこれはこれで美味しいかも……。


「部隊同士の戦いも一緒だ。敵の隙を突く。敵に隙を見せない。あとは経験だな。だがお前の場合は、戦争の一歩前の状況づくりに才があると俺は思う」


 えへへへ……。よく分からないけど、褒めてもらうのは嬉しいっす。


「お前、戦いにおいて勝ち続けるには何が大事か分かるか?」

「勝てない相手とは戦わない」


 断言した私に、ハザルさんが目を細めた。


「そうだ。しかし、それを理解している奴は案外、少ない」


 私はチーズを齧りながら、ちびりちびりとウイスキーを飲む。なんかふわふわしてきましたよ?


「お前はロゼニアをこちらに引き込むことで、帝国の力を削ぐつもりだろ? あわよくば、ロゼニアと帝国が喧嘩するのを望んでいるんだろ?」

「あわよくばじゃないよ。これから私は、帝国にロゼニアがアルメニアに接近しているって情報を流すよ。そうすれば、間違いなく喧嘩するね。こちらが戦いたくない時、代わりに戦ってくれる人がいると便利だよねぇ。それが敵同士だったら言う事ないっしょ」


 帝国から、ロゼニア王国という金魚の糞をこちらの陣営に引きずり込むには、相当の圧力と覚悟が必要だと私は考えている。これまで付き合ってきた相手との関係を断ち切らせるには、大きなショックを与えるか、時間をかけての懐柔しかないが、今回は時間をかける余裕がないと思った。


 ロゼニアをこちらの陣営に引き込む作業を進めながら、さらに帝国とロゼニアの関係に楔を入れる。この為に必要な作業の一つが、クリスティンさんとの面談だった。


 正直に言うと、感情の影響もあります。


 ハザルさんはウイスキーを一気に呷った。


「まさかお前がそんな事を考えられるなんてな。聞いてみれば簡単だが、自分で考えるのは難しいもんだがね」

「まだまだ序の口だよ。これから帝国がロゼニアに喧嘩をふっかけるまで、私は容赦しません。ロゼニアの女王とやらが、フェリエスに土下座して助けてくれって言ってくるまで」

「……お前は敵に回したくない……でも、上手くいかなかったらどうするんだ? 帝国が思っている以上に、ロゼニアを信用しているって事もあるだろ?」


 私はチョコレートを頬張りながら、首の動きでハザルさんに、それはないと伝えた。


「信用してれば余計に腹立たしいと思うよ。でも、帝国はロゼニアを信用してないはず。アレクシお爺ちゃんから聞いたけど、神聖スーザ帝国って、スーザ教という宗教組織が創った国が大きくなって今に至ってるんでしょ?」

「ああ、そうだ」

「で、ここ数十年の間に、違う宗教を信仰している国に帝国は改宗を目的に侵攻している……これは建前ね。で、その帝国にとってロゼニアはスーザ教じゃないけど、アルメニアと接しているから、残されているに過ぎないと思うよ」


 ハザルさんが、視線を動かす所作で『どういう事だ?』と聞いてくる。


「要は、ロゼニアってのはアルメニアにとっても、帝国にとっても取ってしまいたいけど、厄介なパイなんだよ。逆にいえば、ロゼニアがいるから、アルメニアと帝国の衝突は今の状況で収まっているって事。ロゼニアが無くなると、大国同士で喧嘩する数が増えて、両国ともに大きな負担になるよ。だから、生かさず殺さずで残っているのがロゼニア王国ってわけ」


 私は思う。イザベラ女王がもっと狡猾であれば、現在のロゼニア王国の立場を逆に利用して、大国を翻弄する事もできる。つまり、あっちにつくぞ、こっちにつくぞというポーズを見せる事で、有利な条件を引き出せるはずなのだ。ただ、非常にシビアな交渉を迫られるだろうし、引き際を誤っては、どちらの国にも相手にされなくなり、両国から攻められるという末路がある為、イザベラさんはこの方法を取っていなかったのだろう。


 で、今となって帝国から離れてアルメニアに接近している理由は、間違いなくフェリエスなのだと私は思う。彼はアルメニア王家でも王位継承権五位で、上から数えたほうが早い立場の人だ。その人がロゼニア王国と境を接するベルーズド地方の領主となった。当然、イザベラ女王は彼を注意深く見守ったはずだ。その結果、ベルーズドの発展を目の当たりにする事で、畏怖と好機を覚えたのだ。


 ベルーズドが発展すれば、ロゼニア王国も発展する。それはいくつもの街道で繋がっているし、海路でも通じていけばより効果が高まる。一国のみで経済は完結しないことをよく分かっている女王なのだろう。


「絞り取っていくだけの帝国と手をきって、周辺国に嫌われて一人ぼっちのアルメニアと今なら対等な通商条約を結べると思っているんだよ。最近は一人ぼっちが顕著になってるしね……で、これはアルメニアにとっても良い事だよ。帝国の力を削げるし、ロゼニアは帝国より東の諸国と海上貿易で繋がっているからね」


 だがおそらく、アルメニア王家はそれだけで終わらすつもりはないと私は考えている。アルメニア王が、フェリエスにクリスティンさんとの縁談を強いるのは、他に大きな理由があると思えてならないのだ。でも、今はそれが何なのか分からない。


 ぐいっとウシスキーをあおる。ハザルさんの真似をした私だったが、した瞬間に後悔した。これは最低な飲み方です……。


 あれ? なんか気持ちよくなってきましたよ?


「そういや、ロゼニアが相変わらず帝国と仲良くした場合、どうするんだ? いやまあ、まだ返答は出てないからな。推測で物事を進めるのはここらへんでやめておくか。あの王女様が国に帰ってからのお楽しみにしておこう。良い返事を待とうな」

「はははは、待とう待とう!」


 ハザルさん、おもろーい! 片目、ないよぉ。どうしたの?


「こら! 眼帯を弄るな! ……エミリ? 酔ったのか?」

「酔ってないでーす」


 ぐわんぐわんと視界が揺れます。


「ああ! お前、シングルモルトの瓶がもう空じゃないか! 一人でこんなに飲んだのか!? おい! エミリ!!」


 彼に椅子からひっぱりあげられた時、私は突然の吐き気に無表情になった。これまでふわふわとしていた身体が、ひどく重いし頭が痛い。


「ここでやめろ! ああああ!!」


 叫ぶ片目のおっさんに、盛大に胃の中のものを戻してしまいました……。

 



-Féliwce & Emiri-




 ロゼニア王国のイザベラ女王に、神聖スーザ帝国の使者が面談を申し込んだのは、クリスティン王女が帰国してから一〇日が経った日のことだった。この日は朝から身を切るように寒く、王宮内でも盛んに暖を取る為の火が焚かれていた。それは、女王執務室でも同じ事で、彼女は暖炉に薪を自ら放り込むと、帝国の使者に笑みを浮かべる。


 使者はアーセル・スボビッチ枢機卿の側近として女王にも記憶されているアサガル・ギュンター司祭である。


 イザベラは緊張を表に出さず滑らかに述べる。


「我が国がアルメニア王家と婚姻を進めていると貴殿はおっしゃられるが、それは根も葉もない噂にすぎません」


 女王の言葉に、アサガルは葡萄酒の杯を傾けながら、口端をねじ曲げ笑う。それには、盟主国の使者である彼が、属国の女王を自分より低く見ているなによりの証拠であり、イザベラ女王は内に籠る怒りを膨らませた。


「では、我々が手に入れた情報が嘘であると、女王陛下はおっしゃられるのか?」

「とんでもございません。ですが、おそらくそれはアルメニアが我々の関係を壊そうと流したものでございましょう……」


 イザベラは四〇を過ぎて若さに頼らない成熟した美しさを武器にして、艶のある所作でアサガルの油断を誘っていた。それは帝国使者の威圧を和らげる効果が確かにあったようで、使者は女王の主張に「たしかにその線はあるな」と頷いてみせた。


イザベラは使者に頷きを返しながら、あくまでも相手を刺激しない言葉を選んで発した。


「教皇猊下、そして枢機卿会の皆さまには、私とロゼニアが貴国に二心など抱いておらぬとお伝えください。現に、今年も例年通りの贈り物をさせて頂いております」


 女王は、使者に頭まで下げてみせた。


 大国に挟まれた国の王として、彼女はこれまで危うい均衡の上で立ち居振る舞いを続けてきた。それがここ十年程は、神聖スーザ帝国に寄りアルメニアに反してきたのには理由がある。


 内海での海上貿易からあがる利益がそれであった。


 では、どうして今度は、アルメニアに接近しようと考えているのか。


 彼女が以前、信頼するヘルムンド伯爵に語ったのは嘘ではない。だが、本当に重要な部分は話していないのだ。それはこの美しい女王が、見た目ほどに素直な性格ではない事を表していた。


(これまでベルーズド地方はアルメニア領というだけの土地であったが、大公の治世が始まった以降、急速に発展をしている。これは、我が国の経済にも大きな影響を与える。特に、マルセイユ港が中継港としての役割を発揮すれば、運べる物資の量は確実に増え、国も豊になる。一方で、帝国は東の国々を異教徒という理由だけで激しく攻撃している。大事なロゼニア王国の取引先ですら、おかまいなく攻めている。その影響が海上貿易にも出始めた。東方諸国だけでなく、アルメニアに協力し南方大陸との取引を増やしていかねばならない。小鳥である我々は、宿る大樹を身誤ったらおしまいじゃ)


 イザベラは満面の笑みを浮かべてアサガルを見つめる。その柔らかさと美しさに使者は頬を思わず弛めた。そこを狙って、彼女はこう締めくくった。


「使者殿には長旅の疲れを癒して頂きとうございます。準備が整いましたらお呼び致しまするゆえ、お部屋でお待ちになって頂きますよう」


 これを期待して使者役を務めるアサガルという男は、聖職者でありながら、ロゼニアを訪れる度に、女王からの贈り物を食べ、飲み、抱くのである。このような浅く欲深い男が、彼女の申し出を断るはずがなかった。


 執務室からスーザ人を追い出したイザベラは、ヘルムンド伯爵とクリスティンを呼ぶ。侍女が二人を呼びに行っている間、彼女は執務机に並ぶ書類の束を眺め思案する。


(しかし、どこから情報を掴んだのであろうか。これだけ慎重に進めているというのに……。アルメニアからか? いや、ありえぬ。彼らにとって、我が国との関係改善は決して損にはならないはずじゃ。帝国に情報を流す必要性がない)


 彼女が扉を叩く音に顔をあげると、ヘルムンド伯一人だけが姿を現した。


「クリスティン様は、ご気分が優れぬそうでございます」


 侍女の言葉に、イザベラは小さく息を吐きだした。


 ベルーズドから帰って、自室に籠ったままの娘。


 何があったのかと問うても明確な答えは返ってこない。しかし、フェリエス大公からイザベラ女王へと、クリスティンの口を介して伝えられた事が関係しているのは明白であった。


「女王陛下。帝国はなんと?」


 イザベラは伯爵を長椅子に座らせると、その対面に腰を落ち着かせる。侍女が紅茶を運んで来たところで、彼女は使者との面談内容をヘルムンド伯爵に伝えた。


 これまで、アルメニア王家との交渉を一手に担っていた伯爵は、目を白黒とさせて狼狽する。


「まさか……帝国に漏れるなど絶対に起こり得ない事でございます」

「そのまさかが起きたのじゃ、伯。ここはどこから漏れたかを探るのも大事ですが、どう立ち振る舞うかじゃ。大公からは、一刻も早く手を切れと迫られておるし、帝国からは目をつけられて……伯は大公からの通達を知っておるな? これは大公から届いた手紙じゃ。クリスティンには見せておらぬ」


 ヘルムンド伯が手紙を受け取り素早く目を通す。その整った顔はみるみる歪んだ。


「いくらアルメニア王族とはいえ、一地方の領主に過ぎぬ男が、何を思いあがっているのやら……。女王陛下、私めに大公と会う許可をくださいますよう」

「伯よ。しかし時間がない。確かに使者を歓待し、機嫌良く送り出せばいくらかの時は稼げようが、枢機卿どもは狡猾じゃ。人の弱味を利用するには長けた者ばかりじゃ」


「ですが、クリスティン王女を正妻としてではなく、側室として寄こせなど、思いあがりにもほどがありましょうぞ。ロゼニア王家が認めておらぬ事を、堂々と言ってくるその豪胆は確かに評価できるかもしれませぬが、臣下としてこのような無礼を許すわけにはいきませぬ」


 ヘルムンド伯の怒りは凄まじく、目の前にフェリエスがいれば掴みかからんばかりであった。その彼に、艶のある笑みを向けた女王は小さく首を左右に振ると、声を潜めた。


「伯。おぬしの怒りは忠誠の証としてありがたく受け取ろうぞ。じゃが、大公がこう言ってきたのは、クリスティン欲しさではないのじゃ。こちらがクリスティンに変わる人質を出させるよう、あの大公は考えてのことじゃ」


 イザベラは口を閉ざすと、紅茶の香りに目を細めた。その一杯で、庶民一日の生活費に相当するであろう値段の紅茶が、彼女の思考をより活発化させる。


「大公め。嫁はいらぬが人質はいると申しておるのじゃ。ますます気に入った。それでこそ、クリスティンの夫に相応しい」


 ヘルムンド伯爵が、怒りを沈めるように瞼を閉じる。彼はあの日、大公の横にいた家老の姿を思い描いていた。


「絵を描いたのは、おそらくベロア家の家老でございましょう。先々代アルメニア王、大帝ルイの側近であった男です。年老いてもまだ頭のほうはしっかりとしているようでございますな。しかし、帝国がこれに感づいているとなれば、いよいよアルメニアを頼るしかございますまい。彼の国は、決して裏切りを許さぬ国でございます」


 ヘルムンド伯爵の推測は、残念ながら正解ではなかった。


 彼は驚くに違いない。これらが十六歳の少女の頭脳から出た企みであると知れば。


 しかしこの時、イザベラ女王もヘルムンド伯爵も、彼女の事を知らないのであった。




-Féliwce & Emiri-




 ベルーズド地方とモリエロ州の四州を、人々は敬愛と親しみを込めて大公領と呼ぶ。その土地に住む人々は、短い期間で大きく変貌するこの地方に驚き、また誇りを持つようになっているのだ。


 街道が整備され人々の往来が激しくなる。市場、学校、病院などの数が増え、生活が豊かになっていく。それに伴い人口も増える。


 自然と活気に満ち溢れる大公領であるが、それに目をつけた悪人達が集まるのも道理だ。


 フェリエスは、大規模な山賊の討伐を定期的に行いつつ、出目を無視した兵士の募集を継続することで治安を良い状態で安定させている。兵士として無法者を雇い監視すれば悪事に手を染めなくなるし、生活に安定がもたらされれば尚更だ。


 当然ながら、大公軍の軍律はどこよりも厳しい。


 そして今日、その軍に新たな組織が追加されるという会議に私は呼ばれている。その新たな組織とは、軍関係の事務を領政部門から切り離して独立させた公爵府軍務部管理課だった。そして、この話し合いが終わった後、大公殿下は私を皆に、改めて紹介したのである。


 ここでいう紹介とは、私に役職を与えた事を一同に知らせるといったものだ。


「皆、知っておろうがエミリはベロア家軍務次官と、政務次官を兼任する。これを称して家老補佐とする。最終的な決裁はこれまで通りアレクシにある。エミリ、皆に挨拶をしろ」


 私はこの日の為に新調した、白とピンクの軍服姿で立ちあがる。


 私の右隣にはフェリエスがいる。そして左隣から順に、


 ハザルさん。彼は軍務卿。いわば軍の二番目で、上にはフェリエスがいるだけ。ハザル・ドログバがフルネームだ。何かと親切に教えてくれる片目のおっさん。お酒もこのおっさんに教わりました。


 アリストロさん。ハザルさんの弟さんは公爵軍近衛隊長。戦争の時、かならずフェリエスの近くにいて彼を守るお役目。アリストロ・ドログバという名と家名が合ってないように感じる名前を、本人が一番気にしているから言ってあげないようにしている。


 オーギュストさん。オレンジ頭の政務卿。ハザルさんが軍なら、彼は政務の二番目に偉い人だ。教えられるまで知らなかった……ごめんね。フルネームはオーギュスト・ジダンという名前で、初めて聞いた時、私は有名なサッカー選手を思い出した。


 ジェロームさん。クロエちゃんのお兄ちゃん。モリエロ州総督。フルネームはジェローム・ブロー。元モリエロ州伯爵だった家のご嫡男だ。クロエちゃんと最近、遊べてないなぁ……。


 マルセロさん。言いにくい家名の髭おっさんは、オルベル州総督。フェリエスに古くから仕えていた人で、元々は料理人だったというから驚きだ。そういえば、オーギュストさんも前は庭師だったし、フェリエスってばどういう基準で部下を集めているのだろう。フルネームはマルセロ・ギュンドガン。


 カミーユさん。グラステア州の総督で初めて会うおっさん。てか、おっさんばっかだな。にこにこ顔が可愛らしい。なんとメリルさんのお父さんだそうだ。フルネームはカミーユ・レヴァンドフスキ。言いづれぇ……。


 そして最後にアレクシ・デュプレ。ご家老さん、お爺ちゃんと私が呼んでいる人で、いろいろとこの人のせいで面倒に巻き込まれたが、今となっては良かったと思っている。だって、この人のおかげで、私とフェリエスは今の関係を築けたのだから。時々、恐い顔をするのだけはやめて欲しい。


 順に眺めた私は、どう挨拶するのかと期待する皆さんに大きな声を発した。


「エミリです! よろしく!」


 立派な挨拶を期待していたらしい皆は、がっくりと肩を落とした。


 ええ、それはもう不安げな目で見られましたよ……。


 


-Féliwce & Emiri-




「エミリ、国王からお呼びがかかっている。お前を連れて王都へ参上せよとのありがたいお招きだが、これをどう断る?」


 会議が終わった後、私はフェリエスとお爺ちゃんに連れられ、大公執務室で打ち合わせをすることになったのだけど、フェリエスの第一声がこれだった。


「帝国にロゼニアを攻めさせ、ロゼニアからフェリエスに救援要請を寄こさせます。優しいフェリエスは未来の奥さんを助けに行くの」


 未来の奥さんというところで、思いっきり嫌な顔をしてやりました。


「流言だけで動くか?」


 フェリエスが怪訝な表情をした時、アレクシお爺ちゃんが用意していた手紙の写しをテーブルの上に広げた。


「これと似たようなものが、偶然、帝国の手に渡るのです」


 それは、ロゼニア王国からフェリエスとアルメニア国王に宛てられた手紙である。もちろん、そんなものは存在しない。


 偽造です。


「ははは、ロゼニア女王が俺や道楽息子に、帝国と手を切りたがっている手紙を送ってきているということか。その人質として、クリスティン王女との縁談を進めているという筋書きだな」


「そうだよ。この場合、縁談は実際に存在するし、その目的も真実に近いことだからロゼニアとしては痛いところ。で、トドメはこれなのだ!」


 私が目配せすると、お爺ちゃんがそのトドメをテーブルに置いた。それは神聖スーザ帝国東部領土の地図だ。ロゼニア語で書かれたそれを見て、フェリエスは私とアレクシお爺ちゃんの意図を理解した。


「なるほど……アルメニアとロゼニアが手を結んでこの土地……とくにこのニュルンベルクを狙っていると思わせるのだな? これはさすがに帝国も動くだろう。しかし、これはどこで手に入れた?」

「これはアレクシお爺ちゃんがこつこつと作ってくれていた地図を、ハザルさんにロゼニア語で直してもらったの」


 片目のおっさんは、柄にもなく周辺諸国の言語を完璧に操れるバイリンガルなのだ。とても勉強が出来そうな顔をしてないけど、人を見た目で判断してはいけないという良いお手本だ。


 フェリエスは喉を鳴らして笑った。


「しかし、救援を出すとなると軍を動かす。なるべくそれをしたくないという前提は崩れてしまったな」

「殿下、エミリと私の共通認識としてまず、国王の誘いを断ることを第一としました。そして次に、帝国とロゼニアの関係を壊す事。それでこうなったのでございますよ。それに、救援に出す兵力は大きな負担になりませぬ。騎兵連隊のみで足りるとエミリは申しております」


 青い瞳を私に向けたフェリエス。彼は顎に手をやり、私がどうしてそう考えたのかを推測しようとしている。私は恋しい人のそういう顔が好きだ。だからこの時、口を開かずじっと眺めていた。


「そうか。連携も取れない軍を合流させたところで意味がないと判断し、完全に別働隊として動くつもりなのだな? それで機動力重視の編制か」


 私は手を叩いた。


 さすがフェリエス。カッコいいだけじゃないんだよね!


「うん。ハザルさんとも相談したんだけど、大軍の嫌がる事を徹底的にしてやろうと決めたの。相手の武器や食糧を奪うことに注力する。そうすれば、帝国軍はロゼニア領内で動けなくなるもん。その間、フェリエスは領地経営に集中して」


 フェリエスが両目を輝かせた。


「なるほど。俺がどうして、大量に兵士を雇い始めているかかわかったな?」

「うん。屯田制でしょ?」


 屯田制。


 アレクシお爺ちゃんに教わったその制度は、平時には兵士が農業従事者となり作物を育てながら、緊急時には兵士として戦うというもの。のんびりと農夫が集まるのを待っていられない彼は、軍の拡大と食糧確保を同時に解決するつもりなのだ。


 フェリエスが笑みを私に向ける。


「お前が俺の味方でよかったぞ、エミリ」


 あーん、もっと褒めて! 褒めちぎって!


 私はアレクシお爺ちゃんがいるにも関わらず、猫のように彼に甘えかかったのでした。


 ええ、真顔で注意を受けましたぁ……。


 でも、これからフェリエスとこうしていられる時間は少なくなる。だから、少しくらい大目に見てよね、お爺ちゃん!




-Alfred Shyster-




 アルメニア王国歴三四六年後半は、後に起こる大規模な内乱の始まりと認識して間違いないだろう。なぜなら、この時期のアルメニア王国の迷走こそ、後の内乱の原因であるのだから。


 そして、表舞台にエミリ・ホリカワという珍しい名前の女性が登場したのも、この時期である。


 歴史書ごと、研究家ごとに記述や意見の違いはあれど、このエミリ・ホリカワという女性が、アルメニア王国内乱を画策した首謀者であると目されている。彼女が何らかの意図をもって、歴史書では『アルメニア王位継承戦役』と記されている内乱を起こしたのだ。それまで無名の女性が、しかも当時、まだ十代後半という若さで、この内乱の中心にあったのかは謎のままである。


 この女性に関して、様々な研究家達が調べているが、はっきりとした素性が分からない。


 彼女に関して記録されているところを箇条書きにするとこうなる。


『非常に美しく、女性ながら剣も馬も軍も操るに長けた女性』

『気性は激しいが、慈悲深く部下を大事にし、誰からも好かれた』

『その知恵は涸れる事を知らない泉のようだ』

『記憶を失い彷徨っていたところを、大公に拾われた』


 このような事柄から想像するに、美しく聡明で公明正大な女性であったようだ。そして随分と艶のある想像をすると、フェリエス大公と彼女は恋仲ではなかったのか。そう考えると、三四六年以降、フェリエス大公の行動は辻褄が合うのだ。しかし、こう考える僕はいわば学会では少数派で、異端とされてしまうのは、仕方ないことだろう。


 話を戻そう。


 アルメニア王国歴、三四六年後半の最大の山場。これはフェリエス・ベロア・ベルーズド公爵にとっての山場である。


 ロゼニア王国という今は無き小国に、神聖スーザ帝国が軍を発した。これにロゼニア王国はフェリエス大公に救援要請をしたのである。僕はここに疑問を感じている。どうして、一地方の領主に過ぎぬフェリエス大公に、ロゼニア王国が救援を要請したのか。通常、アルメニア王国に対しするべきものである。疑問はまだある。当時のロゼニア王国とアルメニア王国は、まだ友好的な関係ではなかったにも関わらずの救援要請だ。


 アルメニア王国史には、義の為に救援を出したとしか記述されていないが、それを信用するほど、僕も馬鹿ではない。


 どうやら、この謎を解く鍵は、エミリ・ホリカワという女性にあるのではないかと思うのである。僕は当時の彼女の動きを、数少ない記録から追うことにしたのだった。


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[気になる点] 《ぐいっとウシスキーをあおる。 》 酔ってきたか?(ちょっと楽しいのでこのままでも……)
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