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お爺ちゃんの授業を終えてからずっと、私は公爵邸の塔に昇って、市街地を見ている。
ここからは、ストラブールや周辺を一望できる。それほど高い塔なのに、ここからでも日本は見ることができない。街の外、夜の闇に黒く染まった山々が、月と星の光でうっすらと浮かび上がっているのを見て、そのはるか向こうに日本があるのではないかと思うも、幻想にすぎないと息を吐き出した。
日本からこの世界に飛ばされて半年。
私はどこにでもいる女子高生だった。
いや、剣道や居合い、合気道の有段者ってのはどこにもいないか。でもそれのせいと背が高いことで、日本にいた時は男の子に全くモテなかった。告られたことはあったけど、女の子に告られても困るだけだった……。
たった半年間で、私は日本では経験できないことを沢山、経験した。多分、今すぐ日本に帰ったら、相当に浮いた存在になる自信があります。
でも、こちらの世界ではまだまだ甘いくらいだ。いや、フェリエスの隣に居続けるにはと言ったほうがいいか……だって、彼はこの国を乗っ取ろうとしているんだもの……。
そのフェリエスが私に、相談役になって欲しいと言った。
私は少し考えたいと言って、しばらく前からここにいる。
フェリエスの相談役。それは彼が玉座を手に入れられるように、様々な仕事を彼と一緒にこなしていく役目。そして、多くの人を殺す決断を迫られる立場でもある。
王族専用の庭園で、フェリエスは私に言った。多くの人を幸せにする為に俺が王になると考えろって。でも、綺麗な道を作る為に、抜かれた草や花はどうなるの? 道を作る為には仕方ないことだと、私は割り切ることができる?
私は、またフェリエスに迷惑をかけるのではないか。実はこれが一番こわい。今までのようにはいかない。相談役になった私が、私の価値観や道徳、後ろめたさ、皆に好かれたいという気持ち、あげればキリがないけど、そういうものによって判断を鈍らせれば、それはフェリエスの命を危険に晒すことになる。ううん、フェリエスだけじゃない。アレクシお爺ちゃん、ハザルさん、アリストロさん、ジェロームさん、オーギュストさん、それにたくさんの兵隊さんや、ベルーズド地方で暮らす人達を私の甘さで不幸にしてしまうかもしれないのだ。
フェリエスは自分と私を守る為に王になると私に言った。結果としてそれが多くの人の幸福に繋がれば良いという考えだ。確かに、このベルーズド地方をみれば、彼が良い王様になるのは分かっている。税収を増やすだけに躍起にならず、病院や学校といったものを増やしている彼を近くで見ていると、本当にすごい人だと思う。彼が王様になれば、皆は喜ぶだろう。でも、それは彼によって排除される人達も出てくるという事実を、私は知っている。それをねじ曲げて誤魔化して、見ない振りをする事を私はまだできないのだ。
この国は寒い。特に夜になれば一気に気温が下がる。
私は、塔のてっぺんで震える肩を抱きつつも、温かい部屋に戻るのを躊躇った。
背後に人の気配を感じ、振り返るとアレクシお爺ちゃんが立っていた。
「お爺ちゃん、風邪引くよ」
「ハッハ……お前はここが好きじゃの。毛布を持って来てやったぞ」
私はお爺ちゃんの手から毛布を受け取り、身体をそれで覆う。アレクシお爺ちゃんが、私の隣に立った。でも、何も言わず、じっと私と同じ方向を見つめる。
「お爺ちゃん、私は覚悟がまだまだ足りないの。その……この世界のことは理解してきたけど、そこでフェリエスの手伝いをするってことに対して」
「殿下はもともとお優しいお子じゃった」
私の言葉に対しての返答じゃなかったけど、フェリエスを長く見てきたこの人が、何を言い出すのかと思ってただ聞くことにした。
「それが、みるみる自分を殺し、綺麗に澄んだ青い瞳に、冷たい輝きを発するようになってしまったのは、このわしの力足らずと野心のせいでもある」
「お爺ちゃんの野心?」
アレクシお爺ちゃんは、こくりと頷き、懐から小さな瓶を取り出し呷った。それを私に差し出してきたので、飲んでみると杏の果実酒だった。ほんのりと甘く、冷えた私の身体を暖めてくれる。
「わしは最初、ベロア家の家老としての役目を先代国王から仰せつかった時、実は大いに腹を立てたのじゃ。それまでルイ三世陛下をお支えしていた儂を閉職においやるかと反発した……フェリエス殿下を気にはかけていたが、それはあくまでも己の出世の為であったのだ……ゆえにあの頃の儂は、殿下の世話をするということを、自分に相応しい役目ではないと周囲にも漏らしもした」
「お爺ちゃん、ひどい……」
「すまぬな。まだまだ出世に夢中であったからの。だが、殿下の成長を見守るようになり、殿下のお人柄やその才能を知るにつれ、この方を補佐することで、中央の者どもを見返してやれると思ったのじゃ。ははは、なんとも情けない爺じゃろ? 実は、この事を深く後悔し始めたのは、情けないことについ最近のことでな……」
ご家老さんは私に「秘密だぞ?」と片目をつぶる。私はぎこちない笑みを浮かべ、お爺ちゃんから視線を逸らした。
「軽蔑するなとは言わん。じゃが、わしは後悔すれども、殿下の現状を鑑みた時、これで良かったのかもしれぬと思うようにもなった。お前がいるからじゃ」
「どうして?」
「お前と接する殿下の楽しそうなこと、嬉しそうなこと……わしはお前と殿下を会わせるために、殿下をお守りし補佐し今日に至るまでお仕えしたのだと思うておる」
私は、お爺ちゃんの手を両手で包み、暖めるようにする。ひどく彼が震えていたからだ。寒いのに無理してここに来た彼は、私とフェリエスの為に話したくもない事を話してくれているのだと思うと、素直に嬉しかった。
「じゃが、エミリ。お前は覚悟が足らんと言うとるが、殿下を取り巻く環境はお前の腹が座るのを待ってはくれん。お前の存在は明るみとなっておるし、王都でのこともあって、国王に興味をもたれたようだ。王都の別邸から、国王が殿下を呼びつけるつもりだという情報が届いておる。さらに悪いことがある。殿下はロゼニア王家の娘を娶るよう、国王から言われておるのは知っておろう。ロゼニア王家の事は聞いておるな?」
私は、夏に起きた出来事を思い出す。あの時は替え玉を用意して難を逃れたけど、さすがに今回は無理だ。リシュルー公爵や多くの貴族達に私は見られているのだから……そしてロゼニア王家……このまま縁談が進めば、私はフェリエスから離れなくてはならないという事実。
私を妾という立場に置いてロゼニア王国からの申し出を保留したフェリエスだったが、その妾は、アルメニア国王によって取り上げられしまった。婚姻を断る理由が無くなった彼に、アルメニア国王はロゼニア王家との縁談を進めるよう命じた。
これが原因で、夏に私達は大喧嘩をした。
今でも覚えている。
その仲直りの為に、ハザルさん達が動いてくれて、私はフェリエスのパートナーとしてリシュルー公爵の誕生祝賀会に出席した。これは、フェリエスに新しい女性ができたという事を、公表する意味もあったのかと後になって知った私は、ハザルさんはそこまで考えてくれていたのだと思ってとっても感謝をした。つまり、ロゼニア王家との縁談の邪魔を、あの片目のおっさんはしてくれていたというわけ……。
でも、国王がフェリエスと私を王都に呼ぶという知らせが意味するものを私はわかっている。私は、今度こそ本当に、この国の国王によってフェリエスから引き離される可能性が高い。
フィリプ三世という国王は、ロゼニア王家とフェリエスの縁談を進めたいから、フェリエスの恋人を奪っていく。
素敵で優しい大公殿下が最も悔しがる方法で。
あながち、ぼんくらではないかもしれない。
私は閉ざしていた口を開く。
「ロゼニア王家が妻以外の女性を認めないってのは聞いてるよ。でも私はそれが嫌なんじゃないの。ううん、私はそれが当たり前の世界に生きてきたから、奥さんになる人を大事にするってほうがしっくりくる。私が許せないのは、その為に私が犠牲になることなの。私の想いが引き裂かれる事なの。私は……自分のことしか考えてないの」
「これを回避するに、お前はどう考える?」
「……フェリエスも私も、ここを離れられない理由を作ります」
「そうじゃ。その絵はおそらく、お前の賢い頭の中には描かれておろう。それがどんなに辛い事でも、そうしなければお前は国王に弄ばれ、殿下は怒り狂って暴挙に出る恐れがある。お前の為となると激しいお方じゃからの……しかるに、お前がお前の為にする事は、殿下の御為でもあり、我ら臣下の為でもある。さらに、このベルーズドの人達の為だ。分かるな?」
私はお爺ちゃんの手を強く握った。夜風に冷たさに息を吐き出したご家老が、視線を私から逸らした。それは、私が言いにくい事を言おうとしていると感じてくれたからだ。
「お爺ちゃん、私はひどい女だよ。散々、迷っていたくせに、自分の事になると決心してるんだもの。私、嫌な女だ」
「いいや、お前は優しい良い子じゃ。そもそも、普通の人間は、他人の心配など最初からせんでな。だから殿下も、お前の事を大事にする。わしも出来る限りの事をするが、見ての通り、わしはもう長くない」
私は笑った。
「まだまだ元気だよ」
「最近、咳に血が混じりだした。胸の痛みを覚えるようにもなってきた。長くないのじゃ。殿下や皆には言うなよ……悲しいかな、我ら生物は限られた時間しか与えられぬ。この歳になって、ようやくそれが分かったわしは本当に愚か者じゃ」
お爺ちゃんは私をじっと見つめた。
「エミリ、歳を取った時、お前がこれで良かったと思える選択を今するべきだ。今の積み重ねが未来なのじゃ。お前の心は何と言っている? お前の本当に望むことは、お前がよく分かっておるじゃろ? そこに他人の思惑など入り込む余地はないはずじゃ」
私は、彼の身体を抱きしめ、背中をさすった。
限られた時間の中で、お前がどうしようが、それはお前の自由だ。いかなるものにも、囚われる必要はないと、お爺ちゃんは言ってくれたのだ。私は、その厳しさと優しさに声が震えた。
「私、フェリエスを一人占めする!」
「ふむ、頼むからわしを追い出さんでくれよ?」
一転しておどけたアレクシお爺ちゃんのせいで、私は涙に濡れながら笑っていた。
-Féliwce & Emiri-
王都にある別邸からの知らせに悩むフェリエスが、扉の開く音に顔をあげた時、黒髪の少女が美しい顔を曇らせて帰ってきた。それは彼女が、彼の申し出に悩み考えた証でもあり、返答はどうあれ、それ自体が大公の胸を激しく打った。
「エミリ」
少女の名前を口にした時、彼女は無言でフェリエスの膝の上に乗りかかると、初めて彼女から彼に口づけをしてきた。それはとても長く、優しいものだったため、これまで散々、部下達に邪魔されてきたフェリエスのエミリに対する欲念を強くする。
唇を離した時、エミリが可愛らしい笑みを浮かべた。
「ふふふ、襲いかかるってのもいいね」
「どうした? さっきは曇った顔をしておったのに」
フェリエスが彼女を抱きよせる。エミリは頬を朱に染めたまま、彼の耳に唇を寄せた。
「相談役の件、お受けします。そのかわり……」
大公は、エミリの声の艶めかしさに喉を鳴らす。
「そのかわり殿下……フェリエス……あなたの未来を少し、私に分けて。あなたの時間を少しだけでいいから、私の為に使って欲しい」
金色の髪と黒い髪が、二人の感情を反映するかのように絡み合った。愛おしさに鼓動を早めたフェリエスは、エミリの瞳を覗きこむ口を開く。
「言われなくても、そのつもりだ。少しどころかたっぷりとな」
彼は、少女の身体を抱きしめる腕に力を込め、無理やり抱き上げた。しがみついてくるエミリが、フェリエスの耳を噛む。
「いつもの仕返しだよ。やられてどう?」
「悪くないな」
エミリが嬉しげに身じろぎした。
大公は彼女を寝台に押し倒すと、自分でも驚くほどの強引さで彼女の服を剥ぎとっていく。ふと嫌な予感に駆られた彼が、背後のドアに振り返った時、その首にエミリの腕がからめられた。
「また邪魔されるか心配?」
艶のある唇がフェリエスを誘うように開かれた。彼はその唇を指でそっと撫でると、彼女の首筋にキスをした。
愛しい恋人を抱きしめ、頬に口づけをしたフェリエスだったが、心の泉の底に澱む、エミリへの負い目に瞼を閉じた。
彼はわかっている。
エミリと自分は夫婦になることはできないこと。
(そうでありながら、俺は彼女をアレクシに預けた。それが彼女を俺が進む荒んだ道へと引きずりこんだ。こんな罪深い男でありながら、健気なエミリは俺に尽くしてくれる)
フェリエスは、エミリ以上に自分の花嫁に相応しい女がいるわけがないではないかと信じる。こんなにも強く、脆く、優しく、美しくエミリ以上に、彼が時間を共有したいと願う女が現れるはずがないと彼は思った。そして、初めて彼女を噴水で見つけた時から魅かれていたと認めた。
(男なんて勝手なものだ。好きな女を幸せにできなくとも、努力をしているという顔をしていれば許されると思っているのだからな。俺だって、そうだ。エミリの苦しみの原因が、俺に対する愛情であり、俺が彼女を想う気持ちであると知りながら、こうしてエミリを離さないのだ)
エミリの手が、フェリエスの太股を撫で、彼の背中に至った時、大公は彼女の鼻先に、自分の鼻先をつけた。
「エミリ、可愛い手だ」
「嘘……。稽古のせいで可愛くなくなってるよ?」
「俺の命を救う可愛い手だ。エミリ、俺はお茶や歌、踊りに長けただけの女など興味がない。美しいだけの花なども眺めるだけで十分だ。摘み取り持ち帰って愛でたいと思う花は、お前だけだ。優しくて強くて美しくて、俺の全てを許してくれるお前だけだ」
フェリエスの言葉に、エミリが微笑を浮かべた。彼女はフェリエスの唇を指でなぞった。
「大公殿下、唇は言葉を囁くだけが仕事じゃないでしょ?」
目を輝かせたフェリエスだったが、またしても、怒り苦しみ、絶望を感じることになった。
扉が激しく叩かれたのである。
しばらく後。
エミリに必死に宥められるも、それを撥ねのけ怒り狂う大公の姿を廊下で目撃した侍女や兵士、将校達は、何があったのかと興味を覚えたが、触らぬ神に祟りなしとばかりに、怒声を浴びせ続けられ肩を落とすアリストロに同情したのだった。
「しょうがないよ。諸侯の皆さんが会いたがってるんだから」
エミリの言葉ですら、この時のフェリエスには効果が無かった。
-Féliwce & Emiri-
フェリエスから道楽息子と呼ばれる国王フィリプ・ラング・アルメニアは、その太った身体を寝台に乗せていた。その脇に立つ偉丈夫と、弟を交互に眺めた彼は、太った身体の上で国王の為に奉仕をしていた美女の髪を右手で掴みあげる。悲鳴が起こるも、そこに彼の行いを諌める者はいない。彼女は、フェリエスから召し上げた女である。
「カミュルよ。伯父上とロゼニア王家の縁談を進めるなとお前は言うが、この兄が決めた事に不満があるのか? ええい、喚くな!」
髪を引っ張られて悲鳴をあげていた女を寝台から叩き落としたフィリプ三世は、鼻を鳴らして偉丈夫を見た。
「この女はもう飽きた。ヴラド、そちにやろう」
「は……ありがたき幸せにございます」
別名、『血のヴラド』と呼ばれる貴族は、慇懃に礼をすると女の身体を抱き上げる。涙を流して許しを請う彼女に、偉丈夫は「静かにせよ」と囁きながら視線を国王へと転じた。
ヴラドの視線を受けながら、国王は弟に向かってたるんだ頬を振るわせて喋る。
「で、カミュルよ。フェリエスとじゃじゃ馬を結ばせるに不満があるようだが申してみよ」
カミュルは怒りを抑えるあまり、こめかみが引きつるのを感じながら感情を殺した声を発する。
「陛下、あの男にこれ以上、力を与えてはなりませぬ」
「力? あのじゃじゃ馬が下賤の女から産まれた男の力になると言うか?」
国王は目を丸くした後、腹を抱えて笑え出す。それを見る弟の目は殺気すら放っており、女を抱えたヴラドは口端を歪めた。国王の巨大な享楽の巣となっている後宮の一室で、兄弟間の歪んだ関係に辟易すらしている偉丈夫は、腕の中で震える女に視線を転じる。彼はその細い首を掴むと、表情一つ変えずへしり折った。びくびくと痙攣する女の身体を抱いたまま立つ貴族に、王弟が今度は口端を歪める。
「はっは! 良い音がしたのう、え? ヴラドよ」
「御意にございます」
カミュルはこの二人といると、自分がどれだけ正常な人間であるかと安心できるのである。
「陛下、あの男に、ロゼニア王家との繋がりを与えるのは危険でございます。ただでさえ現在、我がアルメニアは周辺国家と激しく剣を交えておりまする。内部に大きな敵を抱えるのは、偉大な陛下であっても、危険このうえないものと存じます」
フィリプ三世は、五つ歳の離れた弟の顔を睨みながら、汗で濡れた首を手で撫でる。酒臭い息をまき散らした彼は、畏まる弟へと微かに身体の向きを変えた。
「ふふん、あの男が大きな敵であるわけがない。予の命令一つで、側女を差し出すような男じゃ。宰相に聞けば、新しい女を囲っているとか……それも奪い取ってやろう。せいぜい、楽しませてくれる玩具である事を祈っておろうか」
カミュルは、壊れた人形と化した女に視線を転じた。この女も、フェリエスなどと関係を持たなければ、このような事にならなかったと思うと、女に同情さえ感じる。
「では、ロゼニア王家とベロア家の縁談、進めるのでございますか?」
「うむ」
大きく頷いた国王は、呼び鈴を盛大に鳴らし、侍女に次の女を連れてこいと命じる。カミュルは頬を引きつらせながら、感情を顔に出さぬように耐えた。
「予はそう遠くない未来、フェリエスを反乱の疑いで罰するであろう。それに加担した疑いで、ロゼニア王家も無事では済まさぬ。刃向ってくればこちらのものじゃ」
カミュルの我慢は限界に達した。この時まで、彼は完全に感情を顔から消し去っていたのだが、まさか役立たずと影で罵ってきた兄の口から、そのような狙いがあったと聞かされるとは思ってもいなかったために、驚きのあまりに両目を見開き、口を半開きにして固まってしまった。
声すら発せぬ王弟に代わり、偉丈夫が口を開く。
「証拠がいりまするな」
ヴラドの言葉に、国王が笑った。
「証拠なら、ほれ。お前に抱かれたその女じゃ。その女が全てを予に話したのじゃ。大公がロゼニアと組み、世に反するとな。これ以上の証拠はあるまい、のうカミュル」
「あ……兄上……」
「二人とも下がってよい」
絞り出すようなカミュルの声を無視した国王により、二人は新しい女と入れ替わるように室から出た。ヴラドが抱える死体を見て、新たに呼ばれた女が喉を鳴らし、カミュルを窺う。
(せいぜい、自分の生命の為に励むことだ。俺にはどうする事も出来ぬ)
カミュルは、視線すら交差させず廊下を進み、ヴラドからも遠ざかるように後宮から内宮へと移動した。そこで王弟を待っていたのは、彼の腹心だった。
男色であるカミュルの、公私に渡って頼りとしている部下は美しい銀髪を汗に濡らしていた。自分の代わりに、政務に忙しかったものとカミュルは見て、すぐにでも慰めてやりたくなるのを堪える。
「エミール、どうであった?」
「は、南部では都市国家連合との戦闘に勝利致しましたが、北部ではコーレイト相手に苦戦しております。ぜひとも、王弟殿下のご出馬をと諸侯が望んでおりまする」
カミュルは腹心から書類の束を受け取ると、自分の執務室に向かって歩き出す。その後方にエミールが続き、さらに従者が列を為す。彼らに指示を与えながら、廊下を歩くカミュル。列を為した従者達が、王弟が指示を発する度に、一人、また一人と離れて行く。
最後に残ったエミールと共に執務室に入った王弟は、兄が彼に話した内容を、完璧に部下へと伝えた。
「……陛下に何があったのでしょうか?」
「わからぬ。わからぬが、木偶の坊なりに考えておるようだ。しかし、今のアルメニアは周囲が敵だらけだ。兄のいらぬちょっかいで、寝ている虎を起こさねば良いが……エミール、近くに来い」
カミュルは、部下の顎に指で触れると、煌めく瞳に吸いこまれるように中性的な顔立ちの部下を抱き寄せ、その唇を奪った。
-Féliwce & Emiri-
私はフェリエスに連れられ、城の一室に入った。城に生活の拠点を置かない彼が、わざわざ私をそこに連れて来たのは、私をロゼニア王国第三王女に会わせるためだ。
この面談は私が望んだ。それは、これから王国東部国境付近で乱を起こすために必要であったからと、私の好きな人を奪って行こうとする女はどんな人なのか、確かめておきたいと思ったからだ。
フェリエスが扉を叩くと、静かに開き、ベロア家の使用人である女性が顔をのぞかせた。
使用人の女性が、私、殿下の順で見て一礼し姿勢を正す。
「姫君と話はできるか?」
「は……はい」
扉を完全に開き、中へと私達を迎え入れた彼女は、私の顔を見て大きく目を開いた。それほどまでに、厳しい表情をしていたのだと思う。
大きな寝台の上に寝かされたその人は、とても綺麗な人だった。金色の髪と、同色に輝く瞳はこれまで見たどの女性よりも知的で艶やかで美しかった。そして、そうだからこそフェリエスと並び立つと素晴らしい対になり得ると考えてしまって心がざわめく。
絶世の美女がフェリエスに言う。
「大公殿下……ようやくお顔を見せてくださいましたのね」
「好きで来たわけではない」
フェリエスは私と向かい合う時が嘘のように冷たい声と視線で応えると、隣国の王女が横たわる寝台の脇に椅子を引き寄せて座る。
「クリスティン王女だ」
私にそう告げた彼の声を聞き、私は胸の中に渦巻いていた嫉妬が薄れていくのを感じた。なぜなら、彼の声にはなんの感情も含まれておらず、まるで無機質なものの名称を口にするかのごとくだったから。
「はじめまして。エミリと申します」
クリスティンさんは目を見張って私を見た。彼女はしばらく私を眺めていたが、私とフェリエスの間に漂う親密さを感じ取り、睨むような目を作るとフェリエスへと視線を転じた。と同時に、強い口調で抗議を始める。
「殿下、お約束が違いまする。我が王家は、妻以外の女性を認めておらぬのは殿下もご存じのはず」
「我が領土を侵しておきながら、どの口が言っている」
フェリエスの声は、王女の抗議になんの感情も抱いていない事を私に証明する。
押し黙るクリスティンさんに、フェリエスが言葉を続けた。
「貴国の事情はわからぬでもない。しかし、我らと友好を深めたいとしながら、一方で帝国には尻尾を振る。そのような国は信用できぬ。悪いが、縁談は無くなるだろう」
「そ……それは……母上は……本気で殿下のお力を認めております。今回の件は弁解の余地のないことでありまするが、我らに二心があってのことではございません。我がロゼニア王家は、貴国の……いえ、大公殿下とより良い関係を結びたいのです」
フェリエスはせせら笑った。こういう時の彼は恐い。
「姫は勘違いをなさっている。婚儀が無事に済めばこれまでの関係を改められると女王陛下も姫もお考えのようだが、それは違う。俺に貴国と親睦を深めたいと思わせるには、まずは態度で示して頂きたい」
金色の髪を揺らしたフェリエスは、気の毒なほどに狼狽した姫君を見つめた。
「今すぐ、帝国と手を切って頂こう。傷は癒えたと聞く。ロゼニアに戻り、俺の言葉をそのまま女王陛下に伝えて頂こうか。エミリ」
「はい」
「俺はこれで席をはずす。あとは好きにしてよい」
立ち上がったフェリエスは、私に詰め寄られて慌てる人とは思えないほど、威厳に満ちた姿でクリスティンさんを見下ろした。無理に微笑みを浮かべたロゼニア王国第三王女を、彼は無視して部屋を出ていく。
「おぬし、エミリとやら。私が憎いか?」
「憎いです」
大公殿下が姿を消してようやく、クリスティンさんが口を開いた。
私はそれに即答すると、フェリエスの座っていた椅子に腰をかける。
「殿下を利用して自国の安全を図ろうとするその性根がまず憎うございます。次に、現在も帝国と誼を通じながら、我が殿下ともそうしようとしている、天秤に量るような真似が憎うございます。さらに、そのような事情で、殿下をお慕い申し上げる私を排除しようとしたあなたと女王が憎うございます」
よく喋れた。とハザルさんがいたら褒めてくれたかもしれない。
「そうか……しかし、そなたも私の立場であれば、少しは考えが変わると思うのじゃ」
「私には関係のないことでございます」
妥協の余地を与えない一言で、異国の王女を黙らせた私は、まだ白い包帯がまずしい彼女の肩を眺めた。
「そもそも、殿下になんの好意を持たぬ方に、殿下を奪われる私の立場こそ、あなたは考えるべきでございましょう」
クリスティンさんは、視線を手元に落とした。その表情に、私は不吉なものを感じた。
「エミリとやら、それは違う。いや、確かに私は大公殿下の事を全く知らなかった。しかし、実際に敗れた身となり、こうしてここで恥をさらしていながら、私は自分の感情に驚いてもいるのじゃ」
私は膝の上に置いた手を握りしめた。
「私は、夫とするなら尊敬できる殿方をと願っておった。王家に産まれた私は、国の為に夫を選べぬ立場じゃ。せめてそれだけはと願っておった。それが叶ったのじゃ」
「尊敬と愛情は違います」
「そなたの言う通りじゃが、尊敬できぬ相手に愛情は抱かぬもの。そなたなら、わかるであろう?」
この人、本気だ。
「私は殿下を尊敬しているのじゃ。倍以上の大軍相手に見事な戦いぶりもさることながら、ここまで運ばれる馬車の中から見た景色は、殿下の治世が素晴らしいものであると私に教えてくれた」
クリスティンさんの言葉に、私は嘘を見つけられず、だから余計に苛立ちを覚えた。
「勝手なことを……あなた達が殿下のお命を奪っていたかもしれないというのに! 私がどれだけ、不安で眠れぬ夜を過ごしたとお思いですか!? 殿下が無事に笑顔を見せてくれることを、どれだけ祈っていたかわかりますか!? わかるはずない!」
私は、話は終わりだとばかりに立ちあがった。口を開こうとした彼女に、そうはさせないと言葉を続ける。
「帰国後、すぐに女王陛下に殿下のお言葉をお伝え頂きますよう。さすれば、慈悲深い殿下は貴国の安全を全力で守ってくださるでしょう。しかし、そうとなった時、あなた方が再び帝国になびかぬ保障を頂きます。これは私の責任において、必ず頂きます!」
私は勢いよく扉を開き、外に立っていた使用人の女性に驚かれた。
「エミリ……終わったの?」
「終わりました。明日の朝、姫君はご帰国なさいます。それまで、お世話をお願いします」
私は自分がとても意地悪な女だと思いました。




