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フェリエスはベルーズド地方周辺の諸侯を伴って、ストラブールに凱旋した。その姿を一目見ようと、城門の内側には人で溢れかえり、ハザルとアリストロが声を枯らして道を譲るように怒鳴り続けた。
大通りに溢れた人達は、美しく気高い大公の姿に熱をさらに上げ、狂ったようにその名を叫び続けた。
「あの、後ろに続く馬車は?」
「さあ……、誰か偉い人でも乗ってるんじゃないの?」
一部の市民が、大公の後ろに続く馬車を指差して首を傾げる。それは、戦争とはあまり縁のなさそうな上品な作りの馬車であったからだ。
多少の混乱はあったが、公爵軍はストラブールの兵舎に到着した。フェリエスはいつも、屋敷で公務をこなすので城は使わない。だが、多くの兵士を収容する面積は、公爵邸には無いため、こういう場合のみ城へと姿を見せる。
実は、彼は城を好きではなくなっている。
このストラブールの城を、というわけではなく、城という建築物を嫌いになってきているのだ。なぜなら彼以外の者達は城を守る為に防衛を考えようとし、それが主流の現在、彼の意見は周囲の理解を得難いからである。
彼は城、城塞都市であっても、包囲されたら終わりだと考えている。また、城は無事でも、領内を荒らされては意味がないと思っていた。それは物流の停滞や生産力低下による経済的被害が、領政に損害を与えること、後を引く厄介さがあることなどを知っているからだ。
この彼の考えを理解できるのは、ベロア家中においてもオーギュストだけであったことが、帝国軍侵攻時にわかり、フェリエスは悩んでいた。これをアレクシに相談したところ、一般論に染まっていない者を見つけて教育するのは時間がかかると返答され困った。
こういった経緯を、彼は城を前に思い出して溜息をつく。だが、すぐに胸中のもやを払うように笑みを作る。
(皆の前ではわらっていよう)
こう思うフェリエスが、今回の戦いに駆けつけてくれた諸侯に労いを述べながら、彼らを誘って城の中に入った。
ここで彼は、家老の隣に笑顔を咲かせた恋人を見つける。
大公は「すまぬ、はずす」とだけ伝えると足早に進み、黒髪を煌めかせるエミリを抱き上げる。
「お帰りなさいませ!」
彼女の嬉々とした声と表情が、フェリエスを癒してくれた。
「はっは! 言葉使いが随分とできるようになったな!」
大公は彼女を抱きかかえたまま、家老を横目で見て伝える。
「敵の指揮官を捕虜とした。事情のあるお人ゆえ、丁重に扱え。あと、俺に会いたいと申しても取り合うな。忙しいとだけ伝えよ。傷が癒えたらすぐに送り返す」
アレクシは主君の言いたかった内容を理解したが、それでも怪訝な表情を浮かべる。しかし、フェリエスが意識的に瞬きをしたのを見て尋ねた。
「は……しかし、よろしいので? 身代金を要求すればいかが?」
「無用だ。イザベラ女王には、数日後には丁重にお返しする旨、使者を立てて伝えるようにしてあるからな」
一礼した家老から、エミリへと視線を転じたフェリエスは、その頬に唇を寄せる。
「これから俺は諸侯を労わる。おまえも一緒においで」
「はい、殿下」
フェリエスは胸の奥から湧き起こる欲求を抑えるのに苦労しながら、諸侯へと振り返った。
「皆、よくやってくれた。今夜は俺からささやかな礼を尽くしたいと思う。楽しんでくれれば嬉しい」
大公の言葉に、場内は歓声に包まれる。それを背中に浴びながら、フェリエスはエミリを抱きかかえたまま、城の奥へと進む。それは次第に速度をあげ、階段を駆け上がったあたりから、歩くというより走っていた。
「ちょ……どうしたの?」
「ずっとお前に会いたかったのだ。おとなしくしろ」
彼は城の奥、籠城時に指揮官が使用する寝室へと通じる扉を押し開いた。そこには大きな長椅子や卓、寝台に酒類の並んだ棚がある。その寝台に迷うことなく向かった彼は、エミリの身体をその上に押し倒した。
「エミリ、無事に帰ってきたぞ。俺の為にお前が祈っていてくれたおかげだ」
何か答えようとした少女の唇を、大公は唇で素早く塞いだ。そして彼がエミリの黒髪に指をからめた時、彼女は彼の背中に手を回してくれた。
フェリエスが、想いを込めた瞳でエミリを見つめ、彼女の綺麗な黒い瞳に映る自分の顔に照れた時、無情にも扉が激しく叩かれた。
「殿下! 準備はすぐに整いまする!」
(オーギュストか! あいつの欠点はこういう時でも仕事が早いという事だ!)
苛立つ目を扉へと向けたフェリエスの頬に、エミリが優しい口づけをした。
「フェリエス、行こう? オーギュストさんを困らせたら駄目」
「お前は俺より、あいつの味方をするのか?」
わざと怒ったように眉を寄せた大公に、黒髪の少女は口を尖らせた。
「私を置いて行った罰でーす」
フェリエスが、湧き立つ感情に負け、少女の唇を激しく奪おうとしたが、またしてもオーギュストに遮られた。
「殿下! 皆様をお待たせしてはなりませぬ!」
大公は諦めたようにエミリを抱き起こし、苦笑と共に立ち上がる。
彼は思う。
ハザルにしかり、アリストロにしかり、オーギュストにしかりだ。あいつらはわざと、俺とエミリの邪魔をしておるのだと。
-Féliwce & Emiri-
「エミリ、謝ることがひとつある」
フェリエスは宴会の最中、唐突にそう言いました。頭の中でたくさんの謝られる事を思い浮かべる私に、彼は傷ついたという表情を作ります。
「そんなに……考えるほどにあるのか?」
「あるよ」
「……わかった。あとでたっぷりと謝る。今はそれよりも事情を説明せねばならんことがある」
私は彼から視線を転じて、フェリエスに協力してくれた貴族が私達に近づいてきていると見て、目を伏せて挨拶をした。
ビクトル・リザラズ・ブランシェル伯爵は、穏やかな笑みで私達の近くに立つと、一礼し口を開いた。
「殿下、この度の見事な采配、やはり我々を導かれるお立場になられるべきだと私めは確信しましたぞ」
初老の貴族は、フェリエスが驚いた表情をしているのを無視してさらに言葉を続ける。
「殿下、聞けば中央は再び利権争いに躍起となっておる模様。我ら地方貴族は結局、地方の事情に詳しい指導者の元で一致団結していかねばならぬという思いを強くしております」
ブランシェル州はベルーズド地方の北に位置する土地で、隣接している神聖スーザ帝国の侵略に苦しみ耐えてきた歴史があるという話を聞いている私は、こういう人達にとって、中央で安穏たる生活を送る人達がどれだけお気楽に見えるのか、なんとなく感じたのでした。
「ブランシェル伯、それは買いかぶりというものだ。俺など、陛下の威光で生かされているに過ぎぬ存在だぞ」
「ご謙遜を。実は殿下にお許しを頂きたい事案がございます」
この彼の言葉は、アレクシお爺ちゃんのレクチャーによって鍛えられた私の脳みそを大きく刺激した。
この初老の貴族は、国王ではなくフェリエスに許可を求めてきたのだ。という事はどういう事か、考えてみろエミリ。
まるでお爺ちゃんに言われたかのように、考える私はある結論に至った。その横で、困惑するフェリエスにしびれをきらしたブランシェル伯爵が口を開く。
「我ら、王国東部諸侯は大公殿下のもと、一致団結していくべきだという結論に話合いの結果、至ったのでございます。殿下、ぜひとも我らの願いをお聞き入れくださいますよう」
「まあ待て、伯。そのような大事、今ここで決められぬ。貴公らの気持ちはありがたい。この俺をそこまで評価してくれていたのかと嬉しい。だが、現状、その思いに応える覚悟が俺にはまだない」
フェリエスの言葉を隣で聞いていた私は、彼の意図を見つけた。それに、この伯爵さんは気付くでしょうか……。
「このような場で失礼致しました。殿下、その時がくれば必ずお声をかけてくだされ、我ら東部諸侯はこぞって殿下の元に馳せ参じまする」
それまで談笑していた五人の諸侯達が、皆、フェリエスを見つめていた。彼らを順に眺めた大公殿下が、おどけるように笑ってみせる。
「そんな目で見つめるな。俺を見つめても良いのは、ここにいるエミリだけだぞ」
私をダシにして笑いを取ったフェリエス。
場が和み、会場に笑い声が満ち溢れたのを確認して、フェリエスは私の手を取り、立ち上がった。
「すまぬが先に失礼する。無粋な部下にエミリとの仲を邪魔され続けているからな」
諸侯からさらに笑いが起こった会場の中で、壁際に佇むオレンジ頭が目を剥いた。それをチラリと確認してほくそ笑んだフェリエスが、私を寝室へと誘う。
当然、恥ずかしそうな顔を作って従いましたとも!
廊下で、片目のおっさんが私達を待っていた。彼は私をちらりと見るとからかうような笑みを浮かべて一礼した。
「殿下、諸侯が此度の戦費を負担すると申し出てくれておりますが、いかが致しましょうか」
「よい。此度は俺が皆に助けられた。丁重に断り、さらに彼らの戦費を出してやれ。それと……」
「は」
短く声を発する独眼竜。さまになってますね。
「これ以降、城の寝室には誰も近づくな。魔導師に結界を張らせておけ。お前であろうと、アレクシであろうと、近づいたら俺の怒りに震える思いをすることになるぞ」
「肝に命じまする。では」
ハザルさんはすれ違い様に「やったな」と小さな声で私に声をかけた。
振り返って片目を瞑ってみせました。
寝室に入ったところで、私はお風呂場にお湯があるか確かめに入る。さすがはメリルさん。たっぷりとお湯を用意してくれていた。しかも、適温で。こういうところは見習わないといけないなぁ。
「エミリ、さっきも言ったが、事情を説明する必要がある事案があるのだ」
すません。もっとわかりやすく言ってください。ていうか、フェリエスがこういう言い方をする時、それは何か後ろめたいことがある時なのを知っているので、じっと睨んだ。
「お……何もまだ言ってないぞ。怒るなよ」
「なんか嫌な予感がするんだなぁ」
「……」
言いにくそうに口を閉じたフェリエス。
彼の上着を衣装棚に片付けていると、背中から抱きしめられた。
「な! そんな事しても駄目だもん!」
「さっき、たっぷりと謝ると言ったろ? これはそれだ」
彼は私の耳たぶに唇を触れさせると囁く。
「すまん。ごめん。申し訳ない。許せ。悪かった。俺が間違っていた」
謝罪言葉を羅列しながら、私を抱きしめる腕に力を込めていく。
「愛しているぞ、俺の可愛いエミリ」
卑怯だぁ……。
「わかったよぉ」
許してしまいますとも……。最近、フェリエスはこうして私をよくおちょくる。おちょくられて嬉しい私は、それにすぐ反応してしまい、さらに彼におちょくられる。
「良かった。それで話というのは、ロゼニア王国第三王女を捕虜として連れて帰っているということなのだ」
あまりにもさらっと言ったフェリエス。
私はその言葉の意味を理解しようとせず抱きしめられたまま、耳に感じる彼の吐息に、一人でもじもじとしていた。
ていうか、それって誰?
「聞いているか?」
「聞いてるよ。聞いてますぅ」
うっとりとしていました。
フェリエスは何て言ったっけ……?
「ねえ、ロゼニアなんたらが何?」
「ロゼニア王国第三王女を捕虜として連れて帰った。アリストロの放った矢で負傷していたのでな。帰国する体力が回復するまで、ここにいる」
そうだったの? どっかの王女様が怪我したなんて大変だね。早く良くなって帰れるといいね。
……それがどうして私に説明する必要があるんだろう? まいっか。
「フェリエス、お風呂入ろう。洗って差し上げます」
「……あ、ああ。何も言わないのか?」
私は疲れているはずの彼に笑顔を作ると、なぜか困惑しているその目をまっすぐに見た。よくわからないが、これが彼の言う説明が必要な事案らしい。でも、今はそんな事よりお風呂だ。
メリルさんを相手に、しっかりと練習をしてきた!
『ちんたらやってんじゃないわよ! 恥ずかしがってたら、洗われるほうだって恥ずかしいでしょ! こら! おっぱいばっかり触るな! 触ったってあんたのものにはならないのよ!』
このようにみっちりと怒られながら鍛えられたせいで、今では機械のように人様を洗える私。でも、フェリエスだけは優しく洗ってあげるからね!
「どうして? さ、洗ってあげるから」
「そうか……。では頼む」
私はお風呂場に入り、彼の服を全て脱がします。メリルさんに教わった通り、完璧に準備を整え、自分の服を脱いでいると、フェリエスがまた遠慮がちに声をかけてきた。
「エミリ、何かあったのか?」
「ないよ。ちょっと待ってね。この服、背中のボタンが取りにくいの」
私は背中に触れる彼の指の感触を覚えた。
優しいんだよなぁ。
お風呂に入ったところで、手桶でお湯をすくい、彼にゆっくりとそれをかけていきます。練習した通り、上手くできそうだ。そして私が男の人でも照れなく洗えるために、無理やり練習台にされて悲鳴をあげていたオーギュストさん、ありがとうね。でも、メリルさんにお風呂に入れてもらえて嬉しかったでしょ?
フェリエスにこうしてあげられるのは私だけなんだからね。国王の都合で、どこぞの王女様と結婚しても、お風呂は私が入れてあげるんだから! ああ、なんて優しいんだろう、私は!
……。
思い出した!
「フェリエス! その王女って、あんたの結婚相手じゃんか!」
「ど……どうした! だから言ったであろう!」
私は剃毛用の刃物を左手に持ち、泡だらけとなった彼の前で仁王立ちした。
「……結婚前にさらって来やがって! どんだけ待ち遠しかったんだって話じゃん!」
フェリエスが壁際に後退する。彼は慌てて首を左右に振り、私に懇願するように声を出し続けていた。
「落ち着け……。エミリ、落ち着け。俺が愛しているのはお前だけだし、俺が会いたくて堪らないと思っていたのはお前だけだ。ストラブールを出発したその日からもう会いたかったぞ」
「フェリエス……以前、私に言ったよね。信用は普段の言動によって得られるって……私、それを証明して欲しいなぁ」
じっとりとした目で彼を睨むと、こくこくと頷く大公殿下。
「どうして欲しい? エミリ、何でもするからここは冷静になれ」
私は彼ににじり寄った。
「今すぐ! その王女を国に送り返して!」
情けないほどに肩を落とすフェリエスは、私の両目を窺うようにして見てきた。私はわざと笑顔を作る。もちろん、目は笑っていない。
「出来ないっての?」
「……」
「ゆるさーん!」
私はフェリエスに飛びかかった。
-Féliwce & Emiri-
幕僚を眺めたフェリエスが、不機嫌を隠さず溜め息をつく。
「ハザル、何か言いたそうだな」
「いえ、何もございませぬ」
隻眼の武人は、笑いを堪える必死の形相である。無理もない。大公殿下はその恋人によって、目の下にはっきりと痣を作られてしまったのだから。
「殿下、エミリは落ち着きましたかの?」
アレクシの問いに、フェリエスは鼻を鳴らした。
「でなければ、俺がこうして生きておるわけがなかろう」
やや大げさに感じられるかもしれないが、しかしあの時のエミリの恐ろしさは二度と目の当たりにしたくないと彼は思う。嫉妬の末の激情であるとわかっているからこそ、フェリエスは自分の顔を殴るという暴挙に至った少女を怒れない。いや、怒りたいのだが、怒れない。それは、彼が後ろめたさを感じているからだった。
「アリストロ、お前の下手な弓のせいで俺は殴られた。責任を取れ」
今回の原因を作り出したハザルの弟は、身じろぎをして小さくなる。隣に座る兄にからかわれ、きっと睨むも周囲からの視線を感じ、また顔を伏せた。
ストラブールに帰還し、諸侯の労をねぎらったのは昨日。夜が明け、フェリエスと彼を支える幕僚達は、このところ活発な動きを見せる神聖スーザ帝国と、利権争いが再発した中央への対策を話し合う為に、昼食の時間を利用して、集まっているのである。
責任を取れと言われたアリストロが、おずおずと口を開く。
「帝国は今回の敗北で、五〇〇〇人以上の死者を出しておりますれば、早々にこれを補い、我が国境へと迫る事は難しいと考えられます。なにせ、帝国も、北と東で戦争をしておりますれば、西方面ばかりに目を向ける事はできますまい。ここは、新領であるモリエロ州の開発と、領内の経済対策に集中するべきかと存じます」
オレンジ色の髪を短く切り揃えた有能な庭師が、アリストロに同意を示した。
「殿下、アリストロの言に賛成です。金鉱の収益が予想より多く、財務状況は好転しておりまするが、金など一時の収入に過ぎませぬ。いずれ枯れるものを当てには出来ませぬ。ここは、我らが領地の経済規模拡大と、農業生産力の向上を高めるべきでございましょう。モリエロ州の開発に取りかかれば、来期は無理でも、二年後にはある程度の数字は見込めるでしょう。さらに、マルセイユ港の開発も順調でございますれば、中継港に相応しい、各都市との連絡道路を設置する必要がございます」
一方で、ハザルはこれらの意見に反対こそしないものの、全くの同意というわけではないらしい。
「二人の言う事は正しいと思いまするが、それはあくまでも敵方が指を咥えて眺めていてくれればというところ。スーザ人どもの恐ろしさは理だけで予想をつけられぬ異常性でございます。あの宗教狂いどもが、神の言葉とやらに踊らされれば、準備など無視して国境を侵す恐れもありまする。それに彼らは、直接動かずとも、ロゼニアという都合の良い、噛ませ犬を持っております。これを使って我らの邪魔をしてくる可能性大と考えます。ここは、内政も重要なれど、軍備拡大も必要でございましょう」
ハザルの発言が終わった時、フェリエスは痛む目の下を指で撫で、アレクシを眺めた。
「爺はどう思う?」
家老が目を細めた。
「お喜びなさいませ、殿下。この老体が天に召されても、彼らがいる限り、殿下の御身が危うくなる事などございませんでしょう」
老人の言葉に、居並ぶ幕僚達が苦笑した。
「ははは、アレクシ、爺。お役御免を申し出てきても俺はまだそれを許すつもりはないぞ」
「殿下、老人は大事にするものですぞ」
笑みを湛えた老人は一同を眺め、フェリエスに身体を向けた。
「申し上げまする。内政も結構ですが、ここは敵が動けぬよう、手を打つべきでございましょう。でなければ、内にこもって仕事をするもままなりませぬ。ハザルの言う通り、帝国はロゼニアを使って我らの邪魔をしてくるものと考えます。さすれば、あの姫君を有効に使えばよろしいでしょう。アリストロがわざと矢をはずした甲斐があったというものです」
「ご家老……もうお許しください」
アリストロがさらに小さくなったのを見て、一同が笑い、昼食会はお開きとなった。
幕僚達が去った大公執務室に、アレクシだけが残っている。彼は食後の紅茶をゆっくりと楽しみながら、大公にある報告をした。
「エミリのやつ、なかなかどうして、優秀でございます。考えるのを放棄する悪い癖さえ無くなれば、殿下の為に大きなお力となるやもしれませぬ……ご出征前、防衛のあり方に関してのご不安とご不満を仰っておられました。その際、それがしはすぐにどうこうなりませぬとお伝えしましたが……エミリがおりました」
フェリエスは苦笑した。
「爺、俺はエミリにそのようなことは期待しておらん。あくまでも俺の判断基準を理解してもらわねば彼女が苦しむし、俺もつらいから学んでもらいたいと思っているだけだ……だからお前を頼った。ま、特殊な花嫁修業だが、俺の相手らしくて良いだろう?」
老人は皺の増えた顔を、くしゃりと歪めて笑った。
「殿下……殿下の代わりに大局を読み、状況を作る腹心が欲しいとは思いませぬか?」
「爺がいるではないか」
「儂はあと五年、十年も生きませぬ」
「長生きすればよかろう」
「これから先、殿下をお支え続けるにはちと歳を取りすぎましたな……殿下、ご本心では何事も相談できる相手を望まれておられますでしょう?」
フェリエスは笑みを消した。
この老人に隠し事は出来ない。そう彼に思わせるほどに、フェリエスが今、最も欲しいものに関して話す家老は、「ほっほ」と笑って紅茶の香りに目を細める。
大公は老人から視線を逸らし、窓から外を眺めた。そこには、この世界に飛ばされたエミリを、彼が見つけた噴水がある。
腹心が欲しい。
この欲求は、夏あたりから強くなっている。彼と同じ価値観を持ち、彼とは違った角度で物事を考えながらも、求める結果は共通のもの。時にはフェリエスの代わりに軍を率いてほしいし、彼の代わりに交渉を進めて欲しい。いちいち指示を与えなくとも、彼の求めるものを完璧に用意できる人間。
ハザルは、軍を任す事はできても、それ以外は不安が残るし、本人も望まぬであろう。
オーギュストは有能な男だが、いかんせん軍事に疎い。
アリストロは万能だが、重大事の決断に難を残す。
ジェロームはどうか。彼は今、モリエロ州にフェリエスの総督として赴き、彼の州を取り仕切ってはいるが、フェリエスの代わりを務めるにはまだ難がある。それは伯爵位を国王に取り上げられた家の嫡男として、諸侯に知られてしまっているからと、優し過ぎるからだ。
ではエミリはどうか? あの優しい少女が、帝国兵を皆殺しにするよう命ずるのは無理ではないかと考える。
「爺、エミリは優しい女だ。俺はあいつが、俺の代わりを務めるのは無理だと思うぞ」
「これはこれは……。殿下は私情で曇っておるようですな。殿下がエミリに好意を寄せられた時は、それはもうおおいに後悔を致しましたが、しかし今はちと事情が違いまする。確かに、殿下と一緒になるには不安が多い娘ですが、殿下を支えることの出来る人物として見た時、うってつけと見ております」
フェリエスは老人を横目で睨むと、痛む目の下の痣を指でなでた。彼は逡巡の後、先ほどの彼の危惧を老人に話す。家老は大きく頷くと、顎を指で撫でながら口を開いた。
「例えば殿下、敵の諜報員を捕えた場合、殿下ならどう致しますか?」
「殺す」
即答したフェリエスに老人は笑ってみせた。
「はっはっは。これはエミリの解答のほうが上ですな」
興味の色を湛えた青い瞳で家老を見た大公は、紅茶の香りを楽しみながら微かに笑った。
「エミリは何と答えた?」
「わざと偽の情報を掴ませて、そうと気付かぬように逃がす」
(なるほど。確かにそのほうが有用性は高い。こちらの情報を掴んで帰ってきた諜報員の話を敵方は信用するであろう。それこそ、雑草を根元から引きちぎることができるというものだ)
「今夜、爺とエミリの様子を見に行く」
大公の言葉に、アレクシは微笑み一礼すると立ち上がった。わざわざ残っていたのは、この話をする為かとフェリエスは喉で笑う。
花嫁修業の一環で、政治や経済、軍事のことを教えているのは、フェリエスの決断、思考順序、判断基準などを彼女にも理解してほしいからだった。逆、エミリの考えをフェリエスが理解し、彼女を悲しませないようにすればいいという選択肢はない。なぜなら、彼は彼女の希望を知っているが、それはできないと決めており、それは一人の男性というよりも統治者かつ野心ある為政者として断じているのである。
(彼女にわかってもらいたいというのも、俺の我儘だ。しかし、エミリはそれを許してくれる……俺も他の男とそうは変わらぬか……自分を許してくれる女に魅かれるのだから)
彼はここでエミリの笑顔を脳裏に描いた。
(俺の前では喚いたり、泣いたり、甘えたりだが、アレクシの前ではそういう面を見せているのか……)
フェリエスは脳裏に描いたエミリに微笑みで応えるように、口端を弛めるも、目の下の痣が痛み小さく呻いた。
-Féliwce & Emiri-
フェリエスはアレクシの講義を受けるエミリの様子を見るために、家老の執務室へと入った。
出された問題の解答を考えていた少女が、彼の姿を確認し笑顔を浮かべる。
(可愛い)
にやけそうになるのを必死で堪えた大公が、咳払いをして二人の近くに座る。
アレクシによると、エミリの思考はなかなかのものであるという。
フェリエスの父を長い間、補佐してきた経歴を持つあのアレクシがそう言うのだから、エミリは並の貴族達よりもずっと上にあるのだろうと、フェリエスは二人を眺めて考えていた。
アレクシの出した問題は、少数で多数の敵を破る指揮官と、多数で少数の敵を破る指揮官のどちらが優れているかを問うものだった。
「そりゃ多数だよ! だって、たくさんの人を集めるってのは大変だよ? それを支えるご飯も用意しなきゃなんないよ。多数で決まり」
即答したエミリ。
「そうか、しかし少数で敵を破る指揮官というのは、そうはおらんぞ。殿下の此度の戦はまさにこれであったが、お前は殿下よりもその指揮官のほうが優れていると思うのか?」
アレクシの質問に、眉を寄せたエミリは口を尖らせる。その仕草すら、この少女に惚れたフェリエスには抱きしめたくなるものだった。
「でもさぁ、フェリエスは敵よりたくさんの兵隊さんを揃えられる条件が整えば、きっとそうすると思うんだよね。今は条件というか、ベルーズドの経済に影響がでない範囲で……収穫量で養える範囲内で……などなどの制限の中で兵隊さんを抱えてるわけでしょ? そりゃなかなか集められないよ。ねぇ? フェリエス」
フェリエスは正直、驚いていた。
(収穫量ときたか。確かに常設軍にこだわるあまり、数を揃えるのに苦労しているが、領内で自給できる食料の量を基にやりくりしているという観点はおそらく俺とアレクシ、もしかしたらオーギュストしか理解していないかもしれない)
食わせられない数は雇えないのだ。また、他家の領地から食料を買い集める必要があれば財政的な負担に繋がり、いざとなった時に食料を買うことができず行動を取ることができなくなる恐れがあることから、彼は軍の規模を決めている。
「エミリや、それでは聞くが、今の殿下が兵数をたくさん揃えるには、どうしていくのが良いと思う?」
「専門的なことは分かんないす」
「考えてみい」
家老に叱られ、首をすくめる仕草を見せるエミリが可愛くてしかたのないフェリエス。彼は呼び鈴を鳴らすと、人数分の紅茶を用意するように侍女に命じた。それを見て、休憩が近いと感じたエミリがやる気を出したのかすぐに口を開く。
「収穫量を増やすってのは当たり前として……でもすぐには無理だもんね? だから、たくさん揃えるっていうより、必要な時にたくさんいるようにすればいいじゃん。必要な時に必要な場所に手持ちの兵隊さんを素早く集合させられれば、少ない数でも稼働率は高くなるよね。稼働率ねぇ……効率か。……ああ! すごい事を考えちゃった」
黒髪の少女は、突然立ち上がると、手を叩いた。
「戦う場所ってのは両方の軍隊がぶつかる場所でしょ?」
何をいまさら言いだすのかと呆れた目をするアレクシに、フェリエスも苦笑する。それを全く意に介さず、エミリは嬉しそうに喋った。
「こちらが任意の戦場を用意しておいて、敵をそこに誘導すんのよ! そうすれば少ない兵隊さんでも、準備万端で迎え撃てるし、四方八方から囲めるでしょ? 騎兵は動くのが早いから囮役とか背後に回り込ませるとかに使ってね。こうすれば、歩兵の遅さは気にならないでしょ。敵からのこのこ来るんだもん。こちらの移動距離が短いってことは、それだけ物資の消費も抑えられるっしょ」
フェリエスはエミリの思考が嬉しく、つい口を挟む。
「それはまさに、俺が最も得意とする戦い方の一つだが、騎兵を囮にするのか? 俺は騎兵を遊撃に使ってこそ効果あるものだと考えている。だから俺は、騎兵には本隊から離れて行動させ、敵の兵站を狙わせながら、誘い込んだ敵の後背を突かせているのだが……。うむ、確かに囮役を本隊がするより、損害が少ないかもしれぬな」
エミリが笑顔を咲かせて大きく頷く。
「でしょ? これならフェリエスが危なくないもん!」
黒髪の少女が向けてくる笑みに、彼は青い瞳を揺らした。
(俺の身を気遣ってくれて、これを考えてくれたのか)
アレクシがここで咳払いを挟み、卓上に地図を広げながらエミリに言う。
「では、エミリ。これを見ろ」
それは、アルメニア東部一帯が描かれている。その東方向に、ロゼニア王国と神聖スーザ帝国があった。これまでの経緯と二カ国の情報を説明したアレクシが、エミリに問題を出す。
「この二カ国から、我らはこの土地を守らねばならぬ。お前ならどう戦う?」
フェリエスは、アレクシの狙いをすぐに了解し、黙ってエミリを見つめる。その目には、彼女を応援するような熱意が込められていて、それを感じ取った黒髪の少女は、うんうんとうなりながら口を開いた。
「私達はなるべく、自領の開発に力を集中したいんだよね? これは絶対条件でいいんだよね?」
「うむ。よく意図を理解しておる」
家老に褒められたエミリが、照れたように笑う。
「えへへへ……えっとぉ、私だったら、このロゼニア王国と帝国を喧嘩させて、こっちにちょっかいを出せないようにするかな」
(ご名答)
フェリエスが微笑む先で、アレクシが問いを重ねた。
「では、ここに中央の貴族達の勢力を加えて考えてみるのじゃ」
アレクシが目を細め、フェリエスを見た。それを受けた大公は視線をすぐに少女へと向けた。
彼は、可愛い恋人の横顔が真剣さを増していくさまに見とれる。
「私だったら、東部の混乱を利用して、中央貴族の団結に綻びを生じさせるな! 逆にそれをすることで、私達に味方するか敵になるかの見極めもできるってもんじゃない? どう?」
得意げに笑顔を咲かせたエミリを、フェリエスは思わず抱きしめていた。




