1
アルメニア王国歴三四六年、秋。
大軍をもってゴーダ騎士団領国へと侵攻したアルメニア王フィリプ三世は、病を理由に王都へと帰った。これに続くように、アルメニアとゴーダ騎士団領との国境付近にひしめいていたアルメニア王国軍十万も、それぞれの指揮官のもとで帰路につく。
これで、三四六年に行われた三度の騎士団領国侵攻は悉く失敗となり、騎士団領国の防衛指揮官を務めていたヒーロ・ギューン少将の名声は天に届かんばかりとなった。
大国が小国に三度も敗れ去った事実は、単に勝敗の結果だけをみても異例の事であったが、なにより、アルメニア王国の周辺に対する影響力を著しく低下させたことが、この戦争が他と大きく異なる点であったかもしれない。
自然と、これまでアルメニア王国に虐げられていた周辺国家が、好機到来とばかりに反アルメニア色を強めるのも無理はなく、それは国内においても、国王に対する不信へと繋がっていた。この場合、国王はもとより傀儡であったので、彼に対するというよりも、彼を支える周囲の人間、王弟や大貴族達に不満が向けられたのである。もともと地方諸侯はへの不満が強く、それでいて逆らえない力関係に従属を選ぶしかないというなかでの転換点を迎えたといえた。
このような情勢のなかで、アルメニア王国の東に位置する大国である神聖スーザ帝国が、大軍をアルメニア王国との国境に集結させていた。しかも指揮をワーグナー・グロスクロイツ枢機卿自ら執り、幕下には聖鐵騎士団が揃い、侵攻の本気度は相当なものといえる。そしてここに、帝国は属国であるロゼニア王国へも派兵を命じ、連合軍の兵力は一万五〇〇〇を超えようかという規模であった。これは単純に戦闘に参加する兵力であるから、後方支援などをいれると三万人を超す威容である。
彼らが狙うのは、地下資源が豊かであるベルーズド地方である。現在はアルメニア王国領であるが、二十年前は帝国領であった。それが大帝ルイの軍勢に大敗し奪われて以降、神聖スーザ帝国は失地回復を諦めてはいないが、アルメニアはアルメニア人の入植と、スーザ人への寛容な統治を行い対抗した。ここに帝国の度重なる侵攻作戦が行われた結果、ベルーズド地方で暮らすアルメニア人も、元スーザ人も、反帝国色でまとまった経緯があり、現在のフェリエスの統治下でそれはさらに濃くなっている。よってベルーズド地方の領民は、大公フェリエスが軍勢を率いて連合軍と戦うことを発表すると熱烈にこれを支持したのである。
フェリエス・ベロア・ベルーズド公爵は軍を動員したが、単独で大軍に勝てるとは考えておらず、周辺諸侯に協力要請を飛ばした。領民の熱量に背を押された勢いで駆け出してしまう軽率さなど微塵もなく、計算と熱意の均衡をそなえた若い統治者は、騎兵連隊を先発させた後、動員可能兵力の七割に及ぶ八〇〇〇の軍勢を率いてストラブールを出た。この時の八〇〇〇は後方支援も含まれるので、戦闘参加兵力は四〇〇〇を少し上回る数となる。
穏やかな秋空とは裏腹に、地上では人間達の血生臭い争い事は再開されようとしていたのだった。
-Féliwce & Emiri-
公爵軍は、神聖スーザ帝国ロゼニア王国軍の二カ国連合軍とスラベリー丘陵地帯でぶつかった。東から西へと続く街道沿いに軍を進めていた連合軍と、この場所で対峙したのには理由がある。それは、スラベリー丘陵地帯をさらに西へと進んだ場所に、五千人の人口を抱えるベクレルという町があるからだ。宿場町として発展したこの町を敵方に押さえられたくないのである。
この時、公爵軍としてこの戦場に展開している兵力は二〇〇〇人であった。一万人を超える連合軍を相手にするに不足はいなめないが、フェリエスは策と大量の弩を用意している。
武器を点検し戦闘の準備をすすめる兵士達は、その眼前に金色の髪を揺らして馬を進める大公の姿を確認するや、熱のこもった声をあげる。それはしだいに大きくなり、対峙する連合軍の陣地にも届いた。
「アルメニア人め、こうまで兵力差がありながら勝つ気でおるらしい」
連合軍の指揮官であるワーグナー・グロスクロイツが作戦卓の前で嘲笑したのを見て、周囲の幕僚達も声をあげて笑う。その場所の隅で、居心地悪そうにしているのが、ロゼニア王国の将軍達であった。彼らにしてみれば、盟主国からの要請に応え、こうして軍を率いてアルメニア侵攻に参加してはいるものの、いいように使われるのが目に見えている。さらに、ロゼニア国王が水面下で進めていた脱帝国、親アルメニアがこれで潰えるのではないかと心配であった。現に、アルメニア王家からはそれは厳しい抗議があったと彼らも聞いている。
ここで、彼らにはある疑問が生じる。各国が反アルメニアを強める今となって、ロゼニア王国がそれに反する動きをするのはなぜか、という事である。ロゼニア王国としては、孤立しつつある今だからこそ、アルメニアと対等に近い条件で手を結べると考えているのかもしれないし、単純に、フェリエス・ベロア・ベルーズド公爵の将来性を評価した、ロゼニア女王イザベラの意向が国家方針として強く反映されているのかもしれない。また、これも単純に神聖スーザ帝国に嫌気がさしただけという可能性もある。ただ、いくら推測をしたところで、本当のところは、ロゼニア女王に聞くしかないだろう。
ロゼニア将校たちがそれぞれに悩み、考える中、その国の王女が堂々たる姿勢で口を開いた。
「ワーグナー卿、ご油断なきよう願います。相手はフェリエス大公です。夏にはイスベリアの大軍をわずか二〇〇〇程で蹴散らしたと聞いておりますから……それに我らの兵站が敵騎兵によって脅かされ続けております」
「クリスティン王女は心配性だな。ここで公爵軍を破れば、後方の安全は約束されるのだぞ」
グロスクロイツが甲冑を身にまとった美しい王女を見た。見事な金色の髪を結い上げ、赤い甲冑を身にまとった王女は、凛とした威厳を周囲に発散し、まるでこの場の支配者であるとばかりに立っている。
(属国の王女風情が)
枢機卿は胸中で属国の姫を罵るも、彼女の美しさは手を伸ばして愛でたいという欲求を覚え、相反する欲を苦笑に変えて口を開いた。
「そこまで心配であるなら、まずは姫自ら敵とぶつかり、力量を量ってみてはいかがか?」
ワーグナーが嫌味のつもりで口に出した言葉に、王女が艶やかな微笑みを浮かべる。それを見た枢機卿は、ギョっとして目を見開く。
美しい姫が、戦場でも潤う唇を開いた。
「さすればそうさせて頂きまする。お前達!」
王女に呼ばれたロゼニア将校が一斉に立ちあがった。
「枢機卿のお許しが出た。行くぞ」
颯爽と陣幕の外へと進み出た王女に、ロゼニア将校達が続き、それに帝国軍将校の笑い声が続いた。
聖鐵騎士団総長のエリオット・ロメダールがワーグナーに笑いかける。
「猊下、あやつら本気にしましたぞ?」
「いや、あの女……俺から許可を引きずり出したのだ」
「は?」
「……まあ良い。どちらにせよ、ロゼニアの軍で大公の動きを見定めるつもりであった」
「は……では、しばらくは静観し、頃合いで攻撃ということでよろしいでしょうか?」
「うむ」
枢機卿と騎士団総長の会話が為されている時、陣地から出ていたロゼニア将校たちは急ぐ姫の後を追う。
「姫、これでは単に当て馬にされまするぞ」
配下の声にクリスティンは笑い声をあげる。
「もともと我らは当て馬じゃ。ならば自ら撃って出たほうがよほど良い」
「しかし」
「なんじゃ? 私を一人で戦いに行かせるつもりか?」
「滅相もない」
「ならば続け」
畏まる配下達を睥睨した王女は、金色に輝く髪と瞳を誇らしげに揺らして振りかえると、自らの馬の手綱を握った。
「さて、私の未来の婿殿は、それに相応しいか確かめてみよう」
それが本心か!
配下達が苦しげに呻き、どこまでも自分達の予想を裏切る王女に続いたのだった。
-Féliwce & Emiri-
「おかしい」
クリスティンは馬上で指揮を執りつつ、一向に反撃しない公爵軍を訝しげに眺めた。いや、反撃はしてくるが、こちらが陣形をわざと崩し、誘ってみせても突っ込んでこない。そればかりか、じりじりと後退を始めている。
「姫! 脆うございますな。ここは一気にケリをつけまするか!?」
「待て、歩兵を後退させよ。敵に騎兵が一兵もいないのも不気味じゃ」
ロゼニア軍が公爵軍と距離を取るように後退した時、その後方から角笛の咆哮が響き渡った。
神聖スーザ帝国軍が、形勢有利と見て前線に進み出たのだ。
「今頃……!」
配下の恨めしげな声を無視した王女は、不気味な公爵軍を睨んだまま兵をまとめて後方にさがる。入れ替わるように前に出る帝国軍の中に、すました顔の枢機卿と騎士団総長を見つけた。
彼女は立場上、ここは警告すべきだと判断した。
「お待ちください! 攻撃はお控えくださいますよう! 何やら企みがあるように思えます!」
「ははは、何を言う。弱兵のロゼニア相手にこうも無様な戦いぶり。アルメニアも地に落ちたな」
弱兵と言われ、眉を跳ね上げた王女だったが、それすら無視を決め込んだワーグナー・グロスクロイツが右手をあげる。
「進め! 異教徒を血祭りにせよ!」
一万を超える帝国軍が前進の速度を落とさず公爵軍に迫る。それに圧迫されるようにずるずると後退するアルメニア人達を見たクリスティンは、はっきりと確信した。
「枢機卿が逃げおおせる為に、我らはここで待機じゃ。彼を死なせたとあっては、帝国の怒りを買う」
悔しげに唇を噛んだ配下達に、クリスティンは笑みを向ける。
「喜べ。我が婿殿は合格じゃ。帝国の風下で悔しい思いをするのもあと少しじゃ」
美しい王女は、満面の笑みを浮かべていた。
-Féliwce & Emiri-
「蹴散らせ!」
ハザルは帝国軍の後背に突撃した。それは、前へ前へと集中していた帝国軍を、背中から斬りつけ叩き落とすには十分な威力だった。
公爵軍は丘陵地帯の地形を利用し、退却線上を挟むように伏兵を隠していた。つまり、フェリエスが自ら率いた二〇〇〇人の軍自体が、侵略者達を死地へと招き入れる囮だったのだ。追撃に必死となった帝国軍の陣形が長く伸び、攻め疲れに足が止まりかけたところに、隠していた伏兵が襲いかかる。その兵力は二〇〇〇の公爵軍と三〇〇〇を数える周辺諸侯の軍勢であった。彼らは帝国兵にくらいつき、侵略者達が後退を始めた方向から次々と現れた。帝国軍は後退しながら、絶えることのない左右からの挟撃に、混乱の極みとなる。そこへ、ハザルの騎兵連隊が突撃を慣行した。
「ハザル。お前には騎兵を率いてもらう。戦場で戦術的な役をこなすより、その機動力で戦略的な役目をこなしてもらいたい」
隻眼の武人は、連合軍の兵站を襲い続けた。実はこの動きが、帝国軍の決戦主義を助長し、この戦場での戦いへと加速させている。それは、この一戦でケリをつければ後方の不安など同時に解決するという考えを誘ったのだ。そしてこれは間違いではないが、戦闘は必ず勝てるものではない。しかし、現れた敵の軍勢が、二〇〇〇ばかりであれば慎重さも消し飛ぶ。
帝国軍首脳部は、戦う前からフェリエスに敗れていたのだ。
ハザルは当初の計画通り、戦場となる予定だった場所に来てみると、そこは確かに戦場となっており、さらに予定通り、敵の陣形は長くなり、左右から挟撃されている光景に感嘆する。
取り決めた時刻に合わせて戦場に到着したハザルの手腕も見事だが、それに合わせて状況を創り出したフェリエスこそ、第三者がいれば褒め称えただろう。そしてこれを、ハザルはこの場で、誰よりも理解していた。
「大公殿下にお仕えできる喜びを敵にぶつけよ! ぶち殺せ!」
忠誠心を殺意に転化させたハザルの咆哮で、彼に率いられた騎兵連隊は敵軍中を背後から急襲し、殺戮を齎す死の旋風となってスーザ人達を蹴散らしていく。
同時刻。
万を超す大軍であった帝国軍を翻弄するフェリエスの手腕を、クリスティンは離れた高みで眺めていた。
彼女は手元の軍勢で帝国軍を助けにいけば、混乱に巻き込まれて共倒れになるのがオチであろうと考え、未来の婿の名前を口の中で呟く。
「フェリエス殿下……乱戦に持ち込めば魔導師は役にたたないと踏んでのこの状況ですか? いや、この状況を作りだすしか勝機が無いと判断してのことですか?」
彼女は馬上で髪をかき上げ、金色の髪を風に撫でさせる。彼女は、アルメニア王国の王族に、自分の推測が正解か否か確かめたいという欲求を覚えた。
配下が遠慮がちに口を開く。
「助けないので?」
クリスティンは、帝国の将校に不甲斐なさを募らせていたが、自分の将軍達にも同じくそうした。
(戦況を読むこともできぬのか……)
これまで、帝国の言いなりに兵を動かしてきたロゼニア軍には、自ら考える事の出来る将校が不足していると感じ、これは本当に私が人身御供にならねば、あの大公に国を取られていたのではないかとも思った。
「まだじゃ。だが、いつでも助けに行けるよう準備は怠るな。魔導士たちは各部隊に散らすのではなく、集めておくように……集中して使う」
彼女の指示で動いた将校達を眺め見た時、戦場で巨大な爆炎があがった。それは離れた場所のロゼニア軍に熱風を浴びせる。
頬を叩かれたように戦場へと顔を向けたクリスティンは、帝国兵が公爵軍の魔法の餌食になっている光景を目撃する。
「結界すら張れぬとは!」
クリスティンはすぐに行動に移った。彼女は手勢のみを率い、帝国軍に魔法を浴びせる公爵軍の部隊に狙いを定めた。
(あの部隊は魔導士の比率を高くしているな!? 部隊ごとに強弱をつけて敵の防御意識を騙すか!?)
彼女は颯爽と馬を駆けさせた。その後ろに、騎兵二〇〇が馬蹄を轟かせて続く。
クリスティンに狙われた大公軍一個中隊は、完全に魔法攻撃に集中する段階に移っており、ロゼニア軍に対して無防備だった。その周囲を守る歩兵部隊群も、離れた場所に布陣していたロゼニア軍に対して警戒していたものの、完全にこの時は油断していた。
騎兵二〇〇のみで突撃を慣行したクリスティンに、ロゼニア本隊が続く。それは三〇〇〇人の津波となって、帝国軍を包囲する公爵軍の一翼へと迫った。
フェリエスが本営で指揮棒をへし折り、ロゼニア軍に侵入された包囲箇所を担当していた部隊指揮官達へと伝令を送る。
「あれほど、油断するなと言っておったにも関わらず、俺の目から見てもわかるほどに慌ておって!」
彼の怒声にアリストロが馬に駆け寄り飛び乗る。
「私めが!」
彼は叫んで本営から風となって飛び出す。
ロゼニア軍が戦闘に参加したことで、戦況は一変するかと思われたが、乱戦の中で多くの部隊指揮官を失った帝国兵は、公爵軍に翻弄され続けた。防御陣形を組もうにも、度重なる弩による攻撃に遭い、甲冑ごと身体を貫かれてばたばたと地面に倒れる兵士達の絶叫は連鎖となって途切れない。
そして、その無残なさまを見せられて、逃げ出す兵士が続出する。
弩は腕の悪い狩人が使うものと思われている。それをフェリエスが大量に用意したのは、接近戦で組織的に運用すれば、技量がなくても撃てることと貫通力は強力であろうと考えたからだが、期待以上の威力であった。
多少の誤差は生じたが、大局に影響はなかろうとふんだフェリエスが、床几に腰を下ろした時、ハザルの騎兵連隊から伝令が到着した。
「報告! 枢機卿を討ち取りました! 騎士団総長自刃とのこと!」
「よし、全軍に知らせよ! 相手にも聞こえるように大声でな!」
大公が会心の笑みを浮かべた本営の中で、本営付きの兵士達が歓喜の声をあげる。
その声は次々と伝播し、また伝令による知らせを受けた各部隊の兵士達の叫びも重なり、連合軍は総司令官を失った事実を知った。
「降参する!」
「助けてくれ!」
次々と武器を投げ捨て地面に伏せる帝国兵達。
その報告を聞いた大公は、青い瞳を曇らせ、脳裏に描いた黒髪の少女の名前を囁いた。そして彼女に許しを乞う様に目を閉じ、再び開いた時、冷徹な光を宿した瞳を前方に向ける。
「殺せ! 我が領地に不法に踏み入った浅慮を、あの世で後悔させろ!」
彼は何も残虐さから言っているのではない。ここで敵兵を捕虜にすれば、それを食わせる糧食がいる。かといって逃がせば、神聖スーザ帝国は軍の再編をしやすくなる。彼は短期間に何度も領地を侵される事を望んでいなかった。当分、帝国軍が国境を侵さぬよう、物量的にも人員的にも、さらに精神的にも打撃を与えておきたいと考えたからだ。しかしフェリエスは同時に、この自分の判断が、エミリに知られたくないとも思う。彼の判断は、彼女が最も嫌がるものだったからだ。
投降を許されず、弩による攻撃で次々と倒れる帝国兵達。
フェリエスは、それを自らの目で見る責任があると感じて、護衛を引き連れ前線へと馬を進めた。
-Féliwce & Emiri-
同じ戦場にあって、公爵軍が苦戦している場所が一か所だけある。それはロゼニア軍に攻撃されている部隊群が担当する地域である。
アリストロが現場に到着した時、部隊群をまとめている連隊指揮官は、帝国軍包囲を保ちながらロゼニア軍とも戦おうと躍起になっていた。
「包囲を解け! ロゼニアに集中する! 魔導士をやられるな!」
アリストロが駆け寄り、騎兵の突撃に踏ん張った兵士達を素早くまとめる。少なくない被害が出ており、それは人員が少ない公爵軍にとって大きな痛手であった。
「盾と長槍を並べよ! 後退する! 弩兵はさがり装填! 弓! 狙いをつけず撃て! 威嚇で良い!」
歩兵連隊から矢が空へと放たれ、放物線を描いて接近するロゼニア軍へと降り注いだ。盾を頭上に掲げ、前進を中断させたロゼニア軍に呼吸を合わせて、歩兵連隊は帝国軍の包囲を解いて後退する。
「よいか! 魔導士たちを死なせるなよ!」
アリストロの声に兵士達が「おう!」と応える。彼は何も贔屓をしているのではなく、魔導士を失うと、打撃力が一気に落ちてしまうのと、敵の魔法による攻撃を防げなくなるという事実が、彼をそうさせているのである。
それは、帝国軍を包囲した公爵軍が、帝国の魔導士達を優先的に狙った理由でもあった。効果を発揮するには条件が厳しいが、それさえ整えば、魔導士達は最強の攻撃力を発揮するのだ。
ロゼニア軍騎兵が、反転して迫ってくる。
その先頭を駆ける指揮官が、ロゼニア王国第三王女だと分かったアリストロ。
彼はその双眸に危険な色を宿した。
「エミリの為に殺しておこう」
彼は近くの弓兵から弓を奪うと、素早く矢をつがえ狙いを定めた。
金色の髪を揺らして接近してくる王女が、自分に気付いたと感じたと同時に、彼は弓弦を指から離す。
一本の矢が風を斬り、女性指揮官に命中した。
彼女は大きく揺らぎ態勢を崩すも、かろうじて落馬は免れていた。しかし、その肩に深く刺さった矢が、彼女の戦闘能力を奪ったことは確かであり、それは矢を放った射手も知るところであった。
「くそう! 予備兵力も何もないのが口惜しい!」
公爵軍は文字通り、全兵力を投入している。疲れても交代する人員がいない状態であったのだ。彼らとて、楽な戦いではない。
王女を守ろうと騎兵が小さく固まると同時に、ロゼニア軍の攻勢が止まる。ここはお互いのために退くかと考えたアリストロは、敵軍に横合いから突撃した公爵軍騎兵連隊を見て、目を大きく開いた。
ハザルは、苦戦する歩兵連隊を助けるべく、ロゼニア軍の右側面に迫っていた。その眼前で、敵の動きが止まるのを見て、刹那の反応で血に濡れた長槍を振りあげ怒鳴った。
「突撃!」
戦場を駆け回り、馬も兵士も疲労の極地であったが、厳しい訓練に耐えた騎兵は、死の突風となってロゼニア軍にぶつかった。歩兵連隊から王女を守ることしか考えていなかったロゼニア軍は、公爵軍騎兵連隊の突撃をまともに喰らい、あっと言う間に陣形を乱す。
「魔法をロゼニア軍にぶつけろ!」
アリストロの声は、伝令によって魔導士達に伝わり、帝国兵を血と肉の残滓へと変えていた魔導士達が、その矛先をロゼニア軍に向ける。
そうと気付いたロゼニア軍魔導士達が、結界を自軍に張る。
ハザルはその敵魔導士達を狙って突っ込む。
彼は死神のごとく暴れ回った。使い物にならなくなった槍を捨て、剣を煌めかせてさらに悲鳴を増やしていく。その彼に指揮された騎兵連隊は、ロゼニア軍の右側面から左側面へと駆け抜けた。彼らの通った場所は、ロゼニア人の墓場と化している。
防御陣形を敷く努力を続けるロゼニア軍に、アリストロが弩と弓による一斉射撃を命じた。
頭上と正面から襲いかかる矢は、王女を守ろうと最後の勇気を振り絞っていたロゼニア人の心を射抜いた。
わっと飛散するロゼニア兵達の中にあって、少数の兵士に守られた金髪の王女は、射抜かれた肩から矢を抜き放ち、出血に顔を蒼白にしながら立ちあがる。そして、震える身体に鞭打ち声を張り上げた。
「ロゼニア王国第三王女、クリスティン。大公殿下にお目にかかりたい」
アリストロの歩兵連隊と合流したハザルは、敗れながらも堂々とした姫を眺めて、弟に言った。
「お前、エミリに恨まれるぞ」
アリストロは誤魔化すように笑うしかなかった。
-Féliwce & Emiri-
「わかんない」
私はアレクシお爺ちゃんに即答した。お爺ちゃんは、呆れたように口を開いて腕を組んだまま私を眺める。
「エミリ、考えようという気はないのか?」
「うーん、考える時間が無駄っす」
私は目の前の机に突っ伏した。毎日のように難しい問題を出され、頭は完全にショートしています。
「ではこう質問してみよう。人を批判する者どもはどうしてそうなのか?」
「暇だからじゃないすか?」
「……もう少し、先の問題に絡めて考えてみろ」
「……わかった。つまりこの王様は、食糧不足は自分の無計画が原因であったにも関わらず、それを指摘されたくなかったから、慈悲を示してみせる格好で取り繕ったってこと?」
「疑問で終わるのはやめておけ……正解だ。お前がこの王様ならどうする?」
「そもそも遠征なんてしません。面倒だもん」
「面倒……」
「ご飯や飲み物、道、気候や天候、風土病なんかもあるよね? 調べてから準備して行くほどの価値があるように思えないっす」
「ほうか……わかった。ではその価値があるなら行くか?」
「うーん……誰かに行ってもらうかな?」
「今日はここまで」
お爺ちゃんレクチャーは終わりました。
自分の部屋に帰った私は、一人でお風呂に入り毛布にくるまります。夏に危惧した通り、この国は寒い国でした。今は斜陽の月という日本でいう十一月にあたる月なのですが、夜になると超寒いのです。昼間はまだマシなんだけどなぁ。
毛布の中で寝がえりをうちながら、私の立場に起きた変化について考える。
フェリエスと、王都からベルーズド地方に帰って以降、私の生活は一変しました。
朝は語学の勉強、昼はメリルさんから礼儀作法や女性の嗜みなるものを学び、夜はお爺ちゃんから小難しい話をされる。特にこの夜の授業が難しい。兵科ごとの特徴はこうとか、周辺諸国の情勢はこうだとか、経済とはなんたらとか、税収と支出の均衡やらとか、この三ヶ月間でタレント議員よりも私のほうが詳しいのではないかと思われるほどの密な政治、経済、軍事の授業。
てか、なんでこんな事をしてるんだろう。
これが毎日、続いているのだ。まあ、いずれの授業も大変ですが、それなりに楽しいのです。夜の授業も、時々、脳みそが拒否反応を示すことはありますが、私は筋がいいとアレクシお爺ちゃんが褒めてくれるので楽しいのです。
私はなぜか、フェリエスから護衛の役目をはずされたのです。理由を尋ねても教えてくれない……。ハザルさんやジェロームさん、アリストロさんに聞いてもにやけた顔で教えてくれない。
オーギュストさんには質問自体を無視されました。
どうしたことでしょうか……。
しかし、オレンジ頭は除外するとして、誰もがにやけた顔で教えてくれないという事を考慮すると、護衛をはずされた理由は悪い理由ではないのではないでしょうか?
あ……でも、アレクシお爺ちゃんは渋い顔をした後に、「ふむう」と唸ります……。
フェリエス、どうして私の護衛を解いたんだろう。私のいない夜しか安心できない、なんて言ってたくせに……。
無事かな? 戦争に行くと言って、たくさんの兵隊さんを引き連れストラブールを出発した彼を見送った時、私は不安と恐怖で脚が震えて立っていられませんでした。
必死に神様に祈りました。
毎日、目覚めて必ずお祈りします。
どうかフェリエスが無事に帰ってきますように。
日本にいた時、初詣くらいしかお祈りしなかった私が、本気で彼の無事を祈っているのは、一緒にいられない不安が大きいから。
また、陣中で刺客に襲われないかな?
戦争で負けて、殺されちゃったらどうしよう……。
昼間は、全く心配していないと装っているだけでずっと心配です。夜になって一人になるとその必要もなくなるから、毎晩のように毛布にくるまり、彼のことを心配して、無事に帰ってきてくれますようにと祈っている。
どんな考え事をしていても、結局最後は彼の無事を祈っている。そうしてると、いつの間にか朝になっている
今夜も眠れないのかな。
……。
…………。
ぐぅ……すぅ……ぴぃ……。
-Féliwce & Emiri-
フェリエスが軍隊を率いて出発してから二〇日が経った今日、ついに彼が帰ってきます。三日前、勝利の報告をストラブールにもたらした伝令さんによると、今日の夕方には、大公殿下がご到着なさられるそうです。
私は朝からフェリエスの帰りが待ち遠しく、ご飯はぼろぼろとこぼすわ、メリルさんのレクチャーは全く頭に入ってないわの状態で、クロエちゃんに散々に笑われる一日となっております。
ストラブールは市民の皆さんが街中で踊り歌い、フェリエスの名前を叫んでいた。彼ってそんなに人気あるのかと驚いた私に、オーギュストさんが「当たり前だ。お前は殿下のご功績を全く理解しとらん」と冷たい目と声で言った。
そんなに怒ることはないと思うんですよぉ。すごい人だとは思ってるけど、私は彼の仕事がどう結果に繋がっているか分からないんだもの。
公爵邸の周囲は、大勢のストラブール市民に囲まれて騒がれている。
「フェリエス大公殿下! フェリエス大公殿下!」
皆、大喜びで叫んでいる。
こんなに多くの人に好かれている領主って、珍しいんじゃないの? 夏に起きたモリエロ州の反乱のような事は、この地方では起こり得ないね、きっと。
私はアレクシお爺ちゃんに呼ばれ、白を基調とした軍服に着替えることにしました。本当はドレスのような衣装が良いらしいのだけど、胸にたくさんの詰め物を入れないと形が崩れてしまうと、メリルさんに言われてしまった……。
うっせ! うっせーよ! お前がでかいからって、いちいち指摘すんじゃねぇよ!
王都の仕立て屋さんは上手にカバーしてくれたよ? あんたが下手だからじゃないのん? とは口には決して出せません。
しかーし、この軍服は私の為に作られた物で、とっても可愛いのです。白と黒の二種類を持っていて、いつもは黒なのだけど、今日は祝い事だし白を選びました。黒は思いっきり仕事用なのですが、白は式典用です。大きな襟と膝上二十センチのスカートは、この世界にはあまり無いデザインで私だけの特注品です。私が絵を描いて作ってもらったのだ! 仕立て屋さんは、私の下手な絵を参考に、こうまで見事に仕上げてくれたのです。
鏡の前で座る私に、メリルさんが化粧をしてくれながら「あんた、胸さえあればねぇ」と小声で言った。
かなり頭にきましたが、アレクシお爺ちゃんに急かされ、抗議をあげる時間すらないとわかり、鏡越しにおっぱいお化けを睨みつけたのでした。




