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「で、殿下と喧嘩したお前は気まずいから俺のところに来たわけか」


 ハザルさんが私のほうに、魚の白身をパイ生地に包んで焼き上げた料理を押し出しながら笑う。


「気まずいんじゃないもん。ハザルさん、彼女いないし可哀そうだから、ご飯ぐらいは付き合ってあげようと思ったのさ」


 私は、彼の空いたグラスに葡萄酒を注いであげた。


 大公別邸に到着した時、頭を下げて大公の到着を待っていた使用人達は、揃って目を丸くしていた。それは、馬車から出て来た大公殿下が、破れた服を召されていたからだ。金色の髪は乱れ、疲れ切った表情の大公殿下は、使用人達に「御苦労。すぐに眠りたいから用意してくれ」と、それはもう気の毒なほどに掠れた声を発しておりました。


 お前が言うなという声が聞こえてきそうです。


 私は、パイ生地をナイフで切り開き、白身と一緒に頬張る。かかっているソースが合います。


「お前さ、殿下はそういうお立場なのだ。好きだ惚れたで結婚相手を選べないのだぞ」

「はいはい、説教ならベルーズドに帰ってオーギュストさんから頂きます。ハザルさん、串焼き食べる?」

「うん、もらおう。しかしだな。お前も少しは大人になれ。殿下がどれほどお前を大事に想っているか、一番分かっているのは、お前だろ?」


 私達は、大公別邸から馬で街に出ていた。今は旅人や市民で賑わう食堂のような店で向かいあっている。食堂といっても、日本の居酒屋に近い。大きく違うのは、注文ボタンがないところ。


 ん? いえ、未成年ながら行った事あるのは、家族と行ったからですよ。そこのところは、誤解なきよう……。だいたい、私はお酒なんてこれっぽっちも飲めません。


 私は、肉と野菜の串焼きが盛られた皿を片目のおっさんに押し出した。


「なんかさぁ、私はフェリエスにとって都合の良い女でしかないんじゃないかって。そりゃあ、大事にしてくれてるのは分かるよ。でも、奥さんがいたら、私ってただの不倫相手じゃん」

「ふりん? お前の国では側室を持つ事をふりんというのか?」


 串焼きに齧りつきながら、ハザルさんが私を見る。


「うん。日本という国では、不倫はいけない事なのです」


 きっとそうです。


「それはお前の国でだろ? 殿下はお立場上、多くの女性を囲うべき立場の方だ」


 私は目を剥いた。


「どゆこと?」

「殿下は国王に嫌われているが、れっきとしたアルメニア王家の方だし、王位継承権も五番目だ。つまり、上の五人に何かあった場合、殿下が王になられる。だから、殿下はご自分に何かあった時に備え、子をたくさん残しておかねばならんのだ」


 そういえば、側室制度で昔は当たり前のようにやってた時代があったなぁ。ほら、大奥とかそうじゃん。でも……なんか、女は黙って偉い人の子供を産んでろって言われてる気がして嫌です。


「それにな、言っておくが正妻になったからといって殿下に大切にされるかというのは別の話だぞ」

「なんで? 奥さんを大事にするのって当たり前じゃないの? 私のお父さん、そうだよ」

「一般市民と殿下を並べて比べるな。よく考えてもみろ。お偉い方々は家の都合とやらで、会ったこともない相手と夫婦になるのだ。なんとも思っていない相手と一緒になって嬉しいか? だから、本当に好きな相手を側室にするんだよ」


 私は、フォークでキノコのサラダを口に運ぶ。「俺にも」とハザルさんが言うので、取り分けてやりながら口を開いた。


「会ってみたら、とっても好みで向こうもそうで、いきなり急接近てのがあるんじゃない?」


 サラダを頬張りながら、フォークを振り回し喋る私を、周囲の客達が迷惑そうに見てきた。


 すみません……。


「それは可能性としてはあるが……。お前はそれを心配してるのか?」

「……そうでーす」


 ハザルさんは私の髪をくしゃくしゃとかき回した。


「ちょ……何すんの!? やめて!」

「ははははは、可愛らしいところがあるじゃないか。しかし、お前の心配はおそらく杞憂だ」

「きゆう?」


 可哀そうな子という目で見られた私。


 ぐしゃぐしゃになった髪を手で直しながら、腹立たしい表情のハザルさんを睨みつけてやる。


「殿下のお相手は、それはもう有名なじゃじゃ馬だ。男顔負けに剣も使うし、馬にも乗る。三年前に帝国とロゼニアが一緒にこの国に攻めて来た時、第三王女は軍隊の指揮官をやってた程だ。あんな女っぽ……くない……」


 ハザルさんの声が細り、私の顔をまじまじと見つめた。


「何? 喧嘩売ってんの?」

「いや……まずいな」


 ハザルさんがぼそりとこぼす。


 何がまずいか言えっての!


「お前と、殿下のお相手は似てる……。つまり、殿下の好みにどんぴしゃかもしれん」


 ああ……、倒れたい。


 女っぽくないと言われた事と、第三王女がフェリエスの好みだって事、その二つが私をこれでもかと痛めつけた。


 ううっと唸って料理の皿が並ぶ丸テーブルに突っ伏す私。


「あ! そうだ。喜べ」


 ハザルさんが私を掴み起こす。


 頬に串焼きのタレをつけた私をひとしきり笑った彼が、それを拭ってくれながら口を開いた。


「ばっちぃな……。ああ、そうそう。ロゼニアの王家は側室を認めておらんから、この婚姻は結ばれんだろう。お前がいるからな」


 ああ、神様、仏様、ハザル様!


 私、あんたを見なおしたよ! それって超重要で私にとって最高の情報じゃん!


 機嫌を直して、サラダにフォークを突き刺した私は、ここである事を思い出す。


「ねえ、確か……私の身代りになった人って、王様に取られたよね」

「ん? そうだな。まあ、それも殿下の作戦だったからな。王様の注意を逸らし、機嫌を取るという……ああ! そういう事か!」

「そうだよ! 私、もういないんだよ! フェリエスには側室とか妾とかいないんだ……」


 嫌な予感が小さな胸の中で渦巻いたのでした。


 いちいち小さいっている?


 再び消沈した私の正面で、ハザルさんがグラスを空にしていた。私は葡萄酒を注いであげながら、サラダをもしゃもしゃと食べる。


「お前さ。一番、重要な事なんだけど……。お前はいつか、ニホンというところに戻る日がくるかもしれんだろ? そんな顔をするなよ。お前はそもそも、自分の意思でこの国に来たわけじゃない。もしかしたら、突然、ニホンという国に戻ってしまってもおかしくないじゃないか。殿下の奥方になるのは無理だ」

「な……何言ってんのよ。私はまだ結婚なんてとても……。十六歳ですよ」

「立派な大人だ。お前のほうこそ、殿下と添い遂げる気がないじゃないか」


 私は串焼きを片目のおっさんの眼前に突きつける。


「付き合うが、直ちに結婚につながらないのです」


 二人でしばらく、食べる事に集中する。


 ハザルさんが、チーズを頼んで葡萄酒の瓶を追加した時、私にもグラスを突き出してきた。


「ほら、飲め」

「ははは……、どうなってもしらないよ。私、飲んだ事ないんす」


 ハザルさんは、私の声を無視して、グラスに葡萄酒を注ぎ、自分のにも注ぐ。チーズを齧りながら、葡萄酒を飲むと美味しいと思えた。


「エミリ、お前は可愛い女の子だと思うぞ」


 何? ついに酔っ払ったか?


「勘違いするな。殿下の為に健気に訓練してるし、夜も満足に寝てないだろ。いつも、昼間にこそこそと寝てるからな」


 ……。


 ハザルさん。私、あんたの事、とっても好きになりそうだよ。もちろん、人としてね。


 彼は、山羊の乳で作ったチーズが好みらしく、そればかりを食べていた。一つもらうと、牛の乳で作ったチーズに慣れている私には、少し癖が強い。


「慣れたらこれが良くなるんだ。で、どうなんだ? その……いつかニホンに帰る日がくると思うか?」


 私はグラスを両手で持って溜め息をついた。酔っているから、熱のこもった息がグラスにかかる。


「分かんないよ。ハザルさんの言う通り、私は自分の意思でここに来たんじゃないんだもん」

「だよなぁ。はっきり言って、お前に帰って欲しくないのは殿下だけじゃないぞ。俺だって、お前の事が好きだ。いや、だから勘違いするな。俺はもっと女らしいのが好みだ。痛!」


 テーブルの下で思いっきり、彼の足を蹴飛ばしてやった私は、葡萄酒を二つのグラスに注ぐ。


「ねえ、ハザルさん。ロゼニア王国の王女様って美人なの?」

「ああ」


 ハザルさんは顔を痛みで歪めながら頷いた。


「ロゼニア王家は女神に愛されているとまで言われているほど美形揃いだ。だから、娶ると側室を持てないと分かっていても、各国の有力者達は求める。お前の恋敵になる王女も、じゃじゃ馬だが美人だぞ」


 あー……終わった感がするなー。


 私、なんとなく分かるなー。


「よーしエミリ、飲むぞ」


 ハザルさんが、沈む私に陽気な声をかけてくれる。


 この人、いい人なんだよなぁ。

 



-Féliwce & Emiri-


 リシュルー公爵という人のお屋敷は、それはもう言葉も出ないほどに広い。ハザルさんと私は、フェリエスが屋敷の外に出てくるまで、庭にあるカフェテラスのようなところに案内されました。


 お前らみたいな下っ端は、中にも入らせないぞ。


 おそらく、屋敷の執事はそう言いたかったのでしょうけど、言葉に出しては丁寧この上ない物言い。


 貴族ってのが嫌われる理由が分かるなぁ。でも今日は、さすがに私達に問題があるかも。


 ええ、二日酔いで二人とも顔色が良くない。


 フェリエスから朝早々にしっかりとお叱りを受けました。ハザルさんより私のほうがきつく怒られたのは、きっと喧嘩のせいだ。


 くすん……。


 私は隣で胃のあたりを押さえる片目のおっさんを見る。


「ねえ、大丈夫?」

「なんとか……。でも今、誰かに襲われたら頼む」

「無理……」


 大公殿下の護衛にあるまじき会話をする二人。


 疲れた様子でカフェテリアを眺めるハザルさん。


「ま、茶ぐらい出してくれるだろ」


 慣れたもので、さっさと椅子に座るなり大きな欠伸をしております。私は、そこから見える庭の景色に、しばらく見とれてました。こんなコンディションでなければ、もっと心から楽しめそうだなー。庭の池が、私の住む街の駅くらいあるね……。嫌味な家ですよ。


「お待たせ致しました。ごゆっくり」


 女性が運んできてくれた紅茶を、おっさん相手に飲む私。素敵な人とこういう場所でお茶したいよねぇ。フェリエス、聞いてる? ああ、彼を痛めつけたのは私だった……。くすん、優しいフェリエもさすがには怒っているらしく、私に声をかけてくれません。


 そりゃそうか……。


 あれだけやったら怒るわ……。


 ずるずると行儀悪い音を立てて紅茶を啜る二人。


「大公殿下の護衛はそなた達ですか?」


 声をかけられ屋敷の方向に視線を向けた私は、そこに女神を見ました。金色の髪を見事に結い上げ、女の私でさえ見とれる微笑を湛えた美女が、私達にゆっくりと近寄って来ているではありませんか。


 ハザルさんが立ちあがったのを見て、私も慌てて立ちあがります。そして二人同時に右膝をつき、右手を胸に当てます。


 ふいぃ……、ようやく慣れてきました。


 えらい人なんだろうなぁ。それにしても超美人。くびれ凄ぇ……。


「許します。楽になさい」


 どこまでも貴族ってのは偉そうだ!! と思いながら、重ねて言われてようやく楽にする私達。一度目で態勢を崩すのは失礼でも、二度言われて崩さないと結局、失礼になるって面倒この上ないっての。


「ほお、そなたは女子でありながら、殿下の護衛を仰せつかっておるのか?」


 目を見張った女神が、私の脚先から頭の先まで眺め見ます。


 胸を残念そうな目で見やがった!


「名は何と申す?」

「エミリと申します」


 美女はふむと頷き、ハザルさんを見る。それにしても美人だなぁ。フェリエスが男側の超美形なら、この人は女側の超美形だわ。二人並んだら、最強のツートップだな……。いや、駄目だよ。


 で、この人は誰?


「ハザル、許す故、嘘いつわりのない答えをしなさい。殿下はベルーズドにおいて田舎女などにうつつを抜かしておると私の耳にも入ってきましたが、それは私に会えぬ寂しさを紛らわすものなのでしょう?」


「は……このハザル。見ての通り武骨者ゆえ、殿下のような高貴な方のお気持ちなど分かるはずがございませぬ」


 美人だけど、相当に性格が悪いってのは分かった。


 彼女は優雅に笑うと、ちらりと私を見る。


「エミリとやら。大公殿下をよろしく頼みましたよ」


 ぺこりと頭を下げる私など、彼女はもう見ていなかった。熱を帯びた視線を屋敷のほうへと向けた彼女は、「フェリエスさまぁ」と囁きながら帰って行く。


「誰?」

「リシュルー公爵の末娘で、シェルフィーヌ様だ。もう分かったと思うが、殿下に惚れている。というより、殿下は自分のものだと思っている。どうやら、舞踏会で一回だけ、一緒に踊った事があるらしい。それでそう信じているのだな」


 ストーカーってやつですね。


「一回だけ踊ればって、そんなの沢山いるんじゃないの?」

「いや」


 ハザルさんは椅子に座ると、私にも座るよう仕草で示す。


「殿下はそもそも、舞踏会や晩餐会に出ても貴女子の相手をした事があまりない。彼女は数少ない殿下と踊った女性の内の一人だな」


 ふうんと相槌をうった私が紅茶を啜るのを見て、片目のおっさんが意外そうに口を開く。


「なんだ? 気にならないのか?」

「さっきの人?」


 私は屋敷の方向を指し示して問うと、彼は頷き口を開く。


「ああ、お前の恋敵になるかもしれんぞ」

「あれはないなぁ。フェリエスってさ、ああいうの嫌いでしょ?」


 ハザルさんは顎を引いた。


「よく分かっているな」

「そりゃそうだよ。あーあ、ロゼニアの第三王女もあんなのだったらいいのにな。そうしてら、私も少しは安心できるのになぁ」


 私の愚痴に、ハザルさんは苦笑する。


「そんなに姿勢を崩すな。ここは王国宰相閣下の御屋敷だぞ」

「あ、そうだった。すません」


 姿勢を直して伸びをした時、屋敷の中から複数の人達が飛び出していくのが見えた。彼らは馬舎へと駆け寄ると、慌ただしく出発の用意を始める。


「動きがあったな。話が終わったのかもしれん。おい」


 ハザルさんに促がされ、私は頷き立ち上がる。


 二人で待っていると、しばらくしてフェリエスと長い顎鬚を生やした上品な中年男性が姿を見せる。


「リシュルー公爵だ」


 小声で教えてくれるハザルさん。


 勝手に悪人顔を想像していた私は、心の中で謝りました。


 フェリエスと公爵別邸から出た時、彼はそこで初めて笑みを消し、疲れたように息を吐きます。


 いつもなら、労いの声をかけるのだけど、なぜかそれが出来ない私。


「明日の夜、リシュルー公爵の誕生祝賀会に招待された。お前達も警護で来るように」


 事務的な口調のフェリエス。


 ああ、まだ怒っている。


 私は彼の隣にいるというのに、憂鬱な表情で屋敷まで歩いたのでした。




-Féliwce & Emiri-




 また喧嘩をしてしまいましたぁ……。


 ハザルさんが「仲直りしろ」ってセッティングしてくれたにも関わらず、フェリエスと市場の真ん中で大喧嘩です。


「エミリ! お前は俺の立場を全くわかっておらん!」

「わからないよ! 女の子をはべらかしていい立場なんて分からないー!」

「貴様! 俺がいつそんな事をした? 言ってみろ!」

「これからですぅ。これからするつもりなんだ! いいよ、私は。どうせ、日本に帰るかもしれないからね! 都合のいい女なんだ!」

「どこまでも俺を愚弄するか……」


 怒りに震えたフェリエスの目と、感情を高ぶらせた私の目が火花を散らす。


「そうだよね! 私はいついなくなるか分からないもんね! 暇つぶしにはちょうど良かったんでしょ!?」


 フェリエスは顔を怒りのあまりに蒼白にしていた。


「いくらお前でも許さん! 今すぐ謝罪するか、俺の前から消えるか選べ!」


 ハザルさんが私達の間に割って入り、交互に宥めの言葉をかけるも、私もフェリエスも全く聞いていない。


「エミリ……、謝れ。とにかく、ここは謝れ」


 ハザルさんの言葉に、フェリエスが金色の髪を激しく揺さぶる。


「ハザル! お前はこいつの味方か!?」

「いえ……そういうわけでは」

「ならば引っ込んでいろ! エミリ、二つに一つだ! 謝れば、これからも暇つぶし程度には付き合ってやる!」


 ハザルさんの顔色が一変したのが分かった。


 私が睨みつけた先には、自分が発した言葉に驚いている大公殿下が立っていた。周囲の通行人達が、私達に野次を飛ばしながら見物している。


 お前ら、この人が大公殿下と知っても、それをする勇気あるんか? というツッコミを入れる余裕すらない私は、必死に仲裁していたハザルさんの腕を振りほどき、我に返った大公殿下が、伸ばしてきた手を力一杯払った。


「あんたなんか大嫌い!!」


 人ごみの中をもみくちゃにされながら走った私は、すぐに自分がどこにいるのか分からなくなった。でも、あの二人からとっても離れたいと思ったので、道に迷ったという事実すら、どうでも良く感じる。


 夜の祝賀会とやらに出席するフェリエスが、空いた昼間の時間を使って私を市場見物に連れてきてくれたのは重々分かっている。それでも、彼がさも当然のように


「結婚するからといって、お前を嫌うわけではないのだ。俺はお前を愛しているから、妻帯したとしてもお前を大事にしたいのだ」


と言ったことで、私の感情に火がついてしまった。そして暴言を吐き、彼に怒られヒートアップするという図式で、喧嘩は盛大なものになっていきました。


 やばい……。


 今さら泣いてる事に気付いてしまった。


 とぼとぼと歩きながら涙をぬぐった私の肩を、誰かがいきなり掴んだ。


「!?」


 とっさにその手を取り、投げようとした瞬間


「俺だ! やめろ」


 ハザルさんか。


「いやぁ、すぐに見つかったぞ。黒髪の可愛い女の子はどっちに言った? と聞いたらすぐに見つかった」


 そういうお世辞にも反応する余裕ないっす。


「でも、よく見つけられたね。この人ごみの中で」


 私の周囲は、市場で買い物を楽しむ人達で一杯なのです。


 片目のおっさんは、私をお茶に誘うと、さっさと店へと手を引っ張る。勝手に紅茶を注文し、椅子に私を無理やり座らせると、似合わない優しい笑顔を作る。


「見つかるさ。こんな場所で、下を向いて歩いている奴を探すのは簡単だ」


 彼は私に砂糖菓子の包みを差し出してくる。


 首を左右に振った私。


「フェリエスの警護、しなくていいの?」

「殿下は帰られた。心配してたぞ。お前が来てからお人が変わられたように穏やかだったが、今日は素が出たな」


 そうなの?


「そうだ。もともと温厚な方では無かったぞ。自分にも他人にも厳しいお方だったが、最近は自分に厳しく、他人にお優しかった。お前だよ、原因は」


 紅茶が運ばれてきた。



 二人で黙って紅茶を飲む。


「殿下もここのところずっと大変なことばかりだ。戦争に政略に交渉に心穏やかな時はないだろう。そこにお前との喧嘩だ。これまで、精神安定剤の務めを果たしていたはずのお前との時間が、逆の効果となってしまった。それでさっきの発言だったんだろうさ」


 私の目を覗き込む片目のおっさん。


「だからといって、さっきは殿下が悪いと俺は思っているぞ」

「……ありがとう。でも、私も悪いんだよ。素直になれないんだ。だって、私はフェリエスの事が好きでも、彼が他の女の人と仲良くするのを責められないんだよ……。いつ日本に帰るか分からないんだもん」

「それも分かる。分かるが、殿下は精一杯の誠意を示されておいでだった。それをお前は踏みにじったのだ。分かるな?」


 話す必要のないことまで、私に話してくれていた大公殿下。だいたい、私は素性の分からない怪しげな女の子なのだ。その私相手に、忙しいのに時間を割いて、自分の想いを改めて話してくれていた。


 でもさぁ、「お前は二番目だから」と言われて嬉しい女の子っている? いないでしょ? いたら相当に変わった人だと思う。


「エミリ、仲直りしろ」


 このおっさん、いろいろと気を遣ってくれるんだよなぁ。本当に強い人っていうのは、こういう人なんだよね。いくら剣術や武術が出来ても、心が整っていない人は弱い人だと、お父さんがしつこく言ってたけど、ハザルさんと会ってようやく理解できた気がする。


 それで、私は心が整っているの?


 全然、整ってないや……。


「エミリ、作戦がある。とっておきの仲直りの作戦がな。実は部下達に指示して準備させてある。断らんだろ?」


 なんか……目が怪しく光ってますね。それって、私の心配をしている以上に、楽しい事を思いついた男の子って感じですよ。


「フェリエスに怒られても知らないよ?」

「怒られるどころか、感謝されるさ」


 ハザルさんはそう言うと、私に耳を貸せと仕草をする。


 じっとりとした目で睨むと、彼は楽しげに頷く。私は彼に耳を寄せた。


「ごにゅごにょ……」

「えー!!!!!」


 周囲の人達が驚き慌てて私達を見る。それくらい、私の声と驚きは大きかった。


「あんた、私にドレス着て祝賀会に出ろっての!?」


 悪戯小僧のように笑った独眼竜が、紅茶を飲み干し頷いたのだった。




-Féliwce & Emiri-




「で、エミリは見つかったのか?」


 フェリエスは馬車に乗り込む前、扉を開き待つ兵士に問う。


「はい……いえ」

「見つかったのか? 見つかってないのかどっちだ?」

「まだでございます」


 様子がおかしいと感じながらも、大公は豪奢な馬車に乗り込む。ベルーズドでは今夜のように着飾る必要がない。だから彼はひさしぶりに豪華な服と装飾品を身につけている。


(飢えた民は、わずかばかりの金品の為に子供を売るというに……、この俺が今、身につけている物だけで、多くの民を救える)

(どこまでも腐っているではないか、この国は)


 金色の髪をかきあげた時、サクラの耳飾りに指が触れた。


『私の国で一番、愛されている花』


 彼の脳裏に、エミリの笑みが描かれ、言葉が浮かんだ。


 五枚の花弁は淡く薄く桃のような色合いで、実物に触れればきっと簡単に崩れてしまうだろう柔らかさをフェリエスにも伝えていた。


(薔薇や百合の様な豪華ではないこの花を、好きだと言える国の人々とはどんな人達なのだろうか。彼女を育てた国は、街は、両親はどんな優しさで彼女を包んできたのだろうか)


 フェリエスは馬車に揺られながら、己の吐いた言葉が真っ直ぐな彼女をどれだけ痛めつけたかと頭を抱える。


(こんな状態で、俺は祝賀会に出るのか。上手く立ち回れるか?)


 リシュルー公爵の機嫌を取り、あのシェルフィーヌを上手に扱えるかと自問しながら、馬車の速度がやけに遅いと感じて騎手に声をかけた。


「どうした?」

「申し訳ありません。前の馬車が遅いので速度を出せませぬ」


 公爵邸には数百人の招待客が、時間に合わせて到着するのだ。混み合うのを予期して早めに屋敷を出たので遅れる事はないだろうが、それでも苛立ちを感じるのは自分の精神状態のせいだと彼は苦笑した。


 エミリのせいだと断じた大公は、鼻を鳴らして脚を組む。


(あいつは気遣いをするくせに、大事なところは絶対に曲げない。それも、あいつの育った環境のせいだ。ニホンという国の人間は、皆ああなのだろうか。だとしたら、俺はとてもその国の王などしたくない)


 大きな勘違いも訂正をする人間がいない。


 大公がここで、ふと車窓から外を眺めると、リシュルー公爵別邸に向かっていない事に気付く。


「おい、道が違うぞ!」

「良いのです」


 フェリエスは、騎手がいつのまにかハザルに代わっていることに声で気付いた。


「ハザルか! お前、エミリを見つけたのか?」

「この先で殿下をお待ちです」

「そ……そうか」


 緊張で顔が強張る。


(とにかく、まずは謝ることだ。理由はどうあれ、俺はそれをするべきだ。その後に、理をもって説き、彼女の言い分を聞いてやり、抱きしめよう。よし、これでいこう。いいか? 冷静になれ。あの道楽息子や王弟の前でも俺は冷静に対処できるのだ。大丈夫だ……)


 思考とは裏腹に、震える手が落ち着かない。


(許してくれなかったら……俺の前から消えると言われたら……言うなよエミリ、俺を困らせる事はしないとお前は言ったな。俺は覚えているぞ。だから、絶対に俺の傍からいなくなるとは言うな!)


 自分を棚にあげた大公が、エミリの待つという店の前で馬車から降りた時、そこは服装品を取り扱う店であった。


「殿下、中にエミリが」

「ここは、我がベロア家がいつも仕立てを頼む店だな」


 店内に通された彼は、黒髪を結いあげ、豪華な衣装を身につけたエミリを見つけた。


 黒髪の少女は、純白の中に淡い朱が浮かび上がったドレスを身にまとい、いつもの薄い化粧ではなく、ドレスと宝石に合う化粧が施されている。彼女は照れたように立ち上がり、長い睫毛を揺らして頭を下げた。


「ごめんなさい。一緒にいたいです」


 フェリエスは無言で彼女に歩み寄ると、細い腰に手を回し抱きしめる。


「見違えたぞ。いろいろ謝罪の言葉を考えていたが、忘れた。今はただこうしたい」

「だめ。せっかく綺麗にしたの……に」


 か細い声を無視して唇を重ねたフェリエスは、しばらく少女を離さなかった。




-Féliwce & Emiri-




 馬車から降りた時、私はたくさんの視線を浴びた。


 無理もない。なぜなら隣には、あの大公殿下がいるのだから。


「ちょっと、あの娘は誰?」

「嘘! 大公殿下が……」

「ああ、殿下……、大公殿下」

「ああ、あんなに素敵な笑みを向けられて……」


 はははのは。


 これは気持ちいいね。


 多くの貴女子から嫉妬と羨望を向けられながら、私は大公殿下のエスコートでゆっくりと公爵別邸の中へと入ります。視線の量がけた違いに増えました。ざわついていた公爵別邸内が、さらに大きなざわつきに包まれます。それまで、勝手におしゃべりしていた貴族の皆さんが、私達を眺めて囁き合い、それが大きな波となって私の鼓膜を揺らしている。


 これ……なんかいい。


「あの大公殿下が……」

「それにしてもどこのご息女なの?」

「いや、アルメニア人ではないようだが?」

「そんな事はどうでもよろしくてよ」


 フェリエスが、ざわつきの中心にいるリシュルーさんに近づき、笑みを投げかける。この国の宰相をしているその小父さんは、目を見開いて私を見ていた。


「これはお美しい方をお連れですな。ご紹介頂けますか?」

「宰相にそう言われて、自分の事のように嬉しく思うぞ。エミリ、おいで」


 フェリエスが私の背中をそっと押す。


「エミリと申します」


 今は護衛ではない為、私は腰をかがめて頭を少しだけ下げる。片足を少し後方にずらすのも忘れない。


「アルマン・デ・シュプレと申します。お会いできて光栄です」


 一度、顔をあわせているけど今の私は護衛時に比べて別人だろうからわかるはずもない。


 宰相さんは私の手を取ると、そっと額とくっつけました。教えられてなかったら、思わず投げ飛ばしていたかもしれません。


「大公殿下! これは……これは一体」


 げ! ストーカーだ。


「これはシェルフィーヌどの。相変わらずお美しい」


 彼女はフェリエスの言葉を無視して、私を睨みつけた。


「私というものがありながら……」

「よさぬか。見苦しいぞ」


 リシュルー公爵が眉を寄せる。このおっさん、意外とまともなんだろうか。でも、あんたの娘だよ?


 怒りに震えるとはこの事かという程に、怒りを露わとするストーカーを私が眺めていると、フェリエスが私の腰に手を回し、一方の手で私の手を取った。


「紹介しよう。俺の大事な人でエミリという」


 巨大な空間が悲鳴に包まれた。


 それはストーカーの口から発せられたものだけではなく、その場に居合わせた貴族の娘達から一斉に放たれたものなのです。


 これは……、これは最高です!


 そうか! みんな、イケメンをゲットしたいのは、この快感を味わいたいからだ!


 祝賀会場が開かれ、豪華な食事や美酒が並ぶその部屋でさえ、話題の中心にはフェリエスがいた。それがしばらく続き、祝賀会も終わる気配が漂い始めた頃になって、フェリエスが有力貴族の人と話をするといって、私の傍から離れたと同時に、私は多くの女性陣から無視された。


 ポツーン……。


 これは……、これは最低です!


 こういうリスクもあるのか!


 そんな私に、一人の男性が近寄って来た。


「大公殿下とは長いの?」


 何? このチャラいやつ。


 そうは思っても、今日の私はおとなしいエミリちゃんバージョンです。笑みを絶やさず、目を伏せて見せる。


「いえ」


 あまり上品な言葉使いが出来ない私は、口数少ない作戦で今日を乗り切るつもりなのです。


「へえ、この国の人じゃないよね? どこの人?」

「それは……」

「殿下はモテるからさ、もし捨てられたら僕のところにおいでよ。僕、君みたいに可愛い子が好みなんだ。唇の横のホクロなんて最高だなぁ」

「そんな……」

「大事にするよ。昼も夜も可愛がってあげる。君だって、僕みたいな美男子に愛されたらきっと嬉しいはずさ。あ、殿下もすごく美男子だけど、僕だってそうだろ? 名前は?」


 あー、うぜぇ。


 どこの世界にもこういうウザいナンパ野郎がいるんですねー。いつもの撃退方法をしてやりたいけど、今、この場でこいつを投げ飛ばしたらフェリエスに恥をかかせちゃうからなぁ。


「恥ずかしがり屋なんだね。そういうとこも好きだなぁ。あ、僕はセバスチャン・バシュレ。モントロー伯爵は僕の父上だよ。どう? 大公殿下に比べて領地は狭いけど、王都には近いし豊かだよ」


 うっせーな! 


 私は頬がピクピクするのを感じながら、良く喋るチャラ男の話から解放されるまでじっと耐える覚悟をする。


「セバスチャン。俺にも紹介しろよ」


 ああ、なんかまた増えたよ。


 セバスチャンの背後から、こちらに近寄って来る男の人は、私を爪先から頭の先までをじろじろと見ている。そして目の前に来た時、いきなり手を握ろうとしてきた。


 さっとそれを躱し、つつつと壁際に移動した私。


「ああ、驚かせた? 申し訳ない。俺はリリアン・ランドロー。あの大公殿下が女性を連れて来たというから、そんな娘かと思ってたよ。凄い可愛いね。その黒い髪、染めているの?」


 可愛いというのは、素直に喜びたい。


「染めてないです」

「へぇ。綺麗だなぁ。この国にも黒髪はいるけど、君のように艶のあるしっとりとした黒い髪ってのはいないよ。触ってもいい?」


 ざけんじゃねぇ! 


 もう限界です!


 フェリエスごめん!


 私……、こいつらぶっ飛ばす!


 私が笑顔のまま、すっとリリアンと名乗った男の腕を取ろうとすり寄った瞬間だった


「人の連れに何をしている?」


 冷たい声が聞こえてきました。


 二人が振り返った方向に、フェリエスが立っています。


 ああ、私に怒っていた時の顔はまだ本気じゃなかったんだなー。今の顔に比べたら、優しいなー。


「殿下……」

「これは……失礼いたしました」


 フェリエスは凍りつかせるような目で二人を睨むと、彼らは暑くもないのに汗を浮かべた。


「エミリ……すまない。おいで」


 一転して、私を駄目にする笑顔を向ける大公殿下。


 ああ、私の怒りも一瞬で鎮火しました。


「あの二人は、有名でな。迷惑をかけたな」


 フェリエスは私を優しく抱えてくれると、周囲の女性陣のざわつきを無視して会場から私を連れ出す。


「もういいの? もしかして私のせい?」

「いや。用は済んだ。公爵とも話が出来たし、話したかった諸侯ともそれが出来た。お前を連れて行きたい場所があるのだ。すぐ近くだから」


 どこだろう?


 馬車に乗った私が、どこに行くのかと口を開きかけた瞬間、大公殿下によって阻止される。


 キスするなら……もうちょっとここから離れたほうが……。


 扉……閉めて。

 

 ハザルさんが気を利かして馬車のドアを閉めるまで、私にキスをする大公殿下を見て倒れた女性達の姿が見えましたよ。


 片目のおっさんが、にやけた顔を残してドアを閉めても、フェリエスは私を離してくれませんでした。


 ああ、幸せですぅ……。




-Féliwce & Emiri-




 王族しか入れない庭園の前で馬車が止まり、フェリエスは私だけを連れて中へと向かう。入口に振り返ると、ハザルさんが片目しかないのにそれを瞑ってみせる。その少し後ろに兵士の人達が笑みを浮かべて私を見ていた。


 私も片目を瞑ってみせた。


 ハザルさん、そして皆ありがとう。皆が助けてくれたから、フェリエスと仲直りできたよ。


「お前はいつの間にか、俺の臣下達を味方にしたようだ」


 フェリエスが私の手を握ってくる。


 フェリエス、仲直りしてくれてありがとう。


 二人で庭園の中に入ると、そこはリシュルーさんの庭よりすごい光景が広がっていた。


 森があるといったほうがいいかもしれない。自然と人工の調和が取れた庭園には、様々な花が咲き誇り、月明かりの下でそれぞれの花びらを誇るように広げている。


 蓮が美しく彩る池のほとりに座ったフェリエスが、私をその膝の上に乗せる。彼の唇に、私の唇に塗られていたピンクのルージュがついていて、思わず笑ってしまう。


「どうした?」


 私はその質問に答えず、彼の唇を指で拭く。


「ついちゃってた」

「ああ、そうか。またどうせつく」


 そういう事をさらっと言う!


「ここは俺の父上が一度だけ、俺に会ってくれた場所だ。三歳の時のことだが、今でも鮮明の覚えている」



 フェリエスのお父さんて、先々代の王様だったよね。


 一度しか会ってないの?


「そして母上と引き離された場所でもある」

「え? フェリエスってお母さんに育ててもらったんじゃないの?」


 彼は無言で池に浮かぶ蓮に手を伸ばすと、そのうちの一つを摘み取った。


「違う。俺は母上から引き離され、断絶していた王家の分家の一つ、ベロア家を継がされた。ベロア家の家老としてやって来た爺に育ててもらったのだ」


 私は、どうして彼がそんな話を始めたのか全く分からなかった。でも、何か理由があって、そうしているのは分かる。だから、黙って彼の髪を撫でていた。


「母上は貧しい貴族の生まれだったが、美しかったことから有力貴族の妻となった。だがそれも長くは続かなかったそうだ。父上がその貴族から母上を奪ったのだ」


 フェリエスは、青い瞳を池から私へと転じた。


「そして俺が産まれた。俺の存在はアルメニア王家にとって、歪みと憎悪と疑惑の種となったのだ。だから俺は死ぬまで主家から忌み嫌われる存在なのだ」


 私は彼の頬に手を当てた。


 彼は、私から視線をそらさず、その手に手を重ねる。


「俺は、俺とお前を守る為に権力を手に入れる。この国で最も強い権力を。そうすれば、俺は誰にも狙われぬ。お前に不憫な思いもさせなくとも済む。これまでもそう願っていたが、今は願いではなく決めたのだ。」

「たくさん、人を殺すの?」

「殺すだろう」

「仲良くなった兵隊さん達、死んじゃうかもしれないんだよ?」

「そうだ。だから俺は、皆の前で宣言する。ついて来たくない者は去ってくれとも言う。もちろん、お前にもだ」


 彼の目は本気だった。


「だが、さっきも言ったが、俺はお前を守りたいから戦うのだ。矛盾しているようだが、去ってほしくない」


 私は、彼の髪に頬を寄せた。フェリエスがそうであるように、私も彼の髪に頬を寄せるのが好き。


「私……たくさんの人の犠牲の上に成り立つ幸せって喜べない」

「そうか……」

「私は出来た人間じゃないけど、そう思う。あなたの事を好きだけど、あなたのしようとしている事には賛成できない」

「そうか……」


 彼は悲しげに瞳を揺らすと、私の首に顔をくっつけた。首筋に濡れた感触を覚えた私は、彼の頭を両手で抱えた。


「今のままじゃ駄目なの?」

「駄目だ。今回のように……国王の命令一つで妻まで決められてしまうのだぞ? 俺は。国王がお前を差し出せと言われても、力が足りず守れない。奴を凌ぐ力を得る……それはつまり、奴を倒すほどの力だ。それは王位を狙うことに繋がる」


 彼は綺麗な瞳を私に向けると、少しだけ微笑んだ。


「どうして泣く?」


 彼が私の涙を指で拭う。それが心地よくて、私は瞼を閉じて動かない。


「エミリ、泣くな。お前に泣かれると、俺はとても困る。どうしていいか分からなくなる」


 彼は眉を寄せると、私に顔を近づけた。私の額が触れて、鼻先がくっつく。


「私、さっきの祝賀会で喜んでたの。フェリエスを一人占めできてるからってすごく嬉しかったの。最低だよ。とっても嫌な女だ。フェリエスが私の事を考えてくれてる時も、私は自分のことばかり……」

「そうか、お前もそう思ったのか」


 瞬きする私。


「俺はさっき、誰もが注目するお前を隣に連れて歩けて嬉しかったぞ」


 彼は私を草の上に押し倒すと、腰に手をまわしてきた。フェリエスの心臓の音を感じながら、この誰もが羨む美形の大公殿下が、私だけを見ているのだと強く感じる。


 駄目だ。


 離れられるわけがない。


 この笑顔を向けられたら、どんなに辛い事がこれから待っていると分かっていても、彼から離れることなんてできない。


「こう考えろエミリ。俺は民を大事にする。民の生活を安定させ、悲劇の少ない国を作る。だから、俺達が選んだ道がどれだけ血に汚れようとも、先には誰もが笑える世界があると信じろ。今、辛い選択を強いられても、笑いあえる未来があると信じろ。きっと俺が作る。誰の為でもない、お前の為にそうする」


 フェリエスは、無理に微笑む私に唇を寄せてくれた。


「だからお願いだ。俺を助けてくれ。俺が安心して眠る事が出来るのは、お前がいる夜だけだ」


 彼の腕に込められた力が、私への想いを伝えてくれた。


 私は、彼の腕の中で小さく喘いだ。


 押し寄せる感情の波にのまれながら、彼に愛される喜びに震えながら、私は声にならない叫びを発した。


 フェリエス、愛してる!


 日本に帰りたくない! ずっと近くにいたい……。


 神様、あの時、助けてくれたんだからいるんだよね?


 お願い。ここにいさせてください。この人と一緒にいさせてください。


 お願いします。




-Féliwce & Emiri-




 フェリエスは王族専用の庭園を出て馬車に乗ってからも、エミリを離そうとしなかった。この細い肩を震わせていた少女は、いつの間にか眠ってしまったらしく、彼の肩に頬を乗せて、静かな寝息をたてている。


 満足に睡眠が取れていないからだろう。


 大公は、この少女が昼間、誰にも見つからないよう納屋や物置で寝ている事を知っていた。皆が働いている時に眠るのを恥ずべき事だと思っているようだった。だから、彼は知らない振りをしている。なぜなら彼が気付いてしまえば、彼女はさらに見つからない場所を探そうとするだろうから。彼だけではない、大公の周囲で働く誰もが、エミリの昼寝を黙認しているのだ。


「いつのまにか、味方を増やしたのだな」


 黒髪の少女は綺麗に整えた眉を寄せ、寝言で大公の名前を言う。


 フェリエスは彼女の温もりに頬を緩め、整ったと言う表現をはるかに超えた美しい顔に喜びを浮かべる。


 大公に抱きしめられた少女が、小さく身じろぎした。


「フェリエス」


(そうだ。俺の名前を呼んでくれるのはお前だけだ)

(公爵、大公、殿下、そんなものは俺の名前ではない)

(エミリだけが、俺の名前を面と向かって呼んでくれる)

(俺の名前を、嬉しそうに言ってくれるのはお前だけだ)

(エミリ、一緒に行こう。お前といれば、俺はどんな困難にも立ち向かえる。お前は、俺に前を向かせてくれる)


 フェリエスは、ハザルが到着を告げても、エミリを抱きしめ馬車を降りなかった。エミリを起こしてしまうと思ったからだ。


「よい、しばらくここにいる」

「は……」


 大公別邸の庭に入ったところで停まった馬車の周りに、ハザルと兵士達が立つ。


「すまんな」


 フェリエスが彼らに声をかけると、ハザルが顔だけを馬車に向けた。


「殿下、エミリを泣かさないでください」


 隻眼の武将の思いがけない言葉に、フェリエスはエミリの髪を撫でる手を止めた。


「なんだ? お前、随分とエミリの肩をもつな」

「可愛い部下でございますれば」

「そうか。すまんな、一人占めして」

「特別にお貸し致します」


 大公が嬉しげに笑うのを、部下達は微笑みを浮かべ背中を向けていた。


 二人を乗せた馬車を、優しい空気が包んでいた。


 フェリエスは穏やかな寝息をたてる黒髪の少女を愛おしそうに眺め、溜まらず頬に唇を寄せる。少女が小さく身じろぎしたのを見た大公は、背中を向けるハザルに視線を転じた。


「エミリの護衛の任を解く。俺は彼女に甘え過ぎていた。これからは甘えさせてやりたい」

「……ご家老が何と言いますかな?」

「反論はさせん。それにエミリには護衛よりももっと大事な務めがある」


 苦笑したハザルは、片目となった目を細めた。


 それは自分が読み誤っていたと感じたからだ。彼はエミリに、「殿下は変わった」と話したがそうではないのだ。彼の敬愛する主君は、少年時代に失った自分らしさを取り戻しているのだと、隻眼の武将は感じていたのだ。


 ハザルが一礼と共にフェリエスを窺う。その目には、エミリの務めとは何かと尋ねる色がある。


 美しい顔を弛めた大公は、愛しむようにエミリの頬を撫でて声を出す。


「エミリには花嫁修業をしてもらいたいのだ」


 フェリエスの言葉は、吐息となって少女の顔に触れると、眠ったまま笑みを浮かべる少女の頬を滑り落ちたのだった。

chance meeting おわり

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