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 公爵軍はペジエ南一万フィル(十キロメートル)の丘陵地帯で、イスベリア軍と衝突した。


 戦闘開始からまもなくして、公爵軍はあからさまな後退を始める。この動きを見たイスベリア軍指揮官が、全軍に追撃を命じたのも無理はないほど、公爵軍は脆かった。


 脆すぎる敵には注意しろと、戦闘の教科書でもあれば載せておくべきだろう。なぜなら、往々にしてそれは罠であるからだ。そして、この時もそうであった。


 イスベリア軍指揮官が、後方に騎兵接近との報告を受けた時、すでに彼の周囲は突撃してくるハザルの騎兵連隊の馬蹄に震えていた。


 これまで兵站ばかりを狙っていたハザルは、公爵軍本隊から指示を受け取ると巧みな行軍で姿を晒すことなく、ペジエに迫るイスベリア軍の背後に進出していたのである。


 彼は騎兵に、騎上からの弩による斉射を行わせると、乱れたイスベリア軍後背に、速度と重量と殺意をぶつけた。


 ぶつかった瞬間、ガツッという鈍い音と共に、歩兵が馬に弾き飛ばされ、さらに揃えられた長槍の刃先が、耐え凌ごうとしていたイスベリア人達に襲いかかった。


 流血と悲鳴の連鎖が戦場を支配する。


「よし、反転攻勢! 弩兵を前に出せ!」


 公爵軍本隊ではジェロームの冷静な声が兵士に届いた。彼はイスベリア軍後方からあがる砂塵で、攻勢に出るタイミングを完璧に判断した。


 合図の角笛が戦場に轟く。腹にずしりと沈む低音が、戦場の景色を変化させた。


 公爵軍は前線の歩兵を後退させつつ、その後ろに控えさせていた弩兵を前進させると、迫るイスベリア軍前衛に矢の斉射を浴びせる。弓に比べて弩の利点は、その貫通力だ。初速が格段に速い弩は、鎖帷子を着こんだ兵士すら貫通してしまう。そして今、イスベリア軍前衛は、身をもってその威力を体験した。


 前衛三列が草木のようになぎ倒され、陣形に大きく穴を開けたイスベリア軍中に、公爵軍の歩兵が突入する。それまでひたすら敵の攻撃を防ぐことに集中していた彼らは、溜まったうっ憤を晴らすかのように暴れ回った。巨大な獣が痛みにのたうちまわる有り様となったイスベリア軍は、内部から激しく出血を強いられ、追撃どころか、後退もままならない。


 ジェロームは若いながら冷静で、イスベリア軍が陣形を修復させたとみるや、歩兵を下がらせて弩兵を前に出す。さらに後、矢を装填する弩兵と歩兵を入れ替え攻撃する。そしてまた、歩兵の前に弩兵を出す。剣と矢で交互に痛撃を浴びせられたイスベリア軍は、指揮系統の乱れもあって混乱の極地であった。


 前に出ようとする者が、後退しようとする者にぶつかる。


 隊列から離れようとする者と、加わろうとする者で錯綜する。


 その中にあって、別働隊を率いたハザルは、その手腕を十分に発揮していた。彼は個での武力を誇る愚は犯さず、巧みに騎兵を操り、イスベリア軍を右往左往とさせる。それは単に前への突進力を誇るのではなく、引き際をわきまえているからこそだった。あくまでも三百に満たない騎兵で、万に近いイスベリア軍とまともにぶつかるのは賢くない。彼は騎兵の最大の武器である機動力を活かし、噛みついては離れる猟犬のごとく、イスベリア軍を引きずり回した。結果、イスベリア軍は大きく間延びし、騎兵と歩兵が混じり合い、弓兵は狙いを定める事も出来ず戦場をうろつく。魔導士達は魔法を発動させる暇を与えられず、歩兵に守られるようにして戦場からの離脱を図っていた。


 ジェロームの脇に控えていたアレクシが、満足気に頷き立ち上がる。彼は虎の子の部隊を前進させた。それは魔導士だけで構成された部隊で、敵の魔導師による結界が発動されない今だからこそ、戦局を決定的なものにするべく動き出したのだ。


「無理に追うな。包囲するにはあまりにも兵数に差がある」


 潰走へと移ったイスベリア軍を見て、ジェロームが声を発した。前進停止の角笛が戦場に鳴り響いた時、空から降り注ぐ巨大な火球が、潰走するイスベリア軍の殿を蹴散らす。


 公爵軍の圧勝であった。


 合流したハザルは、返り血で甲冑を真っ赤に染めており、全身から血と汗の匂いを発散させていたが、顔はいたって涼しいものであった。


「ご家老。投降者はいかが致しますか?」


 隻眼の将軍が、戦場にへたり込み、両手をあげて助けを待つイスベリア人達を睨む。


「あやつらに食わす余裕はない。捨ておけばよかろう。よいよい、わしから殿下に報告する」


 そこへジェロームが笑みを湛えて歩み寄った。


「これから、矢の回収を行いますれば、撤収は夜となりましょう」


 ハザルが空を見上げた時、太陽は未だ頭上高くにいる。戦闘中は時間を気にする余裕などなかったが、終わってしまえば意外に早かったなと感じた。


「さて、ご両人。相談がある」


 家老の言葉に、ハザルとジェロームが頷く。二人は老人に誘われ、床几に座って従者から水を受け取った。


「王弟からモリエロの半分を頂けるとの話であるが、問題なく進むと思うか?」


 家老の言葉に、二人の驍将は揃って首を左右に振った。


「下手をすれば、総督の救出ができていない事を理由に、反故どころか叱責、最悪は罰金を取られるやもしれませぬ」


 ジェロームの分析に、アレクシが笑った。


「あり得るな。殿下の嫌われ具合にも困ったものじゃて」

「そういえば、ゴーダ騎士団討伐のほうは上手くいっておりますのか? そちらが進んでおれば、あるいは機嫌良く譲ってくれるやもしれませんが」


 ハザルの家老への問いは、無言をもって返答とされた。


「上手くいっていないのですか? あれだけの大軍ですぞ。ゴーダ騎士団領国の最大動員数の倍以上ですぞ?」


 ハザルが目を剥き、その隣ではジェロームが目を細めた。


「ゴーダ人ども、トラスベリアの支援だけでは説明のつかん強さらしい」


 アレクシが顎に手をやり、視線を北へと送った。その方向には、ペジエがあり、さらに北にはバノッサがあり、そしてゴーダ騎士団領国がある。


「ヒーロ・ギューンがゴーダ人として産まれた時点で、その後のゴーダ地方への侵攻が進まぬと決まっておったのかもしれんの」

「ヒーロ・ギューン……確か、最年少で騎士団将官になった男でしたな」

「そうじゃ。あいつは知恵も回るが、戦も上手い。いや、上手いを通り越して神懸かっておるわ」


 家老は水に口をつけると、視線を二人に戻した。


「それが、ゴーダ騎士団領国の防衛指揮官として出張っておるのですか?」


 ジェロームの問いに、アレクシが頷く。


「国王も、王弟も……諸侯も宮廷の主だった者達が皆、苛立ちを募らせておる。また、それが殿下へと向かうかもしれん。それが恐ろしい」


 アレクシが忌々しげに口端をゆがめ、鋭い眼光で二人を交互に見た。それは大公を長くに渡って支える家老が、ただの好々爺でない事を物語っており、ハザルもジェロームも、老人の威圧にたじろいでしまう。


「すぐさま軍を北に向けなければならぬやもしれぬ。兵士達は耐えられるか?」


 ハザルは腕を組み、喉を鳴らす。その隣で、ジェロームが背筋を伸ばして隻眼の将軍に顔を向けた。


「今回、我が軍は初めての集団戦を経験しました。いや、兵士達はどこぞの軍で経験していたかもしれませぬが、公爵軍としては初めての事です」

「ああ、そうだな。しかも初戦が大軍相手の際どいものだった」


 ハザルが、身体ごとアレクシに向く。


「ご家老。ここは休ませるべきでござる」

「そうか」


 アレクシが視線を手元に落としたまま、瞼を閉じて頷いた。その家老は、二人の視線を浴びたまま、身じろぎもせず言葉を続ける。


「であるなら、ここはリシュルー公を巻きこむしかないな」


 アルマン・デ・リシュルー公爵。


 本名、アルマン・デ・シュプレというこの男は、名門シュプレ家の当主である。彼は王国宰相であり、リシュルー公爵であることから、リシュルー公

もしくは、王国宰相と呼ばれる事が多い。


 王国貴族の中で、強い影響力を持つシュプレ家当主は、アルマンの代となり一族最高の栄華を誇っていた。五州の領地はいずれも豊かで、特に国内最大の貿易港ボルドーを支配している現在、その権勢は他の貴族達の追随を許さない。


 アレクシが何故、そのリシュルー公爵を巻きこむと決めたのか。それは、彼がフィリプ三世の正妻の父であり、王国宰相であるからだ。そして、公明正大とまでいかないにしても、理をもって話せる相手でもある。


 バノッサから遠く離れた王都にあって、前線の苛立ちよりは幾分かマシであろうリシュルー公爵に、理と情をもって話す事で、国王と大公の約束を果たさせようと考えているのである。それに、リシュルー公爵には負い目がある。それは、フィリプ三世を強く推したというものだ。


 国王の口にした約束が、国王によって反故にされるような事態を防ぐ立場と責任と過去が、この大貴族には揃っているとフェリエスの家老は考えていたのだった。




-Féliwce & Emiri-




「全員! 止まれ―!」


 私は声を張り上げた。


 毅然とした私の指示に、部下達が一斉に立ち止まる。皆、緊張した面持ちで私を見つめる。


「これから、殿下のご寝所の警護を其の方達に命ずる! よいな!?」


 腰に手を当て、整列した部下達の目を順に見つめると、キラキラとした輝きが返ってくる。


 かーいーのう!


 ゴーダ犬達は私を見上げ、尻尾を振りながらお座りをしている。その前で、仁王立ちして小さな胸を反らせる私……。


 一度、やってみたかったのです。


 だって、ハザルさんとか格好いいんだもの。


 アオーオ!


 ワオー!


 ワンワン!


 はいはい、おやつね。今、あげるからね。


 私が腰にぶらさげた犬達のおやつの入った袋に手を突っ込むと、ゴーダ犬達がお座りをした状態で、ずりずりとすり寄って来る。


 ……訓練された軍用犬のくせに情けない。


 彼らにおやつをあげながら、私は一匹いっぴきを撫でながら口を開く。


「いい? フェリエスの寝室の周りでちゃんと警護してね。悪い奴が来たら、噛みついていいからね」


 ぷっくりしたゴーダ犬達の頬をさすって回ると、皆がお腹を見せてひっくり返る。どこから見ても愛玩犬にしか見えないんですけど……。


 大丈夫かな。


 でも、今日だけはこの子達に賭けたい……。


 なぜなら、今日はひさしぶりに護衛を解かれてフェリエスと一緒の部屋で寝ることができる日なんだよぉ!


 私……、エロい顔になってないかな……。


 女の子に幻想を持っている純情な男子には申し訳ないけど、女にだってありますよ。そういう気持ちってのが……。


 はい。今の私がそうです。


 完全にラブラブイチャイチャモード発動です。目がハートマークになっているかもしれません。


 ストラブールで買った勝負下着を持ってくればよかったなどと後悔をしながら、護衛はどうしようと悩んで歩いていた私は、尻尾を振って駆け寄ってきたゴーダ犬達を見つけたのでした。そして今に至ります。


 公爵軍がペジエ市に入って二日目。落ち着いたとはいっても、やはりあちこちに破壊された建物があるわ、たくさんの怪我をした人たちは治療を待ってるわで、フェリエスを始め、皆はとっても忙しそうだ。しかも、ほとんどの兵隊さんが、攻めてきたイスベリア王国の軍隊と戦いに行ったので、ペジエに残っているのは全体の一割程度です。その人数で、全てをやっているから私も手伝おうと思っていました。


 しかし。


「エミリさんは、殿下のお傍にいたほうがいいですよ」

「我々の仕事ですから、ゆっくりしてください」

「エミリさんがいないと、殿下の機嫌が悪いのです。どうか」


 私、知っています。


 いたら邪魔だからいなくなってほしいけど、喧嘩にならないように追い出そうという時、こう言いますよね……。


 ……。


 こうして私は犬達を引き連れ、ペジエで一番大きなホテルの庭にいるのでした。このホテルにフェリエスの寝室と執務室が用意されているのです。


「お前……何をしている?」


 この冷たい声はオレンジ頭。


 私が振り返ると、大量の書類を抱えたオーギュストさんが、呆れた顔で私を見ていた。


「犬どもを連れて何を始める気だ? 頼むから、余計な仕事を増やすな」


 なんでこのおっさんは、私がいつも問題を起こすって思うのかな。ペジエに来るまで仲良くなれたと思ったのに、それは私の勘違いだったようです。


「違うよ。今夜は私、護衛はお休みしていいと言われているから、寝室の周囲を犬達に警備させたらいいなと思って」


 オーギュストさんはねじ曲げていた口を、今度はぽかんと開いた。彼は目だけを動かして、私の周囲でひっくり返り、撫でてもらうのを待っている犬達を見る。


「……それはいい案かもしれんが、こいつらに務まるのか?」


 はい。それは私も心配しているところです。


 この子達の様子を見ていると、軍用犬とは思えないんだもん……。


「でもさ、この子達も訓練された軍用犬だよね」

「それはそうだが、主な任務は追跡と探索だからな」


 オーギュストさんはまじまじと犬達を眺めた後、「まあ、頑張れ」と残して去って行った。去り際の彼の眼は、「最終的にはお前がいるんだ」と言っておりました。


 ……今日だけは、そんなお役目を忘れて好きな人に甘えたいんだよぉ。


 だってさぁ、いつもちょこっとチューしてくれるぐらいで、なかなか二人だけの時間なんてないんだよ? 愛が届いてないよ!?


 というわけで、私は犬達を引き連れホテルの中へと入る。異様な集団を見て、兵士やホテルの従業員達が目を丸くした。こんな時でも、フェリエスの為にホテルで働く人ってプロですよね。


 とにかく、フェリエスが仕事から帰って来る前にお風呂に入らないと。


 私は犬達に部屋の外で待機を命じ、部屋に飛び込むとお風呂に突入する。そこには、二人の女性が立っており、私に深く頭を下げております。


「お疲れ様でございます。ささ、お身体をお預かり致します」


 そうでした……。


 この国では、風呂は誰かに入れてもらうもの。一兵士や侍女として働いていた時はともかく、今は大公殿下の側室というか妾というか、側女というかなんというか……恋人なんです。


 私は覚悟を決め、着ていた軍服を脱ぎます。鎖帷子は重いからしてないけど、身体を守る革の胸当てと胴当てをアウターとインナーの隙間にいれておりんす。それらをごとりと床に落とすと、風呂係の人達が「?」という顔をします。


 そりゃそうだよねぇ。兵士みたいな格好だもの。


 すっぽんぽんとなって、彼女達に連れられ風呂場に足を踏み入れた時、ふと疑問が湧いて参りました。


 フェリエスって、いつも誰かにお風呂に入れてもらってるってこと?


「ねえ、あなた達はフェリエス……殿下もお風呂に入れるよう言われているの?」


 私の身体に湯をかけ、遠慮なく洗い始めたお風呂係が声を揃える。


「はい。仰せつかっております」


 いかーん!


 ええ? 私、それってものすごく危険なことだと思うの。だって、女の人に身体のあちこちを洗われるんだよ? 今の私なんて、胸だろうがなんだろうがされるがままだよ? 


「ちょ……ちょっと待って。それはちょっとやめて」

「何故でございましょう?」


 まあ、そういう反応が返ってくるのは分かっておりましたとも。


 忙しく脳みそを回転させた私は、手を止めて私を見る二人の女性に喉を鳴らして声を発する。


「きょ……今日はその……、私が殿下をお風呂に入れてあげたいから」


 ? という顔をする二人。


「ほら……、殿下はとってもお疲れだから、ちょっとでもお役に立ちたくて」

「はあ……、そういう事なら、承知致しました」


 ははははは……。


 裸の女性に身体を洗われるフェリエスを想像して、かなり腹が立ちました。


 てめぇ、浮気してんじゃねーだろーな!?


 などと考えてしまう私は、心配性なんでしょうか?


 着替えを手伝ってもらい、といってもフェリエスが帰ってきたらお風呂にいれてあげるから、とっても怪しい格好になっております。つまり、背中の紐をほどけば、すぐにすっぽんぽんになる格好とでもいうのでしょうか。そんな格好で寝室兼リビングに入った私は、そこから出て行ったお風呂係の人達の声を聞いてしまった。


「殿下のお相手、可愛らしいわねー」

「いじらしいわぁー」

「でもさぁ、胸はなっ――」

「そう――」


 声が遠のき全ては聞こえませんでしたが、分かりますとも。


 てめぇら……、覚えていろよ。


 ドアを睨んだ私は、大きなソファに座った。


 早く帰ってこないかなーと、伸びをした時、フェリエスをお風呂に入れている自分を想像して、一人でソファに倒れ込み暴れる。


 かなり恥ずかしいよー!


 脚をばたばたとさせていると、誰かにその脚を掴まれた。


「ひゃ!」


「何をしているんだ? 外の犬達は何だ?」


 フェリエス!


 慌てて飛び起き、ソファの上に正座する私。彼は苦笑しながら目の前に立っていた。


「軍用犬を外に置いておけば、不審者が来た時に吠えるでしょ?」

「……そうか。しかし、この部屋に入る時、俺の事を知らないくせに尻尾を振っておったぞ」


 あいつらー!


 全然、駄目じゃん!


「まあ良い。今日は宿の外に兵士が交代で立つし、魔導師を使ってこの階に結界を張らせた。侵入者がいれば、魔導師達が気付くはずだ」


 いつもそうすればいいのに……。


 私の疑問は、声に出していないのに彼に届いていた。


「今日はもう、この階には俺とお前しかおらん。だから有効なのだ」


 ああ、お屋敷とか野営地だったら、近くを歩く人に反応しまくってしまうわけですね? 


 フェリエスは青い目をキラキラと輝かせて私に笑顔を向ける。


 あぁ……最高のご褒美です。


「それにしてもエミリ。お前のその格好、どうしたのだ?」

「あ! ああ、はい。フェリエスをお風呂に入れます」

「そのような事は侍女や係の者にやらせれば良い。お前がする事ではないぞ」


 そうは言われましても……。


 仕方ない。


 私は奥の手を使うことにした。


 悲しそうな顔をわざと作り、俯き加減で口を開く私。


「疲れたフェリエスを洗ってあげたかったからさ……」

「あ……ああ、すまぬ。そうか、そうだったのか。それでは頼む」


 うろたえる彼の様子に、私はこっそりと舌を出したのでした。




-Féliwce & Emiri-




 皆さん、知ってました? 


 髪が金髪の人って、体毛も金髪なんですよ。


 ええ、私は初めて知りました。当たり前だ? そうなんですか、でも私はこの目で見るまで知らなかったのです。


 ……明るいところで、フェリエスの裸を初めて見た私は、顔を真っ赤にして止まってしまいました。あの……、剃毛ってやつもするんですよね? さっき、私がされたように……。


 ああ、思慮が足りないとはこの事です。


 私は人様をお風呂に入れた事がなかったのです。


 ぶっつけ本番が大公殿下って、小学生が大学受験をするようなもの……さらに自分の裸も明るいところで晒してしまいます。こればかりは抵抗が激しく、私は係の人が着る薄着を、脱がないまま彼をお風呂に入れております。


 あ……明るいところで見られたら、ぺったんこが目立ってしまうからというのもあります……。


「あ……洗います」

「ああ、よろしく頼むぞ」


 えっと、お湯をかけるんだよね。それから石鹸……ああ、これだ。しかし、この世界の石鹸は、現代日本の石鹸とは違います。泡立ちまで相当に時間がかかります。


「くくくくく……」


 フェリエスが、私のぎこちない動きを見て笑うのを我慢してます。


「ご……ごめーん。初めてなんだもん」

「よいよい。慌てるな」


 優しい彼の言葉が、余計に私を慌てさせます。


 私は、自分自身を泡だらけにしてようやく、石鹸を泡立てる事に成功しました。それを手で取り、彼の身体を丁寧に洗い始めます。


「フェリエスって締まってるよねぇ」

「そうか? 普通だろ」


 それにしても、なんでそんなに堂々としてんのよ!

 脚もそんなにおっぴろげて……。


 一点で視線が固まる私。


 はぁー。お父さんとお母さんに知られたら、外出禁止令三か月は喰らうな。


「お前、剃毛はしたことないな?」

「ひゃ? はい……」


 そうです。いえ……、自分のは出来るようになりましたよ。


「久しぶりに自分でするか……」


 大公殿下はそう言うと、小さなナイフ? 剃刀? で毛の処理を始めます。


 私は、それを見ることなど出来ません。背中を向けて、恥じらいと申し訳なさと後悔で小さくなっておりました。


 そ……そうか。最近、ずっと軍隊生活をしていたせいで伸びてるんですね? 

そうですよね。私もそうでしたから……。


 小さくなる私の背中に、フェリエスの楽しげな声がぶつかる。


「そうか……。お前の国では、人を風呂に入れるというのは特別な意味なのだな? そうだろう?」


 フェリエスの声に、私はこくりと頷きます。


 特別な意味です……。間違いなくそうです。


「それで、お前は他人に任せるのが嫌だから、慣れてないのに言いだしたな?」

「そう……でーす」


 だって、裸の異性に身体を洗われる恋人の姿を想像して、なんとも思わない人っています? いねぇーよ! いたらよっぽどの変態だ!


「可愛いな、お前は」

「は? はひぃ!」


 嬉しい言葉に振り返ろうとした私を、大公殿下が背後から抱きしめて下さいましたぁ!


 あ……ちょっとやばい。


 背中の紐がするりと解かれましてございまするぅ。ああ、私はまさに全裸になってしまったのでございまするぅ。


 この前まで未経験だったのに、いきなりお風呂プレイ? ちょっとそれはレベルが高すぎる気がするよぉ。ステップアップがいると思うんだぁ……。


 勝手に想像する私に、フェリエスが湯をかけてくれた。


「ははは、風呂に入ったのは俺なのに、お前のほうが泡だらけだぞ」


 スケベな想像をしていたのは、どうやら私だけだったようです。


「どうした? 風呂から出ないのか?」


 おずおずと手で恥ずかしい箇所を隠して立ちあがる私。


 あーあ……。本当は大公殿下の御身体を拭くまでが私の仕事なのに、彼ったら自分で拭き始めちゃったよ。


 ストラブールに帰ったら、メリルさんに教えてもらお。


 おっぱいお化けを脳裏に描いた時、私は思わずフェリエスに質問していた。


「ねえ、ストラブールのお屋敷では、フェリエスを誰がお風呂に入れてるの?」

「メリルだ」


 絶望を感じます。


 あのおっぱいと私の……比べられてるんでしょうか。


「その……、お風呂に入れてもらってて、メリルさんに変な感情とか湧かないの?」


 やめとけぇという脳内の制止を振り切り、私は質問を重ねる。


「変な感情? ああ、そういう事か。お前、それを心配しておるのか?」


 うう……。


「は……い」


 青い目がじっと私を見つめてきます。


 えーん。フェリエスの顔を見れないよー。


「では、その心配を払拭させてやろう」


 彼は濡れたままの私を抱き上げると、さっさと寝室へと歩きだしました。


「ちょ……ちょちょちょ……、まだ拭いてないよ」

「いいさ、構わん」


 バフッとクッションの効いた寝台の上に置かれた私は、すぐにフェリエスの重みを感じた。


 あわわわわ……。


 あんなにイチャつきたかったのに、今さらながらにびびってしまう私。


 彼の右手が私の腰に回され、左手が私の頬を撫でます……。


「お前は愛い奴だな。可愛いぞ」


 女冥利につきますぅ。


 もっと褒めて! 私、褒められて伸びる子!


 私が懇願の目でフェリエスを見ると、彼が唇を重ねてくれました。


 キスされたまま、私はフェリエスの髪を撫でます。これが至福の時。私だけに許された特権なのです。思わずキスにも熱がこもってしまうぅ。はしたない女だと思われたくないけど、これは仕方のない事です。だって、相手は私の好みに完璧に当てはまる……ことはないけど、好きでたまらない人なのだから。


 誰にも奪われたくない!


 奪おうとする奴は、絶対に許さない!


 彼に身を委ねて、幸福の絶頂に浸る私の耳に


 アオー!


 ワンワン!


 アオーオー!


 あいつら……、今は静かにして。ああ、うるさいよぉ。


 ワオー!


「殿下! ええい、まとわりつくな! 殿下! お休みのところ、恐れ入ります!」


 ワンワン!


 ワオー!


 うるさいっての!


「殿下! ご家老がご帰還なさいました。すぐにお会いしたいとの由」


 アリストロさんの声です……。


 ……。


 何ですと?


 フェリエスは、本当に苛立った目をドアに向けると


「後にせんか!」


と怒鳴る。


 そうだよ! 後にして!


「は……は。しかし、ジェローム卿、オーギュスト卿、兄上も集まっておりますれば」


 フェリエスは、私とドアを何度も交互に見る。


 私……とっても納得いきませんが、困った彼を見ているのが辛くなりました。


「フェリエス、行ってあげて。アリストロさん、間に挟まれて可哀そうだよ」


 はい、本心じゃありません。


 アリストロさんの事なんて、どうでもいいです!


 でも、フェリエスを困らせるのは嫌だ。


 大公殿下は、優しく私を抱きしめると、唇を重ねてくれた。


 うう……、離れたくなくなるよぉ……。


「エミリ、すぐに戻ってくる。眠るなよ?」

「はい……。はいぃ……」


 離れ際に首にキスされ、情けない声で返事する私。


 ああ……フェリエスが行ってしまった……。


 ぽつーんですよ。


 でもいいもんね。すぐに戻ってくるって言ったもんね。


 こうして私は、朝まで一人、フェリエスを待っていたのでした。


 ……。


 ふっざけんな! ごらぁ!!




-Féliwce & Emiri-




 眠いです。


 とっても眠いです。


 なぜなら私、一睡もせずにフェリエスが寝室に戻ってくるのを待っていたのです。健気な女ですよ。とっても可愛いと思うなぁ、私。


 誰も褒めてくれないから、自分で自分を褒めます。


 結局、朝になっても帰って来なかった大公殿下は、昼間になってようやく姿を見せました。


 ゴーダ犬達の世話をする私はこの時、ホテルの庭で彼らの運動相手をしています。小枝を投げて追いかけさせたり、私がわざと隠れて彼らに探させたりとしているところへ、申し訳なさそうな顔をした大公殿下が、お連れのオレンジ頭と共に現れました。


「何か御用でしょうか? 大公殿下、それにオーギュスト殿」


 相手を震えあがらせる笑顔というのがあるとしたら、今の私がまさしくそれでしょう。


「エミリ……、怒っているのも無理はないな。だが聞いてくれ」

「大公殿下ともあろうお方が、私のような犬の世話係に親しげに話しかけられてはいけません。それでは、失礼させて頂きますです」


 許さないもんね!


 当分は、この怒りは収まらないよ!


 犬達を引き連れ、二人から離れようとする私に、オーギュストさんが口を開く。


「王都に行けるのだぞ? 嬉しくはないか?」


 王都?


 あんた今、王都に行くって言った?


 思わず、立ち止まってしまった私。それは、ストラブールでクロエちゃんから、王都の様子を聞かされていたからでした。


「華やかだよぉ。大陸最大の都市だもん。百万人の人が住んでて、大きな公園がいくつもあって、薔薇だけを集めた庭園とかもあるよ。いろんなお店や、劇場があるんだよ。珍しい動物がたくさんいる動物園もあるよ。すごく楽しかったんだ。」


 そう話すクロエちゃんも、五年前に王都に行ったきりで、また行きたいと願いながらも叶わずにいるそうです。


 そこに行ける?


 私は、ちらりと二人に振り返った。


「王都にいる宰相に会いに行く。しばらく向こうで寝泊まりするから、空いた時間で王都見物をしよう」


 フェリエスが優しい声で私を誘う。


 あんた、私のこと、よく分かってきたね。それ、美味しいんだよね!


 私は「全くその気はないよ」という顔を作り、二人のほうに半身で近づく。手を伸ばせば届く距離に、砂糖菓子の袋があります。


「ん? これが欲しいのか?」


 フェリエスが、オーギュストさんの手に持たれた袋に視線を向ける。オレンジ頭は、初めて気づいたとでもいうワザとらしい演技で、砂糖菓子の袋を私に差し出してくる。


「良かったら、どうだ?」


 頂きますとも!


 私、金平糖が好きという地味な好みを日本では散々に笑われてましたが、この砂糖菓子はまさしく金平糖そのもの。


「うまーい!」


 くう……。


 この控えめな甘さがなんとも……。


「で、明日にでも王都に出発する。皆を連れていくわけにはいかんから、お前とハザル。そして少数の護衛のみで向かう」

「ふんふん」


 フェリエスの声に頷きながら、私は二つ目の金平糖を口に入れます。


「俺が王都に持つ屋敷で寝泊まりする事になる。俺の育った場所をお前にも見て欲しくてな」

「見る見る」


 私は三つめの金平糖を口に放り込みます。


「興味があれば、王城や王族しか入れぬ庭園にも案内してやろうと……思っているのだが……、エミリ、俺の話を聞いてるか?」

「聞いてる聞いてる」


 私は、四つ目、五つ目、六つ目の金平糖を一度に口に入れたのでした。




-Féliwce & Emiri-




 アルメニア王国の王都フォンテンブローは、日本で言う東京みたいなところ。アルメニア平野の中央に位置する都市と周辺には、百万人を超す人達が生活している。フェリエスと私、そしてハザルさんは、二十名の兵隊さんと共に、この大都市に到着しました。


 巨大な城壁をいくつも通り抜けた先に、広々とした市街地があるのを見た私は、「おお」と思わず声を出す。


 日本では絶対に見られない光景だろうなぁ。ちょっとこれ、二十三区くらいあるんじゃない? よく分かんないけど……。ええと、それくらい広いってことです。だって、市街地に入ったってのに、大きなはずの王様の城がとっても小さく見えるんです。想像していた光景のはるか上をいってます。ストラスブールも大きな街だと思っていたけど、いや、そりゃあ日本の都市に比べたら小さいけどね。ベルーズド地方で一番大きな都市だっていってたし、確かに城壁に囲まれた街としては大きなものだと思う。でも、このフォンテンブローは城壁に囲まれた街という想像を超えてます。城壁がどれだけ長いの? と言いたくなるほどに広いです。道路だって、日本でいう片側二車線くらいは余裕である。


 フォンテンブローを城壁の外から見た時、見えているのになかなか到着しないなと思っていた理由が分かりました。巨大すぎるんす。城壁も相当に大きかったしなぁ。私は勝手に、街が長方形の形をしていて、私達が外から見ているのは、長い辺だと思っておりました。


 馬車の窓から外を眺める私にフェリエスが街並みを説明してくれる。


「この大通りは、凱旋門からまっすぐにシボレー大庭園へと通じている。凱旋門というのは、先ほどくぐった門のことだ」


 パリの凱旋門の左右に城壁をくっつけたようなやつだね。てか、パリのを見たことないから分からないけど、あれより巨大じゃない?


「俺達のような貴族は、王城の北東に屋敷を持っている。普段、使う事はないが、こうして王都に来た時、それを利用するのだ」

「宿を使わないの?」


 フェリエスは私の背後から、同じ方角を眺める。二人で市場へと続く道の先に、賑やかな人々の往来を見た。


「宿は使わぬ。来客などがあった場合に対応できぬからな。お前、市場に行きたいのか?」

「うん。ああいうの好き」


 フェリエスが背後から私を抱きしめてきた。


「ふえぇぇ」


 情けない声を発して、されるがままになる私。

 フェリエスって、私の髪に頬をくっつけるの好きだね。ふふふ、髪には自信あるんす。存分にどうぞ!


「時間を作って一緒に行こう。ただ、あそこの市場は俺の屋敷から時間がかかる。屋敷の近くにも市場はあるからそっちでいいな?」


 絶対っすよ。


 ドタキャンとか、もう絶対に勘弁してよ!


 そう強く言いたいが、フェリエスの声と息が私の耳をくすぐります。


 私はとっても甘えたくなって、くるりと身体を彼に向けた。青い瞳を見つめると、心得たとばかりに彼が私の腰に手を回し、抱きしめてくれる。


 私が瞼を閉じた時、「殿下!」という馬車の外からハザルさんの声。


 ていうかさぁ、どうしてフェリエスの周りって、気を利かせる事ができる人がいないのかな。


「殿下、鳩が報を運んで参りました」


 どうやら、フォンテンブローにあるフェリエスの屋敷に、鳩さんが手紙を運んで来たらしい。それを屋敷の使用人が到着したばかりの私達のところに持ってきたみたい。到着日時や、経路を事前に連絡してたんだ。オーギュストさんか、ジェロームさんの仕事だなと推測した私の横で、手紙を読んでいたフェリエスの顔がみるみる曇っていく。


 聞くべきか否かとても迷ったけど、でも聞かないほうが不自然だし、話して楽になることがあればいいかなと思って、私は大公殿下の袖を掴むと、「どうしたの?」と尋ねた。


 彼は、明らかに狼狽した様子で、思考の混乱が顔に出ていた。


「ああ、いや、すまぬ。ああ、そうだな」


 フェリエスが、こんなに慌てるなんて珍しい。


 彼は視線を彷徨わせ、喉をごくりと鳴らすと、馬車の外でこちらを窺う片目のおっさんに手紙を渡す。


 むう……。


 私には教えられないってか?


 こうなると意地になる私。でも、強く聞いても教えてくれないのは分かっているもんね。


「そうか……、私には教えられない内容なんだね」


声と表情を沈めます。


「いや……そういうわけではないが」


困った彼は、私の髪を撫でながら悩んだ。


 ああ、罪悪感!


 やめた。困らすのやめた。


 私は笑顔を作って、彼の膝の上に飛び乗る。


 馬車が揺れて、外から「殿下!?」というハザルさんの声。


「何でもない! エミリだ」


 フェリエスがそう叫ぶと、片目のおっさんは何も言って来ません。ついに私はそういうキャラになってしまったのか。


「いいよ。その代わり、一緒に見物してよね」


 フェリエスが優しく髪を撫でてくれる。そして、私を駄目にする笑顔を向けてくれた。


「国王から、俺とロゼニア王国王女の婚姻を進めよという命が下った」


 彼は何でもないような事のように言ったのでした。


 私に、さらっとロゼニア王国第三王女との婚姻を進めると宣言したフェリエス。彼のあまりの堂々っぷりに、私はすぐに理解ができません。


 そうか、そうか。


 大変だね。恐い人じゃなければいいね。


 ……。


 …………。


 今、何つった?


「婚姻? 婚姻て結婚?」


 私が目を見開いてフェリエスを見ると、彼はこくりと頷く。


「え? フェリエスは結婚するの?」

「おそらく……」


 えっと……、結婚て何でしたっけ?


 私の解釈が正しければ、好きな人同士が、お互いのみを愛し続けると誓って、めでたく夫婦になるというもの……。好き合った男女が愛を育んでいくもの。それが結婚生活。つまり……フェリエスと第三王女という人は好き合ってるってことですか?


「フェリエスは、その人のこと、好きなの? 私に言ってくれてたのは嘘?」

「違う。それは違うぞ」


 金色の髪を激しく揺さぶった美男子が、私の頬に手を当てた。私が視線を逸らさないようにするためだ。


「俺はロゼニア王国第三王女に会った事もないし、特別な感情もない。俺が大切に想うのはエミリ、お前だけだ」


 ……。


 どうして、女たらしを信用する女の子が後を絶たないか。その理由が私の目の前にある。


 お前らみたいな、いいかげんな男に、どれだけの女の子が涙を流したと思っているんだー!!


 私も含めてな!


 私は大公殿下の胸ぐらを掴み上げた!


「こらぁ! 表出ろ!」

「待て! 落ち着け! エミリ!」

「待てるか!」


 馬車はフォンテンブローにある大公別邸に到着するまで、それはもう激しく揺れていたそうです。


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