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Beginning

 その青年が謁見の間に現れると、玉座の王は不機嫌な表情で鼻を鳴らした。それは青年の見事な容姿と能力が、自分と対局にあると噂されていることへの苛立ちや怒りというよりも、単純に嫌っているからという理由が強いだろう。


 青年の名はフェリエス。


 フェリエス・ベロアという。


 アルメニア王国第二十四代国王ルイ三世の息子で、第二十五代国王カール二世の弟は、現国王である第二十六代アルメニア国王フィリプ・ラング・アルメニアの叔父であるが、フィリプよりもずっと若い。


 フェリエスはアルメニア王国内において、大公と呼ばれている。彼の父親ルイ三世は、大帝と呼ばれ周辺諸国家から畏怖と崇敬を集めた人物だった。大帝はその晩年、逗留先で出会った諸侯の正妻を奪った。そして彼女に子を産ませたのは、大帝が七十の時である。それから十七年の歳月が過ぎた今、大帝の子である青年は、廷臣達が集まってもなお広く感じる謁見の間中央を、玉座の前へと優雅に進んだ。


 国王の年下の叔父フェリエスは、大国アルメニアの王族として、廷臣たち、諸侯の一部から国政への参画を期待されている。だからこの時に集まった者達は、ついにフェリエスが何かしらの公職に就くかと期待する反面、彼が王家の中にあって複雑な立場であることに心配もしていた。


 彼らの視線を集めるフェリエスは、金色の髪を揺らし歩き、意思の強さを主張する青い瞳をまっすぐに玉座へと定めている。その視線に、叔父とは正反対な外見を持つ甥が玉座で身じろいだ。およそ、己を律した事のない身体は衣服の上からでもだらしないとわかる。暴飲暴食を繰り返す国王は、酒と女と権力のみを生き甲斐としているかのように、この時もフェリエスには映った。


(愚かな男も、血筋で王となるのが世だ)


 胸中での囁きも、彼の表情を崩すに至らず、フェリエスは王をまっすぐに見据えた。その王へと葡萄酒の杯を差し出す宮中の美女は、大公へと流し目で視線と感情を送ってきたので、そのような女を公の場所に引っ張り出した国王に、彼はまたうんざりとするのである。


 フェリエスはここで、宰相が身を屈めて玉座へと歩み寄るのを見て歩みを止め、その場で片膝をつきかしこまる。


 アルメニア王国宰相アルマン・デ・シュプレ・リシュルー公爵が王に囁き、王はたるんだ顎と頬を震わせて頷いた。


 恭しく一礼したリシュルー公が、金糸の縁取りが美しい宰相衣を揺らして振り向き、居並ぶ諸侯たち、廷臣たちを睥睨した。そして皆の視線を集めたと見て、右手を水平に払い宣言する。


「この度、フィリプ三世陛下はフェリエス殿下に領地をお与えになられる!」


 集まっていた廷臣達も、王の前だというのに囁き合いを大きくし、それはざわめき、空間を波紋のごとく広がる。


 誰もが、フェリエスの国政参画が発表されるのだと予想していたのだ。皆が左右の者達と声を出し合い、首を傾げ、それはほとんどの者がそうであった光景から、これがどれだけ予想外の事であるか推し量れるというものだ。


 その中で、フェリエスもまた驚いていたが、それは王から与えられる領地に関して不満があるというわけではなく、廷臣たちにも伝えられていないという現実に、王と宰相の周囲だけで決まったのだなという読みに至ったからである。


 騒ぎを収める為、宰相はわざとらしく三度も咳払いをする。


 たっぷりと待ったリシュルー公爵は、次の事実を口にすればどうなる事やらと眉を顰め言葉を発した。


「フェリエス殿下におかれましては、陛下の御心使い、よもやお受けなされぬ事はございますまい?」


 どこの領地を与えると言わずしての確認は、すでにフェリエスは内示を受けて承諾をしているということを、集まっている者達に伝える効果があった。


 宰相の声に、かしこまるフェリエスは穏やかな声を努めて発した。


「謹んでお受け致します」


 リシュルー公爵は、喉を鳴らし、公表する。


「では、速やかに王都を発ち、ご領地に赴かれるがよろしかろう。この度、殿下はベルーズド地方三州のご領地を得られた」


 謁見の間は再びざわつき、次にどよめく。


 フェリエスはその中で一切の感情を殺して深くこうべを垂れてみせると、勢いをつけて立ち上がる。


「ありがとうございます。それでは急ぎ準備を致したく、これで失礼つかまつります」


 金色の髪が舞った。


 フェリエスは騒々しさを所作で封じると、感謝の言葉も最低限のみとしてその場を後にする。


 宮廷の女達が溜息と共に彼を見送り、その指で触れて欲しいという懇願を視線で送るも、彼は一瞥もしない。


 廷臣たち、諸侯たちが、さまざまな思惑で彼を眺めるも、それを背で受け振り返らない。


 フェリエスは王宮主塔の正面広場へと出て、馬車に乗り込み自邸へと戻る。


 王都の一画、貴族達が住む屋敷が立ち並ぶ一画に彼の邸宅もまたある。そこは王族らしく周辺の屋敷よりも建物も敷地も広い。


 居住館へと入った彼は、使用人達の出迎えを受けながら腹心が待つ書斎へと急ぐ。


 フェリエスが扉を開くと、老人が一礼とともに若者を迎えた。


「お帰りなさいませ、殿下。ベルーズドへ?」

「そうだ。明日にも発つ」

「準備は滞りなく……ハザルはすでに現地に入っております」

「そうか……使用人達には、この屋敷に残ってもらうが、主だった者達は連れて行く。選別は終わっているな?」

「そちらのほうも」


 腹心のアレクシが微笑む。


 アルメニア王国の分家であるベロア家当主フェリエスの側近で、ベロア家の家老アレクシ・デュプレは、剃髪した頭部を撫でながら主に歩み寄り、その背中に触れた。


「殿下、これからですぞ」

「わかっている……しかし、いざ都を離れるとなると思うところがあるな……」


 フェリエスはそこで、アレクシを見て口を開く。


「しかし、よかったのか? お前は王都で生まれ、ずっとここにおり、王国の中枢にいた」

「殿下、儂はルイ三世陛下のおかげをもちまして、人よりも良い暮らしができました」


 アレクシの言葉は感謝ではない。


「陛下は最後、それがしにこう申されました。あなた様をよろしく頼むと……そして殿下、私はまだまだ野心があります。殿下のご栄達こそ望むものでございます。それとも、私に聴かせてくださった殿下のお想いは嘘でございましたか?」


 フェリエスの想い。


 彼は瞼を閉じる。


 そこに映るのは遠い過去。


 背の低い視線は幼き日のフェリエスで、彼が見る先には母親を捕えて、どこぞに連れ去る衛兵達と、腹違いの兄で先代国王カール二世だ。


 フェリエスの耳に今も残る母の声。


『フェリエスを! フェリエスは助けて!』


 瞼を開いた現在のフェリエスは、アレクシに言う。


「本心だ。俺は玉座に座る」


 彼が未だに母離れできていないというのとは違う。そうと批判する者は単純で底浅い者だろう。


 フェリエスは知っている。


 母がいなくなった後、アレクシがやって来なければ、彼はこうして生きてはいなかったと。


 それは今もそうだ。


 今回の件、フェリエスが領地を得ることになったそもそもの発端は、彼の国政参画を望む声が大きくなり、王、王弟、宰相、側近たちも無視できないほどになってきた。ここで王、いや王よりも能力に恵まれ、フェリエスを危険視する王弟カミュルは、フェリエスに無理な出征の指揮官を命じて失敗させ、それを理由に罰して葬るべしと企んだが、これをさせまいとしたアレクシが裏で手を回したのである。


 フェリエスがこの動きを知り得たのは、三日前に、アレクシからベルーズド地方を賜るという内示が出たことを伝えられた時だった。これを断ろうとしたフェリエスを、アレクシは窘め、納得させ、承知させた。この時にフェリエスは、裏で行われていた一連の動きを聞かされている。


 そして今、フェリエスはこれまで何度もした質問をまたする。


「どうやった? もう教えてくれてもいいだろう?」


 アレクシは微笑む。


「殿下を嫌う王は貴方様が遠くに去るといえば頷きます。貴方様の国政参加を良く思わない者は、貴方がそうならない方法は何かと考えます。領地を得るというのは栄達のように思えますが、場所によります。よって、今回、殿下が得る領地は誰もが同情するような場所でなければならなかった……リシュルー公の口から、陛下の耳に届ければよいだけのこと……しかし、ベルーズドは帝国やロゼニアと接しているがゆえに、自前の軍、税率調整の権限を握れます」

「ふむ……では、リシュルー公の耳には誰が届けた?」


 フェリエスが尋ねるも、家老は唇の前に人差し指を立て、瞬きをしたのみだった。




-Féliwce & Emiri-




 アルメニア王国の東端をベルーズド地方という。この地はソショー、オルベル、グラステアという三つの州からなっていて、北はゴーダ騎士団領国にも近く、東は神聖スーザ帝国とその属国であるロゼニア王国と接している。ゆえに戦乱に悩まされ、いかなる産業も芽吹くことは無かったと言われていた。地下資源が豊富といわれているがゆえに、帝国の侵略は繰り返され、開発は進んでいない。周辺諸侯はアルメニア王家の軍たる国軍と協力し何度も外敵を退けてきたが、戦費の負担は大きく、富む者はいなかった。また街道や農場は戦争のたびに破壊され、またそのような場所であれば人も増えない。よって、町や村は廃れ、それらを繋ぐ街道は使われなくなり古くなる。


 全てが悪循環であった。


 王家直轄領の中でも最悪な土地という烙印を押されていた。と、このように過去形であるのは、三年前を境に好転しているからだ。


 アルメニア王国歴三四六年現在、国王の年下の叔父がやって来て三年が経つベルーズド地方は今、芽吹く生命の勢いに溢れる季節であり、鳥達が歌い、動物達が草花をかきわけ駈け回る穏やかな春だ。そして、これらにも負けじと賑やかな人間達は、皆が新しい領主のおかげだと口を揃えて称賛する。心からの者ばかりというわけではなく、人目を気にして外では周囲に合わせ、内では舌を出す輩も多くないがいる。だがそれでも、皆に嫌われていた代官が去り、若く美しく厳しく賢い新領主を多くの領民は支持し敬い称えた。


 ベルーズド地方の中心都市ストラブールは、城壁改修工事に街道整備、上下水道整備、領内の関見直し、教育機関設立に医療施設の増設等、公共への投資が派手におこなわれていて、それを目当てに仕事を求める者、商いをする者で溢れている。そして五万人を超えた人口はまだ増加中だ。


 治安が良いことが良い都市の条件という領主の方針で、公爵府軍兵による取り締まりは厳しい。しかし女性が、子供が、安心して暮らせるからこそ男も定住する面があり、仕事もあるとなれば、意を決して周辺からやって来る者は後を絶たない。逆にこれが、アルメニア王国の現在を切実に語っていて、彼ら民は生きるのにやっとなのだ。


 新領主たるフェリエス・ベロア・ベルーズド公爵は、彼らの弱さと逞しさを利用する為に、王族の特権で民から搾り上げていた私財を投げ打った。出たところに返っただけだと彼は笑うが、その視野を持てる特権階級の者は、王国広しといえども圧倒的少数だろう。


 フェリエスは三年間、寝食を忘れるほどに働き、破産寸前まで金を出し続け、ようやくこの春、損益計算と財務状況に回復の目途が立つまでとした。収益を圧迫していた不必要なものは全て民間に委託し、ベルーズド公領の商会が大きく飛躍するきっかけになったのは嬉しい誤算であったが、小さな統治組織を目指した彼の企みは一応の成功を治める。


「次だ。小さな公爵府は今は良い。しかし領地が豊かになれば、大きな府が必要となる。各地の判断に任せ、縮小を図るのは……一度大きくし統一性と持続性を共有した後がよい」


 彼の言に、呼ばれ同席していた二人の臣下のうち、オレンジ色の頭が珍しい男が頷き口を開く。


「まだまだ油断はできませぬが、多くの商会が出資を申し出てくれておりますし、金と銀の鉱山からあがる利益も来月からは加える事ができます。これからはゆるやかに川の幅を広げつつ見守るを怠ることなく続けましょう」


 オーギュスト・ジダンという名の彼は、フェリエスの臣下として二年前から仕えている。彼はもともと、夫婦で庭師をしていた者で、王都のベロア家邸宅の庭を任されていた。だがフェリエスがベルーズドに赴くとなると、この男は家族ともども、フェリエスを追ってストラスブールにやって来て、新しい屋敷の庭を手入れする仕事を得たのだ。


 その彼は今、公爵領の都市開発や経済政策を一手に引き受けている。


 庭師の彼がどうしてなのか。


 二年ほど前に、フェリエスが都市開発に関する考えごとをしながら庭を歩いていた際、花の手入れをするオーギュストを見つけた。大公は一人で考えるよりはと、特に期待するわけでもなく悩み事を庭師に聞かせた。


 この時はそれだけで終わっている。


 しかし、それから三日後、庭師は完璧な都市計画図を描いてフェリエスの室を訪ねて来た。以降、大公は彼の仕事場を庭だけに止めず、領地全体へと広くしたのである。


 その判断が間違いではなかったと、フェリエスは有能な腹心に微笑むと視線を転じる。その先には、隻眼が威圧的な印象を与える男が椅子に腰かけていた。


「そうだが、楽ができそうだ。ハザル、お前の要望にも応えてやる事ができる」


 大公の声に、片目碧眼で逞しい体躯の男が一礼し口を開く。


「ありがとうございます」


 ハザル・ドログバという名の武人は、兄弟でフェリエスに仕えていて、兄である彼はベルーズド公爵府において主席武官である。軍の規模がまだまだ小さく、全体で一五〇〇程の連隊で領内の治安を預かる彼の悩みは、都市部や農村にそれを集中し運用しているからの弊害で、山中や森に野盗の集団が隠れ住んでいることだ。


 彼らは公爵府の軍が巡回で村々を回る時はおとなしく隠れているが、そうではない時はここぞとばかりに暴れまくる。領内の治安維持はこれまで通りしながら、悪党共を討伐すべく軍を動かしたいという考えがあるものの、人員不足と予算の無さで行動に移せていない。もちろん、彼の望むところは、最終的には公爵軍を整備し、単独で軍事行動を起こすだめの規模である。


 ハザルの強さは王国内でも有名であるが、家柄が悪い為に仕官はフェリエスに迎えられるまで叶わなかった。彼は無官の期間、周辺諸国を旅し、傭兵として様々な戦闘に参加しながら暮らし、年齢の離れた弟に生活費を送り続けた。


 この経験があり、彼は公爵府の軍は職業軍人で固めるべきだと大公に訴えた。


「殿下への忠誠、領地の安寧……農民兵は確かに数を集めるには簡単ですが、苦しい時に戦ってくれる兵こそ殿下は必要ではありますまいか?」


 ゴーダ騎士団領国、北方騎士団領国がこれを導入し運用していて、大国でさえおいそれと攻めるのを躊躇う程に強い。そしてハザルらしい言い方をすれば、農民兵という計算の立たない者達を率いて戦うのは恐ろしい。彼は勝ちたいがゆえに、慎重なのだ。


 今はまだ雇い続ける金が無い為、公爵軍は一割程が正規兵で、他は全て民兵である。有志を募り訓練し、副業として軍で働いてもらっているに過ぎない。


 だからハザルは、フェリエスにようやく軍備に金を回せると言われ、脳内であれこれと優先順位をつける。


 だが、オーギュストの声がそれを遮った。


「殿下、しかし南部のマルセイ港の整備はまだまだ金がかかります」


 穏やかな声で苦言を呈した庭師に、大公は同じような口調と声で返す。


「そうもいかんのだ。豊かな畑は猪に狙われると言うだろう? 東の帝国、南東のロゼニアから攻撃をされても単独で対抗できるだけの力はいるし、本当の意味で治安を良くしなければならない。いずれ、戦闘と治安維持の役目を分けたいし着手はしたい」


 フェリエスの説明にオーギュストは無言で一礼した。


「それにあの国王はまたゴーダ人達を攻めるそうだ。こちらにも出征を強いてくるだろうから、応えられるだけの軍備は備えておかねば難癖をつけられる」


 あの国王と口にした時のフェリエスは、秀麗な顔を歪に変化させ、それはとても不味い料理を口にしたかの如くだった。


 自然と二人の臣下に、主君の感情が伝わる。


「無視すればどうなりましょうかな?」


 同僚を眺めたオーギュストに、されたハザルが苦笑する。


「隣の州を見れば分かる。モリエロ伯の不幸が再現される」


 ハザルの言うモリエロ伯とは、キュイ・ブロー・モリエロ伯爵という諸侯の一人で、フェリエスが治めるベルーズド地方の西隣、アンジェ地方の端のモリエロ州を治めている。この貴族は昨年、財政難を理由に国王の出征命令を断った。当然であるが、金品を贈り丁寧この上ない態度と言葉で辞退という形を取っているが、フィリプ三世にとって辞退も拒否も断りも、その他いかなる表現、態度であろうとも、自分の意に沿わぬものは罰する対象になる。


 モリエロ州は耕作地帯に成り得る広大な平野があるが、隣国のイスベリア王国と揉めていて、数年前に起きた彼の国による侵攻で、農業用水路や井戸、風車に水車を破壊されてしまっており、豊かではない。


 敵性国家に近い土地を治める諸侯は皆、大なり小なり事情は同じであるのだろう。


 フィリプ三世がイスベリアに侵攻すると宣言し、諸侯に兵を出せと命じた時、フェリエスはハザルを遣わし事なきを得ている。この時、その数は百程度であったが、領地を持ち一年であるという理由と、アレクシの苦労もあって咎めは無かった。


 一応、従ったというのが重要なのだ。


 ところが、キュイは違った。


 モリエロ伯爵であるキュイは、十が一になれば意味がない、つまり戦えるだけの戦力を差し出さねば無駄と考えてしまった。


 モリエロ伯は取り潰しが決まり、領地は王家に没収された。


 ハザルが言う不幸の再現とは、これである。


 オーギュストがハザルの返事に口端を歪め、切れ長の目を細め言う。


「そういえば、そのモリエロ伯爵が殿下に庇護を求めてきたと耳に入っておりますが?」


 青い瞳を強く輝かせた青年は「まだ隠していたのだがな」とぼやき、手を叩いて侍女のメリルを呼ぶ。彼は彼女にアレクシを呼んでくるように伝えると、二人に笑みを向ける。


「隠していたわけではないのだ。確定ではないから早いと思ったのだが……ま、ほぼ決まりであろうな……」

「助けるのですか?」


 ハザルの問いに、フェリエスは顎を引き答える。

「そうだな」


 オーギュストが心配を口にする。


「確かにモリエロ伯には同情致しますが、殿下は国王に睨まれておりますから心配です」

 国王に敬称をつけなかった臣下に大公は苦笑し諌める。


「主君が主君なら臣下も臣下だ。お前達だけでも模範的な臣民の態度を取るように」


 二人がお互いに見合い、主君に一礼し笑みを隠した。


 そこへ、呼ばれたアレクシが現れる。


「すまんな、二人に聞かせてやってくれ」


 家老は何の為に呼ばれたのか理解する。


 フェリエスが老人に席を譲ろうとして遠慮を示されたが、かまわずアレクシを自らの椅子に腰かけさせる。最も高価で心地良い椅子を家老に譲った大公は立ち、その佇まいの凛々しさも絵になると家老は微笑む。


「モリエロ伯……失礼。もう爵位はございませんな」


 アレクシは説明を始める。


「キュイ・ブロー卿を王都へと送る予定です。いえ、殿下。これは彼が望んだ事です。そうする事で、息子と娘を助けて欲しいという条件でした。確かに、キュイ卿は王の前に現れる必要があり、またそれを理解しておられる御仁です」


 家老の言葉にフェリエスが結んでいた唇を解いた。


「彼の子……ジェロームとクロエか」

「左様でございます」


 アレクシの返答に、ハザルが大公を見て言う。


「ジェローム卿といえば、確か初陣……南征時に騎兵一個中隊のみでイスベリア軍二〇〇〇を翻弄し撃退したという、あのジェローム卿ですな?」


 彼の発言は質問調ではあったが、答えを求めるものではなく、ゆえに彼はそのまま言葉を紡ぐ。


「殿下、ジェローム卿と妹君をお助けなさるに、父親だけでは足りますまい」

「承知している。キュイ卿からはモリエロ州の地図、過去十年間の収穫量の記録と土壌調査……モリエロ州を治めていたブロー家の財務諸表を譲られている。そこにジェローム卿が俺の臣下となってくれるなら、あの醜い王に開発中の銀鉱からの収益を差し出しても釣りが出る」


 ベルーズド地方の開発を行ってきたフェリエスからしてみれば、ようやくといったところで王に差し出すのは癪に障るところではあるが、目先の金よりも大事に思うものがあった。


 モリエロ州の統治を王が直接にするわけではない。必ず代官を派遣する。


 この代官は王の命令とあれば、自分の首がかかっているから何でもする。これは、自領地であるから大切に領民を扱っていたモリエロ伯爵の真逆である。彼はだから、王の無理な命令に従わなかった。


 多くいる、己が大事である貴族諸侯とは違う人物であったから、キュイは不幸になったのだとフェリエスは理解していて、だからこそ、アルメニアの姿に反吐が出ると言う。


 ハザルが「銀山は痛いですな」と言い、フェリエスを笑わせた。


「構わぬ。銀山で大きなものを買う。その為にも、ジェローム卿が俺には必要だ」


 大公は断言した。


 それから四人は内外の情勢について話し合い、ハザル、オーギュストの順で辞す。


 フェリエスは侍女に紅茶を淹れなおさせると、アレクシだけを残した。彼は家老だけにある相談をする。


「アレクシ、ロゼニアから接触があるそうだが、また例の件か?」


 老人は紅茶の香りを楽しもうと無言を通す。


「イザベラ女王はまたどうして……帝国の差し金だろうか」


 若い主君の自問に、家老が自分の考えを述べる。


「殿下、ロゼニアは海上貿易で成り立つ半島国家です。その取引先は盟主国の帝国の向こう、東方諸国家や南部諸国と呼ばれる国々です。彼らを異教徒として攻撃する帝国のおかげで、ロゼニアの商売は邪魔されていると言っても過言ではありません。ロゼニアとすれば、南方大陸への海路への転換を画策するに、アルメニアとの繋がりを求め始めていると見ます。マルセイユ港を整備すべく殿下が動いていると近隣は皆が知っております」


 家老の言葉に大公は窓に視線を転じる。


 庭の池と噴水を眺める彼は、背中でアレクシの声を受ける。


「殿下、王陛下にご判断頂く事ですから、これがどうなるか……どう読まれますか?」

「アレクシ、俺は妻を娶るつもりはない。それが政略であろうともだ」

「イザベラ女王陛下のご息女は、それはもう美女揃いですぞ。さすがはロゼニア王家と言わんばかり……それでも拒まれますか?」

「見てくれが問題ではない」


 フェリエスは、しかめっ面を老人には見せない。


 彼は自身の出生が、皆の憶測、悪意、推測、邪気でおもちゃにされていると他人にいわれるまでもなくわかっている。そして攻撃の対象とされていることも理解していた。


 幼少期より、ずっと聞かされて育ったのだ。


『国王を誑かせた淫売の息子』

『母が母なら子もきっとそうだ』

『アルメニア王家の資格ない不浄の子である』

『国王はどうして認知したのだ?』


 大人達の囁き合いの中で成長していた彼には、内面の葛藤や不満を隠すことで身を守る賢さがあったが、間違いなく彼の心は浸食された。


 気づけば、女子と接する度に激しい頭痛に襲われて、幻聴に悩まされるといった有様であり、彼はだから、舞踏会であるとか晩餐会に務めとして出席する時でも、異性との接触は最小限に止めていたし、今もそうである。侍女以外の女性を近くに置こうとしないのもこれで、彼女との関係を疑われるが何もない。


 これが侍女であるメリルを残念がらせているのはまた別の問題である。


「殿下、しかしいつまでも女子を近くに置かぬというのは、殿下は男色であるという噂を肯定する事にもなりまする」

「俺はカミュルとは違うぞ」


 男色である王弟の名を出した若い主君に、アレクシが苦笑した。


「ならばどこかで妻を娶るのです。早いか遅いかの問題です。幸い、ロゼニア王家は娘の夫に側室を取る事を禁じておりますゆえ、かえって都合が良いのではありませんか?」

「……爺、この話はもう終わりだ」


 アレクシは紅茶を飲みほし、一礼を大公の背に向けてすると立ち上がり、室を辞した。


 残されたフェリエスが囁く。


「恐いのだ、俺は」


 彼の言は誰にも聞かれる事がなく、ただ窓のガラスを微かに曇らせただけであった。




-Féliwce & Emiri-




 キュイ・ブローが馬車で王都へと出発した日の午後。


 ジェロームは、大公の呼び出しに応じようと身支度をする。


 いつも微笑んでいるように見える表情も、この時は緊張で強張っていた。彼は着替えをしながら、義理もない自分達を助けてくれた恩人たるフェリエスに、さてどうやって感謝を述べようかと文言を考えた。そして、隣室の扉を開き、寝台で泣き伏す妹に声をかける。


「父上の事は残念だが、どうしようもない。俺とお前の為に父上が選択された事だ」

「兄様……それでは私が王を憎むのは仕方ないことですね?」


 クロエが上半身を起こしてジェロームに言った。その目は泣き続けたことで赤く充血している。


 ジェロームは穏やかな声で答える。


「仕方ないことだし、俺もそうだが、しかし表に出して良いわけではない。この国にあって陛下の決められたことは何よりも優先される事だからだ。王国諸侯の務めを父上が怠ったと見られた以上、それはもうこうなるしかない」


 含みある発言をする己に苦笑したジェロームは、金に近い茶色の髪を鏡の前で整える。その背後で、彼の妹は寝台からはい出て、兄の背に立ち櫛を入れてくれた。


「すまんな」

「大公殿下は私達を屋敷に住まわせてくださると仰せですが、それはいつまででしょうか?」


 クロエは十四歳で、いずこかの貴族に送られずに済んだことに感謝していたが、年齢的にも遠くない将来、そうなる可能性はある。そしてそれを決めるのは、父ではなく大公であると理解する彼女の問いに、ジェロームは兄として振り向き微笑んだ。


「良い殿方が現れれば、それを優先して頂くようにお願いしたほうがいいか?」

「このような時に言う冗談ではありません」


 妹の抗議に、ジェロームは頭をかき「さあ」と言って部屋を出ようとする。


 その背中に、クロエの囁きがぶつかる。


「兄様、でも私は嬉しいです」


 扉が閉じられ、彼女は微かに顎を引く。頬を伝った涙を、最後の滴と決めたクロエは窓へと視線を転じた。


 ベルーズド公爵の城がそこから見える。


 城内の敷地に屋敷を建てたフェリエスは、城はあくまでも行政機関だと決めていて、生活空間は屋敷を使う。それでいて、王族のものとしては贅が尽くされておらず、しかし働く者の数は多い。ただ、全ての窓にガラスが使われているのはすごいとクロエは感心する。


 外の風景を眺める彼女は、晴天の下にそびえる城と、広がる市街地を瞳に映す。丘の上に建つ屋敷からはよく望めると彼女は窓に歩み寄る。


「私はもう泣かない。今日以上に悲しい出来事などあるはずがない」


 それは願望である。


 クロエもよく理解している。


 しかし、彼女はそう思う事で、自ら立つと決めた。それでもまだまだ少女らしく、兄を頼るように、彼と大公の面談がうまくいくように、瞼を閉じて祈った。


 一方のジェロームは、通路を歩きながら大公の意図を推測する。


 フェリエス・ベロア・ベルーズド公爵が酔狂で自分達を助けてくれたわけではないと、愚かではない彼は理解している。であるから、何を目的としてそうしたかを考えた時、ジェロームはモリエロ州かと理解した。


 王の代官が治める領地で、乱を起こし、鎮め奪う。


 交渉と軍事行動を同時に進める大胆さと慎重さが重要になるかと考える彼は、この前に下準備がいるのだとも思う。


 ここで彼は、フェリエスがどうしてモリエロ州を欲しがるかと考える。


 ベルーズド地方に接しているからというのは単純だ。


 イスベリア王国と領有権で揉めているここを、それでも欲しがる狙いは穀倉地帯であると彼はして、それならば大軍を動員する予定が、将来においてあるのだと続ける。


 モリエロ州は王国東部で最大の穀倉地帯を抱えている。


 大軍を食わすに糧食は必要だ。


 大軍を動かす目的は何かとジェロームは思考を繋げ、王から自分達を守るという行為の裏に、大公の感情を察した。


 彼は、フェリエスがしようとしている事を考えたが、確証のないこれは推論から出るものではないとかぶりを払う。それでも、確かめる必要があると進み、大公の美しい侍女が立つ扉の前にと歩を速める。


 一礼した彼女に会釈を返したジェロームは、大公の許しを得て中に入った。




-Féliwce & Emiri-




 フェリエスの脇に控えるハザルが、「小柄だな」と評したモリエロ伯の息子は、恭しく一礼し、大公と臣下達に挨拶をする。礼を述べたジェロームは、フェリエスの直臣に連なりたいと主張し許される。これはいわば決定事項であり、改めて口にしたというものだ。


 ここでフェリエスは一同に座れと促し、円形の卓を男達が囲んだ。


 フェリエス、アレクシ、オーギュスト、ハザル、そしてジェローム。


 大公が口を開く。


「ジェローム。正直に言う。俺は何も親切心だけでお前達を助けたわけではない」


 ジェロームが目を伏せ、穏やかに返す。


「存じ上げております。モリエロ州ですね?」


 返しながら彼は、大公が自らの胸の内を明かしたところに良い印象を覚えた。


「ばれていたか」


 大公が苦笑し、幕僚達がお互いを見合った。


「はい。しかしそうであっても、王の顔色に恐れをなした諸侯とは違い、私と妹を殿下は助けてくださいました。感謝しております」


 深々とこうべを垂れた彼の額は卓につきそうであった。


 だが、すぐに顔をあげた彼が言う。


「モリエロ州は王国東部最大の穀倉地帯を抱えております。主要街道の中継地点でもあります。殿下もご存知の通り、イスベリアとの戦いが頻発し、その能力ほどに豊かではありませんが、阻害要因を排除、解決すれば豊かな土地です。そしてこの土地を治める事ができましたら、王国東部十州に匹敵する糧食を得ましょう」


 オーギュストがそこで卓上に地図を広げた。


 ジェロームは地図に指を這わし説明する。それは決意の表れでもあり、己からまずは隠す事なく晒し、大公の反応を見ようと考えたところにもよる。


「モリエロ州は、軽く万の軍兵を養えましょう。多方面に敵を抱える殿下にとっては必須の土地であります」


 フェリエスは、自分の脳内をのぞき見されたと思うも不快ではなかった。


 それだけ分かっていて、臣下になると言ったジェロームを見つめて言う。


「覚悟しているという解釈で良いか?」

「私の忠誠は、私が認めた御仁に向けます、殿下」


 言った青年に大公は目を見開き、次に嬉々としたハザルを咎め、不安そうな瞳の色をしたオーギュストに微笑み、満足げなアレクシに頷く。


 そして口を開いた。


「俺はお前の主君に相応しいかどうか、これからよくよく見て考えるがいい。フィリプのように、お前に見捨てられないように努力しよう」


 甥を呼び捨てにした大公に、ジェロームは確信する。


 一方のフェリエスも、銀など安いと思わせるものをモリエロ州からではなく、ジェローム個人から受け取った。


 モリエロ州への仕掛けを相談し合い、一同が解散した後の自室で、フェリエスは背伸びをする。


 去り際にオーギュストが置いていった農業用水路開発計画の書類を手に取り、図面で手を止め眺めた彼は、修正が必要である箇所に羽ペンを走らせ、終えると同時にインク壺に羽根ペンを突っ込む。


 目頭を揉み、無性に景色で目を休めたいと思った彼は窓へと歩み寄った。


 ガラス窓から外を見ると、庭の噴水へと視線がいく。


 そこには、少女が一人、立っていた。


 黒髪で薄着の彼女は、まだ若いと遠目にも分かる。興味を覚えたのは、噴水がある池の真ん中に立っていて、ずぶ濡れのまま動かないからだ。


 彼女が彼を見た。


 フェリエスには不思議と、彼女の黒い瞳がはっきりと見えた。


 遠目にも、それは鮮やかに映った。そしてそこに、不安と恐怖を感じ取った彼は、無言で歩み部屋から出る。侍女が驚き後に続くも、彼は構わず進み屋敷から庭へと出た。


 池に近づく。


 黒髪の少女は、思ったよりも長身だったが、見た事もない装飾の衣服を纏い、濡れているからこそ均衡のとれた肢体は美しいと分かる。だが、女が苦手なフェリエスをしても、胸の膨らみが足りないのは残念だなと苦笑してしまった。


 彼が声をかけるより早く、少女が声を発した。


「ねえ、ここってどこ? 私の言葉、分かる?」


 ありえない言葉遣いにフェリエスは目を見開くも、相手が自分を誰であるか知らないのであれば無理もないと理解する。


 そして池へと彼は入った。


 後方で、侍女のメリルが驚きの声をあげる。


 構わず進むフェリエスは、どうして自分はこうしているのかと分からないが、それでも、この少女をこのままにしてはいけないという衝動で動いた。


 理由など分かるはずもない。


 彼は自然と、少女に手を差し出す。


 黒髪の少女は、警戒しながらも手を伸ばした。


 二人の指先が軽く触れ合う。


 フェリエスと、エミリの出会いだった。


 二人は、出会ったのだ。


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[気になる点] はじめまして。 《 彼は自身の出生が、皆の憶測、悪意、推測、邪気でおもちゃにされている事を誰よりも理解しているし、被害に遭っている。確かに疑わしいところがあり、またそうでなくても貴族の…
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