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さつきさんと古本

「よっこいせっ!!」

 六畳の狭い部屋の中に、段ボールを積み上げる。中身は全部本だ。読書が私の趣味なのである。

 部屋は一人用のベッドと小さな机と椅子、衣装ダンスをひとつ置いた他は殆どが本の山と本の入った段ボールで埋め尽くされていた。我ながら酷いと思う。でも、これでも少ない方なのだ。結婚する時に、殆どの本は実家に置いてきてしまっている。

「とっとと仕事を見つけて、マンションでも買いたいな……」

 そうすれば、部屋をひとつふたつ書庫にできるだろう。お金に更に余裕があるなら一軒家でもいいが、家の殆どの部屋が本で埋め尽くされると思うと少し悲しい気がする。家というより図書館だろう、それは。

 売ればいいのでは、という方もいるだろうが、私の場合、同じ本を何度も後から読み直すのと、本というもの自体に愛着があるせいで、本を売ることができない性分なのだ。その結果がこの部屋の惨状である。引っ越してきたばかりなのにすでに足の踏み場があんまりない。更に、随時新しい本が供給されるものだから、手に負えない。主に自分のせいでだが。


 何とか荷物の搬入ととりあえずの整理も終わり、私はベッドに座って一息ついた。

「疲れた……」

 まだ昼前だが、このまま寝てしまいたい。しかし、台所の冷蔵庫の中は空っぽだし、買い物に行かないと食べる物も飲み物も何もない。

「しょうがないな……お昼ご飯がてら買い物にでも行ってこようかな」

 ついでに近所の散歩もしてみよう。まだ引っ越してきたばかりで、新しい家の周囲に何があるのか碌に知らないのだ。






 私が引っ越してきた格安物件は、三階建ての建物で、ひとつの階に五つの部屋がある。エレベーターはなく、昇降手段は階段のみ。私の入った部屋は三階の302号室だ。本当は角部屋が良かったのだが、生憎どこの階の角部屋も埋まってしまっていて、それなら最上階にと思ったら、302と304しか空室がなかった。そこで、より階段に近い302号室を選んだのである。

 部屋を出て、鍵をしっかりと掛けたことを確認し、階段を下りる。途中で、301号室の住人とすれ違った。まだ若い、二十代に入りたての頃合の青年で、少し長めに伸ばした髪を項でくくっている。お互いに会釈して通り過ぎる。

 ちなみに、303号室の住人はいかにも就職活動中の大学生らしい女の子で、305号室の住人は三十代前半のサラリーマン風の男性である。他の階の住人にはまだ会ったことがない。

 

 徒歩五分圏内にコンビニが二つあるのは確認してあるが、それ以外がさっぱりだ。幸い、ここから歩いて十分くらいのところに香々かがち駅という駅があり、その前に小さな駅前商店街があるので、試しにそこまで歩いてみることにした。

 てくてく歩いていると、この周辺には安っぽい賃貸アパートが多いのがわかる。確かこのすぐ近くに香々治大とかいう大学があるらしいので、そこの学生目当てだろう。実際、大学生くらいの年の子らが連れ立って歩いているのを見かける。

 

 駅前商店街はこじんまりとしているものの、存外に色々な店が揃っていた。

 小さなスーパーマーケット、文房具屋、本屋、ドラッグストア、百円ショップ、ゲームセンター、美容室に呉服店、そして各種飲食店。チェーン店からいかにも個人営業っぽい定食屋、純喫茶らしい店まであるのは驚きだ。やはり学生が多く利用するのだろうか。古本屋も大手チェーンのものと個人営業らしい古びたものと二つもある。

 私としては本関係の店が三軒もあるのが大変うれしい。これからの生活における潤いとなってくれるであろうことは確実だ。ネットで注文してしまうのも早くていいが、やはり本屋で本を選ぶというのは何とも言えない楽しさがあるものである。

 うれしさのあまり店に突入しそうになるのを堪え、私は昼食を何処でとるか考える。今本屋になど行ったら、昼食どころか他の買い物まで忘れて、日が暮れるまで出てこない自信がある。

「……うん、今日は定食屋の気分」

 チェーン店ならいつでもどこでも食べられるだろうし、ここはひとつ新規店舗の開拓とでもいこう。

 そんなことを考えつつ、私は定食屋の暖簾をくぐった。

 店内は昼時より少し早めなせいか、客の姿はなかった。こじんまりとした店内には、四人掛けの席が五つとカウンター席が設けられている。全体的に黒っぽい木のテーブルと椅子、同じような色の木の床で、落ち着いた雰囲気であった。

「いらっしゃいませー」

 店のカウンターから店員さんであろうエプロンと三角巾をつけたおばちゃんが出てきて、私は一番奥のテーブルに案内された。

 出されたお茶を飲みつつメニュー表を見ると、ランチタイムサービスの文字に目が留まる。五百円ワンコインで定食が食べられるらしい。これにしよう。

「すみません、唐揚げ定食ひとつお願いします」

「はーい」

 カウンターの奥ではおじさんが何やら調理をしている。ご夫婦かなにかだろうか。

 私が店内観察をして待っている間に、数人客が入ってきて店内は少し混んできた。どの客も大学生っぽい若い子達だ。大学から近いので、来やすいのかもしれない。大学内の学食ばかりでも飽きるだろう。

「はい、唐揚げ定食、おまちどうさま!」

 しばらくしてやってきたそれは、大盛りごはんに味噌汁、ほうれん草の胡麻和えの小鉢がついたなかなかボリュームのあるものだった。唐揚げの数は五つ。キャベツの千切りと共に盛られている。

「いただきます」

 唐揚げは揚げたてらしくかりかりのあつあつで、ご飯に良く合う。やはり揚げ物は揚げたてを食べるに限る。

 全部食べきると、お腹一杯になってしまった。ふむ、五百円でこれなら大満足だ。付け合せの野菜も量があるし、魚のメニューも色々あるようだし、料理が面倒なときはここに通うことになるかもしれない。

「ご馳走様でした」

「はーい、ありがとうございましたー」

 おばちゃんの声に見送られながら店を出た私は、洗剤と石鹸を買おうとしてドラッグストアに向かい、その途中にあった個人営業らしい古本屋の店の前にあるワゴンに捕まった。手書きの『一冊百円』という張り紙のついたそのワゴンには、何年前のものかわからないような雑誌や茶色く変色した本などが乱雑に詰め込まれていた。ワゴン自体に買いたくなるような本はなかったが、私の目はそこからワゴンの隣にあった本棚の本へと移り、さらに店の入り口の別のワゴンへ移り、いつの間にか私は古本屋の店内に入り込んでいた。

 しまった、と思った時にはすでに手に何冊か本を抱えており、そのままでは帰れないようになっていた。これは私が悪いんじゃない、前から欲しかった絶版本がそこかしこに置いてあるのが悪いんだ、などと誰にかは知らないが心の中で言い訳しつつ、私は店の奥にあるレジらしき小さなカウンターに行くまでにさらに他の文庫本まで抱えていた。私は馬鹿だ、とこんな時思う。

 カウンターでは五、六十代の男性が煙管を燻らせながら新聞を読んでいた。そして、前に立つ私に気づくと、目線だけ上げて、

「おう、いらっしゃい」

 と、ぼそりと言った。

「すみません、これください……」

 私がカウンターに置いた本は十冊以上あった。しかもどれも分厚い。仕方ない、凡庸社の東方文庫やら岩浪文庫やらがお安い値段でほいほい置いてあるのが悪い、きっとそうだ。

「ん。五千七百円ね」

「じゃ、六千円からで……」

「ん。お釣りね」

 お釣りの三百円を受け取り、私は本を抱えて店を出た。

 困った。これでは本命の買い物ができないではないか。

 仕方がないので、私は一度家に帰ることにした。






 家に戻った私は、すっかり元の目的を忘れ、買ってきた古本のチェックという名の読書に勤しんでいた。

「あーこれ欲しかったんだよねー、あとこれもねーうふふふ」

 独りでにやにやしながらぶつぶつ呟きつつ本をめくる姿は、誰かが見ていたら間違いなく危ないひとだと思われていたであろう。

「ふふふふふ――って、これ、何だろう?」

 そんな私を正気に戻らせたのは、一冊の見知らぬ本であった。

「『本読む人影』? こんなの買った覚えないんだけど」

 それは一見普通の文庫本であったが、誰が書いたとも、どこの出版社のものとも書いてなかった。『本読む人影』というタイトルのみしか表紙には書かれていなかったのである。

「ナニコレ?」

 中身を見てみるが、こちらも白紙であった。ぺらぺらと適当にめくってみるが、どのページにも一文字たりとも書かれていない。

「……何かの悪戯かしらねえ」

 溜息と共に本から視線を上げると、窓の外は既に真っ暗であった。

「うげっ、しまった! 今何時!?」

 携帯を覗くと、時刻は既に十九時をまわっていた。

「大変! 買い物してこなきゃ!」

 私は本を投げ出して家から駆けだした。


 幸いと言っていいのか、駅前商店街のドラッグストアとスーパーマーケットは二十一時まで開店、とのことで、私は予定していた買い物を済ませることができた。夕食はスーパーの惣菜で済ませることにし、私は帰路についた。

 家に着き、鍵を開け、扉を開いた私は、一瞬何かの違和感を感じた。

「?」

 もう一度良く見直す。

「……??」

 玄関の廊下に違和感はない。違和感があるのは――

「本?」

 出かける前と、置いた場所が違っているような気がする。それに、積み上げた一番上の段ボール、蓋は確かガムテープで閉じてあったのが、テープが剥がれて開いている。

「え、なに、早速泥棒……?」

 鍵はかかっていた。ベランダに続く窓の鍵も確認してみるが、閉じている。

「…………気のせいかしら??」

 出がけに急いで本を置いて出かけたから、気づかぬうちに崩れたり滑ったりしたのかもしれないし、そもそも覚え違いかもしれない。段ボールは再びガムテープで閉じておこう。

「疲れてるんだわ、きっと。ご飯食べて早く寝ちゃおう……」






 その日の夜中、私はかすかなびりびりという音で目を覚ました。

 これは――段ボールからガムテープをはがす音だろうか。その音は、まるでなるべく音をたてないように苦心しているかのようにゆっくりと進んでいき、べりん、と最後に大きな音を立てた。

 ああ、テープ類をそっとはがす時に時々勢い余ってやっちゃうあれかな、などと眠い頭で考えつつ、私は被っていた布団の隙間からこっそりとその音の方向を覗き、息をのんだ。


 黒い人影が、段ボールの山の前に立っている。


 その人影はきょろきょろとあたりを見回す仕草をしながら、今度はゆっくりと段ボールの蓋を開け始めた。

 私は目を凝らし、その姿を見極めようとしたが、どうにも黒い影にしか見えない。窓はカーテンを閉めていると言っても外の街灯の明かりがさしこんできてそれなりにうっすら明るいし、全く姿が見えないなら黒い人の形も見えないはずだし、謎だらけである。

 私が眠気と戦いつつこっそり観察している間にも、人影は動きを止めず、段ボールの中に手を入れ、中を探っている様子だ。そのうち、中から文庫本を一冊取り出すと……その場で読み始めた。

 私は何だか微妙な気持ちになった。最初はすわ泥棒かと緊張していたが、泥棒にしては行動がおかしい。盗みに来た先で堂々と本を読み始める泥棒など聞いたことがない。人影はそのまま本を読み続けている。しばらくすると読み終わったらしく、また段ボールの中に手をいれ、ごそごそと中を探り出した。そしてもう一冊取り出してためすがめつすると、今度は読まずに箱の中に戻した。再びごそごそ本を探し始める。

 あの箱の中の文庫本は確かシリーズものなので、続きを読もうとしているのだろう、と思うと何だか無性に腹が立ってきた。何なんだあいつは。他人様の家に勝手に入り込み、あまつさえ本まで読みだすとは。しかもその場で背伸びを……

「!?」

 背伸びじゃなかった。その人影は、ありえないことにそのまま伸びた。天井に頭がつくくらいまで伸びると、頭まで箱の中に突っ込んでがさごそと本を漁り始めたのである。

「なっ、ちょっと、いい加減にしなさいよ!」

 思わぬ出来事に私は飛び起き、スリッパを人影に投げつける、と、スリッパはそのまま人影を通り抜け、段ボールの箱にぶつかって転がった。人影は段ボールから頭を出し、慌てたようなしぐさをすると、そのまま消えてしまった。

「えええええ!?」

 驚いた私は急いで部屋の電気をつける。と、そこには誰もいなかった。

「一体何事よ……」

 ベランダの窓と玄関を急いで確認するが、どちらも鍵がかかったままだし、玄関はドアチェーンまでかかっている。部屋の中には私と、蓋の空いた段ボール箱と、散乱した本だけだった。

「……何なのよ、もう……ん?」

 溜息をついてベッドに戻ろうとした私の足が何かを踏みつけた。そこは丁度黒い人影が立っていた場所である。足元を見ると、私が踏みつけていたのは、あのタイトルしか書かれていない本、『本読む人影』であった。






 翌朝、私は『本読む人影』を前に唸っていた。

 昨夜の状況、そしてこの本の題名。できすぎているとは思うが、何とも怪しい。

「……今からでも返品してこようかしら」

 それが一番いいような気もするが、私には一つだけ気になることがあった。

「ま、返すのは明日でもいいかな」

 試したいことがあるのだ。


 その日の夜中、私は再びがさごそという音で目を覚ました。布団はあらかじめ頭の先から被っている。こっそりと隙間から様子を窺うと、昨夜と同じ黒い人影が段ボール箱を漁り、本をひっぱり出しては読んでいた。今日は漫画の気分らしい。

 私は、布団の中に隠しておいた文庫本を一冊手にすると、思いっきり人影に投げつけた。

 すこーん、という小気味よい音と共に、文庫本は黒い人影の側頭部らしき場所にヒットした。

「やった!」

 ぐらりと態勢を崩す人影に、私は思わずガッツポーズを決める。

 昨夜投げつけたスリッパは体を透過したにもかかわらず、相手は本を読んでいる、つまり本は透過していない、ということだ。私が気になったのはそこで、本ならば相手にダメージを与えることができるのではないかと思ったのだ。

「これでも喰らえ!」

 私は布団の中から頑丈そうな新書本を取り出すと、黒い人影を殴った。

「ひとの、本を、勝手に、読むなぁ!」

 殴打。殴打。打。打。打。打。打。

 私は黒い人影が頭に手をやって身を屈め、何も反撃してこないのをいいことに、殴り続けた。

 黒い人影はそのうちに土下座をはじめ、私はそこで殴るのをやめた。

 人影がぐったりしているのを確認し、私は部屋の電気をつける。人影は人影のままだった。黒くのっぺりして大まかな人の形をしたそいつは、机に置いていたのがいつの間にか床に落ちていた『本読む人影』の開いたページの中から生えていた。

「全く、何なのよあんたは……あ!」

 人影はずるりと『本読む人影』の中に滑り込んでいく。私が慌ててそれを手にすると、勝手にページが開いて、そこにはこう書かれていた。

『すみません、殴らないでください』

 私の目の前でその文字がするりと消えると、今度は別の文字が浮かび上がってきた。

『本が読みたかっただけなんです。許してください』


『私は人間の『本が読みたい』という念が凝ってできたものです』

『ずっとあの古本屋にいたのですが、あそこの本は全部読み終わってしまいました。それに何度も読んだので飽きてしまったのです』

『他のお客さんのところに行けば新しい本が読めるかと思ってついて来たのです』

『お願いです、私をここにおいてください。そして新しい本を読ませてください』

『私はただ本が読みたいだけなんです、本当です』


「…………」

 にわかには信じがたい話であった。しかし、この前のおかしな二人組に、とんでもない不動産屋に、とこれまた信じがたいような出来事と遭遇している私としては、こんなこともあるのかも、と思ってしまった。

「仕方ないわねえ……」






「よいしょっと、ただいまー」

 数日後、私は本屋三軒を梯子し、大漁の本を仕入れてきていた。

「ほら、お土産よ。この前の本の作者の新シリーズだって」

 机の上にはブックスタンドがあり、そこに立てかけられた『本読む人影』からにゅるりと黒い人影が現れる。

『お帰りなさい、お土産ありがとうございます。今度のシリーズも面白いといいですね』

「そうね。私も読むから、読み終わったらそこら辺に置いておいて」

『わかりました』

 奇妙な同居人が増えたものだが、これはこれでいいかもしれない。ただ本を読むだけの存在なのだ。特に害はない。

 とにもかくにも、こうして我が家の本は日々増え続けるのであった。





















 客の去った後の、古ぼけた店内にて。

「……あの娘っ子、返品に来なかったなァ」

 煙管を燻らせながら、店主は天井を見上げた。

「よっぽど鈍いのか、それとも……」

 それに返事をする者もなく、その呟きは煙と共にふわりと消えた。

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