すずめ
(あ……)
僕は一羽のすずめを見かけた。すずめ、と聞いて思い浮かべるのは、ちゅんちゅんと鳴いて、手のひらサイズで、くりっとした円らな瞳の可愛らしい小鳥だろう。実際、僕が見かけたすずめもその通りだった。
けれど。
(かわいそうに)
僕はちゅんちゅんとさえずる姿も、その小さな瞳を見ることも出来なかった。なんせ、動かないのだから。閉じられていたのだから。
僕の見つけたそのすずめは何の変哲もない道端の脇にうずくまっている。ちょうど電柱にもたれているかのように。
その姿はまるで、交通事故に遭って亡くなった人々へ手向けられる、お供え品のようだった。ニュースでよく放送している、遺族が現場の前で涙を流している様子が脳裏をよぎった。
どうしてだろう、僕はその場を動けなくなってしまった。視線がそのすずめに吸い寄せられて、離れようとしない。きっと心の奥底でこのすずめと自分を重ね合わせているんだな、無意識のうちにそんなことを思ったのかもしれない。
かもしれない。僕はこの時、自分の気持ちが分からなくなっていた。今になって「そんな気」がすると思っているけれど、正直断言する自信はない。
言葉に表せない虚無感が胸いっぱいに広がって、僕は立ち尽くした。ただその場にいて、すずめをひたすら眺め続けた。それをしてどうなのか、って問われても、僕にだってどうなのか分からないし、そもそもなんでここで立ち止まっているのかすら、僕自身にも分からない。
暫くして、僕はあることに気がついた。
このすずめが、道端に横たわっていることに。
何言ってるんだコイツ、って思うかもしれない。別にフツーじゃん、って思うかもしれない。でも考えて欲しい。自分では動かないこの小鳥が、人の通路である歩道の真ん中ではなく、車の通路である車線の上ではなく、道端にーー人も車も通らない、誰も何も通らない場所に寝かされていた、ということを。
(きっと……誰かがここに動かしたんだ)
僕はそう思った。実際はただ、道草で力尽きただけかもしれないけれど。そうじゃないって僕は言いたい。誰かが僕と同じように、このすずめに目をとめて、せめて安らかに眠れるようにと、場所を移してあげたんじゃないかって。
僕は走り出した。
今までの硬直がまるで嘘のように、僕は駆け出していた。自分が走っていることに気付くのが少し遅れてしまうほど、必死に。
それから五分ほどかけて、僕は帰り道を逆走した。僕が足を止める頃には、突然の強烈な有酸素運動によって体中が酸欠状態になっていた。
「すみません……あ……の、」
ぜぇぜぇと息を乱しながら、僕は駅前にある花屋に入っていった。店番をしていたのは20代くらいの、艶の濃い黒髪が特徴的な女性だった。
「あの、花を一輪ください……!」
「どんな花をお求めですか?」
「えっと……お供え用のものを」
全力で息切れした状態で店に入り、しかも曖昧な注文をする自分に、僕は心の中で少し引いていた。きっと店員さんも同じだろうと思ったけれど、気にしている余裕なんてどこにもなかった。
僕のぶしつけなオーダーに対しても、女性店員さんは嫌そうな顔もせず、むしろ微笑みながら一つの花を持ってきてくれた。
それは、ちょっとしたミニチュアブーケのようなものだった。
「本当はこれ、売り物にするつもりはなかったんですけど……よかったら」
代金を払ってお礼を言うと、僕はついさっき走って来た道を急いで戻った。
見慣れた風景が一瞬で過ぎ去っていく。全速力で走ってはいるけれど、それでも「遅い!」と心は焦れてさらに速度を上げる。
電柱の前まで戻ってきて。肩で息を整えながら。僕は動かないすずめを見下ろした。決して触れていないのに、小鳥の小さなからだからはまるで熱を感じない。それがとても恐ろしかった。
僕は受け取ったミニチュアブーケをすずめの近くに添えた。手を合わせて、目を閉じて、魂の冥福を祈った。
その途中、何度か通行人から邪魔そうな気配を感じ取ったけど僕は構わなかった。彼らには申し訳なく思うけど、僕だって中断したくなかった。
このすずめが、一体どんな事情で命を落としたかなんて分からない。地球を人が牛耳っている現代では他の生物が野垂れ死ぬなんてことはよくあることかもしれない。
けれど、僕は無視出来なかった。見かけたのが偶然だったかもしれないし、別の時だったら気にも留めなかったかもしれない。たとえそうだとしても、今この瞬間、僕はこのすずめの存在に気付いた。そして心を痛めた。何か自分に出来ることはないかって衝動に動かされて、些細なことだけれど、人間流の供養をしてみた。
僕のこの行為が亡くなってしまったこのすずめに一体どんな影響を与えるのか。意味なんてないのではないか。そう考える自分も片隅に居たけれど、でも。
「いらない、なんてことは絶対にないんだ」