必殺技
「必殺技が欲しい!」
いつものように、唐突に夢月ちゃんが言いだしたのは、冬服にも慣れてきた二学期の中頃だった。
「えっと……誰かと戦うの?」
僕はとりあえず聞き返してみた。
「うん。今度大会があってね」
「た、大会っ?」
格闘マンガによくある「天下○武道会」みたいなものに出場するのだろうか。夢月ちゃん、いつの間に!
「えーと、優希の顔見てたら何となく勘違いしているのが分かるから言っておくけど、テニスの試合のことだからね」
「あっ、そ、そうだよねっ」
僕は慌ててうなずいた。
夢月ちゃんは女子ソフトテニス部に所属しているんだ。大会って言ったら普通はそっちだよね。
「あれ? それじゃ、必殺技って……」
と僕が聞き返そうとしたら、僕たちの会話を聞いていたのか、彩ちゃんがずいっと小さな身体を僕の背中から肩に乗っけるようにして、夢月ちゃんに言った。
「うんうん。分かる分かる。ボールが消えるのは基本だよねっ!」
……えっとそれは、「テニヌの王子様」だけの話だよね?
ちなみに「テニヌの王子様」とは、少年漫画雑誌に連載されているテニス漫画である。僕としては、純粋に勝負や駆け引きを楽しんで読んでいるんだけど、彩ちゃんの楽しみ方はちょっと違うみたい。何でもカップリングがどうとか……僕には分からない世界だ。
僕が女の子になって、もうすぐ一年。まだBLってよく分からない。彩ちゃんから女子の必須科目だよ、と言われているけれど、夢月ちゃんもあまり興味がないようだし、いいのかな。
「そうそう。さすがに消えるボールは無理だって分かってるけれど、相手を吹っ飛ばしたり、急激な変化をするボールくらいはマスターしたいところだね!」
「夢月ちゃん……それもどうかと思うけど」
「でも凄いねー。夢月ちゃん、新人戦に参加できるんだ」
僕のつぶやきはスルーして、彩ちゃんが感心した様子で言う。
「そうなの?」
「うん。あたしは卓球部だけど、市内にいる一年生全員が参加したら大変な人数になっちゃうから、参加できる人は上手い人に限られてるんだよー。女テニも一緒だよね」
家庭科部に所属していて運動部の事情に疎い僕に、彩ちゃんが説明してくれた。
夢月ちゃんは女子ソフトテニス部一年生の中では二番手なんだって。
一番手の子は小学生の頃からずっとテニスをしてきているようだから、中学に入ってからテニスを始めた夢月ちゃんより上手なのは仕方ないかもしれないけれど、それでも一年生の中で二番目というのは凄い!
「大会いつあるの? 僕も応援行くね」
「ありがと。でも今のままだと、優勝するのは、厳しいって分かってるから」
「あ、それで必殺技なんだ」
夢月ちゃんがうなずく。目標があくまで優勝、というのが夢月ちゃんらしい。
「それじゃ、必殺技を教えるのは無理かもしれないけれど、僕でよかったら、練習に付き合おうか?」
「え、いいのっ?」
「うん。任せてよ」
というわけで今度の日曜日、部活が終わった後に僕と練習することになった。
テニスはしたことないけれど、野球は男の子のとき、たくさんやっていた。あの小さなバットにだってボールを当てられるんだから、あんな大きなテニスのラケットなら、楽勝だよね。
――って、思ってたんだけど。
「ああっ、何でこっちにっ」
ラケットに当てたボールが変な方向に飛んでいく。
「あ、あれ? タイミングが……っ」
見事に空振りして、僕はバランスを崩してしまう。
「ふぎゃぁっ」
ソフトテニスのボールが空振りした僕の顔に命中した。
「……ごめん。全然夢月ちゃんの役に立てなくて……」
「あはは。いいって」
不甲斐ない僕を、夢月ちゃんは笑って許してくれた。
ていうか、僕がミスするのを見て、むしろ笑って楽しんでるし。
結局、まともにラリーが続かないので、僕がポーンとラケットで打つボールを、夢月ちゃんが打ち返すだけの単純な練習になってしまった。
手前でボールをワンバウンドさせて、それをラケットで夢月ちゃん側のコートへ打ち返す。
僕が下手なせいで、上手く夢月ちゃんの所へ飛んでいかないんだけど、ボールがどこに飛ぶか分からないことが、逆に良い練習になっているかもしれない。
それでも夢月ちゃんは、どんなボールでもきっちり僕側のコートに打ち返してくる。
「夢月ちゃん、上手だよね」
「まぁね。こうやって打ち返すのは得意なんだ。ただ、止まって打つサーブはどうも難しいんだよね」
よく動き回る夢月ちゃんらしいというか。
「でも、僕はサーブの方が楽な気がするけどなぁ」
僕はボールを手にして、サーブを打ってみる。
真上にボールを放り投げて……空を見上げて……って、あれ? 距離感が分り難いっ。それに上を向いているから頭の後ろに血が溜まる感じで……
ぽこん。
間抜けな音がして、柔らかなテニスボールが僕のおでこに当たって跳ねた。
「あはは。優希、大丈夫?」
「むぅぅ。次はちゃんと決めるんだから」
もう一回ボールを上げて……って、真上に飛ばないで変なところに行っちゃうし。
ラケットを振らずに落ちたボールを拾って、もう一回。僕的にはラストチャンスな感じでボールを上に投げて、ラケットを振るった。
ガンっという衝撃と音とともにボールは変な方向に飛んで、ぽとっと落ちて、ほとんどバウンドすることなく転がった。
「ううぅぅ。フレームに当たった。手が痛いし」
ネットを超えずに転がったボールを拾いに行く。
「夢月ちゃん、ごめん。……ん、どうしたの?」
夢月ちゃんは立ったまま、らしくなく、何かを考えている様子だ。
「あっ、これだ!」
「えっ、えぇっ?」
突然大声をあげた夢月ちゃんに、僕は目を白黒させてしまった。
☆☆☆
そして迎えた女子テニス部の新人戦の日。
僕は用事があって最初から応援には行けず、会場に着いたときには、もう大会も後半の頃になってしまっていた。
「あ、優希ちゃん、遅いよーっ」
「ごめんごめん。彩ちゃん。試合は?」
「もう始まっちゃったよ。ほら、あそこ」
「あ、夢月ちゃんだ」
金網で囲まれたコートの中に、ラケットを構えた夢月ちゃんを見つけた。
水穂中の女子ソフトテニス部のテニスウェアは、基本の白地にスカートや袖などの縁にピンク色のラインが入った、ちょっと可愛らしいものだ。コート内でラケットを構えている夢月ちゃんも、もちろんそのウェアを着ている。
夢月ちゃんのスカート姿は制服以外ではほとんど見かけない。ソフトテニス部のウェアを着ているのを見たのも初めてだ。夢月ちゃんの短めのスコートを見ていると、ちょっとドキドキしちゃう。
けれどしっかりと可愛く似合っているのを見ると、夢月ちゃんもやっぱり女の子なんだなぁ、って思う。失礼だけど。
彩ちゃんの情報によると、現在行われているのは、三位決定戦。
夢月ちゃんは準決勝で、同じうちの中学の多和田さん(一番手の人)にストレート負けして、この試合に回ってきたらしい。
それでも準決勝まで勝ち抜いたのは凄いし、この試合に勝てば水穂市内ナンバー3なんだ。凄いっ。
夢月ちゃんがサーブを打つ。ちょっと弱めのボールを相手選手が強く打ち返す。夢月ちゃんもそのレシーブに追いついて打ち返すけれど、ボールはわずかに相手のラインを超えてアウトになってしまった。
「ラッキー、ラッキー。大もうけ!」
相手チームから声があがる。
うぁぁ。野次が酷い。夢月ちゃん、怒らないかなぁ。
夢月ちゃんは素知らぬ顔して、再びサーブを打つ。
相手選手が狙ったように強く打ち返す。けれど今度は力みすぎたのか、ネットに掛かってしまい、夢月ちゃんのポイントになる。
すると夢月ちゃんはネットに一直線に駆け寄って、ラケットでネットを叩きながら、言い返した。
「はいはい。超ラッキーだーっ」
……わぁぁ。
気持ちは分かるけど、さすがにやり過ぎというか……あ、やっぱり審判に注意されてるし。
「……ねぇ、彩ちゃん。テニスって紳士のスポーツじゃなかったっけ?」
夢月ちゃんは女の子だから紳士じゃないけど。
「え? 中学校の部活の大会って、これくらいの野次、普通だよ?」
「……ひゃぁ」
うん。僕、家庭科部で良かった。
と、そんな感じで野次の応酬の中、点を取り合って試合は進み、夢月ちゃんが先にマッチポイントを迎えた。
ここで決めれば夢月ちゃんの勝利。
夢月ちゃんがサーブの構えに入る。
そのとき、夢月ちゃんがちらりと僕を見た。
あ。
これは、夢月ちゃん。やるつもりだ!
「え? 優希ちゃん。もしかして必殺技ってやつ?」
「うん。これぞ夢月ちゃんが編み出した秘技。ボールに強烈な負荷を与えてコートにたたき落とす必殺サーブ。名付けて『アウトサイド・インパクト――改弐、朧』っ!」
「おおっ。格好良い」
ふふふ。僕だって、元男の子。
こういう中二っぽい必殺技は大好物なのだ!
「必殺っ。フレームサーブっ!」
なのに、夢月ちゃんは至ってシンプルな名で叫んで、サーブを放った。
――って、口に出して言っちゃ、ダメだって!
その言葉の通り、わざとラケットのフレームにボールを当てて不規則に変化させるサーブなんだけど……
「あ」
思わず間の抜けた声が出た。
変に狙ったおかげか、サーブが苦手でいつも体に力が入っていた夢月ちゃんのその力が、いい感じに抜けていたからだろうか。
結果的に、夢月ちゃんが振り抜いたラケットのちょうど真ん中にボールが触れて、サーブは綺麗に打ち抜かれた。
相手選手が夢月ちゃんの「フレームサーブ」を意識していたかどうかは分からないけれど、今まで以上に綺麗に決まったサーブに対して、全く反応できなかった。
コートに突き刺さったボールが、相手選手の横を抜けていった。
ポイントが入り、夢月ちゃんの勝利が宣言される。
けれど。
周りから歓声が上がる中、僕と当の夢月ちゃんは何となくやり場のない思いを抱きながら、ぼーっと突っ立っていた。
☆☆☆
「むぅー。納得いかないっ」
試合翌日の月曜日。可愛いテニスウェアからいつもの制服姿に戻っちゃった夢月ちゃんは不満そうだ。
「それって、優勝じゃなくて三位のこと? それとも必殺技のこと?」
「両方に決まってるじゃん」
まぁ、そうだよね。
準決勝では、多和田さんに良いところがなくて負けてしまい、必殺技を使う機会がなかったみたい。大差で負けているときに必殺技を使って1ポイントだけ取っても盛り上がらないからと言う夢月ちゃんの主張は僕にも理解できた。
で満を持して、三位決定戦のマッチポイントで使用したその必殺技が結局、ああなってしまったわけだけど。
勝ったとはいえ、思い通りにいかなくて悔しいのかな。
そんな夢月ちゃんに向けて、後ろの席の柚奈ちゃんが笑って言った。
「でも、だまし討ちなんて、むっきーらしくて似合ってるじゃん?」
「それもそうか」
納得するんだ。
ま、夢月ちゃんが納得するんなら、いっか。
「というわけで、優希。これからも練習付き合ってね」
「うん」
とりあえず、僕も練習につき合えるようになるための練習しないとね。
そしてある程度上手くなったら僕も試合に出てみたいなぁって考えたら、不意に夢月ちゃんが着ていたテニスウェアが頭に浮かんだ。
いくら夢月ちゃんを見て可愛いなって思っても、自分が着るのは……ちょっと恥ずかしいかも。




