衝撃
「おはよー」
バレンタインデーの翌日。
昨日に比べて若干は普段に戻った感じだけれど、それでもどことなく、教室には、浮ついた空気が残っているようだった。
「優希さん。おはようございます。頂いたチョコ、とても美味しかったです」
「わぁ、良かった。香穂莉ちゃんのは、手作りだったよね?」
昨夜、メールや電話でも感想のやり取りはしたけれど、やっぱり直に会って話をしたいよね。
そんな話をしていると、昨日と同じように義明くんが教室に入ってきた。
「おはよう。諸君、今日もいい朝だね」
なんか気分がとてもよさそうな笑顔だ。この様子だと、柚奈ちゃんからちゃんとチョコをもらえたみたい。僕がちらりと柚奈ちゃんを見ると、すっと視線を逸らされてしまったけれど、満更でもなさそうな様子だった。
義明くんに続いて、稔くんも教室に入って来る。
「おはよう。稔くん」
あれ? 浮かれた様子の義明くんとは対照的に、稔くんにはどんよりとした負のオーラみたいなものを感じた。
僕はいつものように挨拶したけれど、稔くんはちらりと僕の顔を一瞥して、小さく「……あぁ」と呟いただけで、席に着いた。
うーん。なんかいつもと様子が違う。
「もしかして、寝不足?」
「……」
「ねぇねぇ。稔くん?」
「…………」
稔くんは何も答えなかった。
気のせいかなぁ。
なんか、稔くんに避けられているような気がする。
授業中に話しかけても上の空だし、休み時間になると、すぐに教室を出て行ってしまうし。……まぁ、授業中にお喋りしようとする僕の方が悪いんだけど。
そんな稔くんの様子は、やっぱり他の人から見ても変に思えたようで。
「ねぇ、くりゅ。昨日、みのるんと何かあった?」
こういうことに目ざとい柚奈ちゃんに聞かれた。
「ううん。別に何もなかったけれど……」
「むぅぅ。そっか……。って、ん? もしかして、本当に『何もなかった』の?」
「うん」
僕がうなずくと、柚奈ちゃんはなぜか絶句した。
え、なに?
僕が柚奈ちゃんに聞こうとしたら、ちょうど稔くんが帰ってきて、その話題は打ち切りとなってしまった。
稔くんは僕を見ることなく席に座ると、そのまま机に突っ伏して寝るような体勢をとってしまった。うーん、なかなか話しかけづらい。僕は腕を伸ばして、稔くんのほっぺをつんつんと指で突っついてみたけど、邪険に払われてしまった。
もしかして体調が悪いのかなぁ。拒絶されているような気もするけれど。
僕は机の横に吊るされたカバンに目をやりながら、小さくため息をついた。
昨日義明くんのときに苦労したのに、またそんな思いをするなんて考えてもいなかった。
☆☆☆
風が冷たい。
「ううっ……やっぱり学校で待っていれば良かった……」
閑静な住宅街の真ん中にぽつんと立ち尽くしながら、僕は独り言ちた。
人通りは少ないとはいえ、たまに通り過ぎる人が、制服姿で道に立ち尽くす僕を不審げな表情で見てくる。まるで鍵を忘れて家に入れない子供みたいで、恥ずかしい。
手が冷たい。足が痛い。うぅぅ。失敗した。こんなことなら、素直に学校の教室で待つべきだった。
けれどもう仕方ない。とっくに部活は終わっている時間だし、そろそろ帰って来るはず。
そんな僕の思いが通じたのか、県道の方から、稔くんが歩いてくるのが見えた。
「あ、稔くん」
「……栗山?」
僕の姿を見て、稔くんが驚いた様子を見せる。
「――なんで、栗山がここにいるんだよ」
一瞬みせた驚いた顔は、すぐに学校のときと同じように、機嫌が悪そうになってしまった。それに、あれ? 呼び方が「栗山」に戻ってる?
気になったけれど、長い間待ったんだし、まずは用を済ませることにした。
「ごめんね。用事があって……」
僕はそう言って、カバンの中から手のひらサイズの袋を取り出すと、稔くんに向けて、差し出した。
「えっと。これ、稔くんに……チョコレートなんだけれど」
「……え」
稔くんがハトが豆鉄砲を食らったかのような顔をした。――って見たことないけど。
「なんで今更――」
「ほら、稔くんって去年バレンタインであまりいい思いをしなかったみたいだから、チョコあげない方がいいかな、って思ったんだけど。でも、稔くんにはすごくお世話になったし、やっぱりチョコをあげたくって……。そこで、15日にチョコをあげれば、バレンタインチョコじゃないじゃん、って考えたんだけど……」
僕はそう説明する。
けれど、稔くんは突っ立ったまま。チョコを受け取ってくれない。
「ごめん。やっぱり迷惑だった……?」
自分でも無理があると思っていた。伸ばした手が重く感じる。やっぱり駄目だったんだ。不意に目頭が熱くなる。僕、何しているんだろう。馬鹿みたい。
伸ばした手をひっこめようとしたとき、すっと稔くんが僕の手からチョコレートを受け取った。
「――えっ?」
思わず稔くんの顔を見上げる。複雑そうな何とも言えない表情をしている。
「あの、その……別に無理して受け取ってくれなくても……」
そんな僕に向けて、稔くんが大きくため息をついた。なんか身体中の空気が抜けちゃうんじゃないかってくらい、それはそれは大きなため息だった。
「あのな。去年は、顔も知らない話したこともない女子から急にチョコを渡されて告られたから戸惑ったんだ。す……よく知った優希から貰うのは問題ないというか、むしろ嬉しいし。……ありがとう」
ちょっとだけ僕から視線を逸らしつつ、稔くんがぽつりと言った。その最後の一言だけで、僕の心はあっという間に軽くなった。
「……良かった。あ、ねぇねぇ。せっかくだから開けてみてよ」
「ん、いいのか? ……あれ、これってもしかして野球のボールか?」
稔くんの言葉に、僕は少しだけ胸を張って答えた。袋の中には、一口サイズのボールをかたどった丸いチョコレートが九つ入っている。
「うん。手作りなんだよ。って言っても、専用の型に溶かしたチョコを流し込んだだけだけどね」
僕はちょっとだけ照れ笑いをする。
「いや、それでも嬉しいよ。ん、美味い」
「本当? 良かったぁ」
お世辞だとしてもうれしい。思わず顔がにっこりしてしまう。そんな僕の頭の上に、稔くんがぽんと手を載せて言う。
「悪かったな。優希がそこまで考えてくれているなんて思わずに、朝から酷い態度をとって」
「え?」
なんか子ども扱いされているみたいな稔くんの手をどかしながら見上げると、稔くんは少し気まずそう顔をして、頬をかきながら話を続ける。
「そのさ。正直言うと、バレンタインに優希からチョコをもらえるんじゃないかなって思っていたんだ。けれど当日になっても、優希にそんなそぶりが全くなくて。もしかして机の中や下駄箱に入っているのかって、探したりして……でもなくて」
「う、うん?」
「学校を出てからも、今日みたいに家の前で待っているのかな、とか。郵便受けに入っていたりしないかな、とか。それとも『渡すの忘れたっ!』って電話が来るのかなとか思ったりして、気づけば夜遅くまで起きていて……」
それで今朝の稔くん、寝不足気味に見えたんだ。
「結局朝になって。期待していた俺が馬鹿みたいに思えて。優希に八つ当たりして、本当に最低だよな」
「そんなことないけれど……」
でも、稔くんの話だと、それほどまでにチョコレートが欲しかった、ってことになるよね。
「稔くんって、そんなに甘いもの好きだっけ?」
甘いものが苦手じゃないことは知っているけれど、そこまでチョコが欲しいものなのだろうか。
僕が聞くと稔くんはため息をついた。
「正直、今のままの関係を壊したくなかったから、言うつもりはなかった。けれどもう一か月もしたら、三学期も終わって、来年は優希と別々のクラスになってしまうかもしれないんだよな。そうしたら今のような優希との接点もなくなってしまう」
稔くんが、僕の目をしっかりと見据えて言った。
「俺は、ただチョコレートが欲しかったんじゃない。優希からのチョコが欲しかったんだ」
「えっ――」
それって、まさか。え。でも、もしかして……
「変な話だけれど、バレンタインの日に優希からチョコをもらえなくて、逆に自分の本当の気持ちに気づいたんだ」
「ちょっと待って――」
「なんだよ」
話の腰を折られて、稔くんがさすがに不満げな顔をする。
いくら天然って言われている僕だって、稔くんがこれから何を言おうとしているかくらいは分かる。
けれど聞くわけにはいかない。
だって僕は――
「俺は優希のことが」
「――僕は、男の子だから!」
稔くんの言葉を掻き消すかのように――
気づけば、僕は大声で叫んでいた。
急に、吹きぬける北風の音が耳に入った。
目の前の稔くんは、身じろぎもせず、呆然と立ち尽くしている。
あ。
僕は慌てて口を押えた。けれど、もうとっくに手遅れだ。
言っちゃった。
言っちゃったよーっ。
長くなってしまったので、また変な所で区切ってしまいました。すみません
明日、次話も更新予定です




