バレンタイン(当日)
「今日は、チョコっと寒いねぇー」
朝食の席で、宏和伯父さんが急にそんなことを言い出した。
「こういう日は、甘いものがほしくなるよねぇ」
僕はどうしたらいいか分からず雪枝さんを見る。雪枝さんは華麗にスルーしている。絵梨姉ちゃんはいつものように先に学校に行っていて、朝食の席には不在。
仕方ないので、僕も気づかないふりをすることにした。
それにしてもお父さんといい、宏和伯父さんといい、男の人ってみんなこうなのだろうか。お母さん同士が姉妹なだけで血は繋がっていないはずなのに、こういうところはそっくりだ。――姉妹が似たような人に惚れたってことかな。
そういえば、お父さんからまだ連絡ないけれど、チョコ届いたかなぁ。
というわけで、本日2月14日。晴天。
いよいよバレンタイン当日である。
部屋に戻った僕は制服に着替え、もう一度確認して、カバンの中にチョコレートを詰め込んでいく。チョコを入れるため、今日だけは教科書ノートは学校に置きっぱなしにした。
前にも言ったけれど、うちの中学校はバレンタインデーには寛大で、当日のチョコの持ち込みも黙認されている。一部のチョコをもらえない男子から非難の声があがっているみたいだけれど、僕としては、せっかく用意したチョコを没収されたらやりきれないから、素直に嬉しいけどね。
よし。忘れ物はない。
確認を終えて、僕は部屋を出た。
☆☆☆
「はい。夢月ちゃん。いつもありがとう」
登校時のいつもの待ち合わせ場所で、僕は夢月ちゃんにラッピングしたチョコを手渡した。
いつ渡すか迷ったけれど、ずっとそわそわするのも嫌だったので、会ってすぐ渡すことにしたんだ。お父さんにチョコを送ったけれど、こうやって直にチョコを手渡しするのは、夢月ちゃんが記念すべき第一号だ。渡す僕としても、ちょっと嬉しい。
「ありがとう。……えっと、その、これ私からも……」
「えっ?」
まさか夢月ちゃんからもらえるとは思ってなかったので、思わず驚いてしまった。
そんな僕の様子に、夢月ちゃんが面白そうに笑う。
「なに? そんなに意外だった? ふふーん。私ももう中学生だからね。もらってばかりじゃなくて、ちゃんと友チョコのやり取りくらいできるんだから」
そう言って、カバンの中から様々なチョコが入った袋を取り出して僕に見せてくれた。チョコをくれた人に、お返しで配るつもりで用意したみたい。
でも僕にくれたチョコは、袋に入っている一口サイズのそれとは違って、文庫本くらいのしっかりラッピングされたチョコレートだ。
それってつまり。僕の為に用意してくれたってわけだよね。
「――夢月ちゃん、ありがとう! あ、あの、ホワイトデーには必ずお返しするからねっ」
「ちょっと待て。そしたら私もまた優希にホワイトデーあげなくちゃならないじゃん」
「あ、そっか」
僕は思わず頭に手をやって、二人して笑ってしまった。
反対の手に持つ夢月ちゃんからもらったチョコレートがとても大切に感じた。
食べたい。今すぐ開けて食べてみたい。
でも歩きながら食べるのはもったいない。学校でも、チョコの受け渡しは許可されているけれど、食べるのは禁止されている。
そうなると、結局、家に持ち帰るまで食べることはできないのだ。
「こんなことなら、帰るとき渡せばよかった……」
「私も」
思わずつぶやくと、同じことを考えていたみたいで、夢月ちゃんに同意されてしまった。
僕たちはまた同じように笑った。
「おはよー」
「お、むっきー、くりゅ。おはー」
教室に入るなり、男子たちの視線が集まって来るのを感じた。まさか僕や夢月ちゃんから貰えるとは思っていないだろうけれど、やっぱりこれって、バレンタインを意識しているんだよね?
ふっふっふ。今日は、男子の生殺与奪権を、僕たち女子が握っているのだ!
うん。なんだかとっても優越感。まぁチョコをあげるわけじゃないけど。
僕は席に着き、荷物を整理する。いつも僕たちより遅く来る稔くんは、まだ来ていない。
よし。今がチャンスだ。
「柚奈ちゃん。チョコだよ。いつもありがとう」
僕は素早くカバンからチョコを取り出して、柚奈ちゃんを始めとするみんなに配る。
「お。ありがと。じゃあ、私も」
「はいはーい。あたしからも、これあげるー」
とわいわいみんなが集まってきて、僕の手にあった四つのチョコレートがあっという間に、別のチョコレートにと変わった。うわぁ。どれも美味しそう。ラッピングも可愛い。みんなどこで買ったのかな。
みんなで集まったまま、チョコレートについて話していると、教室の後ろの扉から、義明くんの声が聞こえた。
「おはよう。お、どこからともなく、チョコレートの匂いがするぞ」
大多数の男子が女子の様子を伺っている中、さすが義明くん、直球だ。稔くんもいつものように一緒だ。
僕は慌てて、みんなから貰ったチョコレートを隠した。
「あらそう? ほら、いっぱいもらっちゃったからかしらん」
けれど柚奈ちゃんは、逆に見せびらかしたりする。あーっ。そんなことしたら、稔くんに見えちゃうよ。
そもそも義明くんと一緒にいたら、嫌でもバレンタインの話題になりそうだけれど、大丈夫かな。
今更そんな心配をしていると、稔くんが隣の席に着いた。
「優希、おはよう」
「お、おはようっ」
僕は挨拶だけして、すぐに稔くんから視線を逸らした。机の横にかけられているかばんに目をやる。
中には二つのチョコレートが入っている。耕一郎くんのと義明くんのだ。耕一郎くんの分は部活で渡すとして、義明くんのはどうしよう。
稔くんがいるすぐ横で渡すなんてできないし、こっそり呼び出して……ってわざわざそんなことをしたら、柚奈ちゃんにも変に思われてしまうかもしれないし。
というわけで……
「柚奈ちゃん。一緒にお手洗いに行かない?」
休み時間。柚奈ちゃんを女子トイレに誘っての作戦タイム。おお。なんか僕、すごく女の子している感じ。
「ほぉほぉ。義明にチョコ渡せなくて困っていると」
普段一人で用を足す派の僕に誘われて意外そうな顔をしていた柚奈ちゃんだったけれど、僕に相談を持ち掛けられて納得したようだ。
「てゆーか、なんでくりゅから義明の話題が出るかなぁ。くりゅの場合、渡せなくて困る相手は、普通違うっしょ」
「え、えーと……」
僕は口ごもる。渡せなくて困る相手、って誰だろう。
「別に私に気を遣わないで、ぱーっとあげちゃいなよ。ぐずぐずしてると、みのるんにチョコあげちゃうぞ」
「えぇっ。だ、ダメっ」
僕は慌てて柚奈ちゃんの言葉を遮った。
「冗談だって。心配しなくても誰もあげたりしないから。私も用意してないし」
そう笑う柚奈ちゃん。僕はほっとすると同時に、胸騒ぎを覚えた。誰も稔くんにチョコをあげないって……
「それって、去年のことのせい?」
「あぁ、チョコをくれた女の子を泣かした、ってやつ? うわさは聞いているけど、よくある話だし。みんなももう気にしてないよ」
「それじゃなんで?」
「そりゃ、ねぇ」
柚奈ちゃんは僕の顔を見て、にやっと笑った。
というわけで。
「はい。義明くん。義理チョコだよー。柚奈ちゃんじゃなくてごめんねー」
稔くんが教室を出た休み時間を狙って、僕は義明くんに用意していたチョコを渡した。やっぱり男子に渡すのってちょっと照れくさかったので、照れ隠しに「義理」や「柚奈ちゃん」という点を強調してしまった。
ちなみに柚奈ちゃんも席を外している。気を遣ってくれたのかな。さすが正妻の余裕だ。
「お。マジで? サンキュー。ゆーきが初めて女子に見えたわ」
「ちょ、ちょっと、何それっ」
軽口を言い合う。聞き捨てならないことを言われたけれど、まぁ喜んでくれたようで何より。
「……あの、稔くんには内緒で」
「ああ。分かってるって」
予想以上にあっさりと納得してくれた。
そっか。さすが親友。何だかんだで、稔くんのことを考えているんだ。
僕はほっとして、義明くんから離れた。
ちょうどそのとき、稔くんが戻ってきた。
危ない危ない。もう少しで見られるところだったよ。
にも関わらず、なんとなく稔くんの視線を感じた。僕は冷静を保ちつつ、稔くんを見上げるようにして尋ねる。
「ん、どうしたの?」
「……いや、なにも」
稔くんは小さく呟いて席に着いた。どうも今日は稔くんの視線を感じることが多いような気が……。僕が意識しすぎているからかな。
ちらりと横目で稔くんを見る。
稔くんはすでに教科書が机の上に置かれているのに、なぜか机の中を漁っていた。
「はい。耕一郎くん。いつもありがとー」
部活の時間。僕は早速耕一郎くんにチョコを渡した。
耕一郎くんは複雑そうな顔をして、ぽつりと聞いてきた。
「これって、義理チョコ?」
「いやいや、友チョコだよ」
僕はしっかりと訂正する。本命と義理しかないなんておかしい。友チョコっていい言葉だよね。
「もしかして、迷惑だった?」
「いや、そんなことないよ。ありがとう」
耕一郎くんがにっこりと笑った。
「良かった」
耕一郎くんにも想いの人がいるみたいだから、迷惑をかけてしまうんじゃないかなって心配していたけれど、大丈夫だったみたい。
「まぁ、正直言うと、複雑な気持ちだけれど、もらえないよりはずっと良いからね。――できれば別の形でもらいたかったけれど」
最後にぽつりとつぶやいた耕一郎くんの言葉を耳にして、僕は首をかしげた。
「あ、もしかしてチョコ苦手だったっけ? でもでも、甘いものって頭にも良いって」
僕のフォローに耕一郎くんが苦笑する。
「あら。先を越されちゃった」
そうこうしていると、沙織先輩も部室に入ってきた。
「はい、耕一郎くん。私からも」
僕に続いて、沙織先輩も耕一郎くんにチョコを手渡す。わぁ耕一郎くん、もてもてだ。
と冗談はさておき、沙織先輩、男の人になんて、といいつつ耕一郎くんにチョコを用意していたのは。やっぱり「男の人」としてカウントしていないからかなぁ。まぁ耕一郎くんいわく、沙織先輩のことは諦めたみたいだから、いいのかな。
「それとこれは優希ちゃんに」
「え? 僕に」
もしかしてくれるかな、って思ってはいたけれど、やっぱり実際にくれるとすごくうれしい。
「ありがとうございます。あの、これは僕から」
「本当? これ私にくれるの? ありがとう。嬉しいっ」
僕もチョコを差し出そうとすると、沙織先輩は感激した様子で抱きついてきた。
わわっ。抱きつかれたら、チョコを渡せないんだけどっ。
そんな僕たちの様子を、チョコを二つ貰って本来は主役の耕一郎くんが所在なさげに見ていた。ごめんなさい……ていうか、助けて。
とまぁ、そんなこんなで部活(といってもチョコを渡してバレンタインの話をしただけだけど)が終わって、下校の時間を迎えた。
部活によって終わる時間は違う。みんなはまだ終わっていないみたい。
教室で待っていてもいいんだけれど、今日は一人で帰ることにした。
帰り際、僕はふと稔くんの下駄箱に目をやった。上履きではなくスニーカーが入っている。まだ部活中なのだろう。チョコは入っていなかった。
僕はほっとして――我に返る。って、何やってるんだ。入っていたからって、勝手に取って良いわけないしっ。
僕は慌てて下駄箱から離れると、人目を気にするようにして、昇降口を飛び出た。
☆☆☆
家に帰ると、待望のチョコレートタイムである。
学校を出たときから感じていた、ちょっとしたもやもやも、チョコレートを食べているうちに、あっという間にどこかに行ってしまった。
「うーんっ。おいしい」
もらったチョコレートの数は五個。不思議なことに、男の子だったときよりもずっと多い。
それにただもらうだけじゃなくて、僕もみんなのチョコを選んで手渡したからかな。もらったチョコ一つ一つに、こめられた想いが感じられる。
僕がチョコをあげたみんなも、喜んでくれているといいなぁ。
……
うん。いろいろ考えて迷ったけれど、やっぱり決めた。
「――よしっ」
みんなのチョコレートを有難くいただいて、僕は立ち上がった。
「あら、優希ちゃん。どうしたの?」
「雪枝さん。ちょっと買い物に行ってくるね」
「え? 今から」
「うん。それと、夕食のあとでいいから、少し台所を貸してね」
僕はそう告げると、マフラーを巻いて家を飛び出した。




