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「それじゃねー」

「はい。また明日」

 始業式の翌日。今日も部活はなかったので、香穂莉ちゃんたちと一緒に帰って、駅前の道を通ることになった。

 学校では問題なかった。けれど駅が近づくにつれて、不安になってくる。

 昨日みたいになってしまったらどうしよう……。

 夢月ちゃんの家に、毎日のように押しかけるわけにはいかないし。

 そんな僕の気持ちとは裏腹に、動悸が激しくなってくる。ダメだ。やっぱり、今日もまた……

「優希?」

 隣を歩く夢月ちゃんが、僕の顔を覗き込んでくる。僕は笑みを作って誤魔化そうとした。

 けれど、そんな僕に向け、夢月ちゃんがぽつりとつぶやいた。

「……もしかして、駅?」

 夢月ちゃんの口から出た言葉に、僕はびくりと震えた。

「なっ、なんのことかな――」

「優希。カクシゴトヨクナイ」

「なぜに片言っ?」

 僕は思わず突っ込みを入れてしまい――それから、苦笑してしまった。

 やっぱり夢月ちゃんには隠し事できない。

 僕は一呼吸ついてから、事情を話した。

「そっか。ごめん。気づかなくて……」

 僕の説明をまじめな表情で聞いていた夢月ちゃんが、そのままの顔で頭を下げた。

「そんな……。僕の勝手な思い込みだし」

「でも辛いんでしょ?」

「う、うん……」

 僕がうなずくと、夢月ちゃんは僕を励ますように言った。

「よし分かった。優希、安心しな。もしそいつが来ても、私が守ってあげるから」

 夢月ちゃんがそう言って自分の胸を叩く。

「だ、ダメだよ。そんなのっ。危ないって」

「平気へいき。あいつに会ったら、こーやってやるから」

 夢月ちゃんはスカートの足を振り上げて、股間を蹴る仕草をする。

 確かに、夢月ちゃんは僕より運動神経もいいし、力も強い。

 けれど隆太と比べたら、やっぱりそこは男と女。体格差は明らかに違いすぎる。

「気持ちは嬉しいけど、危険だから! 夢月ちゃんまで怪我したり変なことされたら、僕……」

「はいはい。分かったから」

 僕がずいっと詰め寄るけれど、夢月ちゃんは笑ったままそれを受け流す。

 ダメだ。

 夢月ちゃんの性格は、よく知っている。

 いくら僕が止めたところで、僕が苦しんでいるのを知っている夢月ちゃんは、隆太を見た途端、仕返しをしようとするだろう。それに、僕がいないときにばったり隆太と鉢合わせしてしまう可能性だってある。夢月ちゃんは絵梨姉ちゃんが隆太を追うところを見ている。隆太の顔を覚えているかもしれない。 

 隆太だって、ところ構わずに、女の人にあんなことをしたりはしないと思う。

 けれどもし、夢月ちゃんに問答無用に襲い掛かられたら? 

 頭に血が上った隆太に、逆に反撃に遭うかもしれない。そして夢月ちゃんも……

 最悪な想像が頭に浮かび、僕は慌ててそれを振り払った。


 ――なんとかしなくちゃ。

 このまま、何もしないで時が経つのを待つだけではダメだ。

 これは僕と隆太の問題なんだ。

 僕自身の手で、解決しないと。



  ☆☆☆



「絵梨姉ちゃん。僕、隆太に電話して話し合おうと思うんだけど……」

 家に帰った僕は、絵梨姉ちゃんに相談を持ちかけた。

 すると絵梨姉ちゃんが顔色を変えて、強い口調でそれを否定した。

「駄目、そんなの。話をつけたいのなら、私が代わりに話してあげるから」

「でもやっぱり、直接、隆太と話がしたいんだ」

「いくら電話越しだからって、言葉も暴力になりうるのよ。酷いこと言われて、優ちゃんがもっと傷ついちゃうかもしれないのよ」

「……うん。でも……」

 僕がなおも渋ると、絵梨姉ちゃんは大きく息を吐いた。

「……分かった。優ちゃんの思うとおりにしてみなさい。でもいい? 会おうといわれても、絶対に、会っちゃ駄目よ」

「うん。わかった」

「私はそばにいた方がいい? それとも隣の部屋で待ってる?」

 絵梨姉ちゃんの言葉に、僕はしばらく考えて答える。

「……近くにいてほしい」

 電話にかける前に絵梨姉ちゃんに相談を持ちかけたのも、やっぱり一人で電話する勇気がなかったから。

 絵梨姉ちゃんは、何も言わず小さくうなずいた。


 

 隆太に渡された電話番号のメモを見ながら、その前に「184」と押す。

 これで非通知になるはず。大丈夫だよね?

 問題はこれで隆太が出てくれるかどうか。だけど、僕の番号は知られたくないし。

 何コールしただろうか。やっぱり出ないかなと、電話を切ろうとしたときだった。呼び出し音が突然途切れる。――電話がつながった。

 何か言わないと。

 けれどいろいろ頭の中でシミュレーションしていたのに、口がまったく動かない。

 そんな僕の耳に、ぼそっとした声が聞こえてきた。

「……優希か」

「あ、う、うん……隆太、だよね」

「……あぁ」

 思わず聞き返してしまうくらい、隆太の声は弱々しかった。

「あ、あの。どうして僕だって分かったの……?」

「非通知だったから……何となく」

「……そっか」

 もしかすると、隆太は僕からの連絡を待っていたのかもしれない。

 しばらく僕も隆太も無言になる。

「えっと、隆太、その、ちゃんと駅に帰れた?」

「……あぁ。間違えて曲がり角を一個すっ飛ばしたけれどそれだけ」

「そう……」

 よかった。あまり迷わずに駅まで帰れたんだ。

 あんなことをされたのに、そう思ってしまう自分が少し嫌になる。

「その……隆太、今は何をして――」

「何で……」

「え?」

「何で、普通に話してんだよっ。俺、優希に酷いことをしたのに。謝って済むようなことじゃないのに。

怒ってるんじゃないのかよ!」

 隆太の突然の怒声に、僕は思わず身を硬くする。

「ぼ、僕は……」

「――わりぃ。真っ先に謝らなくちゃいけないのに、何言ってんだろな、俺。優希に謝ろうにも連絡先知らないから、電話が来るのを待ってたくせに。こんなことばかり言って……」

 隆太の言葉を、僕はただ黙って聞き続けた。

「優希。悪かった。謝って済む問題じゃないけれど、本当にごめん」

 ――隆太に謝られた。

 あの素直じゃなくてめったに自分の非を認めない隆太に。

 けれど、僕の心にはまだ重い何かが覆いかぶさっているままだった。

 それはきっと。僕が聞きたかったのは、謝罪じゃないから。

 僕はそっと、隆太に乱暴に触られた自分の胸に手を当てながら、隆太に言う。

「……ねぇ。どうして。どうしてあんなことをしたの」

 口を開いた途端、頭の中の言葉がどんどん溢れてくる。

「僕、嫌だって言ったよね? 男の人がそういう目で見たり思ったりしてるのは分かっているつもり。けど、僕は嫌だった。やめてって抵抗したっ。それなのに隆太は無理やり乱暴なことしてきた。――友達だったのに!」

 一気に感情的になって涙がぽろぽろと零れ落ちる。

 そんな僕の背中を、絵梨姉ちゃんがそっと優しくさすってくれた。

「俺は、その――」

 最初は、冗談のつもりだったんだ――と、隆太がぽつりぽつりと話し出した。

 女の身体に興味があった。だから女になった優希が羨ましかった。元男だったし、少しぐらいなら触っても問題ないと思った。正直抵抗されると思っていなかった。優希に手を払われた瞬間、頭にかっと血が上って、気づいたら押し倒していた……と。

 僕は愕然とした。

 あれが……

 あれが冗談だって?

 手首を痛いほど掴まれた。押し倒されて頭と背中を強く打った。膝や肘がぶつかって痛かった。

 なにより、怖かった。みんなにも迷惑をかけてしまった。

 それが、冗談って……

「けれど、優希の下着――ブラを見た途端、変な言い方だけど優希が女だってことが分かって。急に取り返しがつかないことをしてしまったって動揺して……」

「……」

 そうか。

 昨日稔くんと仮定の話をしたとき、僕は「見も心も女だったら」と聞いた。

 けれど隆太にとって僕は、身は女だけれど、心は男のままだと思われていたんだ。 

 隆太は、僕が転校してからの一年――手術をして、どれほど苦労して女の子として過ごして来たか――を知らない。隆太がそう思うのも仕方ないのかもしれない。

「……もういい。ありがとう、素直に話してくれて」

 それは皮肉じゃなかった。

 ようやく、僕の心に掛かっていたもやのようなものが晴れてきた気がしたから。

 理由は分かった。けれど隆太が僕を男だと思っていたとしても、無理やり暴力を振るわれたことに変わりはない。

 今、僕は怒っている。

 電話する前に感じていた恐怖も、嫌悪感もない。ただ純粋に、隆太に対して怒っている。

 けれど……

 その一方で、僕は隆太との、色々な出来事を思い出していた。

 隆太とは、覚えている限り三回は、絶交している。

 給食で楽しみに最後まで取っていたエビフライを食べられたとき。ゲームのデーターを誤って消されたとき。駆けっこで手加減されたのを知ったとき。

 いずれも、今思い浮かべると恥ずかしくなってしまうほどの理由だ。

 それでもその当時は本気で怒っていた。もう二度と隆太と話はしないと思ってた。けれど、いつの間にか仲直りしていた。

 恐怖や嫌悪感を克服する方法は知らない。

 けれど怒りなら――許すことができるかもしれない。

 エビフライとあれが同じものだとは思わない。けれど、隆太が反省しているのは伝わってきた。後は、僕自身の問題だ。

「なぁ優希。……会って話すことできるか? 直接、謝りたいんだ」

「それは……ごめん、無理」

「そうか……」

 隆太が弱々しく呟く。その様子からして、無理やり、僕の前に来ることはなさそうだ。

「でも……」

 僕は続ける。

「いつか……、一年後か、五年後か、十年後か分からないけれど。こんなこともあったなぁって笑い話にできるように、僕がんばるから。そうしたらまた会えるかもしれないから」

「……なんで。なんで優希ががんばるんだよ。悪いことをしたのは俺だろ……っ」

「あはは……そう、だよね」

 隆太は何も言わなかった。ただ、電話越しに嗚咽のようなものが聞こえてきた。

「……隆太、もしかして、泣いてる?」

「なっ、泣いてなんかいねぇよ! 優希の方こそ、声が上ずってるぞっ」

「そ、そんなことないもんっ」

 そう言いながらも、僕の瞳が、熱く潤んでくるのが分かった。

 けれどこの涙は、さっき怒鳴ったときに出たものとはまったく違う、そんな気がした。

「じゃあ、隆太……」

 僕は少し考えてから、その言葉を口にした。

「――またね」

「……おう」

 ゆっくりと耳から携帯を離す。表示を見るとまだ通話中だったけれど、僕は迷わず電話を切った。


 …

 ……

 力が抜けた。

 僕は携帯電話を置くと、床に手をついて天井を見上げた。

「優ちゃん。お疲れ様。立派だったよ」

 絵梨姉ちゃんが、ぽんと僕の肩を叩いて言う。

「これで良かったのかな……?」

「どうかなぁ。私としては、ちょっと甘い気がして納得いかないけれど、優ちゃんが良かったと思うのなら、それでいいんじゃない?」

 納得いかないと言いつつも、絵梨姉ちゃんの表情は、まるで僕をねぎらうかのように明るかった。

「……うんっ」

 僕も同じような笑みが浮かぶのを感じた。

「なんか、ほっとしたらお腹が空いちゃった……」

「ふふ。それじゃあ、今日くらいは目いっぱい食べましょうか。そして思いっきり太ってから再会して、あいつの黒歴史にしてやってもいいかもね」

「ううぅ。それはやだな……」

 僕はそう言って、絵梨姉ちゃんと笑い合う。

 絵梨姉ちゃんとこうやって笑うのって、あの日以来かもしれない。

 ようやく隆太の件が、僕の中で決着したと感じた瞬間だった。


 しばらくしたら夢月ちゃんにも電話しよう。

 このことを報告して、そして今日は駅前で遊ぶんだ。


 隆太と会える日がいつになるかは分からないけれど。

 僕はもう大丈夫だから。



これで隆太の話はおしまいです。

隆太に甘い気がしますが、優希ならこうするだろうなと思ってこうなりました。


次回、どうでもいい話を挟んで、冬のイベントに行きたいと思います。

もう少しだけお付き合いいただければ幸いです。

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