初詣
上本先生は、僕の手術を担当してくれて、入院中もずっとお世話になっていた先生だ。僕の身体の異常に気付いてくれたのも、たまたま上本先生が、僕が引っ越す前に住んでいた近所の病院に往診に来ていて診断してもらったのがきっかけだった。
「おや。誰かと思えば、優希くんではありませんか。これはこれは。お久しぶりです」
やっぱり上本先生だ。
ここに初詣に来たってことは、近所に住んでいるのかな。
僕は上本先生のもとに駆け寄った。歩く方向からして参拝した後のようだ。
「お久しぶりです。声をかけたとはいえ、よくすぐに僕だと分かりましたね」
僕は自分の振袖をちらりと見て言った。最後に病院に訪れたのは、中学入学前の再検査のときだから、大体一年ぶりだ。晴れ着だし、そのころに比べたらずいぶん女の子っぽくなったかなと思っていたんだけれど。
「自慢じゃありませんが、患者さんの顔はしっかりと覚えているんですよ。取り間違えの無いようにね。はっはっは」
そう言って笑う姿は、懐かしい先生そのままだった。
「あの、元男なのにこんな格好していて、変に思いませんでしたか?」
入院前の僕を知っている先生に、ちょっと気にしていたことを聞いてみた。
「そんなことありませんよ。晴れ着姿、似合ってますよ」
「良かった」
上本先生って、あまりお世辞を言うタイプじゃないので、そう言ってもらって、ほっとした。
「全く連絡がないから、気にしていましたよ。まぁ、便りがないのはいい知らせと言いますけれどね」
「す、すみません。ご無沙汰しちゃって」
たまに会いに行きたいって思っても、病院ではお仕事中なわけで。遊びに行ったら邪魔じゃないかなぁなんて躊躇していたら、ついつい時が経ってしまったのだ。
「もっとも、優希くんのことは、炭谷くんから聞いていますけれどね」
「あぁ。そっか」
同じく僕を担当してくれた看護師の炭谷さんは、僕の部活の先輩のお姉さんなので、たまに先輩の家に遊びに行って会うこともある。そのときの様子を上本先生に近況報告してくれているんだろう。
入院していたのはだいぶ前のことなのに、まだ僕のことを覚えてくれて、気にしてくれるなんて、ちょっと驚いた。
「ちなみに炭谷くんといえば、私の今年の目標は、彼女と仕事以外で飲みに行くことです」
「ははは」
先生の冗談に僕は声を上げて笑った。
入院していて辛いとき寂しいとき、先生のこういうところに、よく助けられた。本当に感謝している。
そんな当時のことを思い出したら、不覚にも目の奥が熱くなった。
「それでは。これで。何かあったらいつでも来てくださいね」
「はいっ」
学校のことや入院しているときの昔話がひと段落して、僕は上本先生と別れた。
あ、せっかくだからお父さんたちを呼んで来ればよかったな。
けれど先生はもう行っちゃったし。ま、いっか。またいつか機会があるよね。
先生と話しながら少し歩いていたので、羽子板売り場からだいぶ離れてしまった。当然ながら、近くにお父さんたちの姿はない。
まったく、一人じゃ心配って言ってたくせに。
自分で勝手に離れたことを棚においてそんなことを考えながら歩いていたら、不意に、人混みの中から声をかけられた。
「あら。もしかして、優希ちゃん?」
えっと。今の声は……
声の方向に目をやる。そこに、ピンク色でもふもふとした可愛らしいコートに身を包んだ沙織先輩の姿が見えた。
「あ。沙織先輩。あけましておめ――」
「きゃぁぁ。やっぱり優希ちゃんなのね。振袖姿が可愛い~」
新年のあいさつもできないまま思いっきり抱きつかれた。わわ。振袖が乱れちゃう。
「さ、沙織先輩っ」
「ご、ごめんなさい。私ったら、つい……」
僕が声をかけるとようやく我に返ってくれた。
「いえ。沙織先輩。あけましておめでとうございます」
「はい。あけましておめでとう。振袖すごく似合っているわ。優希ちゃん見ていると、私も一度着てみたくなるなぁ」
「あ、ありがとうございます」
沙織先輩って良くも悪くも嘘を付けないって言うか、裏表がない人だ。それだけに、「似合っている」と言われて、とても嬉しい。
「髪飾りも可愛らしくていいわね」
「元の髪の毛があまり長くないから、髪飾りを付けただけで髪型は何もいじれなかったんですけど」
「そのままの方が優希ちゃんらしくて、いいわよ。絶対」
「そ、そうかなぁ」
さすがに褒められっぱなしで照れくさくなってきて、僕は話題を変える。
「ところで沙織先輩は、誰と来たんですか?」
「私? 私は家族と親戚と一緒よ」
「そうなんだ。僕も同じですよ」
なんて話していて気づく。あれ。沙織先輩の家族ってことは……
「栗山さん。あけましておめでとうございます」
「炭た――沙絵さん」
やっぱり。炭谷さんだ。上本先生と違って、沙織先輩の家にお邪魔したときに何度か会っていたけれど、同じ日に、担当の先生と看護師さんに会えるなんて、不思議な感じ。
「振袖姿、お似合いですね」
白いコートに身を包んだ炭谷さんはそう言うと、目を細めながらすっと顔を近づけ、沙織先輩に聞こえないように、こっそりと付け加える。
「――女の子としての生活を満喫されていて、嬉しいです」
妹の沙織先輩と違ってあまり喜怒哀楽を顔に出さない人だけに、こう言われると、素直に嬉しい。振袖効果、恐るべし、だ。
「あ、さっき、上本先生と会いましたよ」
「そうですか。それでは鉢合わせしないよう早めに退散するといたします」
上本先生のことを話したら、途端にいつものようにそっけなくなってしまった。
「プライベートで飲みに行きたいって言ってましたよ」
「……そうですね。栗山さんもご一緒なら考えておきますね」
ちょっと踏み込んで言ってみたら、炭谷さんは苦笑しながら答えた。
――何か、離婚した父親と母親の仲を取りもっている、子供みたいだなぁ。
そんなことを考えて可笑しくなっていたら、また別の人から声をかけられた。
「栗山さん。あけましておめでとう」
「え、耕一郎くん?」
クラスメイトの耕一郎くんだ。なんで炭谷さんと……って思ったけれど、よく考えたら従姉弟同士だもんね。僕が絵梨姉ちゃんと一緒に来るのと同じようなものか。
「あけましておめでとう。沙織先輩たちと一緒に来たの?」
「うん。栗山さん。晴れ着なんだね。えっと、その……似合ってるよ」
「ありがとう。でも、褒める相手が違うんじゃないの?」
振袖の話題が続いたので、僕はさらりと流して言った。まぁ沙織先輩は晴れ着じゃないけれどね。
すると耕一郎くんが、少しばつの悪そうな顔をしつつ、僕にそっと告げた。
「そのことなんだけど、実は沙織さんのことは、諦めたというか……」
「えーっ」
僕は思わず大きな声を上げてしまった。沙織先輩たちが怪訝そうな目でこっちを見てきて、耕一郎くんがあわてた様子をみせる。ごめんなさい。でも「えーっ」だけなら、問題ないよね。
「どうして? せっかく同じ部活に入ったのに」
「……うん。そうなんだけど、やっぱり従姉弟同士だし、沙織さんに対する気持ちは、いわゆる『好き』とは違うんじゃないかなって」
「そうなんだ」
僕が残念げに言うと、耕一郎くんは少し言いにくそうに僕から視線をそらして続けた。
「というのも、別に気になる人が出来てね。それで、その人に対する気持ちと沙織さんに対する気持ちが異なっていて、気づいたんだよ」
「おおっ。ねぇ、その気になる人って、誰だれ?」
新年早々の衝撃告白! 僕は沙織先輩たちに聞かれないようずいっと耕一郎くんに顔を近づけて答えを待つ。すると耕一郎くんはやっぱり恥ずかしいのか顔を赤くして、僕から少し身を引いてこっそりと告げた。
「それは秘密。けれど、その人には他にお似合いの人がいるんだ。だから、いまさら僕が出しゃばってもかえって混乱させちゃうだけなんで、黙っているつもり」
「えー。そんな……ぁ」
思わず不満げな声を上げる僕に、耕一郎くんは笑ってみせた。
「出来ることなら、早く結ばれて僕をきっぱり諦めさせてほしいから、今日はそのことをお願いしてきたよ」
「……うーん。耕一郎くんがそう考えるのなら仕方ないけれど」
僕としてはちょっと残念な気持ち。なんていうか秀才な耕一郎くんらしい考え方だよね。分析だけしておしまいって。その相手の人の気持ちを考えるのはいいけれど、耕一郎くんはそれでいいのかな?
「それじゃ、頑張ってね」
そう言ったら、耕一郎くんに苦笑された
確かに、その人次第だから頑張りようがないけどね。
☆☆☆
耕一郎くんたちと別れて、また一人になってしまった。
羽子板売り場に戻ってみたんだけど、お父さんたちの姿はなかった。どうやら入れ違いになってしまったみたい。まぁ、いざとなれば携帯電話があるから問題ないけれど。
それにしても、今日は色々な人に会うなぁ。
この調子だと、他にも知り合いが参拝に来ているかもしれない。
夢月ちゃんが着くのにはもう少しかかるだろうから、お父さんたちを探すついでに、知り合い探してみようと本殿に向かう人の列に視線を移したら、参拝を終えて戻る人たちの中から、あっさりと知り合いを発見してしまった。
「あっ、稔くん! おーいっ」
僕は人混みに向けて、背伸びをしながら大きく手を振った。
人がいっぱいいるし、僕の背が小さいから気づいてくれないかな、って思ったけれど、稔くんはどうやら気づいてくれたみたいで、こっちに向かって来た。
「栗山も来てたのか、一人?」
「家族と来てたんだけどはぐれちゃって。稔くんは?」
「うちは家族と」
「へぇ。どこにいるの?」
「向こうでおみくじ引いてる」
「あ、そういえば、まだおみくじ引いていなかったっけ」
と、稔くんとそんな会話をしながら、僕はふと気づいた。
みんなから開口一番に言われていたことを、稔くんからは言ってもらってない。
「そうだ。稔くん。なんか僕に言うことはないの?」
僕は振袖を見せつけるようにして言った。
「あけましておめでとうございます。今年も一年宜しくお願いします」
「あ、あけましておめでとう。今年もよろしくね。――ってそうじゃなくって」
僕はもう一度振袖を振った。
そんな僕を見て稔くんが一言。
「……重そうだな」
「うん。動きにくいしね――じゃなくて」
もぉ。一言「似合ってる」って言ってくれればいいのに。
稔くんも僕のそんな気持ちが分かって、わざと言わないようにしているみたい。なんか最近、稔くんが僕の扱い方に慣れてきた気がする。むぅ。
ま、いっか。あえて言わないってことは、それだけ意識しているってことだもんね。
でも……
本当にそうかな……。それって、あくまで僕が勝手に思っているだけだよね?
まったくの無関心なら、まぁ仕方ないけれど、もしかして、似合っていない、って思われていたらどうしよう。急に不安になる。
「あの、稔くん。僕の振袖、似合ってない……?」
ストレートに聞くのはなんか負けた気がしていやだったけれど、つい口に出てしまった。
すると稔くんは頬をぽりぽりとかきながら、少し視線をそらしつつ、ぼそっとつぶやく。
「……いや、その、似合ってる。普通に可愛い……と思う。一般的に」
「よかった……。って、一般的に、は余計だよ」
僕はぶすっと膨れて見せた。けれど少なくとも似合っていないとは思われていないみたいで、ほっとした。
「ねぇねぇ。稔くんはもう参拝した後だよね? 何をお願いしてきたの?」
「さぁな」
意味ありげな顔をして笑う。
そんな稔くんに対し、僕はさっきのお返しとばかりに、言ってやった。
「僕はね、稔くんが僕のことを名前で呼んでくれるように、ってお願いしたんだよ」
僕のセリフに、稔くんがぽかんとした顔を見せた。
嘘ではない。ちゃんと、みんなともっと仲良くなりたい、ってお願いしたもん。稔くんに苗字で呼ばれるのは他人行儀だなぁ、って思っていたのも事実。
けれど稔くんは恥ずかしいのか、僕が何度か名前で呼んでいいよ、って言っても拒むし。ふふふ。だからこのお願い事には、きっと戸惑うはず。
「――優希」
「え?」
一瞬、お父さんに呼ばれたのかと思った。
けれど目の前にいるのは稔くんなわけで。
「だから、優希って呼んだんだよ。良かったなー。願いがかなって」
あっさりと言われてしまった。気のせいか、呼び慣れている感じがするけど。
ま、いっか。お願いの一つが叶ったのは事実だし。
「それじゃ、僕のお願い事は言ったから、次は稔くんが言う番だよ」
「っておい。いつからそういう話になったんだよ」
「――俺の願いは、うちの優希に悪い虫が付かないようにって、何を――いだだ」
「あ、お父さん」
ようやくお父さんに会えた。何かを言いかけて、なぜかお母さんに耳を引っ張られているけれど。
「あけましておめでとう。確か、金子稔くん、よね」
「あ、はい。あけましておめでとうございます」
お母さんの挨拶に、なぜか稔くんが緊張した面持ちで返す。夏休みのとき会っているから、初対面じゃないのにね。
「お友達が来たようだから私たちは先に帰るわね」
お母さんが、いまだにお父さんの耳を引っ張りながら、僕に言った。
「あ、うん。でも……」
夢月ちゃんが来るまで待っているんじゃなかったっけ。
僕としては稔くんでも構わないけれど。
なんて思っていたら人混みの中から僕を呼ぶ声が聞こえた。
「おーい。優希ー」
夢月ちゃんだ。期待していなかったけれど、晴れ着ではなくいつものコート姿だ。夢月ちゃんの振袖姿見てみたかったんだけどなぁ。
って、あれ? 夢月ちゃんの隣にいるのは……
「ほら見ろ。やっぱり優希、浴衣着てたでしょ。私の勝ちだね」
「くぅぅ。私もそんな気がしてたんだけどなぁ。むっきーに先に言われちゃったし」
柚奈ちゃんだった。こちらもコート姿だ。一緒に来たのか途中で合流したのか分からないけれど、どうやら僕の服装で賭けをしていたみたい。――でも、夢月ちゃん。これ、浴衣じゃなくて、振袖だから。
「二人ともあけましておめでとう」
「あけおめー。おじさんとおばさんも、あけましておめでとうございます」
「おお。おめでとう。今年も優希をよろしくな」
夢月ちゃんたちの登場に、お父さんの機嫌も直ったみたい。
「あれ? 金子も一緒?」
「うん。さっき偶然、会ったんだ」
「そういえば夏祭りもそんな感じだったな」
稔くんが言う。そうそう。そんなこともあったっけ。懐かしい思い出だ。
もっとも夢月ちゃんには負い目があるみたいで、ばつが悪そうに頭をかいた。
「いや、あのときはつい、ね。優希を置いてきぼりにして悪かったよ」
「今日だって、駅方面からの道がなくなっているの忘れて回り道する羽目になって、くりゅを待たせちゃったしねぇ」
「うるさい。あそこ昔は近道だったじゃん」
「あぁ、そういえば、いつの間にか、あの道なくなったよなぁ」
稔くんも話題に加わった。こういう地元ネタだと、僕はちょっとついて行けない。転校してきたから仕方ないけれど、やっぱり少し寂しい。
そんな僕の気持ちに気づいてか、柚奈ちゃんが話題を変える。
「くりゅ。いいねぇ。振袖。すごく似合ってるよん」
「ありがとう。柚奈ちゃんも着てみればいいのに」
柚奈ちゃんなら振袖も持っていそうな気がして言ってみたんだけど、柚奈ちゃんが苦笑いして答える。
「いやぁ。和服って、体型が出るじゃん。私が着るさぁ、どうしても胸が――」
「優希、自慢が来るぞ。逃げろっ」
「わぁぁ」
柚奈ちゃんの言葉が終わらないうちに、僕と夢月ちゃんは合わせるように駆けだした。晴れ着に下駄だから少し態勢を崩しかけたけれど、夢月ちゃんが手を取って支えてくれた。
「あれ?」
「どうしたの、優希」
「えっと。なんとなく、ここ見た気が」
僕たちの目の前には、たくさんの達磨が並んでいた。赤一面で圧巻の光景なんだけれど、さすがにこれだけ並んでいるとちょっと怖いというか。
「そういえば、優希。この達磨を見て、よく泣いていたなぁ」
「え?」
後ろから聞こえたお父さんのつぶやきに、僕は思わず振り返った。
「なんだ、覚えていないのか」
「僕、ここに来たことあるの?」
「そうか。最近は来ていなかったからな。優希が小さい頃はよく宏和さんのうちに年賀の挨拶に行って、建ちゃんと絵梨ちゃんと一緒に、この神社に来ていたんだけど」
「そうなんだ……」
建兄ちゃんと絵梨姉ちゃんと一緒に神社にお参りに行って遊んだ記憶は確かにある。そっか。あの神社って、ここだったんだ。
「へぇ。じゃあ、小さい頃、私も優希と会っていたかもしれないんだね」
夢月ちゃんの言葉に、僕は小さくうなずいた。
ここは。この町は。僕の故郷でもあるんだ。
そう考えると、なんか嬉しくなった。また少し、夢月ちゃんたちとの距離が縮まった気がした。
「ん? 優希、どしたの」
「ううん。なんでもない」
まだ新年始まったばかりだけれど。
みんなに会えてとても幸先のいいスタートだった気がする。
今年もいい年になるといいな。




