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お別れ

 1月8日、新学期が始まった。六年生の三学期。あと数か月で小学校も卒業である。

 僕、栗山優希は、いつもの通り黒いランドセルを背負って学校に向かった。


 入院の方は、薬による治療と手術に向けての検査を受けたくらい済んで、翌々日には退院できた。もちろん手術が中止になったわけではなく、一時退院のようなもの。手術を執り行う上本先生の日程の調整とか、性転換手術を行うためには許可が必要とか、色々あるみたい。

「よう。優希。冬休みはどうだったか?」

「おはよう。隆太。寝てばかりだったよ」

「はは。お前らしいな」

 校門で顔を合わせた友達の坂田隆太とそんな会話を交わしながら、僕たちは校舎に入った。

 病気のことは、学校の皆には話していない。前と同じように男子として登校している。服装はすっかり恒例となった厚着に加え、お母さんの提案で胸にサラシも巻いている。胸のことは、とにかく絶対見られないように気づかれないように、とお母さんにきつく言われている。かなりナーバスになっているみたい。

 ……まぁ僕の胸の大きさだと、巻いたタオルの厚みとそれほど変わらないような気がするけどね。

 階段前で隆太と別れて、僕は男子トイレに入って用を足した。

「……やっぱり、女の子って、言われても。しっくりこないなぁ……」

 普通におちんちんの先から出るおしっこを眺めながら、僕はぼんやりと呟いた。

 手術して女の子になったら、もう男子トイレには入ることができないんだよね? そう考えると、なんか今の時間がとても貴重な気がしてきた。

 ――って、たかがトイレなのに。

 僕は思わず笑ってしまった。

 教室に入って、久しぶりに会うクラスメイトに挨拶しながら席に着く。ランドセルの中身を整理しながら、僕はなんとなく、集まって談笑している女子の集団を眺めた。

 冬だからか、スカートの子よりズボンの子の方が多い。髪の毛の長さはまちまち。同じような長さでも、みんな髪型が微妙に違っているし、僕が知らないような服を当り前のように着こなしている。身長や胸の大きさもばらばら。大人のような子がいる一方で、ぺったんこの子も多い。

(僕が薄手のセーター一枚着た状態だと……中村さんみたいな感じになるのかな……)

 僕と同じくらいの身長の大人しげな同級生を見る。彼女の胸部は、手のひらを重ねた程度に膨らんでいる。あれくらいの大きさの場合、ブラジャーとか付けないといけないのだろうか……

「よう。優希。お前もついに女に興味を持つようになったか」

 なんて感じで僕が女の子を見ていると、隆太に後ろからどつかれた。

「いや、その……そういうわけじゃ」

「はっはっは。隠すなって。しかも胸見てただろ。むっつりスケベめ。でも永江の胸ってでかいよなー。触ってみたくね?」

「い、いや……」

 普段は、僕がこういう話に興味を示さないからしなかっただけなのか、隆太がノリノリで話してくる。ちょっと新鮮だけれど、これからは見られる立場になるのかと思うと、正直複雑な気持ち。

(隆太に、実は僕女の子でした、って言ったら、どう思うんだろう……?)

 そんなことを考えていると、担任の田辺先生が来た。

 先生は挨拶をしたあと、「みんなに伝えなくてはいけないことがある」と前置きをして言った。

「あー。突然だが。栗山優希くんが一月いっぱいで転校することになった。しかも海外だそうだ」

「えーっ」

 クラスの反応。なんか「笑ってい○とも」を思い出してしまった。

 集まったみんなの視線に、僕はこくりと小さくうなずいた。



 こんな時期での転校には、もちろん理由がある。

 今まで男子として学校に通っていた僕が、急に女子となって現れたら、注目の的となる。興味本位で近寄ってくる人もいるだろう。もちろん学校だけじゃなくて、子供から親に、近所にと広がって、あらぬ噂が立つかもしれない。

 そんな風評被害を防ぐため、男子のまま今の学校を転校してから手術を受け、女子としてまったく新しい学校に転入することにした。それが一番騒ぎを大きくしない方法だと、家族みんなで出した結論だった。

 それにお父さんの事情もある。転勤があるかも、って言っていたけれど、国内どころか海外赴任が決まったのだ。長期滞在になる予定。僕の病気のことを言って断ることもできたけど、会社の問題もあるしお金も必要になるので引き受けたらしい。お父さんには環境を変えるにはいいチャンスだから一緒に来るか、と誘われた。けど、さすがに海外は変えすぎだと思って僕は断った。

 つまり、海外へ転校というのは嘘。僕は日本に残り、親戚の家に預けられることになっている。

 一方で、お母さんはお父さんと一緒に本当に海外に付いていくことになった。「優希が大変なときに一人残して海外に行くなんて」と渋ったけれど、お父さんと、お母さんのお姉さん(僕を預かってくれる予定の人)の説得により、お母さんもそれに従うことになった。

 二人が言うには、お母さんは僕のことでショックが大き過ぎて、少し離れてみたほうがいいんじゃないか、ということだった。実際、お母さんの前で女の子の話をすると、急に不機嫌になることも多くて、僕のことをまだ現実として受け止められていない気がする。まぁそれは僕も似たようなものだけどね。

 一月いっぱいまでは、いろいろ準備しながら今の小学校に通って、二月の初めに入院して手術を受ける。

 手術後は、病院で治療・リハビリ・検査を繰り返し、退院後に親戚の家にお世話になる。その間、お父さんは一足先に海外に行って、お母さんはお母さんの実家から病院に通う予定。二月から転入することになる海外の学校は、籍だけ置いて登校する予定はないし、そこから日本の中学校に転入する手続きも、お父さんがうまくやってくれるみたい。

 そして四月から、僕は親戚の家の近くにある公立の中学校に、女の子として入学する。中学入学だけでも一大イベントなのに、それに女子デビューまで加わるのだ。そのことを考えるとお腹が痛くなる。

 あ、お腹で思い出したけど、生理の方は手術するまでは薬で抑えることになっている。いろいろ説明を聞いたけれど、女の子になってからは自分で処理しなくてはいけなくて大変そう。

「優希もいろいろ大変だな。こんな時期にまた転校なんて。しかも海外って」

 後ろの席の隆太が僕の背中を叩いて言った。

「うん。まぁ。慣れているけどね。英語は苦手だけど」

 僕のお父さんは今回の海外赴任もそうだけど、転勤族である。そのため学校はころころ変わっている。実際この学校に転入したのも五年生の二学期から。隆太との付き合いも一年くらいだ。それでも一番仲良くなれた友達だった。

「中学校も一緒だと思ってたのになぁ。優希も大変だろうけどがんばれよ」

「うん。隆太も。――って、今日すぐ転校するわけじゃないからねっ」

 そう言って僕は笑った。

 


 それから三週間。思ったよりしんどかった。

 男の子として学校に通っているけど、本当は女の子なんだと考えると、周りが違って見えてくる。なんか頭の中が混乱するというか。

「優希くんが、男性としての精神的な二次性徴が現れていなかったのは、精巣がないからか、単に奥手だったのか分かりませんが、結果的には良かったですね」

 と上本先生には言われている。

 確かに、隆太と違って、女の子をえっちな目で見ることはあまりなかったし、女の子を好きになることもなかった。……まぁそれでもパンチラや可愛い女の子にはついつい目が行っちゃってたけど。

 けどもし、僕が本気で女の子を好きになって結婚したいと思っている状態で自分が女だと知ったら、今よりずっとショックが大きかったかもしれない。あれから勉強して知ったけど性同一性障害っていうのは大変だと思う。

 家では引越しの準備。その間、病院にも行って、治療に検査、さらには手術や戸籍変更に必要な書類を読んだりサインしたりと……

 まだ生まれて十二年だけれど、今までで一番忙しかった時期だと思う。嬉しくない意味で充実していたというか。

 月末には、学校で簡単なお別れ会も開いてくれた。転校先の学校はあくまで籍だけ置いて通学することはない。だからこれが僕の小学校最後の日だった。もちろんみんなには内緒だけど。

 女の子になったことを隠す以上、みんなとはもう会えない。僕はまだ携帯電話を持っていないので、向こうから直接連絡が来ることはない。転校が多くてこういうことには慣れているけれど、やっぱり寂しいことに変わりはない。

 もう隆太やみんなと二度と会えないと思うと、涙が出てきた。

「ばーか。何泣いているんだよ。一生会えないわけじゃないし、向こうで落ち着いたら、連絡をくれよ」

「う、うん」

 落ち着いたら。

 女の子の生活にも慣れてきたら。一度くらいは顔を見せに行ってもいいかな。

 僕は無理やり笑顔を作りながら、そんなことを考えた。



 そして翌日。僕は家から病院へと「引っ越し」した。


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