絵梨姉ちゃん
「……うーん。そうきたかぁ」
「えへへ。この手はきついでしょ」
秋晴れの空が広がった、とある日曜日の午前中のことである。
僕が宏和おじさんと将棋をしていると、絵梨姉ちゃんが一階に降りてきて、台所にいる雪枝さんに言った。
「ちょっと出かけてくるね。夕飯までには帰るけれど、お昼はいらないから」
絵梨姉ちゃんは、秋物の赤いセーターに、白いふわりとしたミニスカートという服装だ。どちらかというとパンツ派の絵梨姉ちゃんのスカート姿は意外と珍しい。そのスカートもうっすら花柄が描かれている可愛い系だし。
ということは、もしかして――
「ええ。分かったわ。行ってらっしゃい」
そう言って送り出す雪枝さん。それに合わせて、僕も慌てて立ち上がった。
「あっ、そういえば、僕も用事があったんだ。お昼はいらないからっ」
「えーぇっ」
対局途中で席を立たれ、宏和おじさんが不満げな声を上げる。ううっ、ごめんなさい。けど、彩ちゃんとの約束だから仕方ないんだよ。
僕は二階に駆け上がると、外行きの服に着替えながら、携帯片手に彩ちゃんに連絡を取った。
☆ ☆ ☆
ことは数日前にさかのぼる。
彩ちゃんが僕の部屋に来て遊んでいたときのことだ。
「絵梨さんって、大人っぽくって、綺麗だよねー」
たまたま出かけるところの絵梨姉ちゃんを見かけた彩ちゃんが、読んでいた漫画を放り出して僕に話しかけてきた。
「うん。そうだよね」
自分のことじゃなくても身内を褒められると嬉しいものだ。けれど彩ちゃんの話は、褒めるだけでは終わらなかった。
「ねぇねぇ。絵梨さんって、付き合っている男の人っているの?」
「えっ? えーと、さぁ。どうなんだろう……」
少なくとも当の本人からそういう話は聞いていない。
僕がそう説明すると、彩ちゃんは不満げに頬を膨らませた。
「えーっ。姉妹なのに、そういう話とかしないのー?」
「う、うん。――ていうか、絵梨姉ちゃんは従姉で姉妹というわけじゃないけど……」
「似たようなものだよー。一緒に住んでいるんだし」
「そうかな……ぁ」
彩ちゃんには内緒だけれど、元男として絵梨姉ちゃんと接してきた時間が長いせいか、姉妹というより、姉弟的な印象の方が強いんだけどなぁ。
とはいえ、彩ちゃんに言われて、僕はあることに気づいた。
彩ちゃんには小学生の弟が二人いる。夢月ちゃんは、全寮制の学校に通っている双子の弟がいる。香穂莉ちゃんには年の離れたお兄さんがいて、柚奈ちゃんは一人っ子だ。
つまり、年の近い女性(しかもみんなが憧れる女子高生!)と一緒に暮らしているのは僕だけということに。
「それじゃ、絵梨さんの部屋を調べてみよっか。彼氏の痕跡とか出てくるかもしれないよー」
「ダメダメっ。そんなことしたら、僕、殺されちゃうよ」
殺されちゃう、はさすがに言葉のあやだけれど、勝手に部屋を漁ったりするのは良くない。絵梨姉ちゃんからきついお仕置きが待っているのは目に見えているしね。
「よしっ。だったら、今度尾行して調べてみよーよ。というわけで、絵梨さんがデートに行くような格好して出かけたら、私に連絡お願いねー」
「えぇーっ」
☆ ☆ ☆
――と、まぁ、そんなことがあって、彩ちゃんに連絡したんだけど……
「もう。遅いよ。絵梨姉ちゃん、もう行っちゃったよ」
「だいじょーぶ。ちゃんと抜かりはないから」
彩ちゃんと合流したのは、僕が着替えて家を出てだいぶ経った後だった。電話した時の反応からして、きっとまだ寝ていたんだと思う。当然、先に出た絵梨姉ちゃんの姿はない。
彩ちゃんは比較的ボーイッシュな服装が多いんだけど、今日はフリルがいっぱいついたいわゆる「ゴスロリ」な格好をしている。絵梨姉ちゃんとは顔見知りなので変装のつもりらしい。ちっちゃな彩ちゃんには似合っているんだけど、田舎町だとだいぶ浮いて見える。ちなみに、サングラスまで持参していて、僕にも「はい」と渡してくれた。――これをかけろと?
その僕はと言うと、薄手のピンク色のカットソーに、黒地に白のラインが入ったプリーツのミニという格好。実はこれ、稔くんや義明くんと初めて外で遊んだときにきていた組み合わせだったりする。絵梨姉ちゃんに「秋に春物を着るのはあまり感心しないわね」と言われちゃったけど、別に気温は同じくらいだしいいような気がする。もっとも、身体が成長しているので少しきつい感じ。来年の春には着られなくなっちゃうかな。
「抜かりはないって……?」
「うん。絵梨さんは自転車じゃなくて歩いて家を出たんでしょ。ということは駅に向かったんだよね」
「う、うん。たぶん」
駅にも無料駐輪場があるけれど、だいぶ駅から離れているので、自転車での移動時間に加え、そこから駅まで歩いていくことを考えると、僕の家からは、直接駅に歩いて行っても大して変わらなかったりする。
と、携帯電話が鳴った。
誰からだろう、と表示を見てみたら、香穂莉ちゃんからだった。
「もしもし?」
「あら? 優希さん? やだ、私ったら彩歌さんにかけるつもりが間違えてしまいました」
「彩ちゃんなら隣にいるよ」
「そうですか。それでしたら、絵梨さんは上り方面の列車に乗った、とお伝えください。私も後を付けますので」
それだけ言って、通話が切れてしまった。
なるほど。駅の近くに住んでいる香穂莉ちゃんに尾行をお願いしたってわけだ。それにしても……なんか、香穂莉ちゃんも、ノリノリなんですけど。
澤所駅。県内有数の駅で、それなりに遊ぶところも多い。アーケード街には県外からもたくさんの人が集まってきてにぎわっている。僕たちのような小中学生もたくさんいる。
「うーん。タコスって美味しいっ」
「優希ちゃん、タコス食べるの初めて?」
「うん。運命の出会いって感じ。まるで隠された自分がよみがえるような……」
「よしっ。じゃあそのよみがえった力で絵梨さんを探すのだ!」
そのアーケード街を、僕と彩ちゃんはのんびり食べ歩きをしながら、絵梨姉ちゃんを探していた。というのも香穂莉ちゃんが駅を出て少ししたところで絵梨姉ちゃんを見失ってしまったからだ。現在、香穂莉ちゃんは見失った辺りを調べている。
妙に乗り気な香穂莉ちゃんと、作戦発案者の彩ちゃんと違って、僕は少し冷めていたりする。確かに絵梨姉ちゃんはいつもと違った可愛らしい格好をしていたけれど、そういう気分だっただけで、どうせ女友達と一緒というオチなんだろうなぁって思う。
「いました。絵梨さんをみつけました」
香穂莉ちゃんから連絡が入った。さらに、興奮した様子で続ける。
「男の人と一緒です。一対一です。仲睦ましげで、腕を組んでいます!」
「おおっ」
僕と香穂莉ちゃんの電話でのやり取りを、顔をくっつけるようにして聞いていた彩ちゃんが嬉しそうな声を上げる。僕から携帯を奪いかねない勢いだ。
そっか。絵梨姉ちゃん、彼氏いたんだ。――まぁ、綺麗だし、当然だよね。
なぜだろう。僕はちょっとだけ複雑な気持ちだった。
香穂莉ちゃんの指示を受けながらアーケード街を歩き、ようやく香穂莉ちゃんと合流する。尾行するためか、香穂莉ちゃんはいつもと違って動きやすそうなジーンズ姿だった。
「ねぇねぇ。絵梨さんたちは?」
「こちらです。このブティックに今さっき、寄り添うように入ったところです」
香穂莉ちゃんに案内され、僕たちも店に入った。
そしてすぐ、一組のカップルを見つけた。女性のほうは間違いなく絵梨姉ちゃんだった。隣に立つ男の人は、大学生くらいかな。後姿なので顔は見えないけれど。女性向けの店に、少し戸惑った様子が感じられる。その男性がちらりと横顔を見せる。
店内はそれなりに広くてお客さんも多いので、こっそりと絵梨姉ちゃんの様子をうかがうには問題なかった。
絵梨姉ちゃんが男の人から少し離れた。どうやらお手洗いに行くみたい。
チャンスとばかりに、僕たちは近づいて男の人の様子を探ろうとする。
あれ? あの男の人、どこかで見たような……
……
…………
「あっ! 建兄ちゃんっ!」
「え?」
僕の言葉に、彩ちゃんたちが声を上げ、前にいる男性も振り返った。その顔は……うん、建兄ちゃんで間違いなかった。
「建兄ちゃん、どうしたの? いつこっちに来てたの? 言ってくれれば良かったのに」
僕がそうやって詰め寄ると、建兄ちゃんが驚いた様子で口にした。
「え? もしかして……優坊か?」
「そうだよ。夏休みにも会ったじゃない」
「いや……家で会ったらすぐ分かるけど、街中で女友達と一緒にいたから誰だか気づかなかったんだよ。普通に女の子に溶け込んでいて驚いたよ。とても、元男とは――」
「わわわっ」
僕は慌てて建兄ちゃんの口を押える。そして小声で文句を言う。
「……もぅ。みんながいるんだから気を付けてよ。優坊も禁止っ」
「あれ? 昔のこと秘密にしているんだっけ?」
「当たり前でしょっ、もぉ」
なんて感じで建兄ちゃんと言葉を交わしていると、くいくいと、彩ちゃんに服を引っ張られた。
「えっとー。この男の人って、優希ちゃんの知り合い?」
「うん。僕の従兄の建兄ちゃん。絵梨姉ちゃんのお兄さんだよ。今は一人暮らししてるの」
僕が説明すると、彩ちゃんが驚いたように声を上げた。
「ええっ。ということは、兄妹での『禁断の恋』っ?」
「なんでそうなるんですか」
彩ちゃんのボケに香穂莉ちゃんが冷静にツッコミを入れる。
「きっと絵梨さんは、久しぶりにお兄さんに会うのを楽しみにしていた、お兄さんっ子なんですよ」
「いや。たぶんそれも違うから……」
そういえば、香穂莉ちゃんって、けっこうブラコン的な所があるんだよね。自分を反映しているのかな。
「あら? 優ちゃんじゃない。こんなところで会うなんて奇遇ね」
そうこうしていたら、絵梨姉ちゃんがお手洗いから戻ってきてしまった。
「それとも、私を付けて来たのかしら――?」
「あわわっ」
彩ちゃんが慌ててサングラスを外したけれど、時すでに遅し、だった。
仕方なく僕が事情を説明すると、絵梨姉ちゃんはむくれた様子で答えた。
「……まったく。私は、兄さんに付き合わされていただけよ。今度、大学の先輩の妹さんと二人きりで出かけるから、女子高生の好きそうなところを教えてくれ、ってね」
「あっ、こら、馬鹿っ」
「へぇ、へぇー」
建兄ちゃんは慌てた様子を見せたけど、こちらも時すでに遅し、だった。建兄ちゃんは、あっさりと彩ちゃんたちの餌食になる。
――もちろん、僕も建兄ちゃんのお相手がどんな人か興味あったから、二人と同じように質問攻めをしたけどね。
☆☆☆
「こうやって、二人で帰っていると、女の子になった優ちゃんと初めて会って、買い物した帰りを思い出すわね」
「うん」
あの後、建兄ちゃんと、レクチャーと言いつつたっぷり遊んで、瑞穂駅に帰ってきた。僕たち中学生の意見が役に立つかは分からないけれど、上手くいくといいな。
家の方向が違う彩ちゃんと香穂莉ちゃんと別れ、日が落ちて暗くなってきた道を、絵梨姉ちゃんと二人きりで並んで歩いていた。
「それにしても、あの優ちゃんが、私や兄さんの恋愛を気にするようになったとは、感慨深いわねぇ」
「ご、ごめんなさい……」
「いいのよ。それだけ、優ちゃんが女の子として成長したってことじゃない」
彩ちゃんたちに引っ張られた感はあるけれど、僕自身、絵梨姉ちゃんのことが気にならなかったわけじゃない。こういう部分でも女の子らしくなっているのだろうか。
歩きながら、絵梨姉ちゃんは僕に話してくれた。
中三のときに、先に進学した高校生の先輩と付き合っていたこと。そして学校が違うすれ違いによって、別れてしまったことを。
「後悔はしてないの?」
「全然、楽しい思い出もあったし」
「そうなんだ」
どうせ別れるなら付き合わなくっても同じじゃないかな、って僕は思ったけれど、絵梨姉ちゃんの顔に後悔の色は全然見えなかった。
そういえば、なんかの本で、男は名前を付けて保存、女は上書き保存、って話を読んだ気がする。
男と女では性格も考え方も違う。僕はどっちなんだろう。
「……僕にも好きな人、出来るのかな?」
それは男の子なのか、女の子なのか。
そうつぶやく僕に向け、絵梨姉ちゃんが悪戯っぽく微笑みながら言った。
「逆に、男の子に好きになられて、告白されちゃうかもよ?」
「ええっ。それは、ないない!」
僕は慌てて手を振った。
「えぇー。そうなの? でも優ちゃん、結構男の子と一緒に遊んでいるし」
「だから――ぁ」
その後も絶え間なく降り注ぐ絵梨姉ちゃんの話題に、僕は防戦一方。そして改めて実感した。
うん。やっぱり、僕には恋愛の話はまだ早かったみたい。




