従兄
夏休みも折り返し地点に差し掛かった、ある昼下がりのこと。
窓を全開にした一階の居間で、特にすることもなく、雪枝さんと絵梨姉ちゃんと一緒に高校野球を眺めながら談笑しているときだった。
ピンポーンと、玄関のチャイムが鳴った。
「あら? なんかの勧誘かしら」
そう呟いて雪枝さんが席を立った。本来は居候である僕が出るべきかもしれないけれど、最近はすっかりなじんでしまった。夏休みでだらけきっていないで、もっと家事の手伝いをしないとダメだよなぁ……なんて考えていたら、玄関から雪枝さんの驚いたような声が響いた。
「建一っ? なに、あなた、いつ帰ってきたのよ」
「えっ?」
居間に残った僕と絵梨姉ちゃんは目を合わせる。
「もしかして建兄ちゃん?」
「うそ、帰ったきたの?」
雪枝さんの言う「建一」とは、大学生で今は一人暮らしをしている秋山家の長男だ。絵梨姉ちゃんの兄で、僕にとっては従兄だけれど、よく遊んでくれて、実のお兄ちゃんみたいな人だ。
「いまさっき」
その懐かしい建兄ちゃんの笑い声が聞こえた。
「あなたねぇ。帰って来るなら連絡くらいよこしなさいよ」
「なんだよ。夏休みだから帰って来いって、メールよこしたのかーさんじゃないか」
「そりゃそうだけど……言っておくけど、あなたの部屋、いま優希ちゃんが使っているから」
「知ってるよ。別に良いじゃん。うちに泊まりに来たときよく一緒に寝てたし、前みたいに一緒に使えば」
「あのねぇ。優希ちゃんは今……」
「あ、あぁ。一応聞いているよ。けど、別に大して変わらないだろ」
そんな二人のやり取りを聞きながら、僕と絵梨姉ちゃんも玄関に顔を出す。
「兄さん、おかえりなさい」
「おぅ。絵梨、ただいま。ん? そっちの子は? 絵梨の友達にしちゃ、ずいぶん子供っぽいような……」
「えっと。建兄ちゃん、こんにちは……」
僕が挨拶すると、建兄ちゃんは固まってしまった。
「……えっ。もしかして……優坊……?」
こくり、と雪枝さんと絵梨姉ちゃんがうなずく。
「え、だって、どうみても……」
ちなみに僕の服装は、ノースリーブのシャツに短パン姿。暑いし楽なので、家ではいつもこんな格好をしている。暑いせいか、ファッションチェックに厳しい絵梨姉ちゃんからも何も言われていない。
とまぁ、男の子が着ても全く問題ないような服装だけれど、薄着だからそれなりに胸とかお尻とか、身体のラインが目立つわけで。髪の毛も肩にかかるくらい伸ばしているし、昔の僕のイメージとはだいぶ違うと思う。
「だから言ったでしょ。優希ちゃんは、今は女の子なんだって」
呆れたような雪枝さんの言葉に、建兄ちゃんはぼそりと呟く。
「それって、優坊が女装の道に目覚めたとか、そういう話じゃなかったっけ?」
「なっ――」
建兄ちゃんのあまりの一言に、僕は思わず崩れ落ちた。ひ、ひどい……
馬鹿っ、と雪枝さんが建兄ちゃんの頭を叩いた。
☆☆☆
「まぁ。いろいろあって男から女に変わったけれど、優坊……優希が優希なのには変わりないんだろ」
玄関から風鈴が鳴る居間で、僕と雪枝さんと絵梨姉ちゃんが代わる代わる状況を説明した結果、建兄ちゃんはそう結論付けた。男から女に変わっても、僕は僕であることに違いない。
「うん。だから今まで通り接してくれると、僕も嬉しい」
優坊から優希に変わっていたのは微妙に寂しい気もしたけれど。
「おーけー。俺もその方が楽でいいや」
僕の言葉に、建兄ちゃんはにやりと笑った。絵梨姉ちゃんに内緒で「男と男の約束だぞ」と言っていたときの懐かしい表情だった。
「まったく……適当なんだから」
当事者同士で話がついたことで、ひと段落した察したのか、雪枝さんが席を立って台所に向かった。
「なぁ。俺の部屋……じゃなくて優希の部屋、見ていいか」
「うん。もちろん。一緒にいこう」
僕たちも席を立つと、絵梨姉ちゃんが座ったまま言った。
「優ちゃん。兄さんと二人きりなんだから、気をつけなさいよ。兄さんも、優ちゃんを変な目で見ないでよ」
「大丈夫。弟みたいな優希が妹みたいに変わっただけだし。そもそも中学一年なんて子供と一緒だろ」
建兄ちゃんが笑う。大学生の建兄ちゃんに比べれば、僕なんてまだまだ子供だもんね。
それでも建兄ちゃんは、僕の部屋を見ると、少し驚いたような声を上げた。
「へぇ。俺がいたときとあまり変わっていないような気もするけれど、やっぱどこか雰囲気が違うな。女の子の部屋というか」
「えっ。そうかな……?」
女の子になったからと言って、嗜好が180℃一気に変わるわけじゃない。けれど、みんなとショッピングに行くたびに、自然と小物やアクセサリー、ぬいぐるみが増えていく。本棚にも料理や手芸の本が並んでいる。これは部活関係でもあるんだけれど、男の子のときは手に取ろうともしなかった本だ。
無意識のうちに、女の子の部屋っぽくなっているのかな。
「あ、でもほら。少年漫画もあるし、ゲームは建兄ちゃんが持っていたものがそのまま残っているよ」
「おー。懐かしい。まだ残ってたんだ」
建兄ちゃんが目を輝かせる。僕もこの家に遊びに来たときよく建兄ちゃんと一緒にゲームをしたことを思い出した。
「てっきり絵梨に全部片づけられたと思ってた」
「えっと……エロ本は処分されちゃったみたいだけど……」
「問題ない。本命はちゃんと引っ越しの際持ちだしているからな」
「はは……」
やっぱ持ってたんだ。
なんて会話を交わしながら、一緒にゲームをしたり、学校の話をしたりした。
「で、こっちの子が、彩歌ちゃんって言って……」
僕は身を乗り出すようにして、テーブルの上に広げた写真を指さしながら、みんなのことを話す。
「あ、あぁ……」
僕はすっかり話に夢中になっちゃったけど、ゲームしていたときと違って、建兄ちゃんがどこか上の空であることに気づいた。
「ん? 建兄ちゃん、もしかして、退屈だった?」
「いや……まぁ、なんていうか、変な意味じゃないんだけどさ。その服、胸元が緩すぎじゃないか?」
「そうかな……?」
言われて自分の胸元を覗いてみる。暑いし楽したいので、家にいるときは体にぴったりとするタイプじゃなくて、ゆったりとした上着を着ているので、襟元は緩いかもしれない。
覗き込むと中のシャツがあっさりと見え隠れしている。そのシャツ自体も緩いものだ。ちなみに、今日は外出する予定がなかったので、その下にブラは付けていない。
僕がテーブルに身を乗り出すようにすれば、当然中のシャツも下に垂れるわけで、向かいにいる建兄ちゃんからすれば……
「あっ――」
僕は慌てて身をそらし、シャツの胸元を抑えた。
「そ、その……っ……み、見えてた……?」
「あぁ……まぁ」
そんな僕の様子を見て建兄ちゃんも顔を赤くしながら言った。
「優希が女の子になったってことを改めて実感したよ」
うっ、わぁっ、み、見られた……ぁぁ。
「えっ、あ、で、でもさっき、子供みたいなものだって……」
恥ずかしくって穴があったら入りたい気分になりながら、しどろもどろに言う。
「そりゃ、興奮して優希を押し倒して襲いかかろうとまでは思わないけど、なんだかんだで、女の子の胸だからな。男としては、どうしても気になっちゃうものなんだよ」
「そう、なんだ」
女の僕でも(元男だけど)、柚奈ちゃんの胸につい目が行っちゃうくらいだから、男の人だったらなおさらなんだろう。
「優希は、学校で男子にそういう風に見られたことないのか」
建兄ちゃんが少し心配した様子で聞いてきた。
僕は身近な男子である稔くんと義明くんを思い浮かべた。
義明くんには柚奈ちゃんに比べられ残念がられ、稔くんの場合はなんとなく顔を逸らされているような気がする。
「うーん。じろじろ見られるとか、そういうことはないけれど」
「まぁそれならいいんだけど、気をつけろよ」
「うん。ありがとう」
そんなことを話していると一階から、雪枝さんの声がした。
「優希ちゃん、建一ー。さっき、おとーさんに連絡したら、せっかく建一が帰ってきたんだから、外食にしようって。いいかしら?」
僕と建兄ちゃんは顔を見合わせた。
「どうする?」
「僕はいいけど、建兄ちゃんは? せっかく帰ってきたんだし、雪枝さんの手料理の方がいいんじゃない?」
「おふくろの味より、高級食だな。貧乏学生じゃめったに食えないからな」
建兄ちゃんがにやりと笑った。雪枝さんの料理もおいしいけれど、外で食べる食事もどこかワクワクして楽しいよね。
というわけで、みんなで出かけることになった。
「それじゃあ、服を着替えないと」
「へっ、着替えるって?」
僕がそうつぶやくと、建兄ちゃんがきょとんとする。そんな建兄ちゃんに向けて、僕はしたり顔で告げた。
「女の子の準備は大変なんだよ」
「うーん。これでいいかな……ぁ」
建兄ちゃんにいったん部屋から出てもらって、僕はクローゼットを漁る。そして少し迷ってから夏の定番、白のワンピースを選んだ。肩ひもタイプじゃなくて袖と襟が付いていて露出は少なめ。襟元付いた小さなリボンが、派手すぎずシンプル過ぎずでもなく、僕的には気に入っている。ひらひらというより身体にまとまりつく感じで、動き難いけれど、そのぶん、女性らしい身体のラインが出て、ちょっと大人っぽいかも。
昔の僕なら、麦わら帽子を被っていてひらひらしているのくらいしかイメージなかったけど、今では、ワンピース一つにもたくさんの種類があることを知っている。
「うん。よし」
鏡の前で着替え終わった自分の姿を見て、僕はうなずく。化粧でもすれば、さらに驚かせられるかもしれないけれど、さすがにまだ早い(そもそもやり方知らない)ので、髪の毛を整える程度で、外に出てもらった建兄ちゃんを呼ぶ。
「建兄ちゃん、入っていいよ」
僕が言って間もなく、扉が開いて建兄ちゃんが入ってきた。
「へぇ……やっぱりスカート姿になると、より女の子って感じだな。いいんじゃない。似合ってるよ」
「えへへ。でしょでしょ」
服装を褒められると嬉しい。男の子のときにはなかった感情だ。
「改めて、優希が女になったんだなって実感したけれど……」
建兄ちゃんは、どこか意地悪く笑って続ける。
「やっぱ、優坊は優坊のままだな、ってところもあるな」
その視線の先には、僕がさっきまで着ていたショートパンツとシャツ。どんな服に着替えようか頭がいっぱいだったせいで、畳まれもせず、床に無造作に脱ぎ捨てられたままだったりする。
「あ、ははは……」
僕は半笑いしながら、足でそっと脱ぎ棄てた服を後ろに隠した。
――ってそれがいけないんだけどね。
会社帰りの宏和おじさんと合流して、僕たちはちょっとした高級レストランで食事をした。
家では僕と同じような格好をしていた絵梨姉ちゃんもスカートに穿き替えて余所行きの服装をしている。雪枝さんもしっかり化粧をしている。会社帰りの宏和おじさんは、もともとしっかりとしたスーツ姿。その中で、ジーパンにTシャツの建兄ちゃんだけ浮いていたけれど、当の本人はあまり気にしていないみたいだった。
「男の人って、楽でいいね」
そのことについて僕が言うと、絵梨姉ちゃんが辛辣な口調で告げた。
「だから女にもてないのよ」
なるほど。男の人も大変みたいだ。
そんな僕たちの会話に苦笑しつつ、宏和おじさんが言う。
「建一はいつまでこっちにいるんだい?」
「うーん。今日は一階の居間で適当に寝て、明日は友達ん家を回って、そのまま帰ろうかと思ってる」
「あら。もっとゆっくりしていけばいいのに」
雪枝さんが残念そうな顔をする。なんだかんだ言っても実の息子だもんね。建兄ちゃんに会えて嬉しそうだったし。
「もしかして、僕が家にいるから……?」
建兄ちゃんの部屋を占領して、家に居づらくさせてしまっているのだろうか。
責任を感じて沈む僕を見て、建兄ちゃんが笑いながら言った。
「なーに言ってるんだか。関係ねーよ。むしろ優希がどう変わってるか楽しみで、家に帰る理由が出来たくらいさ」
「……まったく、理由がないと本当にいつまでたっても帰って来ないんだから」
絵梨姉ちゃんの言葉にみんなから笑いが起こった。
「ま、そういうわけだから、気にするな」
「うんっ」
せっかく会えた建兄ちゃんがすぐ帰っちゃうのは僕も寂しいけれど、今は隣にいるんだから、いっぱいお喋りして楽しもう。そして、今度会うときにはもっと驚かせられるよう、女の子っぽくなってやろうと思った。
「あ、そういえば……」
そんな僕たちを微笑ましそうに見ていた雪枝さんが、何かを思いついたかのように言った。
「従兄妹同士なら結婚できるのよねー」
建兄ちゃんが、口からご飯を吹きだした。
少し遅れて雪枝さんの言葉の意味に気付いた僕も、思わず赤面してしまった。
――いやいや、さすがにそれはないって。




