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ボート


「わぁ。すごい。すごく揺れるねー」

 二人乗りのゴムボートは思ったより頑丈で、ちょっとやそっとの波ではへっちゃらで、なかなか楽しい。僕はボートから身を乗り出すようにして海面を眺める。

「……ああ。そうだなー」

 そんな僕の向かいで、義明くんがオールをこぎながら、すごく気の入っていない返事をした。

 もー。せっかく楽しんでいるのに、そういう態度をされると気になっちゃうよ。

「なんかつまらなそうだけど、僕と一緒じゃ、嫌だった?」

 僕が少し口をとがらせて言うと、義明くんは小さく首を横に振った。

「いや。栗山も話してて楽しい、可愛いし、一緒に乗ってて悪い気はしないさ」

「あ、ありがと……」

 面と向かってあっさりと可愛いと言われると、さすがの僕でも、ちょっと狼狽えてしまう。今更だけど、水着という下着と大して変わらないような恰好をして、義明くんの目の前にいることを思い出して、少し恥ずかしくなった。

 偶然出会った感じだったから特に意識しなかったけれど、一緒に海に遊びに来ていたら、水着に着替えた後、稔くんたちの前に出るのは相当覚悟が必要だったと思う。

 僕はそっとさりげなく、水着のスカートの裾を軽く引っ張った。いや、水着だから中が見えても別にいいんだけど、なんとなくね。

 もっとも義明くんはそんな僕に対して特に反応を見せず、同じような調子でぼやく。

「けど俺が求めているものとはちょっと違うんだよなぁ」

「やっぱり柚奈ちゃんがいいんだ」

「べっ、別に柚奈がいいってわけじゃないけどさっ」

 稔くんがダメで僕がダメだったら、残るのは柚奈ちゃんだけなんだけど。

「だったら、くじに細工でもすれば良かったんじゃない?」

「それも考えたんだけどさぁ。真面目な稔が反対しやがって。ったく、あいつにとっても、悪い話じゃないのになぁ」

 あ、やっぱり細工しようと思ってたんだ。ってそれを言っちゃ、柚奈ちゃん目当てだってばらしてるようなものだけど。

「あーあ。稔は柚奈と一緒か。二人でなにしているんだろうな。なぁ、栗山だって、稔が気になるだろ」

「うん。気になるよねー」

 柚奈ちゃんと稔くんが二人きりというシーンって意外とレア。どんなことを話してるのかな。

 そんな僕を見て、義明くんがなぜか脱力する。

「……たぶん、俺と栗山の『気になる』って、微妙に違う気がする」

「そう?」

 なんてことを話していると、不意に義明くんが声を上げた。

「あれ?」

「どうしたの」

「いや。このオール、留め具がゆるくて簡単にボートから外せそうだ」

「あ、ほんとだ」

 ということは――

「もしオールが流されたら、栗山と小さなゴムボートに二人っきりだな?」

 義明くんが意味深に笑った。

「うん。義明くんがいるから安心だね。一人だと心細いけど」

「……そうか」

 せっかく持ち上げてあげたのに、義明くんがぽかんと変な顔をする。

 微妙にすれ違った会話を交わしながら波に揺られていたら、沖に流されるどころか、逆に浜に押し上げられてしまった。

「どうしよっか。このまま海の家までボート持って歩いていく?」

 打ち上げられた場所は、人気はあまりない海水浴場のはずれの方みたい。

「面倒くさいし、もう一度海に出た方が楽じゃないか」

「――あ」

「ん、栗山。どうした」

 突然声を上げた僕に、義明くんが不思議そうな顔をする。けど僕は義明くんの疑問に答えず、その先に向かって手を振った。

「おーい。夢月ちゃーん」

 岩場の方に、夢月ちゃんの姿が見えたのだ。

「あ、馬鹿」

 そんな僕の行動に、義明くんがなぜか慌てた様子を見せた。

「あれ。優希じゃん」

 夢月ちゃんが僕たちに気づいてこっちにやってきた。今思い出したけど、夢月ちゃんは彩ちゃんとお父さんと一緒に岩場の探検に来ていたわけで。

「ほうほう。優希と二人っきりでボートですか。ほほぉ」

 とっても作り笑顔なお父さんが、いつの間にか義明くんのすぐそばに来ていた。

「いや、違うんですよ。栗山のお父さん。これはくじでたまたま……」

「君にお父さんと言われる筋合いはない!」

 お父さんが一喝する。けれどその表情は怒りと言うより、ひそかに憧れていたセリフを言ってやった、って感じのどや顔だったりする。

 彩ちゃんは彩ちゃんで額を抑えて、「なんで熊ちゃんなのー。せっかくのお約束なのに。逆だよー」ってうめいている。

 結局義明くんは、お父さんに無理やり連れていかれてしまった。ビーチバレーでお母さん香穂莉ちゃんペアにリベンジするって、お父さんは意気込んでいたけれど、相手は相当強いよ。

 彩ちゃんも二人の後について行き、僕と夢月ちゃんが残されてしまった。

「えーと。夢月ちゃん。せっかくだから一緒に乗る?」

 僕は、状況について行けずにぽかんとしている夢月ちゃんに声をかけた。

 夢月ちゃんは僕とボートに目をやって、少し考えた様子を見せてから、「うん」とうなずいた。

 こうして、僕は再び沖へ出た。


  ☆☆☆


 慣れない僕たちは、くるくる回ったり泳いでいる人にぶつかりそうになりつつも、わーわー言いながら二人してオールを漕ぎまくって、何とか沖の方に出ることが出来た。

 太陽の光を浴びて、のんびりぷかぷか波に揺られていたら、夢月ちゃんが空を見上げながらぽつりと言った。

「実は私、あんまり海って好きじゃないというか、苦手だったんだよね」

「え? うそ」

 僕は思わず聞き返してしまった。あんなにはしゃいでいたのに。

「ちょっと、子供のころにね。ほら、あれ、ウマシカってやつ?」

「えっと。トラウマだね」

 ウマシカだと「馬鹿」になっちゃうよ。

「小さい頃、フェリーかなんかの大きい船に乗っていてはしゃいでいたら、海の真ん中で、お気に入りのおもちゃを甲板から落としちゃったの。当然拾いに行けないし。船が進んで、どんどん落としたところから離れて行っちゃうのを見て、子供心に海って広くて怖いって思ったわけよ」

「ああ。なんか分かる気がする」

 先の見えない真っ暗闇とか、底が見えない穴とか、引き込まれそうで怖いよね。

 そういえば夢月ちゃん、海かプールか話し合ったときプール派だったし、海に来てからも、波打ち際を走ったりビーチバレーは熱中してたけど、あまり海で泳いでいなかったな。

「もしかして、誘って迷惑だった?」

 夢月ちゃんの気持ちを考えずにボートに誘ってしまったことを、僕は後悔した。

「まさか」

 そんな不安顔になる僕を見て、夢月ちゃんが笑った。

「もう子供じゃないんだし、優希と一緒に馬鹿みたいにオール漕いでいたら、楽しくて、昔のことなんて忘れちゃったよ」

「良かった……」

 僕はほっとして、ボートの端っこに寄りかかった。

「それじゃ、もう一漕ぎしよ――」

 夢月ちゃんがオールに手を伸ばそうとして、そのまま固まってしまった。

「どうしたの?」

「……えーと、片っぽのオールがないんだけど」

「あっ、ああぁっ!」

 義明くんが言っていたオールのこと、忘れてたっ!


  ☆☆☆


「……暑いね」

「うん……」

 オールが流されてからどれくらい経っただろう。

 時計がないから分からない。二時間か三時間か、それ以上か。

 海岸線がどんどん遠くなっていく。もし海岸線が見えなくなってしまったら、どっちが陸か分からなくなってしまうのだろうか。

「これ、あれだよね。このボートから見たら陸まで遠く見えるけど、実は意外と近かったってオチなんだよね」

「うん。そうそう」

 なんて話していても、事態が好転されるわけではない。

 はじめのうちは、片方のオールだけで頑張って漕いでみたんだけど、その場でくるくる回るだけで、進むことが出来なかった。沖に向かって叫んだり手を振ってみたりしたんだけれど、気づいてもらえなかった。ボートが転覆したら大変だから立ち上がって大きく手を振ることも難しいし。

 そうこうしているうちに疲れ切って、僕たちはただボートに座り込むだけになっていた。

 相変わらず日差しが熱い。

 けれど、それが前より和らいできているように感じた。

 空が曇ってきているわけではない。慣れてきたのだろうか。――それとも、徐々に日が落ちてきているのか。日差しが弱まるのはありがたいけれど、もし完全に日が沈んでしまったら……そう考えると一気に不安に襲われる。

「……ちょっと、優希、大丈夫?」

 不安が表情に出てしまったのか、夢月ちゃんが僕の顔を見て言った。

「なんか、めっちゃ影が薄くなっているんだけど。揺ら揺らしているし」

「……えっ?」

 僕は慌てて自分の腕を見た。日に焼けて赤くなっているけれど、当然透けてはいない。

「……優希ったら、いつの間に分身の術を」

「ちょ、ちょっと、夢月ちゃんっ!」

 僕は夢月ちゃんの目がうつろなのに気付いた。

 分身の術を身に着けた覚えはない。けれどそう見えるということは、問題があるのは僕じゃなくて、夢月ちゃんの方だ。

 慌てて夢月ちゃんの肩に触れると、手が焼けるほど熱かった。

「平気へいき。ちょっと頭痛くてふらふらするだけだから。問題ないって」

「問題あるって!」

 もしかして熱中症? 別行動していたから分からないけれど、ちゃんと水分摂っていただろうか。日差しを避けていただろうか。

 元気で運動神経もいいけれど、体調崩して学校も休むこともある。夢月ちゃんだって普通の女の子だ。長い間日差しを浴びていて平気なはずがない。

 さっき義明くんに言った話じゃないけれど、頼れる男の子はいない。いるのは僕だけだ。だったら僕が夢月ちゃんを守るしかない。僕だって、元は男なんだ。幸い僕はまだ大丈夫。

 僕はそっと夢月ちゃんの傍に移動して、彼女に覆いかぶさるように抱きかかえた。

「ちょっと、優希っ?」

「こうすれば、日差しを直に浴びないから、少しは楽になるでしょ」

「でも優希は……」

「僕は平気。大丈夫、夢月ちゃんは僕が守るから……」

「優希……」


 夢月ちゃんを太陽の日差しから守るように覆いかぶさるように抱き合ったままどれくらい経っただろうか。

 僕の耳に、ボートに当たる波の音に紛れて、別の音が入ってきた。

 僕は顔を上げた。

 これは――モーターの音っ?

 慌てて音がどっちから聞こえてくるか辺りを見回す。その音はどんどん大きくなって近づいてくる。そして僕の目に、こっちに向かってくる水上バイクが映った。

「あー、そこのボート。あまり沖まで出ると危ないから戻りなさーい」

 水上バイクに乗った監視員の人だった。その口調は、漂流した僕たちを助けに来たというより、ちょっと沖まで出ているボートに忠告した程度のものだった。もしかして、僕たちが思っていたほど、大事じゃなかったのかもしれない。監視員の人の声を聞いてほっと安心したというか、気が少し楽になった。

「あの……すみません。その……」

 僕は落ち着くように深呼吸してから、オールが流されたこと、そして夢月ちゃんのことを監視員に伝えた。


  ☆☆☆


 あれだけ長く感じたけれど、漂流していたのは一時間程度だった。

 僕と夢月ちゃんは別の意味でみんなに信頼(?)されているみたいで、「まぁあの二人のことだから、調子に乗って離れ小島まで行ってるんじゃない?」と、少しぐらい戻って来なくても、たいして心配されなかったようだ。

 それでも不安になった稔くんが監視員の人に相談してくれて、その結果が発見にとつながったわけだ。

 僕は改めて稔くんにお礼を言うと、

「別に……。栗山のことを心配したというより、ボートの延長料金が心配だったから……」

 と言われた。うん。確かにそれは怖い。

 夢月ちゃんは熱中症ではなく、単に船酔いに近い症状だったみたい。病院に行くこともなく、日陰で休みながら水分補給しただけで、すっかり元気になった。

 もっとも復活した後に待っていたのは、事情を知ったお母さんの説教だった。

 貸しボート屋の過失とか、僕の友達とか、人様の娘さんとかお構いなしだ。もちろん、僕も一緒に、夢月ちゃん以上に叱られたけれど。

 けど柚奈ちゃんたちにとっては、ちょっと度が過ぎた程度にしか思っていないみたい。その点は、遭難しかけて変に気を遣われるより気が楽だった。

「優希のお母さんって、半端ないね」

 ようやくお説教から解放されて、夢月ちゃんが苦笑しながら言った。

「えへへ。でしょ」

 一緒に叱られて、夢月ちゃんに変な仲間意識を感じてしまっていると、不意に夢月ちゃんが真面目な顔をして僕を見た。

「……優希。ありがとね」

「え」

「私を守ってくれたこと」

「そんな……別に僕は大したことしてないって」

 改めて面を向ってお礼を言われると恥ずかしい。守るって言ったって、ただ覆いかぶさっていただけだし。

「そんなことない。あの時の優希の顔、男の子みたいで格好良かった」

「え、あ、うん。それはきっと、雰囲気に酔ってたんだよ。船酔いだけに。ははは……。ほ、ほら。みんなが待ってるよ」

 僕は誤魔化すように夢月ちゃんの手を取り、砂浜を駆け出した。

「う、うん」

 楽しかった海水浴の時間も終わりを迎えようとしていた。



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