海水浴
車を降りた途端、灼熱の太陽が降り注いだ。いつもだったら外に出たくなくなるほどの暑さだけれど、ここは海。絶好の海水浴日和だ。
「海だ、海だーっ」
駐車場のすぐ隣が砂浜で、すでにたくさんの人が見える。芋洗い状態ってほどではなく、かといって少なくて物寂しいわけでもない、程よい込み具合だ。
「俺と春で準備しておくから、みんなは先に着替えてきなさい」
お父さんの言葉にうなずく僕たち。砂浜の入り口に、おしゃれな白い壁で囲まれた建物があった。あれが更衣室みたいだ。
競争するように走り出す夢月ちゃんと彩ちゃんに続いて僕も更衣室に向かおうとしたら、お母さんに腕を引っ張られた。
「……ちょっと優希」
「なに?」
「まさかあなた、あの子たちと一緒に着替えるんじゃないでしょうね?」
「……そうだけど」
僕が答えると、お母さんが天を仰いだ。
「いくらあなたが女の子だからと言って、年頃の娘さんと一緒に――」
「僕も一応『年頃の娘』なんだけど……」
「あ、そういえば、そうだったわね」
さすがに僕が口をとがらせて言うと、お母さんは本当に今気づいたような顔をした。
「けど大丈夫よね? 変な目で見たりしないわよね。鼻血出したりしない?」
「大丈夫。大丈夫だってっ」
僕が少しむっとして答えていると、柚奈ちゃんが寄ってきた。
「ん、くりゅ、どうしたん?」
「な、なんでもない」
慌てて誤魔化す。僕が男の子だったことを秘密にしているのはお母さんも知っているので、それ以上何か言ってくることはなかった。まぁ柚奈ちゃんの胸を直に見られるのは元男子としては役得かもしれないけれど、僕にとっては見るのも見られるのも恥ずかしいだけ。できることなら一人で入りたい。
けれどお母さんにここまで言われると、逆に意地でも一緒に入ってやろうという気になるから不思議だ。
更衣室は新しく作られたのか、学校のおんぼろとは違ってすごくきれいだった。しかもロッカーとは別に、着替えるところには簡単な仕切りと扉(西部劇にありそうな感じ)があった。これなら周りから見られることはない。
僕はほっとして、トートバックから水着を取り出す。彩ちゃんたちと買った薄いピンク色でセパレートタイプの水着だ。場の雰囲気で買っちゃったけど、今思うと、もっと大人しめの水着があったかな。
と少し不安な気持ちになりつつも、着替え終え個室を出ると、すでに夢月ちゃんが着替え終えて待っていた。早いけれど、まさか下に着こんできたわけじゃないよね?
「へぇ。それが前に優希が買ったって水着か。優希のことだから、ボケて学校の水着持ってくると思ってた」
「あ、ははは」
彩ちゃんに言われなかったら、新しいの買わないで学校の水着だったことは秘密だ。
「でも似合ってるよ、それ」
「うん。ありがとう。夢月ちゃんも似合ってるよ。それにしても、すごい日焼けだね」
夢月ちゃんの水着は、前に彩ちゃんに聞いていた通り、イエローの短パンタイプの水着だ。上は普通のビキニタイプなので、夢月ちゃんの引き締まったお腹が見えているんだけど、普段からむき出しの腕や足の黒さと、お腹の白さの落差がすごい。日に焼けているなとは思っていたけれど。
「どーだ。すごいだろ。毎日の部活に出てるからね」
そんなこと話しているうちにみんなも出てきた。彩ちゃんに聞いた通りの感じ。若干、色が違ったりデザインが変わっていたりするけど、大体イメージ通りだった。みんなとても華やか。僕が一緒に入って変に浮いたりしないだろうか。
「優希さん、どうされました?」
僕の表情に気づいたのか、香穂莉ちゃんが尋ねてくる。
「いや、みんな綺麗で華やかだから、僕だけ変じゃないかなって……」
「浮いているのは、柚奈の胸だけだって」
夢月ちゃんがそう言って、後ろから柚奈ちゃんに頭を叩かれた。
「そんなくりゅには、こーだぁ」
「わぁっ」
不意に柚奈ちゃんがスマホを取り出して僕たちの写真を撮った。
「ほら。これを見てもそう言えるかなぁ?」
柚奈ちゃんのスマホに写っているのは、みんなと自然に溶け込んでいる僕の姿だった。――急に取られたので、変顔になっちゃってるのは置いといて、ほっとした。
「あまり更衣室で写真を撮るのはよろしくないですが……」
香穂莉ちゃんが苦笑する。
「それじゃ。後で、優希ちゃんのお父さんたちにお願いして、みんな一緒の写真を撮ってもらおうねー」
「うん」
その提案に僕は笑顔でうなずいた。
みんなとお喋りしながら海水浴場に出ると、更衣室を少し出たところに、パラソルなどの荷物を抱えたお父さんが待っていた。
「おおー。みんな綺麗だなー」
「ありがとうございまーす」
お父さんの言葉には、いやらしい感じがなく、本当に僕たちをまぶしそうに見ている。鼻の下を伸ばしたりしたらちょっと幻滅だけれど、そんな感じがなくてほっとした。引率が宏和おじさんじゃなくてよかった(ごめんなさい)。
「あ、私も持ちます」
「いやいや。女の子に持たすわけにはいかないよ」
夢月ちゃんがお父さんが持つ荷物を手にしようするけれど、それを断って一人で軽々と運んでいるところも、息子――じゃなくて、娘バカかもしれないけれど、格好よく見えて、ちょっと誇らしかった。
「あれ? そういえばお母さんは?」
みんなでパラソルやシートを設置しながら、僕はお父さんに尋ねた。
「春なら、更衣室に着替えに行ったぞ。優希たちとすれ違いになったのかな。場所もこの辺りだと言っておいたし、そろそろ来るんじゃないかな……って、ほら来た」
「お待たせ」
話しているとお母さんがやってきた。水着の上に白のパーカーを羽織っている。日に焼けているからかな。水着がよく似合って見える。
「若い子の前で水着姿になるのって恥ずかしいけれど……」
「そんなことないですよ。足細くてすごく若く見える」
「うんうん。春さんって、身体綺麗ですよねー」
「うちの親も見習ってほしいくらい」
「ねー」
みんなが口々にお母さんをほめる。多少お世辞が入っていると思うけれど、実際僕の目から見ても、ぎりぎり二十代に見えなくもない。
「あ、ありがとう」
お母さんもまんざらではない様子だった。お世辞も入っているのわかっているだろうけれど、やっぱり褒められたら嬉しいものなのかな。
そこで僕もみんなを見習って、お母さんに言った。
「えっと、お母さん、綺麗だね……」
「なにそれ、皮肉?」
――なんか、僕だけ対応が違うんですけど。
僕ががっくりうなだれると、お母さんがくすりと笑って言った。
「冗談よ。ありがと。優希も、綺麗ね」
「うん。似合ってるぞ。春が優希くらいの年のときは、こういう可愛らしい水着はなかったからな」
「ちょっと、齢を食ったみたいな言い方はやめてよ」
お母さんの言葉に、みんなから笑いが漏れた。
「ほら行ってらっしゃい。変な男の人に気を付けてね」
「うん」
僕たちは海へと駆け出した。
熱い砂浜から海に入ったら、水が冷たいっ。けどそれが気持ちいい!
「それ、それっ、それぇ」
意味もなく水掛っこをする。すっかりハイテンションだ。
「優希。アレやろ、アレ」
「うんっ。アレだね」
僕はうなずいた。
夢月ちゃんがこぶしを振り上げて、僕に迫ってくる。
「こら、待て~」
「あははは。私を捕まえてごらんなさい」
慣れない「私」を使いつつ、僕と夢月ちゃんは海岸線を追いかけっこ(スローモーション風に)する。すっかりハイテンションだ。
なんて感じで追いかけてくる夢月ちゃんを見ながら優雅に走っていたら、急に衝撃が走った。
「痛っ」
よそ見して走っていたせいで、前にいた男の人にぶつかってしまったのだ。
「す、すいませんっ」
抱きとめられた形になっちゃった僕は慌てて身体を離し、頭を下げる。――って、あれ? 目の前の男の人、やけに見覚えがあるというか……
「稔くん?」
そう。目の前の男の人は同級生の稔くんで――
「やあ、栗山。奇遇だなぁ」
と横から顔を出したのも、知り合いの義明くんだった。
「え? なんで二人がここにいるの?」
僕が目を白黒させていると、僕を追って来た夢月ちゃんも二人を見て怪訝げな表情を見せる。
「もしかして、私たちを付けて来たとか?」
「まさか、たまたまだよ。なぁ?」
義明くんが隣の稔くんに同意を求める。けれど稔くんは、なんかすごく申し訳なさそうと言うか、いたたまれない感じの表情しているんだけど。
「まぁ、せっかく一緒になったんだから、俺たちと遊ばな――って、いてぇっ」
笑顔を浮かべながら近づいて来た義明くんの後ろ頭に、どこからともなく飛んできたビーチボールが命中して、義明くんが声を上げた。
「おー。すまんすまん。ちょっと手元が狂ってしまったな」
ボールをぶつけたと思われる男性が近づいてくる――ていうか、
「なんだよ。おっさん。それが人に謝る態度かって――」
「お父さんっ」
僕の言葉に、稔くんと義明くんが反応する。
「お父さん、ってもしかして……」
僕は二人に向かって、こくりとうなずいた。
そのお父さんはボールをぶつけたというのに、謝るどころか、なんか凄みを増した顔をずいっと義明くんに近づける。
「うちの娘に何をしていらっしゃいますですかねぇ? たくさんいる女の子の中から優希を選んで声をかけたのは評価いたしますがぁ」
「……えーと、お父さん。この二人は知り合いなんだけど。学校の友達で」
ナンパされていると勘違いしている様子のお父さんに僕は説明した。
すると、お父さんは思いっきり狼狽えた様子を見せた。
「なっ、友達っ? と、ということは、もしかして男友達かっ? ま、まぁ、確かに、いてもおかしくはないよな。うん。優希は元々、お――」
危うく口走りそうになるお父さんに向けて、僕はこっそりと脛に蹴りを入れた。
「――んなの子だし」
「だ、だよねー」
結構痛かったのか、お父さんが少し涙目になりながら続け、僕は誤魔化し笑いをする。お父さんもお母さんも、僕が元男の子だということが秘密だと言うことを知っているというのに、みんなの前でガードが甘すぎる!
それに、お父さんの言う通り僕は元々男の子だから男友達がいてもおかしくないのに、狼狽えすぎだよね。
「でも栗山の両親って確か海外に……」
幸い不審がられることなく、稔くんが別のことを尋ねてくる。
「うん。でも夏休みで日本に来ているの」
なんてことをやっているうちに、騒ぎに気づいてみんなが寄ってきた。当然ように、みんな驚いた様子を見せたけれど、彩ちゃんだけ反応がちょっと違った。
「あ、二人ともやっぱり来たんだー」
「え? やっぱり、ってどういうこと?」
僕が聞くと、彩ちゃんは笑顔で答えた。
「うん。せっかくだから、今日みんなでこの海水浴場に来るって、熊ちゃんに話してたの」
「あややが原因かいっ!」
「まーまー。ナンパ除けにもなるじゃん」
柚奈ちゃんにどつかれても、にやにやと笑う彩ちゃん。彩ちゃんが勝手に押している「柚奈ちゃん×義明くん」の関係を推し進めるために声をかけたんだろうなぁ。義明くんにとっては渡りに船だけど、稔くんはそれに付き合わされて仕方なく付いて来たのかな。
「いくら学校のお友達とはいえ、男子と一緒だったってことを、皆のご両親には、あまり知られたくないわね」
事情が分かってもお母さんが渋い顔を見せる。確かに娘を持つ保護者の立場からすれば、いい顔しないかもしれない。けれど理由はどうあれ、せっかく二人に会えたのに、別々じゃ寂しい。みんな一緒の方が楽しいよね。
僕はそんな思いを込めてじっとお父さんの顔を見上げた。その視線を受けたお父さんは、ふぅと小さく息を吐いて、ぽんと大きな手で僕の頭を叩いた。
「ま、仕方ないか。見知らぬ男性に付きまとわれるよりいいだろうし、偶然出会ったことにすれば問題ないさ」
「やたっ」
僕と彩ちゃんと義明くんでハイタッチを交わした。
「……ふぅ。ま、別にいっか」
柚奈ちゃんはため息ついているけれど、そんな嫌そうな顔をしているわけでもない。みんなも多少の温度差があっても、特に否定する意見もなく、義明くんと稔くんも加わることになった。
更新ペースが落ちていますが、作中の季節に追い越されないよう頑張ります^^




