スクール水着
体育館にバスケットボールが床に弾む音が響く。
「優希っ」
夢月ちゃんからのパス。僕はボールを受け取ると、ドリブルで目の前でガードする柚奈ちゃんを交わし、ゴール下まで一気に向かう。
ボールを手に取り、一歩……二歩、ジャンプしながら、手を伸ばしてボールを放る。
僕の手から離れたバスケットボールはきれいな弧を描いてゴールの輪っかに吸い込まれ――ずに、輪の部分にあたって、弾かれる。
「ああっ。外れたっ」
けれど――
「よし。もらったー」
走り込んだ夢月ちゃんがそれを拾って、すかさずシュート。今度は輪にあたることなくゴールに吸い込まれた。
笛が鳴って試合終了。今のが決勝点というわけじゃないけど。見事僕たちのチームの勝利だ。
「夢月ちゃん。ナイスシュート」
「優希こそ、ナイスパス」
「あはは……」
夢月ちゃんとハイタッチを交わしつつ、僕は汗をぬぐった。
体育は好きだ。
元男の子として、普通の女の子よりは運動してきたおかげか、今でも体育の成績はいい方だし、そもそも身体を動かすこと自体が好きだ。
「今日でバスケットボールの授業は終わりとなります」
試合終了後、みんなを集めて、体育の伊原先生が言った。
「来週からはプール開きです。天気に問題なければプールの授業が始まります」
その一言に、みんなから歓声が上がった。体育の授業で、女子の間からこういう反応が起こるのは珍しい。校庭は太陽が照りつけ、体育館は蒸す季節だ。涼しげなプール開きを待ちわびていた人も多かったのだろう。
僕もプールは嫌いじゃない。ちゃんと泳げるし、むしろ好きな方なんだけど……。
僕は盛り上がるみんなの陰でこっそりと息を吐いた。
――ついにこのときが来てしまった、と。
☆☆☆
「はぁ……」
僕は自分の部屋の真ん中に制服のまま座り込んでため息をついた。
春先は冷たかったフローリングの床だけれど、今はスカートから伸びる足が直に触れるとひんやりして気持ちいい。
まぁ、今問題なのは、床の冷たさではないんだけど。
僕の目の前に広がるのは紺色の布地である。布と言っても絹や木綿のような薄いひらひらのものではなく、ナイロンやポリエステルでできた水をはじく素材。まぁ早い話が、学校指定の水着だ。
先日、雪枝さんが水穂中の衣類を扱うお店で買ってきたものだ。本当は僕も一緒に来るようにと言われたんだけど、恥ずかしいので断って、結局買ってきてもらった。
女の子になって四か月。ブラジャーは普通に着けるようになった。スカートにも慣れ、僕の持っている服の中では、パンツタイプよりむしろスカートの方が割合が多いくらいだ。けれど女性用の水着は、いまだに着たことがない。
僕は目の前に広げた水着を凝視した。サイズは140~150と書かれている。僕の身長だとど真ん中なわけなんだけど、なんかずいぶん小さい気がする。
本当にこれで大丈夫なんだろうか。着方はどうするのか? 学校での着替えはどうやってするのか。さすがに周りから女装していると思われるのでは、と心配することはなくなったけど、元男子として、これを着るのは大変勇気がいる。
僕が頭を悩ましていると、絵梨姉ちゃんが帰ってきた。
「あれ? 優ちゃん、どうしたの? 部屋の真ん中に正座してため息ついちゃって」
「あ、絵梨姉ちゃん。いいところに!」
救世主の登場に、僕は立ち上がって絵梨姉ちゃんに詰め寄り、事の次第を相談した。
「……何かと思ったら。ああ。なるほどね。そういうことね」
僕の訴えを聞いた絵梨姉ちゃんが、納得した様子でうなずいた。
「それじゃ、服を着たまま着替える方法を教えてあげようか」
「えーっ? そんなことできるの?」
絵梨姉ちゃんは、驚く僕の様子を面白げに見ると、床に落ちている週刊少年ジャンブを手に取って言った。
「そう。女子はたとえプールの着替えでもまっ裸にはならない。優ちゃんが喜んで見ているラブコメに描かれているようなシーンは、男子どもの妄想なの!」
「――別に喜んで見ていないってっ」
男の子のときからそうだったけど、そういうシーンを見ると少し恥ずかしいというか、まぁお約束だなーって思う程度だった。今もそれは変わらない。
「あはは。冗談だって。それじゃ、ここで早速着替えてみようか」
「はい、先生。お願いしますっ」
僕は生徒のノリで言った。そんな僕を見て、絵梨姉ちゃんは満足げにうなずいて言った。
「じゃあ、まずはスカートを穿いたままでいいから、パンツを脱いで」
「――へっ?」
「へ、じゃない。下着を脱がなくちゃ水着を着れないでしょ」
「で、でも。絵梨姉ちゃんが見てるし……」
「更衣室で着替える時は隣に友達もいるのよ。それに、優ちゃんのパンツなんて、脱衣所で見放題なんだから、今更でしょ」
「そ……それは、そうだけど……」
お風呂の入る順番は、居候の身でありながら、僕がたいてい一番に入れさせてもらっている。その次が絵梨姉ちゃんか雪枝さん。最後が宏和おじさんだ。だから、絵梨姉ちゃんはいつも僕の脱ぎたてのパンツを見ているわけだ。
そう考えるとなんだか急に恥ずかしくなってきた。
とはいえ、パンツを脱がなくちゃ水着を着られないのは事実なので、僕は立ち上がると、スカートの中に手を入れて、下着を足から抜き取った。
白の何枚セットで売られているシンプルなそれを、そっと鞄の下に隠す。
「ぬ、脱いだけど……」
制服のスカートにはだいぶ慣れたのに、パンツを穿いていないだけでこんなに心細く感じるとは。下着ってすごいなーなんて変なことが頭によぎった。
「じゃあ、水着を上から跨ぐようにして穿いてみて」
「う、うん」
僕はスカートの中が見えないよう気を付けながら屈んで水着を取り、それを足に通した。
「優ちゃん。向きが逆」
「わわわっ、間違えた」
「足を上げ過ぎると見えちゃうよ」
「み、見ないでー」
そんなこんなで、水着を穿いた。思ったよりきつくは感じられなかった。
「オーケー? 腰まで穿いたらスカートを脱いでね。そして今度はブラウスを脱いでブラの上まで水着を持っていくの。もしくは、ブラを先に抜き取ってからでもいいけど。できる?」
「ん、やってみる」
だいたい絵梨姉ちゃんの伝えたいことが分かった気がする。
僕は、言われた通りブラウスのボタンをはずして脱ぐ。下には透けブラ対策としてキャミソールを着るようにしている。その状態でブラだけ首から抜き取り、水着を胸のところまで持っていった。
あとは水着を抑えたままキャミソールを脱いで、最後に水着を腕に通す。
「……で、できた」
「うん。合格。あとは胸やお尻の位置をちゃんと直すようにね」
「う、うん」
女の子になってから四ヶ月。僕はまた女の子の神秘を知った。女子は服を着たまま水着に着替えることが出来るのだ。
僕はクローゼットを開けて、鏡に自分の姿を映した。
やっぱり見慣れない姿のせいか、あまり似合っているようには見えない。女の子のコスプレをしているみたいな印象。
もっとも、思ったより胸の膨らみや腰のくびれなどの身体のラインが目立つから、客観的には、水着を着た中学生(小学生?)の女子として見えると思う。
「どう? 初めて着る水着の感想は? 着心地はどんな感じ?」
絵梨姉ちゃんが聞いてくる。
「うーん。なんていうか、スーツを着ているみたいな感覚」
「え?」
「正義の味方になったみたいというか……」
「ああ。そっちね。サラリーマンの方かと思った」
絵梨姉ちゃんがそんなことを言う。スクール水着を着て会社に行くサラリーマンがいるわけないのにね。
「少しきつく感じるのはこんなものかもしれないけど、慣れないと言うか、それに……」
「それに?」
「……かなり恥ずかしい」
僕は胸の前で腕を交差して肩を抱いた。
男の子のときの水着より、布面積は大きいはずなのに。いや、逆に水着の部分が大きいからかな? そのぶん全身を見られているような、なんか裸で立っているみたいな気持ちに襲われる。
そう説明すると、絵梨姉ちゃんが笑いながら言った。
「ほうほう。優ちゃんは、ワンピースタイプより、ビキニタイプの方がお好み?」
「それは絶対無理っ」
僕は慌てて胸の前でバッテンを作った。
だって、あんなのどう見ても下着と同じだもん。おへそ見えちゃうし。――って、男の子のときの水着でも、おへそは見えていたんだよなぁ。
なんてことを考えていたら不意に名案が思い浮かんだ。
「あっ、そうだ。絵梨姉ちゃん。家で制服の下に水着を着て学校に行くのってありかな?」
「うーん。小学生ならともかく中学生になってもそれって、あまりお勧めできないね。それに授業が一時間目ならいいけど、遅い時間だと辛いよ」
「……ううっ。なるほど……」
今度の体育の授業は四時間目だ。その間ずっと制服の下に水着をつけっぱなしというのは、あまり想像したくない。トイレだって大変そうだし。
「それに水着を直接着て行って、下着を忘れたら大変よ。優ちゃんならやりそうで怖いわ」
「ははは……。まさか」
小学生のとき、体験済みの僕はこっそり冷や汗を流しつつ笑った。
仕方ない。プールの授業までに着替えと水着に慣れるよう頑張ろう。
本年はありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします。
それにしても、真冬に夏の話を書くのって、難しいですね。あの暑さが想像できないw




