炭谷さん2
「いや、違うからっ。好きなのは栗山さんじゃないから」
僕の表情を見て取ったんだろう。岡本くんが慌てて否定した。
ほっ。良かった。
こういうセリフ、よく男同士の冗談で言っていたけれど、今の僕は女の子なんだから、男子に向けて言うのはあまりシャレにならないかもしれない。
ちなみに隆太には男の子のときから「お前が言うと冗談にならない」って言われていた。どういう意味だろう?
まぁそれはさておき、ついこの間まで男の子だったのに、その男子から告白されたら、どうしていいかなんて全く分からないので、関係なくて良かった。
否定されたのに、ほっとするって変かな――って、あれ?
好きなのは僕じゃないってことは、他に誰か好きな人いるんだよね?
家庭科部の部員は、僕の他には……
「え? もしかして……沙織先輩……?」
僕が思わずつぶやくと、岡本くんは顔を赤くして視線をそらしながら言った。
「……まぁ、その。好きというか……気になる存在というか……」
「でも、岡本くんと沙織先輩って従姉弟じゃ……?」
「別に……従姉弟同士なら、法律上問題はないから」
「へぇ。そうだったんだ」
法律って言葉が出てくるあたり、岡本くんらしいというか。
言われてみれば、沙織先輩にそっけない態度を取りつつも目で追っていたりとか、逆に話しかけられて照れていたりとか、思い当たる節があった。なるほど。塾云々ってのも照れ隠しだったんだ。いわゆるツンデレってやつだね。
「ねぇねぇ。沙織先輩のどんなところが好きなの? やっぱり優しくて美人だから?」
「いや……その……。それもあるけど、なんていうか、一生懸命なのにどこか抜けているところとか、年上なんだけど可愛いな、って……」
「うんうん。やっぱり人は、自分にないものを求めるんだねっ」
「……栗山さん。なんかずいぶん乗り気だね……」
男の子のときはこういう話には全く興味がなかったけれど、今は友達の彩ちゃんや柚奈ちゃんが恋バナ好きでよく話題にするから、僕も釣られてこういう話に興味を持つようになってきた。これも女の子っぽくなってきたということなのかな。それにしても男子と恋バナするのってなんか新鮮で変な感じ。
「あ。沙織先輩が目当てだったということは、もしかして、僕が部活に入って邪魔だった……?」
「いや。そんなことはないよ。むしろ助かっているくらいだよ。二人きりだと何を話していいかわからないし」
「へぇ。でもその気持ち、なんとなく分かるかも」
どうやら邪魔扱いされていないみたいで、僕もほっとした。
けど――
「でも、いつも僕と一緒にいたら、沙織先輩に勘違いされるんじゃない?」
「……そうなんだよね」
僕がそう言うと、岡本くんが苦虫を噛み潰したような顔をして額を抑えた。そもそも最初に僕が沙織先輩と会った時から、彼女扱いされたし。
「そこで、栗山さんにお願いがあるんだ」
「うん。僕にできることなら」
「今後、部活のときだけでいいから、栗山さんは、僕じゃない他の誰かが好きという設定でいいかな?」
「えーっ」
僕は思わず声を上げてしまった。
誰かを好きって……そんなこと考えたこともなかったのに。
ていうか、好きな人は、男の子なのか女の子なのか、どっちにすればいいの――って、設定なんだから女……じゃなくて男の子に決まってるし。
あー、頭が混乱する。
「頼むよ。あくまでフリでいいから」
「そう言われても……」
突然のことに頭が混乱しつつ、「好きな人、好きな人……」と必死に考えて、一人の顔が思い浮かんだ。えっ? でも……本当に……?
「あらら。二人して内緒話? そんなにくっついちゃって。本当に仲がいいのね」
そうこうしているうちに、お盆に飲み物を乗せた沙織先輩が戻ってきた。――しかもいきなり勘違いされてるしっ。
ちらりと岡本くんを見ると、早く言え、って顔してる。
なんで僕が……。素直に岡本くんが沙織先輩のこと好きって言えばいいのに。ていうか僕から沙織先輩に言っちゃおうかな……
なんて思ったけど後が怖いので、素直に岡本くんの言うとおりにする。
「あ、あの。僕には他に、好きな人がいるんでっ」
言ってしまった。嘘でも好きな人がいるなんて言って、頬が少し熱く感じる。
「えっ? そうなんだ。ねぇ誰? 同じクラスの子? 名前なんて言うの?」
やばい。沙織先輩に食いつかれた。
「ねぇねぇ。教えてよぉ。名前を言うのが恥ずかしいのなら、さ、イニシャルだけでもいいから」
「で、でも。岡本くんにばれちゃうし」
「じゃあ、私の耳元にこっそり言ってくれればいいから。……それとも、もしかして、赤の他人の私なんかには教えられない……とか」
あ。
やばい。このパターンだと、沙織先輩泣いちゃう。
そして愛しの人を泣かせたとして、岡本くんの機嫌も悪くなってしまう。
「言います! 言いますからっ」
僕は叫ぶと、ずいっと先輩の耳元に口を寄せた。
炭谷さんのことで頭がいっぱいだったのに、なんでこんなことになったんだろうと思いつつ、沙織先輩のシャンプーの甘い香りを鼻にしながら、こっそりと、脳裏に思い浮かんだ人のイニシャルをささやいた。
「へぇ。MKさんって言うんだ」
「だぁぁぁっ!」
岡本くんに聞こえないよう言ったのに、普通に声に出す沙織先輩に向けて、僕は慌てて叫んだ。――今の沙織先輩の言葉、岡本くんには聞かれなかったよね?
いや、聞かれても、フリという設定だから大丈夫なんだけど、実際岡本くんも知っている人の名前だし、やっぱり恥ずかしい。
迫りくる沙織先輩。そのとき、僕のピンチを救うかのように、玄関の方から音がした。それに気づいて沙織先輩が僕から離れる。……ふぅ。助かった。
「あ、お姉ちゃんが帰ってきたわ」
――むしろピンチが増えたしっ。
☆☆☆
「こんにちは。悪いわね。みんなで集まっている所に」
「お久しぶりです。沙絵さん」
「あら、耕一郎くんまで来ていたの。大きくなったわね」
沙織先輩とともに、見覚えのある女性が入ってきた。見慣れたナース姿ではなかったけれど、間違いなく「炭谷さん」だった。パンツ姿で、仕事のときはまとめていた髪の毛をすらりとおろしていて、ずいぶん雰囲気が違っていた。十歳以上年の離れた姉妹だったから気づかなかったけど、並んでみると沙織先輩の目元なんか、炭谷さんとよく似ていた。
僕は岡本くんに隠れるようにしていたけれど、隠れきれるわけもなく、炭谷さんに見つかってしまう。
僕と目が合うと、炭谷さんはにっこり微笑んで言った。
「あなたが、優希ちゃんね。はじめまして。沙織の姉、沙絵です」
――え?
炭谷さん――沙絵さんの顔は、初対面の人に向けたような笑顔だった。
「あ、はじめまして」
僕は慌てて挨拶をした。名前は名乗らなかった。優希って、向こうから言ったし、もし気づいていないのなら、わざわざ言って思い出させる必要はないし。
「小さくてかわいらしくて、沙織が話していた通りの子ね」
「えへへ。でしょ」
姉妹の会話を聞きながら、僕は思った。
もしかして……気づいていない? 助かった、のかな?
よくよく考えれば、僕にとっては担当看護婦さんだったけれど、炭谷さんにとっては、あの病院に入院している何十人……いや、過去も含めれば何百人の中の患者さんの一人なわけで。僕のことを覚えていなくても不思議ではない。
「あの。す……沙絵さんって、病院に勤務しているんですよね。印象的な患者さんっていませんでした?」
思わず口に出てしまった。あああ。僕は何を聞いているんだっ?
言ってしまってから、頭を抱えたくなるほど後悔したけれど、沙絵さんは特に気づいた様子もなく、僕のリクエストに応えてくれた。
「そうね。本当はあまり話してはいけないけれど、この前の日曜日、特別外来で面白い子が来診したわ。食あたりだったのだけど、なんと、賞味期限が半年も過ぎたプリンを食べたことが原因だったのよ」
「はは……」
――どこかで聞いたような話なのは気のせいだろうか。
ていうか半年前って、僕の女の子歴より長いよ。食べる夢月ちゃんもそうだけど、それが置いてあるお家の方もすごいと思う。いや一応、夢月ちゃんの話とは決まったわけじゃないけど。
そのあと、沙絵さんを交えて四人でお茶菓子を食べながらお喋りすることになったんだけど、沙絵さんの口から入院時代の僕の話が出ることはなかった。
「あの、トイレお借りしていいですか」
会話がひと段落したのを見計らって、僕は言った。例の一件以来、トイレは我慢しないようにしている。
「ええ。部屋を出て左の突き当りよ。場所分かるかしら? 一緒に付いていく?」
「い、いえ。一人で行けますからっ」
本気でトイレまで付いてきそうな沙織先輩の提案を断って、僕は慌てて席を立った。
幸い、トイレの場所はすぐにわかり、無事用を足すことが出来た。
隣の洗面所で手を洗いながら僕はぼんやりと思う。
これで僕の秘密がみんなにばれる心配はなくなった。だけどなんでだろう。嬉しくてほっとするはずなんだけど、どこかさびしい気持ちもあった。
そんなことを考えながら、僕は洗面所の鏡を見ながら前髪を整えていたときだった。
「うふふ。髪型を気にするとは、ずいぶん女の子らしくなりましたね。栗山さん」
不意に後ろから声がした。振り返ると鏡に映る死角に沙絵さんが立っていた。
「え? 女の子らしくって……」
それに今、沙絵さんは僕のことを、優希ちゃんではなく、栗山さんって言ったような……
「……炭谷さん?」
「はい。改めて、お久しぶりです」
にっこりとほほ笑むその姿は、入院して不安だったとき何度も励まされた、ナースの笑みだった。
「もしかして、気づいていたの?」
「はい。最初から。妹から部活の後輩の話を聞いた時点で」
炭谷さんが言うには、僕の名前と『僕っ子』であること、それと学校と年齢、体格や性格を聞いて、その後輩が僕であるとほぼ分かったらしい。
「ですので、ばれないか不安がっている栗山さんの表情を見て、笑いをこらえるのが大変でした」
…………。
まぁ、さすがにあの上本先生の下で働いている人だけあるなぁと思った。
それにしても不思議。お互い呼び方が、名前から苗字に変わっているのに、むしろ親しみを感じるなんて。
「患者さんはたくさんいるから、僕のこと覚えていないと思った」
「確かにたくさんの方と接していますが、栗山さんはその中でもかなり特殊でしたので。それに入院期間も長かったですし、とても印象に残っていますよ。同僚との話でもたまに話題に上がりますし」
そっか。
病院内で有名になるっていうのは、なんか複雑な気持ちもあるけれど、やっぱり覚えてくれていたのは素直にうれしかった。
「それで、沙織先輩には僕のことを話していないの?」
「そうですね。栗山さんが入院されていたころ、少し話題に出したかもしれません。もちろんプライバシーもありますので、名前は伏せましたが」
「じゃあ、大丈夫かな?」
「ええ。おそらく」
「良かったぁ」
どのくらい話題に出たかは分からないけど、炭谷さんが早い時点で僕のことだと気づいてくれたみたいだし、沙織先輩は失礼ながら少し抜けたところがあるので、大丈夫だろう。
僕はうーんと伸びをして力を抜いた。
不安やもやもやが消えて、一気に心が楽になった気分。
そんな僕を見て、炭谷さんがほほ笑む。
「普通に女の子として生活されている栗山さんにお会いできて嬉しかったです。中学の制服もお似合いですし、座り方もちゃんと女の子らしくなっていましたし、先生もきっと喜びますよ。ときおり話題に出して気にしていらっしゃいましたから」
「あの……なかなか会いに行けなくてすみません」
「いえ。病院に訪れる機会がないのは経過が良好な証拠ですから。それに今日栗山さんにお会いして、きっと行く余裕がないくらい今の生活が充実していたからではないかなと思いました」
「ありがとうございます」
そう言ってくれると僕も嬉しい。
と、いい感じで会話が続いていたんだけど、不意に炭谷さんがトーンを変えて、僕に告げた。
「ところで。先生に報告するついでですが。栗山さんにも好きな方が出来たようで。おめでとうございます」
「ふぇっ?」
唐突な炭谷さんのセリフに、僕の口から変な声が出た。
えっと……それって……沙織先輩から聞いたのかな。
僕がトイレで席をはずしている僅か数分の間に、もう炭谷さんに伝わっているなんて……恋バナ、おそるべしっ。
そんな僕の様子を面白がって見つつ、炭谷さんは妹の沙織先輩とそっくりな笑顔でずいっと迫ってきて、僕の耳元でこっそりつぶやいた。
「それで、M.Kさんって、どなたですか?」
「そこまで聞いたのっ?」
「ええ。栗山さんが好きになる方は男性なのか女性なのか、一個人として気になるところです」
「いや、だから、それは……っ」
「……そういえば、半年前のプリンを食べて来診された方も、確か栗山さんと同じ学校でイニシャルも確か……」
「わぁぁぁっ」
「あ、お姉ちゃん。もぉ、優希ちゃんと二人きりでなに話してるの? ずるい。私も混ぜてよー」
炭谷さんの追及は、僕がなかなか戻ってこなくて心配になった沙織先輩が見に来たことで逃れることが出来た。ふぅ。助かったぁ。
――って、沙織先輩が張本人なんだけどね!
ちなみに僕と炭谷さんが洗面所で会話している間、部屋に沙織先輩と二人っきりになった岡本くんだけど、結局、緊張というか妙に意識してしまって、ほとんど会話できなかったみたい。せっかくだからたくさんお喋りすればいいのにと思ったけど、好きにも色々な形があるのかな。
やっぱり、僕にはまだ早いのかもしれない。
そんなことを感じた一日だった。




