衣替え
「……暑い」
ボタン一つ開いたブラウスの襟元をぱたぱたしながら、僕はひとり呟いた。
衣替えの季節を迎えてようやく分厚いブレザーを着なくて済むようになったため、今は白のブラウス一枚のみだ。スカートも夏服は生地が薄くなっている。
とはいえ六月に入って急に蒸してきたし、うちの中学には特別教室以外は冷房がないので、暑いことには変わりない。
部活のない放課後、その暑さから逃げるように図書室で涼んでいたら、すっかり夕暮れになってしまった。
(もう、みんな帰っちゃったかなぁ……)
なんてことを考えながら教室に戻る。案の定、教室はがらんとしていて、僕の席の近くに二人の男子がいるだけだった。義明くんと稔くんだ。ちなみに男子も見るからに暑苦しそうな学ランから、白のワイシャツに変わっている。
「やっぱり黒だよなー」
「そうか?」
「稔は白だろう」
「……まぁな」
二人はそんな話をしていた。白黒ってミステリーの犯人捜しかな。それとも囲碁やオセロの話だろうか。
「ねぇねぇ。何の話?」
僕が机の上に置いたカバンを取るついでに会話に加わった。
そんな僕を見て、義明くんがにやにやしながら言った。
「栗山は、白だよなー」
「あ、僕は犯人じゃないんだ」
「……なんの話をしてるんだよ」
稔くんが呆れた顔をする。
「それは僕が聞いているんだけど。なんの話なの?」
逆に僕がずいっと顔を寄せて問いただすと、稔くんは露骨に顔をそらしながら、ぼそりと呟いた。
「……下着の色」
「へ?」
思わず目が点になる僕に、義明くんが悪びれずに笑いながら説明する。
「好きな下着の色の話さ。ほら。女子が夏服になって白いブラウス一枚になったじゃん。すると背中のブラが透けて見えるんだな。これが」
「――っっ」
僕は慌てて背中に手を伸ばした。薄いブラウスの感触。その少し上にブラの背中の部分の感触があった。後ろに目が付いているわけじゃないから、僕からは見えないけど……
「……もしかして、透けている……の?」
「うん」
義明くんが邪気のない笑顔でうなずいた。
僕はダッシュで、教室の後ろに向かった。
そしてロッカーに押し込んでおいたベスト(一応学校来るときは着てきたけど、暑いので脱いだ)を取り出し、一気に着こんだ。
そんな僕を見て、義明くんがからかうように笑った。
「ははは。別に気にしないのに」
「僕が気にするのっ」
僕は席に戻ると、義明くんを無視して、隣の稔くんに詰問する。
「じゃあ、稔くんは? 白が好きなんでしょ」
「いや……好きというか……。他の女子ならともかく、栗山だし」
「どういう意味っ?」
返答はない。ただ二人して笑うだけだった。
もぉ……
稔くんと二人で話しているときはそうでもないんだけど、義明くんが加わると、どうも僕が女の子扱いされていないような気がする。
――まぁ。これはこれで楽しいんだけどね。
「男子はいいよねー。ワイシャツの下に何も着なくてもいいんだもん」
「やっぱり、ブラって蒸れるのか?」
「うん。でも着けないわけにはいかないしねぇ」
「そうか? 栗山の胸、春先に見たときとあまり変わってねーし、ブラ付けなくてもいいんじゃね?」
「いやいや。さすがにそれは……。っていうか、人が気にしていることを」
「俺は、女子のスカートが涼しげで羨ましい」
「そうでもないよ。蒸れるし腿にくっ付くし。立っているときはいいけど椅子に座っているときなんか特に。ほら、ひと夏を越えると女の子の雰囲気が変わるって言うでしょ。あれ、きっと暑さでスカートが短くなったせいだと、僕は思うんだよ。うん」
「そういうもんなのか……」
いつの間にか流れ的に制服トークになって、僕はスカートについて熱弁していた。
ちなみに僕のスカートの裾も、入学式の膝下十センチから、いつの間にか膝の少し上くらいの長さが普通になってきた。夢月ちゃんのスカート姿も様になってきたし、人間って慣れる生き物なんだなーって思う。
「で、話を元に戻すけどさ。実際、黒い下着着けている女子っているのか? 栗山は見たい放題なんだから知ってるだろ」
……見たい放題って、別に見たいわけじゃないんだけど。
「ふふ。甘い。女の子同士でも、そう簡単に肌や下着を見せないものなんだよ」
僕はしたり顔で、男子が夢見る「女の子の着替えの光景」の現実を説明した。
「でも、それは人によりけりだし、見ようと思えば見れるし、聞くこともできるだろ」
「……ま、まぁ」
「てことは。――まぁあくまで例えばの話だが、柚奈がどんな色の下着をつけているのか分かるんだよな」
義明くんがさりげなくを装いつつ、話を振ってきた。
あ、やっぱり本命はそっちなんだ。
単に胸がおっきいからか、それとも彩ちゃんが言う通り、柚奈ちゃんだからなのか、ちょっと気になるところだけど。
「……それを僕が素直に言うとでも?」
当然、親友を裏切るわけにはいかないよね。
「もちろん、タダでとは言わないさ」
そんな僕に向けて、義明くんが悪代官並の笑みを浮かべると、カバンの中から一枚のカードを取り出した。
☆☆☆
「ほうほう。で、くりゅは、そのレアカード欲しさに、親友のあたしを売ったってわけだ」
「ふえぇえぇ。ほふぇぇやはい(ごめんなさい)」
柚奈ちゃんにほっぺを両手でつままれながら、僕は謝った。
いや。もう。本当に反省しています。ついつい出来心で。でも、こうして柚奈ちゃんに言ったのも、下着の色を聞くためじゃなくて、義明くんの悪だくみをばらす為なんだから。ほんとだよ? 下着の色を聞いて来いって言われただけで、僕から、今まで柚奈ちゃんがどんな下着を着けていたとか教えていないし。
「ま、いいわよ。悪いのは義明なんだから」
平謝りの僕の頭に、柚奈ちゃんがぽんと手を乗せた。もともとほっぺをつねられたのもお約束みたいなもので、それほど怒っている様子もなかった。
義明くんたちと別れて帰ろうとしたら、たまたま校門のところで部活帰りの柚奈ちゃんを見つけたので、義明くんに言われたことを話したところである。
「それにしても、男子って本当に馬鹿なんだから。そんなこと知ってどうするのかしらん? 下着の色なんて毎日違うんだし」
まぁ確かに柚奈ちゃんは、僕が知る限りでもたくさんの種類の下着を持っている。たいてい白の僕とは大違いだ。
「って、それで思い出したけど、柚奈ちゃんは、僕のブラが透けているのが丸見えだったんだよね。言ってくれればよかったのに」
僕は少し恨みがましい口調で言った。
僕の席の後ろが柚奈ちゃんで、その隣が義明くんだ。僕が暑いからベストを脱いだのが二時間目の休みのときだから、それからずっと授業中、椅子の背もたれがあったとしても、じっとしているわけじゃないから、見られ放題だったんだ。
けどそんな僕に対して、柚奈ちゃんは笑って返した。
「あはは。薄着をすれば透けるのは当たり前なんだから、くりゅも分かっていてベストを脱いでいるんだと思ってたよ」
「ううっ……」
そういう柚奈ちゃんはずっとベストを着用していた。柚奈ちゃんの胸の大きさを考えると、小学生のころから色々とあったんだろうなと思う。やっぱり、女の子になってまだ半年もたっていない僕とは経験値が違いすぎる。
「ところで、あたしを思わず売りそうになるほど、義明が提案したカードって、価値が高いもんなの?」
「うん。光のレジェンドだよ。スキル五つ持ちだし。全体強化の特性も持っているから、光のデッキを強化にはうってつけだよ。義明くんだって、決して余っているからいらないようなカードじゃないと思うよ」
「……ふぅん。そうなんだ」
あ、柚奈ちゃんの顔が、まんざらでもない感じ。
「もぉ、仕方ないなぁ。じゃあ、そこまでして知りたい馬鹿義明と、愛しのくりゅのために特別に、明日の下着の色を教えてあげようかなー」
「えっ? 本当」
「ふっふっふ。あたしはカードには興味ないけど、その見返りとして、くりゅの宿題丸写しさせてよね」
柚奈ちゃんはそう言うと、僕の耳元に向けて、こっそりとその色を告げた。
☆☆☆
「……肌色っ?」
翌朝のホームルーム前。
さっそく柚奈ちゃんから聞いた色を告げると、義明くんが驚いた様子で声を上げた。
「うん。そう言ってたよ」
当然その声は、前の席にいる稔くんの耳にも届いただろう。せっかく、カードを提供したのは俺だから稔には聞かせない、って言うから耳元でこっそり言ってあげたのにね。
「肌色って……どういうことだ?」
結局、稔くんに聞く義明くん。
「さぁ。そのままの色なんだろ」
「いや、肌色というのはあくまで比喩で、もしかすると着けてないって意味かも……?」
義明くんがぶつくさと言いながら、考え込む。僕はその手からレジェンドカードを引っこ抜いて、カバンの中にしまった。
やったね。これで稔くんともいい勝負ができるよ。
なんてことをやっていると、柚奈ちゃんが教室に入ってきた。
「おっはー。今日も一段と暑いねー」
柚奈ちゃんは席に着くと、そう言って、まるで見せつけるようにベストを脱いだ。白いブラウスがまぶしい。けどその下のブラは見えない。
「…………」
「んん? どーかしたの、義明」
「……い、いや」
そう答えつつも気になってしょうがない様子の義明くんと、それを知っていて流す柚奈ちゃん。その光景に、僕は笑いをこらえるのに必死だった。
ちなみに肌色というのはそのまんまの意味。ベージュ色のブラらしい。
柚奈ちゃん曰く、おばさんくさい色だけど可愛いデザインのも多いのよん、とのこと。
よく目を凝らせば見えるけど、ぱっと見だとブラ線は分からない。きっと義明くんは、もしかしてノーブラ、なんて考えたりしているんだろう。そんな様子をこっそりと楽しむ柚奈ちゃん。なんていうか、魔性の女って感じ。男子を逆に手玉に取るところは、ちょっと格好いいと思った。
僕は自分の胸元に目をやった。ベスト着用で、さらに分かり難くなった小ぶりな膨らみを見て思う。さすがに魔性の女は無理だけど……
「――僕も小悪魔にくらいには、なれるかなぁ」
「……は?」
ぽつりとつぶやいた僕を、隣の席の稔くんが変な目で見ていた。




