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生理

「ううぅぅ……」

 僕は机に突っ伏しながらうめいた。せっかくの土曜日なのに。連休なのに。

「まぁ頑張りなさい。辛い日が学校の日に重なるよりはマシでしょ」

「それもそうだけど……ううぅっ」

 絵梨姉ちゃんの投げやりな励ましに、僕は机に突っ伏したまま答えた。

 月に一度訪れる、避けることのできない憂鬱な日々。――生理である。

 女の子になって三度目の体験真っ只中。仏の顔も三度までって言うけど全然慣れない。ていうか仏の顔、関係ないし。

 ううぅ。頭痛い。腰痛い。お腹痛い。やる気痛い――じゃなくて起きない。

「優希ちゃん、大変そうだねぇ。女の子の日を見ていると、つくづく男に生まれてよかったと思うよ」

 宏和おじさんが気の毒そうに僕を見て言った。

 まったくもって同感。でも僕も男に生まれたんだけどね。

 今になって思う。お母さんが調子が悪かったりやけに機嫌が悪かった日があったけれど、あれって生理の日だったんだって。……でもあれ? そうなると生理の日が月一じゃすまされないような気もするけど。

 休日の土曜日。居間でそんな話をしていると、生理でダウンしている僕の代わりに部屋を掃除してくれた雪枝さんが、僕のライトブルーの携帯電話を持って一階に降りてきた。

「優ちゃん。携帯電話が鳴っているわよ」

「あ、ほんとだ。ありがとう」

 僕はお礼を言って携帯電話を受け取った。

 相手は、夢月ちゃんだった。

「優希。今から、会えない?」

「え、今から?」

 相変わらず夢月ちゃんは思い立ったら即行動というか、急だ。

 僕は少し考えた。外に出るのは辛いけれど、家にいても辛いのだから、同じだ。むしろ思い切って外に出るのも手かもしれない。

「うん。分かった。支度するから、ちょっと待っててね」

 僕はそう答えて立ち上がった。


  ☆☆☆


 僕は部屋着から、お腹が痛いのでゆったりめのワンピースに着替えて、家を出た。男の子のときは何も考えず部屋着のまま外に遊びに行っていたことを思うと、僕も女の子として少しずつ成長しているのだなと思う。生理はいらないけど。

 外は思ったより暖かくて気持ちよく、少しだけ気分転換になった。

 待ち合わせ場所は近所の小さな公園。休日だというのに、少子化の影響か人気はなく、夢月ちゃんが一人で公園のベンチに座っていた。

「呼び出しちゃって悪い。優希」

 そう謝る夢月ちゃんは、灰色のパーカーに、ブラウンのズボンという格好。あ、いけない。ズボンじゃなくて、パギンスって言うんだっけ。心なしか、顔色が悪くて、青ざめているように見える。体調悪いのかな……

「ううん。家にいても死んでただけだし。どうしたの?」

「実は……」

 さりげなく口にした死んでた、を華麗にスルーされて、夢月ちゃんが真剣な顔をして言った。

「優希を女の中の女と思って相談がある!」

「お、女の中の女ーっ?」

 僕は思わず聞き返してしまった。

 女の中の男なら、よく分かるけど、女の中の女って……まだ女の子歴三ヶ月未満だって言うのに。

「だって、優希って、小さくて優しくて可愛くて、ついでに天然ボケじゃない」

「天然……」

 最後の部分は意味不明なんだけど。

 けどそんな僕のつぶやきも華麗にスルーされ、夢月ちゃんがそっと続ける。

「優希って、もうアレ来てるよね」

「あれ?」

 僕が聞き返すと、夢月ちゃんは「そういうところが天然だよねぇ」と言いながら、こっそりと僕の耳元で言った。

「生理のこと」

「あ、ああ。うん。もう来てるけど。ていうか、今、真っ只中なんだけど」

「え、マジ? もしかして絶賛出血中? ねぇ、ちょっと見せてみてよっ」

「だっ、ダメ、無理っ!」

 慌てて手を振って断る。親しき中にも礼儀ありというか、それはさすがに恥ずかしくて無理だ。

 僕は夢月ちゃんの猛攻を防ぎつつ、ふと気づいた。

「もしかして、夢月ちゃんって、まだなの?」

 すると、夢月ちゃんはぴたりと手を止めて、やや顔をむっとさせた。

「悪い?」

「う、ううん。そんなこと。むしろ羨ましいかも」

 ちょっと変な気持ち。女の子になって数ヶ月の僕が生理を経験していて、女の子をずっとやっていた夢月ちゃんは未経験なのか。

「それに全然変じゃないよ。そういうのは個人差があるからね」

 僕がそう言うと、夢月ちゃんは少しだけほっとした様子を見せた。そして逆に興味津々と言った様子で聞いてくる。

「ねえ。あれってやっぱり、初めては『垂れ流し』なの?」

「垂れ流し……って」

 初めてのときは、おちんちんが付いていたので中に溜まったままでした、とはさすがに言えない。

「あれ? 夢月ちゃん、そういうのって、保健の授業で習わなかったの?」

「知らない。体育が潰れてつまらないから、毎回教科書に落書き書いて遊んでた」

「あはは。夢月ちゃんらしいね……」

 まぁ僕も、女の子の保健の授業は未体験なんだけどね。

 僕は少し考えて、二回目の、病院で炭谷さんに教わったときのことを、うまく病院の事を隠して話し出した。


  ☆☆☆


 それは僕が手術を受けてもうじき一か月になろうとする日のことだった。

 女子トイレに行くのにもだいぶ慣れてきたころ、定期診断で上本先生が言ったのだ。

「さて。そろそろ優希くんのアノ日が近づいてきたわけですが」

「あの日?」

 首をひねる僕に、炭谷さんが説明する。

「生理のことですよ。栗山さんの場合は、もう初潮ではありませんね」

「あ、ああ」

 なるべく考えないようにしていたんだけど、女の子になった以上、やっぱり避けては通れないよね。

「まぁ私も医者として一般男性以上の知識は持ち合わせていますが、女性と違って実際に体験できるわけではありません。そこで炭谷くんに教えてもらおうかと思うのですが」

 僕は上本先生の横に立つ炭谷さんを見上げた。確かに、生理のことなら同じ女性として炭谷さんに教わった方が気は楽だ。……とそこまで考えて、僕はちょっと驚いた。自然に、上本先生でなく炭谷さんを同性と思うようになっている自分に。


 診断室から僕の病室に移って、炭谷さんとの講義が始まる。

 僕はまず一番気になっていることを聞いてみた。

「生理って血が出るんですよね。その、止まらなかったらどうなるんですか」

「そうですねぇ。血が止まらなかったら死んじゃいますね~」

「しっ、死ぬのっ??」

 僕は顔を青ざめた。

 そんな僕を見て、炭谷さんがくすくすと笑った。

「ご安心ください。もちろん、血がずっと止まらなかったら出血多量になってしまいますが、普通はしばらくすれば治まりますよ。仮に出血が長引いても病院に行けば、適切な治療も受けられます」

「良かった……」

 幸いここが病院だしね。

 それにしても炭谷さん、冗談がきつい。天然なのかもしれないけど。

「ちなみに初潮や、その次の月経は、一般的に出血は少なめなのですよ。もちろん個人差はございますが」

「……はぁ」

 少なめというのがどれくらいか分からないけど、普段見ない血を見るだけで、怖いんだけどなぁ。

「生理は周期的に来るものですので、治療は必要ありません。来たら、終わるまでただやり過ごすだけです」

「え、それだけ」

「はい。もちろん、すでに栗山さんもご経験されたと聞いていますが、腹痛等諸症状に耐えないといけませんが」

「ううぅ。それはやだなぁ……」

 うめく僕を見て炭谷さんが笑いながら、とあるものを取り出した。

「その間が、出血で衣服を汚さないよう、ナプキン着用いたします」

 それはテレビのCMでよく見る、生理用ナプキンというものだった。

 炭谷さんはそれを取り出して、付け方を教えてくれた。へぇ。羽根ってなんだろうって思ってたけど、こうやってずれないために使うだ。

 あ、ちなみにさすがに僕でも、生理の血が青いなんて勘違いはしてないよ。

「血が出るってことは、やっぱり痛いんですか? 慢性的なのとは別に」

 生理でお腹が痛くなるのは実体験済みだけど。

「いえ。出血時に痛むということは、通常ではありません。たとえるなら鼻水が出る感じでしょうか。つぅーっと、自分ではコントロールするのが難しいのです。ですのでちゃんと生理の周期を知って、事前にナプキンを用意しておくといいですよ」

「はぁ……」

 いろいろ教わったけど、思ったことは「女の子って大変」の一言だった。

 一通り講義が終わり、最後に炭谷さんがこう言って締めた。

「いろいろ説明しましたが、個人差がありますので必要以上に他人や一般例を気にしないで、自分の身体にあった対処方法を見つけてください。もし今後、栗山さんのお友達が心配しているようでしたら、そう教えてあげてくださいね」

「は、はい」

 女の子として中学に通うのだから、当然女の子の友達を作らないといけないんだよね。はたして本当に女の子の友達ができるんだろうか。

 考えると不安になる。


 翌日。

 病室のベッドで目覚めた僕は下腹部に違和感を覚えた。

 布団をどかし、ぼんやりと股の部分を覗き込んで――

「ぎゃぁっ!」

 僕は思わず悲鳴を上げた。

 パジャマの股の部分が赤黒く染まっていた。

 手術した傷口が裂けてしまったのだろうか。手術失敗っ? 出血大量で死んじゃう! あぁ、ダメ。見ているだけで痛くて死にそ……って、あれ。

 痛くない? 

 ……ってそこで冷静になる。傷口的な痛みは……ない。

 もしかして、これって、生理?

「……なんてタイムリーな」

 昨日の今日でこれとは。思わず呆れてしまった。そういえば、生理周期は心理状態が影響することもあるって、炭谷さんに教わったっけ。

「とりあえず、パジャマと身体を洗わないと」

 落ち着いて、ナースコールを押す。幸い炭谷さんが出てくれた。

 僕は股下を隠すようにして病室を出て、特別にシャワーを借りて、身体を洗った。

 ちょっと指を切って血が出ただけでも頭が真っ白になるので、薄目でなるべく直視しないように、痛くないよう丁寧に股下を洗った。

 これが毎月訪れると思うと気が重くなる。けど他の女の人もみんな同じなんだよねと、無理やり言い聞かせる。

 身体を洗い終わってタオルで拭き、下着とともに、昨日炭谷さんに教わった通りナプキンを付けた。うん。大丈夫。別に難しくもない。これで終了だ。

 鏡に映るのは、いつものトレーナーにズボンを着た僕の姿。

 外から見たら、生理が来ているなんて分からない。けど、やっぱ、なんか恥ずかしい。

 今日、お母さんは病院に来るのかな。来たらやっぱり報告しなくちゃいけないよね。なんか言いづらい。心の準備ができるまで待ってほしい気がする。

 そんなことを考えながら、僕は病室に戻った。

 いろいろ考えると憂鬱だけれど、生理という女の子としての第一歩を無事済ませられて、少し嬉しかった。


 ――その翌日、僕は頭痛腹痛等の、いわゆる生理痛に襲われて寝込むことになってしまい、生理は終わるまでが生理なんだと知った。


  ☆☆☆


「というわけで」

「ほうほう。やっぱり最初は大変なんだねー」

 病院の部分はうまく省いて説明したけど、何とか夢月ちゃんには伝わったみたい。

「でもどうして僕に聞いたの? 柚奈ちゃんに聞けばいいのに」

 僕より女の子っぽいし、夢月ちゃんとの付き合いも長いし。

「だめ。あいつは。絶対馬鹿にされるし、嘘言われるし」

「はは……」

「それにあまり付き合いが長い子だとなんか聞きにくくて……」

「うん。なんか分かる気がする」

 夢月ちゃんの話だと、昨日の夜辺りから急に腹痛が始まって、「これって、もしかしてうわさに聞く初潮?」と思ってお母さんに聞いたみたいなんだけど、「どうせ、賞味期限切れのプリンを食べたせいでしょ」と、全く取り合ってくれなかったので、僕の所に話を聞きに来たとのこと。

 ちなみに、賞味期限切れのプリンを食べたのは事実みたいだけど、なんていうか、すごいお母さんだなぁ。賞味期限切れのプリンを食べる夢月ちゃんも夢月ちゃんだけど。

 僕は持ってきたナプキンを夢月ちゃんに渡して、使い方を教えてあげた。

「ありがとう、優希。本当に助かった」

「ううん。お礼されるほどのことじゃないよ。お大事にね」

 辛さを共有するっていうのかな。

 こういう連帯感って、男の子のときにはなかなか味わえなかったものだから、なんかいいな、と思った。



 休み明けの月曜日。

 家を出る前に、夢月ちゃんから「腹痛が痛くて休む」ってメールがきた。

 きっと、無事に初潮が来たんだろう。

 って、腹痛が痛くて休むくらいだから、無事じゃないか。

(生理痛が酷いのかな……)

 夢月ちゃんといつも待ち合わせしている交差点前を一人で素通りしながら、僕は、夢月ちゃんの体調を心配していた。


 朝のホームルーム。

 夢月ちゃんの名前を飛ばして出欠を取り終えた渡辺先生が言った。

「あー。今日、木村は休むという連絡が来ている」

 先生にもちゃんと連絡を入れたみたい。

「なお、昨日日曜でも開いている病院にわざわざ行って診断してもらった結果、冷蔵庫に残っていた賞味期限の切れたプリンを食べたことが原因らしい。みんなも気をつけるように」

 ……え?

 爆笑に包まれる教室の中、僕だけ目が点になっていた。


 その翌日。夢月ちゃんは元気に登校した。

「いやぁ。怖いねー。食あたりって。あ、でも大丈夫。ノロウイルスとかじゃないから、他の人にはうつらないから」

 そうみんなに言い回って笑う夢月ちゃんに、僕はこっそりと聞いてみた。

「あの、もしかして、生理始まって恥ずかしいからごまかしているとか……そんなんじゃないよね……?」

「当たり前でしょ。そんなわけないじゃん」

 そんな僕を笑い飛ばして夢月ちゃんが笑った。

「はは。だよねー」

 今日も夢月ちゃんは元気だった。


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