再会
「……ええ。分かったわ。気を付けてね」
お母さんがぴっと携帯電話の通話を切った。
お父さんから連絡があったのは、もう辺りが暗くなってきたころだった。ようやくあと少しで、最寄り駅に着くとのこと。
お母さんが迎えに行くため外に出る準備をしていると、宏和おじさんが言った。
「駅まで歩くと時間かかるし、僕が車を出して迎えに行こうか」
「すみません。助かります」
「じゃあ僕も行くよ」
「優希も?」
「うん」
もうすぐお父さんが家に着くということは、また制服という名の重たい鎧を着なくちゃいけないということだ。だったら、家で待つのではなく、自分から出迎えに行けばいい。表に出れば、さすがにあの格好はできないしね。もちろん、早くお父さんに会いたいから、という気持ちもあるし。
雪枝さんも絵梨姉ちゃんも不服そうだったけど、最終的にはOKもらえた。
というわけで、僕はパーカーに白い無地のスカートという地味な所がお気に入りの格好で、お母さんとともに宏和おじさんが運転する車に乗り込んだ。
駅まで徒歩20分の道のり。車ならすぐに着く。
「……あら? お父さんからメールが。電車の乗継を一本逃したから遅れるって」
「あらら」
お母さんが「車で迎えに行く」とメールを送ったら、お父さんから、そんな返信が来たようだ。
車の方は順調に進んで、駅に着いてしまった。邪魔にならないところに車を止めてしばらく中で待ってみても、電車の本数が少ないから、次が来るまで結構時間がかかる。
宏和おじさんとお母さんと僕。何とも微妙な無言空間が形成される。
「このままただ待っているのもなんだし、何か買い出しにでも行きましょうか」
その空間から逃げ出すってわけじゃないと思うけど、宏和おじさんが、前方にあるスーパーを見て言った。
「私は車の中で待っています。優希は?」
「ん……じゃあ、行く」
車の中でずっと待っているのも退屈だしね。
お母さんから財布をもらって、僕は宏和おじさんとスーパーに入った。帰宅前に寄ったと思われるお客さんで、思ったより混んでいた。
「僕はお酒を買ってくるから、優希ちゃんには、おつまみの買い出しをお願いしようか」
「はい。分かりました」
うなずいて二手に分かれた。雪枝さんの買い物にくっ付いて、何度か利用しているお店なので、何がどこにあるかは大抵わかっている。
おつまみ売場はお酒を売っている所だけではなく、お菓子売り場の所にもある。僕の好みで、そっちを中心に物色する。
さて。何を買おうかなぁ……
「うーん。これ僕は好きなんだけど、お酒に合うのかなぁ。こっちのは確かお父さんが好きだったような……」
そんなことを呟きながら、売り場を行ったり来たりしているときだった。
「優希」
男の人から名前を呼ばれた。宏和おじさんとは声が違う。
僕は怪訝げに振り向いた。――そこに、懐かしい人が立っていた。
「お父さん!」
「よぉ」
季節はずれに真っ黒な日焼けしているけど、見間違えるはずがない。僕のお父さんだ。
「でもどうして? 電車に乗り遅れたんじゃなかったっけ」
「ははは。春から迎えに来るってメールがあったから、遅れるって嘘をついて、驚かせてやろうかと思ったんだ。そうしたら、優希がスーパーに入るのが見えてな」
「……あはは」
お父さんらしいなぁ。
相変わらずの性格だけれど、容貌はだいぶ変わっている。海外赴勤が、有名な大都会じゃなくて、日本じゃ知られていない結構ワイルドなところとは聞いていたけれど。
って、変わっていると言ったら、僕だって――
「そういえば、お父さん、よく僕が分かったね」
僕は軽くスカートをつまんだ。
「当たり前だ。実の息子を見間違えるはずないだろ」
そう言って、僕の頭に手をやって拳でぐりぐりしてくる。
「お父さん……嬉しいんだけど、『息子』じゃなくて『娘』だから」
「ああ。そうだった。悪い悪い」
お父さんの反応。本気で今思い出したかのようだったけど。
「……もしかして、僕、あまり女の子に見えなかった?」
「いやいや。スカート姿も似合っているし、普通に女の子に見えるぞ。男のときから大きく変わっていて、驚いたよ」
「……本当?」
思わずジト目になってしまう。
「ああ。もちろん」
「そっか……」
言われて嬉しいはずなんだけど、なぜかちょっとだけ胸がちくっと痛んだ。
「ところで、春は?」
「あ、車にいるよ。きっとお母さんもお父さんに会いたがっているよ」
「ははは。どうかな」
僕たちは、結局何も買わず、並んでいっぱいお話しながら、お母さんの待つ車に戻った。
そして気づく。
――あ、宏和おじさんを忘れてた。
☆☆☆
「乾杯」
「かんぱーいっ」
お父さんとお母さん、それに秋山家の面々も加わって、六人での夕食パーティが開かれた。大きなコタツでもさすがに狭くて、別の組み立て式テーブルを用意したくらいだ。
主役のはずのお父さんは、なぜかその別テーブルで、僕そっちのけに、宏和おじさんと盛り上がっている。けど、そういうお父さんを見るのも楽しい。
絵梨姉ちゃんに促されて、僕はお酒を持ってお酌に行った。
「それにしても、優希ちゃんは、本当にもう女の子だよねぇ。よくお店で分かったね」
お酒を注ぐ僕を見て、酔いで顔が赤く染まった宏和おじさんが、お父さんに向けて言った。
「ははは。実は理由があるんですよ」
同じように顔を赤くしたお父さんがそう答えた。
「理由って、なに?」
僕は思わず聞いてしまったけど、お父さんは笑って答えなかった。
そうこうしていると、今度はコタツの方から雪枝さんに声をかけられた。
「優希ちゃ~ん。おばさんにも、お酌してぇ~」
すっかり出来上がっている様子。自分で禁止にした「おばさん」って言ってるし。
とまぁ、なんかいろいろ疲れたけど、二ヵ月ぶりの家族での食事は、とても楽しかった。
食事後。隣の居間から聞こえるにぎやかな声を背中に受けながら、僕は台所でお皿を洗っていた。食事の後のお皿洗いは僕の仕事だ。今日ぐらいは、と雪枝さんが言ってくれたけど、こういう日だから逆に洗う食器が多くて、お手伝いになるからと、僕はいつものように後片付けをしている。
扉が開いてお父さんが入ってきた。
「皿洗いしているんだな」
「うん。少しでも手伝いしないとね」
お父さんは台所にあるテーブルの椅子を引いてそこに座った。お父さんが台所に来るのはたばこを吸うときだけど、その様子はない。
「たばこ、吸わないの?」
「いや。そう思ったけど、優希も女の子だし、健康に悪いからな」
「男だったらよかったの?」
僕は意地悪く笑った。
お母さんは、優希の身体に悪いと不機嫌だったけど(そのせいで台所で吸うようになったのだ)、たばこの煙、それほど僕は嫌いじゃなかった。
って、もしかして中毒手前? あぶないあぶない。
「それにしても、スカートを穿いて台所に立って後片付けしている姿を見ると、本当に女の子だな」
「……うん」
「どうした? 浮かない声を出して」
「その、女の子みたい、って言われることに戸惑うことも減って、嬉しく思えるようにもなってきたんだけど。ただ、そう言われると、男の子だったときの僕――お父さんとお母さんの息子――がいなくなっちゃったみたいで……」
特に、『息子』として接してきたお父さんに言われると複雑。もしかすると、お母さんも僕に対して似たような感情を持っていたのかな。
お皿を洗う手を止めて、僕はうつむいた。
するとお父さんは立ち上がり、僕の頭に手をポンと乗せて、言った。
「さっき、俺がすぐに優希だと分かったって言ったよな。どうしてだと思う?」
「えっと……」
顔を上げて振り向く僕に向け、お父さんはにやりと笑った。
「優希が、あまりにそっくりだったんだよ。若い頃のお母さんにな」
――えっ?
「で、でも。雪枝さんは何も……お母さんのお姉さんなんだから、昔のお母さんを見てきたはずだけど、僕、そんなこと言われたこと……」
「ああ。それはな。春はいつも家や学校では眼鏡に長髪だったんだ。今はコンタクトだけどな。けど、学校の外で俺と会う時だけには、髪の毛をアップして眼鏡をはずしていたんだよ。家族に見られるのが恥ずかしいから、って、わざわざ家を出た後にね」
「えぇぇぇっ」
お母さんったら、今じゃ想像できないくらい……乙女だ。
「正直、優希に会うまでは不安だったんだ。だから、優希を見て嬉しかったよ。確かに男の子のときと容姿は変わったけど、間違いなくお母さんの血を引いている、俺たちの子なんだなって」
「そっか……」
性別は変わっても、僕は僕。お父さんとお母さんの子供なんだ。
スーパーで感じていた胸の痛みが、嘘のようになくなって、すっと気持ちが楽になった。
僕はお皿洗いを再開した。お父さんはそんな僕を見ながら、椅子に座った。
お父さんの視線を背中に感じながら、話しかけた。
「そういえば、お父さんとお母さんって、中学校の時から知り合いだったんだね」
「ああ。幼馴染ってわけじゃなかったけど、中学で同じクラスになってな」
「ということは、僕も中学校に入学したら、お母さんみたいに、お父さんみたいな人と出会うのかな?」
すると、急にお父さんは声色を変えて言った。
「――優希。そういう話はまだ早い」
振り向いて見たお父さんは、真顔だった。
「……ふぇっ?」
どうやら、入院前に言っていた「優希は嫁にやらん」がシャレにならなくなってきちゃったみたいである。




