表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/90

新生活

 病院を後にした僕とお母さんは、電車を乗り継いで小さな駅に降り立った。

 そこから歩くこと、二十分。広い畑に面したところに、「秋山」という表札がかかった、白塗りの壁に黒い瓦という、昔ながらの一軒家がある。

 ここは僕にとっては、いとこの家。お母さんにとっては、お姉さんの家。今日から僕がお世話になる家である。

「なんか歩いてきたから、いつもと違う感じがする……」

「そうね。いつもは車で来ているし」

 とお母さん。

 夏休みとかお正月とか、節目の日にはよくお父さんの運転する車で遊びに来ているんだけど、今は車がないので、駅から徒歩で訪れた。

 緊張して玄関の前に立つ僕の横で、お母さんが呼び鈴を押した。

 待つことしばし。

「いらっしゃい。優希ちゃん。退院おめでとう。待っていたわよ」

 お母さんに似た女性が、にこやかな笑顔で僕を迎えてくれた。

 秋山雪枝さん。お母さんのお姉さん。つまり僕の叔母さんである。

「こ、こんにちは」

 何度も顔を合わせているんだけど、僕は柄にもなく緊張しながら挨拶した。

「それにしても、まぁ。優希ちゃんったら、すっかり可愛くなっちゃって」

「は、はぁ……」

 手術をしたのは下の部分だけで、顔はいじっていない。だからそう言われると、もともと女顔だったのかな、とちょっとがっかりしてしまう。まぁホルモン治療もしていたし、髪の毛を伸ばしたから、多少印象は変わっているかもしれない。

 雪枝叔母さんと会うのは、一月の中頃、居候することになって挨拶に行ったとき以来。お見舞いには何度か来てくれたみたいだけど、直接僕と顔を合せることはなかった。男の子から女の子になった僕の変わり具合を一気に見たかったかららしい。今、満足させられたかどうかは分からないけど。

「それにしてもせっかく可愛くなったんだから、もっと可愛い服を着ればいいのに。ねぇ?」

「え、えーと……」

 雪枝叔母さんに同意を求められて、僕はちらりとお母さんを見てしまった。案の定、お母さんは苦い顔をしていた。

 そんな僕たちを見て、雪枝叔母さんはころころ笑う。

「まぁ、普通に自分の家だと思って構わないから。これからよろしくね」

「はい。雪枝叔母さん。こちらこそよろしくお願いします」

「ふふ。よろしく。あ、これから一緒に住むんだから、おばさん、は禁止ね」

「は、はい」

 血筋的には叔母さんであることは事実なんだけど、女性的には「おばさん」呼ばわりされたくないのだろうか。女性心理は奥が深い。

 ……僕も大人になったら、そうなるのかなぁ?


 退院祝いにもらったお花を花瓶に活けてもらった後、僕たちは居間のこたつに入って、病院での出来事や今後のことなど、色々話を交わした。

「姉さん。色々お世話をかけてごめんなさいね」

「いいのよ。建一が出ていったから部屋余ってるし。家事の量も大して変わらないしね」

 お母さんの言葉に雪枝さんが笑って答える。

 建一というのは雪枝さんの子供で僕のいとこ。一人っ子の僕にとってはお兄ちゃんみたいな存在だ。今は大学生で去年の春から東京で一人暮らしをしている。

 そしてもう一人、僕にはいとこがいる。

「ただいまー。あぁっ。もしかしてもう来ちゃった? せっかく急いで帰ってきたのにぃ」

 玄関から声が聞こえてくる。雪枝さんが苦笑いする中、居間の扉が開いた。

「やっほー。春叔母さん、優ちゃん。久しぶりー」

「絵梨姉ちゃん、お久しぶり」

 建兄ちゃんの妹で、現在は高校一年生。僕にとってはお姉ちゃんみたいな存在の、絵梨姉ちゃんだ。平日の午後だけれど、今はテスト期間中だし、僕が来るということで今日は早く帰ってきてくれたみたい。

 身長は165センチくらいで、普通の女子高生より少し背が高い。さらりと肩甲骨に掛かるくらい伸ばした髪は、やや茶色かかっている。制服の上にコートを羽織っているけど、スカートは短くて、すらりとした足がまぶしい。ウエストは細いのに、胸とお尻は大きくて、大人の女って感じ。

 さっき、雪枝さんのときも思ったけど、あと四年後に、僕が絵梨姉ちゃんみたいになるとは、とても思えない。

 絵梨姉ちゃんは、僕のお母さんと挨拶を交わした後、僕の顔をじっと見て言った。

「お。前から女の子っぽい顔つきだなって思ってたけど、やっぱ髪の毛を伸ばすと雰囲気違うね。似合ってるよ」

「あ、ありがとう」

 ……やっぱり女の子っぽい顔つきだと思われていたみたい。

 でもまぁ、似合っていると言われて悪い気はしない。

 当然だけれど、雪枝さんも絵梨姉ちゃんも僕が男の子から女の子になったことは知っている。

 お母さんがまだ戸惑っているのに、絵梨姉ちゃんたちが普通に女の子として接してくれるのは変な気もする。けどお母さんは男の僕と接していた年月が長い分、受け入れるのに時間がかかるのは当然かもしれない。

 ちなみに僕が男の子のときから、雪枝さんには「優希ちゃん」と、絵梨姉ちゃんには「優ちゃん」と呼ばれていたので、呼称は今も変わりはない。

「絵梨。早速だけど優希ちゃんを部屋に案内してあげたら? まぁ、建一の部屋だから案内もなにもないけど」

 そう言って雪枝さんが笑った。

「どうかなぁ? 優ちゃんが来るから、いらなそうなものはあらかた放り出しておいたんで、けっこう変わっているかもしれないわよ。あ、優ちゃんの目の毒になりそうな、隠してあったエロ本もちゃんと処分しておいたので大丈夫よ」

「あ、ははは……」

 ――建兄ちゃん、ごめんなさい。


 二階には、トイレと二つの部屋がある。手前が絵梨姉ちゃんの部屋。奥にあるのが建兄ちゃんの……つまり今日から僕の部屋だ。

 一階の部屋は畳張りだけれど、二階は今風にフローリング。六畳相当の広さの部屋は、さっぱりとしていて、茶色い床が光って見えた。建兄ちゃんがいたころは、いつも何かしらで散らかっていたんだけどね。

 部屋にはベッドと学習机、真ん中に小さなテーブルが置いてあるだけ。これは全部建兄ちゃんが使っていたもので、僕が前いた家から持ってきた荷物が、テーブルの上に段ボール一箱だけ置かれている。

「机や備え付けのクローゼットの中は空っぽにしておいたから、適当に使ってね。ベッドの布団もちゃんと換えてあるから安心して」

「う、うん」

 何度も遊びに来た部屋だけれど、自分の部屋だといわれると、不思議な感じというか、なんか落ち着かない。立っているのも何なので、僕はとりあえずベッドの上に腰掛けた。布団から干した太陽の香りがした。

「それにしても……」

 そんな僕を、絵梨姉ちゃんがじろじろと見てくる。

「な、なに」

「優ちゃんって、本当に女の子なんだねー。腰とかお尻もそれらしくなっているし、ちゃんと胸もおっきくなってるね」

 僕は思わず胸元をトレーナーの上から手で押さえた。

「め、目立つかな」

 入院する前は、普通の女の子に比べて女性ホルモンの値が少なかったみたいなので、それを正常に整える治療を受けた。それに単純に成長過程ということもあって、僕の身体は入院する前に比べてだいぶ女の子っぽくなっている。胸の膨らみも、前は厚着していればまったく問題なかったけど、今では、体勢次第では膨らんでいるのが分かってしまう。

 慌てる僕を見て、絵梨姉ちゃんが笑った。

「目立っていいじゃない。優ちゃんはもう女の子なんだから」

「あ。そうか」

 とはいえ今まで隠してきたので、やっぱりまだ慣れない。

「ねぇ。服はどうしてるの? スカートはもう穿いた? 下着は? ブラは? まさかいまだにブリーフとか穿いてないよね?」

 絵梨姉ちゃんが僕の顔を覗き込みながら、矢継ぎ早に質問してきた。

 僕はその勢いに戸惑いつつも、悪い気はしなかった。気を遣われて腫れ物扱いされるより、ずっと嬉しい。

「えっと。パンツは病院の先生が用意してくれた女の子用のをちゃんと穿いているけど、上の方はまだ。服は何着か買ってくれたけど、ほとんどは僕が男の子のときに持っていたやつ。入院していたし、退院してから買いに行った方がいいかな、って」

 というわけで、今の僕は病院から出てきたときと同じ、トレーナーにズボンという、物心ついた時からお馴染みの、冬から春にかけての服装である。

「へぇ。そうなんだ。じゃあ、さっそく私と一緒に、服を見に行かない?」

「え? これから」

「うん。町の案内にもなるし、早い方がいいでしょ」

「でも心の準備というか……」

「部屋にいたってすることないんだし、善は急げよ」

 とんとん拍子で絵梨姉ちゃんが話を進める。

 絵梨姉ちゃんの勢いに押され、一階の居間で雪枝さんとお茶していたお母さんに相談してみたら、「いい機会だから、行ってらっしゃい」と、言ってくれた。

 お母さんが海外に行っちゃったら、今まではお母さんが買ってきてくれた服を、これからは僕一人で買いに行かなくちゃいけない。しかも女物の服を。今回は絵梨姉ちゃんが一緒についてきてくれるし、お母さんの言う通り、いい機会かもしれない。

「よし。決定ね。制服着替えるからちょっと待っててねー」

 絵梨姉ちゃんは、僕のお母さんからお金を預かると、制服を着替えるために自室に向かった。そんな、やたら乗り気な絵梨姉ちゃんの背中に向けて、僕は思っていたことをぽつりと聞いてみた。

「絵梨姉ちゃん。……実は、試験勉強をしない口実のために買い物に行きたがっている、ってわけじゃないよね?」

「…………」

 絵梨姉ちゃんから返事はなかった。


お待たせしましたが、ようやく新章のスタートができました。

今後ともよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ