退院
「ふむふむ。なるほど……」
ただいま診断中。
僕は、裸の上に検査着を付けただけの格好で、カーテンに仕切られたベッドに横たわっている。
もうほとんど自由に歩き回れるようになったので、検査も病室から普通の診察室で行われることが多くなった。先生は機材がそろっているのでこっちの方がやりやすいみたいだし、僕としても病室にこもっているより、いい気分転換になっている。
上本先生が遠慮なく検査着をめくりあげて、僕の身体を検査している。
何度も行われたとはいえ、裸を見られるのは、やっぱりちょっと恥ずかしい。
下半身や胸を男の人に見られて恥ずかしいと思うってことは、女の子として成長していることなのかな。
あ、でも炭谷さんに見られても恥ずかしいし、そもそも僕が男の子だったとき、上本先生に下半身を見られても恥ずかしかったわけだし。
……どうやら別に成長しているわけじゃないみたい。
「はい。もういいですよ」
許可が出たので、僕は身を起して下着を付けて、検査着を整えカーテンの外に出る。診断室には、付き添いのお母さんが不安げな表情で座っていた。
僕が隣の椅子に腰かけると、お母さんが小声でぶつぶつ言っている。
「……もう優希も女の子のなんだから、やっぱり男の先生だと不安だわ……」
「はは。それは大丈夫だと思うよ」
上本先生はたまに変なところはあるけれど、仕事はしっかりしているし。
それに、えっちな目で見られるという経験がないからよく分からないけど、どちらかというと実験対象として見られているような印象だし。……まぁそれはそれで不安かもしれないけどね。
そんな話をしていると、上本先生がやってきて前にある椅子に座った。
「さて、非常に残念ですが……」
先生が前置きをして言う。
「優希くんの状態ですが、まったく問題ありません」
それって……
「もう、いつ退院しても大丈夫ですよ」
僕とお母さんは自然と顔を見合わせた。
そして先生に向き合って頭を下げた。
「先生。ありがとうございました」
「いえいえ。こちらこそ優希くんと、二ヵ月ほどの付き合いでしたが、非常に興味深くて楽しかったですよ。何かありましたらまた気軽に顔を見せに来てください。身体の治療だけではなく、心の相談にも乗れますので。歓迎しますよ」
「はい。分かりました」
僕はそう言って、もう一度頭を下げた。
それから二日後。いよいよ退院の日を迎えた。
一ヶ月と少しの間を過ごしてきた病室を後にする。荷物は数日分の着替えと、ちょっとした物が入ったかばんひとつだけ。持ってきた漫画や本は、誰が読んでくれるか分からないけど、病院に寄付することにした。
「もういい?」
「うん」
お母さんと確認して病室を出た。――ところで、サプライズが待っていた。
「優希さん。退院、おめでとうございます」
上本先生に、炭谷さん。ほかにもお世話になった看護師さんに、知り合った患者さんがたくさん廊下で待っていたのだ。
驚いて声も出ない僕に、炭谷さんが代表して花束を渡してくれた。廊下が拍手の音で包まれる。
「あ、ありがとうございます……」
花束を受け取りながら、僕は震える声でそれだけ言った。他にも何か言わなくちゃいけないんだろうけど、入院してから一か月のことが一気に頭の中をよぎって、涙が出そうになってしまう。
すると、上本先生は手をぱんぱんと叩いて、みんなに向けて言った。
「はいはい。皆さん。勤務時間内ですから、早く持ち場に戻ってくださいねー」
周りから「えーっ」という声が上がる。
もしかして僕に助け舟を出してくれたのかな。本当に忙しいだけかもしれないけど。
上本先生に追い払われるように、みんなが僕に声をかけながら、ばらばらに解散していく。そして最後に上本先生が僕の肩を叩いた。
「先生。今までありがとうございました」
「いやいや。私はただ手術を担当しただけですよ。外見を整えることはできますが、女の子としての内面は手術じゃ作れませんからね。それはこれから、優希くんが頑張って育ててくださいね。楽しみにしていますよ」
「はいっ」
☆☆☆
「良かったわね。お花までいただいちゃって」
「……うん」
みんなが去って二人きりになったら、急に静かになってしまった。
エレベーターに乗り一階ロビーに向かいながら、お母さんが話しかけてくる。
「もう、女の子には慣れた?」
「うん。まぁ。生理の処理も炭谷さんに教わってなんとかできたし、トイレも大丈夫。あとは男の子のときとあまり変わらないし。――けど、やっぱりたまに男子トイレに入りそうになっちゃうけどね」
「そう」
お母さんとの会話は男の子だったときに比べて減っている。もっとも、入院していたから顔を合わす回数も減っているんだけど、やっぱりまだお互いにぎこちない感じがする。
僕が退院したら、お母さんも近いうちにお父さんのところ、海外へ行ってしまう。そうしたらお父さんと同様、しばらく会えなくなってしまう。
その間僕は、お母さんのお姉さん、つまり叔母さんの家にお世話になる。いくら何度も顔を合わせて話している人でも、やっぱり他人の家に居候するのは不安がある。
お母さんに会えなくなって、居候生活が始まる。先のことを考えると不安だらけ。退院したことの喜びより、不安の方が大きいかもしれない。
お母さんが受付で清算をしている。いくらお金がかかったのかは聞かないようにしているけど、ある程度は保険でなんとかなったみたい。
僕は花束を持ったままロビーの椅子に座って、清算が終わるのを待っていた。僕の格好は、厚手の上着にズボン姿。入院してきたときと同じ服装だ。周りの人から見ると、僕は男の子と女の子、どっちに見えるのかな。
軽く手を頬にあてると、髪の毛が掛かった。入院中伸ばした髪の毛。まだ後ろ髪が肩に掛かるか掛からないかくらいだけれど、耳を覆う髪の毛には、まだちょっと慣れない。
ぼんやりとどこか寂しい気持ちで病院内を眺めていたら、戻ってきたお母さんに、ぽんぽんと太股を叩かれた。
怪訝気に顔を上げると、お母さんは苦笑いして小さく言った。
「足、開きすぎ」
「あ」
僕は慌てて膝をそろえた。花束をくれた炭谷さんにも散々注意されたのに。
そんな僕の様子を見てお母さんが苦笑した。苦笑だったけれど、久しぶりに笑った顔を見た気がする。
それを見て僕も笑った。
うん。大丈夫。
不安もあるけれど、きっと上手くいくから。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
これで二章は終了です。申し訳ございませんが、次章再開まで、一週間ほどお時間をいただきます。
なんとかその間に、毎日連載できるよう書き溜めておきますので許してください……
それでは。




