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僕っ子


「はぁ……」

 手術が終わって、もうじき一か月近くになってきた。

 最初のうちは、手術からの傷や体力の回復に一喜一憂(傷が治った・トイレに行った・食事が摂れた等々)していたけど、ある程度治って落ち着いてくると、とたんに暇になった。

 女の子になったからって、急に何が変わったわけでもない。女子トイレを使うようになって、座っておしっこするようになったのと、パンツが女子用になったくらい。それも数日で、当たり前のようになってしまった。

 ちなみに服の方は、まだ入院中で着飾っても意味がないので、男の子のときの服のままである。僕としてはその方が気が楽だけど。

 再検査やホルモン治療、それに加えリハビリもしているけれど、基本的には病室で過ごす暇な日々が続いた。一人部屋なので話し相手もいないし、男の子時代の友達にも電話できない。リハビリ中、知り合ったほかの患者さんもいるけれど、年が離れた人ばかりだし、やっぱり相手も病気で入院しているわけで、毎日のように会いに行けるわけじゃない。

 炭谷さんに、女の子のファッションの勉強にと渡された、女性向けの雑誌を読んでみても、どこが面白いのか分からない。家から持ってきた漫画や本も全部読んじゃったので、小学校の教科書や病院に置いてある本をぼんやり読みつつ、のんびり病室で過ごしていると、珍しくお母さんが顔を見せた。

「お母さん。どうしたの?」

 僕が入院している間、お母さんはお母さんの実家から病院まで通ってきている。病院までは決して近くないし、短期のパートも始めたみたいだから、病院に来ない日も多くなってきた。

「どうしたの、って、理由がなければ、むす……めに会いに来ちゃいけないの?」

 少しずつだけど今の僕に慣れてきたのか、いつもの厳しい感じに戻ってきたお母さん。けど、今息子って言い間違えそうになったよね?

 って、僕自身、娘って言われるのは変な感じだけど。

「まぁ、理由はあるのよね。はい。これ」

 ごほん、と咳払いして、お母さんが一枚の紙を渡してくれた。

「なにこれ?」

「戸籍謄本よ。ほら、ここ」

 お母さんが指差したところを見る。そこには僕の名前の記されていて、その横にある性別が「女」になっていた。つまり僕は、身体的にも法律的にも女性になったということだ。

 ……そっか。

 僕はもう、男の子じゃないんだ。

 初めに感じたのは、女の子になったということより、男の子じゃなくなったという思いだった。

 頭の中に男の子としてたくさん遊んできた光景が、次々と思い浮かんだ。それが女の子になった途端、すべて夢の中の出来事のように感じられてしまって、少し悲しかった。

 けれどいつまでも感傷に浸っていられない。

 僕は正真正銘の女の子になったのだ。これから僕は女として生きていかなくちゃいけない。もう後戻りはできないんだ。――そして、そのためにはまずやらなくちゃいけないことがある。

 手術が終わってからずっと考えていたこと。

 今こそ、それを実行するときだ。

 ――僕は、意を決して口を開いた。

「あ、あの、お母さんっ」

「なによ。急に」

「その、ぼ……じゃなくて、私のっ……えーと、髪の毛長くなったか……しら?」

「……さぁ。それほど変わらないんじゃない?」

 そっけなくお母さん。失敗だ。けどめげずに続ける。

「あの、わ、私、もっとかわいい服を着た方がいいのかなっ?」

 お母さんの答えはない。代わりに白い目でこっちを見てくる。

「さっきからどうしたのよ。私、私って、熱でもあるの?」

 あ、一応伝わってはいたみたい。でも熱があるのって……ひどい。

「えっとお母さん。その……僕いちおう、女の子になったわけだし……」

「あ、そういえば……そうだったわね」

 お母さんがようやく僕の意図に気づいてくれた。

「でも優希、さっき『僕』って言ってたわよ」

「え? さっき……えっと私、僕って……じゃなくて、僕、さっき私って言ってた?」

「……優希。直すところが逆じゃないかしら?」

 そんなコントみたいなやり取りをしていると、検診に来た上本先生と炭谷さんが入ってきて笑われた。廊下ですっかり聞かれてしまったらしい。

 上本先生が笑いながら言った。

「優希くんの環境はこれからどんどん変わっていくでしょう。しかし、あまり一気に変化させるのは、本人にも周りにも良くありません。今すぐに呼称や口調を無理やり矯正する必要はないですし、『僕』のままでいいと思いますよ」

 炭谷さんが補足を入れる。

「先生は『僕っ子』がお好きなのです」

「ぼ、ぼくっこ?」

「ごほん」

 お母さんが咳ばらいをした。……前にも似たような光景があったような。

 僕とお母さんは自然と向き合って言った。

「えっと……それじゃあ、今まで通りということで……」

「……そうね」

 そう言うお母さんに、どこかほっとした様子が見て取れた。上本先生の言う通り、一気に環境を変えるのは、僕だけじゃなくて、周りにも負担になるんだなと、あらためて感じた。

 というわけで僕は、しばらくの間は「僕」のままで通すことにした。

 まぁ僕としても、その方が楽だしね。――上本先生が、にやりと笑っていたのがちょっと気になったけど。


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