8.5話
月曜のお昼休みに遡ってからの裕哉…というより啓輔サイド
「…朝から思ってたけど、今日は妙に機嫌が良いね」
昼休み、それなりに混み合っている食堂で昼食を取った帰りに、裕哉の顔を見た時からずっと思っていたことを啓輔はやっと指摘した。
端から見れば普段とあまり変わらない顔だが、十数年来の幼馴染みである啓輔には裕哉が周囲に花を飛ばしているほど上機嫌であることが一目瞭然だ。
「そうか?」
自覚がなかったらしい裕哉が自分の顔に手をやって首を捻っている。
「そう。何、良いことでもあった?」
からかうように視線を向けると、裕哉は少し考え込んでから頬を染めてそっとはにかんだ。
「まあ、あったと言えばあった…な」
「…そっか」
裕哉の様子に啓輔は生暖かい笑みで頷き、すぐさま裕哉を誰もいない空き教室に押し込んだ。
そのときの啓輔の心境を言葉にすると、何を思いだしているのか知らんがそんな顔をしてこちらを見るな、である。
廊下に誰もいなくて良かった。目撃されていたら珍しい裕哉の笑顔について歓声があがるか、裕哉と啓輔がデキてる疑惑が出回ってしまうところだっただろう。
有り得ない上に不本意だ。そして、そんな噂が流れたら結果的に泣くのは現在進行形で女の子に片想い中の裕哉の方だというのに。
それほど複雑な状態であるわけでもない今でさえなかなか動けない奴なのだ。
これ以上面倒な状況にされては堪ったものではない。
「それで?」
「何が?」
空き教室の扉をきちんと閉め、啓輔は裕哉に向き直った。
「機嫌良い理由。何かあったんだろ?」
「まあな」
「照れないでいいからさっさと話せ」
男が照れても可愛くないので早く話をするよう促すと、裕哉はむっとした顔をしたが素直に口を開いた。
◆
「えーと、それで?」
詳細を聞きはしたものの何故これほど裕哉が上機嫌でいるのかの理由が分からなかった啓輔に、昨日の夕方のやりとりを全部話してしまった裕哉は首を傾げた。
「それで、終わりだ。あと、クッキー渡してくれるよう頼んだ」
「…それだけ?」
「喜んでくれるといいんだけどな」
それだけ、らしい。
裕哉の話で分かったのは、真由美と香奈子の二人が店に来たこと、二人も沙希が店に来なくなった理由を知らないこと、そして裕哉が沙希にクッキーを渡してくれるよう頼んだこと、である。
啓輔は呆れたように溜め息をついた。
沙希が毎回どれだけ幸せそうにケーキを食べているかを見ている裕哉にとってはクッキーを渡すというのは意外と重要なことだったのだが、そんなことは知らない啓輔はしっかりしろよと裕哉をどやしつけたくなる結果だ。
「どんだけ進展したのかと思ったら…」
店に来なくなる前の沙希の様子を裕哉から聞く限り、二人はお互い気付いてはいないが両想いなのではないかと啓輔は思っていた。
だからこそ根気強く裕哉の相談に乗ってきたし、それなりに助言もしてきた。
だが恋愛ごととは当人同士のことであり、あまり突っ込んだことまで言わない方が良いと思っていたのでそこは本人達が進めるままに任せるつもりだった。
しかし。だがしかし!
このままじゃ駄目だ。いつまで経っても変わらない。明らかに両思いなのに。
「…裕哉」
啓輔は深く深呼吸し、裕哉に対して子供に言い聞かせるような口調で話しかけた。
「有坂さんも和田さんも、店には偶々来てたんだよね?」
「ああ」
「で、偶然それを見つけたから、閉店後に会えるように伝言を頼んだ」
「そうだけど」
平然と頷く裕哉に、啓輔はこめかみを押さえた。頭が痛い。
「そこまでして、何で原田さん本人と話せるように頼んだりしないかなっ!?」
「え、いやだって、急にそんなこと頼まれても困るだろ?」
そしたら最初から閉店まで待っていたりはしない。
伝言あるかって向こうから言ってきたのなら頼んでもおかしくない。
何でそう肝心なところが抜けてるのか。
そう怒鳴りたくなるのをぐっと堪えて、啓輔は溜め息をついた。
「それにしてもさぁ…。とりあえず連絡先くらい聞いときゃ良いのに」
沙希のは聞けなくとも、彼女達本人の連絡先を聞いておけば良かったのだ。
拒否される可能性もあったが駄目で元々、聞いてみるだけただであるというのに。
「…あ」
やっとそこに思い至ったらしい裕哉の頭を叩く。
「馬鹿。クッキー渡すより先にすることだろ。ていうか、よく受け取ってくれたよな初対面の男から友達宛の菓子なんざ」
普通、気味悪がるだろ。
嫌がらせのようにそう言うと、裕哉は小さく唸る。
「学校では会えないし、連絡先も知らない。そんな原田さんと話が出来たかもしれない、せっかくのチャンスだったのになぁ?」
「今から…」
「学校内で迂闊に行動出来ないから、例の子にも会いに行けてないんだよね」
もう一度、馬鹿と啓輔が呟くと、裕哉は眉を下げた。
「ははっ、なっさけない顔」
あまりにも珍しすぎる表情に、啓輔は噴き出した。しかも自業自得だ。馬鹿すぎる。
込み上げてくる感情のままに思う存分、指をさして笑ったのがいけなかったのだろうか。
怒ったというより拗ねたらしい裕哉にボディブローをきめられて啓輔が痛みに悶絶することになるのは、これもまた自業自得だろうか。
放課後、啓輔は一人で廊下を歩いていた。
日直でもないのに、五時限目の授業に遅刻したからと担任から雑用を押し付けられたからだ。
元凶である裕哉は、薄情なことにさっさと帰宅してしまった。
人気のない廊下を歩きながら啓輔の頭の中に浮かぶのは、昼間の裕哉の話である。
裕哉は、同年代の女子にかなりの苦手意識を持っている。その理由は、過去のトラウマにあった。
中学生のとき、裕哉とそれなりに親しかった女子がいじめにあったことがあるのだ。
その原因は裕哉と仲が良かったからであり、裕哉や周りの男子が庇うといじめは更に陰湿化した。
何歳であっても女の嫉妬とは恐ろしい。
結局、いじめられていた女子は耐えきれなくなって転校したのだが、そのときに裕哉に恨み言を言っていった。曰く、三崎君と関わらなければこんなことにはならなかったのに。
責任転嫁した言いがかりだと啓輔は思うのだが、純真な中学二年生だった裕哉はそれを真面目に受け取ってしまい、どうやら今でも引き摺っているらしい。
だから今でも学校ではあまり口を開かず、特に女子とは話さない。それなのに硬派だなんだともてはやされて、今回のような噂が流れると必要以上に大騒ぎになるのだから皮肉なものだが。
そんな裕哉が、同級生の女子相手に微笑ましい初恋なんぞ経験しているのだ。啓輔とすれば応援するしかない。そして是非とも幸せになってもらいたい。
そうするには沙希の方の話も聞きたい気がするが、彼女のクラスは花の五組である。気軽に行ける場所じゃない。そして初対面の自分が話しかけて欲しい情報を引き出せるかというと、限りなく望み薄だろう。
「どうすっかなぁ」
ぼんやりとそう呟いたとき、その五組の教室の扉が開いた。
「二人ともバイバイ」
教室の中に声をかけながら出てきたのは裕哉の片想い相手の原田沙希。
急いでいるのか、啓輔に気付くことなく小走りで廊下を去っていく。その途中、一度ならず転けそうになっていたのはご愛敬だろう。
そんな彼女を呼び止めることもなく孫を見守る祖父のような気分で見送ってから、啓輔はそっと五組に近付き中を覗いてみた。
そこにいたのは、予想通りの二人。まだ帰るつもりはないらしく、椅子に座って何か話している。
これは好都合だ。
昨日裕哉と会ったという彼女達のこと。何かしら勘付いているのではないかと思う。
啓輔一人でじたばたしても出来ることは限られているし、沙希の友人達に手伝ってもらえばもっと展開が早くなるに違いない。
これで裕哉と沙希が両想いになれば万々歳。
そこまでいかなくとも、要は噂が流れる前の状態にまで戻せれば良いのだ。
「よし」
そこまで考えて、啓輔は意気揚々と扉に手をかけたのだった。
友人達は主人公組のお兄さんお姉さん的立場。
そんな彼らの動きによって成り立っている話ですよねこれ…。
多分もう少しで終わります。




